街を冷たく見下ろす男が居た。
バベルの頂点から、まるで焼き回しのように。瞳はつぶさにその状況を捉え、見極める。
「……そりゃ、怖いよな」
積み荷から少年を庇う折に、怪物の姿が露わになる。竜の翼、あり得ぬ巨体、額に怪しく輝く赤い宝石に、美貌の失せた化け物の容貌。
今にも取って食われそうな絵面だ。それも、庇われた少年はしっかり自分で考えることの出来る年齢だった。倫理観は組み上がっており、何にも物怖じしない無色透明な心は、すっかり環境によって染まってきている。
ならば、恐怖を抱くのは人として、生き物として当然だ。不倶戴天の敵を目の当たりにして、突然目の前に現れて。たとえその肉体に庇われたとして、そんな偶然にもあり得てしまう状況から、「怪物」に理性があるなどと、区別も妄想も出来るわけがない。
「これが現実だ。人類は、あいつらに手なんて差し伸べちゃくれない」
そんなお人好し、百人に一人いればいい方だろう。
仮にいたとして、徒党を組まねば、周囲の圧力に意見は殺される。
「だから、英雄が必要なんだ」
人々を惹き付ける絶対的なカリスマ。誰にも文句を言わせない、圧倒的な実績。そして、そんな英雄を支え続け助けたという既成事実。
彼ら、彼女らが居なければ今はあり得ないという事実の積み上げる。
味方が居ないなら、増やすしかない。
力をもって従わせる圧政なんて必要ない。手を取り合って笑い合える、理性と言葉を用いた融和こそが必要だ。
「必ず成し遂げる。だから、もう少しだけ。待っていてくれ」
無事、逃げ切れた姿を見送ってから、彼は地上に降り立つのであった。
19階層の一画が、青白い雷に焼かれた。
「ナイス判断ね。出し惜しみしてピンチになるより、ずっと良いわ」
その様子を遠くから見ていたのは、紅の長髪をポニーテールに結った女、アリーゼ・ローヴェルだった。
「それにしても、ヘスティア様も心配性ねー。いくらアストレア様とご神友だからって、この私を。冒険者の巣窟、オラリオをもってして片手の指で数えられる逸材! 【アストレア・ファミリア】団長のこの私を! 使い走りにするなんて」
一体、誰に説明しているというのか。
女に同行していた巨体は、頷くでも返事をするでもなく、ただ木偶のように突っ立っていた。一応周りは警戒しているが、正直何もすることがなかった。女が強すぎて何かする前にもう終わってしまうのだ。
「……でも、本当にダメそうな時じゃなきゃ手出し無用! なんて。もう、何度飛び出しかけたかわからないわ! それでも私は耐えきった! 比類なき強靭な精神をもって、自制したわ!」
好き勝手に言いまくる女の瞳は、ふと白い兎に向けられた。
ジッと、先ほどまでのふざけた雰囲気は鳴りを潜める。ただ観察するように見つめる。
(でも、あの子は一度もピンチにならなかった。ナイフが主武装みたいだけど……アレは【静寂】……いえ、【暴喰】の剣技。状況判断も、他の誰よりも優れてる)
その証拠に、白兎は今まで一度も、焦った様子を見せたことがない。
“冷静過ぎる”と、アリーゼは評価を下す。自分が同じ時期、果たしてあれほどどっしりと構えられたかと言えば、無理! と明瞭に答える。
(多分、あの子はまだ余裕を残してる。他の子が予期せぬピンチに陥った時、手助けに入れるだけの余力がある)
その余力を使わないのは、仲間に経験を積ませるためだろう。支柱となる白兎が居なくても、最低限の機能をするように。
間違いなく入れ知恵だ。それは【静寂】あるいは【暴喰】からか。それとも仲間から任せてほしい、と言われたのか。
「うん! いいファミリアね」
結論は出た。これならば、心配も杞憂だっただろう。目的地が同じなため、後をつけていくことにはなるが、手助けをする機会は一度も訪れないだろう。
そんな風に考えていた時、ふと白兎の赤い瞳と、アリーゼの翡翠の瞳が、確かに見つめ合った。
「……やっほー!」
アリーゼは吹っ切れた。距離的に届かない声を上げながら、白兎に大きく手を振った。
白兎はアリーゼに手を振り返した。そしてしばらくすると、どこか周囲を警戒するように、キョロキョロと周りを見ながらも、先に進み始めた。
(……気づかれた。多感なお年頃なのかしら。……いえ、それより。私のことに気付いた上で、何かに警戒していた?)
