魔法少女まどか☆マギカ~After Ten Years of History~ 作:イデスツッラ
「っ!!」
「ほむらお姉ちゃん‼‼」
巨大な氷塊は、そのままほむらへとぶつかり…彼女を押し潰す。
魔獣が弱っているせいか、氷塊はほむらを押し潰した瞬間粉々に砕け散ってしまった。
しかし、それでも…ほむらの身体は見るに無残な姿へと成り果ててしまう。
「ゆま‼‼」
「っ‼‼」
織莉子は、急いでゆまに治療するよう指示する。
ゆまもすぐさまほむらのの傍へと駆け寄り、魔法陣を展開させ彼女に治癒魔法をかける。
「あ…あ…」
一方で、タツヤは放心状態となり、その場に膝から崩れ落ちてしまった。
双刃剣は元の宝石に戻り、何をするでもなく…ただただその場で下を向く事しか出来ない。
「リリィィイイイ…」
そして、彼女達がほむらの治療に急ぐ中、魔獣は再び彼女達の前に立ちはだかる。
落ち着きを取り戻したのか、最初の頃に見せたような優雅な立ち振る舞いを見せる。
ボロボロだった身体はいつの間にか癒え、全快とまではいかないもののかなり回復した状態で彼女達に対峙した。
「まだ、あんな力が…」
織莉子は、深化魔獣の底力にただただ驚くことしか出来ない。
いや、驚く部分はそれだけじゃない。
目の前の魔獣の力は、自分が予知で見たものよりも…一回りも二回りも上だったのだ。
今まで彼女の未来予知に、此処まで大きな誤差が生じることはなかった。
この世界に、何かが起ころうとしている。
自分達が進む筈だった未来には起こりえなかった何か―――
織莉子は、今起きている事を通じてそんな得体のしれない不安を感じていた。
「織莉子、悪いけどほむらお姉ちゃんのソウルジェムの浄化頼める」
「私、手が離せないからさ…」
織莉子がそんな不安に襲われていると、ゆまが彼女に声を掛ける。
身体は治癒魔法で回復出来ても、ソウルジェムの回復は出来ない。
しかし、ゆまはほむらの回復に全力を注いでいるため、そこまでは手が回らなかった。
「!?」
「貴方、自分のソウルジェムだって…」
だが、織莉子が予備のグリーフシードを準備してゆまに近付くと、彼女の異変に気付く。
ほむらのソウルジェムの回復を促す彼女のソウルジェムもまた…黒く濁ってしまっていたのだ。
このままゆまが治癒魔法を使い続ければ、先にゆまの方が限界を迎えてしまうかもしれない。
織莉子は、ゆまにその事を伝えようとする。
「今はほむらお姉ちゃんの方が先決だよ‼‼」
しかし、ゆまは彼女の言葉を遮り…再びほむらを先に助けることを指示する。
自分の限界が近い事は、自分が一番よく分かっている。
だがそれでも、今はほむらを助ける事が優先だと…ゆまは険しい形相で言いきった。
せっかく、ほむらに救いの手が伸びようとしているのに…こんなところで彼女を死なすわけにはいかない。
そう言うゆまもまた、自分の命に代えてでも彼女を守ろうとしていたのだ。
「え、えぇ…」
そんな彼女の気迫に押される形で、織莉子はゆまの決意を汲み取る。
そして、ほむらのソウルジェムの周りに予備のグリーフシードを置き、彼女の魔力の回復を始めた。
「リリィィィィ‼‼‼」
しかし、そうはせさせないと言わんばかりに、魔獣が彼女達に襲い掛かろうとする。
再び巨大な氷塊を彼女達の頭上に作り出し、それを使って彼女達を押し潰そうとしていた。
「2人共来るよ‼‼」
その事にいち早く気付いたキュゥべえが、彼女達に指示を出す。
「くっ」
しかし、ほむらの治療に専念する彼女達は身動きが取れない。
織莉子だけなら動けないことはないが…ゆま達を置いて、彼女だけが逃げる事など出来る筈がなかった。
かといって、彼女達をいっぺんに運べるほど今の織莉子に魔力はない。
まさに、八方塞がりという状態であった。
「もう、少しは空気読んでよ…」
先程の戦いで魔獣の体力をかなり削った筈なのに、それでもまだ若干の余力を残している。
一方のゆま達は…ほぼ限界に近い。
このままでは、全員纏めて他の魔法少女と同様に氷漬けにされてしまう。
そんな最悪の展開が、彼女達の頭を過った。
「…」
しかし、そんな時―――
「タ…タツヤ?」
その少年に、再び変化が訪れる―――
≪なんで、こうなった≫
≪また、守れなかった≫
その場で立ち尽くし、どうしてこうなったのかと自問自答を繰り返す。
自分自身の心のの鼓動が、徐々に早くなっていくのを感じながら―――
―――まだ、終わりじゃないよ―――
そして、そんな時だった。
例の声が、再び聞こえ始めたのは…
≪俺のせいで、こんな…≫
―――そう思うなら、償いをしないとね―――
声の主は、そう言ってタツヤへと近付いて来る。
その表情は…やはり黒く染められており、確認することは出来ない。
≪償い…≫
―――誰がほむらちゃんをあんな目に合わせたのかな―――
声の主は、タツヤの目の前まで近づくとそっと耳元で囁く。
≪誰の、しわざ≫
―――ほら、前をちゃんと見て―――
―――いるよ、目の前に―――
彼の…鹿目タツヤの、『なすべき事』を―――
「リリィ…」
≪アイツが、ほむらさんを≫
それは…まるで、この少年を…この異常な世界へと―――
≪絶対に、………い≫
“導いていく”ように―――
―――やるべきことは決まったみたいだね―――
―――…ィヒヒッ、じゃあ…―――
「…ス」
――― コ ロ シ チ ャ エ ―――
刹那―――
「コ ロ ス」ダッ
「タツヤッ!?」
ただ一言、それだけ叫んだタツヤは…インキュベーターの静止を振り切り、深化魔獣の下へと突撃する。
そんなタツヤの姿は、再び魔力に覆われたものへと変貌していた。
自身を纏うオーラの影響なのか、髪の毛は逆立ち…色も色素を失ったような白髪へと変わる。
魔獣に向けるその視線も一層鋭さを増し、鮮血に染まったかのような真っ赤なものになる。
若干の違いはあるものの…それは、織莉子が見た姿と殆ど同じものであった。
