劇場版 永遠と自動手記人形と、特典小説のイザベラ・ヨークと花の雨を読んで狂った作者の妄想。
ずいぶん前にpixivにも投稿しています。

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誓い

汝(なんじ)健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、敬い、共に助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓うか。

 

定年退職を目前に控えた女教師の低い声が、学園内に設けられた小さな礼拝堂に響く。

 

 

デビュタント間近、僕の心情を汲み取ったかのように暗い空が、ポツリポツリとその重さに耐えかねたように雨をこぼしたその日、この学園に集った少女たちを、立派な商品とするひとつの区切りとも言える授業が行われていた。

 

貴族の息女、豪商の娘。そんなやんごとなき家柄の少女たちが、望む望まないに関わらず、通過することが決定づけられている行事。

世の多くの少女達にとって憧れであるはずのそれは、僕にとっては品物の売買契約書にサインをするかのような、情熱も、希望もない無機質なただの事務手続き。

 

結婚式

 

そのマナーと一連の流れを教わっていた。

 

「夫婦となる者は、神父立ち合いのもと生涯の愛を誓います。主の御前で絆の永遠を願い、言葉を送るのです。皆様も早いうちからお相手に送る言葉を考えておくのがよろしいでしょう」

 

午前の講義が終わり、休憩時間となった。

年頃の少女のみで構成された空間の空気が、にわかに色めき立つ。

 

「実はわたくし、フィアンセに送る言葉はもう決めておりますの」

「素敵ですわ…」

 

聖堂のそこかしこから、浮ついた囁きが漏れ聞こえてくる。

 

喜色を満面に浮かべた者。

 

不安げな、しかし遠くの光を見つめるような眼をした者。

 

多くの少女たちからはポジティブな感情があふれていた。

 

 

ああ、消えてしまいたい。

 

 

僕はその空気に耐えられない。

何度も経験したことのある破滅願望がまた頭をもたげ、死んでしまいたくなる。

 

ひゅっと、肺が空気を拒むように喉が鳴る。

 

すると、僕の周りからのみ酸素が消え去ってしまったかのような息苦しさを覚えた。

 

発作が起きたわけでもないのに、上手く呼吸が出来ない。

 

苦しい…

 

本当に、死んでしまいそうだ

 

 

ふと、僕は周囲の少なからぬ生徒が後方、つまりは礼拝堂の入り口をどこかうっとりとした目で見ていることに気づいた。

 

僕はその視線を追って、緩慢に首を動かし

 

目を見張った。

 

一瞬、壮麗な静物画が飾られているのだと思った。

 

美しい、花だった。

 

にわかに晴れた空の太陽の光が、礼拝堂の丸いステンドグラスから一筋の彩光となって花を照らしている。

だが、色とりどりの輝きも、その花の美しさを引き立てる脇役に過ぎない。

 

僕の菫(すみれ)

 

ヴァイオレット・エヴァーガーデンが、熟練の彫刻家がその生涯を賭して作り上げたかのような少女が、光の中で僕を見ていた。

 

サファイアの瞳が僕を見ている。

 

僕だけを。

 

ああ、なんて綺麗なんだろう君は。

息苦しさが消える。

 

僕は彼女の視界に、他のナニモノをも映したくなくて、急いで立ち上がると彼女のもとに向かった。

 

侍女用の簡素な椅子に座る彼女の前に立つと、宝石の瞳が、僅かに咎めるような色を含んで僕を見上げる。

 

その碧い輝きに眩暈すら覚えた

 

「お嬢様、私は侍女です。御用がある時はお呼びになってください」

 

耳に心地よい涼やかな声が鼓膜を叩く。

 

呼吸が楽になる。

 

ああ、ヴァイオレット。君は僕の命さえ救ってくれるんだね。

 

僕は腰を落として気持ちの昂ぶりに従ってぐっと首を伸ばす

頬と頬が触れ合う程に、顔をヴァイオレットに近づける。

 

嗚呼、いい匂い

 

背後がにわかにざわついたのを聞いた

口角が上がる

 

「ちょっと外の空気を吸いに行ってくるよ。ほら、この礼拝堂ちょっとホコリっぽいから」

 

