魔法少女まどか☆マギカ~After Ten Years of History~ 作:イデスツッラ
「タツヤ…?」
知久は自分の息子が話し始めると、リビングに向かう足を止める。
そのままその場で立ち止まり、タツヤの話に耳を傾けた。
「その人達は、俺にとって恩人だったんだ」
「俺はその人達に何度もお世話になった」
「本当に、いくら感謝しても足りないくらいに…」
タツヤはそんな父に視線を合わせることはなく、俯いたまま話し続ける。
自分の中で、ずっと隠し続けてきたほむら達の事を彼は初めて口にした。
言葉数は少ないものの、彼女達がどれだけ自分の事を助けてくれたのかということを必死に伝える。
「でも、その人達は…俺とは住む世界が違っていて…」
しかし、話が進むにつれてタツヤの声のトーンは徐々に低くなっていく。
その先の話をするのが苦痛であるかのように、彼は表情を歪めた。
「俺は、その世界の厳しさに目を背けて逃げ出したんだ」
「恩人であるあの人達を…拒絶して…」
それは、仕方の無い事だった。
タツヤにとってその先の話は、忘れたくても忘れられない…忘れてはいけない
彼がこうして苦しんでいる、最大の要因である出来事だったのだから―――
「…」
「逃げるつもりは無かったんだ」
「でも、目の前に広がる現実に…俺は耐えられなかった」
「自分の中の、負の感情に…勝てなかったんだ…」
「目を、背けたんだ」
「そして、結局あの人達を…」
タツヤは両手をギュッと握り締めながら、自分の中で燻っている想いを吐き出していく。
自分のしてしまった事を身体を震わせながら、少しずつ話していく。
しかし、不幸中の幸いか
自らの想いを言葉とすることで、ぐちゃぐちゃになっていた頭の中が整理されていくようであった。
「…そっか」
知久は、そんな息子の話をただただ相槌を付きながら聞いている。
話を途中で遮るようなことはせず、黙って息子の話が終わるのを待っていた。
「俺は…」
「あの人達と、関わっちゃ…いけなかったんだ…」
自暴自棄になりながら、タツヤは話す。
助けられてばかりで、何かをしたわけでもない、いつも迷惑を掛けてばかり。
それなのに、恩を仇で返すような真似をしてしまった。
そんな自分は、いっその事彼女達と出会わなければ良かったのではないか―――
勿論そんな事は非現実的な話だし、タツヤの身勝手な発言に過ぎないのかもしれない。
だが、そう考えてしまう程に今の彼は追い詰められていたのだ。
「…」
「俺は本当に、どうしようもないくらい」
「弱い、人間なんだ…」
自分の事が心底嫌になる程に、彼は痛感していた。
只の人間に過ぎない自分は、心身ともに…なんと、弱い生き物なのだろうと―――
そうして目の前の現実に苦むように、タツヤは頭を抱えそのままうな垂れる。
少年のその眼からは、大粒の涙が流れ落ちていた。
「…」
だが、タツヤがそうしている中…知久は黙って彼の話を聞き続ける。
息子が肩を落としうな垂れると、彼は再び息子の下へと近付いていく。
タツヤの目の前まで歩み寄ると、静かに隣に座った。
「タツヤは…」
そして、知久は言う―――
「…タツヤは、弱くなんかないさ」
君は、弱くないと―――
その言葉は、短いながら…その一言に、父の想いが込められているように感じる。
そんな知久は、柔らかい笑みを浮かべつつも、その眼差しに力強さを宿していた。
「…え?」
タツヤは父の発言に戸惑いを隠せず、思わず顔を上げる。
一瞬、この人は自分の話を聞いていたのだろうかと、父親に対して思った。
「ねえ、タツヤ」
「タツヤは『本当に強い人』って…どんな人だと思う?」
しかし、知久は尚も話を続ける。
空に浮かぶ星達を見上げながら、言葉を投げかけていく。
それは、まるで目に見えない迷路に迷い込んでいる息子に手を差し伸べているようであった。
「それは…」
タツヤは父の問いに、言葉を詰まらせる。
強いということ。
急にそんな事を聞かれても、解答に困ってしまう。
ただ…直ぐに思いつく事と言えば、やはり魔法少女である彼女達の事だ。
魔法という特別な力を持つ彼女達は、やはり強いと言うのだろうと、その時のタツヤは思った。
「パパは、本当に強い人っていうのは…」
「『心』が強い人の事をいうと思うんだ」
だが、知久の考えは違っていた。
彼は強いという事は、精神的な面での事だと説き始めたのだ。
そう…つまり、『心』の問題である。
「え…心?」
そんな父の発言の意味が分からず、タツヤは首を傾げる。
『心』が強い、とは一体どういう事なのだろうか
そんなもので、身体的な能力で勝っている人に勝てるとでも言うのだろうかと
様々な思いが、彼の脳内を巡っていく。
「『心』の弱い人間が、例えどれだけ凄い力を手に入れたとしても」
「いつか、その力と…そこから生まれる自身の欲望に押し潰されてしまう」
そんなタツヤのことを察してか、知久は『心』について話す。
『心』が弱い人間の危うさというものを、自分の息子に語り始めた。
「人は、確かに弱い生き物だ」
「欲望、恐怖心、嫉妬や妬み」
「誰だって、そういう感情を隠し持っている」
そして、その弱さは誰もが持っているものだと知久は続ける。
それは、至極当然の事なのだろう。
なぜなら、それが…『人間』という生き物なのだから―――
「誰、でも…」
「そう、ママやパパにだって」
「勿論、タツヤだってね」
この世に完璧な人間などいない。
いや、そもそも…完璧であり完全である存在などいやしないのだ。
だが、完璧な存在じゃないからこそ『人間』は『人間』でいられるのかもしれない。
もしも…『人間』が『全知全能』などという存在になれるのだとしたら―――
それは、最早『人間』ではないか…
あるいは―――
「…」
「でも、タツヤは…」
「自分の中にある、そういった感情と…真っ直ぐ向き合うことが出来る」
「それは、『心』が強いという事なんだ」
そして、知久は更に続ける。
タツヤは誰もが持っているという『心』の弱さと不器用にも、律儀に向き合う事ができる。
彼は言ったのだ。
自分の中にある『弱さ』を認める―――
“勇気”という名の強さを、彼は持っているのだと…
そして、その強さを持っていることこそが…彼の言う『心の強さ』なのだと―――
「心が、強い…」
「本当の強さは、いつも心の中にあるんだよ」
強さはいつも心の中に―――
知久は、自分の息子にそのことを伝えたかったのだろう。
「そして、タツヤはそういう強さを…ちゃんと持ってる」
「自分の弱い部分から目を逸らさず、必死に立ち向かおうとしている」
だから、タツヤは弱くなんかないさと…知久は続ける。
自分の中にある『心』の弱さから目を背けずに、
迷いながらも乗り越えようとするその姿勢こそが、彼が『強い』ということなのだと。
そして、その勇気という名の『心の強さ』こそが、人間にもっとも必要なものなのだと―――
もし、『心の強さ』を持たない存在が巨大な力を手に入れてしまえば
その存在は、恐らく『心』が壊れてしまうから―――
「でも、俺は…」
だが…それでも、タツヤにはまだ迷いがあった。
例え、父の言うような強さを自分が持っていたのだとしても…
自分が、彼女達の下から逃げ出したことに変わりはない。
「あの人達に、何も出来ない」
それに、自分はほむら達に何もしてあげることができない。
あの教会での出来事の後、彼女達のために自分の出来ることを見つけようと決心したにも関わらず
未だに、その出来ることというものが…タツヤは見つけられずにいた。
その事で、彼は自らの無力さに下唇を噛む。
「違うよ」
だが、それでも知久は続ける。
「え?」
「何を“出来る”かじゃない」
尚も悩み続けるタツヤの背中を押すように、優しい声で話しかける。
「大切なのは、タツヤが何を“してあげたい”かってことだ」
「タツヤは…その人達に、何をしたかったのかな」
「何を、してあげたいのかな?」
まるで、タツヤの心の中を探るように…知久はをゆっくりと話しかける。
大事なのは何かをしなければいけない、という使命感ではなく
自分が、その人達に何をしてあげたいのかという“自らの気持ち”なのだと。
知久はそれを伝え、
そして、タツヤ自身にそれを気付かせる為に話を続けた。
「俺は…」
「もう1度、自分の心を見つめ直してごらん」
「きっと…もう、答えは出てるんじゃないかな」
まるで、タツヤが何をすべきなのかを把握しているかのように、達観した言葉を口にする
自分が、その大切な誰かにしてあげたいこと―――
それが、たとえ相手から望まれたものではなかったとしても…
”気持ち“を、相手に伝える事が出来れば―――
その行動は、決して無駄にはならない。
「…」
「(俺は…)」
「(俺は…!!)」
タツヤは父の言葉を受けて、もう1度だけ自分の心を見つめ直す。
自分がどうしたかったかを、彼女達に何をしたかったのかを―――
唇を噛み締めながら、自分の中に眠っている“想い”を必死に探していった。
『タツヤ』
そして、そんな時だった。
脳内に直接語りかけてくるような声が聞こえたのは…
「!?」
突然の声にタツヤは身体をビクつかせ、直ぐに辺りを見回す。
何度聞いても慣れない…脳内に響くその声の主は、自宅の塀の上に立っていた。
「ん?」
「…」
「(…キュゥべえ)」
声の主である、インキュベーターもといキュゥべえはその赤い瞳をタツヤへと真っ直ぐ向けていた。
その表情は相変わらず何を考えているか分からないが、タツヤに何かを伝えようとしている事は分かる。
タツヤ自身もその事には気付いているようでキュゥべえと視線を合わせると、その表情をキュッと引き締めた。
「父さん」
そして、キュゥべえがタツヤに合図を送ると、彼はその真剣な眼差しを知久に向ける。
その表情からは、先程までの彼とは違い何か重大なことを決意したかのような雰囲気が感じ取れた。
「俺、ちょっと外出てくる」
タツヤは、父に短くそれだけを伝える。
まるで、それが自分の使命であるとでも言うように、力強い視線を向けた。
その瞳はどこまでも真っ直ぐ知久を見つめ、迷いなど微塵も感じさせない。
「タツヤ…?」
知久はそんなタツヤの視線を受けて、一瞬ポカンとした表情を見せる。
自分の息子は突然何を言い始めるのだ…と、戸惑いを隠せないでいた。
だが、彼の表情を見て直ぐにこれは息子にとって何か重大な事なのだということに気付く。
「…」
「もう、夜も遅い」
息子の真剣な眼差しを、知久は一身で受け止める。
柔らかい笑顔を浮かべていた知久の表情が、息子同様引き締まった。
そして、一呼吸置いた後にその口をゆっくりと動かし始める。
「子供が出歩く時間は、とうに…」
息子を心配する、1人の父親としての言葉を知久は述べようとしていた―――
「分かってる!!」
「でも、今行かないと…」
だが、そんな父の言葉を遮るように…タツヤは声を荒らげた、
父の言う事も勿論分かる。
夜が更けてから、もう随分と時間が経つのだ。
子供がそんな時間に外に出たいなんて言えば、親なら誰だってそう言うだろう。
だが、それでも…
「俺は…多分、一生後悔する」
タツヤはうっすらと感じていた…。
今、動かなければ…自分は、恐らくもう二度と立ち直れないだろう…と。
そして、この機会を逃してしまえば自分は、もう二度と彼女達に―――
「だから…!!」
必死の形相で、タツヤは知久に喰らいつく。
父が心配しているという事も、彼には痛いほど伝わっていた。
でも、この時は…この
「…」
一方の知久はというと再び無言になり、タツヤの顔を見上げたまま動かない。
そして、タツヤも父に詰め寄った状態から動こうとしなかった。
静かな沈黙が、二人の間に訪れる。
「あー良い湯だった」
「おーい、風呂開いたぞータツヤー」
そんな中、今まで姿を見せていなかった詢子がリビングに現れる。
仕事帰りという事もあって、一足早く風呂に入っていたようだ。
その場にいなかった詢子は、いつも通りのテンションでタツヤ達に声を掛ける。
「って、ん?」
「…」
「どうしたんだよ、おい」
だが、勘の鋭い詢子はその場の異変に直ぐに気付く。
その場に流れる嫌な雰囲気に、彼女は怪訝な表情を浮かべた。
タツヤ達は、そんな詢子を気にすることもなく…沈黙を続ける。
「…」
「…はあ」
しかし、やがて根気負けしたかのように知久が溜息を付く。
それと同時に、引き締めていたその表情を…少しだけ柔らかくさせた。
「全く…本当に、誰に似たんだろうね」
やれやれ…と、知久は呆れたように首を振り、ポツリと呟く。
だが、そんな事を言うわりに…知久は、どこか嬉しそうだった。
「今度の週末、庭の手入れをしてもらうよ」
「父さん…」
意地悪い笑みを浮かべながら、知久は言った。
傍から見れば、ただ休日に仕事を言いつけているだけに見える。
だが、その言葉の裏には…
何があっても、必ず帰って来い―――
そんな意味が、含まれていた。
「最後に、後悔しないように」
そして知久は背中を押すように、笑顔でタツヤを送り出す。
自分の選択に、悔いを残さないように…自分の信じた道を進みなさいと、暗に伝えた。
知久は、タツヤが選んだ道に何の心配もしていなかった。
なぜなら、信じているからだ。
自分の息子が選んだ道が、間違ってはいないということを―――
「…うん」
「ありがとう」
その事に感謝をしつつ、タツヤは力強く頷く。
必ず帰ってくると、そう心に誓って―――
「ああ、それと」
「これだけは、言っておくよ」
ふと、知久が言い忘れたと言うように付け加える。
その表情には、何故か意地悪な笑みを浮かべていた。
「男が人前で泣いて良いのは、人生で3度だけだよ」
「え?」
そして、父は語りだす。
まだ中学に入ったばかり息子に対し、『男』とはどんな存在であるべきかを…
そう仮にも男の子なら人前で、泣き顔を見せてはいけないのだと―――
「本当に悲しい時、本当に感動した時」
男の涙は、その人の人生の中で最も大切な時に取っておくべきである。
一つ、人生の中で最も悲しくなった時
二つ、人生の中で最も感動した時
「最後の涙は…大切な人のためにとっておくものだ」
そして、人生の中で最も大切だと思った人のために最後の涙は取っておくべきである―――
そう知久は、優しく諭すように自分の息子に訴えかける。
「…」
タツヤは、父の言葉をただ黙って聞いている。
その表情には、少し戸惑いが見られた。
やはり、タツヤには少し難しい話であったようだ。
「今日のは、とりあえずノ―カウントにしておくよ」
「次からは、今言った事を心しておくように」
だが、いつかこの少年が父の言葉の真意を理解した時…
その時こそ、彼が本当の意味で“強くなった”時、なのかもしれない。
「行っておいで」
「うん」
「行ってきます!!」ダッ
タツヤは知久に小さく頷き、外へと駆け出していく。
まだ…自分の中の迷いが完全に晴れたわけじゃない。
少年は、自分が父の言うような強さを持っているとは到底思えなかった。
だが…父の想いに、自分は答えなければならない。
そうタツヤは迷いながらも…前へと進もうとする。
しかし、タツヤは気付いていなかった。
その想いこそが、知久の言う彼の強さなのだという事を―――
「あ、おい何処行くんだっ!?」
タツヤが駆け出そうとすると、詢子は思わずリビングから飛び出し声を挙げる。
しかし、そんな彼女の静止を気に留める事もなく、タツヤはあっという間に外に出かけていくのだった。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
「あいつ、何処行ったんだ?」
タツヤがいなくなった後、詢子は息子の姿を目で追いながら徐に呟く。
何が何だか分からない彼女にとって、タツヤの行動は心配で仕方がなかった。
自分の息子が何処かに行ってしまうのではないか、そんな不安に襲われていたのだ。
「…さあ?」
だが、一方で知久はというとそんな呑気な声を上げる。
何の心配もしていないとでも言うように、知久は再び柔らかい笑みを浮かべた。
「さあ、って…!!」
そんな知久に、詢子は不満を口にする。
どうしてそんな無責任なことが言えるのだと、彼に捲くし立てた。
「でも、きっと大丈夫だよ」
しかし、知久は落ち着いていた。
タツヤが居た庭のベンチに座り、空に広がる星達を見上げる。