ある、一部を除いては――――
「コロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス」
「コロスゥ‼‼」ガシッ
「リィィィィィイイイイ‼‼‼」
壊れた人形のように魔獣に向けた『殺意』の言葉を繰り返すタツヤは、一瞬にして化物の眼前まで移動する。
そして、その手で深化魔獣の顔と思われる部分を鷲掴みにした。
「コロス‼」
「コロス‼‼」
「コロス‼‼‼」
タツヤは魔獣を氷山のある位置まで引きずると、
武器などを一切使う事なく、素手で掴んだまま魔獣の頭を氷山に叩き付ける。
その狂気に満ち満ちた視線と言葉をぶつけながら…
何度も…何度も何度も…魔獣を氷山へと叩き付けた。
「リ…リ…リィィ…」
タツヤの執拗な攻撃によって、優雅な姿へと戻った筈の深化魔獣が、見る見るうちに無残なものへと変わっていく。
「え…タっ…くん…?」
ゆまは、ほむらの治療を続けながらも、その光景に釘付けになる。
あれ程の力を持っていた深化魔獣が、武器を使っていない少年によってダメージを受けている。
それはまさに、驚くべき光景であった。
しかし、彼女が感じていたものは驚きというより…むしろ…
「ウガァァァァアアアアアア‼‼」
今の少年に対する『恐怖』―――
「アアアアアアアアァァァ‼‼」
常軌を逸したタツヤの力。
更に、傍から見ているだけのゆま達にすらひしひしと伝わってくる…
少年の、常人とは思えないほどの『殺意』と『狂気』といった…『負』の感情。
そして、その異常なまでの負の感情を更に際立たせているのは…彼を覆ているオーラであった。
そう、織莉子が見た彼と今の彼の決定的な違い――――
今の少年を覆ているオーラは、先程の光り輝くものとは違い、
どこまでも…どす黒いものであった。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア‼‼‼‼‼‼‼‼」
タツヤは傷を負った深化魔獣を放り投げると、その場で雄叫びを上げる。
すると、それに反応するように彼を覆っていた黒いオーラが激しさを増していく。
彼の周りでは地響きが起き始め、更には辺りの氷塊が宙に浮き始める。
その光景は…まるで、この世の終わりとも思えるようなものであった。
「…っ‼‼」
そして―――
「うっ」
その現象が起き始めると同時に…彼女達に異変が起きる―――
「嘘…なんで…」
「力が…抜ける…」
ゆまは、突然…自らの体力が急激に消耗していくのを感じる。
長距離を全力で駆け抜けた直後のような疲労感が…突如として彼女を襲った。
「魔力が…」
それだけじゃない。
ゆまは…体力だけではなく、自分の魔力までもが失われていくのを感じていた。
彼女のソウルジェムは、急激に濁り始め…彼女を苦しめる。
それは、ほむらへの治癒魔法に力を注いでいる事を考慮しても、明らかに異常な速度での消耗であった。
「…うっ」
そして、その現象は織莉子にも起き始める。
魔法を使っているわけでもないのに、織莉子のソウルジェムは黒く染まっていく。
そのあまりの消耗に、思わず眩暈がしてしまうくらいに…
「ねぇ、何なのこれ…」
「魔力が…どんどん減っていくよ」
ゆまはほむらの治療を継続しながらも、自分を襲う苦しみに表情を歪める。
自分の意思とは無関係に消耗していく魔力―――
こんなことは…今までの戦いで1度も無かった。
一体何が起こっているのか、ゆまは問わずにはいられなかったのだ。
「…これは」
「…」
しかし、その問いに織莉子は答えることが出来ない。
一瞬開きかけた口を閉じ、そのまま黙り込んでしまう。
その言葉を、口にしたくないと言うように…。
「お、織莉子…?」
彼女の様子に、ゆまは首を傾げる。
織莉子が何かを知っている事は、今の彼女を見れば明らかだった。
それなのに、その事を隠そうとする彼女を見て…ゆまは、得体の知れない不安に襲われる。
「これは…タツヤの能力だ」
そんな時、誰もが押し黙り…重い空気が流れる中、その珍獣が口を開く―――
「…え?」
だが、その言葉は彼女達にとって―――
「…」
どこまでも、残酷なものだった―――
「織莉子、君はもう分ってる筈だよ」
「彼の…魔法の事を…」
キュゥべえはその視線を織莉子に移し、言葉を促す。
そう、彼女は…もう知っているのだ…
「タっくんの…魔法…?」
鹿目タツヤの…真の力を…。
「…あの子の魔法は」
織莉子は、キュゥべえの言葉に反応し…その重い口を開く。
「魔獣の…そして、私達の力の源である」
タツヤが今使っている魔法―――
「魔力を奪い取って、自分の魔力に転換する魔法」
それは、全ての魔獣…そして、全ての魔法少女に対して…
「生命力吸収――エナジードレイン――」
最強にして…最凶の…
まさに、禁忌とも言える魔法(ちから)であった―――
「え…嘘…」
「それって…」
織莉子の言葉を聞き、ゆまは言葉を失う。
なぜなら、その魔法は―――
「そう、彼の能力は魔法少女のそれじゃない」
「むしろ、魔獣(あちら)側の魔法だ…」
敵・味方問わず、力の源である魔力を…直に奪い取る―――
それは、もはや魔法少女の使うレベルの魔法ではない。
どちらかと言えば、人々を襲う魔獣寄りの魔法であった。
「そんな…」
ゆまは奪われる魔力に表情を歪めながら、その事実に顔を青ざめさせる。
誰もが知りたかった…タツヤの中に秘められた力―――
それは、『希望』とも『絶望』とも言えるものであった。
「いや…」
「彼の魔法は、それすらも凌駕しているかもしれない」
しかし、キュゥべえは言う。
彼の魔法は魔法少女が使うものでも、魔獣が使うものでもない。
いや、そもそも…彼の力はそういった物差しでは測れないものなのだ、と。
「例えるならば、今の彼は…」
「君達のいう“円環の女神”と対になる存在…」
そう、今の力は…言うなれば――――
「ウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア‼‼」
「“死神”だよ…」
キュゥべえは、何故か少し言い辛そうにして言葉を続ける。
怒りにより我を忘れ、彼女達から魔力を奪い取り、狂気じみた雄叫びを上げるタツヤの姿は…
まさに、『死神』のようであった。
「う…あ…」
タツヤが雄叫びを上げる中、ゆまの魔法によって身体を再生したほむらが声を上げる。
しかし、その声は苦しみを訴えるような擦れたもの。
タツヤの生命力吸収は、当然のようにほむらにも作用し、彼女の回復し掛けた魔力を奪い取る。
彼女の表情が苦痛によって歪む事は、当然のことだった。
「ほむらお姉ちゃん‼‼」
「不味いよ、こんな状態で魔力を奪われたら…‼‼」
「っ‼」
ゆまの治癒魔法と、グリーフシードによる魔力回復によって辛うじて命を繋ぎとめている彼女にとって、
今の状況は…まさに地獄だった。
このまま力を奪われ続ければ、その先に待っているものは…『死』だけ。
この場に居る全員の脳裏に、そんな最悪の展開が過った。
「ねえ、タっくん…もう止めて‼」
「このままじゃ、本当にほむらお姉ちゃん死んじゃうよ‼‼」
ゆまは自分の残り少ない魔力を彼女に送りながら、タツヤに必死に呼びかける。
彼がこれ以上力を使い続ければ、魔獣を倒す前に自らの力でほむらを殺すことになる。
それだけは、なんとしても避けてほしかったのだ。
「がぁぁぁぁああああああああああああああ‼‼‼」
しかし、その声がタツヤの耳に届くことはない。
少年はその場全体を震わせるように、雄叫びを上げる。
吸収したエネルギーを自らを覆うオーラへと変え、今にも力を爆発させそうな異彩を放っていた。
「(…駄目)」
「(完全に、怒りで我を忘れてる…)」
今のタツヤは、“タツヤ”であって“タツヤ”ではない。
そんな彼に、自分達の声は届かない。
「(キュゥべえの言う通り、今の彼は私達にとって…)」
「(…死神、だわ)」
織莉子は悟る。
今の彼は、自分達の知る人間・鹿目タツヤではない。
まさに―――存在するだけで絶望をまき散らす、死神であると…
「あ…あ…」
「ほむらお姉ちゃんっ」
心配するゆまを尻目にエネルギーを吸収され続けるほむらは、再び苦しみの声を上げる。
更には、瞳孔の開いた目を見開き、身体を痙攣させ始める。
その姿は、まるで…何かに呪われているかのようだった。
「あ…ああ…」
そんな彼女に合わせるように、彼女自身のソウルジェムも…今まで以上に濁っていく。
最早、元の色が分らなくなるほどに宝石の輝きは失われていた。
限界が近い、誰もがそう思った。
「…え?」
だが―――
「なんで…?」
「ほむらお姉ちゃんのソウルジェムが…?」
その時、彼女のソウルジェムに―――変化が起こる
「!?」
「輝いている…?」
そう―――
タツヤの力によって限界近くまで濁っていたほむらのソウルジェムが、再び輝きを取り戻し始めたのだ。
「嘘…」
「でも…これって…」
「普通じゃ、ない…よね…?」
しかし、その輝きは…ゆまの言う通り普通ではなかった。
それは…グリーフシードによって穢れを取った綺麗な輝きではなく―――
何処かどす黒い…まるで、濁ったまま輝いているような…そんな輝きだった。
「一体…」
「何が起きようとしてるの…」
魔獣達の異常なまでの強化
タツヤの異常なまでの変化
そして、ほむらのソウルジェムの異常な輝き
自分の考えを遥かに上回る周りの変化に、織莉子は再び不安に襲われる。
これまでは予知能力を使えば、その先にあるものを見透かす事が出来た。
しかし、今回に至っては…どういう訳か予知能力が使えない。
何が起こるか分からない。
しかし、かつてない程に大きな何かが起きようとしているのは確か…
そんな状況の中で、織莉子が不安に思う事は仕方のないことであった。
「コロス‼‼」
「があっ‼」
そして、尚もタツヤと深化魔獣の戦いは続く。
「…リィイ」
いや、それは最早戦いではなく…タツヤが一方的に魔獣をいたぶっているに過ぎなかった。
今の深化魔獣は戦う力を既に無くし、ただただタツヤの攻撃を受けている状態。
結晶で作られた体はボロボロになり、体の結晶が少しずつ崩れ落ち始めていた。
「あぁぁあああ‼‼」
しかし、それでもタツヤは攻撃の手を緩めようとはしない。
それどころか…彼は深化魔獣を吹き飛ばし距離を開けると、再び例の黒い宝石を取り出す。
宝石は一瞬黒い薔薇に変化した後、薔薇の花びらが散るように変化し双刃に変わる。
「がぁあ!!」
―――龍炎刃―――
「リィィィィイ‼‼」
タツヤはその双刃の両端の刃に炎を纏わせ、そのまま深化魔獣に向けて剣を投げつける。
炎を纏った双刃は回転しながら深化魔獣に近づき、魔獣の周りを円を描くように何周もすると、ブーメランのようにしてタツヤの下に戻ってくる。
深化魔獣の周辺には、剣を覆っていた炎だけが残り…魔獣を締め上げるようにして迫る。
炎で作られた輪に閉じ込められ、更には締め上げられた深化魔獣は苦しむよう悲鳴を上げた。
「っ!!」
―――ドラゴンアロー―――
「ギィィィィイイイ‼‼‼」
続けてタツヤは、双刃を弓に変え…自らのオーラで黒い矢を作り出す。
弓でその矢を打ち出すと、その矢はの黒い竜の姿に変わり、炎の輪によって身動きの取れない魔獣の身体を喰い破った。
炎に囲まれた深化魔獣は、身体を貫かれ原型をなくしていく。
魔獣は断末魔のような雄叫びを上げるのだった。
「…強い」
ただ一言、織莉子が言葉を漏らす。
その圧倒的な力の前に、自分達は遠くから眺めることしか出来ない。
自分達の力を遥かに凌駕する少年の力…
本当であれば心強い筈なのに、何処か嫌な感じを拭いきれない。
その力に、『恐怖』すら感じてしまっていた。
「そう、だね…」
彼女達に反応するように、キュゥべえが頷く。
しかし、その発せられた言葉はとても弱々しいものだった。
