魔法少女まどか☆マギカ~After Ten Years of History~ 作:イデスツッラ
和子からほむらが関わったとされる行方不明事件について聞かされたタツヤは、その事件について調べ始める。一方でほむらは、自らの身体の事や家族との関係の事について悩んでいた。
タツヤは事件について調べる為、図書館、白女、織莉子宅、教会と訪問する内に、ほむらとゆま以外の魔法少女の存在と彼女達が抱える現実を知ることになる。その事に激しい怒りを覚えるタツヤだったが、それが逆にほむらの反感を買ってしまい、彼女に冷たく突き放されてしまった。
教会からの帰り道、タツヤはまたしても瘴気に取り込まれ魔獣の襲撃を受ける。ほむらとキュゥべえの助力によってその場の危機は脱したが、より強い魔獣『深化魔獣』の出現により、今度はほむらが窮地に立たされる。
しかしその時、タツヤの中に眠る謎の力が目覚め、彼女を救出する。その後、ゆまの力を借りながらほむら達は深化魔獣を撃退、その場にひとまずの平穏が訪れると思われた。だが、深化魔獣は死ぬ寸前に自らの自爆を企て、タツヤ達を道連れにしようとする。
その事で酷く慌てるタツヤだったが、ほむらが自ら犠牲になることで、最悪の事態は回避されるのだった。
話は、少し前に遡る――
「じゃ、行って来るね」
ゆまはキュゥべえの要請を受け、ほむらの援護に行くべく準備を進めていた。
本当はほむらに全て任せる気でいたが…相手の魔獣が強く、彼女が苦戦するだろうと聞き援軍の要請を快諾したのだ。
当初ゆまは、タツヤに冷たい態度をとった事を気にしていたほむらに配慮して、タツヤの救出を彼女に一任するつもりであった。
しかし、どうやらそうも言ってられないようだ。
「気をつけるのよ」
「分かってるって」シュバッ
ゆまは織莉子に返事をして外に出ると、一瞬でその姿を消した。
相手が深化魔獣と聞いて、彼女も多少慌てているのだろう。
何はともあれ、教会には織莉子が1人取り残される形となる。
「…さて」
織莉子はゆまを見送ると、1人教会内を歩く。
そして、手頃なスペースを見つけるとゆっくりその場に腰を下ろした。
「…」ブゥゥン
すると、どこからともなく水晶を取り出し膝の上に乗せた。
この水晶は、織莉子の魔法によって作られた物である。
織莉子は目を瞑り、取り出した水晶に念を込める。
パァァアア…
『ギァ…ァア゛ア゛…ア゛ア゛…』
少しして…その水晶が光始めると、ぼんやりと映像が映し出される。
魔獣と、それと戦うほむらの姿が…そこにはあった。
「(相手は…深化魔獣…)」
織莉子の固有魔法、それは『未来予知』
水晶に映し出されているのは、今より少し未来の映像。
つまり、魔獣との戦いで起きるこれからの出来事だ。
友人の死によって魔法少女としての使命を放棄した…放棄“せざるを得なくなった”織莉子だが、今でもこうして魔法は使える。
月日が流れ、自分の能力を制御出来るようになった彼女は、自分の能力を極力使わないようにしていた。
普通の生活を送るため…そして、人の運命から目を背けるために。
能力を使う時も、こうして水晶に自分が見たい未来だけを限定的に映し出すことで、魔力の消費を抑えていた。
『暁美…、…ない!!』
『あま…、この戦…は人には見せ…ない…』
水晶には、自らの能力を駆使して戦うほむらと、それを遠くから見守るタツヤの姿が映し出されている。
「(タツヤ君が一緒だからかしら…)」
「(上手く予知出来ない…)」
織莉子は妙な違和感を覚えていた。
普段だったら綺麗に映る筈の未来の映像が、今回は何故か上手く映っていないからだ。
映像は端々で乱れ、声は所々聞き辛い。
まるで、古いビデオテープを見ているかのようだ。
原因は織莉子でもよく分からない。
しかし、思い当たる節が無いわけではない。
ほむらの傍には、キュゥべえと共に…あの鹿目タツヤがいる。
織莉子は何故か彼の未来を見ることが出来ない。
誰かに邪魔されているかのように、未来の映像がぼやけてしまうのだ。
その事が、今の現象と…何かしら関係があるのではと、彼女は思っていた。
『…くっ』
「(暁美さん、苦戦してる…?)」
そう織莉子が考える一方で、
水晶には一瞬の油断を付かれ、負傷したほむらの姿が映し出されている。
魔獣は、そんなほむらの姿を見て、更に追撃しようとしていた。
この時点でゆまはまだ到着していない。
織莉子の頭に、このままでは…と不安が過る。
ザー…
「(っ!!)」
「(また…)」
しかし、ほむらがピンチのところで再び映像が乱れ…水晶に何も映らなくなる。
その後も織莉子が試行錯誤するのだが、映像は一向に映る様子を見せない。
この現象もまた、“誰か”に映像を見ることを邪魔されているかのようであった―――
『ありが…、ゆま』
『じゃ、アレ…倒しちゃ…」
ようやく映像が元に戻ると、いつの間にかゆまが到着しほむらを手伝っていた。
ゆまの治癒魔法により、ほむらの傷も全快している。
「(…)」
随分と映像が飛んでしまったようだが、その間に何が起きていたのだろうと…織莉子は首を傾げる。
何か…重要な未来を見落としてしまったのではと、彼女は直感で感じる。
その後もほむら達が戦う映像が流れ、深化魔獣は2人の連携攻撃によって倒される。
織莉子はその映像を見て、ホッとするように安堵の表情を浮かべた。
しかし―――
『まずい!!』
『自爆するつもりだ!!!』
「(!!!)」ザッ
このシーンが映し出されると、織莉子は表情を一変させる。
水晶を手に取り、思わずその場で立ち上がってしまった。
『私が…魔法であいつを…』
「…っ!!」
そして―――ほむらのこの一言が、織莉子にある昔の出来事を思い出させる
『ここは、私に任せてくれ』
『…良いんだ、織莉子』
『この命は、君のためにあるんだから』
それは、自分が魔法少女だった頃の…忘れたくても忘れられない記憶―――
「(暁美さん、あなた…)」
織莉子は水晶を食い入るように見ながら、表情をどんどん青ざめさせる。
その記憶が何時のもので…どんな内容だったかは、此処で話す必要はないだろう。
ただ…織莉子にはほむらの行為と、失った友人の行為が重なって見えたような気がしたのだ。
『う…うわぁぁぁぁぁぁあああああああああああああ!!!!!!!!』
「(…)」
その後の映像に…織莉子は顔を背けることしか出来なかった。
タツヤが泣き叫ぶ姿を、直視することが出来なかったのだ。
その後、未来を一通り見終えた織莉子は、静かに教会を出る。
星が輝き始めた夜空を見上げながら、彼女は帰路に着いた。
これから彼女達に起きる出来事に…胸を痛めながら―――
そして、時は現代に戻る。
―――――――――――――――――――――――――――――――
「…」
「う…うう…暁美さん…」
タツヤは、泣いていた。
ゆまが居るにも関わらず、その場で膝から崩れ落ち…大粒の涙を流していた。
ほむらが、魔獣の自爆からタツヤ達と見滝原を守るために犠牲になった。
爆発が全体に広がるのを、体を張って防いだのだ。
タツヤの目の前にあった筈のほむらが作ったドーム型の障壁は、既に原型を留めてはいない。
周辺には、グリーフシードがいくつも転がっている。
あの魔獣が完全に消滅した証拠だ。
しかし、一緒に居た筈のほむらの姿はない。
その代わりと言わんばかりに、彼女の服の端切れが風にのって飛んでいる。
やはり、ほむらの体はあの爆発によって、粉々になっていた
そう、ほむらは―――
「何故泣いてるんだい?タツヤ」
そんな時、隣にいたこのキュゥべえが、タツヤのことを不思議そうに見ている。
どうして悲しんでいるのか分からない、そんな表情をしながら―――
そして、キュゥべえは言う。
「ほむらは生きてるのに」
「っ!!」ビクッ
ほむらは、生きているのだと―――
だが、そうは言っても、タツヤにはその事実が…どうしても信じることが出来なかった。
いや…正確には、信じたくなかったのだ。
魔法少女の本体は、ソウルジェムである。
体がいくら傷付こうと、粉々になろうと、
その小さな宝石が無事な限り死ぬことはない―――
そんな…誰もが1度は憧れる夢のような存在―――
魔法少女の知られざる真実を…
「…」テクテク
しばらくすると、ゆまは無言でタツヤを横切り…障壁があった場所に近付いていく。
そして、周辺に転がっているグリーフシードを回収し始めた。
「…」コト
あらかた回収し終えると…ゆまは障壁があった場所の中央に立ち、ほむらから受け取ったソウルジェムを取り出す。
紫色のソウルジェムは、ゆまの掌で心臓が鼓動するかのように光っていた。
本当に、生きているかのように―――
「ゆま、さん…」
タツヤは、その光景を遠くから見ていることしか出来ない。
「よく見ておくといい」
キュゥべえはタツヤの隣に陣取り、タツヤ同様ゆまに視線を送る。
今から起きる出来事に、決して目を背けてはならない―――
少年にそんな事を伝えるかのように、キュゥべえは話を続けた。
そして―――
「…」
パァァアア…
「うわっ」
ゆまは小さな魔法陣を作り出すと、その中心にほむらのソウルジェムを置く。
そして、その場に腰を落とし祈るように両手を合わせた。
目を瞑り力を込めると、魔法陣が光り始め…その中心に光が集まっていく。
眩い光にタツヤは一瞬驚いたが、その光景を目の当たりにして思わず息を呑む。
…今から起きる出来事に、タツヤは不安を感じずにはいられなかったのだ。
「…!!」
ゆまは魔法陣に魔力を注入するように、手を合わせ祈り続ける。
相当体力を消耗しているのか、額には大粒の汗が目立つ。
「あ…あ…」
パァァアアアアアアア・・・
光は尚も魔法陣の中心に集まり続け、1つの大きな光に変わっていく。
それに呼応するように、ほむらのソウルジェムの輝きも徐々に増していった。
大きな光は次第に形を変え、その場に“何か”を生み出し始める。
それは、人間の姿に形を変えていって―――
「…」
ほむらの肉体を、その場に作り出していくのだった。
「あ…暁美さん…」
タツヤは、それをただ呆然と見続け…そう声を漏らす。
粉々になったほむらの体が、傷一つない綺麗な状態で再生されていく。
その光景にタツヤは、言葉が上手く出てこないくらい…驚いていた。
「どうだい?タツヤ」
「これが、魔法少女の力さ」
そんな少年に対して、自信満々に語りかけてくるキュゥべえ。
「…」
だがそんなキュゥべえの話は、タツヤの耳には届いていなかった。
目の前で起きている現実を受け入れる事だけで、頭がいっぱいになっていたのだ。
ほむらが生きているという、信じがたい現実を―――
本当なら、喜ぶべき事なんだろう。
だが―――
「…ふぅ」
肉体を完全に再生し終えると、ゆまはソウルジェムをほむらの掌に乗せる。
そして、一つ息を吐くと額の汗を手で拭った。
ソウルジェムは、掌に置かれると徐々にその輝きを弱めていく。
その代わりとして、光は…ほむらの身体に移っていくようであった。
「起きて、ほむらお姉ちゃん」ユサユサ
「ん…んぅ」
ゆまがほむらの肩を揺らす。
すると、眠るようにその場で横たわっていたほむらが少しずつ動き始めた。
「あ…うわ…」
その光景から、タツヤは目が離せない。
ほむらは、生きていた。
その事実は、魔法少女の本体がソウルジェムであるというキュゥべえの言葉が、真実だったという動かぬ証拠でもあった。
そう思うと、タツヤは何故か身体が震えてくるような気がした。
「…」ムク…
「…ありがとう、ゆま」
ほむらは、その場でゆっくり立ち上がり、ゆまに声を掛ける。
「んもー、1人分丸々再生するのって凄く疲れるんだからねっ」
「そうね、ごめんなさい」
ゆまは、ほむらにいつも通り明るく振舞う。
恐らく、いらぬ心配をかけないように彼女なりに気を使っているのだろう。
ほむらは、身体を張って自分達を救ってくれたのだ。
それくらいの気遣いをして当然なのかもしれない。
だが―――
「…ま、でもこれで一軒落着、かな」シュン
魔獣を完全に駆逐したためか、周りの瘴気が徐々に晴れていく。
そして、いつの間にかタツヤ達は最初にいた橋の上に立っていた。
恐らく、元の世界に帰ってきたのだろう。
その証拠に、ほむらもゆまも魔法少女姿から私服に戻っていた。
見滝原に特に変わった様子はない。
ほむらのおかげで、ひとまず町は無事のようだ。
「…そう、ね」チラ
ゆまと話していたほむらだったが、ふと視線を移す。
「!!」ビクッ
「…」
そして、その視線の先にはタツヤとキュゥべえが立っていた。
「え…あ…」
その視線を受け、タツヤは身体をビクつかせる。
相変わらず、先程から言葉が上手く出て来ない。
彼の身体はほむらが起き上がった頃から、ずっと震えっぱなしであった。
「どうしたんだい?タツヤ」
「タっくん…?」
タツヤの異変に気付き、キュゥべえが声を掛けてくる。
ゆまも不思議そうな顔をして、彼に近付いてきた。
「…あ、…あ…」ビクビク
だが、やはり…タツヤの耳にゆま達の声は届いていなかった。
一体、どうしてこんなことになっているのか。
その答えは、一つしかない。
今の少年の頭は、ある感情で一杯になっていたのだ。
それは―――
「…大丈夫?」スゥ…
ほむらが、心配して傍に駆け寄ってくる。
震えているタツヤに、手を差し伸べようとした。
だが―――
「ひっ!!」パシッ
タツヤは…そんな彼女のその好意を、跳ね除けてしまった。
彼女が差し伸べた手を、叩き落としてしまったのだ。
「っ!!」
「あ…」
「ハァ…ハァ…」
今、タツヤの中で充満している感情―――
それは、『恐怖』だった。
ソウルジェムが本体である魔法少女。
あれだけ体が粉々になっても決して死なない魔法少女
その体を修復しては、何事もなかったかのように動き出す魔法少女
そんな彼女達に、タツヤは恐怖を抱いていた。
魔法少女が…彼女達の事が…
“人間”ではなく、それこそ魔獣以上の“化物”であるかのように見えてしまったから―――
「…」
「タツヤ?」
ほむらは、タツヤに叩かれた手をじっと眺めている。
その表情は―――とても、悲しそうであった
「え…いや…違う…俺…」
その表情を見て、ようやく我に返るタツヤ。
自分は、今何をした。
何をしてしまったのか。
自分の事を何度も助けてくれて、いくら感謝しても足りないくらいの命の恩人に…。
そんな彼女の事を、自分は拒絶してしまったのか。
自分の中に巣食う…『恐怖』という感情に押しつぶされて―――
自分は、ほむらの優しさを踏み躙ったのだ。
彼女を、傷付けてしまったのだ。
そんな後悔の感情が、少年の心を侵していく。
「ご、ごめんなさい!!!!」ダッダッ
「あ、待って!!タっくん」
タツヤは、ゆまの制止も無視して…一目散にその場から逃げ出した。
もはや、この場にいることが出来なかったのだ。
「…」
ほむらの顔を見ることが、今のタツヤには出来なかった。
そして、タツヤはそのまま逃げるように自分の家に走っていくのであった。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
「…」
「ほむらお姉ちゃん…」
タツヤが逃げるように居なくなった後、橋の上にはほむらとゆまが残される。
ほむらは、彼に叩かれた手を見つめたまま動かない。
その姿を、ゆまはただ見つめることしか出来なかった。
「一体どうしたっていうんだい、タツヤは?」
しかし、重苦しい空気が流れる中、それを物ともせずキュゥべえが話し始める。
「確かに、あの時ほむらは体を代償にあの魔獣を止めたけど」
「でも、こうやってほむらは生きてるじゃないか」
「それなのに…」