そして、興奮気味の詢子を宥めるようにゆっくりとした口調で話を続けた。
「そんなの分からないだろ」
「最近のアイツ、何か変だし…」
それでも、詢子の不安が晴れることはない。
此処最近のタツヤを見れば、様子が可笑しいのは火を見るよりも明らかだ。
そんな状態の息子が、夜に突然出掛けてしまえば心配するのが親というものだろう。
「詢子」
「え?」
すると、知久はベンチからゆっくりと立ち上がり詢子に視線を合わせる。
普段とは違い、珍しく名前で彼女の事を呼んだ。
詢子はその事に驚き、一瞬身体をビクつかせる。
表情を見ると、彼は穏やかな雰囲気を保ちながらも真剣な顔つきであった。
「今のタツヤは、僕達が手を差し伸べるべきじゃない」
「あの子自身が、立ち上がらなきゃいけない時期なんだ」
そして、知久は詢子に語る。
今は、自分達が手助けする時ではない…と。
その声は、先程のような呑気なものではなく真剣味の帯びたものであった。
「…」
「例えばの話だ」
「赤子を歩けるようにするために、親が手を引っ張り立たせとしても」
「その子は、いつまで経っても歩けるようにはならない」
知久は、更に続ける。
「まずは自分の力で立ち上がらせ、自らの足で歩かせないといけないんだ」
「親は、その子が転びそうになった時に初めて、手を差し伸べて支えてあげればいい」
一言一言じっくりと語りかけるように…
彼なりの考えを、彼なりの答を、詢子に伝えようとしていた。
野生の動物のように子供を崖に突き落とす、というわけではない。
だが、親は時として自らの子供のために、あえて何もしないという選択も必要なのではないか。
そう、知久は考えていた。
「今も同じさ」
「こっちからタツヤに力を貸そうとしても、それはタツヤのためにはならない」
「あの子が、本当に迷ってしまった時に…道標を示してあげればいいんだ」
自分達が息子にしてあげられる事――――
それは…彼が立ち止まってしまった時に、そっと背中を押してあげることだけ―――
それ以上の事をしてしまえば、タツヤは何時まで経っても独り立ちすることは出来ない。
「だ、だけどよ…」
知久の言葉に、詢子が不安の声を上げる。
分かっている。
中学生に成りたてのタツヤに、独り立ちの為の選択を強いる事がどれだけ無茶かということを。
「それに…」
だが、知久はあくまでも彼を信じていた。
「タツヤ自身もこの現状を自分の力で乗り越えることができれば…」
「今まで以上に、逞しく成長する筈だよ」
タツヤなら、必ずこの困難を乗り越えられる。
そして、より一層大きくなって帰ってきてくれる。
知久は、そう信じて疑わなかった。
親の贔屓目を抜きにしても、タツヤは強い子であると彼は確信していたのだ。
「そういう、もんか?」
「そういうものさ」
「でも、やっぱりだた見てるだけってのは…なぁ」
それでも、詢子にはいくらか不安が残る。
いや…不安というより、むしろ不満と言った方が正しいだろうか。
息子は何故自分を頼ってくれないのかという不満、そして親として何も出来ないという自分への苛立ち…
様々な感情が、彼女の胸中に渦巻いていた。
「はは、ほんとそういう所で融通が効かないよね、詢子は」
「うるせぇ…」
長い付き合いだ。
知久は、詢子の事を誰よりも、和子よりも理解している。
当然、彼女がそういった感情でモヤモヤしていることくらい彼は分かっていた。
何年経っても変わらない彼女の不器用な優しさに、知久は思わず笑みを零す。
「大丈夫さ」ポン
「自分達の息子を、信じてあげよう」
「…ああ」
知久は、詢子の傍まで歩み寄り…そっと肩に手を乗せる。
その声はタツヤを心配する彼女を安心させるような…とても暖かい声だった。
詢子もそんな夫の行動を受けて、ようやく落ち着きを取り戻したようだ。
「…知久」
そして、詢子は静かに夫の名前を呼ぶ。
「ん?」
「…ありがとな」
傍に居る知久にだけ、かろうじて聞こえる声で詢子は言った。
珍しく少しだけ恥ずかしながら、感謝の言葉を口にしたのだ。
言い終わると、彼女は恥かしさを誤魔化すように頭をポリポリと掻き始める。
「お礼を言われる事なんてしてないけどなぁ」
「調子に、乗るな」
「痛いっ」
意地悪い笑みを浮かべる知久の頭を、詢子が思いっきり引っ叩く。
しかし、そうしながらも2人の間には穏やかな空気が流れていた。
どんなに長い月日が経とうとも、この夫婦の仲睦まじさは変わらない。
「ったく」
「ははは」
それは、息子であるタツヤにとって、きっと幸せなことなのだろう。
いつまでも仲が良いこの家族に、不満なんてない筈だ。
この家庭にこれ以上を望むのは…野暮というものだろう。
そう…彼等の間に“足りないもの”なんて、きっと―――――
「(しかし…)」
「(ほんと、子供はいつの間にか成長するものだね…)」
「(頑張れ、タツヤ)」
ふと、知久は物思いに耽るように空を見上げる。
自分が手を引っ張ってあげなければ、何処にも行くことが出来なかった息子。
それが今、こうして大人への成長の階段を歩み始めようとしている。
それが、父として嬉しい反面…親離れしていく我が子の事を思うと、少しだけ寂しくなる父であった。
「おーい、酒の肴になるようなの何かないかー」
「あーうん、直ぐに出すよー」
知久がそんな事を考えていると、先にリビングに帰っていた詢子が彼の名前を呼ぶ。
その声に反応するように、知久はその足をリビングへと向ける。
彼は思う―――
今は、ただ息子の成長を見守ることだけに徹しようと。
タツヤが帰ってきた時には、おかえりと優しく声を掛けてあげよう。
そして、今度の休日にはたっぷりと働いてもらうことにしよう…と。
親として―――
そして父として、少しだけ意地の悪い笑顔を浮かべながら知久はリビングへと戻っていくのであった。
「(…それにしても)」
しかし――――
「(あの白い生き物は、なんだったんだろう?)」
知久はこの時、まだ気付いていなかった。
自分達の周りで起きている“異変”に―――
そして、その異変が…自分の息子にどのような『運命』をもたらすのかということを…
彼は、知る由もなかったのだ。
――――――――――――――――――――――――――――――
「キュゥべえ、何処だ!!」
自宅から勢いよく飛び出したタツヤは、自分に視線を送っていた珍獣を探し始める。
辺りを見回し、姿を消した珍獣の名前をしきりに叫んだ。
「キュゥべえ!!」
周りが住宅地だという事を気にもせず、大声でキュゥべえの名前を呼ぶタツヤ。
近所迷惑になりかねない行為だが、今の彼にそんな事を考える余裕などなかった。
ただ、先程まで居た筈の珍獣を探す事に躍起になっていたのだ。
「やあ、呼んだかい?」
「!!!」
すると、タツヤの声に応えるようにキュゥべえが何処からともなく現れる。
キュゥべえはゆっくりとタツヤに近付くと、目線を合わせるように近くの塀に登り腰を下ろす。
そして、その兎のような赤く丸い瞳をタツヤへと向けた。
「少しは元気になったようだね」
しかし、その瞳の奥底では相も変わらず何を考えているのか分からない。
今の言葉も果たして褒め言葉なのか、それとも皮肉を込めた言葉なのか…判別が付かない。
だが十中八九、この珍獣は彼の心配などしてはいなかっただろう。
「…そういうのはいい」
「暁美さん達は、今何処にいる」
そんなキュゥべえの言葉を気にする様子もなく、タツヤは口を開く。
今、自分が一番知りたい事をこの珍獣に問いかけた。
そう、暁美むら達の居場所を―――
「それを聞いて、どうしようというんだい?」
キュゥべえは惚けるように首を傾げる。
タツヤがどうしてそんな事を聞くのか分からない、そんな感じであった。
そんな事、分からない筈がないというのに…
「いいから答えろ」
しかし、タツヤはそんなキュゥべえをものともせずに続ける。
彼は、この珍獣の戯言に付き合う気など更々無かったのだ。
「…」
「ほむら達なら魔獣退治の最中さ」
「今日も中々強い魔獣が現れてね」
普段とは違った雰囲気を肌で感じとったのか、キュゥべえは大人しく彼の問いに答える。
彼女達は今日も魔獣退治をしている。
以前にも増して強力な魔獣が現れたのだとタツヤに伝えた。
「だったら…」
すると、タツヤは何かを決意するかのように、表情を再度引き締める。
両手をギュッと握り締め、その真剣な顔をキュゥべえに向けた。
「俺も、その場所に連れて行け」
そして、目の前の珍獣に向けて言葉を発する。
自分もそのほむら達と魔獣が戦っているという場所に連れて行って欲しい、と―――
自らの強い意志を現すかのように…強く、鋭い口調でタツヤはそう言い切った。
「え?」
「…」
「君が行ったところで、ほむら達の足手まといにしかならないんじゃないかい?」
少しの沈黙の後、キュゥべえはタツヤを貶すように口を開く。
ただの人間であるタツヤが戦場に行って、どうしようというのだと。
勿論、心配で言っているわけじゃない。
ただ現実を客観視した結果、そういう結論がこの珍獣の中で出ただけだ。
その事は、タツヤも勿論分かっている。
「しらばっくれんな」
しかし、タツヤは思う。
あのキュゥべえがこんな時間にただ会いにくるわけがない。
「お前、俺を連れてくるために此処まで来たんだろ」
恐らく、何らかの用事があって来たのだろう。
そして、それは恐らくほむら達に関する事なのだろう。
そう、この少年は読んでいた。
「…」
「それに…」
「俺は、あの人達にどうしても伝えなきゃいけない事があるんだ」
タツヤは言う。
自分は、彼女達に会わなければいけない。
彼女達のために…そして、何より自分のために―――
「だから…頼む」
「俺を、あの人達のところに連れて行ってくれ」
タツヤは、そう言って静かに頭を下げる。
いつもは馬が合わないキュゥべえに向けて、心から願い出た。
それだけ、タツヤも真剣だということだろう。
普通なら、この珍獣に頭を下げる事など絶対にありえないのだから―――
「…」
「やれやれ」
「まさか君に物事を頼まれるとはね」
キュゥべえは短く溜息を付きながら、そんな憎まれ口を叩く。
この珍獣としても、タツヤのこの行動は予想外だったのだろう。
その後、珍獣はその白い身体をゆっくりと持ち上げ…地上に降りてから、タツヤに背を向ける。
トコトコと歩を進め、その姿は暗闇の中に消えて行った。
キュゥべえの表情は相変わらず変化がなく、暗闇に隠れると尚更何を考えているのか分からない。
「(まあ、悪い気はしない)」
だが、それでもその変化のない表情の中で、うっすらと笑みを浮かべているように見える。
「(僕としても、彼の力を見定める良い機会だ)」
もっとも、その笑みがどんな理由によるものなのかは…定かではない。
「それじゃあ、行こうか」
暗闇の中でその赤い目を光らせ、キュゥべえがタツヤに声を掛ける。
そして、暗闇の中を再び歩み始めた。
ほむら達の下へ…魔獣達の巣窟へと、彼を導くために―――
「…」
タツヤは唇を噛み締め、小さく頷く。
今一度覚悟を決めるように、息を大きく吐き出しキュゥべえの下へと足を向けた。
「付いておいでよ」
「もう、あまり時間が無いからね」
そう言うと、キュゥべえは移動するスピードを速める。
ほむら達が魔獣退治に向かってから、随分と時間が経っていた。
下手をするとタツヤが向かう前に、戦いが終わってしまう恐れがある。
だから、急いだ方がいい。そう、キュゥべえは話した。
「(…よし)」
「(行くぞ!!)」
タツヤはキュゥべえの後を追うように歩くスピードを速める。
そして、その足は次第に回転を早め…そのまま勢い良く駆け出した。
伝えたい事を、ほむら達に伝えるために
そして、自身を前に進ませるために…タツヤは、大きな一歩を踏み出した。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
夜もますます更けていく中、電灯には明かりが灯り道を照らしていく。
そこは人が殆ど通っておらず、明かりの付いた家が立ち並ぶ、閑散とした町並みが続いていた。
「ん~、ん~」
そんな暗闇の中を1人の少年が自転車で移動していた。
タツヤの友人、板垣大輔である。
彼は見滝原の制服ではなく、家業であるラーメン屋の仕事服を着込んでいる。
後ろに丼の入った出前箱を乗せ、鼻歌を口ずさみながらペダルを漕いでいた。
「ふい~、ようやく仕事終わった~」
以前も話したが、大輔は家に帰ると店の手伝いをしなければならない。
今も出前先の物を回収して、帰路に着く途中であった。
「さーてと、さっさと帰って寝る…」
「…ん?」
夜風にあたりながらのんびり自転車を漕いでいると、大輔は前方から何かが近付いてくることに気付く。
その何かは、反対方向から真っ直ぐに此方に向かって来ていた。
人通りが殆ど無いため…大輔の方角へと向かってくるその姿は余計に目立っているような気がした。
「ハア…!!ハア…!!」
「およ?」
そして、その向かってくる姿が大きくなってくると、大輔は思わず声を漏らす。
なぜなら、此方に駆けてくる者の正体が…彼の友人であるタツヤだったからだ。
タツヤは、前方にいる大輔に気付く事もなく、一心不乱に駆けて来る。
「ほら、こっちだよタツヤ」
「分かってるよ!!!」
「(くそ…!!息が…)」
それもその筈だ。
タツヤは普通の人には見えない筈の珍獣と共に、目的地に向けてただひたすら走っていたのだから
ただただ、暁美ほむら達に会いたいがために―――
「(何してんだアイツ…?)」
そんな事を知る由もない大輔は、タツヤの行動に首を傾げる。
最近は特に彼の様子が可笑しかったせいか、大輔は一種の不安を覚えた。
こんな夜遅くに一体どうしたのだろう…と、余計に心配になってくる。
「おーい、タツヤー」
「!!」
「何処行く気なんだよ、こんな時間に」
「…大輔」
気になった大輔は、自分の方へと走って来るタツヤに声を掛ける。
そこでようやく大輔の存在に気付いたタツヤは、彼の目の前でその足を止める。
すると、大輔は自転車から降り…友人の目の前に対峙した。
「それは…」
「んだよ、まーたダンマリか?」
しかし、タツヤは夕方の時と同様、何も話そうとしない。
大輔は、そんな友人の姿を見て大きく溜息を付いた。
「まあ、話したくないなら別にいいけどよ」
そう強がってはみるものの、その言葉は何処か弱々しく覇気が無い。
自分は友人に頼りにされていないのかと、彼なりに傷ついていたのかもしれない。
大輔もまた中学生になったばかりの、所謂子供なのだ。
「…ごめん、急いでるんだ」
「あ?」
しかし、大輔がそうして伏せ気味になっていると、タツヤが彼に向けて小さく呟く。
不意を付かれた大輔は、顔を上げ思わず声を挙げてしまった。
タツヤが彼に向けてまともに話すのは・、久々であった。
「どうしても、行かなきゃいけない所があるんだ」
「俺の中で、ケジメを付けるために…」
タツヤは、友人である大輔に言葉を続ける。
詳しい行き先や目的こそ言わなかったものの…その言葉の1つ1つに、彼の強い意志が伝わってくるようだった。
「タツヤ…?」
大輔は、一瞬タツヤが何を言っているのか分からなかった。
しかし…その真剣な表情を見て、直ぐにそれが彼にとって重要な事なのだと理解する。
そして、その事こそがここ最近のタツヤの様子が可笑しかった原因なのだという事にも何となく気付く。
「どうしたんだい、早くしないと…」
そんな中で、キュゥべえがタツヤを急かす。
早く行かなければ間に合わなくなってしまうと、暗に伝える。
この珍獣にとって、タツヤが大輔と話す時間など無駄な時間でしかなかった。
「…ああ、分かってる」
タツヤは、大輔には聞こえないような小声でキュゥべえに応える。
それと同時に、その真剣な表情を尚一層引き締めた。
「ま、そういう事だから」
「また、明日…」
タツヤは大輔に一言告げると、そのまま大輔を通り過ぎる。
そして、目的地に向かう為、キュゥべえと共に再び走り始めた。
心配してくれている友人には悪いが、今は先に進むのが先決だ。
彼にはまた後日侘びをしようと、タツヤは思う。
「…」
タツヤが通り過ぎた後、大輔は1人その場に佇んでいた。
しかし、先程のような沈んだ表情とは違い、眉間に皺を寄せ何かを考えている様子であった。
「よーし、分かった!!!!」
だが、そんな状態は長くは続かなかった。
