――『流星の射手』とやらに、一度は会ってみたかった。
7年前、オラリオで起こした『死の七日間』の中で、終ぞ姿を見せることのなかった英雄。
数多の闇派閥を流星の如き光の矢で貫き、誰よりも戦場にちょっかいを出した男。
名前を知ったのは、全部終わった後だった。
所属を聞いた時は、なるほど、とどこか納得する己が居た。
覆した死の数は、きっと百や二百ではきかないだろう。
あの時代、誰もが目撃した光景のはずなのに、英雄のことを追える者は、誰一人としていなかった。
――慢心があったことは認めよう。追跡しなかった怠慢に、弁明の余地はない。
されども、ヴァレッタ、オリヴァス、ヴィトー。闇派閥幹部の三人からの追跡で、足取りさえ掴ませない手腕は、まさしく本物であったことに間違いない。
たった一人。自分の味方たる主神を常に背後に庇い、隠しながら、英雄は戦場を駆け抜けていたのだ。その上で、誰よりも人々を救った実績を積み上げた。そして、主神の存在を最後まで隠し通し、守り切った。
――刹那よりも短い隙。その虚を突かれて、数秒の空白を作られたとき。何人の冒険者がその命を拾ったことか。
後になってのこと。最後の最後に、アルフィアの前に姿を現したと聞いた時には、「おぉ!」と声を上げた。噂された憶病者ではなく、正しく英雄は冒険者だった。それでいて、「よくわかって」いた。
――当然の判断だ。たかだかレベル4如きがレベル7を前に何ができる。
英雄というには、身の程を弁え過ぎたその行動。
それこそが、神々の思惑さえも超越してみせた。
最終局面。まさか、逃げ場のないダンジョンの方に向かったと、誰が予想できるというのか。
己が命と実力を弁えた行動をし続けた英雄は、最後の最後に「冒険」してみせた。まさしく「とっておき」をもって、もはや逆転はあり得ないほどに、戦況を傾けてみせた。
誰の思惑に乗った行動でもなかった。
たった一人の「単独行動」が、真に、
――あんなバカが居るなら。一度だけ、
――覆らない筈の運命さえも超越させてみせた、最期の冒険に、敬意を表そう。
――そしてもしも、それをもって尚、終末が覆らないというのであれば。
「もう一度。……いや。死に損なったこの命を、『最後の英雄』の糧にしよう」
立ちはだかる数多の英雄。
そして願わくは、全てを乗り越えたその先で、『英雄』なんてものに至らんことを。
もっとも、そんな心配は無用だろうと。
その口元を綻ばせ、白い兎の後ろ姿を見送った。
程よく抑えられた喧騒と、陶器がわずかに擦れる音が耳に馴染む。
カフェテリアの角の席。伊達メガネをかけた暗色の短髪のヒューマンは、本を片手にコーヒーとケーキに手を付ける。
ごくごく一般的な風景だ。何も不自然なことはなく、穏やかな日常の一幕。
ヒューマンも、エルフも、獣人も、
だから、その男が来店したときも、大きな騒ぎが起きることはない。
「……相席、いいか」
「いいぞ」
みちり、と椅子を軋ませながら、巨漢は座る。
メニューを渡そうとしてきた店員を手で制し、短く「コーヒーを」と注文する。無骨で、不愛想な男だ。
「……」
じっと、巨漢はしばらくの間、対面に座る彼のことを見つめた。探るように、無遠慮に視線を向けている。
一方で、彼はそんなこと気にした素振りもなく、マイペースに本を読み、コーヒーをしばく。半分ほどなくなっていたケーキをフォークで切り分け、口に運ぶ。
「……お前は、変わらないな」
「故人が変わるかよ」
いつものように「死人」とは使わない。周りの視線が集まっても面倒だと、彼が自分のために言葉を選んだだけだ。
「いいのか。会わなくて」
この男、今や都市最強と名高いレベル“8”――オッタルは、あまりに口が少ない。
主語を省くな、と呆れたような視線を向けながら、彼はソーサーにカップを置き、首を横に振る。
「どの面下げて。いや、マジで。本気で墓場に叩き込まれる。死ぬ。殺される。嫌だ。無駄に死にたくない」
「……殺されはしない。半殺しだろう」
「嫌だ。俺は知ってる。うちの後輩君が何千回と限界超えさせられたって知ってる」
「……俺が報告に行ってもいいが」
「だとしたらオッタルてめえ、安心して眠れる日が来ると思うなよ」
「日が経つほど、バレた後が怖い」