感情を持たず、ひたすらに自分の利益になる行動しか取らないこの生き物にとって、タツヤの行動は意味が分からなかった。
そこにどんな経緯があったとしても、結果として彼女が生きていたのだから何の問題もない。
それがキュゥべえ…インキュベーターの考え方だ。
人間の複雑な感情なんて、この生き物には知る由もないのだろう。
「キュゥべえ、ちょっと黙ってようか…」
ゆまは、空気を読まず尚も話し続けるキュゥべえにそう忠告する。
その言葉には、この生き物に対しての苛立ちが込められているようであった。
「…やれやれ」キュップイ
ゆまの雰囲気に気圧される形となったキュゥべえは、渋々口を閉じる。
そして、静かにその場から姿を消した。
「…」
「…大丈夫?」
ゆまは、未だに塞ぎこんでいるほむらに駆け寄り声を掛ける。
ほむらはというと、そんなゆまに対し背中を向けるように立っている。
まるで、自分の表情を彼女に見られたくないかのように―――
「…何が?」
そう言ってほむらは、背中を向けたまま空を見上げる。
空には綺麗な星がいくつも並んでいて、彼女達を照らすように輝いていた。
「だって、タっくんに…」
「…別に、気にしてないわよ」
心配されるような覚えはないと、平静を装いながら…ゆまに言葉を返す。
しかし、ほむらがゆまの方へと振り返る事はない。
「いえ、むしろ好都合ね」
「これで、あの子も私達の事で首を突っ込むのを止めるでしょ」
ほむらは、タツヤに身体の事を知られてしまった事で、彼が自分達から離れていくだろうと語る。
自分達と一緒にいれば、また彼を危険な目に合わせてしまうかもしれない。
そう何度も都合よく救えるわけじゃない。
ならば、むしろ自分達と離れてくれた方が…彼にとって安全である筈。
此方としても、いらぬ労力を使わずに済むだろう。
そう、ほむらは口早に話した。
「だから…」
「これで…いいのよ」
何の問題もない、そう彼女は言う。
だが、ほむらはこの時…自身の異変に自分では気付いていなかった。
そんな強がりを言う口や、彼女自身の体が―――
―――小さく、震えていたことに気付いていなかったのだ
「…そう」チラッ
その事に気付いていたゆまは、返事をしながらも徐々にほむらに近付いていく。
目の前まで近付くと、彼女にバレないようにその表情を覗き込んだ。
すると、不意に下を向いたほむらと…ばったり目が合ってしまう。
「…泣きそうな顔してるくせに」ボソッ
「…」
ほむらの表情を見て、ゆまが小さく呟く。
今の彼女は、眉間にしわを寄せ必死に目を見開き、唇を噛み締めるようにギュッと口を閉じている。
小さな子供が泣くのを必死に我慢しているような…そんな表情をしていた。
「まあ…」
「とりあえず…はい」
「これ、返すね」
ゆまは特に詮索することもなく、覗き込んでいた顔を遠ざける。
そして、渡されていた赤いリボンをほむらに返した。
ほむらがこうなっている原因は、大体分かる。
しかし、そこにあえて触れないのが…彼女なりの優しさなのだろう。
「…ありがとう」
ほむらはリボンを渡されると、それを髪の毛に結ぼうとはせず
胸元で抱きしめるように、ただギュッと握り締めた。
まるで、そのリボンに縋り付くかのように
それだけが、心の支えであると言わんばかりに―――
「…じゃ、私帰るね」
「…ええ」
ゆまはほむらに別れを告げると、その姿を暗闇の中に消した。
橋の上には、ほむら1人が取り残される。
辺り一面に妙な静けさが漂い、気持ちの悪い風が吹く。
元の世界に戻ってきたにも関わらず、その場は瘴気にも似た不気味な雰囲気を醸し出していた。
そんな中、星空と橋の歩道灯によって1人だけ照らされているほむらは…
地球上でただ1人生き残った、人類の姿であるかのようで―――
「…」ドサ…
ほむらは、一人っきりになると何かが切れたように、その場に崩れ落ちる。
「…まどかぁ」ギュ…
そして、手に持つリボンをより一層握り締めて…名前を呼んだ。
もうこの世界には存在しない、最愛の友人の名前を―――
瞳から流れる、大粒の“何か”によって…顔面を濡らしながら…
――――――――――――――――――――――――――――――――――
鹿目宅―――
「…」
『W杯を目指すなでしこジャパンは、若きエースストライカー牧カオルの活躍により…戦を快勝…』
「タツヤの奴、遅いなー…」
詢子は、リビングのソファーに寝転がりながらタツヤの帰りを待っていた。
今現在…夜も更け、子供が出歩くような時間はとっくの昔に過ぎている。
それなのに一向に帰ってくる様子を見せない息子の事を、彼女は心配していた。
「そうだね」
「今日、朝から出かけてるんだろ?」
休日はいつも昼頃まで寝ている詢子は、今日タツヤの姿を見ていない。
自分が起きた頃には、既に居なくなっていたからだ。
詳しい目的地は、知久も聞いていないという。
「そうだね」
「…何処ほっつき歩いてるんだろーな」
口ではあまり心配してなさそうな詢子だが、心の中では息子の帰りを今か今かと待ちわびている。
何だかんだ言って…彼女も母親なのだ。
帰りの遅い息子に何かあったのではないかと、そわそわするのも当然だろう。
…もっとも、帰りを待っている理由は…それだけではないのだが―――
「そうだね」
知久は、先程から彼女に対して…全く同じ答えしか返してこない。
「…なあ」
詢子が気にしていたことは、タツヤの安否だけではなかった。
彼が帰ってこないことによって―――
「何だい?」
「…怒ってるか?」
「 全 然 」ニッコリ
―――自分の夫が、お怒りモードになってしまってる事も気にしていた
「お、おう…」
夫の笑顔から溢れ出る危ない雰囲気と威圧感に、たじたじになる詢子。
普段は温厚で優しい知久だが、こうなってしまうと彼女でも手が付けられない。
むしろ、立場が逆転して詢子の仕事以外でのふしだらな生活について説教されることすらある。
一見すると、鹿目家は詢子が主導権を握っているように見えるが、
こういう一面を見ると、実は知久の方が力が上なのではと思えてしまう。
「(カレー…煮込みすぎて、もはや具材が無くなってるんだが…)」
今日の鹿目家の晩御飯は、知久による特製カレーだ。
だが…如何せんタツヤの帰りが遅いので、知久は鍋をひたすらに掻き混ぜ続けている。
その結果、カレーに入っていた筈のじゃがいもなどの具材が…すっかり原型を無くしてしまっていた。
「(雷が落ちる前に早く帰ってこーい、タツヤー)」
詢子はタツヤのことを心配しつつ、自分に飛び火が来ないためにも…彼の帰りを待つのだった。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
ガチャ
「おっ」
それから少しして、鹿目家の玄関が開く。
その音を聞いた詢子は息子が帰ってきたのかと思い、慌ててソファーから起き上がった。
「…」ハァハァ
玄関に詢子が出向くと、そこには息を切らし…汗だくになった息子が立っていた。
どうやら、此処まで走って来たらしい。
もう夜も遅いので、急いで帰ってきたのだろうとその時の詢子は思っていた。
「おいタツヤ、お前こんな時間まで何やってたんだよ」ボソボソ
詢子はタツヤに近付き、知久に聞こえないよう小声で話しかける。
無事に帰ってきたのは良いが、父がかなりヤバイ事になってるぞと、肩を組みながら語りかける。
「…」
「…タツヤ?」
しかし、どんなに話しかけても…タツヤが反応することはない。
その事に違和感を覚え、詢子は息子の様子を伺う。
俯いているせいか詢子の位置からでも、表情がよく分からない。
分かることと言えば、息子の体が小さく震えているという事だけだった。
「 タ ツ ヤ 」
「っ!!」ビク
詢子が息子の異変に戸惑っていると、リビングから知久がやってくる。
知久は満面の笑みを浮かべながら、タツヤの前に立った。
しかし、発せられる威圧感のせいで、その笑顔がまるで般若の顔のように見えてしまう。
「…遅かったじゃないか」
「…」
知久は、やがて笑顔から真剣な顔つきになり…タツヤに話しかける。
「もう、子供が出歩いていい時間はとっくに過ぎてるよ」
「…」
「何処で、何をしていたのか、きちんと説明してくれるかな?」
「…」
「…なんとか言いなさい」
「…」
だが、やはり詢子の時と同様…タツヤに反応は無い。
玄関での至近距離であるにも関わらず、聞こえていないかのようだった。
その事が気になりつつも、知久は尚もタツヤに言葉を続けた。
「…ところで、上着はどうしたんだい?」
「…」
ふと知久は、タツヤが朝着ていった筈の上着を着ていないことに気付く。
今の彼の服装は、ズボンにTシャツ一枚となっていた。
何処かでなくしてしまったのか…と、知久は尋ねる。
しかし、タツヤは相変わらず俯いたままで、何も話そうとはしない。
「…タツヤ」
いい加減にしないか…と、タツヤの態度を見かねた知久が言おうとする。
しかし、その時―――
「…なさい」
「…ん?」
「…ごめん、なさい」グス
タツヤは、俯いたまま…ゆっくりと謝罪の言葉を口にする。
両手で自分の服を握り締め、大粒の涙をポロポロと流しながら―――
「え?タツヤ?」
「ごめんなさい…ごめんなさい…」ポロ…ポロ…
「お…おい、タツヤ。どうしたんだよ?」
聞こえるか聞こえないかくらいの小声で、ひたすらに『ごめんなさい』と言い続けるタツヤ。
そんな息子の突然の行動に、詢子と知久は戸惑う。
少し言い過ぎてしまったのか・・・と、2人は一瞬自分達を責めもした。
だが、その謝罪の言葉は…両親に向けられたものではない。
その事になんとなく気付いた2人だったが…それでも、息子の行動の意図が掴めない事に変わりはなかった。
「ごめんなさい…うぅ…ごめんなさい…ごめん、なさい…」ポロポロ
「「…?」」
永遠と続く息子の言葉と涙―――
どうすることもできない2人は、お互いに顔を見合わせることしか出来なかった。
――――――――――――――――――――――――――――――
それから、1日が経った――
「…」
「…」
休日は終わり、リビングでは各々が朝食をとっている。
今日は平日、詢子はスーツ、タツヤは制服に着替え座っている。
テーブルには大きなボウルに入ったサラダと、人数分のパン、目玉焼きが置いてあった。
知久がサラダをそれぞれに取り分け、詢子にはコーヒーをタツヤには牛乳を用意する。
そして、朝食の準備を終えた知久はキッチンへと戻り、調理に使った器具を水洗いし始めた。
そこに広がるのは、鹿目家のいつもと変わらない朝の光景だ。
「タツヤ、醤油取ってくれ」
「…ん」
詢子は新聞を読みながら、片手をクイクイっと動かし指図する。
タツヤは言われるがままテーブル中央にある醤油を手に取り、それを母に渡した。
そう、ただ言われるがまま…特に何かを言う事もなく…
「…」
「…」
二人の間に、しばしの沈黙が訪れる。
その場には普段とは違った重苦しい雰囲気が流れ始めている。
そこに広がるのは…鹿目家の、いつもと変わらない光景の筈であった。
ただ、ある点を除いては―――
「おい」
「ん?」
「大丈夫か?」
タツヤの様子が…いつもとは違っていたのだ。
いつもは明るい筈の彼が、まるで別人のように暗い。
普通にしていても若干俯き気味で、背後からよからぬオーラでも出ているのではと錯覚してしまう程だ。
いつもなら母の命令に対して一言二言小言を吐いてから従う筈が、今日に限っては全くその気配がない。
詢子にしてみれば、それが不気味でしょうがなかった。
「…何が?」
「いや、だから…お前」
詢子がどんな言葉を投げ掛けても、タツヤの反応は薄かった。
完全にうわの空な状態で、何を聞いてもはっきりとした答が返ってこない。
今の彼は、完全に心ここにあらず…といった感じだった。
「…」
そんな状態の息子を、知久は洗い物をしながら横目で見ている。
しかし、詢子のようにタツヤに何か話しかけるような事はしない。
ただ、じっと彼の様子を見つめるだけだった。
「…ご馳走様」
そんな2人の様子を気に留めることもなく、タツヤは静かに席を立つ。
「おい、お前殆ど食ってねーじゃんかっ」
しかし、詢子の言う通りタツヤは朝食に殆ど手を付けていなかった。
パンには少しかじったような後が見られるが、目玉焼きやサラダに至っては、一口も口にしていない。
学校に遅れるというのであれば、それも分からなくもない。
しかし、時間にはまだ大分余裕があった。
それなのに、朝食を食べようとしない息子を、詢子は慌てて呼び止める。
「いい、腹すいてないから」
「学校行ってくる」ガチャ
だが、タツヤは母の呼び止めに応じることもなく、鞄を持ってリビングを後にする。
去り際に聞いた彼の声は、普段とは比べ物にならないくらい小さく、低く、単調的であった。
それこそ、心に…何か闇を抱え込んでしまっているかのように―――
「あ、おい!!」
「ったく、どうしたってんだアイツ」
「…」
リビングに残された両親は、自分達の息子の変化に戸惑いを隠せずにいた。
「昨日も結局、殆ど部屋から出てこなかったし…」
タツヤの様子がおかしいのは、今日に限ってのことではない。
一昨日、夜遅くに帰ってきてから…あの調子だ。
あの後、タツヤは泣き止むことはなく、詢子に肩を抱かれる形で自分の部屋に戻っていった。
食事をとらず…更には風呂にも入らないで、そのまま寝てしまったのだ。
そして翌日になっても、タツヤは2人に何があったかを話そうとはしない。
むしろ、休日だというのに…その日は殆ど部屋から出て来なかった。
結局詢子はその日、食事や風呂の時以外タツヤの顔を見ることはなかったのだ。
「…そう、だね」
知久は、タツヤが残した朝食を片付けながら静かにそう呟く。
あの日、息子に何があったのかは分からない。
ただ一つ分かる事は、タツヤが何か思い悩んでいるということ。
タツヤもいつまでも子供ではない、きっと色々と苦労があるのだろうと、両親は無理矢理自分達を納得させる。
両親が願うことはいつも決まっている。
息子が、無事に健やかに育っていって欲しい…それだけ。
そう、本当にそれだけ―――
彼等にとってタツヤは…
自分達にとって、この世で…この世界で―――
ただ1人の―――家族なのだから
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
「…」ダッダッダッ
タツヤは外に出ると、逃げるように通学路を駆けていく。
その場にいることが苦痛であるかのように、歯を噛み締め必死に走った。
自分に向けられる両親の視線が、今のタツヤには耐えられなかったのだ。
両親の心配そうな視線が、自分を気に掛けてくれる暖かい視線が、彼を苦しめていた。
自分はそんな視線を受けていい人間ではない、と。
「…」ハァ…ハァ…
しばらく通学路を走り、息が切れたところでタツヤは立ち止まる
そして、ゆっくりと学校に続く道を歩き始めた。
「やあ、タツヤ」
だが―――
「っ!!」
その矢先、あの白い珍獣…キュゥべえと出会ってしまう。
キュゥべえはタツヤの姿を確認すると、待っていたと言わんばかりに近付いてくる。
タツヤは、そんな珍獣を見て…体を強張らせる。
体温が上がり赤くなっていた顔が、見る見るうちに青ざめていった。
「返事くらいして欲しいな」
「…」
珍獣と出会ったことで、タツヤの頭に…一昨日の出来事が蘇る。
魔獣との戦いの事
魔法少女の秘密の事
そして、その後の事…
全てが、走馬灯のようにタツヤの脳内を駆け巡る。
それと同時に、例えようのない胸の痛みを彼は感じていた。
「タツ…」
「っ!!」ダッダッ!!
