――親友を、仲間を、そして私を救ってくれた“英雄”だと、最初は思っていた。
星の照らす夜空のような暗色の髪に、熱した鉄のような瞳。巨漢というには華奢で、小柄というには、普通の女よりも高い背丈。
その見た目はまさしく、平凡だ。美男というには憚られ、不細工というには整った。童顔というには達観していて。
ヒューマンの中で賢者と呼ばれるなら、きっとこの男のことをいうのだろうという印象を抱いた。眼鏡をかければ、よく似合いそうな男。
親友が自爆に巻き込まれるところを、一条の光で引き裂き間に合った。自爆した少女までは助からなかったが、親友の命は確かに、救われた。
その時の彼は、ひどく落ち着いていて。まるで人形を思わせる様子で「視えたから」と、助けた理由を一言で語り、すぐに別の場所に向かってしまった。
まさしく、正義を体現したようなヒューマンだった。
街中に、光が降り注ぐ。
まるで星が落ちてくるようだと、人々が語っていた。冒険者も「星が落ちてきた」と語り、助けられたと笑って話す。
だが、彼の姿を見た者はほとんど居ないという。
所属も、名前もわからない。ただ、「魔導士」であるに違いないというのは共通の見解だった。
――私は、彼はさぞ高潔で、誇り高きヒューマンに違いない、などと思っていた。
無償の正義は、確かにオラリオの中を駆け回っていた。
「戦場に姿を現さない臆病者」などと風潮されることもあったが、それでも、「流星」が止むことはなく、正確に敵を貫き、味方を救った。
――今だからこそわかる。彼は、己のことを顧みていなかっただけなのだと。
次、彼と会ったのは決戦の時。18階層において、神が召喚したモンスターと、アルフィアを相手にした時のこと。
「……お前は」
彼と対面したアルフィアは、色の違う瞳を開き、確かに彼のことを見ていた。眼前に対面し、攻撃のタイミングを伺う面々を気にもとめず。
「何をしにきた、小僧」
「救われない人を、救いに来た」
「無駄だ。身の程を弁えろ」
「いやだ」
問答は短く、彼が構えることで、アルフィアの瞳が再び閉じられた。
もう、関心はないということか。一切の隙なく佇むアルフィアに、誰もが攻めあぐねていた。
「今から魔法を見せる」
それが、鶴の一声だった。
彼は「奇跡は起きる」と、確固たる自信を持って口にした。彼と面識のない面々も、アリーゼの一声でとりあえず、背中を預けることに決まった。
それこそが分水嶺だった。
――私は、あの日のことを、決して許さない。
他人を頼ることと、他人任せにすることは、決して同じではない。
憧れた正義に、理想に、ただ焦がれて。身勝手な期待を寄せる己を、決して許すことはできない。
「振り返らず進め」
その一声。いや、忠告か。
「『この一矢こそは我が願いの結晶。涙も恐怖も絶望も、瞬く間に照らし、笑顔と安らぎと希望をもたらそう』」
美しい唄が紡がれた。絵空事と言われるような理想は、まさしく魔法の言葉だった。
詠唱を邪魔させまいと、アルフィアに立ち向かう。きっとこの詠唱の先に勝利があると、理想に溺れた己が、いつも以上の力で肉薄した。
詠唱を聞く余裕はなく、しかしどこまでも穏やかに紡がれるそれに、間違いはないだろうと楽観した。
そうして、詠唱が終わった時になったのだろう。
その場にいた全員が、18階層から空まで貫く流星を見た。
その流星は、まさしく希望の星だった。
見るだけで体に力が漲る。数秒前の己と比べるまでもなく、もはやランクアップをしても、こうはならないと断言できるほどの力。
それをもって、レベル7『静寂』のアルフィアとの決着に臨んだ。
全ての決着がつき、ようやく振り返った時。彼はいなかった。
代わりに、一本の炎の矢が突き立っていた。
突き立った矢を中心に、草花が生い茂る。
その草花は、鮮やかな赤色に染まりながらも咲き誇り、お互いに身を寄せ合うかのように密集していた。
「この、臭い……」
嫌な予感がした。