モンスターに対する警戒にしては過剰だ。支柱となっている彼があれほど警戒しては、仲間も心を引き締めに掛かる。精神的な消耗は、いつも以上に早くなってしまう。
「……まだ、経験不足?」
あれほど冷静に判断できるのに? 仲間に任せることを覚え始めているのに?
「警戒するに、越したことはないわ。貴方も、細心の注意を払ってね。【ロキ・ファミリア】幹部たちと遭遇なんてしたら、私も手が離せなくなっちゃうから」
こくり、と巨体はしっかりと頷いた。「よろしい」とアリーゼは気分よく頷き返しながら、進んでいく白兎の後を追う。
(でも、嫌な予感はしないのよね)
アリーゼの勘はよく当たる。その勘が、全く反応しないのだから。
まぁ大きなことは起こらないだろう、と。
軽快な足取りで、彼女は巨体を連れてダンジョンを進んでいく。
リン、リン、と鐘が鳴る。
白光をその腕に纏い、真っ赤な瞳が、今まさに仲間を襲おうとする武装した
「ファイアボルト」
その腕に炎雷が迸る。処女雪のように真っ白な光の上から、黄金の雷と夕日のような焔が唸りを上げる。
その気配に
「だぁぁああああああッ!」
『グゲェ!?』
拳を受けた
しかし、周囲にはまだ数十の怪物が居る。
「皆、ウィーネを連れて急いで引き返して! 今ならアリーゼさんと合流できるかもしれない!」
言いながら、白兎はリン、リンとまた鐘の音を鳴らす。絶えることなく、今度は両腕に白光が宿り、彼は誰よりも前に出て壁になる。
「アリーゼ様……って、『
「ぼくたちをずっと観察してた! きっと神様が頼んだんだと思う! だから早く!」
「ああ、くそっ! いくぞリリスケ! ここにいたってベルの足手まといだ!」
「あぁっ、もう! せめてこの魔剣を――」
ゲゲゲ、と何とも不気味な笑い声が、彼らの耳を打つ。もう復活したのか、と誰もが壁にめり込んだ
「早くッ!」
『――っ!』
その言葉に、
(手応えがほとんどなかった。あのモンスター、武装しているだけあって戦い慣れてる! 一対一ならともかく、数で押されたら全滅する)
「あー、もう。ちょっと。ストップ! ストーップ!!」
「……えっ?」
「ベル殿! こちらにもモンスターが……?」
「ちょ、こっちにもモンスター……って、えぇ!?」
ベルの間抜けな声が、ヤマト・命の何とも言えない声が、【ヘスティア・ファミリア】の参謀、頭脳役たる小人族の少女、リリルカ・アーデの大声に掻き消される。
「もうっ! さっきからずーっと見てたけど。リド、やり過ぎよ。私がいなかったらみんな散り散りになっちゃってたわ」
え、リドって誰? と、【ヘスティア・ファミリア】全員の内心が合致した。というかあんた誰だ、と思う人間も少なからずいた。
「あっはっは! 悪かったって! アスっちから聞いてたよりずっと強くて驚いちまってよ!」
待て、今どっから声が聞こえてきた、と耳を澄ませて、目を凝らして発生源を探すと。
「よっと」
そこには、先ほどまでの獰猛な様子とは打って変わり、理性的な光を宿した瞳を持つ
『……えっ?』
「でもよ、レイからアスっちが来てるって聞いたから。じゃあ一芝居打つか! って盛り上がっちまって」
「え、来てるの? 全っ然ッ! 気づかなかったわ! ……まって、じゃあどこに居るの?」
「貴方たちノ後方から来ています」
金色と海色の羽根が、ふわりと舞う。
今までずっと滞空していたのか。それとも隠れていたのか。アカリゴケに照らされたフロアを見上げると、そこには美しい
「その声は……」
「おい、まさか」
二人は。【ヘスティア・ファミリア】団長のベル・クラネルと、同所属の鍛冶師ヴェルフ・クロッゾは、彼女に出会ったことがある。
その時はローブで身を隠していたが、その美しい声を聞き間違える筈がなかった。