「あっ」
タツヤは近付いてくる珍獣を振り払うように、再び通学路を駆け始める。
目を背けたかったのだ、
キュゥべえから、魔法少女の現実から、自分のしてしまった事から…
それが、どんなに無理な事で自分勝手な行動だったとしても―――
タツヤは、そのまま学校へと全速力で向かう。
途中、心臓が悲鳴を上げるが、そんな事を気にすることなく…ひたすらに駆けていった。
「やれやれ、困ったね」
タツヤの後ろ姿を見ながら、珍獣は溜息を付く。
そして、彼を追い掛けるようにゆっくりとその足を見滝原中学へと向けるのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――
見滝原中学―――
早朝の教室には、既に生徒が何人かいる。
部活動の朝練に行ったのか、鞄だけを無造作に置かれてある机もいくつか目に付いた。
HRが始まるまでの間、教室にいる生徒達は各々が好きなように過ごしている。
自分の机で勉学に勤しんでいる生徒がいれば、机に腰掛け友達と駄弁っている生徒もいた。
「だから、なんで日本代表に横浜の選手は少ないのかを俺は聞きたいんだ」バンッ
タツヤの友人である板垣大輔もまたその1人だ。
彼は何故か教壇に立ち、教室にいる男子を集め、さながらドラマに出てくる教師のように熱弁を振るっていた。
黒板には、お世辞にも綺麗とは言えない字で『わいるどべーすぼーるくらちっく、横浜ファンはかやの外』と書かれてある。
「日本代表に横浜の選手は必要ですか、必要じゃありませんか」
「はい、永川君!!!」
「必要ないと思います」
「即答ぉ!!??」
指名した男子から自分の予想していなかった解答を出され、その場で驚愕する大輔。
しかし、集められた生徒達にとってみれば、それは驚く程の答ではなかったようだ。
「大体選ばれるような選手いないしなぁ」
「2人くらい居ただろ、それで満足しろよ」
「つか、兵庫と千葉のチームに謝れ」
「嘘、だろ…」ガク
大輔とは違い、あまりテンションの高くない男子達はそれぞれ不満を吐き始める。
別に横浜ファンなわけではない彼らにとって、選手が日本代表に必要かどうかは割りとどうでも良い話だった。
そもそも…大輔が話題にしているのは、もう随分前に終わった大会の話だ。
他の面子がイマイチ乗り気になれないのも、なんとなく頷ける。
あらかた不満や本音を言い終わると、
集められた男子達は教壇で落ち込む大輔を他所に、各々の席に戻って行くのだった。
「…」ハァ…ハァ…
そんな中、タツヤはフラフラとした足取りで教室に入ってきた。
体は汗だくになり、手を胸に当て肩で息をしている。
朝だというのに、相当疲れている様子だった。
タツヤのあまりの苦しそうな姿に、ドア側にいた生徒達が一瞬驚いてしまう程だ。
無理も無いだろう。
珍獣から逃げるように駆けた後、スピードを一切緩めずに学校まで走ってきたのだ。
苦しくないわけがない。
「うぅ…タツヤー」
「…おう」ゼェ…ゼェ…
タツヤが自分の席に座り、ハンカチで汗を拭っていると、大輔がうな垂れるようにしてやってくる。
「なあ、聞いてくれよ。横浜にだってもっと良い選手はいるんだよ」
「…そうか」
「ちくしょー!!もう少し選ばれたって良いじゃんか!!!」
大輔はタツヤの隣に陣取り、愚痴をこぼし始める。
何故みんな自分の好きなチームを馬鹿にするのか、そんなに強いチームが良いのか、うちだって強い時期はあったんだぞ…などなどと、
怒っているのか泣いているのか、よく分からない表情で訴え続ける大輔。
「…」
しかし、大輔がどんなに熱心に話しかけてもタツヤは黙ったままであった。
相槌を打つこともなく、彼から目を背けボーっと窓越しの空を眺めている。
話を聞いている素振りなど、殆ど見せてはいなかった。
「おい、聞いてんのか?人の話を」ユサユサ
しばらくブツブツと1人で話していた大輔だったが、
やがて、タツヤの様子がおかしい事に気付き、改めて声を掛ける
そっぽを向いているタツヤの顔を覗き込むように身を乗り出し、肩を掴んで身体を揺すった。
「…え?」
「あ、ああ…聞いてるよ、うん…」
そして、ようやく気付いたタツヤは慌てて取り繕うように大輔に応答する。
しかし、その言葉はイマイチ要領を得ず、曖昧な回答ばかりだ。
とてもじゃないが、話を聞いていたようには見えない。
「どうした、賞味期限過ぎた牛乳でも飲んだか?」
「あ、いや…」
大輔は友人の様子に疑問を持ち、首を傾げる。
明らかにいつもと違う、そんな印象を彼は受けていた。
―――キーンコーンカーンコーン
「おーい、お前ら席着けー。HR始めるぞー」
大輔が更にタツヤを問い詰めようとした時、HRが始まる合図であるチャイムが教室に響く。
そして、それとほぼ同時に教室のドアが開き、担任の先生が日誌を持って入ってきた。
どうやら、しらない間に結構な時間が経っていたようだ。
先生が入ってくると、席を離れていた生徒達が慌てて自分の席へと戻っていく。
「板垣、お前も早く席着け」
「へーい」
先生は未だに席に着かず、タツヤの事を不思議そうに見ている大輔に注意する。
大輔はタツヤの事を気にしつつも、先生の指示通り自分の席に戻っていった。
一方のタツヤは、大輔がいなくなると再び窓越しの空を眺め始める。
気の抜けたような表情で、何も考えていないかのように…ただボーと空を見上げていた。
「あー、そうだ。HR始める前に…」
「一昨日、風見野方面でボヤ騒ぎがあったそうだ」
「!!!」
しかし、先生の不意な一言をキッカケに、タツヤはその表情を一変させる。
その話とは、一昨日に見滝原で起きたとされる“とある事件”についてであった。
「なんでも、発火の原因は分かっていないらしい」
「えー、何ですかそれー」
「分からん。付近に火種になるような物は無かったと聞くし、放火の疑いがあるかもな」
「嘘、怖ーい」
先生の話によると、一昨日…風見野近くの廃工場で原因不明の火災が起きたという。
そこまで酷い火災では無かったらしく、たまたま通りかかった人からの通報によって消防士が駆けつけ、火は無事に鎮火したそうだ。
だが、問題は何故そんな火災があの場所で起きたのかという事だった。
その場所は廃工場といっても、ただの空き家のような所である。
中には燃えるようなものどころか、小物一つ置いてなどいなかった。
先生は放火ではないかと言うが、それにも1つ問題があった。
燃えていた箇所が、建物の上…屋根のてっぺんだったことだ。
もし、放火であるのなら犯人は屋根の上で火を放ったということになる。
それは、あまりにも非現実的な行動だ。よって、放火の疑いも薄い。
となると、本格的にこの火災がどうして起こったのかが分からなくなる。
そう…空から火の粉でも降ってこない限り、こんな火災起きる筈がないのだ。
「…」
タツヤは先生の話を、固唾を呑んで聞いていた。
先程までの気の抜けていた表情が、どんどん歪んでいく。
その姿は怯えているといった解釈が正しいだろうか。
顔を再び青ざめさせ、机に置かれた両手はガクガクと小刻みに震えていた
彼には、思い当たる節があったのだ。
その火災の…原因についての―――
「まあ、幸いその時は怪我人も出なかったようだが」
「とにかく、そういう事だからお前らは夜に外出するなよ」
「最近は、通り魔事件とかもあって特に物騒だからな」
「「「「はーい」」」」
先生は生徒達にそう忠告してから話を切り上げ、HRを始める。
通り魔事件というのは、最近見滝原で頻繁に起こっている怪事件の事だ。
その内容は、夜に出歩いていた人が突然いなくなり…朝、変死体になって発見されるというもの。
誰も犯行現場を目撃していない上に、使われた凶器すら出て来ない謎の事件として扱われている。
何の手がかりも見つけられない警察は、これを通り魔による無差別殺人として調べていた。
だが、実際はそんな通り魔なんて生易しいものによる仕業ではない。
「謎の通り魔に謎のボヤ騒ぎねぇ」
「漫画じゃあるまいし…」
大輔は自分の机で、退屈そうに先生の話を聞いている。
彼にとっては先程の日本代表の話よりも、こちらの方が興味のない話題だったようだ。
この少年、謎とか、奇妙などといった不明瞭なものにあまり関心がないのである。
ただの怖いものしらずという解釈も出来るのだが。
「…」
「…ん?」
しかし、興味なさそうに辺りをぐるぐる見回していると…たまたまタツヤの姿が目に入る。
タツヤは体を小刻みに震わせながら、視点の合わない目線で自分の机を見つめていた。
「…タツヤ?」
そんな彼に、先程同様疑問を抱く大輔。
タツヤのそのような表情、付き合いの長い彼でも見たことがなかった。
朝から様子がおかしい友人の姿を見て、大輔は妙な違和感を覚える。
しかし、結局その日のタツヤは大輔どころか他のクラスメイトとも殆ど会話することはなかった。
1人で何かを考え込むように、そして…その何かに怯えるようにして、学校での生活を過ごしたのであった。
――――――――――――――――――――――――――――――
放課後―――
「…」
タツヤは部活を終え、帰路に着く。
クラスメイトと殆ど話さなかった今日のタツヤだが、部活動でも似たような状況であった。
先輩や顧問の先生がいくら声を掛けても、相変わらずその返答は曖昧なものばかり。
そのせいで怒られる事もしばしばで、今日の部活動は散々な出来であった。
「タツヤ」
そんな彼が俯きながら一歩一歩通学路を歩いていると、目の前に再びあの白い珍獣が現れる。
珍獣は朝の出来事に懲りる様子もなく、再度タツヤに近付いてきた。
「…」
「まだ無視かい?」
タツヤ自身も今度は逃げるような事はせず、珍獣を無視するように前へと足を進める。
すると、珍獣はタツヤに付いていくように隣を歩き始めた。
道中、珍獣は様々な言葉をタツヤに投げかける。
一昨日の出来事のこと、その後のこと、そして今日の学校でのこと。
しかし、どんな話を持ちかけてもタツヤが反応することはなかった。
まるで、珍獣がこの場にはいないかのように振舞っていたのだ。
「…」
「一昨日のボヤ騒ぎ、あれはあの時の影響だね」
それでも、珍獣は口を閉じようとはしない。
話は…朝のHRで先生が話していたボヤ騒ぎにまで及んだ。
珍獣は、タツヤがあえて触れないようにしていた事件の核心について迫る。
その火災は、魔獣との戦いによる影響であろう…と―――
「…」
「やっぱり、この世界への影響を完全には防げなかったみたいだ」
深化魔獣と戦っていたあの時、瘴気内はある影響で元の世界である見滝原市と繋がっていた。
恐らく、ほむらの作った障壁で防ぎきれなかった火の粉が、爆風に乗って見滝原にやってきたのだろう。
そして、近くの工場に降りかかり…燃え広がってしまったのだ。
そう、珍獣は話す。
「ま、それでもそこまで被害は無かったみたいだし…良かったじゃないか」
確かに、燃えたのは建物であって人ではない。
その火災も、それほど大きなものではなかったと聞く。
見滝原に影響は出てしまったが、被害を最小限に留めることは出来た。
まずまずの結果…と言って良いのだろう。
「なんで…」
「ん?」
しかし、タツヤにはどうしても納得出来ないことがあった。
それまで無視を続けていた珍獣へと向き直り、表情を険しくさせる。
「なんで…そんな平気でいられるんだよ、お前」
そして、我慢の限界だとでも言うように
両手に握り拳を作り、体をワナワナと震わせながらタツヤは口を開く。
朝の時とは違い、それは怯えて震えているのではない。
珍獣に対しての怒りが、タツヤの体を震わせていた。
許せなかったのだ。
どんな事に対しても、まるで他人事のように淡々としているこの珍獣の事が…
自分が全ての原因を作った張本人だというのに―――
「それはどういう意味だい?」
「暁美さんがあんなことになって、お前は何とも思わないのかよ」
あの時、ほむらはタツヤ達と見滝原を守るためにその身体を犠牲にした。
おかげで彼等は助かったが、そのせいで彼女の身体はバラバラになってしまった。
タツヤの脳裏には、その事が焼きついて離れなかった。
別に、ボヤ騒ぎについてとやかく言うつもりなどない。
ただ、そういう事が背景にあるというのに
特に気にするような素振りを見せないこの珍獣の事が、彼は理解出来なかった。
「やれやれ、またかい?」
「前も話したじゃないか。僕達に君達のような感情はないって」
しかし、タツヤの気持ちとは裏腹に珍獣は憎たらしく溜息を付く。
いつだったかの夜と同じように、タツヤに言い切った。
自分達は感情など持たない、だから何も感じない…何も思わない。
そう、はっきりと―――
「そんな調子で、もし魔法少女が死にでもしたらどうするつもりだ」
「その時は、また新しい魔法少女にお願いするだけだよ」
タツヤの問いかけに対して、何の躊躇もなく即答する珍獣。
「本当に…そんな考え方しか出来ないんだな、お前」
「だって、そうじゃないか」
「この世界に、どれくらいの魔法少女がいると思ってるんだい?」