大輔はまるで何かを決意したかのように大声を出し、顔を上げる。
皺が寄っていた眉間は元に戻り、その表情は何処か晴れやかなものとなっていた。
「で、結局あの人達は何処にいるんだよっ」
「瘴気が現れたのは町の外れの方だよ」
「遠いな…くそっ」
一方のタツヤ達はというと、目的地に向けてひたすらに走っている。
珍獣によれば、ほむら達が居る場所というのは現在地からほぼ反対方向に位置する。
今から全力で駆けていっても、正直間に合うかどうか微妙なラインであった。
だが、それでも諦める事が出来ないタツヤはただひたすらに駆け続けるしかなかったのだ。
「ちょっと待ったぁぁぁぁあ!!」
「うわっ!?」
しかし、そんな時だった―――
「んっふっふ、俺再び参上」
「大、輔…?」
タツヤの目の前に、先程別れた筈の大輔が再び現れたのは―――
「あーらよっと」
「おい、急いでるって言ってるだろ!!」
大輔が徐に自転車を降りるのを見ると、タツヤは声を荒らげる。
まだ何かあるのかと、思わず叫んでしまった。
自分が何をしているのか、気になる彼の気持ちも分かる。
だが、間に合うかどうか分からないという時に、余計な時間は費やしたくはなかった。
「まあまあ、そう慌てなさんな」
「えーと、ここをこーして…」
しかし、そんなタツヤを気にも留めず、大輔は作業を始める。
自分の乗っていた出前用自転車を、ただ黙々と弄り続けた。
そして、あっという間に自転車の荷台に設置してある出前箱を取り外す。
「だからな…!!!」
マイペースに作業を続ける大輔を見て、タツヤは再び声を荒らげる。
今の彼にこんな所で油を売っている余裕など無かった。
一刻も早くほむら達の下へと向かわなければならない、その事ばかりを考えていたのだから―――
「ほれ」
だが、そう熱くなっているタツヤを宥めるかのように、大輔が声を掛ける。
「俺は…!!!」
「て、え?」
すると、自分の方へと振り向いた大輔を見てタツヤは思わず言葉を呑み込む。
なぜなら―――
「乗ってけよ」
「急いでるんだろ?」
大輔が、自分の乗っていた自転車を彼に差し出してきたからだ。
「い、いや…でも…」
タツヤは大輔の突然の行動に戸惑い、混乱してしまう。
本当に突然の事で、何がなんだか分からなくなっていた。
思考が、現実に追い付いていなかったのだ。
「なんだ不満か?言っとくが、俺の『暴走機関車KUNIYOSHI』はそんじょそこらの自転車より数倍早いぞ?」
そんなタツヤを他所に、大輔は自信満々に言ってのける。
しかし、そうは言っても実際の性能は他の自転車と大して変わらない。
強いて言えば、見た目が少し派手だというところだけだ。
「いや、そうじゃなくて…お前それ仕事用の…」
ようやく頭が回り始めてきたタツヤは、大輔にそう言葉を返す。
確かに、自転車に乗れば…走るよりも早く目的地に辿り着けるだろう。
だが、問題はそんな事ではない。
この自転車は、大輔が仕事用に使っているものなのだ。
それを自分が使ってしまえば、仕事中である大輔の移動手段がなくなってしまう。
そうなってしまえば、困るのは彼自身ではないか。
タツヤは、そんな心配を抱いていた。
「気にすんな」
「この距離なら荷物持って走って帰ってやらー」
しかし、大輔は何の心配もいらないと言うようにドンと胸を叩く。
後は回収した丼を家に持って帰るだけだからと言って、友人の背中を後押ししようとしていた。
「走るって、お前ん家って確か…」
だが、タツヤは尚も続ける。
大輔の自宅は、今いる現在地からだいぶ離れた場所にある。
とてもじゃないが、走っていける距離などではない。
おまけに、彼は先程まで自転車に設置してあった出前箱も運ばなければならない。
流石の大輔でも、それは無茶というものだった。
「あーもう、愚痴愚痴うっせーな!!さっさと行けよ!!」
「何だか知らんが、間に合わなくなってもしらねーぞ!!」
それでも、大輔は引こうとはしなかった。
タツヤに無理矢理自転車を渡すと、そのままタツヤの背中を勢い良く押す。
バランスを崩したタツヤは、渡された自転車にしがみ付くような形で前に押し出された。
「…」
「悪い、大輔」
すると、タツヤは少し黙り込んだ後…そう小さく呟く。
大輔とは長い付き合いだ。
恐らく、タツヤは今のやりとりで大輔の気持ちを汲み取ったのだろう。
だからこそ、これ以上…タツヤは友人の厚意を無下にするわけにはいかなかった。
「へっ、いいって事よ」
「ダチだろ?俺達」
わざとらしく笑みを作り、おどけてみせる大輔。
友人の為に平気で自分を犠牲にし、
それを当たり前の事をしたまでだと、さも当然のように言うところが彼の良いところであり…
彼の、『強さ』なのかもしれない―――
「…そうだな」
「でも、この借りはいつか返すよ」
きっと、タツヤにとっても大輔という友人の存在は有り難いに違いない―――
「そうだな、じゃあ学校のフォアグラ入りやきそばパン(定価5000円也)一週間分でどうだ?」
「お前俺の財布の中身空にする気か!!!!」
―――多分
「はっはっはっ」
「たく」
だがしかし、タツヤにとって大輔という友人とのこのような馬鹿みたいなやり取りは、
やはり心地の良いものであった。
そして、その何気ない日常は今後、タツヤにとって貴重なものへとなっていく。
辛い戦いへと身を投じることになる、彼にとって―――
「頑張れよ」
「ああ!!」
だが、その事にタツヤが気付くのは…もう少し、先の話だ。
今はただ、己の心に従い真っ直ぐに前を向いて、突き進むだけ。
それこそが現状を変えられる、たった一つの方法であると信じて―――
「ほら、お前も乗れよ」
「きゅいっ!?」
「行っくぞー!!!!」
「えっ!?ちょ、ちょっとー!!!」
タツヤは、籠にキュゥべえを放り投げると、勢い良くべダルを漕ぎ始める。
すると、それに反応するように自転車が動き始めた。
自転車はペダルを漕ぐ度にその速さを増し、明かりの灯った道路を駆け抜けていく。
やはり走る時とはスピードが桁違いだ、これなら何とか間に合うかもしれない。
そう思いながら、タツヤは目的地に向けて自転車を走らせ続けるのだった。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
「…ふ」
「あの顔つき、夕方の時とは明らかに違う」
「何だか…吹っ切れたみたいだな、アイツ」
タツヤがいなくなった後、残された大輔はニヤリと笑みをみせる。
彼がここ最近の張り合いの無かった友人ではなく、昔から知っている親友に戻っていた気がしていた
その事が、大輔はまるで自分の事のように嬉しかったのだ。
「さーて、俺もいい加減帰るかな」
タツヤの姿が見えなくなって少しすると、大輔は満足した面持ちで帰りの支度を始める。
仕事服の袖を巻くり上げ、取り外した出前箱を徐に持ち上げた。
「うお重…」
出前箱の中には沢山の丼が積み重なっている。
流石に中身は入っていないが、それでもその重さは相当なものであった。
「へへ、こりゃそこらの筋トレよりよっぽどきちーわ」
だが、今の大輔にはその重さが、何処か心地よかった。
この重さを通して実感できる、友人に力を貸せたというが事実が彼は誇らしかったのだ。
傍から見れば、ただの自己満足に過ぎないのかもしれない。
しかし、友人のために何を出来るか考えてくれる彼は…やはり、タツヤにとって必要な存在なのだろう。
「んー、にしてもアイツ…」
「ちょいちょい誰と話してたんだ?」
そう―――
「…それに」
「なーんか白い生き物がちらちら見えたような…」
「ま、気のせいだよな」
少しずつ、異変が起き始めたこの世界で、
彼という存在もまた、今後のタツヤに必要なものになっていく―――
――――――――――――――――――――――――――――――
町の外れ―――
「…」
「はあ」
人気の殆ど無い空き地で、1人…美国織莉子は溜息を付いていた。
彼女の目の前には、魔獣の住処である瘴気が広がっている。
瘴気は辺り一面に広がっており、その地域全体を覆っていた。
その大きさは、主である深化魔獣の強さを物語っている。
「全く…もう」
そんな化物の住処を目の前にして、織莉子は1人溜息を付く。
今現在、瘴気の外で待機しているのは彼女1人であった。
残りの面子…つまりほむらとゆまは、魔獣を退治するため既に瘴気の中に進入していた。
何故、彼女1人が此処に残り…こんな溜息を付いているのか…
それは、少し前の時間に遡る―――
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「此処よ」
織莉子は、ゆまやほむらを連れてこの瘴気の目の前に立っていた。
「わーなんかいつも以上に禍々しい感じだねー」
眼前に広がる光景に、ゆまは思わず声を上げる。
辺りをキョロキョロと見回し、興味津々であるかのように目を輝かせていた。
とてもじゃないが、今から戦おうとしている少女の顔ではない。
「…」
しかし、一方でほむらは浮かない顔をしている。
表情はどこまでも暗く、ただただ黙って目の前に広がる魔獣の住処を見つめるだけであった。
ゆまとは、まるで正反対のテンションである。
「此処の深化魔獣は相当強力よ、気をつけて」
魔法で作り出した水晶に視線を落としながら、織莉子が呟く。
彼女は未来が見える。
今は…あくまでも力をセーブしているが、
それでも、此処にいる魔獣がどれくらいの強さなのかくらいは把握出来た。
「相変わらず、博識だよねー織莉子は」
その事を知っているゆまが、皮肉混じりに口を開く。
聞いたら何でも答えてくれるのではないかと、冗談交じりに呟いた。
「茶化さないの」
「あいたっ」
織莉子は、そんな口を叩くゆまを軽く小突く。
今は冗談を言っている時ではないと、彼女を窘めた。
「それに、私が分かるのは予知で見えるものだけよ」
「何でも分かるわけじゃないわ」
何でもは言い過ぎだ、そう織莉子が話す。
確かに、今の彼女が分かるのは近い未来に起こる事だけ。
何でもわかるというのは、少し語弊があるのかもしれない。
「それくらい、分かってるよー…」
勿論、そんな事はゆまも分っている。
冗談なのに…と、彼女は小突かれた頭をさすりながらぶっきら棒に呟いた。
「遊んでないで行くわよ、ゆま」
「あ、うん」
そうしてゆまと織莉子が話していると、今まで黙っていたほむらが割って入るかのように口出しする。
ほむらは彼女達に視線を送る事もなく、先程同様ただただ瘴気を見上げているだけだ。
ただ、その姿は気が抜けているというわけではなく
むしろ、いつでも準備OKだと言わんばかりの迫力を醸し出していた。
まるで、
「ちょっと待ちなさい。此処の魔獣の事をまだ…」
だが、織莉子はそんな鬼気迫るほむらを見て慌てて声を掛ける。
まだ、自分が知っている魔獣の情報を伝えていないと、彼女を呼び戻そうとした。
「必要ないわ」
しかし、彼女の好意はほむらによって一蹴される。
その言葉は…たった一言ではあるが、それだけでも十分に伝わってくるようであった。
彼女の…織莉子に対する冷めた感情が―――
「さっきも言ったけど、此処の魔獣は強いわ」
「油断は禁物よ、暁美さん」
織莉子はほむらの言葉に一瞬表情を歪ませるが、直ぐに平静を装い話を続ける。
瘴気に住む魔獣の強さを改めて説き、彼女を再度呼び止めようとした。
「別に油断なんかしてないわ」
「ただ、あなたの力なんて借りたくないだけよ」
だが、ほむらの態度が変わることは無かった。
それどころ…織莉子に対しての言葉は、ますますトゲトゲしくなっていく。
「…いい加減にして」
「魔獣退治に私情を挟む事がいかに愚かな事か、分からない貴方じゃないでしょ」
すると、ほむらに釣られるように…織莉子もまた、その言葉にトゲを含ませる。
流石の彼女も、ほむらの態度に対して感情的になったのだろう。
先程とは違い、その声はどこまでも低く…迫力のあるものに変わっていた。
「…」
「…」
織莉子の言葉に聞く耳を持とうとしないほむら。
そして、そんな彼女を…少しだけ強張った表情でじっと見つめてくる織莉子。
2人の間に、重苦しい空気が流れ始める。
その場は、これから魔獣退治だというのに…ひと悶着起こりそうな状況になっていた。
「あーはいはい、ストップストップ!!」
「これから戦いだってのに、喧嘩は止めてよ」
そんな一触即発な状態を見かねたのか、ゆまが間に割って入る。
今は言い争っている場合ではないと、彼女は年上2人に忠告する。
「…そうね、ごめんなさい」
ゆまの言葉によって、織莉子は表情を再び緩め…態度を改める。
「…」
しかし、ほむらは未だにその態度を変えようとはせず…2人の会話に、参加しようともしなかった。
「ほむらお姉ちゃん」
「…ふん」
「はあ、全く…もう」
聞く耳をもたずそっぽを向くほむらに、ゆまは軽く溜息を付く。
パッと見ると、どちらが年上なのか…分からなくなるような光景だ。
彼女が織莉子のことを良く思っていないことは知っている。
だが、それにしても度が過ぎると、ゆまはつくづく思うのだった。
「じゃあ、ゆま。貴方だけでも…」
ほむらへの説得を無理だと判断した織莉子は、せめてと思いゆまに情報を伝えようとする。
魔獣との戦いは文字通り命掛けだ。
奴等に関する情報は、出来るだけあった方が良い。
それだけ、魔獣との戦いを有利に進められるのだから…
しかし―――
「んー私もいいや」
「なっ貴方まで…」
ゆまもまた、織莉子の提案を断ってきたのだ
織莉子は、ゆまのその言葉を聞くと…そう小さく声を漏らす。
「なんか最初から全部分かってるのもズルイ気がしてさー」
「ズルイって、ゲームじゃないのよ!!」
この子は何を言い出すのかと、織莉子は声を荒らげる。
先程も似たような事を言ったが、これは遊びではない…文字通り死闘なのだ。
そんな事、幼い時から戦い続けているゆまなら分りきっている筈だった。
「大丈夫だって、ほむらお姉ちゃんと2人なら負けないよ」
「それに、私達が死ぬ未来なんて見えてないんでしょ?」
だが、それでもゆまの決意が変わる事はない。
もしも、自分達が死ぬ運命にあるなら織莉子は此処には連れてこなかったであろう。
つまり彼女には、ゆま達が勝つ未来が見えているという訳だ。
「それは…そうだけど…」
しかし、織莉子は思う。
確かに、彼女達が負ける未来は現時点では見えていない。
だが、実際は何が起こるかは分らない。
ならば、用心に越した事はないだろうと彼女は考えていた。
そして…
その他にも、織莉子は何となく嫌な予感を感じていたのだ。
「だったら大丈夫!!」
「心配し過ぎだよ、織莉子は」
だが、それでもゆまは言う。
現時点で自分達が死ぬ未来が見えていないなら、今はそれで十分であると。
別に油断をしているわけではない。
ただ、戦いに出る以上…やはり、自らの力で道を切り開いていきたいのだと、ゆまは思っていた。
かつて…彼女にとって大切だった人が、そうしたように―――
「…」
そんなゆまの言葉を聞いた織莉子は、何も言えなくなってしまう。
大切だった人のようになりたいと思う彼女の気持ちも、何となく分ってしまうのだ。
自分も、そう思う時があるから―――
それに、織莉子は考えていた。
今の自分に…これ以上彼女達に口を挟む権利などない。
なぜなら―――
「ゆま、そんな役立たずなんてほっといて行くわよ」
「…」
自分はもう、彼女達のように戦うことが出来ない。
そのことで、ほむらにどんなに罵倒されたとしても仕方ないと思っている。
それが真実なのだから…と、織莉子はほむらの言葉を甘んじて受け入れていた。
「あ、うん今行くよー」
「じゃ、直ぐ終わらせてくるから」
「此処で待っててね、織莉子」
ほむらはゆまに声を掛けると、そのまま瘴気の中へと侵入していく。
ゆまもまた、織莉子に可愛くウインクをすると彼女を追いかけるように飛んでいった。
「あ、ちょっと!!」
「待ってよーほむらお姉ちゃーん」
「後、役立たずは言い過ぎだよー」
織莉子はゆまに声を掛けるも時既に遅く、彼女達は瘴気の中へと姿を消していってしまった。
そして、瘴気の前には織莉子1人が取り残される。
人気が殆どない空き地は、一気に静まり返ってしまった。
「…全く、もう」
自分の忠告を聞かずに行ってしまった2人を想いながら、織莉子は小さく溜息を付く。
しかし、心の中では必死になって願っていた。
