黄金の樹年代記~ある家に伝わる家系史あるいは妄想に満ちた偽史 作:フォン・セテム
前学芸尚書レオポルド・フォン・ゼーフェルト博士著・学芸尚書フェルディント・ラーテナウ博士編著
はじめに
本書は新帝国暦14年に報告書として提出され宮廷、政府等で閲覧されていた「ゴールデンバウム王朝期における歴史観からみた西暦以来の歴史と、ゴールデンバウム家の起源に関する覚書」を民間向け小冊子として出版されたものである。
本覚書は学術的に正確ではないと著者の前学芸尚書ゼーフェルト博士ともども批判を受けていた。
では何故この覚書を出版したかというと、第一にこれは「史実」の分析ではなく「史観」の分析であり上記の批判にはあたらないという点、第二に旧王朝開闢以前の歴史事象についての特定の主観性を帯びた観点を一般の人々に見てもらい自分の理解との齟齬へ思考を巡らせていただきたい点、第三に旧王朝ゴールデンバウム家の歴史事象への眼差しはいかなる「史観」に基づいていたかを知ってもらいたかったという理由による。
出版に際し原本に忠実にしながらも、平易にかつ簡潔に再構築した。
学芸尚書フェルディナント・ラーテナウ博士
人類が未だ地球という一惑星に閉じ込められていた遠い過去の暦による西暦の1945年、後の世においてアドルフ大帝と称された古代ゲルマニア帝国総統の引き起こした「第二次ゲルマニア生存戦争」は、後の北方連合国家(ノーザンコンドミニアム)と三大陸合州国(ユナイテッド・ステイツ・オブ・ユーラブリカ)の前身たる勢力の勝利により終わろうとしていた。
アドルフ大帝は「第一次ゲルマニア生存戦争」に従軍し敗戦を経験し、その屈辱を跳ね返し、天才的な演説の才と革新的な軍事戦術によりゲルマニア文化圏の唯一の帝国を築き上げ、ゲルマニア民族の生存圏を確保する周辺諸国に対する外征戦争を開始した。しかし戦争指導の硬直化と資源の枯渇によりゲルマニア帝国は敗北を重ねた。
フォン・シュヴァンガウ家はゲルマニア東部の下級貴族ユンカーの一家で、一族の屋敷の庭にある菩提樹の見事さから、周辺の住民より「ヘル・ゴールデネアバウム」=黄金の樹の家の旦那、と呼ばれていた。
ゲルマニア帝国帝都の防衛の最終段階において、少年兵として参加していたパウル・フォン・シュヴァンガウは絶望的な抵抗の末、敵軍の捕虜になった。
「第一次ゲルマニア生存戦争」において欺瞞的な自由と平等を叫ぶ侵略者との戦闘は、真に自由なるゲルマニア文化圏の独自性に対する存亡をかけた戦いであった。
状況打開を期した乾坤一擲の戦闘で戦死したフォン・シュヴァンガウ家の当主ヴォルフガング・フォン・シュヴァンガウの息子として生まれたパウルは、屈辱にまみれたゲルマニア文化圏の名誉と正義を重んじ帝国復活をのぞみ、めざましい活躍をみせたアドルフ大帝を崇拝するよう教育され帝都陥落まで銃をとっていた。
だが「ゲルマニア生存戦争」は上記のごとく戦況の悪化の結果アドルフ大帝の自害により後の三大陸合州国と北方連合国家の前身国家によりゲルマニア民族共同体国家は東西に分割し占領された。
いわゆる「雌伏の時代」の始まりであった。ゲルマニア民族共同体は二大国の価値観を強要され、民族意識を弱体化させられ、ゲルマニア民族の特質を抑えられていた。
捕虜から社会復帰した元少年兵パウル・フォン・シュヴァンガウは、再建されたゲルマニア民族国家西部地域の軍に入隊し二大国の冷戦のなかで軍歴を重ね中尉として退役、その後彼の子孫が階級は様々だが軍人一家として秘やかに続いていた。
「雌伏の時代」の間、ゲルマニア民族主義は人類全体に対する戦争を起こした悪魔の思想として扱われていたが、フォン・シュヴァンガウ家の一家はゲルマニア民族主義を本音として伝えていった。社会的には隠し通しつつ。