「今更、1人や2人死んだところで僕達に大した影響はないよ」
魔法少女の代わりなんていくらでもいる、だから悲しむ必要なんてない。
彼女達は消耗品、学校で使う鉛筆や消しゴムと同じ。
悪びれる様子を一切見せることなく、それが当然であるかのように珍獣は語る。
いや、彼らインキュベーターにとって、それが普通なのだろう。
人間には人間の常識があるように、彼らにも彼らの常識があるということだ。
「…ちっ」
それが、人間にとって…どんなに非常識なものだったとしても―――
「まあ、でも…」
「今、見滝原や風見野で魔法少女が不足しているのも事実だ」
タツヤの様子を気にすることもなく、珍獣は話を続ける。
現時点での見滝原周辺の魔法少女事情について、徐に語り始めた。
「何故だか新しい子が中々見つからなくてね」
それは、以前織莉子にも話していたこと。
普通だったら、1年に最低1人は魔法少女としての素質を持つ少女に出会うのだと珍獣は話す。
しかし、ここ数年の間…見滝原と風見野には、そういった素質持ちの少女が1人も現れていない。
だから、必然的にこの周辺には魔法少女がほむら、ゆま、そして既に役割を放棄している織莉子しかいないという事になる。
今までこんな事は起きたことがないと、キュゥべえも首を傾げた。
―――この現象の原因が、後の物語に大きく関わってくることを…この時点のタツヤ達は、まだ知らない
「そういう点で言えば、ほむら達に死なれるのはちょっと困るかな」
付近に魔法少女がいない以上、魔獣退治はほむら達に頼らざるを得ない。
彼女達にもしものことがあった場合、他の魔法少女を呼ぶには時間が掛かるだろう。
その間、この見滝原は魔獣達によって荒れ放題にされてしまう。
インキュベーターとしても、その事態はなるべく避けたかった。
あまりに魔獣に好き勝手されても、エネルギー回収に支障をきたしてしまうからだ。
そう、あくまでも自分達の目的のため。
人間達が苦しむという事など、この珍獣にはどうでもいい事なのだ。
「…お前」
「それに、ほむらは生きてるんだよ?」
「!!!」
タツヤが何かを言い掛けようとした時、珍獣はほむらについて言及する。
その瞬間…タツヤは凍り付いてしまったかのように、その場で固まってしまった。
そう、ほむらは生きている。
ゆまによってバラバラになったその身体を再生してもらうことで、生き延びた。
普通では…ありえない話なのかも知れない。
しかし、魔法少女にとって…それがありえてしまうのだ。
なぜなら、彼女達の本体は―――
―――ソウルジェム、なのだから
「だから、何の問題もないじゃないか」
魔法少女にとって、己の肉体は外付けのハードディスクに過ぎない。
肉体を粉々に砕かれようが、隅々まで焼き尽くされようが、ソウルジェムという宝石さえ無事なら生き延びることが出来る。
それが、魔法少女の最後の秘密であった。
「違う…そういう事じゃない…!!!」
だが、その事実はタツヤにとって目を背けたいものでしかない。
未だにタツヤは、あの日の出来事を信じきれずにいた。
どんなに、あれが現実なのだと自分に言い聞かせても…本能が受け入れる事を拒絶する。
今でも、珍獣のその言葉を受け止めきれず、必死に否定している。
生きているのだから何だって良いという問題ではない、と彼は訴え続けた。
「何が違うんだい?ちゃんと説明しておくれよ」
しかし、尚も珍獣はタツヤを追い詰める。
どういう問題なのかと、次々と疑問を投げかけては…その説明を要求してきた。
事実と結果だけで物事を判断しているこの生き物にとって、タツヤの反応は奇妙で仕方がなかったのである。
「お前はあの人達をあんな身体にしておいて、よくもそんな…」
全ての元凶は、この珍獣にある。
そう考えていたタツヤは、改めてこの珍獣に嫌悪感を抱く。
この生き物さえいなければ、彼女達があんな目に遭うことはなかったのではと彼は思った。
しかし―――その場合、人間は洞穴生活を余儀なくされる事になるのだが…
「それは、彼女達が望んだことだよ」
珍獣は言う。
全ては、彼女達自身が決めた事なのだと―――
「たった1つの願いのために…ってか?」
「そうさ」
命を駆けてでも叶えたい願いがあったから、自分は魔法少女になった。
彼女達が口を揃えて言う台詞だ。
最初はそんな願い本当にあるのかと疑っていたタツヤも、
彼女達の事を知っていくにつれて、少しずつその考えを理解出来るようになっていた。
「だとしても、割に合わなさ過ぎだろ!!」
だが、だからと言って…魔法少女システムについてまで理解を示すことは出来なかった。
魔法少女として、命がけで魔獣と戦わねばいけない上に…ソウルジェムの濁り次第でも死ぬ恐れがある。
そして、例えその濁り浄化し続けたとしても、
徐々にそれは出来なくなり、人間の寿命の4分の1にも満たない短さで、彼女達はこの世界から消滅してしまうという。
万が一生き残ったとしても、その身体は…いくらでも代用が効くような代物で…
彼女達が普通では到底起きる筈の無い『奇跡』を望んだのだとしても、その代償は…あまりにも大きすぎる。
そう、彼は思わずにはいられなかった。
「そうかい?僕としては好条件だと思うけどなぁ」
「魔法は使えるし、あの身体だって普通の人間より遥かに優れているよ」
それでも、この珍獣にタツヤの悲痛な想いが届く事はない。
魔法少女としての肉体は、彼女達にとって有利な点が多いと、あくまでも自分達との契約を正当化しようとする。
確かに、こうしてメリットだけをつらつらと並べれば、年頃の女の子にとって魅力的な話なのだろう。
でも、それは結局のところ…表向きの話でしかないのだ。
実際に魔法少女になってから感じる苦しみや悲しみは、計り知れないものがある。
それは、ほむら達を見ていれば一目瞭然であった。
「お前はそうやって、口で上手いこと言ってあの人達を騙すような真似を…」
タツヤは珍獣に疑いの視線を向ける。
コイツは魔法少女になる事を頼む上で、本当に真実を話しているのかと
今のように、メリットだけを強調してデメリットを上手く隠しているのではないかと…
勿論、ほむら達がこの生き物に騙されたとは思っていない。
しかし、他の少女達に対して…そのような行為を働いているのではと疑問を抱き始めていた。
「騙す…か」
「その行為自体、僕達には理解できないよ」
珍獣はタツヤの疑問に対して、首を傾げる。
またしても、何を言っているのか分からないというような素振りを見せながら
「人間はいつもそうだ。認識の相違から生じた判断ミスを後悔する時、いつも他者を憎悪する」
自分達はそんな事をした覚えはない。
そもそも、人間を騙して自分達に何のメリットがあるのか。
あくまでも…決めたのは彼女達、自分達の言葉をどう理解したかなんて、彼女達の自己責任である。
そう、珍獣は遠まわしに話した。
「そうやって、難しい言葉ばかり並べて…」
しかし、まだ中学に入ったばかりのタツヤにとって、その意図を汲み取るのは難しい。
ただ1つ分かることは、この珍獣は自分達が悪いなんて一切思っていないということだけだ。
その事が、タツヤは尚一層腹立たしかった
「理解できないかい?」
「僕としては君の価値基準の方が理解出来ないけどなぁ」
いくらタツヤがそういった態度を見せようと、珍獣の涼しい表情は変わらない。
むしろ、彼の言っている事の方が理解出来ない…そういう態度であった。
「前に言っただろ…」
「お前に、人の気持ちが分かるもんか…」
心の底から搾り出すように、その台詞を吐くタツヤ。
感情は、人を形成していく上で無くてはならないものだ。
もし、人間がこの珍獣のように感情を、心を失ってしまえば…
それは、最早人間ではない。
例え苦しみや悲しみといった負の感情を感じずに済むことになろうとも
「そうかい」
「でも、これだけは言えるよ」
タツヤの必死の言葉を、軽く受け流す。
そして、珍獣はゆっくりと語り始めた。
「彼女達が不幸だと思うなら、それはお門違いだ」
「彼女達は願いを叶えた、普通じゃ到底叶わないような『奇跡』を起こしたんだ」
「だとしたら、それ相応の歪みが生じるのは道理だよ」
「この世界はね、君達の言う『希望』というものばかりを生むようにできてはいないんだ」
「『希望』とやらを生めば、それだけ『絶望』というものも生まれる」
「そうやってバランスを保ってるんだよ、この世界はね」
彼女達に待ち受ける悲劇の運命、それは全て…当然の報いなのだと。
“希望”ばかりが広がってしまえば、世界の秩序は乱れ崩壊する。
そうならないように…世界を守るために、同じ分だけ“絶望”は生まれている。
ならば、世界の理を覆すような奇跡を起こした魔法少女が、その世界によって粛清されるのは仕方が無いことだ。
それもまた、魔法少女の使命なのだから―――
使命…それは世界を守る事、すなわち宇宙全体のエネルギー問題を解決することだ。
そういう存在である筈の彼女達が、世界を壊してはいけない。
当たり前の事ではないか、とインキュベーターは話す。
この生き物にとって、人間1人の命など思考するに値しないのだ。
「もっとも、最期が『絶望』で終わらない分だけ、魔法少女(彼女)達は幸福なのかもしれないけどね」
魔法少女は、その魂が穢れという名の“絶望”に侵される前に導かれる。
彼女達の天国である―――円環の理という場所に
その場所がどんな所なのかは、誰も分からない。
そもそも本当にあるのかさえも疑問に残る。
だがしかし、そういう神話があることで彼女達が“彼女達のまま”死ぬことが出来るのは…
キュゥべえの言うとおり、幸せなことなのかもしれない。
「…五月蝿い」
それでもタツヤは、魔法少女の事を受け止めることができなかった。
魔法少女になったせいで…彼女達の“運命”が変わってしまったのも、また事実。
結局は、自分達が願った筈の奇跡に裏切られてしまうのだと彼は強く感じていた。
「そうやって、奇跡を願った代償を否定…裏切りだというのなら」
「君に、願い事をする資格なんてないよ」
「鹿目タツヤ」
事実を認めようとしないタツヤを否定するように、珍獣が巻くし立てる。
「五月蝿い…五月蝿い五月蝿い五月蝿い五月蝿い!!!!!」
全ての事から目を背けるように、タツヤはその場で大声を挙げる。
分かっている。
そんな事をしても、何の意味もないことを…
受け入れなければいけない、現実を見つめなければならない。
あの時、橋の上で彼は決意したのだ。自分が彼女達にできる事を見つけよう…と。
その気持ちは、今でも変わらない。
だが、それでも…彼が魔法少女の全てを受け入れるには、もう少し時間が掛かりそうであった。
「あんなの、あんな身体…」
「ただの、化物じゃないか…」
タツヤが一番気にしていたのは…やはり、彼女達の肉体についてだった。
いくら傷付こうが壊れようが、生死に影響がない身体、代用の効く身体。
実際にその光景を目の当たりにしたタツヤは、その時思ってしまったのだ。
ほむらが自分で言った事を、必死に否定していたにも関わらず
彼女達は、自分達の知っている“人間”ではない…と。
そしてその後、タツヤは助けてくれたほむらに対して―――
「化物、か…」
「僕から見れば、化物は君の方だ」
「あ?」
タツヤが思いつめるように訴えた時、キュゥべえは突然そんな事を言い始める。
しかし、珍獣の言っている事が彼には全く理解出来なかった。
「覚えてないなら、教えてあげるよ」
戸惑うタツヤを他所に、キュゥべえは更に話を続ける。
「あの魔獣にあれほどのダメージを与えて」
「あの瘴気の中に、歪みを生じさせた張本人を」
それは、一昨日の魔獣退治での出来事―――
タツヤ自身が、未だに思い出せないでいる空白の時間についてだった。
ほむらに止められていたが、そんな事を気にする様子もなく…インキュベーターは彼に真実を告げる。
「え、お前…何言って…」
「それは君だよ、タツヤ」
「!!!」
あの時、ほむらが苦戦していた深化魔獣を相手に圧倒的な力を見せつけ、
瘴気を切り裂き、元の世界と繋がる歪みを生じさせたのは
紛れもなく、タツヤ自身なのだと―――
「…は?」
「嘘だと思うかい?でも、事実だ」
「あの状況を作り出したのは、他でもなく君なんだよ」
タツヤには、その時の自分が何をしていたのか…全く記憶がない。
しかし、彼自身にとって空白となっているその時間に、彼はほむら達を救った。
彼がいなければ、今頃ほむらは本当に死んでいたかもしれない。
タツヤはほむらの事を命の恩人だと思っているが、その時に関しては…ほむらにとっては彼が命の恩人だった。
もっとも、そんな事タツヤが知る由もなければ、この珍獣も話そうとはしなかったが。
「…嘘」
「あの時の君の力は、僕達の常識を遥かに凌駕していたよ」
何かがプツリと切れたかのように、ただひたすらに魔獣を斬りつけるその姿は、本当に別人のようであった。
それこそ、今の彼に当時の記憶がない事が納得出来てしまう程に…
キュゥべえと契約していない、ソウルジェムを持たない