彼女達が…無事に帰ってきますように…と――――
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「…」
そして、時は現在に戻る―――
彼女達が瘴気内へと侵入してから、もう幾分かの時間が経っていた。
「本当に、大丈夫かしら」
織莉子は帰ってこない2人の事が気が気でならなかった。
普段だったら、もうとっくに終わっていてもいい時間だ。
それなのに、未だに戻って来ないということは…それだけ苦戦しているという事だろう。
だから、あれだけ注意しろと言ったのに…と、心配をしながらも織莉子は悪態を付く。
だが、今はそんな事を言っている場合ではない―――
「…ふっ」
織莉子はたまらず、自分の手元に魔法で作った水晶を出現させる。
彼女達が無事に帰ってくるのかどうか、予知を使って確認しようとした。
…本当は、能力をこんな風に使いたくはない。
こんな事をして…もし、自分の見たくない未来が見えてしまったらと思うと…心が、壊れてしまいそうになるから…
織莉子は、以前予知を使った時彼女達は無事だったのだから、きっと大丈夫。
そう自分に言い聞かせながら、恐る恐る水晶を確認しようとする。
しかし―――
ザー…
「…あら」
その水晶には、何も映らなかったのだ―――
まるで、壊れたビデオテープを見ているかのように…
水晶からは、よく分らない雑音が聞こえてくるだけとなっていた。
「どうして…こんな時に…」
織莉子は、魔力が足りないのかと思い再び自分の魔力を水晶に注ぐ。
しかし、いくら注いでも…その水晶に映像が映ることはなかった。
どうしたのかと、織莉子は首を傾げる。
だが、彼女は直ぐに以前にも似たような事があったことに気付く。
なざなら、それこそが…彼女が感じる“嫌な予感”の原因となっていたからだ。
「うおぉぉぉぉぉおおおお!!」
そして、その原因を作っているのは―――
「え?」
「だぁぁああああああああ!!!」
織莉子がいる場所へと向かう下り坂を、自転車で勢いよく下って来る…
…1人の、少年であった
「あ、あの子何してるの…?」
織莉子は、もの凄い勢いで此方に向かってくるタツヤを見て、驚き…唖然とする。
どうして、あの子がこんな場所にと疑問が次々と浮かんでは消え、軽く混乱してしまう。
だが、今問題はそこではない。
「タツヤ!!あそこだ」
「よーし…」
タツヤと共にいたキュゥべえが自転車の籠からヒョイっと顔を出し、目の前に広がる瘴気を指し示す。
すると、タツヤはただでさえ下り坂で勢いの付いている自転車のペダルを、更に漕ぎ始める。
その影響で、少年達が乗っている自転車は既に制御が不可能なくらいにそのスピードを増していった。
「ど、どうするつもりだい?」
「そんなの…決まってるだろ!!」
「このまま突っ込めぇぇぇええええええええ!!!!!」
タツヤはそう叫ぶと、制御不能となった自転車のスピードを一切緩めることなく、目の前の瘴気へと向かっていく。
今の彼には、瘴気の前にいる織莉子の姿など見えてはいなかった。
「ええっ!?ちょ、ちょっと待つんだタツ…」
「どりゃぁぁぁああああああ!!!!」
「きゅっぷいー」コンナノゼッタイオカシイヨォォォォ
タツヤは勢い良く下り坂を下り終えると、そのまま瘴気へと突っ込んでいく。
車体が激しく揺れていたが、そんな事を気にしている様子は一切無い。
そして、籠に入ったままのキュゥべえと一緒に…魔獣の住処である内部へと侵入していくのだった。
「きゃっ!?」
台風のように目の前を駆け抜けていったタツヤに、織莉子は思わず悲鳴を上げる。
あまりに突然の事過ぎて、ただ自分の身を守るように道を開けることしか出来なかった。
「…え、嘘。あの子…」
タツヤ達が瘴気内へと侵入し…辺りに再び静けさが戻ると、ようやく織莉子が我に返る。
混乱している頭で必死に状況を整理し、タツヤが行った行動を瞬時に把握した。
それと同時に、それがどれだけ危険かということも彼女は理解した。
「ま、待ちなさい!!」
彼女は自分の目の前を通過していった…『普通だった』少年を追いかけるように…
ここ数年入っていなかった、瘴気内へと侵入していくのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――
「どりゃぁぁぁああ‼!!」
瘴気の中へと飛び込んだタツヤは、そのまま地上に勢いよく着地する。
勢いが付き過ぎたのか、着地した瞬間自転車が2~3回跳ね上がった。
「よし、暁美さん達はどこだ‼」
しかし、そんな事は気にもせず、
タツヤは、そのままの勢いに乗り瘴気の中を駆け抜けようとする。
このままほむら達の居場所まで一直線だと…
「…ってあれ?」
しかし―――
彼のその考えは…早くも崩れ去る。
「道が…凍ってる?」
なぜなら―――
瘴気の中に広がる周りの建物や道路が、完全に凍り付いてしまっていたからだ。
「うわぁぁあ、ハンドルが効かないぃぃぃぃぃ」
凍てしまっている道路に着地してしまったタツヤは、勢いを止められずそのまま真正面に滑っていく。
ブレーキも効かず、制御不能になった自転車と共に瘴気内をただ真っ直ぐに駆け抜けていった。
「げっ!?い、行き止まり!?」
しかし、それも長くは続かない。
彼の目の前には、まるで氷山のような…氷の塊がそびえ立っていたからだ。
タツヤの乗った自転車は、氷の道を滑り…更にそのスピードを増していく。
そして、目の前の氷塊に勢いよく突っ込んでいった。
「わぁぁぁあああああ!!!」
自転車が氷塊にぶつかる瞬間、タツヤは自転車から慌てて飛び降りる。
身体を投げ出される形となり、そのまま滑るように氷の道を転がっていく。
一方で自転車はというと、そのまま豪快に氷塊へとぶつかり…ようやくその動きを止めた。
「~~っ、いててて…」
氷の壁にぶつかり、なんとかその動きを止める。
あちこちに擦り傷を作ったタツヤは、その身体を持ち上げるようにして起き上がる。
身体中が痛むが、不幸中の幸いか骨は折れてはいなかった。
「無茶しすぎだよ」
「うるせー」
ヨロヨロとふら付きながら歩くタツヤに、そんな憎まれ口を叩くキュゥべえ。
この珍獣も自転車の籠の中に居た筈だったのだが、いつの間にか抜け出していたようだ。
自分がこれだけ傷ついているのに、平然としている珍獣を見てタツヤは溜息を付きたくなる。
だが、そもそもこんな無茶をしたのは他の誰でもない自分なのだが…
「ったく、何で辺り一面氷張ってんだよ…」
見晴らしの良い場所まで移動したタツヤは、そこから回りを見渡し…思わず声を上げる。
改めて瘴気内を確認すると、そこは完全に氷の世界が広がっていたのだ。
氷で出来た草木に、凍り付いた建物や自動車…更には、あちこちに氷山のような氷塊が建っている。
そして、空を見上げてみると…日本では絶対に見ることが出来ないような、綺麗なオーロラが広がっていた。
「多分、呪いの性質が関係してるんじゃないかな」
タツヤの隣をトボトボ歩いてきたキュゥべえは、同じく周りを見渡しながら答える。
瘴気の中は、そこに巣食う魔獣の呪いの性質が影響している。
恐らく、此処の主である魔獣は『氷』に繋がる性質を持っているのだろうと、珍獣は言った。
「火の次は氷、ねぇ…」
身体をブルっと震わせながら、タツヤは呟く。
まだ季節が春なだけあって、彼の衣服はそこまで軽装ではない。
しかし、瘴気内は氷で埋め尽くされている為か、まるで真冬のような気温になっていた。
吐く息は白くなり、指先が冷え上手く動かすことが出来ない。
タツヤは自分を温めるように、両手で身体をさすり続けた。
「あ、そうだ自転車…」
ふとそこで、先程まで自分が乗っていた自転車のことを思い出す。
いや、別に忘れていたわけではないのだが…如何せん、周りの事に気をとられ過ぎていたのだ。
「げっ!!!」
「…ボロボロだね」
タツヤが自転車を確認すると、案の定と言うべきか…完全に大破してしまっていた。
車輪は外れ、ハンドルは折れ曲がり…籠に至っては何処かに飛んでいってしまっている。
最早、原型を留めてすらいなかった。
「あっちゃー…これ弁償かな…」
出前用の自転車って高いのだろうかと、タツヤは頭を抱える。
だが、自転車がこれだけボロボロになったにも関わらず…擦り傷程度で済んだ事は喜ぶべき事なのだろう。
命があっただけ、良かったと思うべきなのかもしれない。
「………ア…ァ…」
「…ん?」
と、彼が呑気にそんな事を考えていると…突然、地響きのような音が鳴り始める。
タツヤはその異変に直ぐに気付き、再度回りを見渡す。
嫌な予感がする…。
そう感じたタツヤは、警戒するように身体を強張らせた。
タツヤは、もう既に何度も瘴気の中に侵入している。
その時に感じる瘴気独特の『悪寒』のようなものを、彼は感じ取ったのかもしれない。
そうしてタツヤが身構えていると、地響きは次第に大きくなる。
そして…
「ガァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアア‼‼‼‼」
「!!!」
それは、大きな呻き声となって…辺り一面に木霊する。
タツヤは、その声に驚き思わずその場でふら付いてしまった。
もう何度感じたか分らない感覚が、タツヤを襲う。
そう、これは…まさに―――
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛‼‼‼‼‼‼‼」
目の前に、魔獣という化物が出現する時に感じる感覚であった。
「で…出たな、化物…」
タツヤは目の前の魔獣に身体を震わせながらも、後退する事なく対峙する。
目の前に現れた魔獣は、全身が氷の結晶で構成され冷気のようなオーラを身に纏っている。
まさに、この氷で出来た世界に…相応しい姿形をしていた。
「ガァァァァア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛‼‼‼‼」
魔獣は目の前のタツヤに視線を向けると、口のような部分を開き…白色の光線を撃ち放つ。
光線は、真っ直ぐにタツヤを目がけて飛んでくる。
それが彼に対する攻撃であることは、火を見るよりも明らかだった。
「くっ‼」
タツヤはその光線を確認すると、慌てて横に飛び…攻撃を間一髪で回避する。
「って、わぁっ‼‼」
しかし、着地したと同時に足を滑らせ、その場で転倒してしまった。
尻餅を付いたタツヤは、何とかして直ぐに起き上がろうとする。
だが、足が滑って思うように上手くいかない。
運動神経は良い方であるタツヤだが、流石に下が氷の地面となると…思い通りには身体を動かせなかった。
「アアアアアア‼‼‼」
「しまっ‼」
もたついているタツヤを逃がすまいと、魔獣はすぐさま攻撃を仕掛けてくる。
再び、白色の光線をタツヤに向けて放ってきた。
上手く身体を動かせないタツヤだが、何とか身体を捻り攻撃を避けようとする。
しかし、反応が遅れたせいか避けきる事が出来ず…片足に攻撃が命中してしまった。
「なっ…くそ、動けないっ」
光線を浴びた片足は、その場で一瞬にして凍り付き地面に張り付いてしまう。
タツヤは身動きが取れなくなり、再び尻餅を付いてしまった。
その後も、どうにかして足を動かそうとするが完全に張り付いてしまいまるで動く様子を見せなかった。
「タツヤっ」
「ア゛…ア゛…アア゛…」
動けなくなったタツヤを見て、魔獣がじりじりとにじり寄ってくる。
すぐ近くまで近付いてくると、再び口を開け…光線をタツヤに向けて放とうとする。
先程の全身に浴びてしまえば、恐らく骨の髄まで凍り付き…そのまま凍死してしまうだろう。
「くそ…こんなところで…」
歯を食いしばり、その場を抜け出そうとするも…やはりピクリともしない。
彼1人の力では、最早どうすることも出来なかった。
「って、ん?」
タツヤが何とかして打開策を見出そうとしていると、ふと手に何かが触れたことに気付く。
よく見てみると、それは錆び付き刃こぼれをおこしている剣であった。
辺りを見回すと、その場には魔法少女達の武器らしき物が多数地面に突き刺さっている。
恐らく、この場所は戦場だったのだろう。
ボロボロになった武器が辺りに散乱しているのを見ると、
魔獣との戦闘が、どれだけ過酷なものだったかがよく分かる。
「ア゛ア゛ア゛‼‼‼‼」
そうしている内に、魔獣は今にもタツヤに向けて攻撃を仕掛けようとしている。
口内でエネルギーをチャージし、より強力な攻撃で彼にトドメを刺そうとしていた。
そして―――
「ガァァア゛‼‼」
その光線は無情にも、タツヤに向けて放たれる
「こんな、ところで…‼‼‼」
魔獣が放ったビームが迫る中、タツヤは身体が動かないながらも、必死の形相で魔獣への抵抗を試みる。
無意識の内に近くの地面に突き刺さっていた錆びついた剣を引き抜き、魔獣へと向けた。
すると―――
「負けられるかぁぁああああ‼‼‼」
「!!!」
タツヤは、その叫び声とともに…雰囲気を一変させる。
目つきは一段と鋭さを増し、薄い茶色だった彼の瞳は…
まるで、鮮血に染まったかのような真っ赤な色へと変貌を遂げた。
それは、以前の魔獣との戦いで見せたものと…全く同様のものであった
「あぁぁぁああ‼‼‼‼」バァァア
彼の身体は、不思議なオーラ―を纏い始める。
それは一気に全身へと行きわたり、
足にまで到達すると今まで彼を拘束していた足の氷が、粉々に砕け散った。
「邪魔すんなっ‼‼‼」
氷が砕け、動けるようになったタツヤは光線が当たるギリギリのところでジャンプし、魔獣の攻撃を間一髪で回避する。
タツヤはそのまま空高く舞い上がり…魔獣の頭上まで飛び上がったところで錆びついた剣を構える。
すると、自身の身体を覆うオーラが剣へと伝わり…剣から黒い電撃が発せられた。
「!!!」
「はぁぁあああああ‼‼‼」
―――雷鳴斬―――
タツヤは黒い電撃を纏った剣を振り下ろし、魔獣を斬りつける。
魔獣の身体は彼の斬撃を受け、その顔の部分に大きな傷を負った。
「グギャァァァァア゛ア゛ア゛ア゛‼‼‼‼」
すると、魔獣が受けたその傷から強烈な電撃が発せられる。
電撃はあっという間に身体全体に広がっていき、魔獣を苦しめる。
更に、それと同時に剣の切り傷からは、その魔獣の魔力のようなものが噴出した。
「ア゛ア゛アァァァ゛‼‼」
やがて魔獣は、その電撃によって身体を駆逐され…その場に崩れ落ちていく。
そして、そのまま断末魔を上げながら跡形もなく消滅していくのだった。
「…は」
魔獣が消滅し、辺りに静けさが戻ると…タツヤの雰囲気が再び変わる。
瞳の色は元に戻り、身体を覆っていたオーラは身を潜めた。
先程までのタツヤに戻った…ということだろう。
「え、俺…今…」
タツヤは何が起きたのかが分からないと言うように、呆然と立っている。
つい2~3分前の出来事だというのに、自分と魔獣が戦った時の記憶が完全に無くなっていた。
まるで、魔獣に斬りかかったタツヤが…タツヤ自身ではないかのように―――
「わっ‼‼」
タツヤが呆然としていると…右手に持っていた剣が突然、粉々に砕けてしまう。
「な、何だ…?」
混乱してる中、突然自分が持っている剣がバラバラになり、戸惑いを隠せないタツヤ。
錆びついて刃毀れをおこしていた剣だったが、直ぐに壊れてしまうような代物ではなかった。
それなのに、たった一振り魔獣を斬りつけただけで、この剣は砕けてしまったのだ。
「…」
何が何だか分らず頭を抱えているタツヤを、ただじっと見つめているキュゥべえ。
一挙一動も見逃さないと言うかのように、彼を観察していた。
「(やっぱり彼の魔力は異質…)」
「(そして、異常なまでに強力だ…)」
キュゥべえは驚いていたのだ、彼の想像以上の力に。
これまでも、この珍獣はタツヤの隠された力を何度も目の当たりにしてきた。
そして、その度にその圧倒的な力を覚醒させていく彼を見てきたのだ。
正直、タツヤの力はキュゥべえにも底が見えなかった。
現時点で、既に歴戦の魔法少女であるほむらやゆまの力同等である。
いや、下手をすればそれ以上の力を…タツヤは発揮していた。
「(普通の武器じゃ、あの魔力には耐えられない)」
「(彼の力を真に見極めるには、それ相応の武器が必要だ)」
先程、タツヤが持っていた剣が粉々に砕けてしまったのも