今のキュゥべえは、どんな事に対しても冷静で決して動じることのない普段の姿とは…似ても似つかない。
この珍獣ですら、タツヤの力を完全に推し量ることが出来なかった。
完全に、誤算だったのだ。
「(一見すると、怒りで暴走しているように見えるけど…)」
「(戦い方事態は、実に冷静だ)」
それでも、キュゥべえは彼の戦い方を目に焼き付け、必死に分析しようとする。
今のタツヤは、怒りに任せてただがむしゃらに戦っているわけではない。
トリッキーな動きで相手を惑わすタイプのこの深化魔獣に対し、拘束技を使いその動きを封じ込める。
続けて、相手に隙を与えないかのように連続攻撃を叩き込む。
こうして見ると、実に理に叶った攻撃だ。
そして、何より―――
『氷』という物質に強い『炎』を使って、相手を追い詰めていく。
そんな事は、怒りで我を忘れているような者には決して出来ないであろう。
「(まるで…)」
そう、少年は…あくまで冷静だった―――
「っ‼‼」
「ギィ」
「(あの魔獣を…苦めながら戦っているみたいだ)」
あくまでも、冷静に考えて戦っていたのだ。
あの魔獣が…どのようにしたら…
苦しんで死んでいくのかどかということを―――
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
「ああああああああああああ」
「熱い熱い熱い熱い熱い‼‼」
何処までも濃い瘴気の中―――
意識は飲み込まれ…何時しか、深化魔獣の中に僅かに残る少女の意識が顔を出す。
タツヤの攻撃によって、全身に火傷を負った少女はその激痛に耐えられず泣き叫ぶ。
「助けて…‼」
「1人は嫌…‼‼」
少女は絶望の淵に身を堕としながらも、必死に助けを懇願する。
自分を1人にしないで欲しい
孤独にしないで欲しい。
誰かに傍にいてほしい…
少女は、生前の頃から変わらず抱いていた願いを…何度も何度も訴え続けた。
「…」
しかし、その願いを打ち砕くかのように…少年は武器を持って少女に近づいていく。
「ひっ」
「ご、ごめんなさい」
「こんな…こんな事をするつもりじゃなかったの」
少女は少年の姿を見るなり怯えだし、身体を強張らせる。
だが、それでも彼女は体を震わせながら少年の足元に近づき、両膝を地面に付ける。
そして、彼の足を掴む勢いで…必死に許しを請うた。
「私はただ、みんなと一緒に居たかっただけなの」
「1人は…1人は、嫌なのよ…」
自分は、孤独を受け入れたくなかった。
だから、みんなに構って欲しくてただただ必死になっていただけ…
まさか…こんな事になるとは思っていなかった。
そう…少女は弁明する。
「だから…‼‼」
しかし―――
「黙れ」
「っ‼‼」
そんな少女に、タツヤは無情にも剣を突き立てる。
彼女の言葉に一切動じることなく、何の躊躇もなく彼女の片足を刺した。
「あああああああああああああっ‼‼」
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い‼‼‼」
自分の身体に突然襲ってきた激痛に顔を歪め、少女が悲鳴を上げる。
タツヤが少女から剣を抜くと、足からは真っ赤な血がしたたり落ち…その影響で双刃が鮮血に染まる。
肉は割け…骨は砕かれ、その足は見るに堪えられない状態になってしまった。
そんな中で少女は片足を引きずり、タツヤから距離を取る。
その表情は、完全に怯えきっており…彼によって『恐怖』を植え付けられていた。
「お前は殺す」
「どうあがいても殺す」
「ひっ」
タツヤは表情を一切崩すことなく、少女に殺意に満ちた言葉を浴びせる。
その表情は、どこまでも冷たく…人間のものとは思えない。
相手に『恐怖』と『絶望』を与える、ただただその行為だけを繰り返す存在。
それ以外の感情を…一切持たない存在。
今のタツヤは、まさに――――
「ひっ…ひっ…」
「し…死神っ…!!」
『死神』であった。
「だが、只ではコロサナイ」
「お前は―――」
タツヤは、少女にゆっくりと近づき…再び剣を突き立てる。
そして、言い放った――――
お前は、殺す。
自ら絶望を受け入れてしまった方が、楽だったと思える程の…
『希望』という救済のない…『絶望』に満ちた痛みの中で―――
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
タツヤと少女が意識の中でやり取りをしている間も、当然のことながら戦いは続いていた。
「…」
しかし、その戦いの光景は…誰の目から見ても、無残で残酷なものとなっていた。
そう…あのインキュベーターですら、言葉を失ってしまう程に―――
「…惨い」
ただ一言、織莉子のその言葉が…この場の状況を物語っている。
織莉子は額に汗をかき、顔は真っ青になっている。
戦いの世界で慣らした彼女達でさえ、目を背けたくなる程の光景がその場には広がっていたのだ。
「…」
「ギ…ギ…」
深化魔獣はタツヤの攻撃によって、四肢を失ってしまっていた。
更に、その身体のあちこちが砕け落ち…ひび割れてしまっている。
顔の半分も砕け落ちており、最早まともに声を発することも出来ないでいた。
タツヤは、そんな状態の深化魔獣の首根っこを掴み、片手だけで持ち上げる。
そして、そのまま勢いよく化物を空へ放り投げた。
「…終わりだ」
―――双円乱舞―――
タツヤは双刃を双剣に変化させ、一瞬で魔獣との距離を詰める。
そのままタツヤは空中で円を描くように、双剣で数度魔獣に斬りかかった。
そして…地上に着地すると、『黒』と『桃色』の入り混じった巨大な魔法陣を自分を中心にして展開させる。
続けてタツヤは、双剣を弓に変化させると…その巨大な魔法陣から魔力を吸収し、その力を1本の矢に集中させた。
すると、矢は『黒』と『桃色』の2種類のオーラに包まれ、少年は弓を構える。
「…死ね」
その一言と同時に、タツヤはオーラを纏った矢で魔獣を射抜く。