ヴァイオレットの形の良い耳にささやく。

 

 

「お供いたします」

立ち上がろうとした彼女を僕は止める

 

「ああ、待って待ってヴァイオレット。すぐに戻るからここに居て?今日は体調も良いから、ね?」

「…了解しました。お気をつけていってらっしゃいませ。お嬢様」

 

 

ヴァイオレットが僅かな沈黙のあとに、渋々と言ったように了承すると礼拝堂の扉を開けて送り出してくれた。

 

本当はお手洗いに行くだけだ。

 

1分…いや1秒たりともヴァイオレットから離れたくなどないのだけれど、僕は彼女に、僕の汚いところを絶対に見られたくなかった。

 

 

手を洗い、鏡の前で少し乱れた前髪を整えて、僕はふと手にしていたハンカチを広げた。

 

「…」

手触りの良い真っ白なシルクのレース生地に、金糸と銀糸で繊細な刺繍が施されている。

 

これ1枚を買うお金で、何日食べていけるのだろう

 

この学園に来た時、ヨーク家から渡された服や装飾品の数々は僕が、いや、エイミー・バートレットがそれまで見たこともないほどに綺麗で、高価なものばかりだった。

それらの値段を考えた時に、より強く自分はあの男に人生を売ったのだと思い知らされた。

 

先ほどの授業を思い出して、レースのハンカチを顔にあてがう。

 

そう遠くない未来、会ったこともないどこかの誰かが、神様の前でこのベールを上げて僕に形だけの愛を誓うのだ。

そして僕もそれに応える。

 

くそったれの神様の前で

 

畜生め

 

化粧室を出る

早くヴァイオレットに会いたくて、足早に礼拝堂に戻り扉を開ける。

 

「お帰りなさいませ、お嬢様」

僕が入室するのを見た彼女が、流れるような動作で僕の側に立つ。

いつも思うけど、本当に無駄な動きが全然ない。

武術の達人みたいだ。

 

「お加減、いかがですか?」

ヴァイオレットが僕を心配してくれる、彼女が側にいる。

それだけで鬱屈した重いものが溶けていく。

 

「大丈夫だよ、ヴァイオレット」

僕が、彼女の宝石の瞳の美しさを堪能しながら返事をした時だった。

 

 

「ごきげんよう、ミス・ヨーク」

聞き覚えのある声がかけられた

 

「…なに?」

僕の憩いの時間を邪魔されて、知らず声にトゲが出てしまう。

声の方向に顔を向ければ、アシュリー・ランカスターが立っていた。

「伺いたいことがあって参りましたの」

そつのない綺麗なカーテシー。まさに淑女という立ち振る舞い

 

だけど、僕が言葉を発するよりも早く、僕の侍女が、みなが言うところの騎士姫様が僕を守るように前に出る。

 

「申し訳ありません、ミス・ランカスター様。以前申し上げました通り、お嬢様は実家から交流を控えるように仰せつかっております」

 

「いいえ、本日はあなたに用があって参りましたの。ミス・エヴァーガーデン」

「ランカスター様が、私に…でございますか?」

「そう、正確には私ではなく、私の友人があなたに用があるの」

 

彼女が目配せをすると、1人の生徒がやって来た。

 

「ご、ごきげんよう。ミス・エヴァーガーデン」

綺麗なブロンドの髪をボブカットにした大人しげな子だった。

僕は名前も覚えていない。

 

「……」

「あ、あの」

 

ヴァイオレットが僕に視線を送る。

いつもと変わらないように見えるけど、僕にはわかる。

あれはちょっと困っているという顔だ。

 

そんな顔をされたら、本当は気が進まなかったけど、僕は首を縦に振った。

本当に気は進まなかったけど。

 

「なんでございましょう。ミス・ミュラー」

 

完璧なカーテシーを行いながら難なく相手の名を口にするヴァイオレットに、僕は彼女の記憶力はどうなっているのだろうかと思ってしまう。

 

「お、お父様から聞いたのですが、先のドロッセル王家の公開恋文…シャルロッテ様の代筆をミス・エヴァーガーデンがお手伝いされたというのは本当なのでしょうか!」

 

ざわりと

 

会話を聞いていた生徒たちに波紋が広がる

 

「え…」

 

僕もまったく無意識に口から声が漏れてしまった。

数ヶ月前のドロッセルの公開恋文といえば、そのロマンチックさから貴族、庶民かかわらず多くの子女に爆発的な人気を博したものだ。

 

それを、ヴァイオレットが?