普通の魔法少女が作り出した武器では、彼の異常なまでに強力な力を制御する事が出来ないからだ。
本当の意味で彼が力を発揮させる為には、その力を制御出来る武器が必要になるだろう。
「(でも、その武器を自身で作り出すまでには…現状至っていない)」
本来、魔法少女達は自分専用の武器を持っているものだ。
しかし、今のところタツヤにはその専用武器がない。
現状、その膨大な魔力をただただ垂れ流しにしているに過ぎないのだ。
そもそも…彼の場合、キュゥべえと契約をしていないのだから発現した魔法すら分らない。
魔法のベースとなる『願い』が存在しないのだから―――
「(全く…順序が滅茶苦茶だね)」
様々な思考を巡らせ、キュゥべえは溜息を付く。
この珍獣にとって、タツヤの存在は何もかもがイレギュラーである。
地球という星にやってきて2000年以上経つが、こんな事は彼らにとって初めての事だった。
「ア…アア…」
「!?」
そう、キュゥべえが考えている時だった。
タツヤ達の周りに、再び地鳴りのような揺れが発生する。
辺りには再び不穏な空気が流れ始め、彼等を覆い尽くした。
「タツヤっ」
「ふぇ?」
これまで以上に危ない雰囲気を感じ取ったキュゥべえは、未だに呆然と立ち尽くすタツヤに慌てて声を掛ける。
そこでようやく我に返ったタツヤは、辺りの変化に気付きキョロキョロと周りを見回す。
「ガ…ガ…ア゛ア゛ア゛ア゛‼‼‼‼‼」
「!!!」
しかし、タツヤが身体を強張らせ警戒した時には既に遅く…彼の目の前には、再び魔獣が現れる
「ウ゛ア゛「ア゛アァ…」…ウ゛ア゛アァ…」…ア゛ァア゛…」ア゛ァ「ア゛ァ…」…ウ゛゛アァ…」「ア゛「ア゛ア゛…ァア…」ア゛ァ」
「なっ!?」
更に、現れた魔獣は1匹だけではなかった。
1匹の魔獣が出現したのを皮切りに、タツヤの周りには同じタイプの魔獣が次々と現れる。
そして、あっという間に複数の魔獣がタツヤを包囲した。
「くそっ…」
「「「アァァア゛ア゛ア゛‼‼‼‼」」」
逃げ場を失ったタツヤはなんとか抵抗しようと、周りに武器になりそうな物を探す。
しかし、そのような物は彼の周りにはなく先程と同じようにはいかない。
その間も、魔獣達はジリジリとタツヤに近付き彼を追い詰めていく。
どうすることも出来ず、その場で立ち尽くす事しか出来ないタツヤ。
そんな彼を狙うように、魔獣達は口を開き攻撃をチャージし始めた。
「(駄目だ、やられる…)」
万事休すか…と、タツヤは魔獣から顔を背け…思わず目を瞑る。
今の彼には、魔獣の攻撃を大人しく待つことしか出来なかった。
「諦めたら駄目よ」
しかし、その時だった―――
―――グローリーコメット―――
何処からともなく声が聞こえる。
それと同時に突然、複数の水晶玉が…タツヤ立目掛けて飛んできたのだ。
「ガァァァァァア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」
複数の水晶玉は円を描くように回転し始める。
回転速度が徐々に上がり、水晶玉は切れ味の鋭い1つのリングへと変化した。
リングはそのまま魔獣達へと迫り、その身体に切り傷を残していく。
そして、周囲の魔獣達を撹乱していった。
「…え」
突然起きた目の前の出来事に、目を丸くするタツヤ。
自分を襲おうとした魔獣達は、身体を傷つけられたリングを追うように散り散りになっていく。
逃げ道を塞がれていた筈のタツヤは、その水晶玉のおかげで危機を脱する事が出来た。
「早く‼‼」
すると、どこからか聞こえていた声が更に大きくなりタツヤの耳に届く。
タツヤが声の聞こえた方向に顔を向けると、そこには水晶玉を操る張本人であり、
彼の知る人物が立っていたのだ。
「早くこっちに来なさい‼‼」
そう、それは美国織莉子である―――
「お、織莉子さん?」
「早く‼‼」
「は、はいっ‼‼」
織莉子は険しい表情でタツヤを呼び寄せ、彼を魔獣から遠ざける。
魔獣達は織莉子の繰り出した水晶玉のリングを気にするあまり、タツヤが逃げ出す事に…気付けずにいたのだ。
「キュゥべえも、身体を無駄使いしたくなかったら、早くこっち来なさい」
「う、うん」
織莉子は続けて近くに居たキュゥべえも呼び寄せ、急いでその場を後にする。
「ア゛…ア゛…ア゛…」
「戦わないのかい?」
そうした中で魔獣に背を向けて走る織莉子に、キュゥべえが心底不思議そうにして問いかけた。
引退したとはいえ、織莉子は今でも魔法少女としての力を持っている。
わざわざ魔獣から逃げなくても、あの場面はどうにかなっていたのではと。
「…私が、あの2人と違って戦闘能力低い事くらい知ってるでしょ」
しかし、織莉子は言う。
自分の力では…あの魔獣は倒せない、と―――
織莉子の持つ予知能力は、魔法少女の中でもトップクラスの能力だ。
しかし、その反動として使用する魔力の消費も激しい。
長年の戦いの中で予知に使う魔力をセーブする術を身に着けた彼女だが、
それでも、戦闘面に割り振る魔力に関しては…限定せざるをえなかったのだ。
「それに、今の状態じゃ…足止めにもならないわ」
そう言って、織莉子は後ろに視線を向ける。
彼女の視線の先には、先程までタツヤを包囲していた魔獣達がいた。
「ガァァァア゛‼‼」
いつの間にか、撹乱していた水晶玉のリングは魔獣達によって打ち消されていた。
更に、リングが付けた筈の切り傷も…化物達の身体には残されていなかった。
文字通り、綺麗さっぱり消えてしまっていたのだ。
本人の言う通り、変身状態ではない彼女の攻撃では…通常の魔獣にすら通用していなかった。
「…」
キュゥべえは後方の魔獣達を確認すると、黙って視線を前に戻しその場を後にする。
その表情に、何処か納得出来ないというような影を残しながら…
そして、織莉子達は魔獣に背を向け…そのまま勢いよく氷の道を掛け抜けていくのだった。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
「ゼェ…ゼェ…」
全速力で魔獣の下を脱出したタツヤ達は、氷柱に囲まれた広場まで移動していた。
広場内に入ると、タツヤは呼吸を整えるためその場に腰を下ろす。
周りには既に魔獣の気配はなく、瘴気内独特の静けさが辺りを支配していた。
「…ハァ」
織莉子もまたタツヤの後ろを追うように広場に入り、その場で額の汗を拭う。
魔獣を撹乱するために魔力を消費し、更には敵から逃亡を図る。
これを同時に行うのは、やはり体力を使うようだ。
「た、助かりました…織莉子さん」
暫くすると、タツヤは服に付いた埃をパタパタと叩きながら立ち上がる。
自分を助けてくれた織莉子に一言礼を言おうと、彼は彼女に近付いていく。
「…」
「織莉子さん…?」
しかし、織莉子はタツヤに反応することなくそっぽを向いたままだった。
不思議に思ったタツヤは、尚も織莉子に近付き彼女の顔色を伺う。
すると、彼女は涼しい顔をしてはいるものの…その裏で、何処か険しい表情を浮かべているようにも見えた。
そして、次の瞬間―――
「…っ‼」
「痛っ‼‼」
織莉子は、その右手でタツヤの頬を思いっきり叩く―――
「…自分が何をしてるのか、ちゃんと分ってるの?」
振り下ろした右手を、少しだけ震わせながら…言葉を発する織莉子。
タツヤ自身がとった行動がどれだけ危険なものだったか
魔獣との戦いを良く知る彼女だからこそ、問わずにはいられなかった。
「す、すいません」
叩かれた頬を擦りながら、弱々しい声でタツヤが応える。
「もう少しで死ぬところだったのよ」
「…それは」
織莉子の言葉に、言葉を詰まらせてしまうタツヤ。
彼女の言っている事が、分らない訳じゃない。
タツヤ自身だって、もう何度も魔獣に対峙しているのだ。
あの化物達の恐ろしさを…理解していない筈がない。
「…分ったら、此処はゆま達に任せて外に出ましょう」
「此処は、危険過ぎるわ」
「貴方にも…私にも、ね」
このままこの場に留まっていてはいけないと、織莉子は言う。
彼の腕を引っ張り、彼を瘴気の外に連れ出そうとした。
確かに、身の安全を考えれば…織莉子の判断は正しい。
彼女の言う通り、今の内に瘴気内を脱出した方がいいのかもしれない。
「…」
だが、それでも―――
「さ、行きましょう」
それでも、少年は―――
「…ません」
「え?」
「それは…出来ません」
この場から、逃げ出す訳にはいかなかった―――
「なっ…貴方何言ってるの!?」
「俺は…どうしても、あの人達に伝えなきゃいけないことがあるんです‼」
「だから、俺はあの人達に会わなきゃいけないんだっ」
タツヤは織莉子の腕を静かに振り払い、自分がこの場所まで来た理由を吐露する。
彼女達に…暁美ほむら達に自らの『想い』を伝える為に…
そして、自分の中で…1つのケジメを付ける為に―――
だから、彼女達に会うまで引くことは出来ない。
そう、タツヤは織莉子に続けた。
「なっ…」
「そんな事、此処の魔獣を倒した後でいいじゃない」
織莉子は彼の発言に驚きつつも、直ぐに言葉を返す。
ほむら達に伝えたい事があるのなら、この戦いが終わってからでも…別に構わない筈だ。
わざわざ危険な目に会うような事をする必要なんてない。
そう言う彼女の意見は…もっともだった。
「何も、こんな状況で…」
こんな事は…非合理的だと、織莉子は理解に苦しむ。
どうして自ら危ない橋を渡ろうとするのか…彼女にはその理由が分らなかった。
「駄目なんです…」
「え…」
それでも、タツヤは続ける。
「駄目、なんだ…」
「今…今、伝えないと…」
「俺は…」
上手く言葉が出て来ない中、必死に自分の考えを伝えるように…
伝えられる機会は『今』しかない
そう、『次』なんてものは…無いのだという事を―――
「…」
「此処が、どういう場所か理解出来てるの?」
織莉子はタツヤの言葉をただ黙って聞いていた。
そして…少しの沈黙の後、彼女は再びタツヤに言葉を投げかける。
彼女の表情は、先程同様険しいものだった。
「それは、勿論危険な場所だってことは…」
織莉子の言葉を聞いて、タツヤは思わず反応してしまう。
自分だって魔獣の恐ろしさくらい…理解している、と。
これまで、何度も襲われそうになったのだ。
タツヤの言い分にも…説得力がある。
「…貴方は」
「貴方は…何も理解出来ていないわ」
しかし、それでも織莉子は険しい表情を崩そうとはしない。
むしろ、タツヤの言い分に…怒りさえ感じているように見える。
両手を握りしめ、ふるふると震わせながら…彼女は言葉を続けた。
「?」
突然どうしたのかと、タツヤは首を傾げる。
彼女が何故そのように言うのか、彼には分らなかった。
「…回りを、よく見てみなさい」
先程よりも少しだけ落ち着いた雰囲気で、織莉子は話す。
そして、タツヤに示すように…彼女は静かにある方向を指さす。
彼女が指先を向けたその先には、瘴気の中に立ち並ぶ氷山があった。
「え?」
タツヤは、織莉子に釣られるように視線を氷山に向ける。
一見すると、何の変哲もないただの氷山に見える。
彼女が何故自分にこのような物を見せたのか、タツヤは理解出来なかった。
「!!!」
しかし、タツヤが織莉子の言うように氷山を凝視してみると…状況は一変する。
タツヤは“それ”を見た瞬間、目を見開き…言葉を失った。
まるで、身体全体に衝撃が走るかのような、あるいは悪寒に襲われるかのような…そんな感覚に陥る。
それは、この場が寒いからとか…そんな理由ではない。
「なっ…」
目の前に広がる光景が…
あまりにも…
彼の予想を…
考えを…
そう…あまりにも、凌駕してしまっていたのだ。
「何だよ…これ…」
タツヤの目の前には氷山がある。
しかし、問題はそこではない。
問題は、その氷山の“中身”にあったのだ―――
氷山の中身…それを、よく見てみると…そこには―――
「人が…」
「魔法少女が…凍ってる…」
魔法少女の衣装に身を包んだ数人の姿が、そこにはあった。
そう、氷漬けにされた…魔法少女の…死体が―――
「恐らく、此処の魔獣に挑んで」
「…敗れていった魔法少女達よ」
氷山の中で永久に眠る魔法少女達に視線を向けながら、織莉子が静かに語る。
「敗れたって…それって…」
「ソウルジェムが、砕けてるでしょ」
「この子達は…魔獣との戦いに負けて…」
「そして…死んだのよ」
過去にも…この瘴気に侵入し、主である深化魔獣に挑んだ魔法少女が何人もいた。
しかし、そのいずれもが…魔獣を倒すまでにはいかなかったという。
戦いの途中で力尽き…魔力を失い、
あるいは魔法少女の“魂”であるソウルジェムを砕かれ、この少女達は死んだ。
そして、此処の魔獣達によって氷漬けにされてしまったのだ。
「だ、だからって…」
「どうして…こんな…」
タツヤは、理解できなかった。
今までも何度か瘴気の中に侵入してきたタツヤだが、このような光景を見るのは初めてだ。
魔法少女達の死体を、まるでオブジェであるかのように氷漬けにしている魔獣達。
何故、どうして、こんなことをするのかと、タツヤの頭の中は疑問と悲哀の感情で溢れていた。
「…『氷華の深化魔獣』」
「呪いの性質は、『孤独』」
動揺するタツヤを尻目に、織莉子は話を続ける。
「此処の魔獣は、自分が襲った人間や自分と戦った魔法少女達の死体を氷の中に閉じ込めて飾ってるのよ」
「自分の孤独を紛らわせるためにね…」
この瘴気に巣食う魔獣の性質を、織莉子は淡々と説明する。
誰かに一緒にいてほしい
構ってもらいたい
自分を1人にしないで欲しい
それは、『孤独』であるが故に、抱いてしまう人の感情。
そういった感情から生まれた魔獣だからこそ、このような奇怪な行動をとるのだと。
死体を自分達の周りに飾ることで、あたかも自分達は1人ではないと自らに言い聞かせるように―――
「そんな…」
タツヤは、足腰が立たなくなったかのようにその場に座り込む。
彼女の話が、目の前の光景がそのような行動をとらせてしまった。
タツヤには、ショックが大きすぎたのだろう。
「…」
「(この子達も、悲惨ね)」
「(こんな状態じゃきっと、『円環の理』にも行けないんでしょう…)」
織莉子は想う。
この場に眠る魔法少女達の、哀しき末路を…
本来、力を使い果たした魔法少女達は『円環の理』に導かれると言われている。
しかし、此処の少女達のように魔獣達の力によって瘴気内に閉じ込められてしまっては、円環の女神でも干渉は出来ないのだろう。
つまり、この魔法少女達は『円環の理』へは行けないという事になる。
それは…『希望』を信じる魔法少女達にとって、哀しすぎる最期だった。
「なんで…こんな…」
「…」
「こんな…酷いこと…」
タツヤは氷の中で眠る魔法少女達の前で悲痛の声を上げる。
堪えようのない哀しみを必死に抑えながら…身体の震えを、両手で必死に抑えながら…
「これで、分かったでしょ?」
「…くっ」
そうしているタツヤに、織莉子が冷たく言い放つ。
この世界は、貴方の思っている程甘い世界ではない…と。
その言葉は…今この場で使うには、あまりにも残酷であまりにも無常で…
そして、あまりにも正論だった。
「…ごめんなさい。子供に見せるものじゃなかったわね」
タツヤが項垂れているのを見て、織莉子は直ぐに彼に手を差し伸べる。
先程とは打って変わって、全てを包み込むような優しい表情を浮かべながら…。
彼女も中学生になったばかりのタツヤに、こんな光景を見せたくはなかった。
しかし、彼に自分の行動がどれだけ危険なものだったかを分らせるにはこの方法しかなかっのだ。
「さあ、帰りましょう。ね?」
手を静かに肩へと乗せ、囁くように語り掛ける織莉子。
この場所は、お互いに危険な場所であるとタツヤに再度言い聞かせ、彼女は瘴気内を脱出しようとする。
「!!!」
「織莉子!!」
「え?」
だがしかし…彼女がタツヤに気を取られていると、キュゥべえが突然声を上げる。
その声に反応するように、織莉子はキュゥべえの居る方向へと視線を向けた。
すると、そこには―――
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛‼‼‼‼‼」
「な…っ‼‼」
「そんな、もう追いつかれたというの…?」
先程、織莉子が魔法で撹乱し撒いた筈だった魔獣がそこにはいた。
この場が魔獣達の
それでも、タツヤを逃がす時間くらいは確保出来るよう撒いたつもりだった。