矢は魔獣を一瞬で貫通し、そのまま上空のオーロラすら打ち消してしまった。
更に、放たれた矢は上空の瘴気をも吹き飛ばし…瘴気内の空間と元の世界を繋ぐ。
上空の空には綺麗な星空が浮かび、戦いとは無縁の光景が広がった。
「ガ…ァァ…アア…」
魔獣は貫通された箇所から徐々に崩れ落ちていき…やがて、その身体は砂埃のように消し飛んでしまう。
その場には、魔獣の魔力のみが残り…宿主を失った魂のように、辺りを彷徨っていた。
「…」
しかし、その魔力もまた…タツヤによって吸収される。
空中を彷徨っていた魔力は、少年の身体へと流れ込んでいき…その場から消滅してしまった。
そして、主である魔獣がいなくなったことで…瘴気は晴れ、元の世界へと戻り始める。
「終わった…?」
「…ええ」
瘴気が完全に晴れ、彼女達は町の外れにある広場に立っていた。
ゆま達は周りを見渡し、敵の脅威がなくなったことを確認する。
ようやく戦いが終わった事を確信すると、強張らせていた表情を少しだけ緩め安堵する。
一先ず、戦いは終わったのだ…と。
「あ…」
しかし―――
「ほむらお姉ちゃんっ」
問題が、完全に解決した訳ではない。
まだ、ほむらの問題が残っていたのだ。
「う…ああ…」
ほむらは、魔獣との戦いが終わると…再び苦しむように声を上げ始める。
身体はゆまの努力が功を奏したのか、完全に修復されていた。
しかし、ほむらは目を覚ますどころか、ますます状態を悪化させていく。
痺れているかのように身体は震え、苦しそうに言葉にならないような声を上げ続けた。
不気味に光っていたソウルジェムは、その輝きを失い…再び黒く濁っていく。
そして、それに反応するように、ほむらの体の周りも黒いオーラに包まれていた。
「ゆま、グリーフシードは!?」
「駄目、さっきので全部使い切っちゃったよ」
ソウルジェムの魔力を回復するには、グリーフシードを使う事しかない。
しかし、ほむらを回復するために再三使ってしまったせいか、ゆまの手元に予備のグリーフシードは残ってなかった。
「くっ…」
「そうだ、さっきの深化魔獣のグリーフシードを使えば…」
ゆまは言う。
深化レベルの魔獣を倒したのならば、それ相応数のグリーフシードを残している筈…
それを使えばよいのでは、と
しかし…
「それは…多分、無理よ」
「え…?」
織莉子は、ゆまの提案に対して首を横に振る。
「周りを見てみなさい」
そう言って、織莉子は深化魔獣が倒された場所を指さす。
ゆまにその周辺を探るよう指示した。
そんな織莉子の表情は、既に…諦めているようにも見える。
「…?」
ゆまは織莉子の話がいまいち理解出来なかったが、彼女の言う通り深化魔獣の居た周辺を探る。
「っ!!」
しかし、ゆまは織莉子の言っていたことを直ぐに理解することになる。
「…嘘」
「グリーフシードが…ない」
そう、深化魔獣を倒したにも関わらず…その場には、グリーフシードが落ちてはいなかったのだ。
どんなに探しても…たったの1つも、見つけることが出来なかった
「な、なんで…」
ゆまは目の前の光景に驚きを隠せなかった。
深化魔獣は他の魔獣よりも遥かに強い。しかしその反面、倒した時の報酬も大きい筈。
確かに、魔獣を倒してもグリーフシードを得られなかった時は稀にある。
しかし、深化レベルの魔獣を倒して…1つもグリーフシードが手に入らないという事は今まで1度も無かった。
「あの子が戦ったからよ」
織莉子はそんなゆまに近づき、静かに口を開く。
そして…一言、グリーフシードが手に入らない理由を口にした。
それは、鹿目タツヤが戦い深化魔獣を倒してしまったからだ…と。
「あの子って…タっくん?」
ゆまは戸惑いながらもタツヤに目を向ける。
タツヤは…彼女達の視線には気付いておらず、ただただ空を眺めているだけであった。
「…」
その光景を眺めながら…織莉子は、唇を噛みしめる。
このままではほむらを助ける為に力を使った筈のタツヤが、ほむらを追い詰めることになってしまう。
そんな悲惨な結果にするわけにはいかない。
しかし、今の自分達では…どうすることも出来ない。
その事実が、織莉子には歯がゆくて仕方がなかったのだ。
「…」
「ほむら、さん…」
「!!!」
だが、そんな彼女に反応するように…タツヤが声を発する。
いつの間にか髪の毛は元に戻り、彼を纏うオーラもなくなっている。
先ほど彼女達が恐怖を覚えた鹿目タツヤは、今そこにはいなかった。
「タっくん…?」
「…」
だが、それでも…タツヤの様子が可笑しいことに変わりは無かった。
タツヤは酷く疲れている様子で、今にも倒れてしまいそうであった。
恐らく、先ほどの戦いで自分の限界を超える程の力を使ってしまったのだろう。
しかし、それでも彼は足を引きずるようにして…少しずつある一方に向かっていく。
「…」
その先には、彼が守ろうとして…彼が傷つけてしまった…1人の魔法少女が居た。
「…助け、なきゃ」
タツヤは息も絶え絶えとした状態で、ぶつぶつと同じ言葉を繰り返す。
助けなきゃ…守らなきゃ…と―――
そう言い続けて…彼は疲労した体を無理やり動かしながら…ゆっくりと彼女に近づいていく。
「…」
「ほむら、さん…」
そして、タツヤはほむらの傍まで近付くと…静かに腰を下ろす。
先程まで苦しんでいたほむらは、既に虫の息となっている。
近くにはキュゥべえやゆま達も居たが、ほむらの事で必死になっていた彼は彼女達に気付くことは無かった。
「…」
しかし次の瞬間、タツヤは何かを呟きながら再び自らにオーラを纏わせる。
先程とは違い、黒いオーラではなく…桃色の綺麗なオーラだ。
そのオーラと共に、タツヤは自らの周りに小さな魔法陣を展開させる。
魔法陣からは…ほむら達を包み込むような光が発せられた。
「何…これ…」
「凄く…暖かい…」
ゆまの言うように…その光は暖かく、そして優しく包み込み癒してくれるような…そんな印象を受ける。