 

思わず彼女を見上げる

 

「はい。ドロッセル王家の公式記録にも私の名前は記されていると思います。」

 

 

恋文には定評があります

 

僕はいつだったかベッドの上で聞いた言葉を思い出す。

 

あの言葉に偽りはなかったのだ。

 

ヴァイオレット様があの恋文を…

素敵…

騎士姫様……

 

そんな声がまわり中から聞こえる

 

「ご用件はそれだけでしょうか。」

 

ヴァイオレットの言葉にミス・ミュラーが意を決したように顔を上げる

 

「あ、あの!わたくし、フィアンセに送る言葉をずっと考えているのですが上手にできなくてッ…参考までになにか助言を頂けたらと!」

 

「助言、ですか…?」

 

また、僕に彼女が視線を向ける。

ヴァイオレットとの時間を、1秒だって他の子に盗られるのは嫌だった。

嫌だったけれど、彼女が、ヴァイオレット・エヴァーガーデンがいったいどんな言葉を紡ぐのか、気になってしまった。

またひとつ、頷く。

 

「…了解いたしました。微力ながらご協力させていただきます。では、お相手の特徴などお教え願いますか。」

 

 

「は、はい!私と同じ青い瞳と金の御髪(おぐし)で、夜空がお好きな方で、よく星を見にご一緒させていただきました。南部の大穀倉地を治めていらっしゃって、乗馬がとてもお上手で……」

 

ヴァイオレットがミス・ミュラーの言葉を記憶していく。

 

「……」

全てを聞き終えたヴァイオレットが、目を閉じる

きっと頭の中で、拾い上げた言葉たちを再構築しているのだ

 

どんな言の葉を、彼女は紡ぐのだろう。

 

本当なら、僕はここで無理やりでもヴァイオレットの手を掴んで、部屋に帰るべきだったのだ。

 

でも、好奇心が勝った。

 

勝ってしまった。

 

まぶたを上げたヴァイオレットが、ミス・ミュラーの前に立つと、おもむろに彼女の左の頬に手を添え

金の髪に指を触れる

 

「あっ…」

 

僕の侍女と視線を合わせたミス・ミュラーが声を漏らす。

その顔が、朱に染まるのを僕は見た。

 

二人をステンドグラスの光が照らす。

 

そして雲雀(ひばり)の声がゆっくりと、言葉を紡ぐ。

 

 

 

「窓辺から、太陽の光を受けて黄金に輝く麦穂を見る時、私はいつもあなたを想うのです」

 

後悔した。

 

「馬上から見た、風に揺れるあなたの髪の輝きが今も鮮烈に焼き付いて、私を悩ませるのです」

 

やめて。

 

「夜、私が1人で星を見つめる時、私はそこにあなたの瞳を見ると言えば、あなたは笑うのでしょうか」

 

やめてよ。

 

「覚えていますか?あの日、2人で見上げたアリー彗星を」

 

どうか

 

「あの、あなたの瞳の色をした輝きを」

 

ほら、もうその子なんか可哀そうなくらい顔が真っ赤じゃないか。

 

だから、ヴァイオレット…

 

「人がパンなしに生きていけないように、私は、あなたなしには呼吸することすらままならない」

 

僕の、僕のヴァイオレット。

 

「古い伝承に、永遠の時を宿すと謳われるあの彗星のようなあなたの瞳に」

 

息が 

 

出来ない

 

「私は」

 

助けて

 

「永久(とこしえ)の」

 

ヴァイオレット

 

「愛を」

 

僕の

 

「ミス・ヨーク!」

「お嬢様!!」

 

突然、ミス・ランカスターとヴァイオレットが僕を呼ぶ大きな声が聞こえた。

 

遅れて、僕は自分が床に倒れたのだということを自覚する。

 

痛い。

 

でもそれ以上に、胸が潰れてしまいそうなほどに、苦しい。

 

