誰もいないから、俺が英雄になる   作:沖縄の苦い野菜

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第4話 山火事のように

 

 たとえどれだけ強くても、救われない者は居る。

 物語の英雄たちが顕著な例だろう。彼ら彼女らは皆、物語になれるだけの才能や力に溢れる者ばかり。だが、その最後が必ずしも大団円だったかと聞かれれば、決してそうではない。

 

 物語では語られない、歴史書の中。あるいは聖書などと呼ばれる本の中。数々の栄華に隠れた、悲運の最期はひっそりと、されども確かに記録として残っている。

 

 直近で言えばそう、正義の眷属。

 まだ結末なんてものは決まっていない彼女たちは、迷宮都市の暗黒期。7年前に巻き起こった、冒険者だけでなく、一般市民にまで多くの被害が及んだ、最悪の時代。

 

 人々を守り続けた冒険者は、守った市民から石を投げられた。

 それでも、市民の命を優先し続けた冒険者は、一人、また一人と敵に殺された。誰に感謝されるでもなく、惨たらしく死んでいく。

 正義の眷属はその中でも、頭一つ抜けて強かったおかげもあり、暗黒期の中でも欠けることなく駆け抜けることの出来た、数少ないファミリアのひとつ。

 

 だが、その翌々年。暗黒期をもたらした闇派閥の工作により、正義の眷属は全員、死の未来に直面した。『ジャガーノート』という災害はあまりに強大であり、当時レベル4に昇格していた団長含めた数名が居たとしても、手も足も出ない。

 本来、たった一人を残して、正義の眷属は死に絶える筈だった。

 

 救われない。人々を救ってきたのに、全力で奔走し続けたのに、最期は悲劇で終わるのか。

 

 そんな救われない結末を、良しとしなかった男が居た。

 

 

 

 

 

 場末の居酒屋。

 床はこびりついて取れない黒ずみに塗れて、壁にはシミに罅だらけ。ちょっと揺らせば、天井からは埃が落ちてくるような、ちんけな飲み屋。

 

 色のくすんだカウンター。彼は目の前の安酒を……擦れた跡だらけの徳利に入ったそれを、これまた年季の入った欠けたお猪口に注いで、一口含む。

 

「……まっず」

「うちの味だ」

「この水が?」

「おう。透き通ってるだろ?」

「似合わねぇから、もちっと濁らせろ」

「安酒にケチつけんなよ坊主」

 

 角刈りの中肉中背。歳も40半ばほどに食っているだろうヒューマンの店主は、おどけたように肩を竦めると、まだ途中だった食器棚の中の整理を再開した。

 

「だから人が来ねぇんだ。水出すなら出すで、もっと美味い水出せよ」

「美味い水出すなら、果実水作る方がよっぽど安上がりになっちまってよ。それなら、水よりそっちのが良いだろ」

「こんな朽ち果てた襤褸小屋に女子供が来るかよ」

「ところがどっこい、最近は来るんだよ、うちに」

「……薬やってもいいことないぞ」

「ひっでぇな。こっちは煙も薬もやってない。酒だって自粛中。素行だって、七年前からすっぱりやめて、今じゃこんな寂れた酒場で、細々とやってんだぞ」

 

 店内には彼と店主以外、人は誰一人としていない。精々、好き勝手に這い回るネズミのダンスの気配と音くらいで、外からさえも人の気配は稀である。

 

「……あ?」

 

 だから、バン! と勢いよく酒場の扉を開けられた時、彼は思わず振り向いた。同時に、振り向いたことを後悔した。

 

「やっほーおじ様! 相変わらず人が居ないわねー。メインストリートに屋台でも構えたら、稼ぎも笑いも出るんじゃないかしら!」

「余計なお世話だお嬢ちゃん。屋台なんて構えたら、こっちに人来た時に対応できなくなっちまう」

「うーん、相変わらず怪しさだけは満点ね! でも、今日も私は見逃しちゃう! だって今日の私、オフの日ですもの! 無粋な真似はしないわ、えぇ!」

 

 喧しい女の声が、閑散とした店内に清々しく響き渡る。こんな場末の酒場に女、しかも溌剌とした美人ともなれば、それが華となって幾分か、埃っぽい店内の息苦しさが解消されそうなものだったが。

 

