炎が揺らめく。
粛々と、火花を立てず、何も燃やさず。されども、確かに燃え続けながら。
風にも、凪にも、大地の鼓動にも、人の歩みにも揺れない。ただ、そうあるべしと定められたかのように、大地に突き立った炎の矢は揺れている。
「……」
フードを深く被ったその者は、炎の矢の前に佇んでいる。
揺らめけば触れてしまいそうなほど近く。されども、その炎が肌に触れようとも焼かれない。服にも、咲き誇る草花にだって、燃え移らない。
ただ、触れるとほんのりと暖かい。
そんな炎が、嫌いではなかった。
「………」
瞳を閉じて、思い馳せる。
かつての奇跡。まさしく希望の星として輝いた英雄の姿を。
己が五体を砕け散らせ、その命と引き換えに、冒険者たちに
生きていたのなら。そんなたらればを、何度夢想したことか。
未だ終わらない最後の三大クエスト。黒竜討伐にもしもその英雄が参加していたのなら。
もしも、最愛の者が死ぬ前に、その者が英雄になっていたのなら。
その妄想はあまりにも傲慢で、非道で、考えてはならないことだとはわかっていても、夢想する。
その度に己を厳しく叱咤する。他人任せか、と己を罵倒する。
仮に英雄が生きていたとして、その英雄に頼ることの何と愚かしいことか。
他人の命を食い潰すことを前提とした所業を、作戦などと呼べるものか。
そんな道を選択する者は、英雄ではない。外道である。
「……」
がや、がやと。話し声が聞こえ、近づいてきた。
五月蠅い、煩わしい。邪魔だ、と本心から毒吐くが、この場で争いを起こす気は毛頭なかった。
踵を返して、その場を立ち去る。
足取りは美しく、されども一歩一歩、確かな重みを踏みしめて。
リン、と鐘の音が短く鳴り響き、残響は瞬きの内に消え失せた。
「店の方はよかったのか」
ダンジョンの19階層。
「ミア母さんから許可は貰ってます。私の心配より、貴方は自分の事をもっと考えた方がいい」
「死者に余生考えろって言ってんのか」
「貴方は生きている」
「おいおい、墓標まであるんだぞ。これで生きてるなんて無理筋だろ」
むっ、と覆面をしていたリューの表情が変化する。眉根を寄せて、隣に歩く彼のことをじっと見つめる。
彼女の行動は、まさしく風のように唐突で、素早かった。
「っ、おい」
彼の首筋に、手首に、白くしなやかな指がそっと添えられる。突然のことに堪らず彼は声を上げるが、それも密着するほど近づいてきたリューには意味がなかった。
「……脈は正常だ。体温もある。死者というには無理がある」
真っ直ぐ、ひたすらに真摯な空色の瞳が、彼の瞳を射る。
ここにもしも、アリーゼかアーディが居たのであれば、「リオンが男に迫ってる! きゃー!」などと囃し立てたのだろうが、この場にいるのは二人だけだ。
「貴方は生きている」
どこまでも真っ直ぐ、リューは言葉を紡ぐ。清廉潔白なエルフとは、まさしく彼女のことだろう。覆面をとって、今の顔を絵画にでもしたのなら、きっと後世にまで名高く伝わるに違いない。
澄んだ空のような瞳を、彼はどうにも直視したくなかった。
「どうして目を逸らす」
しかし、今回は彼女が一枚上手だった。
首筋に当てられていた指は、そのまま彼の頬に移動して、グッと、リューと対面するように元に戻された。
柔らかく、少し冷たい指が、彼の頬にわずかに沈んでいる。
「……」
しばらくの沈黙が、お互いの間に流れる。
リューは辛抱強く。いや、彼から言葉を引き出すためか、静かに次の言葉を待っている。
対して彼は、どこか遠くを見つめるように、焦点のズレた瞳を向けている。ただ、それもすぐに正気に戻ったように、リューのことを認めて、またすぐに焦点がズレる。
「男ってのはな」