思わない正論に彼は押し黙る。まさしくその通りだった。あの女王とも呼ぶべき暴君が、素直に再会を喜ぶ筈もない。
思えば。主神から後輩君が出来たという報告を聞くと同時に、保護者の名前を聞いたその時から。嬉しさよりも恐怖が勝り、主神に泣きながら「言わないでくれ」と懇願したこともあった。
「……いや、やっぱ嫌だ。せめて、ダンジョンを完全攻略してから……」
「何年先の話をしている」
「……そこは何十年先じゃないのか」
「いや。何年、あるいは十数年だ」
「だったら変わらねえよ。あっちだって7年、オラリオから離れてたんだぞ」
「……俺は包み隠さず、問われたことに答えるぞ」
思わず唸る。自分も同じ立場ならそうするだろうと、よくわかるからこそ、反発することが出来ない。
しばらくの沈黙の間に、オッタルの注文したコーヒーが運ばれた。手持無沙汰な猪は、それに口をつけて、空白を凌ぐ。
「てめえに、わかるかよ」
「何のことだ」
「初恋の相手の姉に死んだと思われていたけど、実は生きてましたー、って会う気まずさ」
「………わからん」
「だろうな」
溜息をひとつ。持っていた本を閉じてテーブルの隅に置くと、「それよりも」と話を進める。
「本題はなんだ」
「そんなものはない」
「……はぁ?」
「強いて言えば、偶然見かけた知己との世間話だ」
「てめえが?」
「そうだ」
困ったように、アストラムは頭を掻いた。時折目の前の巨漢は、本当に猪らしい突撃をしてくる。女神至上主義の中に、一滴だけ混ぜられた我というものに、どうにもペースを乱される。
「そうかい。じゃあ今夜にでも、『豊穣の女主人』に行くか。ミアさんにも、ここのところ……まぁ、ポンコツエルフがだが、迷惑かけっぱなしでな。挨拶と、昔話に花咲かせるには、ちょうどいいだろ」
「あぁ。それでいい」
「なら、ここでは最近の話でもしようか。……とはいっても、俺は人様に誇れるような人生は送ってない。話せないことが多すぎる」
怪訝そうな視線を向けられようと、アストラムは特に気にした素振りもない。
前置きもほどほどに、そうだ、と彼は思い出したように口を開く。
「覚えてるか? 少し前。アポロンのクソがちょっかいかけたこと」
「……あれは、……酷かった」
「あぁ、てめえでもそう思うか。だよな、うん。いや、皆殺しにされないだけ、マシだったけどな」
話題を振ったはいいものの、お互いに渋面を浮かべてしまう。
あれほど大人げない蹂躙もない。レベル差は5か、それとも6か。最低でも4は離れた蹂躙は、見ているだけで思わず震えあがるほどだった。
主に、自分の未来を暗示しているようで、本当に震えあがった。
「魔法使ってないだけマシだったけど。あれ、どれくらいバレたと思う?」
「……【ロキ・ファミリア】は気づいている筈だ」
「やっぱそうなるか。特に目立つような変化はないけど、実際はどうだった?」
「ギルドは動いていない。表立ってはな」
「……アレに勝てる?」
「………………フレイヤ様の、命令ならば」
オッタルはカップを持ち、コーヒーでのどを潤す。その手が若干震えているが、彼はそっと視線を逸らして見なかったことにした。
「いや、あのさ。バレたら何だが」
「断る」
「まだ何も言ってない」
「俺もそこまでバカじゃない」
「お? 今喧嘩売ったか? 売ったよな?」
コーヒーをゆっくり味わう素振りで、巨漢は彼のことを無視した。
そんな繊細な舌持ち合わせてないだろ脳筋、と恨みがましい視線を向けながら心の中で罵倒する。
「……いや、アレだ。共闘してもし勝てれば、ランクアップ出来るかもしれないだろ」
「正気か?」
「いや……うん。すまん」
はぁ、と誰の溜息かわからないが。その一角の空気は、とにかく重たかったのは言うまでもない。
憐憫のまなざしを向けてくる猪を、いつかしばき倒す、と心の中で彼は決意しながら、「やめだやめ」と手をひらひらと振った。
「考えると気が滅入る。それより、てめえの方は――」
話題を切り替える。いつまでも嫌な未来を想起させる話をしても仕方ないと、今度は相手のことを聞き出す。
案の定、オッタルは口下手で、面白い話とは到底言い難い。まさしくあまりに無駄な世間話が繰り広げられる。
アストラムは口数少なく相槌を打ちながら、そんな話に耳を傾けた。