誰もいないから、俺が英雄になる   作:沖縄の苦い野菜

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第14話 星を紡ぎ星座と成す

 

 宴の喧騒を隣に、広間の奥にアストラムとレイが引っ込んだのは、アリーゼが帰ってすぐのことだった。

 リドたちは二人を慣れた様子で見送ると、来客であるベルたちに酒と料理を流れるように勧めた。今はきっと、珍しい食べ物に舌鼓を打っているところだろう。

 

「驚きましタ」

 

 いつものように羽根に櫛を通していると、レイが唐突に口を開いた。

 

「俺の初恋のこと?」

「はい」

 

 会話の始まり方は、決まってレイから広げられる。

 彼から始められる話は、くだらないことばかりだ。気が滅入るような、進捗のない進捗を聞かせるぐらいしかない。だから、彼から切り出すことは滅多にない。

 

「誰かヲ好きになる。それガわからないのかと、思ってましタ」

「流石にわかる。わかるけど、もう何もかも失った後だった」

 

 異端児たちと初めて邂逅した時、彼は主神以外の全てを失った後だった。

 お節介をかけるバカはいたが、それだけだった。むしろ、そのバカさえ失ってしまったらと考えると、気がつけば何度も逃げていた。

 

 今は違うが、昔は逃げてばかりの人生だった。

 灰色から逃げて、白い女の死から逃げ、逃げた先でも現実から逃げ続けて。

 

 逃げ続けた結果、彼の周りには何も残っていなかった。

 ゼウスとヘラの追放により、主神ヘスティアの立場も盤石なものとは言えなくなった。何をきっかけにいつ奪われるか。一瞬の油断が、もしかすればヘスティアさえも失う事態に発展していたかもしれない。

 

 逃げる場所がないと悟ったのは、異端児と出会って、その境遇を理解してからのことだった。

 逃げ場がないなら、もう進むしかなかった。

 

「それも、一度じゃない。メソメソ逃げ続けた結果、また失った」

 

 失った経験。その後悔と、何とかしたいという渇望、交わした約束。

 それら全てが合わさった結果が、魔法の矢を生み出す魔法。

 

 “矢を射るのだから、それは必中だ”と、それを現実にするだけの長射程。視線が届くなら、千里先の羽虫も撃ち抜く力が確かにある。何より、「矢を認識した時には既に着弾している」だけの、他の追随を許さぬ速さ。着弾したなら、何者に対しても一撃必殺をなし得る絶大な威力。

 

 魔法の矢とは即ち、獲物を決して逃さぬ一撃必殺の矢。

 どんな状況からでも、視線が届くならば必ず助けられる奇跡の体現。

 

「何が、あったのですカ?」

 

 ふと、アストラムは顔を上げて、背中を向けているレイの方を、ジッと見つめた。

 彼女の言葉には、彼の顔を上げさせるだけの力があった。意を決した、というのだろうか。何かの覚悟を乗せた、ひどく重たいものだった。

 

「……半年くらい。俺が自暴自棄になって、オラリオから出奔した時期があった。それで行き倒れていたところを拾って、育ててくれた人が、モンスターに殺された」

「っ!」

 

 レイの身体が確かに震えた。息を呑む音まで聞こえてくるかのようだった。

 

「あの人への気持ちが恋心だったかはわからない。でも、俺があの人を愛していたことは、間違いない」

 

 家族愛かもしれないけど、と付け加えるように口にする。

 彼の語り口は、漣のように穏やかなもので、優しかった。まるで大切な宝物に触れるように、柔らかい声音だ。

 

「子どもだった俺に、あの人は死ぬ前に課題を残していった」

 

 ――次に会う日まで。それは、遠い輪廻の先……千年、いや、一万年先の出来事かもしれない。それでも、答えを教えてほしい。あなたの気持ちは、恋とは、何なのか。私に教えてくれ、星の子(オリオン)。そして、私に恋をしてくれていたというなら。

 

 ――その時は、一万年分の恋をしよう。星座の愛し子(アストラム)

 

「……その、答えハ?」

「まだ出てない。なさけないけど、わからないんだ。あの人に向けていた愛情と、白い女に向けていた気持ちは確かに別物だった。それは確かだ。でも、その違いを言葉に表すことが、出来ないんだ」

「んっ……それは。……番ニなりたい。そんな気持ちニなったことハ?」

 

 いつも以上に丁寧に、優しく梳く櫛の感触に声が漏れる。それを誤魔化すように、レイは彼の気持ちの違いについて深掘りした。

 

「……結婚、とか考えるほど大人じゃなかった。でも……白い女とは、一緒に何かをし続けていたかった。些細なことでよかった。ジャガ丸くんを一緒に食べるとか、世間話をするとか。それだけでよかった。まだまだ、もっと、ずっと、ずっと、一緒に居たかったよ」