「またお会いしましたネ、お二方」
青色の瞳。どこか親し気に細められ、微笑む彼女を見て、ベルとヴェルフは確信する。
ウィーネを拾って間もなく、19階層にて邂逅した人物――いや、モンスターだと。
「えっ……えっ? 私、彼がついてきてることに全くッ! 気付かなかったわ。……え、レイはどうやって気づいたのかしら? 何かコツとかあるの?」
「そこは、ほら。愛のなせる業、とか人間たちはよく言うだろ」
「あっ、そういうことね! 素晴らしい話だわ! 帰ったらリオンにも聞かせてあげなくちゃ!」
「……リド」
「おっと、オレっちからはこれ以上何も言わないからよ」
まずもって、目の前でどうして【
加えて、いきなりモンスターに色恋の話をされて、頭がパンクした。耳年魔な【ヘスティア・ファミリア】新参者のサンジョウノ・春姫は、
「恋バナ、などハまた今度ニ」
ジッと見つめられて何を思ったのか。
「改めましテ、地上ノ御方」
仕切り直しだとばかりに、
「その勇気ニ、固い意思ニ、確かな行動ニ、最大ノ敬意ヲ込めテ」
「オレっちからも。……ありがとう、ベル・クラネル。そして【ヘスティア・ファミリア】。『同胞』を守ってくれて。本当に、ありがとう」
ベルたちは、そのお礼に返す言葉が見つからなかった。
他の団員たちにとっては、もとは団長のベルが言い始めたことだから、そこに乗っかった形だ。言い出しっぺはベルであり、彼が居なければ、余計なリスクを背負う真似はしなかっただろう。
当のベルは、目の前のモンスターたちが口にするお礼の言葉に含まれた何かに、薄々と気が付いていた。
(……ぼくたちも、間違いなく感謝されてる。でも、何だろうこの感じ。もっと、別の誰かに……気持ちを、込めてる?)
漠然とした感覚で、半信半疑の直感だ。
いや、そもそもの話。
「……あの。どうして、ぼくの名前……それに、ファミリアの名前を?」
「あー……」
参ったな、と
「うーん、簡単に言うと協力者がいるの。この子たちを守るため、共存するため。志を同じくする仲間が、地上にいる」
「【アストレア・ファミリア】が?」
「そのとーり! いや、まぁ今回は半分違うんだけどね? ベル君たちのことをヘスティア様から頼まれたのもあるし」
もう半分はこの子! と、アリーゼに促されて出てきたのは、フードを被った巨体であった。
だが、あまりにその身体が大きく、正面からはほぼ丸見えだった。この隠れ家に来る際、水辺を通る折に、身体に巻いていたフードを取っ払ったためだ。
「バリッ! お前、生きてたのか!」
「リド!」
ヤットモドッテキタ、とバーバリアンの彼は、
感動の再会に、うんうん、とアリーゼはしたり顔で頷いている。ただ、今回ばかりは彼女が功労者なのだから、文句をつける者は誰もいないだろう。
「もう、何がなんだか……」
「俺もついていけねえよ……」
リリルカとヴェルフの言葉に、命や春姫はおろか、『同胞』となる
紆余曲折はあったものの、ベルたち【ヘスティア・ファミリア】は
一芝居打ったのは、『同胞』を本気で守ってくれるだけの覚悟があるのかどうか。それを試すためだったという。
その後は
今は魔石灯に照らされたフロア一帯。モンスターが魔石灯を使うのか、という衝撃は大きかった。
そしてそれと同じくらい、ジョッキを片手に酒を飲んでいる
モンスターってお酒飲めるんだ、という口から出た言葉。それにリドは。
「いや、最初は何だこの飲み物!? っておっかなビックリだったけどよ。飲んでいくうちに癖になっちまった」
と、何とも人間らしいエピソードが語られて、思わずベルは笑みをこぼしていた。
周りは、主に
「それでね! ベルはケガしてた私にポーションをかけてくれたんだ!」