そんな身体の何処に、あんな力を隠し持っていたのかと珍獣は未だ疑問に思っていた。
「…」
「だから、そうだね」
動揺しているタツヤを見ながら、珍獣は静かに告げる。
「ほむらをあんな目に合わせたのは…」
「君自身、なのかもしれないね」
「な…!!」
ほむらが自らの身体を犠牲にするそもそもの原因作ったのは、タツヤなのだと。
タツヤが空間を切り裂き、見滝原と空間を繋げてしまわなければ、そんな事する必要はなかった。
結界を張って自分達だけを守っていれば良かったのだ。
確かに、事実だけを考察して結論を述べればそうなのかもしれない。
それは、結果論に過ぎないのかもしれない。
しかし、その言葉はタツヤにとって…あまりに残酷な言葉であった。
「俺の…せい…」
ほむらの身体がバラバラになった原因が自分にあると言われ、顔を青ざめさせる。
記憶のないタツヤにとって、それが本当のことなのかなんて正直分からない。
珍キュゥべえが自分を追い詰めるために、デタラメを言っている可能性もある。
でも、だからといって反論できるほど…今の彼は冷静ではいられなかった。
『…大丈夫?』スゥ…
『ひっ!!』パシッ
『っ!!』
「っ!!」
タツヤの脳内に、一昨日の光景が蘇る。
それは、自分が恩人であるほむらにしてしまった…最低最悪の行為。
自分の弱さが垣間見え、彼女達を自らの心が拒絶した瞬間だった。
あの時のほむらの表情が、いつまでもタツヤの心に残っている。
「…畜生」ギリッ
自分の心の弱さを痛感して、タツヤは歯を食いしばりながら言葉を漏らす。
悔やんでも悔やみきれない。
時間でも戻さない限り、取り消すことの出来ない自分の行動。
タツヤは、後悔し続けることしか出来なかった。
そして、彼は出口の見えない迷路で尚も迷い続けている。
この迷路を抜け出すために、自分が何をすればいいのか…全く分からなかった。
――――――――――――――――――――――――――――――
深化魔獣との戦いから、数日が経ったある日の夕方
「…」
ほむらは1人、見滝原にある公園のベンチに腰を下ろしていた。
周りには彼女以外の人はおらず、殺伐としている。
お昼頃は子供達が遊んでいたのだが、時間が時間なだけに既に帰ってしまったようだ。
「はあ…」
ベンチに座ったまま、深い溜息を付く。
とくに何かをするでもなく、ただボーっとほむらは考え事をしていた。
今日は平日だ。本来なら彼女も仕事の筈である。
しかし、彼女は今日1日の大半を外でブラブラして過ごしていた。
仕事をサボったわけではない、休んだ…というのも少し違う。
なぜこんな事になっているのか、その原因は少し前の時間に遡る。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
―――レパ マチュカ
パリンッ
「あ…」
お客さんがそこそこ入っている昼の店内で、皿が割れる音が響く。
周囲の視線が一気に注がれる中、皿を落としてしまったほむらは、慌てて散らばった欠片を片付け始める。
怪我をするのもいとわず、素手で欠片を拾い続けた。
「ほむらちゃん大丈夫?」
「あ…はい、すみません」
そんなほむらを見て、箒とちりとりを持って駆け寄ってくる美佐子。
尚も続けようとする彼女を手で制し、箒で欠片を回収する。
店内にいるお客さんに謝罪しながら、美佐子は割れた皿を手際よく片付けていった。
その姿を、ほむらは傍でただボーっと眺めている。
「…最近どうしたの?何だか様子が変よ」
「いえ…」
あの魔獣との一件以来、仕事場でのほむらの様子は…ずっとこの調子であった。
皿は割り、客の注文は間違え、後片付けは中途半端、皿洗いでは洗剤を付け忘れる…
何をやるにしても、普段の彼女とは思えないようなミスを繰り返していた。
ほむらの様子を見てみると、どこか気が抜けているというか、身体に力が入ってないというか
魂が抜けてしまっているような、そんな印象を受ける。
その姿は、何かを思い悩んでいるようにも見えた。
「…何か、あったの?」
美佐子はキッチンに戻りながら、ほむらに心配そうに声を掛ける。
ほむらの姿を見て、彼女はなんとなく感付いていたのだ。
また、ほむらが辛い思いをしてしまったのではないかと―――
立花美佐子は、ほむらが魔法の力を持つと知っている数少ない人間の1人だ。
マミ達とも面識がある為、ほむらがこれまで経験してきた事も知っている。
こんな状態の彼女を見れば、何かあったのではと心配するのは当然の事であった。
「…」スタスタ
しかし、肝心のほむらは俯いたまま何も話そうとはしない。
彼女から逃げるように、キッチンに向かう足を速める。
美佐子の読みは、概ね正しい。
ほむらもまたタツヤと同じく、先日の事を引きずっていたのだ。
深化魔獣との戦いで起きた、あの出来事を…
「ほむら」
「!?」
「立花、さん」
ほむらがキッチンに戻ると、この店の店長兼シェフである立花宗一郎が立っていた。
彼は腕を組み、険しい表情をしながら彼女を見下ろしている。
物静かで感情をあまり外に出さない宗一郎のそんな姿を見て、ほむらは身体をビクつかせる。
思わず、彼の目の前でその足を止めてしまう程に…。
ほむらが立ち止まると、宗一郎は一つ溜息を付いて組んでいた腕を解く。
そして、彼女に向けて強い口調で言った。
「今日はもう帰れ」
「え…」
それは、ほむらにとって一種の通告。
宗一郎の一言にほむらは驚き、言葉を失ってしまう。
ただでさえ元気の無い彼女なのに、その表情からますます生気が失われていくように見えた。
「いや、でも」
「これ以上お前がいても、仕事が増えるだけだ」
「あ…」
食い下がろうとする彼女を説き伏せるように、言葉を続ける宗一郎。
これ以上いても邪魔になるだけ、彼はそう言ったのだ。
その一言を聞いたほむらは、何も言えなくなってしまう。
確かに最近の彼女のミスを見ると、そう言われても仕方ないのかもしれない。
しかし、こうもはっきり言われてしまうと…肩を落とさずにはいられなかった。
いや、彼女だからこそ落ち込まずにはいられなかった。
暁美ほむらという魔法少女は、元々は気の弱い病弱な女の子だったのだから―――
「ちょっと、あなた…!!」
「…」
ほむらが目に見えて気を落としている姿を見て、妻である美佐子が宗一郎に詰め寄る。
もっと他に言い方があるだろうと、彼女は夫である宗一郎に捲くし立てた。
「何があったかは、俺には分からない」
しかし、宗一郎はそんな妻の事を気にすることなく話を続ける。
宗一郎もまた、ほむらの秘密を知っている人物の1人だ。
彼女の過去の事だって、当然理解している。
今回も、彼女の様子がおかしい事くらい直ぐに気付いていた。
でも、だからと言ってその事と仕事は別の話だと宗一郎は言う。
「お前にも、きっと色々あるんだろ」
「でも、それはあくまでお前自身の問題だ」
「他の人を巻き込んじゃいけない」
「…はい」
個人的な感情で、仕事に支障をきたしてはいけない。
一見すると、当たり前の事を言っているように聞こえる。
しかし、魔法少女絡みの事をそんな問題で済ましていいのかという意見があるのも、また事実だ。
だが、宗一郎はこれをあえて彼女のプライベートな問題として扱っている。
特別な力を持ち、特別な使命を課せられているからと言って、特別扱いはしない。
彼はあくまでも、ほむらを店員として…1人の“人間”として扱っているのだから。
「辛いか?」
「…」
それでも、やはり宗一郎自身もほむらの事が気になっていた。
自分の目の前で肩を落としている彼女を気遣うように、そっと声をかける。
ほむらは先程同様、俯いたまま何も喋らない。
「…世の中ってのはそういうものだ」
「自分の気持ちなんて、誰も分かってくれない」
「…」
何かを思い出すかのように、キッチンの天井を見上げながら呟く。
また、美佐子も彼の言葉を聞き、静かに口を閉じる。
この2人にも、過去には色々ある。
ここまで順風満帆に来たわけではない。
宗一郎のこの言葉は、自分達の体験に基付いたものであった。
「…まあでも」
「そんな世の中でも、1人2人はいるもんだ」
「自分の事を、理解してくれる人ってのが」
「…」
『自分』を理解してくれる、『自分』という人間を受け入れてくれる人物。
理不尽な世界だからこそ、共に同じ道を歩んでくれる存在が必要なのだと、
そして、そのような存在は…必ずいるのだとも、彼は語る。
恐らく、この話も実体験によるもの。
彼にとって、それは美佐子の事を指すのか、はたまた全く別の人物を指すのかは分からない。
それでも、彼の言葉には不思議と説得力があった。
「お前にとって、それが誰かなんて分からんが…」
「それでも、何か相談したいことがあったら…いつでも来い」
「店員としてじゃなくて、1人の客として…な」
先程の険しい顔つきから、いつもの無表情に戻る。
だが、その淡々とした口調から発せられる言葉には、彼なりの優しさが含まれていた。
「俺は、俺なりにお前の事を理解してるつもりだ」
「立花さん…」
「勿論、その時はうちの売上に貢献してもらうけどな」
口角を少しだけ上げて、小さな笑顔を作る宗一郎。
気恥ずかしかったのか、言い終わった後に少しだけおどけてみせる。
彼とほむらが出会ってから、もう随分と時が経つ。
ある意味、彼女のことを一番よく理解しているのは…彼なのかもしれない。
ほむらにとっても美佐子や宗一郎という存在は、精神的な支柱であった。
そう、彼女が“両親”と疎遠になっている今は尚更―――
「…ありがとうございます」
「お前は、色々と難しい事を頭に詰め込みすぎだ」
「少しゆっくりして、そいつら全部整理してくるといい」
今のほむらの状態を冷静に分析し、人生の先輩としてアドバイスを送る。
彼女の性格や行動、考えている事が彼には全て見抜かれているようであった。
あの時、ほむらがこういった人物と出会っていたのなら…
“あの結末”は、変えられたのだろうか。
それとも、
例えどんな人物と出会おうとも、彼女の歩む道は…変わらなかったのだろうか。
答えは、誰にも分からない。
「それまでは、有休だ」
「…分かりました」
ほむらは、宗一郎の言葉を深く受け止め…小さく会釈する。
ただの休みではなく、有休にしてくれる辺りが彼なりの配慮なのだろう。
働かない者に給料を払える程、この店の売上げはよくないのだから。
「美佐子さん、すいませんが後お願いします」
「ええ、任せて」
ほむらは、エプロンに手を掛けながら美佐子に残りの仕事をお願いする。
肩を落とし落ち込んでいた彼女だが、宗一郎の話を聞いて…少しだけ元気を取り戻したように見えた。
しかし、それでもほむらの心が完全に晴れたわけではない。
あの時の…あの少年の表情が、脳内に焼きついて離れないでいたのだから―――
「ほむらちゃんが戻ってくるまで、接客とかは私がやるわ!!」
「売上げが落ちるなぁ」
「何 か 言 っ た ?」
「いえ、何も…」
「…」
立花夫婦のやりとりを黙って見ながら、ほむらは静かに帰る支度を始める。
近すぎず遠すぎず、そんな距離感を保ちながら―――
まるで、その距離はほむらが望む…この夫婦と“心の距離”であるかのように―――
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「…何やってるのかしら、私」
時は再び現在に戻り、ほむらのいる公園へと場面が変わる。
気持ちに整理が付くまで仕事には来るなと言われ、彼女は途方に暮れていたのだ。
どうしたらいいのかも分からず、ただ町をブラブラして過ごす。
ほむらは、そんな1日を送っていた。
「ほんと、駄目ね」
「…はあ」
公園のベンチで再度深い溜息を付く。
勿論、1人の客として立花夫婦の店に行くという手もある。あの2人なら、喜んで受け入れてくれるだろう。
しかし、本当にそれでいいのかと思う自分が彼女の中に居た。
それに、あの2人に何と相談すればいいのかも分からない。
どうしてこんな状態になっているのか、彼女自身もあまり理解出来ていない。
原因だけは分かるのだが…それでも、どうすることも出来ず途方に暮れるしかなかった。
「あらあら、随分と深い溜息ね」
「!!!」
そんな時、聞き覚えのある声が近くから聞こえてくる。
突然の事に驚き、ほむらは声が聞こえた方向へと視線を向ける。
しかし、その声の主に…彼女は正直会いたくはなかった。
「オバさんくさいわよ?」
「身体は子供のままなのに」
彼女の視線の先には、爽やかな白色の私服に身を包み、両手でバスケットを持つ
美国織莉子の姿があった。
「あなた…!!」ギリッ
「ごきげんよう、偶然ね」
織莉子と顔を合わせた瞬間、ほむらは先程までのふ抜けた表情を一変させる。
彼女に向けて敵意を剥き出しにし、親の敵でも見るかのような目で睨み付けた。
しかし織莉子はというと、そんな彼女など意にも介さず、優雅に振舞う。
その行動が、ますますほむらを苛立たせた。
「何が偶然よ」