「(くっ、予知さえ使えれば…こんなヘマしないのに…‼‼)」
「(どうしても、この子がいると…)」
正直、こんなに早く見つかるとは…彼女も思っていなかった。
いや…普段なら、そんな予想をする必要もない。
予知能力さえ使えば…このような事態は容易に想定できるからだ。
しかし、今の彼女にはそれが出来ない。
どういうわけか…タツヤが傍にいると、彼女は予知能力を使用することが出来ないのだ。
何故そうなってしまうのかは、彼女も未だに分ってはいない―――
「ガァァア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛‼‼‼」
「危ないっ‼‼」
そんな中、魔獣は彼女達を見つけると、すぐさま口を開け冷凍ビームを撃ってくる。
織莉子は慌ててタツヤに近付き、彼と一緒にその場に滑り込む。
そして、間一髪のところで魔獣の攻撃を回避した。
「ふぇ?わっ‼‼」
タツヤは何も分らずに、その場で転倒する。
魔獣の放った光線は織莉子達の頭上を通り、辺りの道路や建物を一瞬で凍らせる。
キュゥべえが気付いていなければ、2人共その建物らと同じようになっていただろう。
「ウガ…ァァアア…ア゛ア゛ア゛…」
「くっ、まずいわね…」
織莉子は直ぐに起き上がり、魔獣を目の前に複数の水晶を構える。
対して魔獣は、彼女の姿を見て再び攻撃をチャージし…発射口を織莉子へと向けた。
「いてて…」
そんな中、タツヤは織莉子より一足遅れて起き上がる。
突然押し倒されたためか、彼は魔獣の存在に気付けず…現状を把握出来ずにいた。
「ウガア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼」
「!?織莉子さん‼‼」
しかし、目の前にいる魔獣の存在に気付くと…その場で直ぐに織莉子に呼び掛ける。
だが、魔獣は既に攻撃のチャージを完了しており、
タツヤが気付いた頃には彼女に向けて既に光線が発射していた。
ビームは、織莉子へ向けて真っ直ぐに飛んでいき…彼女に迫ってくる。
「…」
しかし、一方の織莉子はビームを避けようとはせず、その場で目を閉じそのまま立ち尽くしている。
それは一見すると、もう諦めてしまったかのように見える―――
「っ‼‼」
だが、タツヤがそう感じたのも束の間、織莉子は閉じていた両目を力強く開く。
その姿を見たタツヤは、彼女の両目が生気に満ちているのを感じた。
織莉子の目は、まだ死んではいない。
そう、彼女は―――
―――Verseau―――
決して…諦めてなどいなかった―――
「え、な…何?」
突然、織莉子が聞き覚えの無い言葉を発すると、それに反応するように彼女の周りに水晶玉が出現する。
水晶玉は織莉子の前方に陣取り、何かを作り出すかのように配列を変えていく。
そして、水晶玉と水晶玉の間を光の線が繋ぐと、複数の水晶玉により1つの紋章が作り出される。
それは、夜空に浮かぶ星達で作られた星座のようであった。
「メッ‼‼」
「えっ!?」
「か、亀…!?」
織莉子が水晶玉で紋章を完成させると、それは小さな魔法陣に代わる。
魔法陣はその場で眩い光を発し、瘴気内を光照らしていった。
そして、その光が最高潮に達する時…その魔法陣から一匹の可愛らしい亀の珍獣が現れた。
目の前の突然の光景に、タツヤは目を丸くし…視線を奪われる。
―――défense Shield―――
「メメェ‼‼‼」
再び織莉子が言葉を発すると、その亀は手足や頭を甲羅に引っ込める。
そして、その甲羅を勢いよく回転させ始めた。
亀の珍獣はどんどん回転スピードを上げていき…織莉子の目の前に、小さな光の壁を作り出す。
「うあわっ」
光りの壁は、魔獣が放った光線を真正面で受け止め…織莉子達の身を守る。
攻撃を打ち消すまではいかなかったが、最悪の事態だけは避けることが出来た。
「なんだ…アレ…」
一部始終を見ていたタツヤは、思わずそう呟く。
織莉子が呼び出した(?)小さな生き物によって、自分達は攻撃を受けずに済んだ。
しかし、その生き物が一体何者なのか彼には全く分らなかった。
「あれは、織莉子が自身の魔法で召喚した支援獣さ」
「支援、獣…?」
そんなタツヤの疑問に答えるように、キュゥべえが彼に近付き声を掛けてくる。
あの生き物も、彼女の魔法によるものであると…
「織莉子はもともと、素の戦闘能力があまり高くない」
「だから、ああやって防御なら『防御』というふうに…」
「一点の能力に特化した支援獣を召喚して、サポートしてもらいながら戦うのが彼女の戦闘スタイルさ」
「…」
前述したとおり、彼女は予知能力にある程度魔力を使わなければいけない為、戦闘面で使用出来る魔力は限定されている。
彼女はそんな自分の少ない魔力を十二分に活用するため、攻撃なら『攻撃』…防御なら『防御』と、
1つの能力を集中的に強化する術を習得した。
それぞれの能力に適した使役魔獣…『支援獣』を呼び出し、援護してもらう。
勿論、この戦い方にはデメリットもある。
1つの能力に限定して強化するため、他の能力が疎かになってしまうのだ。
しかし、彼女はそのデメリットを自らの『未来予知』でカバーしている。
相手の行動を先読みし、その状況にあった支援獣を呼び出して戦う。
それが、彼女が長年の戦いの中で身に付けた戦い方だった。
だが―――
「でも、あれじゃ多分勝てない」
「えっ」
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛…ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛‼‼‼‼‼‼‼」
「メ…メメ…メッ‼‼」
キュゥべえがそう呟くと同時に、織莉子が作り出した光の壁が魔獣によって打ち消される。
攻撃は光の壁を貫通することはなく、どこかへ消えていってしまった。
しかし、その反動で彼女の支援獣も一緒に消滅してしまう。
「‼‼ そんな…」
「ガァァアア‼‼‼」
「きゃあ‼」
魔獣は、すかさず次の光線を撃ってくる。
光の壁を失った織莉子はギリギリのところで攻撃を回避した。
だが、彼女はその光線の反動をまともに受けてしまい…近くの氷山まで吹き飛ばされてしまう。
「なっ‼‼」
「織莉子さん‼‼」
「く…ぅう…」
織莉子を心配に思ったタツヤは、大急ぎで彼女の傍へと駆け寄る。
幸い…大きな怪我は無かったが、少なからずダメージは受けているようであった。
支援獣とやらを召喚し、相手の攻撃を防いだ筈なのに…その魔法は、いとも簡単に破られてしまった。
それも、主である深化魔獣ならともかく…
只の…魔獣相手に…
「やっぱり、その状態じゃ無理だよ織莉子」
タツヤに続いてキュゥべえも彼女に近付いてくる。
「変身しないと…」
そして、キュゥべえは言う。
魔法少女の姿にならなければ、まともに戦うことは出来ないと―――
「分ってるわよ、それくらい…」
本来、魔法少女として契約した者達は、それ相応の姿に変身して戦う。
自らの魔翌力を解放して魔獣に立ち向かうためだ。
変身せずとも魔法を使うことが出来るのだが、それでは通常の半分程度の力しか発揮できない。
只でさえ戦闘能力が今一つなのだ…
変身してない状態の織莉子では苦戦するのは…ある意味道理であった。
「でも…」
だが、彼女は…
「織莉子さん…?」
「…」
織莉子はキュゥべえの言葉を聞くと、表情を隠すように俯いてしまう。
それはまるで、珍獣から…現実から、目を背けているかのようだった。
タツヤは、そんな彼女を見て声を掛けるも…織莉子が反応することはない。
急に様子が可笑しくなった彼女を、タツヤはただただ見ている事しか出来なかった。
「タツヤ君…」
しかし、少しすると…織莉子は何かを決意したかのように顔を上げる。
彼女を心配するように見るタツヤに声を掛け、目線を合わせた。
そして―――
「貴方だけで、逃げなさい」
ただ一言…自分を残して逃げろ、と―――それだけを彼を伝える。
「えっそんなっ」
「コイツは、私が何とかするわ」
タツヤが困惑する中、
彼女はそう言って自分の身体を引きずるように持ち上げ、魔獣に対峙した。
その身体は、所々で先程の魔獣の攻撃による傷が目立っている。
「無茶だ‼‼だって今キュゥべえが…‼‼」
タツヤはキュゥべえが先程言った事を聞き逃してはいなかった。
変身しなければ、あの魔獣には勝てないという先程の言葉を…
彼女が変身しない理由は、よく分らない。
だが、今の織莉子を残して行けばどうなるか、それくらいは容易に想像できる。
それなのに、彼女を見捨てて自分だけが逃げるわけにはいかない。
タツヤは織莉子にそう訴えかける。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛‼‼」
「来るよっ」
しかし、そんな事を言う暇もなく魔獣がタツヤ達に襲い掛かる。
不気味なほど真っ白な息を吐き出し、鋭く尖った氷柱のようなものを口から次々と吐き出す。
「いいから行きなさい‼‼」
「うわっ」
氷柱が迫ってくる中、織莉子はタツヤを敵の攻撃から守るため、遠くへと突き飛ばす。
そして、自らは攻撃を避けようとはせず、目の前で小さな結界を展開させた。
しかし、その結界は…どう見ても魔獣の攻撃を防ぎきれるものではない。
先程のように支援獣を召喚する余裕も…魔力も、今の彼女には残っていなかったのだ。
「ガァァア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛‼‼」ッ
「っ‼‼」
案の定、織莉子の展開させた結界は数本の氷柱を受け止めた後に砕けてしまう。
だが、魔獣が放った氷柱の雨がそれだけで終わることはなく…
その後も次々と織莉子に無数の氷柱が襲い掛かり、彼女の身体を傷付けていった。
「ん…うぅ…」
そんな中、織莉子に突き飛ばされたタツヤは、氷山に頭をぶつけ軽く意識を失っていた。
「んぅ」
「…織莉子、さん」
タツヤは意識を失いながらも、周りの状況を何となく感じ取る。
「ア゛ア゛ア゛ア゛…ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛…」
「…はっ‼‼」
彼の脳内には、1つの映像が流れていた。
それは、織莉子が自らの身を削りながら魔獣に挑んでいる姿。
例えどんなに不利な状況だったとしても、絶対に退こうとはしない彼女の姿だった。
何故、こんな無謀な事をするのか…それは、決まっている。
無謀にもこの世界に頭を突っ込み、こんな状況を作り出してしまった自分を、
赤の他人である自分を、守るため。
「…」
「…俺は」
意識が朦朧とする中、そんな紛うことなき事実を突き付けられたタツヤは…
「…」
「…俺は、また…」
また、同じことを繰り返してしまうのか。
自分は彼女達に迷惑をかけたまま何も出来ず、ただひたすらに守られるだけなのか。
勝手に首を突っ込んで、止めろと言われても我が儘を通して突き進み、また守られる。
その、繰り返しなのだろうか。
何度、何度繰り返しても…結果は変わらないのだろうか。
自分は、弱いままなのだろうか――――
「く…くそぉ…」
自分は、何の為にここまで来たのだろう。
せっかく父や友人、自分を支えてくれる人達に背中を押してもらったというのに
このまま、彼女達に迷惑を掛けたまま…終わってしまうのだろうか。
タツヤは、己の不甲斐なさに怒りすら覚え…拳を震わせる。
このまま、自分はまた…―――
―――また、何?―――
「…っ」
そんな時だった―――
以前にも聞いたこともある、不思議な声が彼の耳に届いたのは…
―――また…―――
―――
聞き覚えのある懐かしい声が、タツヤの脳内に響く。
その声は…彼に語り掛けるように、彼の核心を付くように…
「…お、俺は…」
―――このままで、いいんだ?―――
彼を、“導く”ように―――
「…い、嫌だ…」
「俺は…俺は…もう…」
「…二度と、逃げたく…ない…」
タツヤはその声に反応するように、歯を喰いしばり…少しずつ声を絞り出す。
あの日、身体を再生させたほむらを見て…怖くなってしまった『自分』
魔法少女達の世界から…目を背けてしまった『自分』
彼女達から…逃げ出してしまった『自分』
「弱い、自分を盾にして…」
「…逃げる、なんて…」
「…もう、嫌…なんだ」
そんな『自分』を…変えたいと思った―――
だから、無謀を承知で…此処まで来た―――
彼女達に自分の意思を伝える為に、タツヤは此処まで駆けてきたのだ―――――
これ以上、逃げるわけには…
諦めるわけに、はいかなかった。
―――………―――
―――じゃあ、どうしよっか?―――
そんなタツヤを、優しく包むように…その声は、彼に語り掛ける。
薄らと開けられたタツヤの目には…可愛らしい衣装に身を包んだ少女のシルエットが映っていた。
彼女は、徐々にタツヤに近付き…優しく、手を差し伸べる。
その姿は…さながら天使のようであった―――
「俺は…」
「…強く、なりたい…」
「もう、逃げなくてもいいくらい…」
「どんなものにも…負けないくらい…強く…」
タツヤは、彼女の差し伸べた手を掴む為に…自らの手を伸ばす。
彼女の手を力強く握りしめ、自分の意思をぶつけた。
『強くなりたい』
ただそれだけを、女に願ったのだ。
そう、ただただ…それだけを――――
―――…―――
―――…ッヒヒ―――
―――…いいよ―――
―――その『願い』叶えてあげる―――
彼の手を掴んだ彼女は…そう言って、口角を上げ笑みを浮かべる。
そして―――
「…え」
「あがっ‼‼」
「が…あ…」
刹那―――
タツヤを、『あの』頭痛が襲う。
頭を鈍器で殴られたような…
あるいは、頭を引き裂かれたかのような激痛が彼に襲い掛かった。
―――さあ…―――
―――あなたの中に眠る…その”力”を―――
―――解き放って―――
苦しむタツヤを優しく見守りながら…彼女は、語り続ける。
「がぁぁぁぁあああああああああああああああ‼‼‼‼‼‼」
―――そう…それでいいんだよ―――
彼の中にある『何か』を…呼び覚ます為に―――
「あああああああああああああああああああああああ‼‼‼‼」
タツヤの叫びが最高潮に達すると、彼の周りには不思議な光柱がいくつも現れ…
更には、大地を震わせるような地響きが発生し始める。
それは、まるで…世界が彼の中に眠る『力』に怯えているかのようであった―――
―――だって…―――
―――力なら…―――
―――幾らでも、あるんだから―――
―――…イヒヒッ―――
そんな状況の中でも、彼女の口元の笑みは崩れない。
相も変わらず、彼に見守り続け…優しく語り掛ける。
彼女を包む光の奥に…その表情を、隠したまま―――
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
「はぁ…はぁ…」
「アア゛…ガァア…」
織莉子は…必死になって戦っていた。
身を挺して彼を守る為に、生身のまま戦い続けていたのだ。
その身体には、魔獣から受けた無数の傷が痛々しく残っている。
「私は…こんな魔獣1匹にも…歯が立たないっていいうの…?」
フラフラになりながらも…織莉子は魔獣に対峙し、武器を構える。
しかし、彼女のどんな攻撃も…魔獣を倒すには至らなかった。
元々、今の状態では敵わないことは分っていた。
だが、流石にここまで圧倒的だと…流石の彼女もショックを隠し切れなかったのだ。
「…くっ」
「やっぱり…変身しないと…」
この状況を打開する方法は…1つしかない。
ソウルジェムに力を集中し、魔法少女の姿に変身することだ。
彼女は自らの白いソウルジェムを取り出し…意識を集中させる。
変身さえ出来れば、この魔獣1匹くらいはどうにかなるかもしれない。
「…っ‼‼」
「…、………、…‼‼」
だが―――
『織莉子…』
「!!!」
意識を集中させる彼女の脳裏に、1つの映像が浮かび上がる。
それは、かつての友人の姿であり―――
忘れたくても…忘れられない、彼女の過ちの記録であった―――
「…う」
「ごほっ…ごほっ…うっ…あっ…」
その映像が頭の中で流れた瞬間…彼女は、突然胸が苦しくなるのを感じる。
織莉子はその場で蹲り、苦しそうに胸を抑えた。
あまりの苦しさに、自らのソウルジェムを地面に落としてしまう。
身体は震え出し、堪えようのない吐き気が彼女を襲う。