観念したように、今度こそジッと、リューのことを見つめ返す。彼は心底真面目に引き締めた面持ちで、そう前置きすると。
「綺麗な女の顔が目の前にくると恥ずかしいんだよ。ぶっちゃけムラムラするんだ――」
一言、割と最低なことを口走り、直後に空気が破裂した。
真っ赤な紅葉を顔に貼り付けながら、彼は宙に放り出された。え、今の音でそんなことになる? ってくらい見事に、放物線を描いている。
「貴方は揶揄う相手を間違えた。私はいつもやり過ぎてしまう」
いやお前は揶揄われる側だろ、などと彼が思うも、それを口から出すことは出来なかった。舌を噛んでそれどころではなかった。
彼は見逃さなかった。左の頬を引っ叩いた彼女がほぼ同時に、左の拳で己の顎を撃ち抜いた様を。
おそらくツッコミと制裁を兼ねたビンタと同時に、男と距離を取るための拳が出てしまったのだということは、彼にもわかる。
わかるが、それで容赦なく二度も殴られた彼からしてみればたまったものじゃない。
そんな考察も終わりのところで、幸いにも背中から地面に叩きつけられる、口の中の生暖かさに表情を歪ませながら、彼は地面に血を吐き出してから、立ち上がる。
「……おひゎえ」
文句を口にしようとして、全くうまく喋れない。
傷口は予想以上に深かったようだ。まだ、口の中が生暖かい。
踏んだり蹴ったりだ。
彼はせめてもの反抗としてリューのことを力いっぱい睨みつけるが、彼女は俯いて、小刻みに落ち着きなく揺れている。ついでに、隠れていない尖った耳の先が、それはもう赤かった。彼の頬といい勝負ができそうだ。
エルフという種族は、自身が認めた者以外との肌の接触を極端に嫌う傾向がある。
リューはその傾向に漏れず、むしろそれが極まったように、異性のみならず同性相手にも肌の接触を拒絶する。本人が嫌がっているというよりは、もはや本能のレベルで染み付いているといった方が正しいが。それは、リュー自身が「醜いエルフ」と嫌い、自嘲するものだ。
耳の先が赤くなっているのは、自分を抑えられなかった自嘲と未熟を晒した恥ずかしさによるものか。あるいは、彼のあまりの間抜けな姿と声を受けて、笑いから頭に血が上ったのか。潔癖真面目のおぼこな生娘が、異性に触れてしまったことを自覚したせいか。
(こいつ、絶対笑ってやがるぞクソが)
小刻みに揺れるリューを見て、舌打ちしようとしたところ、ピュと血反吐が口から飛び出した。
その瞬間に、ぷっ、と声が漏れると共にリューの肩が跳ね上がったのを、彼は決して見逃さなかった。
「…………何か言うことはあるか、ポンコツエルフ」
舌が回復するのを待ってから、彼はようやく口を開く。ありったけの恨みつらみを乗せて、今にも殴り掛かりそうな怒気を乗せて。
「……無駄話は終わりだ」
「おまっ、どの面下げて無駄話なんて言いやがるんだ!?」
「貴方には綺麗に見える女の顔だ」
「くたばれクソアマッ!」
しかし、彼の怒りも罵倒も全て受け流すように、リューは踵を返して、ダンジョンの奥に向かっていく。
このまま放置して別行動をしてやろうか、とも考えるが、彼はすぐに首を振って、心底気怠そうにその後についていく。
別に、リューを単騎にすることが危険だから心配なわけではない。
彼女は少なくとも下層程度であれば、ソロで攻略できる腕前を持つ女傑であることは、彼もよく知っているところだ。
ただ、別行動するなら事前に伝える。知っている仲とて、それくらいのことはしないと、かえって効率が悪くなる。
付け加えるなら、リューはポンコツだ。彼女を知る誰もが満場一致で頷くくらい周知の事実だ。
そんな女に、一人で迷子の捜索をしろというのは。
彼からしてみれば、アルミラージが単騎でミノタウロスに挑んだと聞いた時くらい心配になる。レベル2に成り立てで、ズタボロの仲間引き連れて18階層に強行軍しなくてはならなくなった、と聞いた時くらいに頭を抱えるものだ。