密集した草花は、膨らんでいた。まるで、土に痕跡を埋めて隠すかのように。
風が運んだ臭いは鉄臭く、熱のこもった吐息のような、言い知れない生暖かさを感じさせた。
炎の矢に一歩、近づいた。
本能が警鐘を鳴らす。そちらに行ってはダメだと。
だが、理性と正義感に体は突き動かされた。
「っ、行ってはダメ! リオン!」
アリーゼの手は、一歩届かなかった。
――草花の隙間に手を入れた時の感触は、今もこの手に残っている。
ぐちょり、と手が生暖かい何かに触れた。爪の隙間に粘着質な液体と、嫌にぶにぶにとした柔らかい欠片が挟まった。
あまりに不快な感触に、表情が歪むのを自覚する。それでも、何かあるとわかって、止まらずにはいられなかった。
「あっ……」
掴んだものは、赤黒かった。
生暖かく、まだ生きているかのように震えて、魚のようなぬめりのせいで取り落としそうになる。
「うぷっ……ありゃあ……!」
「……何かの、臓腑」
モンスターは死んだあと、灰になって消える。
死肉は残さず、綺麗さっぱりと消え去る。
ならば、それが何の臓腑なのかは、口にしなくても誰もが想像できた。
――誰が死んだ。そう自問をしたときにはもう、私は気づいていた。
「………っ!」
胃の中のものが喉元まで一息にせり上がる。咄嗟に手に持っていたものを元の場所に捨てて、炎の矢とは反対に向いて吐き出した。
戦いの疲れと、精神が擦り減ったことで。幸いにも、意識はそこで途切れた。真実を直視することはなかったが。
――私の手には今も、彼の臓腑の感触が残っている。
期日の一週間が過ぎ去った。
ダンジョン内で探していた
一週間、体を拭くだけで済ませていたリューは、18階層で手早く水浴びを済ませてから帰路につく。
その間、彼はリヴィラの街で情報を収集したものの、目新しい成果はなかったといえる。
「こっちは外れだったな」
「情報が間違っていないのであれば、おそらく」
「アリーゼたちの方に成果が出る。……地上への別口の出入り口がひとつなら、だけどな」
あるいは、たった一つの当たりを引くだけの運が必要だろう。
「……にしても、対応がこうも後手後手になるとやり辛い」
「それは、仕方がない。私たちもまさか、四六時中ダンジョンに滞在するわけにもいかない。私たちと貴方で交代で見張るにしても、外への密輸の警戒までするなら手が足りない」
どちらも手薄にするわけにはいかず、また
ないないづくしでも、活路がないわけではない。
「次の陽動でケリをつける」
故に、足並みと実力を可能な限り均等にするように、何があっても対処できるように、複数グループに分かれて移動するのが常である。
これで釣れればよし。釣れなければ、無事を祝う。
「……私も同行する」
「は?」
突然の提案に、彼は素っ頓狂な声を上げ、足を引っ掛けて転びそうになる。
「……ミアさんに殴られても知らんぞ」
あの女将が、果たして必要でもないのに同行しようとする従業員にどう対応するか。
もともと、訳ありとはいってもリューには帰る場所がある。よくて拳骨、最悪クビといったところが、思いつく限りだが。
「拳骨なら覚悟の上だ」
「いや、最悪クビだろ。シフトすっぽかそうとする不良従業員だぞお前」
「……もしものためだ。ミア母さんも、納得してくれる。……たぶん、おそらく、きっと」
戦々恐々と肩を縮ませたエルフを見て、彼は大きくため息を吐いた。
「邪魔だから俺一人でいい」
「だとしても、同行する」
「来たらはっ倒してミアさんに突き出す」
「その前に貴方の意識を刈り取る」
「お前それ本当に来る意味ないからやめろ!」
もしものためと言って同行するくせして、戦力の一人を気絶させてプラザマイナスゼロどころかマイナスにしてどうするというのか。
堪らずリューを睨みつけるが、すぐにその眼力も消え失せる。
彼女は自身の胸の前で、拳を握り込んでいた。何かを確かめるように、その手を開いて、閉じてを繰り返しながら、じっと自分の手を見つめている。
