「貴女が何に怒っているのか分からない」
政府の人間かと問われればケニーはかつてそうであった、軍人であったのだ。ある意味では今もそうである、退役軍人省に紹介された仕事で働いている以上居場所は把握されているだろうし基本的に戦争が終わったと言えどケニーは予備役として扱われているだろう。
だが、殺される程の事では無い、恐らくだがアンナの怒りの原因もそこではない。いや、正直に言えばケニーには分からない。戦争は終わったのに人を殺そうなどとする理由がケニーには理解出来ないのだ。
「私は予備役として扱われているかも知れません、あまり詳細に説明を受けた訳では無いので自信はありませんが、恐らく、同じ部隊の人間などが言う限りではその様な扱いになっているかと思われます」
だから、私を殺したいのですか?そう問い掛ければアンナの瞳に明確に動揺が走った。そんなつもりは、そういって何事か聞き取れない言葉を口の中で続ける。
「ケニーさんを殺す気なんてありません、だけど、マダムに何かするつもりならあなたを殺すかもしれない」
嘘だとケニーは思う、人を殺せる目をもうしていない。見覚えのある目、同じ目をしていた人間は細かな違いはあれどケニーの覚えている限り皆死んでいった、戦場で死んだのだ、それは恐らく殺せないと言う事なのだ。
「私は」
何と続ければ良いのだろう、ケニーはアンナになんと伝えれば誤解が解けるのか分からない。そもそもケニーには怒りが良く分からない。だからただ一歩アンナの方へケニーは歩いた、そうと身体が覚えている様にゆっくりと刺激しない様に歩いた。
「戦争が終わった時、皆が故郷へ帰れるのだと歌って居ました」
動かないで!!そう叫んだアンナがナイフを取り出す、家にあるものを曖昧に選んで持ってきたのだろうか?果物を剥くには使えるかも知れないがその小さなナイフでは人間を殺す事は出来ない、習った事を思い出してもそれ以上に居心地の悪さばかりが先立ってケニーに何も言えなくさせる。
着飾った彼女にナイフは酷く似合わない、そう思っても口に出せない己の不自由さがそうさせた。
手が触れる距離まで来てアンナが振り回したナイフが浅くケニーの頬を切る、ケニーは何も思わない、慣れている。けれども流れた血がアンナを酷く動揺させた。
「酷く居心地が悪かった、皆が故郷や家に帰れると言うが私には故郷など無いんです、家も帰りたいと思える場所も、何処にも無いんです」
ナイフが小さな音を立てて良く手入れされた畑の土に落ちる。
「やれと言われた内は戦争をしていれば良かった、戦争が好きだった訳では無いですが少なくとも戦争をしている内は分からない事や自分の不自由さで居心地の悪さを感じたりせずに済みましたから」
「だけれど、戦争が終わったと言われても私には何をすれば良いのか分からないんです」
アンナはただケニーを見詰めている、小さくて脆くてマダムが教えてくれた薔薇や、それ以外の多くの花の様に美しい。ケニーはそう思う。
「貴女に触れても良いでしょうか?」
殺すべきじゃない、こんなに美しいものを殺すべきでは無いのだ。きっと、彼女にとってマダムは故郷の様なもので、きっと、彼女はそのためにこんなにも必死になっているのだから。
思い思いに故郷の歌を歌っていた同じ部隊の連中を思い出す、ケニーには居心地が悪かったが、彼らは皆暖かでただ必死に帰りたがっていた。それはきっと花の様に美しく重要な事なのだ。
ケニーはアンナの頬に出来得る限り優しく触れる。
「この町は、海が綺麗で、風が気持ち良くて、何か、こう、私には上手く言葉に出来ませんが、ただ居るだけで居心地の悪さが薄れていく気がします。マダムも、一緒に過ごしていると、何か分かりませんが初めて感じる気持ちが湧いてくる、居心地の悪さとはまた違う良く分からない気持ちにさせる声で私の名前を呼んでくれる」
「この町に居させて欲しい、私は誰かを傷付ける為に来た訳ではありません、貴女も、マダムも、それ以外の誰かも。だって」
戦争はもう終わった、そうなんでしょ?
この時ケニーは人生で初めて、誰かに思いを言葉で伝える自由さを、その種の様なものを人生から獲得した。
ウサギの様な人だと思った、静かで周囲を良く見渡して何かに怯えている。
それが彼を、ケニーを初めて見た時の印象であった。
私の番が来た、彼がマダムを傷付けるのなら、私は、
次回
幕間【アンナ】