その光は、ただ浴びているだけでも何処からか力が湧いてくるようであった。
―――全ての理に示すは―――
―――天上に捧げる祈り―――
そして、その光はますます輝きを増していく。
周りのほむらやゆま達を巻き込み、そのまま全てを包み込むように広がっていった。
「…え?」
そして、光に包まれた織莉子達は…自分達にある変化が起き始めたことに気付く―――
「そんな…馬鹿な…」
キュゥべえもまた、その変化に驚くことになる。
その現象は、この珍獣にとって…あり得ないことであり、本来あってはならないことだった。
何故ならそれは、魔法少女の常識を根本から覆すようなものだったから…
「ソウルジェムが、浄化されていくなんて…」
そう…彼女達が見たものとは―――
ほむらのソウルジェムが、浄化に必要なグリーフシード無しで…その輝きを取り戻していく様だった。
「あ…」
「私達のソウルジェムも…」
そして、その現象はゆま達にも起きる。
タツヤの発動した魔法陣から発せられた光に包まれ、彼女達のソウルジェムは浄化されていく。
ほむらを助ける為…回復を後回しにしていたゆま達の怪我すらも、綺麗に消えていった。
そう、その光はまるで―――
彼女達の全てを浄化する、神様による癒しの光のようであった。
「…うっ」
「タっくん‼‼」
彼女達のソウルジェムを浄化し終えると、タツヤは魔法陣が消えると同時に…その場で倒れてしまう。
驚いたゆまは、直ぐに彼に駆け寄った。
「…」
「…大丈夫よ、気を失っただけ」
しかし、タツヤは織莉子の言う通り疲れ切ってその場で眠ってしまっただけであった。
恐らくは…今の魔法で体力を使い果たしてしまったのだろう。
彼女達の全てを癒す程の魔法を使ったのだ、無理もないだろう。
それは…本来であれば、もっと大きな代償を得てもおかしくない程の魔法であったのだから…
「良かった…」
「…」
ゆまが隣で&する一方で、キュゥべえは深刻そうな面持ちで彼を見つめる。
そう、本来であればソウルジェムがグリーフシード無しで浄化されるなど…あってはならない事なのだ。
だが、タツヤはそれを行ってしまった。
その事実が今後に与える意味を、キュゥべえは考えずにはいられなかった。
魔法少女達の今後を左右しかねない、その意味を―――
「…うぅ」
「あっ」
しかし、キュゥべえが考え込んでいる時だった。
「う…ううん…」
「あれ…私は…」
傷を負い…深い眠りに落ちていたほむらが、静かに目を覚ます。
その身体の傷は綺麗に癒え、彼女の手元にあったソウルジェムもその輝きを取り戻していた。
「ほむらお姉ちゃんっ‼‼」
ほむらの無事な様子を見て、ゆまは目に涙を浮かべ…思わず抱き着く。
彼女が生きていてくれて本当に良かったと…ゆまは、心からそう思った。
大切な人を失う悲しみは、何度経験しても慣れるものではない。
「ゆま…?」
「良かった…本当に…」
ほむらは、何が何だか分らないというようにボーっと辺りを見回す。
寝ぼけているか、自分が何をしたのかさえも分らないといった様子であった。
恐らく、眠っている間に何が起きたのかなんて…全く理解できていないのだろう。
タツヤの力のことも、彼女はまだ知らないままだったのだ。
「…私、は…確か…」
「全く、無茶したわね…」
「あ…」
「私は…」
織莉子の一言で、ようやく脳が覚醒し始め…事の経緯を思い出す。
自分が少年を守るために、命を投げ出そうとしたことを―――
「でも、なんで…」
しかし、今の自分は命を落とすどころか…身体の傷すらも綺麗に消えている。
怪我に関しては、ゆまが治してくれたのかもしれない。
だが、自分も死を覚悟したつもりだったのに…一体どうして…
そう、ほむらは混乱しながらも思考を巡らせる。
「…」
その姿を、キュゥべえはじっと見つめることしか出来なかった。
滅多に表情を変えないその顔を、ほんのわずかに歪めながら―――
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
「ん…」
少女達がか自分達の事で一喜一憂している中―――
その原因を作った張本人であるタツヤが、静かに目を覚ます。
「…あれ」
「此処は…」
しかし、そこはほむら達の居た広場ではなかった。
というより、その場所は…そもそも元の世界であるのかも怪しい。
その場所は…辺り一面に綺麗な花畑が敷き詰められ、この世のものとは思えない程の美しい光景が広がっている。
タツヤは、そんな世界に1本だけポツンと立っていた巨大な木の真下に居た。
まるで、昼寝でもしていたかのように…日差しを木影で遮るよう木に寄りかかって眠っていたのだ。
『お疲れ様』
「え?」
ふと、タツヤは反対側から聞こえる声に気付く。
『頑張ったね』
「…貴方は」
タツヤはその言葉に反応して、声の聞こえた方向へと振り向いた。
声の主はタツヤ同様、木に寄り掛かるよう座っていたが…
彼の反対側に座っているため、後姿しか見ることが出来ない。
声の主は―――純白のワンピースに身を包んだ…桃色の髪の毛の少女…
その少女は、初めて会う筈なのに…何処か懐かしい印象を受ける。
そう…まるで、昔何処かで会っているかのような―――
『けど、少し頑張り過ぎたね』
少女は、振り返ることもなく話を続ける。
その口ぶりはタツヤのした事を、全て見ているかのようであった。
力を暴走させ、ほむら達の事を一切考えない滅茶苦茶な戦いをしてしまったタツヤの事を―――
「俺は…」
何となく…その事に気付いたタツヤは、少しだけ沈黙した後に口を開く。
タツヤは、あのような状態でも魔獣との戦いのことを覚えていたのだ。
ほむらやゆまの魔力を吸収してしまった事までは覚えてはいないが、
暴走してしまった自分…理性を無くして魔獣を力任せ」に惨殺した事だけは、はっきりと覚えていたのだ。
「俺は…怖かったんだ」
その事を踏まえて、タツヤは言う。
自分は…怖くなったのだと―――