「そうですか。ベルさんハとても……彼ニ似て、お優しいのですね」
「うんっ」
ベルの左隣に座っているウィーネは、他の
「ほらほら、ベル君。どーしたの? 歯にお肉の破片が挟まったような顔しちゃって」
「へっ」
え、ぼくそんな顔してたの? と素っ頓狂な声で間抜けな顔を晒してしまう。「あ、今度は宇宙の真理に気が付いた猫ちゃんね!」と、訳の分からないことを連呼するのは、当然ながらアリーゼだった。
「それで、やっぱり圧倒されちゃった? 私たちも最初そうだったわ。ライラなんて明らかに挙動不審にアイテムの確認し始めたし、ネーゼは耳と尻尾が見事に逆立ってたわ。リオンは……今のベル君みたいな顔してたし。……輝夜も平静は装ってたけど、アレは内心で震えていたわ。だって、刀に何度も手が伸びかけてたもの」
「ちなみに、アリっちはいつもの三倍騒がしかった!」
「だってせっかくの宴なのに、お通夜になったら嫌じゃない! せっかく歓迎してくれたのなら、パーっと騒いで、楽しんだもの勝ちよ!」
「あ、あはは……」
何となく想像できてしまったベルは、空笑いを浮かべるしかなかった。
「あっ、リオンっていうのはベル君も会ったことあるわよ。ほら、『豊穣の女主人』で働いている、ウェイトレスのリューのこと!」
「えっ……えぇぇえええッ!?」
「ちなみにリオンはレベル6よ!」
「はいぃぃい!?」
今明かされる衝撃の真実。ベルにとっては初耳と驚愕の二つが重なり、もはや悲鳴のような声が、宴の喧騒の中に消えていった。
「ちょっ、さっきから思ってたんですけど! どうして正義の【アストレア・ファミリア】が、こんなバレたら袋叩きにされそうなことに首突っ込んでるんですかッ!?」
「それはもちろん……私たちの『正義』のためよ。きらん☆」
――あ、うぜぇ。
少なくとも直接尋ねたリリルカと、聞いていたヴェルフは率直にそう思った。というかこんなのが正義のファミリアなのかと、キメ顔のアリーゼをみていると、落胆というか呆れというか、とにかく衝撃が大きかった。
「というかよ。【アストレア・ファミリア】って、オラリオに戻ってきてたのか? 聞いた話じゃ、ギルドの反対押し切って、ファミリア再興のために都市外に出た、ってことになってたが」
「うーん、その辺りは複雑なの。
――まぁ団員のケアも必要だった、ていうのも本当だけどね。
あっけらかんと語るアリーゼに、リリルカもヴェルフも何も言えなくなった。安易な糾弾は、
「その、どうして都市外に出ることが、
「この子たちを攫って密売とかやってる、わるーい奴らが居るのよ。それを外で網を張ることで、私たちが摘発しているの」
あの時は助かった、ありがとう! と、一部の
「くぅぅ、沁みる、沁みるわ! 労働の後のお酒って、どうしてこう、多幸感と満足感に溢れているのかしら! これなら私、明日も戦えるわ」
なんておっさん臭いことを言いながら、あっ、と思い出したように。
「さっきの話は内緒ね? バレたら多分、ギルドからいたーいお仕置きがあるから」
「ギルドから!?」
「そうそう。事の発端は……確か、【ゼウス・ファミリア】ね。かのファミリアが
「あー! あーっ! リリは何も聞いていません何も知りません耳が遠くなってましただから何も知りません!」
「そんな大事な事をぽろっと口にしないでくださいッ!」
ベルの悲鳴のような嘆願に「ごめんごめん」とアリーゼは軽く流した。
(まぁ、こんなところかしら)
圧倒的な情報量と、その内容の危険性を知らしめることはできた。ならば、これ以上首を突っ込むことは、現時点ではないだろう、と。
それが、真摯なベル・クラネルに対する、アリーゼが今表せる最大の誠意であった。
「……あの。気のせい、かもしれないんですけど」
