老獣人と帰還兵   作:来海杏

8 / 31
幕間【アンナ】

ウサギの様な人だと思った、静かで周囲を良く見渡して何かに怯えている。

 

それがケニーを初めて見た時の印象であった。

 

同盟国から来た男、ジャガイモの花を好きだと言う男、また私から何かを奪っていくのだろうか。

 

ケニーが従軍したと言う戦争よりもまた一つ前の戦争、その時私はまだ幼かったがそれをよく覚えている。戦争とそれに付随する多くの陰惨なものが私の人生に訪れた不幸と合わさって深く跡を残しているのだ、忘れられる筈も無い。

 

最初は祖父であった。朝早くから何時も忙しそうにしていた両親と祖父、戦争が始まったと言う知らせを聞いて私はもっと両親と過ごせる時間が増えるのでは無いかと喜んだ記憶がある、不安そうな両親の顔に怖いものを感じ口にこそ出さなかったがそれでも一緒に過ごせるのだと思えば嬉しかった。

 

「だいじょうぶだ、きっとだいじょうぶ。何もかもすぐに終わる」

 

祖父だけがいつもの様にそう言って黙々と仕事をしていた。

 

結論から言えば思っていた様にはならなかった、軍港として港は活用され軍人達が式典や町の女性達に送る為に花を買う、それ以上に死んだ人間の為に皆が花を買っていく。誰もが貧しい時代だったがそれでも死者に花ぐらいは送ろうとする、ただただ皆が暗い顔をしている。

 

祖父だけが黙々と何時も通りに働いて居て、その姿を眺めているだけできっと大丈夫だと言う気持ちが湧いてくる。口には出さなかったが恐らく私の両親も同じように祖父の背中に感じるものがあったのではと思う。誰もが貧しくて、口に出せない約束事の多い時代だった。

 

そうして家族皆で何とか曖昧な恐怖に耐えていた中だ、祖父が倒れた。

 

当時は良く分からなかった、その時よりもずっと後に聞けば脳の病であったと言う、医者かそれなりの魔法使いに診せれば治せたかもしれない。大人になってその様な事を思う、だがどこにそんなお金があっただろう、いや、きっと助けられるなら両親は何もかも投げ出して祖父を助けただろうに。それなりの魔法使いも、多くの医者も、ここより遠く北の方で戦争をしている。

 

家族皆で途方に暮れて居た時、医者を連れて来てくれたのがマダムだった。怖い人だと両親は言うがそれはあの人と呼ばれている旦那さんがそうなのだ、マダムは至って穏やかな人で何時もふんわりと柔らかな雰囲気をしていて、私は祖父の次にマダムの事が好きだった。

 

マダムの連れて来た人間種の医者は何か難しい話を両親として、両親はその話に泣いている。助からないのだと、子供心にもそれが分かる。

 

医者が幾つかの薬を処方し魔法を掛ける、そうして苦しそうな顔で横になったままろくに眠る事も出来なかった祖父は、やっと安らかな顔で眠る事が出来た。

 

息を引き取ったのはその日から三日後であった。

 

両親が何度もマダムに頭を下げて居たのを良く覚えている、今なら分かる、あれは感謝ではなく拒絶だったのだろう、祖父の事は感謝しています、ありがとうございます。だからどうか何処かへ行って下さい、関わらないで下さい、と。両親はマダムの事を怖がって居たから。

 

考え過ぎだろうか?そうであれば良いなと思う、今となっては問いかける相手も居ない。

 

 

そうして暫くはいつも通りに生活を続けて行く事が出来た。

 

もう祖父は居ない、漠然とした不安には家族で身を寄せ合い何とか耐えていくしか無い、なのに祖父の居ない空白が気分をどうしても沈ませる。

 

そうして私の笑顔が減っていけばそれは自然と両親にも伝わり、些細な事を切っ掛けにしていつの間にか両親は喧嘩が絶えない様になる、仕事の間だけは静かに昔の様に働いていて、それが機械の様で怖い。時折お店にマダムが来た時だけが深く息を吸える、そんな瞬間だった。

 

マダムがお店に来てくれる度、両親と一緒に居るのが嫌で彼女に一緒に連れて行ってとお願いして連れ出して貰っていた。当然両親は嫌がったが家に居ても喧嘩する姿を見せるだけ、おまけにマダムはお得意様で危険な事に巻き込まれる様な相手でも無い、最初の何度かは駄目だと言って居た両親も明るい間に帰って来れるならと許可を出した。

 

そうして、マダムと一緒に乗った車内の後部座席でマダムが祈りの様な言葉を唱えるのを初めて聞いたのだ。色んな人達に食料や死者に手向ける為の花を渡しに行く車内、彼女は私の話を何時も楽しそうに聞いてくれたが、時折、本当に時折だけ何も車内で話す事が無くなったときに彼女は酷く遠い目をする、そんな時に彼女は言うのだ。

 

死者に花束を、求める者に生きる糧を。

 

そんな、何か、祈りの様な言葉。

 

マダムは優しい人だと何度も頭を下げる人がいる、善人ぶっていると怒りをぶつける人がいる。あの人に言えなかった言葉を、誰かに言えなかった聞くに堪えない言葉をぶつける人もいる、悪党だと罵る人もいる。

 

どれも違う、どの言葉もマダムの居る場所にはきっと届いて居ない。

 