「嫌な予感がする」
――アリーゼの真似事か、と。
そんな嫌味は喉元で詰まる。いやに真剣に、今にも泣き出しそうな女の瞳を見て、何も言えなくなった。
「鉄臭く、生臭い、生暖かい風が吹いている」
「……そりゃ、お前の幻覚だろ」
風なんて、まったくない。生暖かいというよりも、ダンジョン内はもはや熱い。ヘルハウンドのブレスの残滓が、そこら中で熱を上げている。
何かが焦げたような臭いはするが、それは異臭ではない。炭のような、すすけた臭いだ。
「わかっている」
「なら気のせいだ」
「だから、私も同行する」
話が噛み合わない。
そもそも陽動ならば、護衛としてついていく人数は最小限に絞らなければならない。その点、アストラムは実力不足ということはなく、また面が割れている、ということはまずない。
一方で、リュー・リオンという女は【アストレア・ファミリア】所属であり、数少ない第一級冒険者の一人である。諸事情により髪を切り、染めてからはしばらく、第一線から退いていたが、それでも魔法を使えば正体は容易く看破されるだろう。
特に、闇派閥相手であればこそ、正体が看破されやすい。それほどに、リュー・リオン……いや、【アストレア・ファミリア】の存在は大きい。
「じゃあ、お前に何ができる」
「前衛として集団に潜伏する。フードを深く被れば、陽動の邪魔にはならない」
「陽動に引っかかった時、取り逃すリスクは減るだろうな。だけどな、お前ひとりじゃ壊滅までは無理だ」
「なら貴方は、闇派閥が逃げた時。
「……」
彼は眉根を寄せる。
指摘されたことは、まさしくその通りだ。彼は陽動に引っかかり次第、その実力に物を言わせ、その場で全員捕まえるつもりだった。
しかし、逃げられた時に果たして。無力化した闇派閥と、移動中の
――出来るわけがない。
万が一の事態に備え、彼は千載一遇のチャンスを捨てるだろう。その逃亡が、実は相手からの陽動の可能性もある。もしもそれで、置いてきた
「なら、絶対に約束しろ。闇派閥に逃げられた時、追跡は俺がやる。お前は
「………」
リューはその約束に頷いた。得物の柄を力強く握りしめながらも、アストラムを睨みつける。
その様子を、彼は一瞥して、ふと視線を下に向けて考える。
「……アリーゼ……いや、輝夜も同行させろ。その穴はライラとアーディ、それと俺からシャクティに話してどうにかする」
「っ、輝夜が来るのなら、残るのは輝夜だけでも――」
「追跡して分断されたらどうする気だ? 輝夜を同行させる意味、わかってるだろ」
ぎり、と歯噛みする音が響いた。
バツが悪い、とはこのことだった。
俯いて、震えているリューを、ただ見つめるか。あるいは置いてさっさと先に行くほど、彼は冷血漢になり切れない。
「っ、なにを」
「知るか」
得物の柄を握り締めるリューの手に、彼は自分の手をそっと重ねる。
咄嗟の事に、リューは顔を上げて声を上げる。その際に生まれた手の緩みを逃さず、柔らかくすくい上げると、その手を繋ぎ引っ張って、歩き出した。
「……エルフに、気安く触れるものではない」
苦し紛れの言い訳のような、本人もどうしてこんなことを言ったのか。意味のない言葉が、リューの口からこぼれる。
「知るかよ。女を無事に家まで送り届けられない男なんて、みっともねぇだろが」
「………」
それ以降、会話というものはなく、お互いに向き合うこともない。
『豊穣の女主人』についてリューを送り届けた時も、アストラムは口を開かなかった。
ただ、気付けだと言わんばかりに、リューの頭に一度手を置いてから、彼は去っていった。
「……」
温かく、血の気の通い、硬い皮膚によってごつごつとした手の感触。
確かに、生きている人間の手。
リューはしばらく、それこそ酒場としての開店準備に取り掛かろうと店先に出てきたシルに声を掛けられるまで。
じっと、あるいはぼーっと、頭と手に残っていた感触に浸っていたのであった。