「どうしたの? あっ、もしかしてお姉さん以外に誰かつけてるなー、って気づいたこと?」
「あ、それとは違います。ただ、その……どうして、うちのファミリアを。リドさんは強調したのかなって」
「ブフっ」
ゲホ、ゲェ、とリドがむせた。いきなり話題になったにしても、その反応は露骨すぎた。
アリーゼもまさかそんなところに突っ込まれるとは思っていなかった。ただ、切り返しはまだ出来ることが幸いだった。
「ヘスティア様のこともあるからかしら。あの方、
「……そう言えば、専門家を知っている、って言ってましたね」
「その専門家が【アストレア・ファミリア】ってことか?」
「でも、神様の言っていた専門家って人の特徴と、【アストレア・ファミリア】の皆さんだと、全然違うような……」
状況を察したアリーゼはすぐさま考え込んだ。このまま正体を教えるか、それとも神ヘスティアに丸投げしてしまうか。あるいは、教えられないことを素直に言ってしまうか。
ベルが気にしているのは、間違いなくアストラムのことであった。彼は【ヘスティア・ファミリア】最初の団員ではあるものの、その情報はほとんど知れ渡っていない。
それは、もともとアストラムという冒険者が他人との接触をほとんど避ける性格のせいでもあった。
当時、彼が交流した冒険者は、【ヘラ・ファミリア】の一部と、お節介を掛け続けたアリーゼくらいだった。ランクアップする時も、特別何か注目されることのないヒューマン。彼がいつランクアップを果たしたのか、という記録を覚えている人間などまずいない。精々、物好きな神々が記憶の片隅に留めている程度のものだ。
加えて、【ヘスティア・ファミリア】は当時、団員がアストラムだけだった。そのため派閥として注目されることは皆無で、数々の探索系ファミリアの中に埋没していたことも大きい。
神ヘスティアは実のところ【ゼウス・ファミリア】や【ヘラ・ファミリア】に、一柱の神として親交はあったものの、それは神様としての出自が関係してのもの。だから、神ヘスティアが両ファミリアに出入りしたところで、不思議に思う者は事情を知らない者ばかり。後に事情を知れば、まず疑問に思うこともない。
加えて、ゼウスやヘラが特にヘスティアに対して過保護だったのも、実のところ有名な話だ。そこに追い打ちをかけるように、「天界随一の善神」という前評判。神々から悪ふざけはあったものの、当時本気でちょっかいを掛ける輩はいなかった。
ゼウスとヘラが去った後でも、本気で悪意をもって行動する者は現れなかった。神交の深かった【ヘファイストス・ファミリア】や【アストレア・ファミリア】が、その抑止力になっていたことも大きい。
つまり、神ヘスティア自身は実のところ、“神々の間では”有名だった。しかしそれは“神交”と“前評判”に含まれる割合がほとんどであり、そんな女神がファミリアを持ったところで「ふーん」と、大した話題にならなかった。アストラムの成長速度も異常性はなかったことから、【ヘスティア・ファミリア】は有名無実のものとして、神々から見ても埋もれてしまった。
(それに付け加えて、彼の名前が公表される前に起きたことが多すぎた)
ゼウスとヘラ両名のファミリアの壊滅と追放に始まり。
そこから訪れる暗黒期に悪神たちが跋扈し。
【人形姫】アイズ・ヴァレンシュタインによる最速ランクアップ記録の更新。
そして大抗争『死の七日間』に。
これだけのことが起きれば、たかが“神交”がある程度の注目が何だというのか。
何より、アストラムの名前は【流星の射手】の二つ名で知られることがほとんどだった。それもこの二つ名は、巷の噂であり、それより前の二つ名はそれはもう、影が薄く無名といって差し支えない。二つ名もレベル2の時以来、一切変わっていなかった。