 

 だから冒険者になったんだ、と彼は口にする。

 彼はそれを初恋だと口にしているが。それはもしかすれば、親友に対する友愛だったのかもしれない。あるいは、初めて傍にいてくれる人に対する、唯一の親愛だったのかもしれない。あるいは……初めての居場所に縋り付く、愛とも恋とも関係のない、依存だったのかもしれない。

 

「あの人には、傍にいてほしいって思った。その声援があれば、手を引いてくれるなら。転んだときに、手を差し伸べてくれるなら、どこまでだって頑張れる気がした。転んで立ち直れなかった俺に、あの人はそっと寄り添ってくれた。……そして、最後の最後に。自分の命に代えてでも守りたいって、そう思える人だった」

 

 その愛情は、母親に向けるような家族愛なのかもしれない。

 そして、「傍に居てほしい」という願いは、「一緒に居たい」とは別物だ。

 

「……甘えたかった?」

「ん? 甘えたい?」

 

 レイの突然の言葉に、アストラムは訳がわからず、復唱する。

 

「はい。育ててくれた御方ニ、甘えたかったのではないでしょうカ?」

「……」

 

 アストラムは手を止めて、真剣に考え始める。

 思い当たる節はあるのだ。白い女が亡くなり、オラリオを出奔してからの心の拠り所は、間違いなく、拾ってくれたその人であった。

 

 当時は心神喪失状態であったため、記憶に残っていることは少ない。

 記憶がぶつ切りとなり飛んでいるのだ。心配そうに、されども甲斐甲斐しく世話をしてくれたその人の記憶があると思えば、その次には森の中に立っていて、その人に叱られている。

 

 決して、甘やかされ続けたわけではなかった。悪いことをした時には叱ってくれる。アストラムは初めて、悪いことをした時に真剣に叱ってくれる誰かに巡り合った。

 真剣に叱ってくれることが嬉しかった。本気で自分のことを思いやってくれているということが、その言葉の端々から実感できたから。

 

 そんな説教を聞いていくうちに、アストラムの心は徐々に、徐々に回復していった。それが1ヶ月ともなれば、拾ってくれた恩人から弓を教わることが出来るほど、大きな変化となった。

 

 そのうち、身の回りのことは自分だけで行うようになった。ただ、家事を手伝おうとか、そんなことは一切ない。

 女所帯な上に年上ばかり。同じような年齢の者は誰もいなかった。かといって、成熟しているかと言われればそうでもない、少女たちだった。

 

 お姉さん風を吹かせたかったのだろう。彼のことを、彼女たちは事あるごとに、甘やかそうとしてくる。「お菓子食べる?」「この木の実美味しいよ」とか、「散歩に行きましょう!」などと言われて手を引かれ、強引に森の中を歩かされた事もあった。この強引な女は後で全員にこっぴどく叱られていて、彼はそれを見て「バカなのかこいつ」と、懐かしさを思い出して苦笑したこともあった。

 尚、この女はそれを目撃して微笑み返したことにより、額に吸盤付きの矢が突き刺さったのは余談だろう。おでこの中心が丸く赤くなっていたことは、後で全員の笑い話になった。

 

 そんな環境であったからこそ、手伝いなどとは無縁であった。手伝おうなどというより、まず自分の領分を確保するだけで精一杯であった。

 

 

 

 などと思い出してみると、甘えたかったのか、という疑問に対しての答えが、ますますわからなくなった。

 むしろ、自立しようとその逆をいっていた気がしないでもない。

 

「……甘えたいか、っていうのはわからない。何か、逆のことやってた気がするし。……でも、そんな感じだったから。愛情くらいはわかるし、人を好きになる、って感覚もわかる。周りに、これでもかってくらい恵まれていたからさ」

 

 その環境が、連綿と続いてきた人々との交流が、今のアストラムを形作った。

 

 

 

「……そうでしたカ」

 

 しみじみと、レイは頷いた。

 

「私ハ空ヲ見たことがありませン。星空ヲ、星ヲ、見たことがありませン」

 

 ですが聞いたことハあります、と彼女は付け加える。

 

「輝く星ハ美しいと。満点ノ星空ハ、仄暗い水ノ中ニ、宝石ヲ散りばめたかのようニ美しいと。そして、そんな星々ヲ紡ぐことで、星座ガ生まれる、と」

 

 そして彼女は。

 歌うように、希望を紡ぐように、されども物静かに。

 

「アストラム」

 

 口ずさむ。そして流れるように、次の言葉も歌い上げる。

 

「空ニ紡いだ希望ノ標」

 

 