白々しい事を言うなと、ほむらは思う。彼女…美国織莉子は、未来予知が使えるのだ。
そんな彼女が、自分の居る公園にたまたま訪れる事など…ありはしない。
大方…自分が此処にいることを、知った上でやって来たのだろう…と。
「偶然よ」
「たまたま散歩に行きたくなって」
「たまたま公園に寄ったら」
「たまたま貴方に会ったの」
だが、織莉子はあくまでも偶然なのだと言い張る。
わざわざ『たまたま』という言葉を乱用し、ほむらにワザとらしくアピールし続けた。
「だったら、今すぐ此処から出て行きなさい」
「あら、初耳だわ」
「この公園は公営の施設なのに、訪れるには貴方の許可がいるのね?」
「~~っ!!!」
感情に任せて捲くし立ててくるほむらを、冷静な対応で受け流していく織莉子。
そんな彼女の対応に、ほむらはどんどん機嫌を悪くさせていく。
ほむらがいっぱいいっぱいなのに対して、織莉子にはまだまだ余裕が見える。
どうやら、口上での戦いなら織莉子の方が一枚も二枚も上手のようだった。
「勝手にしなさい!!!」プイッ
「ええ、勝手にさせてもらうわ」
ほむらは投げやりにそう言い捨て、そっぽを向いてしまう。
しかし、織莉子が彼女を気にかける事は無い。
彼女はほむらの座っているベンチの近くにシートを敷き、そこに腰を下ろした。
そして、バスケットから水筒を取り出し…コップに紅茶を注いで、ゆっくりとそれを飲み始めた。
「・・・」イライラ
そんな織莉子の姿を横目で見ながら、目に見えてイラつき始めるほむら。
この場から立ち去れば済む話なのだが、自分が彼女に負けたようで…それも、なんとなく気に入らない。
結局、その場に居座ることしかできず…ベンチで落ち着かない仕草を見せる。
腕と足を組み、あからさまに苛立っているようであった。
「ん~…」
「…甘すぎたかしら?」
だが、そんな事は気にもせず…織莉子はマイペースに紅茶を嗜む。
砂糖やミルクを入れすぎたのか、舌をペロっと出し表情を少しだけ歪めた。
「…」イライラ
「貴方も飲む?」
「いらないわよっ!!」
横目で見てくるほむらに、彼女は紅茶の入ったコップを差し出す織莉子。
しかし、ほむらは普段は出さないような大声でそれを拒絶する。
完全に、織莉子の行動は彼女の苛立ちを逆撫でしていた。
「あら、そう」ズー
「…」イライライラ
ワザとやっているのか、それとも本当に分かっていないのか
どちらにせよ、ほむらにとってタチの悪い事に変わりはない。
一体何をしにきたのだと、彼女は思わず頭を抱えたくなる。
冷やかしにきたのか・・・それとも、まさか本当に偶然なのか・・・。
「随分、無茶なことしたわね」
「っ!!」
そう思い始めた時、織莉子が彼女に向けて静かに口を開く。
無茶をした。
それが何を指しているのか、ほむらは直ぐに理解した。
それは、前日の深化魔獣との戦いでの自分の行動。
自らの身体を犠牲にして…タツヤ達と見滝原を守った時のことだ。
「あの子に、自分達の世界の厳しさを教える為だったんでしょうけど…」ハァ
あの場に織莉子は居なかったが、瘴気内で起きた出来事を概ね把握している。
未来予知を使って、一部を除いた未来を見ていたのは勿論…
その他にも、織莉子はその場に居合わせたゆまから話を聞いていた。
彼女は、知っているのだ。
ほむらが取った行動も、その後タツヤにどんな反応をされたのかも…
「それにしたって、もっと賢いやり方があったでしょうに」
「そういうところで要領悪いわよね、貴方って」
溜息交じりに、織莉子が話す。
あの場面…経験豊富なほむらなら、もっと別に良い方法があったのではと。
彼女の話にも一理ある。
わざわざタツヤを怖がらせるような真似をせずとも、真実を伝えることくらい彼女になら出来たのかもしれない。
「…そんな事を言いにわざわざ来たの」
「だから、さっきから偶然だって言ってるじゃない」
「…ふん」
未だにとぼけようとする織莉子に、ほむらは呆れて何も言わなくなる。
無視を決め込もうと、彼女から身体ごと視線を逸らした。
織莉子の言葉が理解できないわけではない。
自分でもあの選択は間違っていたのではないかと思う時が、ほむらにもあった。
後から色々考えると、どうしても思考がネガティブになりがちになる。
「傷付けるような事をしておいて、自分が傷ついてたら世話ないわね」
「…五月蝿いわよ」
その事を織莉子に見透かされているようで面白くないと、ほむらの機嫌はますます悪くなっていく。
それにあの時、彼女自身タツヤの能力の事もあって、冷静でいられなかったのも事実なのだ。
その事を織莉子は知っているのか…いないのか
どちらにせよ、現場に居なかった人物にとやかく言われる筋合いはないと彼女は思った。
「自分勝手に使命を放棄したあなたに言われたくないわ」
また、彼女は既に自分達の…魔法少女の世界から退いているのだ。
そんな人物に何を言われようと、ただただ不快なだけである。
皮肉たっぷりな言い方で、ほむらは言い返す。
「あらあら、手厳しいわね」
「でも、こういう普通の生活も悪くないわよ」
ほむらの皮肉に織莉子は怯むことなく、むしろ笑い飛ばすくらいの余裕を見せる。
魔法少女を引退して以来、彼女はごくごく普通の生活を送っている。
詢子の会社で働いているのは勿論、
それ以前だって、普通に大学に通い、資格や免許を取得し、一般人と何ら変わらない日常を過ごしてきた。
唯一違うとすれば、ソウルジェムの浄化が必要という部分だけ。
こればっかりは、ゆまの好意に甘える事しか出来ない。
もっとも、そのお返しとしてゆまの学費諸々は彼女が自分の給料で払っている。
そういった面では、2人は良い共生関係にあると言っていいだろう。
今の織莉子は世間一般の…普通の女性と同じ生活を送っていたのだ。
「何が普通の生活よ」
「ただ人間のフリをしてるだけでしょ」
だが、ほむらにとってみれば…彼女のそんな生活も気に入らなかった。
どんなに使命から目を背けて、一般人と同じ事をしたとしても…それは、結局逃げでしかない。
自分達がインキュベーターと契約した存在であることに、変わりはないのだから。
それなのに普通の生活なんて、送れる筈がない。
今の織莉子は、ただ人間の真似をしているだけ。自分の運命に…無意味に抗っているだけ。
全てが無意味なのに…往生際が悪い、見苦しいとほむらは容赦なく織莉子の行動を切り捨てる。
「人間のフリ、ね…」
「まるで、自分が人間じゃないかのように言うのね」
「…」
それでも、織莉子は顔色1つ変えることはない。
ただ、ほむらに向けてだけは少しだけ寂しそうな表情を見せていた。
自分に罵声を浴びせるほむらを哀れんでいるかのように、その視線を彼女に向ける。
自分達は人間ではない。
それは、ほむらがあの時タツヤに言った一言。
かつての世界で、少女達は言った―――
自分達はゾンビのような存在にさせられたのだと
自分達は、もう既に死んでいるのだと
そんな状態を、人間と呼ぶことはできない…と
世界が改変された今でも、魔法少女の身体の秘密は殆ど変わってはいない。
ただ、彼女達の終焉が…少しだけ救われただけ…
ほむらは、その事実にもがき…苦しみ続けていた。
『魔女』が生まれないだけで、後は何も変わっていないという…“最愛の友人”が作り出した世界の中で…
だから、自分が『人間』ではなく『魔法少女』なのだと、言い聞かせるしかなかった。
そして…受け入れるしかなかった。
そうしないと―――を、―――して…全てを―――してしまいそうだったから
「私は、自分の事を人間だって思ってるわ」
「…」
しかし、そんなほむらに織莉子が言う。
「私だけじゃない」
「ゆまだって、そうであって欲しい」
自分は…自分達は、人間であるのだと―――
何の躊躇もなく、胸を張ってはっきりと主張するように、宣言した。
「普通に学校に行って、普通に就職して」
「普通に友達と遊んで、普通に恋をして、普通に結婚して…」
織莉子が話すのは、誰もが1度は思い浮かべる…人としての平凡な日常。
しかし、それは魔法少女達にとって…あまりに非現実な日常だ。
学校までなら、まだなんとかなる。しかし、就職となると話は別だ。
魔獣退治の事を考えれば、働くとしてもその選択肢はかなり限られてしまう。
そもそも、就職する年代まで生きていられる事さえ珍しいのだから、
友達付き合いなども、魔獣退治を最優先にしなければならないため、やはり限界がある。
それなのに、恋人なんて作れるわけがない。
無理な点を挙げればキリがない程、織莉子の発言は彼女達にとって現実味のない話だった。
「あの子には、魔法少女である前に」
「1人の女の子として、幸せになって欲しい」
しかし…例えそうだとしても、ゆまには『魔法少女』としてだけではなく、『人間』としても生きて欲しい。
そして、人としての幸せを、掴んで欲しい…と、
強い意志をその瞳に宿しながら、彼女は話を続けた。
「…そんなの、ただの幻想に過ぎないわ」
ほむらは、そんな彼女に圧倒されつつも反論を繰り返す。
織莉子が言っている事は、所詮妄言に過ぎない。
現実が見えていない人物の夢幻でしかないのだと。
どんなに理想を掲げたとしても、自分達の『運命』には逆らうことが出来ない。
それは、今まで様々な魔法少女達の未来を見てきた織莉子が、一番分かっている筈だった。
「…そうかもしれないわね」
ほむらの言葉に、小さく頷く。
だが、だからといって彼女の瞳に宿るものが消えたわけではない。
「でも…」
「夢は、願わないと…叶わない」
「…」
例え幻想だったとしても、抱かなければ…叶う夢も叶わない。
それに、夢を追いかけ続けていれば―――
ひょっとしたら、『円環の女神』様が自分達の願いを叶えてくれるかもしれない。
そんな夢を、彼女は抱いていた。
確かに、考えが甘すぎるのかもしれない、
だけど、織莉子はこんな世界だからこそ、夢を無くしてはならないとも思う。
真に信じるものにしか―――“本当の奇跡”は、起きないのだから
「幻想の1つや2つ抱いてもいいじゃない」
「夢と希望の魔法少女なのよ、私達」
夢のような存在である自分達が、夢を否定してどうするのだと彼女は笑顔で言う。
例え、現実の魔法少女が悲惨なものだったとしても、“心”だけは絶対に負けてはいけない。
それは…“心”が負けてしまった彼女だからこそ、言える台詞なのかもしれない。
「年齢を考えなさいよ」
「あらブーメラン」
「~~っ!!!」
皮肉を皮肉で返され、ぶつけようのない怒りをあらわにするほむら。
ほむらだって見た目は子供でも、中身は既に成人した大人なのだ。
自分が魔法少女だと、胸を張って言える年齢はとうに超えている。
その事実はほむらが一番分かっている事なだけに、織莉子の言葉が尚更癇に障った。
「私は、もう自分に嘘を付くのは嫌なの」
「自分を偽り続けて、あんな思いをするのは…もうたくさん」
織莉子はかつての自分を思い出しながら、更に話を続ける。
かつての自分…それは、魔法少女として『キリカ』と共に魔獣退治していた、あの頃の姿。
それは彼女にとって、あまりいい思い出ではない。
タツヤが家を訪れた時、彼女は言っていた。
自分とキリカは、“良いコンビ”であったと―――
勿論、それは本当の事だ。
彼女と自分は、良い関係にあったと思う。
だが―――
「…」
「冷酷の微笑みを持つ女王…」
「アイスエイジ」
不意に、ほむらが呟く。
それは、織莉子のかつての“通り名”―――
「…その名前で呼ばれるのも、久しぶりね」
「今聞くと、ちょっと恥かしいわ」
確かに、キリカと織莉子は魔法少女として良いコンビだった。
そう、あくまでも『魔法少女』としては―――
なぜなら、あの頃の織莉子は…今とは比べ物にならないほどに冷酷で残虐だった。
当時織莉子は、自分を見捨てて自殺した父と世間への不信感から…人間不信に陥っていた。
自分を見失い…そして、誰も信じる事が出来なくなった彼女は、いつしかそんな行動をとるようになった。
自分が生き残るためなら、それがどんなに非道な手段だったとしても、あの頃の彼女は躊躇しない。
未来予知という魔法も、自分の為にのみ使用し続けた。
そして、利用できるものは何だって利用する。
例え、それが自分に依存し…崇拝しきった魔法少女…呉キリカ)だったとしても…
あの頃の彼女にとって、呉キリカという魔法少女は『表面上だけのオトモダチ』
所謂、『捨て駒』に過ぎなかった。
何より、その頃の織莉子は…
人形のように美しく、どこまでも冷たく…そして、どこまでも造形的な微笑みを常に浮かべ続けていた。
どんなに残虐非道な手段に手を染めようとも、当時の彼女はその笑顔を絶やさなかった。
本当に、感情を持たない…作られた人形であるかのように―――
見た人全てが…思わず凍えてしまう程の冷酷な微笑みを持つ魔法少女。
そんな彼女は、当時の魔法少女達の間で恐れられ、いつしかこう呼ばれるようになった。
『氷河期』という意味を持つ
“ice age(アイス エイジ)”と―――
「あの頃は、ちょっとカッコいいかなって思ってたけど」