 彼にとっては、ますます息苦しさというか、もはやむさ苦しさすら覚える気持ちで、その顔がみるみる渋面に歪んでいく。そんな彼を見ても、女は「ふふん!」と、余裕ぶった尊大な態度で口ずさみ、彼の隣にそっと、そこだけは女らしく上品に座ってみせた。

 

「果実水をくださらない?」

「はいよ。3000ヴァリス」

「わっ、良いお値段ね! 期待しちゃってもいいのかしら」

「さぁて、そいつは飲んでみてからだな」

 

 用事がなければ、今すぐにでも席を立ってしまいたかった。それができない彼は、頭を抱えて溜息を吐くしかない。

 

「いけない、いけないわ! そんな大きなため息を吐いたら、あっという間に幸せが逃げちゃうわ!」

「今、ここでお前に会ったせいだ」

「わっ、なんて熱烈な告白なの!? お姉さんに会えたことが、溜息として吐き出す幸せに釣り合う幸運なんて!!」

「これ以上ない不幸だって言ってんだ脳みそ花畑」

「私がお花畑のように美しいなんて……」

「言ってねぇよ、頭も耳も腐ってんのか」

「もうっ、照れ隠しなんてしなくていいのに! ほんとに照れ屋さんなんだから!」

「……もうやだこいつ」

 

 何が嫌ってこの女、飲んだくれた機嫌上戸ではない。恐るべきことに、素面なのだ。

 何を言ってもポジティブ全開。全力全開。その様はまさしく山火事の如く、人の手に負えるものではない。被害者1号のポンコツエルフには、彼をもって同情するほどだ。側にいたら躊躇いなく押しつけるが。

 

「ほんっと! 大変だったわ。ライラと輝夜どころか、リオンも知らないって言うんだから。しょうがないから、フェルズさんの後をつけて、休暇返上で慈善活動をすることになったわ! 私ったらなんて、お人好しなの? 自分の可憐さが怖い、でも誇らしいわ!」

 

 ――やべぇ何も言いたくない。

 こういう手合いは反応したら負けなのだ。それをよく知っている彼は、もはや無視を決め込んで、くすんだカウンターに突っ伏した。

 

「ところで、フェルズさんからの伝言だけど」

「落差!!」

 

 声と共に、拳をカウンターに振り下ろしそうになったところで、寸前に軌道を変えて自身の腿を殴りつける。どこか沈んだ低音を打ち鳴らす様は滑稽で、ついでに足が痛かった。

 

「こほん……」

「無視かよ」

「『甚だ遺憾ではあるが、彼女に伝言を託す』」

「善意の押し売りしてんじゃねぇよ」

 

 むしろなぜそこまで忠実に伝言するのか、彼には全く理解できなかった。

 余談だが、声真似しようとして低い声を出しているようだが、どこまでいっても目の前の女の声にしか聞こえない、非常にお粗末なものであった。

 

「『奴らに動きがあった。確認された者のうち、行方知れずが二名。ダンジョン内の探索、あるいは隠し通路の方から切り崩してほしい。期限は一週間。それ以降は、こちらから陽動作戦に出る。良い報告を期待する』って、ことだそうよ」

「……はっきり言うぞ。ダンジョン外に居るなら捜索は不可能だ。手段がない。それとも何か? 『ダイダロス通り』を全部マッピングしろとでも言いたいのか?」

「『ダイダロス通り』の方は私たちに任せて。あなたはリオンと一緒に、ダンジョンの方に」

「他のも戻ってるのか」

「えぇ。ライラと輝夜が来てる。他の子は引き続き、外で網を張ってるわ」

「なら、オラリオの方は任せたぞ」

「任せて。そっちは、リオンとのデート。楽しんできてね」

 

 バチコーン! と最後にはおちゃらけて目力全開のウィンクを飛ばしてくる彼女に、彼は「チィッ!」と盛大に舌打ちを叩きつけて返答した。

 

「はいよ、果実水。氷たっぷりにしておいたよ」

「あら、気が利くわねおじ様。いただくわ」

 

 霜のついたキンキンに冷えたジョッキの中に、黄金色の果実水。その取手をガシッと掴むと、彼女はゴキュ、ゴキュと、それはもう豪快な飲みっぷりで、5秒も経たないうちに飲み干してしまった。

 