「大切な人達が、目の前で居なくなることが…」
「『恐怖』という感情に閉じ込められて押し潰されそうになって…」
「気付いたら、自分が自分じゃなくなって…」
ほむらが自分を庇って氷塊に押し潰された瞬間、タツヤの中に流れ込み浸透していった『恐怖』という感情。
自分の軽はずみな行動のせいで、親しくなった人を傷付けてしまった。
自分のせいで、その人を失ってしまうかもしれない。
そう思えば思うほど…自分の中で『恐怖』というドロドロとした黒いものが流れ込んでいく。
次第に、少年は理性を失い…ほむら達を傷付けた深化魔獣に対する『恨み』や『憎しみ』といった負の感情に支配される。
そして、それらが爆発してしまい暴走してしまったのだ。
「でも、ほむらさんの姿を見て…」
「助けなきゃ…守らなきゃって…」
しかし、それでも…少年は最終的に理性を取り戻した。
タツヤを負の感情から救い出したのは、たった1つの願い―――
ほむらを…魔法少女を守りたいという―――少年が胸に強く抱いた、最初の願いだった。
その願いが、タツヤの心の奥底に残っていたからこそ…彼は戻ってくることが出来たのだ。
「本当、怖いんだな…」
「ほむらさんの気持ちが、少しだけ分かった気がする」
タツヤは改めて、戦いの場に身を置くことの怖さを知る。
戦いで誰かが傷つくことは勿論、今回のように負の感情が溢れ出し自分を見失う怖さを肌で感じた。
先程、ほむらが言っていたこと。
自分はもう親しくなった人を失いたくない。
少年はその言葉が、少しだけ分かったような気がした。
親しくなった人を失うかもしれないという『恐怖』―――
それだけでも恐ろしいのに、本当に大切な人を失った時…その感情はどうなってしまうのだろう。
きっと、自分が自分では無くなってしまうのだろうと…タツヤは思う。
それこそ…大切な人を取り戻せるのであれば…“悪魔”に魂を売って良いと思ってしまう程に…。
『そっか…』
「…」
純白の少女は、タツヤの話を背中越しにただ黙って聞いていた。
後ろを向いている少女が、今どんな表情をしているのかは分からない。
彼の話を聞いた上で、どんな事を考えているのか…全く見当も付かなかった。
『じゃあさ…』
『こっちの世界に来る?』
しかし、少しして…少女は口を開く―――
「え?」
しかし、彼女から発せられた言葉の意味を少年は理解出来ず、思わず聞き返してしまう。
こっちの世界とは、今自分がいる世界を指しているのだろうか…。
澄んだ青空に…綺麗な花畑、戦いとは程遠いような美しい自然に囲まれた…この場所のことを。
『こっちなら、そんな感情に襲われることもない』
『辛い思いをしなくても済むようになるんだよ』
『ずっと…』
純白の少女は、なおも続ける。
この世界であれば、今さっきのように負の感情に悩まされることはない。
感情に左右されることのない…そして、何も考える必要のない…幸せな毎日を過ごすことが出来る。
そう、ずっと…それこそ、“永遠”に―――
「…」
「それも…良いかもな」
タツヤは少女の話に対し、沈黙を続ける。
しかし、ふっと一言…そんな生活も悪くない、と言葉を漏らした。
「でも、遠慮しとくよ」
だが、そう言った上で…この少年は首を横に振る。
「俺は、約束したんだ」
「あの人を、1人にはしないって…」
自分がこの世界に留まったら、あの人を裏切ることになる、と―――
「約束は、守らないと」
自分は約束したのだ。
彼女を…1人にはしないと、彼女の心を守ると…。
約束は守らなければいけない、その為にもこんな所で呑気に過ごすわけにはいかない。
それが…少年の揺るがない『決意』だった。
『…そっか』
『…分かったよ』
タツヤの意思の強さを知った少女は、少し残念そうに呟く。
『じゃあ…』
『ほむらちゃんを、お願いね』
そして、少女はタツヤに言葉を贈る。
何時までも少女の姿のまま戦っている、魔法少女の名前を挙げ…
彼女の事を…宜しく頼むと―――
「…」
「…あぁ」
何故、彼女の事をこの少女が知っているのか。
そんな問いかけを…タツヤは、あえてしなかった。
彼女がほむらの事を知っていようと知っていまいと、自分に出来ることは1つしかない。
その事を成し遂げるだけ…そう、心に決めていたのだから―――
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
そして、場所は再び見慣れた世界へと変わる―――
「…ん」
「…日差しが」
少年は…その身体に浴びる眩しい光に誘われ、再び目を覚ます。
暗くなっていた空は、すっかり明るくなり…暖かい日差しが差しのべる。
寝ぼけていたタツヤはその日差しに導かれるように、徐々に意識を覚醒させていった。
「はっ」
「みんなは…!」
暫くして、タツヤはようやく意識をハッキリさせる。
自分が深化魔獣と戦ったこと、戦って…倒したこと…
そして、ほむら達のことを―――
タツヤは辺りを見回す為に、起き上がろうとする。
ほむら達は、一体どうなったのだろうか、と…。
「まだ、寝てなさい」
しかし、起き上がろうとしたタツヤの頭を突如、冷たい手のひらが支える。
「っ‼」
そこで…タツヤは驚くと同時に、ある違和感に気付く。
外で寝転がっているのに、首元に感じる暖かくて…柔らかい感触―――
そして、少年はその理由を直ぐに知ることになる。
「全く…」
「無茶したわね」
その冷たい手のひらの持ち主である…暁美ほむらが、タツヤの頭を膝に乗せながら話す。
そう…首元に感じる感触は、ほむらの膝枕だった。
タツヤは、ほむらの膝の上で夜が明けるまで眠っていたのだ。
「す、すいません」
タツヤは、今の状況が上手く飲み込めず…口籠るように返事をする。
だが、ほむらに迷惑を掛けたことだけは直ぐに理解できた。
ほむらを守ると決めたのに、何をしているのだ…と、タツヤは少しだけ自暴自棄になる。
「…でも」