端的に言って、目の前のポンコツエルフに特別な迷子の相手などさせたくなかった。絶対に碌なことにならないという確信が、彼の中にあった。
「はぁぁ……」
ただ、ダイダロス通りとダンジョンのどちらに向かわせるか、と聞かれたら。悩んだ末にダンジョン、と彼も答えてしまうだろうから、この人選に文句は言えない。
もっとも、根本的に動かせる人員については何としても抗議をしたかったが。
「一緒に来たのがネーゼだったらなぁ」
「……流石に彼女も、モンスターの臭いは嗅ぎ分けられないと思う」
「獣人に夢見過ぎたな。ならお前が1番いいか」
アリーゼと来たなら、やかまし過ぎて迷子が逃げる可能性がある。
ライラは目敏く賢い。道具をうまく使うことに長けているが、こと特別な迷子探しにおいては、機動力に劣る分評価は低い。
輝夜は実力にも機動力にも文句はないが。彼自身が少々、輝夜という女が苦手で、あまり二人行動はしたくない。
「ただ、アーディが動けたらなぁ……」
「彼女はファミリアとしての立場もある。あまり表立って、この問題には巻き込めない」
「あそこもあそこで、毎年頑張ってくれてるから文句も言えねぇし。うちの奴らはまだ実力が足りない」
迷子探しなど、本来は人海戦術をもって短期決戦にて臨むことだ。それが出来ない事情があるならば、もはや実力に物をいわせるしかない。
「どうする? 森全部伐採すれば見通しも良くなるが」
「アレがまた出たらどうするつもりだ? 貴方と、今の私であれば問題はないかもしれないが……ここは19階層だ。周りの冒険者にも危険が及ぶ」
「……しかしまぁ、この広大なダンジョンを練り歩く、っていうのもな」
迷子がこちらの事情を知っているのであれば、ちょっと特別な狼煙をあげれば事が済む。
だが、少なくとも迷子側に何の知識もないのであれば、迷子にとって、世界は自分以外の全てが敵だ。人間にも、モンスターにも自分から寄り付こうとは決してしないだろう。
「気配に意識を向けながら、地道に探すしかない。特定の誰かを探せる魔法など、発現はしていないだろう?」
「そんな便利なようで絶妙に役に立たなさそうな魔法、こっちから願い下げだ。それやるくらいなら『
「……アンドロメダに今度、アイテムの作成を頼んだ方がいいだろうか」
「いや、あそこの主神に悪用されたくない。やるなら自分たちの分だけにした方がいい」
「神ヘルメスを何だと思っているんだ……」
「敵。だから隠してるんだよ」
「……」
一刀両断とはまさにこのこと。言いたいことは多かったが、少なくともその敵意がリューにとって気の置けない仲の【ヘルメス・ファミリア】団長に向いていないのであれば、声を上げるほどの文句もない。
「とりあえず1週間。18階層には戻らず、19階層に残留して様子を見る。それでいいな?」
「私は構わない」
「決まりだ」
スッ、と背後の木の枝から風を切る音がした。
二人の背後から襲い来るは、紅の大鳥。その翼を大きく羽ばたかせると、一息に加速して、その大きな嘴を開いて光を溜める。
「にしても、やたら多いな」
『――ゲ?』
怪物の視点は、くるり、くるりと回っていた。嘴の奥の光はいつの間にか消え去り、直後にその瞳は、赤く膨らんだ自身の胴体を捉えて。
ドン、と小さな地響きを起こしてそれが爆発すると共に、怪物の意識はそこで完全に途切れた。灰となって、この世界から消えていく。
「……記憶していた限り、貴方は後衛だった筈だが」
「殴り合った方が、ステイタスの伸びが良いんだよ」
たかがレベル2相当のモンスター。それならば、手刀ひとつで事足りる。
彼の言葉に、リューは呆れたように溜息を吐いた。