「ふっっつうね!! 口止め料2750ヴァリスってところかしら!」

「そりゃ普通だよ。何より、こんなところで普通のものが出たんだ。なら、そりゃ普通じゃなくて幸運ってもんだ」

「ボッタクリじゃなければ幸運だったわ!」

「うちはそういう商売なんだよ。でもな、おじさんもこんなボロ小屋からさっさと出たいから、もうちょっと美味いもの作れるようには頑張るよ」

「応援してるわ! 今度ここで打ち上げしようと思ってるから、それまでに腕を上げておいてね!」

「ちょっと待てやお嬢ちゃん。おじさん初耳なんだけど。するってぇと、何か。正義の皆様全員お集まりってことかい」

「それとアーディもね!」

「……こんな汚いボロ小屋、お嬢ちゃんたちがパーティーするには向いてないからよそ行きな」

「お掃除がんばってね、おじ様!」

「あぁもうちくしょう! 仕事ばっか増えて嫌になっちまうよ!」

 

 店主は見事な早業でモップを掴むと、バケツに予め入れていただろう水に先端を浸して、それはもう惚れ惚れするほどの手際で床の掃き掃除を始めた。腰の入った一歩一歩に、体を痛めないために編み出された重心の動かし方。さながら歴戦のアルバイターといった様子だ。

 

「それじゃ、ご馳走さま。代金は置いておくわ。積もる話もあるけれど、それはお仕事終わってからにしましょう」

 

 はいこれ、と紅の髪を靡かせて、彼女は一枚のメモ用紙を彼の胸ポケットに忍ばせた。

 

「あ、リオンとの結婚式には司会として絶対に呼んでね! じゃないと私、式場に乗り込んじゃうから!」

「ありもしねぇ予定なんざ知るか!」

「意固地になっちゃダメよ。数年なんてあっという間だわ。私たちヒューマンは、神様やエルフの子たちからすれば瞬きの間に、見るも無惨に老いさらばえるの。やらない後悔より、やる後悔の方がずっといいわ! 時間は帰ってこないんだから!」

「だから結婚の予定なんざねぇって言ってんだろ!」

「じゃあリオンが一生独り身になってもいいというの!? いいえ、いいわけがないわ! だからさっさと告白して式上げて子ども作って私にその子ども抱かせて!」

「…………『撃ち倒せ(オリオン)』」

 

 バチン、と魔力が弾けた。

 彼女の白い首筋に、それよりも更に白く、蒼い。まるで稲妻の如きその切っ先を突きつけた。

 

「……」

 

 少女は、特に軽口を叩くことはなかった。ただ、引き攣った笑顔を浮かべながら両手を上げている。それでも、その緑の瞳はまっすぐ、彼のことを見つめている。

 

「……なんで、どいつもこいつも。余計な世話ばかり」

「だって、ふとした瞬間に居なくなっちゃいそうだもの」

「チッ」

 

 パチン、と稲光が消失する。

 彼はさっさと店から出て行った。彼女はその後ろ姿を見送るばかりで、追うことはない。

 

「……焦っているのね」

「……お嬢ちゃん。人生の先達から言っとくが。男ってのはな、どうしようもねぇ見栄っ張りなんだよ」

「おじ様に言われなくても知ってるわ」

「冷たい! せっかくいいふうに言ったのに冷たすぎる!?」

 

 じゃあこういうのはどうよ、と前置きして、咳払いを一つ。

 

「こほん。……酒は本性を暴くぜ」

 

 碌でもない言葉が飛び出した。

 彼女はあまりのことに目を見開き、男のことを凝視して、その唇を震えさせながら。

 

「……おじ様、もしかして天才?」

 

 この女も大概、脳みそが詰まっているのか心配になるような、迫真の表情で言うのだから始末に負えない。

 

「がははは! 長年酒ばっか飲みまくってた飲兵衛の戯言だ!」

「燃えてきたわ! ガレスのおじ様に火酒の樽でももらって全部飲ませようかしら!」

「……それは流石に、死ぬからやめとけ?」

「絶対、その本音を吐かせるわ!」

「……吐くのは汚物じゃねえことを祈っとくよ」

 

 黙祷を捧げる店主と対照的に、燃え上がる女は拳を突き上げて気合いを入れる。この場に小さな仲間がいたのなら。

 

『気合いの入れ方がぜってぇちげぇ! 人生の墓場じゃなくてマジの墓場に送ろうとしてどうすんだ!?』

 

 などとツッコミを入れただろうが、当然ながらそんな良心はここにはいない。

 こうして、地獄への片道切符が配られることになるのであった。

 

 

 

 戦犯は店主のおっさんであったことに間違いない。

 

 

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