(明確に知られることになったのは、あの“魔法”のせい。その力があまりに馬鹿げた代物だったから、ギルドが発表せざるを得なかった)
『死の七日間』を終わらせたたった一度の魔法。
その力は規格外のものであり、レベル7の敵二人に、オラリオに蔓延る
(記録によると、最低でもレベル1つ分以上の階位昇華を、ダンジョン含めたオラリオ内全域に付与。他にも完治効果に加えて……これはギルドも知らないけど、対象者へのスキルの発現)
神の言葉を借りるなら、まさしく“チート”であった。
(私の感覚からすれば、彼の魔法は最低でも今よりずっと……ううん、違う。今は違う、そうじゃない)
【流星の射手】アストラムの名前はギルドから発表されると同時に、その訃報が、オラリオ全域に知らされた。
神ヘスティアへギルドが聴取を行ったことは聞いている。
その時、彼の恩恵との繋がりは確かに「切れた」と断言した上で、その魔法の効果は……大神ウラノスとの話し合いの末に、秘匿された。
ただ、【流星の射手】アストラムは、その名の通り、冒険者に希望を残して星になったと。
それが、ギルドの公式発表であり、世間一般では覆されない事実と化している。
(でも、彼は生きている。……その事実が表に出たら、絶対にダメ。今度こそ、オラリオが火の海になってしまう)
感覚的に知られている魔法の効果だけでも、オラリオと全面戦争をして略奪するだけの価値がある。
だから、アストラムは“死んだこと”になっていなければならない。
『死の七日間』を、繰り返してはいけない。
「……ベル君。ごめんなさい。それは――」
「何だ、俺のことを知りたいのか? 後輩君」
『――ッ!?』
誰もが声のした方に、顔を、視線を向けた。
魔石灯に照らされた、その範囲外から、彼は堂々と歩いて現れた。
暗色の短髪。美形というには言葉が詰まるが、不細工というには整った。童顔というには顔つき厳しく、されども小僧のようないたずらっ気のある笑顔を浮かべる。いつもはしていない伊達メガネを掛けて。冒険者というには心もとない、普段着の上からローブを羽織るだけの服装。片手に小さな荷物袋を提げて、まるで酒場帰りのような軽さで、彼はそこに立っている。
近づいていることに、誰も気づけなかった。いや、一人だけ気づいていたが、それをわざわざ指摘するような人物ではなかった。
「あなた、は?」
「俺か? さっきから後輩君が気にしていた人物だ」
じゃあ、自己紹介しようかと。
彼はその場にいる全員を一瞥した後、声高々に宣言するように。
「俺の名前はアストラム。二つ名は【流星の射手】。所属は【ヘスティア・ファミリア】で、レベルは7だ。親しい奴はアトラって呼ぶこともある。よろしく」
シン、と痛いほどの沈黙が瞬時に伝播した。
風、水滴、虫の鳴き声、ダンジョンの蠢きさえ、今この時は沈黙を保つ。
目を見開き呆気にとられるアリーゼとリド。
状況を理解できず、小首を傾げる春姫とウィーネ。
言っていることを理解したが、訳が分からず固まるリリルカとヴェルフ。
そして、目を何度も瞬かせ、唇を震わせ、ついには全身震えさせて痙攣でもしてるんじゃないか、と思わせるベル・クラネル。
落ち着き払い、さも当然のように微笑みを向けて迎えるレイ。
十人十色の反応も、長くは続かない。
「ほ、ほわぁぁぁぁぁぁああああああ――――ッ!?」
ベルの素っ頓狂な絶叫が、ダンジョンの中を轟き突き抜けた。
最新の英雄譚の英雄といきなり邂逅したらそりゃそうなる
ちなみにバーバリアンの異端児の名前は捏造ですが、異端児の命名の法則性的にマジでこの名前の可能性が高いです。
……誤字報告ありがとうございます。どうして「ヤ」と「ア」を間違えたんだ自分……報告、まことにありがとうございます