「はぁ…はぁ…」
「やっぱり…駄目…」
「私は…」
彼女は―――変身することが出来なかった
彼女の中にある、過去のトラウマがそれを許さなかったのだ。
変身して魔法少女の姿になれば…
自分は、再び同じ『過ち』を繰り返してしまうかもしれない。
そんな思いが、彼女の変身を邪魔していた。
「ガァァァアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛‼‼‼‼‼‼‼‼」
その場で蹲る織莉子の姿を見て、魔獣が再び口を開き攻撃をチャージし始める。
「ア゛ア゛ア゛ア゛‼‼‼‼」
「…っ‼‼」
そして、攻撃のチャージを完了すると…魔獣は織莉子に向けてその光線を放つ。
織莉子は最早逃げることも出来ず、その場で立ち尽くすことしか出来なかった。
結界を張る時間もない、自分もいよいよここまでかと彼女は静かに目を瞑る。
こんな未来は予知できなかったが…
それが、自分の『運命』なら受け入れるしかない。
彼女は思う。
最期に、あの少年を助けることが出来て、良かったな、と――――
「っ!!」
「アァア‼‼」
「…え?」
だが、しかし―――
そんな彼女の想いは突如として、打ち消される。
「…」
自分が守った筈の、少年によって―――
「あ、貴方…」
タツヤは織莉子を抱きかかえ、その場に立ち尽くしている。
何が起きたのか…彼女には分らない。
魔獣による攻撃は、織莉子に命中したかに見えたのだ。
しかし、ギリギリのところで彼女はこの少年の手助けによって攻撃を回避することになった。
「…大丈夫ですか」
「え、ええ…」
「…良かった」
戸惑いながらも、織莉子は少年に応える。
彼女は、戸惑っていた。
この少年は一体誰なのだろう、と―――――
分っている、自分が可笑しな事を言っていることを
だが、そう思ってしまう程に…今の彼は、先程までとは雰囲気が変わってしまっていたのだ。
光りに包まれたかのようなオーラを身に纏い、
そのオーラの影響か…髪の毛は逆立ち、色も色素を失ったかのような白色に変わっている。
目つきは再び鋭くなり、眼光も真っ赤に染まっていた。
最早、彼と親しい人物でさえ
『彼は果たして本当に鹿目タツヤなのだろうか?』
と疑問を覚えてしまう程に―――
それほどまでに…今のタツヤの姿は、原型を留めてはいなかった。
「ガァアアア‼‼‼ア゛ア゛ア゛‼‼‼」
「…下がっててください」
「…この化物は、俺が片付けます」
タツヤは織莉子を下ろすと、彼女の前に立ち魔獣と対峙する。
そして、落ち着いた口調で彼女に声を掛けた。
この魔獣は…自分が倒す、と―――
「な、何言って…」
突然何を言い出すのかと、織莉子はタツヤを呼び止める。
普通の人間であるタツヤが、魔獣に勝てるはずがないと…そう、思ったから。
もっとも、今のタツヤは…どう見ても普通ではないのだが…。
「…っ‼‼」
「きゃあっ」
しかし、織莉子がそう呼びかけるのとほぼ同時に…タツヤが纏うオーラが輝き始めた。
織莉子がその輝きに驚きふら付く中、タツヤは地面をしっかりと踏みしめ意識を集中させる。
彼に反応するように、瘴気内の建物やその他諸々がざわつき始めた。
「…え?」
体制を崩してしまった織莉子は、近くの氷山の前で尻餅を付いてしまう。
そして、ふと氷山を見上げると…彼女は“ある異変”に気付いた。
それは―――
「氷づけにされた、魔法少女達の…」
「砕けた、ソウルジェムが…」
そう、氷山内で永眠する魔法少女達のソウルジェムが…
まるで生きて活動しているかのように…光り輝き始めていたのだ―――
「…」
その光は、やがて1つに集まり…大きな光となって、タツヤの下へと注がれていく。
「…うっ」
そして、織莉子のソウルジェムもまた…彼女らと同様、その輝きを強めていく。
必要以上な輝きを見せるソウルジェムに、彼女は戸惑いを隠せずにいた。
やがて、彼女のソウルジェムの光もまた…タツヤの下へと近づいていく。
「(何…これ…?)」
「(力が、抜けていく…)」
同時に、彼女は自分の身体に…力が入らなくなるのを感じる。
それは、自分の中から…何かが抜けていくような感覚…
魔法を使っているわけでもないのに、魔力が徐々に減っているような…そんな感覚だった。
「…っ‼‼」
そして、タツヤはというと彼女達のソウルジェムの光を一身に浴び、全身を覆うオーラを徐々に大きくさせていく。
只でさえ強力な魔力を、ますます強くさせているように見えた。
まるで、死んでいった魔法少女達の残された最期の魔力が彼に力を与えているかのようで―――
だから、織莉子のソウルジェムもまた彼に力を与えようとしていたのかもしれない。
少なくとも、今この場ではそのように見えたのだ。
「(何…何なの…)」
「(この子の…この力は…)」
タツヤの姿を…力を見て、驚くことしか出来ない織莉子。
今までずっと彼の事を、少し無鉄砲な子供くらいにしか思っていなかった彼女にとって、今の光景は信じることが出来なかった。
しかし、彼女が呆然と立ち尽くしている間も彼の力はより強大になっていく。
彼を覆うオーラはますますその輝きを強くさせ、より大きなものへとなっていく。
「…はぁああ‼‼‼」
そして、タツヤは掛け声と共に一気に左手を振り上げた。
すると…彼を覆ていたオーラが彼の左手に集まっていく。
その強力な力が、左手に集中しているようであった。
「!!!」
「あ…あれって…」
一部始終を見ていた織莉子が思わず声を上げる。
タツヤの左手に集まったオーラが、徐々に形を変え…何かを具現化させていく。
オーラは、彼の身長と同等の武器へと変化していく。
全体的に黒を基調とし…少し長めのグリップの両端から剣身を伸ばしている。
それは、2つの剣の柄頭を重ね合わせて作り出したような…1つの得物へと変貌した。
「…」
「そうか…」
「それが…君の…」
そう、それは紛れもなく…タツヤ自身が作り出した――――
彼、専用の―――
「…」
「双、刃…」
―――武器で、あると…
タツヤは…彼専用の武器をその手に握りしめる。
2つの得物を合わせたかのような特殊な剣…
『双刃』を―――
「…そして」
「君の…魔法は…」
そんなタツヤに視線を送りながら…何か答を見出したかのように、キュゥべえが呟く。
彼を見上げる今のキュゥべえは、物事の核心にたどり着いたかのような、そんな表情をしていた。
キュゥべえの辿り着いた『答』が…『真実』が、何を意味しているのか…
それは、今は誰も分らない―――
「ア゛ア゛ア゛…ア゛ア゛ア゛ア゛…ア゛ア゛…」
「…かかってこい」
「…化物っ‼‼」
しかし、そんなキュゥべえや織莉子の事を知る由もなく
タツヤは剣を構え、魔獣に対峙する。
そして、目の前の化物に一心不乱に挑んでいく。
「ガァァァアア゛ア゛ア゛ア゛‼‼‼‼」
魔獣はタツヤの姿を見て、標的を彼に移す。
そして、再び鋭く尖った氷塊をタツヤに向けて吐き出した。
氷塊は次々と発射され、障害物をいとも簡単に貫き…タツヤに襲い掛かってくる。
「あ、危ないっ」
織莉子が声を掛けるも、避ける時間などなく…氷塊は目の前まで迫る。
「!!!」
しかし次の瞬間、タツヤは双刃を回転させ、その場で小規模の結界を作り出す。
氷塊はその結界に吸い寄せられるように次々と飲み込まれ、粉々に砕けていく。
結局、魔獣の攻撃はその結界によって全て防がれ、タツヤを傷付ける事はなかった。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛‼‼‼‼」
攻撃を防がれた魔獣は、逆上するようにその場で奇声を上げる。
そして、タツヤに襲い掛かろうと物凄い勢いで突進してきた。
「はぁあああああああ‼‼‼」
我を失い勢い任せとなっている魔獣と対峙し、タツヤはオーラを全身に纏わせ始める。
ただがむしゃらにに突っ込んでくる化物を迎え撃つため、双刃を構えた。
そのままタツヤは大きく一歩を踏み出し、身体の重心を前に移動させ突撃の体制をとる。
「はぁっ!!」
―――飛龍閃―――
タツヤは懐に飛び込むように魔獣に向けて駆け出す。
彼を覆うオーラはその輝きを次第に強め、その姿を龍へと変える。
龍のオーラに包まれたタツヤは、そのまま自ら弾丸となるように…魔獣へと突撃した。
そして、突進してきた魔獣と衝突すると、龍のオーラが魔獣を喰らったかのように、その身体を貫いた。
「な…」
「ガ…ア…アア…」
身体に大きな穴を開けられた魔獣は呻き声を上げながら、その場に崩れ落ちていく。
織莉子がどんなに手を尽くしても足止めすら出来なかった魔獣を、タツヤは一撃で倒してしまった。
そんなタツヤの姿を見て、織莉子は小さく声を漏らし傍観する事しか出来なかい。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛‼‼‼‼‼‼」
しかし、その魔獣が完全に崩れ落ちたとほぼ同時に、次の魔獣がタツヤの目の前に現れる。
魔獣は彼を警戒しているのか近付こうとはせず、その場から氷塊を吐き出していく。
彼の力を目の当たりにして、魔獣も不用意に接近するのは危険だと判断したようだ。
「…このっ‼‼」
タツヤは氷塊をジャンプで避けつつ、全て回避するとそのまま空高く飛び上がる。
すると、オーロラが流れる空に…急に暗雲が立ち込める。
暗雲は次第に黒い雷を落とすようになり、その雷はタツヤの持つ双刃に集まっていく。
やがて、双刃は黒い電撃を纏い…その電撃によって刀身を伸ばす。
すると、タツヤの双刃は巨大な剣へと形を変えた。
「くらえっ」
―――九天雷鳴斬―――
タツヤが巨大化した双刃を振り切ると、刀身に纏っていた黒い電撃が衝撃波となって飛んでいく。
そして、衝撃波は徐々にスピードを速め…魔獣へと迫った。
「ギャァァアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛‼‼‼‼‼‼」
衝撃波は魔獣へとヒットすると、その身体を真っ二つに切り落とす。
更に、その切り口からは凄まじい電撃が発せられ…その身体を焦がしていく。
身体半分を切り落とされ、電撃によって駆逐された魔獣は、そのまま粉々に砕け…消滅してしまった。
「アアア゛ア゛「ア゛アアァ…」…ア゛ア゛アァ」…ア゛ア゛」ア゛ア゛「ア゛…」…ウ゛゛アァ…」「ア゛「ギア゛ア゛…ァア…」グア゛ァ‼‼‼」
しかし、休む暇を与えないとでも言うように…今度は複数の魔獣が出現し、タツヤに迫る。
魔獣は次々と増えていき、あっという間に1つの大群を作り出す。
いくらタツヤの魔法が強力なものであったとしても、これだけの大群を一撃で撃破するのは難しい。
そもそも1人が相手に出来る量ではない。
今回ばかりは苦戦するかと思われた。
「!!!」
「なっ!?」
しかし、それでもタツヤが怯むことはなかった。
彼は魔獣の目の前に立つと、双刃を横にして自分の前に構えた。
すると、双刃が再びオーラに包まれ始める。
双刃は徐々に姿を変え、纏っていたオーラを強めていく。
「(剣が…)」
「(2つに…)」
そして―――
オーラを纏った双刃はグリップの真ん中から分かれ、光の紐で繋がれた2つの独立した剣へと変化する。
そう、双刃が…双剣へと変化したのだ。
タツヤは2つに分かれた双刃…双剣を両手に構え、魔獣と再び対峙する。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛‼‼‼‼‼」
「だぁぁぁぁあああ‼‼‼」
魔獣達は我こそはと競い合うように、次々とタツヤへ襲い掛かってくる。
タツヤも負けじと双剣を構え、自分へと向かってくる魔獣の群れに突撃する。
そして、彼は一気に魔獣の眼前まで近付いていった。
「せいっ」
「ア゛ァ‼‼‼」
一閃、タツヤは目の前の魔獣を斬りつける。
斬られた魔獣は、その身体に大きな切り傷を作る。
そして何故か、その場で固まり…動けなくなってしまった。
「ぜあっ」
「ア゛ア゛ァァア‼‼‼‼‼」
そんな中、タツヤは直ぐにその後ろに居る魔獣へと迫り、同じように斬りつけた。
「はあ‼‼」
「ガア゛ァァァアアアア‼‼‼‼‼」
魔獣を斬りつけ、その後ろにいる魔獣に近付き…また斬る。
その動作を繰り返し、更にはそのスピードを徐々に速めていくタツヤ。
そのまま超スピードで魔獣の群れを駆け抜けていき、双剣で魔獣達に次々と一撃を与えていく。
そして、あっという間に全ての魔獣に切り傷を負わすと、タツヤは自分が最初にいた場所へと戻ってくる。
一方で、傷を負った魔獣達はその場から一歩も動けず立ち往生することしか出来ない。
「ふんっ!!」
―――閃光双刃―――
しかし、タツヤが双剣同士を合わせ、その形を双刃へと戻した時―――
ガチン、と柄頭同士が合わさった瞬間…魔獣達を無数の刃が襲う。
魔獣の身体は、その無数の刃によって斬り刻まれ…細切れになっていく。
「アアア゛ァァ‼‼「ギア゛アァァァァ」…ア゛ア゛ァ‼‼‼‼‼」
無数に居た筈の魔獣は次々と身体を斬り刻まれ…崩れ落ちていく。
そして、一瞬にして全ての魔獣を消滅させていった。
「強い…」
戦闘の一部始終を見て…一言、それだけを漏らす織莉子。
あれだけ大量に居た魔獣を、タツヤは特に苦にすることもなく倒してしまった。
いくら単体が一般レベルの魔獣であったとしても、この力は常軌を逸している。
何の力も持っていない筈だった少年が、どうしてこんな力を持っているのか…
織莉子は理解することが出来なかった。
「うん、本当にね」
そんな中、後ろからキュゥべえがトコトコと彼女に近付いてくる。
「キュゥべえ…」
「やあ、無事かい?」
キュゥべえは何事も無かったかのように、織莉子に声を掛ける。
目の前で起きていた現象に驚いた様子はなく、ただただ彼女の事を気遣う。
もっとも、腹の中では何を考えているのか…その表情からは分らないのだが…。
「…あの子は、何者なの」
動揺を抑えつつも、織莉子は近付いてきた珍獣に問いかける。
彼は…鹿目タツヤは、何者なのか―――と
「それは、どういう意味で言ってるんだい?」
織莉子の問いにキュゥべえは惚けたような態度を取る。
彼女が何を言っているか分らない、そう…わざとらしく首を傾げた。
この生き物が、その言葉の意味が分からないわけないというのにだ。
「いいから答えなさい」
織莉子はそんなキュゥべえに冷たい視線を浴びせ、再び問いかける。
こんな状況の中で、彼女に冗談や誤魔化しが通じる筈もなかった。
知っている事を全て話せ、織莉子はキュゥべえに対し暗にそう示す。
「…」
「…僕もそれが知りたかったんだ」
「え?」
すると、一転してキュゥべえは真面目なトーンで応え始める。
ジッとタツヤの姿を見つめながら、彼女の問いに対する答を出す。
そう、彼が何者なのか…それは、この珍獣自身が求めていた答であり…
辿り着いた『答』でもあった―――
「彼は…そうだね」
「何の力も…素質も…因果も持たない」
「どこにでもいて、どこまでも普通で…」
一言一言、ゆっくりと言葉を紡ぐキュゥべえ・
彼は、この世界で平凡に暮らす…どこまでも平凡な少年である―――
「だけど…」
―――「筈」、だったのに…
「…どこまでも異質で、どこまでも異常な…」
「極め付けのイレギュラーだよ」
何時しか、時を巻き戻す少女の事を言い表した言葉を…彼に使う。
いや、今回の場合は…その言葉の意味がより重々しく感じる。
彼は異常だったのだ…どこまでも…かつての暁美ほむらよりも…
そして、誰よりも―――
「…」
織莉子はキュゥべえの話をき聞きつつ、タツヤをへと視線を移す。
イレギュラー…その言葉が、彼女の頭の中で反芻する。
タツヤのあの力、予兆が無かったわけではない。
織莉子自身が彼を気にかけていた理由…それは、彼に自分の予知能力が使えなかった事から始まる。
彼自身の事や彼が関わる未来を見ようとすると、何かに邪魔されるようにその光景を遮断されてしまう。
普通の少年ではあるが、何かしら力を持っているのかもしれない。
そう、薄々とは感じていた。
だが、まさか此処までの力を秘めていたとは…織莉子は想像もしていなかったのだ。
「ギアアア゛ア゛「ア゛アァ…」…ア゛アァァァ」…ア゛ア゛ア゛」ア゛ア゛ァァ「ア゛…」…ウ゛ウ゛ァアァ…」「ア゛「ア゛ア゛…ァアアア…」グア゛ァァァァ…」
「魔獣が、逃げていく…」