「ゲホっ…ゲホっ……!」

 

追い打ちをかけるように発作が起きて

からっぽの肺から更に空気を押し出そうとする。

 

ヴァイオレットがいつも携行している鞄から、素早く薬湯を取り出して僕の口元に運ぶけれど、上手く飲むことが出来ず零れ落ちていく。

 

苦しい

 

「イザベラ様!」

今まで聞いたこともない程大きな、焦ったヴァイオレットの声がする。

 

彼女が僕の頬に触れた。

 

「失礼します」

 

突然

 

柔らかい感触が、僕の唇を塞いだ。

 

何が起きたのか分からない。

 

ただ、目の前に、ヴァイオレットの端正な顔がそのまつ毛の数を数えられそうなほど近くにあった。

 

そしてゆっくりと、飲みなれた、しかし今まで口にしたどんなものよりも甘い液体が流れ込んできて

僕は親鳥から餌をもらう雛のように、それを飲み込んだ。

 

「はぁ…ゲホっ……ヴァイオレット」

 

僕が声を出すと同時に、ヴァイオレットの腕が、瞬きの間に僕の太腿の下と背中に回される。

 

浮遊感。

 

力強く、僕を横抱きにして立ち上がる。

 

「申し訳ございません、ランカスター様、ミュラー様。お嬢様を医務室に急ぎお連れしなければなりませんので、これにて」

 

僕の騎士姫様は、僕を抱えたまま風のように走り出した。

僕らを驚きの表情で見る生徒たちがみるみる遠ざかっていく光景を見ながら、僕はヴァイオレットの背中に手を回していた。

 

 

 

 

 

それからのことはよく覚えていないけれど、気づけば僕は自室のベットに横たわっていた。

 

左手に固い滑らかな感触があった。

 

「お目覚めですか、イザベラ様」

 

「心配かけてごめんね、ヴァイオレット」

 

ずっと、側にいてくれたのだろう。

 

僕の侍女

 

僕の

 

僕だけの

 

恋しい菫(すみれ)

 

「ねえ、ヴァイオレット」

 

汝(なんじ)健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、敬い、共に助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓うか。

 

「はい、イザベラ様」

 

汝(なんじ)健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、敬い、共に助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓うか。

 

「あの子にしたみたいに、僕にも誓いの言葉の助言、してくれない?」

 

汝(なんじ)健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、敬い、共に助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓うか。

 

「今日はもうお疲れでしょう、明日にされては」

 

彼女が困ったような顔をする。

 

「今がいいんだ」

 

でも僕はずるいから、押しに弱い彼女がおねだりを叶えてくれるのを知っている。

 

「はい、お嬢様。私がお力になれるのなら」

 

ああ、神様

 

「1回会っただけなんだけど、僕のお相手はさ、僕と同じ色の目と髪をしているんだ」

 

僕は嘘つきと強欲の罪で地獄に落ちても構いません。

 

「空を飛ぶ鳥を見るのが好きで」

 

だから

 

「妹さんを凄く可愛がっている人なんだよ」

 

他のどんなことを忘れてしまっても

 

僕の妹と、あの日の花祭りと

 

「…では」

 

僕の菫が、僕だけのために言葉を紡ぐ。

 

涙がこぼれた。

 

この記憶だけは、どうか奪わないでください。

 

 

 

 

 

 

 

日が昇り、また夜が来る。

瞬く間に時間が過ぎて、デビュタントの朝が、ヴァイオレットと過ごす最後の朝が来た。

 

僕は純白のドレスに身を包んで、手を引かれる。

 

 

「みんな、君を見てるよ」

「皆様、着飾っておられます」

 

ありがとう、ヴァイオレット。

 

「君が一番綺麗なんだよ」

 

君がくれたものは、ずっと僕の中にあり続ける。

どんな辛いことがあっても、きっと大丈夫。

 

 

汝(なんじ)健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、敬い、共に助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓うか。

 

 

 

真っ白な花のブーケを手に、僕はこの世で最も美しい菫の少女に手を伸ばす。

 

「ねえ…そばを、離れないでね」

 

これが僕の

 

「はい。お約束いたします」

 

永遠の結婚式

 

 


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