そして、それが間違いだったと彼女自身が気付いた時には…
最早、何もかもが手遅れで―――
「私も大人になったって事かしらね」フフ
「…」
そんな過去があったとは思えないほど、柔らかく人間味のある笑みを浮かべる織莉子。
しかし、その微笑みの裏では…彼女自身も、償いきれないような罪の十字架を背負い続けている。
ゆまを人としての幸せに導く事は、彼女にとってせめてもの罪滅ぼしなのかもしれない。
自分の為に、円環の理へと導かれた “最愛の親友”に向けての―――
「…貴方も、もう少し自分に素直になったら?」
織莉子はほむらに優しく囁くように、再度話しかける。
自分の気持ちに正直になれ、彼女はそう伝えた。
色々な事を我慢して、全て1人で背負い込もうとする彼女を…織莉子は見てはいられなかった。
このままでは…昔の自分のように、手遅れになってしまうのではと思ったから。
「五月蝿いわよ」
だが、ほむらは相変わらず織莉子の言葉に耳を傾けようとしない。
彼女を無視するように、明後日の方向を向いて投げやりな返事を返した。
「ねえ、暁美さん」
それでも、織莉子はほむらに話しかけるのを止めようとはしない。
「貴方は、どうしたかったの?」
「あの子にどうして欲しかったの?」
何となく、分かってしまうのだ。ほむらが、今どんな気持ちでいるのかが…
それは、彼女自身にも見えていない本当の気持ち…“真”の願い―――
ほむら自身にそれを気付かせる為にも…織莉子は話を続けようとする。
「五月蝿いって言ってるでしょ!!」
しかし、次の瞬間ほむらは大声で叫ぶ。
身体を震わせながら、色白な顔を真っ赤にさせて…
織莉子の言葉から…自分の本当の気持ちから、目を背けるように―――
「…」
「…」
静寂に包まれた公園の中で、2人の沈黙が続く。
ほむらと織莉子の間には、何処か物悲しい空気が流れているように見える。
埋めようとしても…絶対に埋まらないような溝が、その間にはあるようで―――
茜色に染まりつつある空と、静かに吹く春のそよ風が…その空気を一層強くしているようであった。
「もう、しょうがないわね…」
「…」
沈黙を破るように、織莉子が口を開く。
溜息を一つ付き、広げていたシートなどを片付け始めた。
「でも、貴方のそういうところって」
「人間そのものよ」
「!!!」
そして、織莉子の不意な一言に、ほむらは思わず身体をビクつかせる。
織莉子は、尚も続ける。
彼女は自分が人間ではないと言うが
自分の気持ちから目を背け、自分自身を守ろうとするその行動こそが…
彼女が人間であるという、唯一無二の証拠なんだと―――
「貴方がどんなに否定しようと、ね」
「私は…!!」
織莉子が決め付けるように語尾を強くすると、ほむらはそれを否定しようと再度大きな声を上げる。
だが、ほむらは上手く言葉が出て来ず、その後黙り込んでしまった。
「そうよね」
しかし、織莉子はほむらの反論を待つことなく更に続ける。
「自分は人間じゃないって思い込んでた方が、気が楽だものね」
「運命に立ち向かおうとするより…ずっと…」
ほむらは…
自分が人間ではない、だから何があってもしょうがない
そう、自分に言い聞かせることで
魔法少女に待ち受ける悲劇の運命を、無条件で受け入れようとしていた。
何時女神様の迎えが来てもいいように、人間としての自分を捨てることで―――
だが、未だに…彼女は人としての自分を捨てきれないでいる。
それが、ある意味彼女の人間としての暖かさ…優しさであり、逆にそれが彼女自身の弱さでもあるのだろう。
その事を、織莉子はなんとなく理解していた。
「…」
彼女に言われたことが余程悔しいのか、ほむらは下唇を噛み締め拳を震わせる。
その場で俯き、黙り込んでしまった。
そして、織莉子に見られないように隠した顔には
今にも泣き出しそうな…そんな表情を浮かべていた。
「…近いうち、またこの近辺に深化魔獣が出るわ」
俯いてしまったほむらをじっと見つめながら、織莉子が再び口を開く。
その内容は今までのものとは違い、
未来予知が使える彼女から、魔法少女『明美ほむら』への情報提供だった。
「氷華の深化魔獣、性質は『孤独』」
彼女が言うには、近日中に再び深化レベルの魔獣がこの見滝原に現れるとの事だ。
深化魔獣は前回の戦いでも、ほむらとゆま2人の力を合わせる事でようやく倒した相手だった。
今回も苦戦する事が、予知を使える織莉子には分かっている。
勿論、戦いの勝敗も分かっているのだが…
その結果をより確実なものとする為にも、事前に準備しておくのに越した事はないだろうと織莉子は考えていた。
「魔力はちゃんと補充しときなさい」
「あれ以降、まともに浄化してないでしょ貴方」
そして何より、あの戦い以降…ほむらは自分のソウルジェムを浄化してはいなかった。
深化魔獣を倒す時や障壁を作り出した時に、相当の魔力を消費したにも関わらず。
グリーフシードが不足しているわけではない、むしろ深化魔獣が落としたものが充分にある筈だ。
しかし、ほむらは自分のソウルジェムを浄化しようとはしなかった。
自らの命に関わる事を疎かにするほど、今の彼女には余裕が無かったのだ。
「…余計なお世話よ」
それでも、織莉子に対してだけは態度を変えようとはしない。
どんなに心配されようとも、彼女への敵意は消えることはなかった。
「はぁ、ホント…心底嫌われてるのね私」
「そんなに酷いことしたかしら?」
織莉子はそんなほむらの態度に首を傾げ、疑問を浮かべる。
確かに、昔は対立していた相手だ。
当時の織莉子によって、ほむらやマミ達が苦労していたのも事実である。
しかし、ほむらに個人的な恨みを売った覚えは、彼女には一切無かった。
「…したわよ」
だが、それはあくまで―――この時間軸での話である
「…私は、あなたを絶対に許さない」
今となっては、ほむらの記憶の中にしか残っていない…別の時間軸。
その中の1つである彼女…美国織莉子と初めて出会った時間軸の事を、ほむらは未だ鮮明に覚えている。
彼女が、魔女に成りかけていた呉キリカを連れて見滝原中学を襲撃した時の事を
そして―――
鹿目まどかを、殺した時の事を―――
「…」
「まあ、今更その辺を深く振り下げる気はないわ」
織莉子自身も、自分がほむらに何かをしてしまったのだと薄々気付いてはいる。
だが、彼女はその事を追及しようとはしない。
例え、それがどんな事だったとしても…織莉子には身に覚えも無ければ、そんな事をした記憶もない。
彼女にとって、それは別の時間軸…別の自分の行動に過ぎないのだ。
「とにかく、そういう事だから」
「…じゃあね」
そう言って、織莉子はほむらに背を向ける。
伝える事は伝えたと言って、彼女はその場を後にした。
偶然訪れたとかそういう話は…最早、どうでもよくなっていた。
「…」
公園に1人残されたほむらは、ベンチの背もたれに寄り掛かり空を眺める。
空の色は綺麗な茜色の筈なのに、彼女の目には…それに靄が掛かっているかのように曇って見える。
彼女にとって目障りな存在が消えても、彼女の心は…やはりと言うべきか、晴れることはなかった。
「自分に素直に…」
「自分の、本当の気持ち」
織莉子の言葉が頭の中で繰り返される。
彼女に痛いところを突かれ、その時は反発したが…その言葉はほむらの中にちゃんと残っていた。
そして、この心の靄を晴らすためには…彼女の問いに対する答えを出さなければいけないと、ほむらは本能で理解する。
「…どうすれば良かったのよ」
しかし、肝心の自分の気持ちが彼女には分からなかった。
自分の本当の気持ちが一体何処にあるのか…悩めば悩むほど、迷宮に迷い込んでいくような錯覚に陥る。
あの時の自分の想いが、嘘だったとは思えない。
だが、そこにもし自分を偽っている部分があったとしたら…
自分は、本当はどうしたかったのだろう
タツヤにどうして欲しかったのだろう―――
「誰か、教えてよ」
誰もいない公園で、空を見上げながら小さく呟く。
当然だが、返事は返ってこない。
結局、ほむらは自分の気持ちに整理を付けられないまま…
茜色の空が綺麗な星空に変わるまで、空を見上げ続けることしか出来なかった。
――――――――――――――――――――――――――――――
見滝原中学―――
「…」スゥ・・
放課後、タツヤは校内にある弓道場に立っていた。
制服ではなく弓胴着に身を包み、その手には身の丈ほどある弓が握られている。
タツヤはその弓をゆっくりと構え、少し離れた先にある的に視線を向けた。
「…」バシュ
ダンッ
「ほー」
タツヤが放った1本の矢は、見事にその的に命中した。
すると、その一部始終を見ていた弓道部の顧問が、思わずうなり声を上げる。
流石に真ん中に命中とまではいかなかったが、それでも新入生の一発目にしては充分過ぎる結果であった。
「鹿目、お前中々センスあるな」
「…そう、ですか」
顧問の先生がタツヤに近付き、声を掛ける。
今日は、新入生が初めて弓に触れられる日だった。
普段彼らは基礎トレーニングをメインに行い、残りの時間を先輩達の練習を見学する時間に当てている。
だが先輩達の練習の合間を縫って、こうして新入生にも弓に触れられる機会があった。
「素人とは思えん、本当に弓は初めてなのか?」
「…ええ、一応」
「長年弓道の顧問をやってるが、お前みたいな新入生は始めてだな」
初めて弓に触った人間は、普通だったら矢を放つどころか、弦を引くことすらままならないという。
しかし、タツヤは特に苦労することもなく弦を引いた上に、矢を的に命中させてしまった。
その光景に、顧問の先輩は驚かずにはいられなかったのだ。
「…」
「後は、まあ…その暗い表情をなんとかしろ」
「見てるこっちまで辛気臭くなる」
タツヤの表情を見て、顧問が溜息交じりに呟く。
それもその筈だ。
彼は先生に褒められているというのに…喜ぶどころか、その表情に暗い影を落としていたのだから。
「…すいません」
今のタツヤは、全く別のことを考えているようであった。
それこそ先生に褒められたことなど、本当にどうでもいいかのように…。
まさに、心ここにあらず…そんな印象を受ける。
「弓道は、運動神経よりも精神面が重要な競技だ」
「心に迷いがあるようでは、いくらセンスが良くても的の心を射ることは出来ないぞ」
顧問の先生は、弓道が何たるかをタツヤに語り始める。
一見すると怒っているようにも見えるが…
これもある意味、タツヤへの期待の現れなのかもしれない。
「…はい」
だが、いくら先生が語りかけようとも…タツヤの表情が変わることはない。
というより、話をまともに聞いているのかさえも怪しかった。
今のタツヤに、弓道の事を考えている余裕など無かった。
―――あの出来事があってから、随分と日が経つ。
彼は未だ、あの日の出来事の事で頭がいっぱいになっていたのであった。
『ほむらをあんな目に合わせたのは…』
『君自身、なのかもしれないね』
更に言えば、先日キュゥべえに言われた言葉が…タツヤを苦しめている
あんな事になった全ての元凶は、自分にあるのかもしれないと…
彼は、自分を責め続けていたのだ―――
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
放課後―――
夕方になり空の色が変わりつつある中、見滝原中学では部活動が終わり下校時間となる。
生徒達は各々準備を済ませ、それぞれの帰路に着く。
校門や通学路には、友達と待ち合わせをする生徒などで賑わっていた。
「ふ~ん、ふ~ん…」
「ふ~ん、ふふふ~ん…」
そんな中、大輔は1人靴に履き替え帰宅の準備を進めていた。
何か良いことでもあったかのように、鼻歌を歌いながら校門へと向かっていく
彼も恐らく部活の帰りなのだろう。
「ふ~ん、ふふ~ん…」
「…帰ったら店の手伝いか」ハァ
機嫌よく鼻歌を歌っていたかと思いきや、今度は突然溜息をつき始める。
大輔の家はラーメン屋を営んでいる。
家に帰ると、彼もまた皿洗いや出前などといった店の手伝いをさせられていた。
学校から帰れる事は嬉しいが、その事を考えると・・・どうしても憂鬱な気分になってしまうのだ。
「…」
「おっ」
家に帰った後の事を考えながらトボトボと歩いていると、大輔は視線の先に自分の友人を見つける。
それぞれが違う部に所属しているため、部活動がある日は2人がこうして放課後に会うのは珍しい。
だがしかし…大輔はタツヤを見つけたが、タツヤは彼の存在に気付いていなかった。
「…はあ」
タツヤは肩を落とし溜息を付きながら、通学路を歩いていた。
その姿は、遠目で見ても落ち込んでいるように見える。
大輔はそんな彼の姿を見ながら、徐々にタツヤに近付いていく。
「おい」ゲシッ
「痛っ!!」
そして、うな垂れているタツヤを後ろから思いっきり蹴飛ばす。
ボーっと歩いていたタツヤだったが、尻を思いっきり蹴られ…思わず声を上げてしまった。
「何湿気た面して歩いてんだよ、お前」
「…大輔」
大輔の存在にようやく気付いたタツヤは、尻を押さえながら視線を向ける。