タツヤの圧倒的な力を見せつけられ、魔獣達は一斉に彼に背を向け…彼から遠ざかろうとする。
「…」
あの呪いを振りまき、人に絶望をまき散らす存在である魔獣が、
たった1人の少年に対して、怯え…
そして、恐れ…戦いを拒んでいる。
魔法少女に対してだって、そんな行動を取らないというのに…
まるで―――タツヤ自身が人間ではなく、魔法の力を持つ存在でもない…
そう、それらを超越した『何か』であるかのように―――
「…逃がすかっ‼‼」
「…っ‼‼」
タツヤが自分に背を向ける魔獣に対して双刃を構えると、再び双刃がオーラに包まれる。
そして、再び双刃は姿を変え…先程の双剣とは全く別の武器へと変化する。
「剣が…」
「弓に…なった…」
双刃は両端の刀身の部分が変化し、光線で作られた弦で結ばれる。
織莉子の言う通り、タツヤの双刃は…1本の弓へと変化した。
タツヤは魔力で作られた黒い矢を複数取り出すと、弓を魔獣に向けて構える。
「喰らえっ‼‼」
―――スプレッド―――
弦を引き複数の矢を一斉に放つ。
複数の矢は飛んでいく間にもどんどん分裂していき、終には矢の雨となって…魔獣達に襲いかかった。
「ギアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛‼‼‼」
「きゃっ」
タツヤの放った複数の矢は魔獣達を一斉に撃ち抜き、逃げていく魔獣を次々と撃破していく。
その際生じた衝撃は凄まじく、地面を激しく揺らし…織莉子はその場で思わずよろけてしまった。
結局、逃げ切れた魔獣は1匹もおらず…辺り一面には矢が降り注いだ後しか残っていなかった。
「はぁ…はぁ…」
全ての魔獣を撃破すると、タツヤは双刃を地面に下ろし…肩で息をする。
額にはじんわりと汗をかき、大分疲労しているように見えた。
本格的に戦ったのは今回が初めてなのだ、無理もないだろう。
いくら強力な魔力を秘めていたとしても、当の本人の体力が通かなければ意味がないのだから…
「…なるほどね」
「近距離特化の双剣」
「遠距離特化の弓」
「そして、様々な用途のある双刃」
一挙一動も見逃さないと言うように…タツヤを観察していたキュゥべえが、冷静に分析する。
『双刃』という武器、それだけで他の魔法少女よりも異彩を放っているのは確かだ。
加えて、その武器を弓や双剣に変化させて戦うのだから…間違いなく、他の魔法少女とは次元が違う。
「うん、良い武器だ」
「彼の力を上手く引き出してる」
しかし、その武器が彼の戦い方に合っているのも事実だった。
今までを見た限り、タツヤは自らを覆ったオーラを纏わせて武器や自身の身体能力を強化し、
または、オーラを直接衝撃波として相手に放つなどして戦っていくタイプだ。
遠近両方で機能する双刃は、彼の力を最大限に活かす武器だと言えるだろう。
そして、それは―――
かつてこの世界を救った“魔法少女”の戦い方、
時として杖で敵に直接ダメージを与え、そしてその杖を弓とし魔獣と戦っていた“彼女”と非常に似通った戦い方であった。
「…」
一方で、キュゥべえと同様…一部始終を目撃していた織莉子は彼の力に驚かされるばかりだった。
彼から視線を外すことが出来ず、自身の魔力を回復することも忘れ…ただ黙ってタツヤのことを見つめている。
しかし、その表情は驚きよりも…むしろ不安の色の方が強かった。
「…でも」
彼女もまた…タツヤの力に驚きつつも、彼の力を冷静に分析していたのだ。
そう、1人の契約した者として…1人の人間として…
彼女の頭の中には、“ある1つ”の不安が過っていた。
「仮に、あの子が強力な力を持っていたとして…」
「あの魔力は…何処から来てるの?」
それは、かつて魔法少女として戦っていた彼女だからこそ抱いた不安―――
彼自身の、魔力についてだった。
「…」
「確かに、あの子は強いわ」
「でも…あれだけ強力な魔法…」
「使えばそれだけ…その魔力の消費も、尋常じゃない筈…」
織莉子は言う。
強力な魔法を使うには…それだけ膨大な魔力を消費しなければならない。
必然的に、使える回数が限られてくる。
魔法少女達の魔力は、無限にあるわけではないのだ。
「…そうだね」
「普通の魔法少女だったら、とっくに魔力が尽きて…ソウルジェムが黒く染まっている筈よ」
魔法少女の場合、自らの因果率と魔翌力によって使える魔力が違ってくる。
もし、限界を超えた魔力を消費してしまえば…ソウルジェムは輝きを失い、最悪『死』が訪れる。
更に魔法少女になりたてで、始めから強力な魔法を連発した場合…
その魔法に自らのソウルジェムが耐えられず、急速に黒く染まってしまう事だってある。
「…」
「なのに…なんで…」
タツヤを見ると、体力の消費は感じさせるが彼自身を覆っている魔力に衰えは見られない。
いや、そもそも彼はソウルジェムを持たない『普通』の人間なのだ。
魔法少女の常識が通用しないのは、ある意味頷ける。
しかし、そうだとすると…いよいよあの力の出所が分らなくなってくる。
現存するキュゥべえと契約したメンバーの中で、最も博識である織莉子でさえ…今の状況は理解できなかった。
珍獣の台詞を借りれば、まさに『訳が分からない』である。
「…これは、あくまでも推測だけど」
織莉子の話を聞いて、キュゥべえは沈黙を破り言葉を発する。
「彼の魔力は、減らないんだよ」
キュゥべえは自らの考えを、タツヤについて辿り着いた答を彼女に話し始めた。
それは、この先最も重要になっていくであろう…
彼の、『鹿目タツヤ』という人物の秘密のほんの一部―――
「…え?」
「いや、少し…違うかな」
「彼の中には、きっと『魔力』という概念そのものが存在しないんだ」
この珍獣にしては珍しく、少し言い辛そうにして話を続ける。
タツヤは、彼女達『魔法少女』とは根本的に違う存在である―――
そう、キュゥべえは織莉子に示していた
「何を…言っているの?」
しかし、織莉子には珍獣の言葉の意味がいまいち理解出来なかった。
自分達とは、『魔法少女』とは、違う存在…それは、一体どういう意味なのか。
彼は、一体何者なのか―――
「彼は…」
「…」
その答を言葉にしようとして、急に黙ってしまうキュゥべえ。
まるで、その言葉を口にしてはいけないと…本能で悟ったかのように…
それ程までに、この少年の“力の正体”というのは―――
「ガァァアア゛ア゛ア…」
「!!!」
しかし、彼女達がそんな会話を繰り広げている時だった。
先程の矢の雨を、物陰に隠れて凌いでいた1匹の魔獣がタツヤの後ろに現れる。
相当弱っているのか、その足取りは重い。
しかし、魔獣はフラフラとよろけながらも彼に襲い掛かろうとした。
「…まだっ」
「タツヤ君‼」
織莉子は未だに気付いていないタツヤに急いで声を掛ける。
今のタツヤは双刃も手元にはなく、完全に無防備な状態だった。
そんな状態の中、魔獣に襲われてしまえばただでは済まない。
そう…織莉子は思った。
いや、“そうであって欲しい”と…どこかで感じていたのかもしれない。
「…っ‼‼」
「ギィィア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァァァァ‼‼‼」
織莉子の声で魔獣の存在い気付いたタツヤは、直ぐに振り返り魔獣の正面に立つ。
魔獣は最後の力を振り絞り、彼に掴みかかろうとする。
しかし、その手に双刃はない。
今の彼は、魔獣を追い払う手段を持ってはいなかった。
そう、持ってはいない筈だった―――
「…」
だが、次の瞬間――――
掴みかかろうとした魔獣の手を、タツヤは片手で受け止める。
タツヤはそのままその手を掴み…魔獣を引き寄せた。
「っ!!」
タツヤは魔獣に向けてもう片方の手を出し…掌を向ける。
「ギガァァァアアア‼‼」
すると、魔獣は突然苦しみ始め…そして、その身体を輝かせ始めた。
「…え?」
織莉子はその光景目の当たりにして、思わず息を呑む。
なぜなら、魔獣に起きたその現象は――――
先程…魔法少女達が見せたものと、全く同じものであったのだから…
「ギガァ…アア…アアアア…」
魔獣を包む輝きは、ますます強くなっていく。
しかし、それと反比例するように…魔獣は苦しみ、弱っていった。
まるで、その輝きが―――
魔獣から、力を奪っているかのように…
「ギァァァアアアアアアアアア‼‼‼」
魔獣は、その輝きに包み込まれるように消滅していく。
その場には魔獣を包んでいた光の結晶だけが残っていた。
その光の結晶もまた、先程魔法少女達が見せたものと全く同じものであった。
そして―――
「…‼‼」
「!!!」
その光の塊は、タツヤの掌へと集まっていき…そのまま消えてしまった。
いや、『消えた』という言葉には多少語弊がある。
それは、むしろ―――
「え…何…今の…?」
「魔獣の魔力を…」
そう、光の塊を…魔獣の『力』を…
タツヤが、そのまま自分の力にしたかのように見えた―――
「どうして…」
織莉子は目の前の現象を受け入れる事が出来ず、混乱してしまう。
今、自分の眼前で…何が起きたのだろう。
魔獣の身体が、氷漬けにされた魔法少女達のソウルジェムのように光り輝き…そして、消滅していった。
更に、残された光の結晶は…タツヤの下へと集まり、消えてしまう。
一体、何が起きているのか…織莉子は頭を悩ませる。
「そう…いえば…」
だが、そんな目の前の異常な状況が…織莉子に、ある事を気付かせる―――
「…ない」
「何処にも…ない…」
織莉子は辺りを見回し、“ある物”を探す。
しかし、そのある物は何処にも見当たらなかった。
それは、魔法少女と…魔獣との戦いの中で―――
必ずと言って良いほどに、なくてはならないもの…落ちていなければいけないもの―――
「グリーフシードが…何処にも落ちてない」
そう、魔法少女の必需品であり…魔獣を倒した時に落とす…
グリーフシードが、何処にも…
「これだけの魔獣を倒したのに…」
「たったの…1個も…」
魔獣を倒す事には、人間を守るという使命とは別にグリーフシードの回収という目的もある。
魔法少女の魔力は無限にあるわけではない。
適度にグリーフシードで魔力を回復しなければならないのだ。
グリーフシードは通常、魔獣を倒す事で手に入れる事が出来る。
しかし、タツヤが倒した魔獣達は一切グリーフシードを落としてはいなかった。
確かに、魔獣の中でもグリーフシードを落とさないものは存在する。
だが、タツヤが倒した魔獣の数を考えれば…1つくらい落ちていなければ可笑しい。
「…」
彼の周りには…そのたったの1つも、グリーフシードが落ちていない。
それは、らかに異常な光景であった―――
「(魔力が、減らない…)
「(グリーフシードを落とさない魔獣…)
「(そして、さっきの…)
織莉子の中で、様々な情報が交差し脳内を駆け巡る。
そしてそれは、彼女をある“答”へと導いていく。
点と点が線となって繋がっていくように…
あるいは、固く結ばれた糸が解けていくように―――
その“答”に辿り着く事は、彼女にとって難しいことではなかった。
「(そんな…)」
「(あの子、能力って…まさか…)」
辿り着いた“答”―――
それは、タツヤの能力の秘密。
キュゥべえが、何故彼の魔力は減らないと言ったのか
何故、彼には魔力という概念が存在しないなどと発言したのか…
全ては、タツヤの『固有魔法』とも言うべき“ある能力”によるものであると、彼女は悟った。
「(でも…)」
「(それじゃ…)」
だが、その“答”を織莉子は受け入れることが出来なかった。
いや…受け入れたくなかった。
なぜなら、その能力は『人』としては…あまりに――――
「…ん」
「…あ」
「元に、戻った…?」
織莉子達がそうしている内に、タツヤを覆っていたオーラが徐々に消えていく。
髪の毛は普段の茶色に戻り、鮮血に染まったかのように紅かった瞳も元の色に戻っていった。
そこには、誰もが知る見滝原中学校1年生の鹿目タツヤが立っていた。
「…」
「ハァ…ハァ…」
「お…終わった…」
タツヤは元に戻るなり膝を付き、前に倒れるようにして手を地面に付いた。
手を膝に付き、ぜぇぜぇと肩で息をする
大粒の汗が額から流れ、顔をつたって地面に落ちていった。
「…」
「俺が…やったんだよな…」
タツヤは辺りを見回し、小さくそう呟く。
これまでタツヤは、魔獣と戦った時の記憶を失っていた。
しかし、今回は…その記憶が微かに残っている。
「俺が…」
自分が、何をしたのかを―――
何の力も持たなかった筈の自分が、魔獣達を倒す姿を…彼は覚えている。
その姿に、自分ですら恐怖を覚えてしまうくらいに―――
「!!!」
「な、何…?」
タツヤがそうやってぼーっとしていると、傍にあった双刃が光り出す。
光に包まれた双刃は宙に浮き徐々に姿を変え、小さな物に変化する。
それは、その場でゆっくりと地面に落ちると…不思議な光を放ちキラキラと輝いていた。
「…ん?」
気になったタツヤは、その光っているものに近付き腰を下ろす。
そして、目の前に落ちているそれを拾い上げた。
「え…何これ」
「黒い、宝石?」
タツヤが拾ったそれは、菱形の形をした小さな黒い宝石であった。
宝石は紐に繋がっており、ネックレスのようになっている。
更に、その黒い宝石の奥底からは奇妙な輝きが放たれており、人を惹きつけるような…そんな印象を与える物であった。
「何処かソウルジェムに似てるような…」
「これ、俺のか…?」
少年の言う通り、それは形がソウルジェムに何処か似ていた。
だが、似ているようで…何処かかが違う。
何処が似ていて、何処が違うのか、その説明すらも難しい。
強いて言うのなら、卵の形をしたソウルジェムと違って、菱形の形をしたそれは普通に見れば何の変哲もない只の宝石に見える。
しかし、何処か異彩を放っているのも確かだ。
下手をすると、それはソウルジェム以上に異質で非現実的な物なのかもしれない。
「はぁ…もう、何が何だか…」
タツヤは、その宝石を無意識の内にポケットに忍ばせる。
「…」
その行為が、今後の自分を左右することになるとは知らずに―――
「いや、今はそんな事より」
「織莉子さん‼‼」
タツヤは、何かを思い出したかのように一呼吸入れると、織莉子に声を掛ける。
そう、思い出したのだ。
自分が、何の為にこんな所まで来たのかを…。
「えっ!?」
「ごめんなさい、俺…やっぱり暁美さん達の所に行きます」
「どうしても…伝えなきゃいけないことがあるから」
織莉子の言いたい事は分かる。
自分にとって、この場所は明らかに危険な場所だ。
下手すれば、命を失いかねない。
だが…それでも、自分はこのまま逃げる訳にはいかない。
彼女達に…ほむら達にある事を伝える為に―――
タツヤは、そう力強い目つきで言ってのける。
そこに、魔法少女達の死体を見て怯えていた姿はない。
先程の戦いが、彼の中の魔獣への『恐怖心』を薄れさせたのかもしれない。
「タツヤ君…」
「それじゃっ‼」
タツヤは、そう言って織莉子に背を向け…瘴気内を走り始める。
まるで、その瘴気に住む魔獣達に呼ばれているかのように一直線に奥底へと向かっていった。
「あ、待ちなさい‼」
一瞬ボーっとしてしまっていた織莉子は、慌ててタツヤを呼び止める。
だが時既に遅く、彼は駆け出していた。
「(タツヤ君…)」
「(貴方は…)」
「(貴方は…‼)」
織莉子は思う―――
タツヤは、ほむら達に会いに行くと言っている。
しかし、果たして…彼を彼女達に合わせてしまって良いのだろうか…と。
そんな、彼の力に一種の不安を覚えながらも…織莉子は、タツヤの背中を追い掛けていくのであった。
「…」
そんな中―――
キュゥべえは物思いに耽るように、瘴気内の空を見上げる。
「(どうして…)」
「(どうして、僕たちは…『忘れていた』んだろう)」
「(こんな、大事な事を…)」
キュゥべえはタツヤの力にある1つの結論を付けた。
それは―――同時に、この珍獣達に“ある記憶”を呼び覚まさせる
キュゥべえ…インキュベーターにとって、忘れてはいけない筈だった…
ある、1つの物語を―――
「浸食…」
「呪われた力、か…」
一言、それだけ呟いて…キュゥべえはタツヤ達を追い掛ける。
その言葉が、果たしてどんな意味を持つのか
織莉子ですら見えない彼等の“未来”に、一体何があるのか…
その『答』は、キュゥべえだけが知っているのかもしれない―――