マダムがこの言葉を、祈りを口にする時、彼女は何時も酷く追い詰められていた。何か、そうしなければいけないだけの理由があるのだろう、一度だけ問いかけた事がある。

 

「なんで、マダムはいつも誰かを助けるの?」

 

なんで、なんで?そうねー、何時もの様に柔らかにマダムが話してくれる、それが怖かった、遠くを見つめていた瞳が変わらぬまま何時もの様に話してくれる。そうか、きっとマダムの心はここじゃない何処かに居るのだと、最初に気づいたのがこの時だった。

 

 

 

「出来る人がそうしないと、みんな貧乏な時代だからねー」

 

それはきっと、あの瞬間に欲しかった答えではない。だけれどマダムの横顔に見えた拒絶が、瞳の中の遠さが気持ちを遠ざける。

 

「偉いね」

 

そう言って背伸びをしてマダムの頭を撫でた、何時も見ていた様に彼女はとてもサラサラとしていた。

 

 

余計な事は聞かない、マダムはいつも良くしてくれたし何より家に居るのは嫌だった。些細な事から始まった両親の不仲はいつの間にか存在すらも否定する様な良くないものに変わっていた、仕事の間は機械の様に静かに働いている、それが終わって家にいる間も喧嘩が始まるまでは静かにはしているがそれはもう喧嘩をしていないだけの時間でしかない、家の中は酷く居心地が悪かった。

 

どうしようもない程両親の言い争いが酷くなった時にはマダムの屋敷に逃げた、両親の言うあの人は私が生まれるよりずっと前に死んでいたがそれでも時折、怖い雰囲気の人物が出入りしていたのを見掛けた。何かあるのだろうとは思う、だけれど聞いてマダムが答えるとは思えない、少し違うかもしれない、聞くのが怖かった。聞いたら答えてくれるかもしれない、きっとあの時と同じ様にいつも通りの柔らかな調子で答えてくれるのだ。

 

それが怖い、マダムには柔らかな人で居てほしい、じゃないと居心地の悪い家から逃がしてくれる人が居なくなってしまう。

 

そうして色々なものに目を瞑って耐えている内、母が何処かに逃げて行った。若い兵隊と駆け落ちしたのだと父は言った、それ以来適当に仕事を終わらせて何処かに消え、酒の匂いを漂わせて遅くに帰って来る。

 

家の中から怒鳴り声は消えたけれど、父は私と決して目を合わせてくれなくなった。

 

殆ど話もしない、居心地の悪さは無くなったが今度は自分がここに居るのか分からなくなる、だって誰も私の目を見て話そうともしないのだ、街の人間はみんなうつむいて何かに耐える様に歩いている。しょうがない、みんな戦争をしているのだ、耐える他ない。

 

なのに、耐えられない。

 

その内政府の役人だと名乗る人間種の奴らがマダムの家に現れる様になって、とうとうマダムの家に逃げ出す事も出来なくなってしまった、息が詰まる、居心地が悪い。

 

そうして家に居て塞ぎこんでいる姿を見て父なりに思うところもあったのかもしれない、ある日仕事を手伝う様にと言われ慣れないながらに仕事を手伝う様になった。変わらず父は決して目を合わせようとしなかったがそれでも前よりはずっと良い、手短に要点だけを教える父に必死に食らいつくように仕事を覚えた、やる事があると何も考えなくて済むのだとこの時に知った。父も早く帰って来る様になり、お酒の量も減って行った。少しずつ、家族らしい時間を取り戻して行くのだ、きっと大丈夫。そう思って居た、父が死ぬまでは。

 

酒を飲んで軍人に絡んだのだと言われた、嘘だ、父はその頃にはお酒を止めていた。想像でしか無いがきっと軍人達が父に絡んだのだ、そうして偉そうな服を着ている癖して寄ってたかって父に暴力をふるったのだ、軍人が、戦争が、私からまた大切なものを奪っていく。

 

幾らかの見舞金を支払って軍人たちは形だけ頭を下げて何処かに消えた、海の向こうに消えてそれっきりにするのだろう。分かって居てもどうしようもない、戦争なのだ、運が悪かったのだ、皆が不幸な時代なのだ。独りぼっちで父の葬儀を終わらせて暗い家の中に居る時、マダムが家を訪ねて来てくれた。

 

「大丈夫よ、アンナ、きっと大丈夫」

 

祖父と同じ言葉、もしかしたら、祖父の口癖だと思っていたのはマダムの口癖がうつったものだったのかもしれない。もっともしかしたら、あの人とマダムが呼ぶ、その怖い人の口癖がうつったのかも。

 

翌日、五人の軍人が水死体となって港に浮かんだ。

 

酔って足を滑らせたらしい、私は、私は…何も聞かなかった。

 

 

マダムはウチのお店の常連さんで、何時も私に優しくしてくれて。ここじゃない何処かに心がある人、父が死んだ後もマダムが色々手を貸してくれたおかげでここまでお店を続ける事が出来た。

 

 

そんなマダムの所にまた暴力の匂いがする人間がやって来た、今度は何を奪うのだ、私から何を奪っていくのだ。

 

ウサギの様だと思った、今は違う、暴力の匂いがする怪物がそこに立っている。今度は私がマダムを助けるのだ。

 

マダムを傷つけるつもりなら、今度は私が殺すのだ。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。