 散りばめられた宝石ヲ 集めて紡いで 形ヲ作る

 星ノ残光美しく 今も褪せない宝石よ 繋いだ人ノ輝きよ

 アストラム 空ニ輝く星座ノ名前 過去ノ光ガ形ヲ作る

 空から見守る星々よ どうか絶えず輝いて

 

 ――星座ハひとりで作れないから

 

 

 

 

 手が止まり、歌が途絶えて、宴が終わる。

 

 されども希望は確かに、紡がれ続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空に浮かぶ星々が、いつも孤独から遠ざけてくれた。

 一つ一つはとても小さな光でも。それが無数に散りばめられれば、3歩先の足元まで仄かに照らしてくれた。

 

 中でも一際、満月は綺麗だった。

 月のもたらす光だけでも、数多の星々以上に。地上一帯が淡く光に照らされる。物陰の闇まで払えはしないが、その闇はふとした時に、自分を守ってくれる隠れ蓑になった。

 

 月というものは、ただひたすらに優しかった。

 全てを白日のもとに晒す太陽とは違い、月は必要な時だけ寄り添ってくれる。その関係はまるで、よくできた親友の間柄。あるいは、よく尽くしてくれる恋人のような、あたたかい存在であった。

 

 アストラム。その意味は『星』。あるいは、『天』であり、『星座』という意味を持つ。

 オリオン。その名前は、月の女神アルテミスにとっての英雄であり、空の星々を繋いだ星座の名前だ。

 

 彼の魔法は、決して偶然の産物ではない。

 憎しみよりも後悔を。復讐よりも懺悔を口に。

 

 

 

 満月の下。誰も訪れない寂れた廃教会。その屋根の上で、アストラムは空に向けて弓を構えた。

 

「間に合え、間に合え。遠くに届け、光の矢」

 

 噛みしめるように、歌を口ずさむ。

 それは後悔の歌。そうであれたら、と願い続けた心の形。

 

 されども、後悔を超克する歌を覚えた時にはもう、何もかもが終わっていた。

 星の光は遥か過去のものではあるが、現在から遥か過去にさかのぼることは出来はしない。今光るからこそ、遥か過去の光が遠い未来に届くのだ。

 

「一矢光速、星座の伝文」

 

 例え光であっても、起こってしまったことは覆せない。

 

「我が名は――!」

 

 稲妻のように青白く、淡い月のように穏やかな光の矢を、弓に番える。

 

 

 

 オラリオからまた、一条の光が月へと昇る。

 

 瞬きの間に消え去ってしまう出来事だった。

 見ることが出来たものは少ないだろう。仮に見ることが出来ても、それが魔法だと見破れる者は居ないだろう。見間違いと済ませる者が大半だ。

 あるいは、流れ星かと、勘違いする者だっているかもしれない。

 

 しかし、そこから真実にたどり着ける者は、誰一人としていない。

 終わってしまった物語を知っているのは、当事者だった彼と、その主神たるヘスティアだけだ。

 

「……もう」

 

 金色の弓を握り締め、月を見上げる。

 その瞳は闇の中に月を映し出し、淡く光を灯していた。瞳の奥まで、ほのかに照らす優しい光が、宿っていた。

 

「後悔はしたくないんだ」

 

 それは誓いではなく、彼の弱音であった。

 主神のヘスティアにだって、これほど絞り出すような弱音は吐いたことがない。

 

「あの日、死んでしまえたなら。俺の矢文は届いたか?」

 

 きっとこうなるだろう、という予測は彼の中に、半ば確信するように存在する。

 だが、それを口にするのが無性に悔しくて、泣いてしまいたいほどみっともないから、彼は強がって答えを吞み込んだ。

 

「死んでしまいたかった」

 

 代わりに、本心から言葉をこぼした。

 一番格好悪いところを見せた相手に、遠慮なんて必要ない。強がって見せたいところもあるが、本当にどうしようもない弱音だけは、聞いてもらいたい。

 

「でも、もう少しだけ頑張る。俺にしか出来ないことが、たくさん残ってるんだ」

 

 それに、と。

 彼は強がるように、さりとて心の底から楽しそうに、微笑みを向ける。

 

「一万年後も世界が残ってないと、約束が果たせないしな」

 

 だからちょっと、英雄になってくる。

 隻眼の黒竜、そしてダンジョン。異端児たちも関わる、下界の至上命題。

 

 すべて解決すれば、きっと約束は守れるだろうと、そう思いながら。

 

「弱音。また聞いてくれ。格好悪いけど、あれ。俺って、やっぱ弱いから」

 

 それだけ言うと、彼は屋根から軽やかに飛び降りて、廃教会の中に引っ込んでいった。

 

 ――貴方は変わらないな。

 綺麗な月が、今日も優しく夜を照らしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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