いつもなら文句の一つでも言っているところだが、今の彼にそんな気力は無かった。
大輔を見るその表情も、どことなく覇気が無いように感じる。
「張り合いがねーんだよ、最近のお前は」
「何があったんだ、いい加減話せよ」
その事には、当然大輔も気付いていた。
ここ数日のタツヤはというと、何を話すにしても全て上の空な状態で聞き流し、曖昧な相槌しか返してこない。
授業中でも、黒板を見ずにボーっと窓越しの空を眺めている。
そんな様子の可笑しい友人に、彼もまた違和感を覚えていたのだ。
「…別に」
だが、当の本人であるタツヤは彼に何も話そうとはしなかった。
これは、今日だけの話じゃない。
大輔はタツヤの様子が可笑しい事に直ぐに気付き、何度も事情を話すように説得している。
しかし、その度にこうして質問をかわされてしまっていた。
「別に、じゃねーよ」
「大物俳優気取りか、てめーは」
それでも、大輔は尚も食い下がる。
どんなに無下にあしらわれようとも、友人に構う事を止めようとはしなかった。
それも、当然だろう。
彼も彼なりに、タツヤの事を心配していたのだから…。
「…」
タツヤはそんな大輔を無視するように、スタスタと通学路を歩いていく。
相変わらず、彼の問いに答えるつもりはないようだ。
「…おい」ガシッ
友人の変わらない態度に業を煮やした大輔は、後ろから彼の肩を掴み取る。
足を止め、自分の話を聞くように諭そうとした。
だが、次の瞬間―――
「ぃっ!!!」ブンッ
「!?」バッ
タツヤはもの凄い勢いでその手を振り払い、大輔を遠ざけた。
友人の突然の行動に、大輔は一瞬何が何だか分からなくなる。
振り払われた後も、暫くその場に立ち尽くしてしまっていた。
「…い」
「…あ?」
少しの沈黙の後、タツヤが静かに口を開く。
その声はあまりに小さく、大輔はその言葉を上手く理解することができない。
しかし、大輔が聞き返すと…タツヤは両手に拳を作る。
そして…タツヤはその拳を震わせながら、周りの生徒にも聞こえるような大声で叫んだ。
「五月蝿いって言ってるんだよ!!!」
友人に対する、拒絶の言葉を――――
「もう…ほっといてくれ…」
タツヤはそのまま大輔を突き放すように、彼から視線を逸らす。
表情を歪ませながら歯を食い縛るその姿は、“何か”に対して必死に強がっているようにも見えた。
とう見ても、放っておけるような状態ではない。
だが、当の本人は…どんな事を言われようとも、やはりその態度を変えようとはしない。
これ以上は何を言っても、全て逆効果になってしまうのかもしれない。
そんな事を思わせる程に、タツヤの様子は普段とはかけ離れていた。
「っ!!」ガシッ
「!?」
だが、大輔は止めようとはしなかった。
止めるどころか、その行動にますます激しさを増していく。
顔を紅潮させてタツヤの襟元を掴み取ると、そのまま彼を持ち上げる。
タツヤは友人の突然の行動に驚き、思わず身体をビクつかせる。
目を丸くして、なすがままにされることしか出来なかった。
「ほっとけるか、馬鹿野郎!!!」
「友達(ダチ)だろうが!!!」
「!!!」
大輔は普段とは全く違う表情を見せながら、タツヤに喰って掛かる。
友達なら―――心配して当たり前だろう、と
それは…大輔にとって見れば、当然の行動であった。
「自分の友達の心配もできねーような奴がいるなら」
「そんな奴は人間じゃねぇ!!」
彼はタツヤを地面に下ろしながら、話を続ける。
自分の中で『信念』となっている言葉を、友人にぶつけた。
――友達の心配も出来ない奴は、人間なんかじゃない――
勿論、本当に人間ではないと言っているわけじゃない。
ただ、それくらいの『心』を持たない人間は、人としての資格を失っている。
そんな意味が含まれている台詞であった
「っ!!」
「人間じゃ…ない…」
だが、今のタツヤにはその台詞が言葉通りの意味で聞こえてしまった。
いや…正確にいえば、意味もまともには受け取っていない。
ただ、
人間ではない―――
その言葉が…再び、タツヤにあの日の出来事を思い出させてしまったのだ。
「…」
タツヤは顔を青ざめさせ、その場で立ち竦み黙り込む。
彼の脳内に、もう何度目なのか分からない…あの日の光景がリフレインする。
大輔の言葉は最早、タツヤの耳には届いていなかった。
「だから俺は…!!」
「って、ん?」
「タツヤ?」
その姿に気付いた大輔は、言い掛けた言葉を飲み込み、タツヤの顔を覗き込む。
しかし、その表情は夕陽の影に隠れてしまい上手く確認することが出来ない。
ただ…一つだけ分かることとすれば、タツヤの表情には『笑顔』がないということだけであった。
「…ごめん」
タツヤは、表情を隠したまま口を動かす。
発せられた声は、あまりに小さく…近くにいた大輔ですら聞き取ることが出来なかった。
だから、誰にも分からない。
果たしてその謝罪の言葉が、一体“誰”に対しての言葉なのかが―――
「え?」
「っ!!」ダダッ
「あっ!!」
大輔がタツヤが何を言ったのか分からず戸惑う中、タツヤはその足を通学路へと向ける。
そして、そのまま何も言わずに…通学路を一気に駆け始めた。
「あっおい待てよ、タツヤ!!!」
大輔の制止も聞かず、あっという間にその場を離れていくタツヤ。
ただがむしゃらに、通行中の生徒達を押しのけながら―――
タツヤは、分からなかった。
どうして走っているのか、何に怯えているのか…自分が一体何をしているのか…
何もかもが、彼には分からなくなっていた。
「くっ」
それでも、彼の頭の中ではあの日の光景が永遠と繰り返される。
深化魔獣との戦いの中で判明した魔法少女の秘密―――
そして、それを知った自分が取ってしまった行動…
それらの光景が、何度も…何度も…脳内に駆け巡り、タツヤを苦しめ続ける。
「くそぉぉぉぉぉおおおお!!!!」
耐えられなくなったタツヤは、周りに生徒がいるにも関わらず大声を挙げる。
通学路を歩いていた生徒達の視線が、見る見るうちにタツヤに集中していく。
だが、タツヤにそんな事を気にする余裕など無く、ただひたすらに駆け続けることしか出来なかった。
しかし、そんな事をしたところで自分のしてしまった事が、無かったことになどならないと、彼も理解している。
いっそのこと何も見なかった、聞かなかったことに出来れば…
そして、目を背けることが出来れば、どんなに楽な事か。
だが、それが出来ないからこそ…人間という生き物は―――
「タツヤ…」
1人取り残されてしまった大輔は、タツヤを追いかけようとせず…その後ろ姿をただじっと見ている。
先程のタツヤの叫び声も、大輔にはしっかりと聞こえていた。
「馬鹿野郎」
そう言って、大輔唇を噛み締める。
彼は友人に何があったのかが分からず、見ていることしか出来ない自分の事が、ただひたすらに情けなかった。
結局、大輔はタツヤの後ろ姿が完全に見えなくなるまで…その場で立ち続けることしか出来なかった。
――――――――――――――――――――――――――――――
鹿目家―――
タツヤが大輔の下から逃げ出してから、幾分かの時間が経つ。
夜もすっかり更け、周りの家にも明かりがポツポツと灯り始めていた。
天気の変わりやすい季節だが、最近は快晴が続いている。
今日も昼間はよく晴れ、夜になっても雲ひとつない綺麗な星空が広がっていた。
まるで…世界にいる全ての人間を照らすように、その星達は眩しい程に光り輝いている。
「…」
そして、星空は少年の事も他と同様に照らし続ける。
心の中の靄がいつまでも晴れない彼とは―――正反対とも言うべき、星達の輝き
それらの輝きを全身に浴びながら、少年は空を見上げている。
家に帰ってきてから、ずっとこの調子だった。
夕食を食べ終わると、彼はテレビなどを見ることもなく窓を開けて外に出る。
そして、庭にあるベンチに腰を下ろし、ボーッと星を眺め続けていた。
その姿は…まるで他人が近づいてこないように、自分だけの世界に閉じこもってしまっているかのようであった。
「…」
相変わらず、あの日の出来事が頭から離れない。
自分のしてしまった事への後ろめたさと後悔が、彼をいつまでも苦しめ続けている。
本当は、分かっている。
いつまでも後悔していたって、何も始まらないということを
自分が悩んだところで…何の解決にもならないということを―――
だが、目を逸らすことなんて出来ない。
『運命』という言葉に翻弄されている彼女達を、放っておくことなんて…彼には出来なかった。
「(どうすれば…)」
「(どうすればいいんだよ…)」
でも、だからといって自分に何が出来るのかなんて分からない。
いや…そもそも、出来ることなんてあるのだろうか…?
あの場から逃げ出してしまった…どうしようもなく弱い…自分に…
一体何が出来るのだろうかと、彼は頭を抱えていた。
「(俺は…)」
「…くそっ」
タツヤは脳内で葛藤を続けながら、ギリッと下唇を噛み締める。
自分という人間は…本当に弱い生き物だなと、自暴自棄になってしまう。
そんな自分を照らす今日の綺麗な星空は、タツヤにとって苦痛でしかなかった。
星空が自分の事をあざ笑っているかのようで、ひたすらに妬ましかったのだ。
「そんなところに居たら風邪を引くよ」
しかし、そんな時だった。
リビングから、突然声が聞こえたのは―――
「!」クルッ
タツヤは突然の声に驚き、慌てて視線をリビングに向ける。
「タツヤ」
すると、そこには夕食の片付けを終えエプロンを外した知久が立っていた。
知久は柔らかい笑みを浮かべながら、ゆっくりとタツヤの方へと近付いてくる。
「父、さん…」
「春だからといって、外はまだ寒いからね」
タツヤは知久の姿を確認すると、身を小さくするように身体を縮こませる。
父親に、自分の呟きが聞こえてしまったのではと怯えていたのだ。
だが、知久はそんなタツヤを気にすることなく、そのまま息子の隣まで歩み寄り、その場に腰を下ろした。
息子と同じように空を見上げ、寒いねと身体を震わせるような素振りを見せる。
「…」
「あー、そろそろ花壇の手入れをしないと駄目だなぁ」
「…」
「でも、最近屈んだりすると腰が痛くてね」
タツヤの心配を他所に、知久は庭を眺めながら取り止めのない話を始める。
先程の息子の言葉も聞いていなかったのか、その話題に触れようとはしない。
そもそも知久は息子の様子を気にする素振りなど、微塵も見せることはなかった。
その態度は、日常生活の中でも変わることはない。
再三タツヤに何かあったのかと聞く詢子に対して、知久はそのような質問をする事は一切無かった。
タツヤの様子が可笑しい事に気付いていながらも、特に何かをするわけでもなく…
ただただ、普段通りに接する事しかしなかったのだ。
「パパも歳かな、はは」
それこそ、タツヤの考えていることに興味など無いとでも言うように―――
「父さんはさ…」
「ん?」
「俺に何があったとか、聞かないんだね」
そのことが、タツヤは何となく気になっていた。
母親や友人を初め、色んな人に何があったのかと聞かれてきたというのに
何故、自分の父親は何も聞いてこないのだろう…と。
「聞いたら、タツヤは話してくれるのかい?」
しかし、知久はそう息子に聞き返す。
知久だってタツヤのことを心配していないわけじゃない。
だが、例え理由を聞いたところで、息子は何も答えてはくれない事を彼は分かっていた。
だから、自分からはあえて何も聞こうとはしなかったのだ。
「それは…」
痛いところを突かれ、タツヤはその場で黙ってしまう。
何があったのかを聞かれたとしても答えることは出来ない。
どう説明していいのかも分からない。
知久に何かを聞かれたとしても、困ってしまうだけだ。
だから、父親の判断は正しいのかもしれない。
だが、それでもタツヤはそのことが何となく寂しかった。
彼もまだまだ子供なのだ。
「無理をしなくてもいい」
「タツヤが話したいと思った時に、話してくれればそれでいいよ」
知久は優しく微笑みながら、タツヤの肩にポンと手を乗せる。
息子が何かに苦しんでいるのは、なんとなく分かる。
そして、それが自分達には言えない事なのだということも、知久は薄々気がついていた。
ならば、自分に出来る事は―――
普段通り接する事で息子の精神的負担を和らげ、後はただ見守ること。
そう、自分の息子が自ら話してくれるまで…
ただそれだけだと、知久は考えていたのだ。
「…」
「さあ、中に入ろう」
「本当に風邪を引いちゃうよ」
知久はそう言って、ゆっくりと腰を上げ部屋に戻ろうとする。
その後ろ姿からは、何時でも見守ってくれている父親の優しさが滲み出ているようだった。
今のタツヤにとって、そんな父の背中は空に浮かぶどの星よりも、輝いて見えた。
「…」
「人を」
だから―――自然と、口が開いたのかもしれない
「え?」
「人を、傷付けたんだ…俺」
今まで、誰にも話さなかったあの日の出来事のことを―――
タツヤは、目の前にいる父親に
ゆっくりと、一言一言を噛み締めるように話し始めた。