しかし、そんなタツヤの顔を…ほむらはそっと覗き込む。
「おかげで、助かったわ」
「どうも有難う」
そして、彼女は言う。
助かった、有難うと―――
その表情に…人間らしい、優しい微笑みを作りながら…
「え…いや、俺は…」
その不意打ちとも言えるほむらの笑みに、タツヤは思わず目を反らしてしまう。
お礼を言われたのが恥ずかしかったのか
それとも、ほむらの表情に見とれてしまった自分を隠すためなのか…
何故そんな行動を取ったのか、タツヤは自分でも分からなかった。
「…でも、そのおかげで」
「仲間の下へと行きそびれちゃったわ」
だがその一方で、ほむらは少しだけ残念そうに呟く。
「え?」
「私は、導かれたかった」
「そして、会いたかったのよ」
「かつての、仲間たちに」
自分が何故あんな無茶な事をしたのか…
それは、かつての仲間に会いたかったから―――
戦いの中で死ぬ事が出来れば、魔法少女が導かれし楽園…『円環の理』で、彼女達に会えるのではないか。
ほむらは、空を見上げながら…そう、ゆっくりと話し始める。
その姿は…遠くて手の届かないような場所を、じっと見つめているかのようであった。
「…」
「例え、それが…」
「絶望の淵に、自分の身を落とすことだと分っていても…」
しかし、ほむらは分かっていたのだ。
自分の選んだ道が…『希望』ではなく『絶望』へと繋がっているということを…。
円環の理に導かれる者は、『希望』を信じて戦い続けた少女達のみ。
かつて、全ての魔法少女を救った少女が…そうだったように―――
自分のように、人間ではないからと自暴自棄になり…命を投げ捨てるような戦いを続ける者には、決して辿り着けない場所。
だからこそ、自分はまだ戦わされているのかも知れない。
円環の神様…『彼女』が、自分にその事を気付かせる為に―――
頭では、分かっている。
でも…1人で戦えば戦う程、『人』としての自分が壊れていくことも事実だった。
綺麗な花畑の中―――
一緒に戦ってくれたかつての仲間達が、次々と…砂のように消えていく。
その中で、自分だけがたった一人取り残される。
ほむらの心の中では、そんな残劇が永遠と繰り返されていたのだ。
「ほむら、さん」
「でも…」
「そんな私に」
「手を差し伸べるあなたが居た」
しかし、花畑で1人泣き崩れるほむらに…そっと手を差し伸べる者が居た。
その者は…かつての最愛の友人の面影を残した、心優しい少年―――
泣いているほむらに…柔らかい笑みを浮かべる少年の名は、鹿目タツヤといった。
「私は、それを掴んでしまった」
花畑に居るほむらは、恐る恐るタツヤの手を掴もうとする。
触れた瞬間―――砂となって消えてしまうのではと、恐れながら…
しかし、その差し伸べられた手は…しっかりと掴むことが出来た。
その瞬間…ほむらは、何かから解放されたような気がしたのだ。
「…」
「…情けないわね」
「…あなたの事を、邪魔者扱いしておいて」
「そんなあんたに、私は救われたんだから…」
ほむらは、タツヤによって『人間』の心を取り戻すことが出来た。
『人間』としての自分を忘れ掛けていた彼女も、タツヤの前では『人間』であることが出来たのだ。
そう、ほむらはタツヤに話す。
「多分…」
「ほむらさんを絶望の淵から救ったのは、俺じゃないと思います」
しかし、少年はほむらの話を聞き終えると…少し照れくさそうに呟いた。
「?」
「きっと、その仲間達がほむらさんを救い出したんです」
『絶望』という名の奈落へと堕ちようとしていたほむらを救い出したのは、自分ではない。
ほむらの中に眠っていた仲間達との暖かくて切ない思い出達が、ほむらを立ち直らせたのだ。
自分は、その思い出を呼び覚ますきっかけを作ったに過ぎない。
かつて、一緒に戦った仲間達が…貴方を助けてくれたのだと、少年は言う。
「それに…」
「ほむらさんは、1人じゃないですよ」
「っ‼‼」
そして、タツヤは続ける。
急いで仲間の下へ行かなくても良いのではないか―――
此方の世界でも仲間はいる。
ゆまや織莉子、和子や仁美だって彼女のことを心配してくれている。
それに、自分はほむらを1人にしないと約束したのだ。
これからは、自分が貴方を守る。
そう…タツヤは、柔らかい笑みを浮かべながら話した。
「…」
ほむらはその言葉を聞き、以前も…宗一郎にも似たような言葉を言われたことを思い出す。
お前は1人ではない―――
確かに、そうかも知れない。
宗一郎や美佐子はいつも自分の事を心配してくれてたし、魔獣との戦いだって…ゆまが手伝ってくれることもある。
だが、ほむらは認めたくなかった。
仲間が居ると思えば、その仲間に頼ってしまうから…。
そして、弱い自分はいつか…その人達を傷付けてしまうから。
その事が…ほむらはどうしようもなく怖かったのだ。
だから、自分に言い聞かせた。
自分に、仲間は居ない…自分はずっと1人なのだと―――
でも…タツヤはそんな自分の気持ちを知っても尚…貴方は1人じゃないと言い放つ。
彼の言葉を聞いていると、自分は仲間に頼っても良いのではないか、と…。
少しだけ…本当に少しだけだが、思えるような気がした。
孤独によって冷たくなっていった自分の心が、徐々に暖かくなっていくような気がしたのだ。
「本当に」
「つくづく似てるわね」
そして、ほむらは思わず言葉を漏らす。
「え?」
「まどかに…」
自分を救ってくれた少年に向かって…
あなたは似ている…自分の最愛の友人に、と―――
「!?」
「えっそれって、どういう…」
タツヤはその言葉を聞いて、思わず飛び上がる。
そのまま…ほむらに詰め寄り、言葉の真意を確かめようとした。
まどか、タツヤがずっと気にしていた…懐かしい響きがするその名前―――
ほむらの友人だという彼女と自分が似ているとは、どういうことかと。
「…ごめんなさい」
「今は、まだ話せない」
「っ‼」
しかし、ほむらはタツヤの前で首を横に振る。
彼女の事を、まだ話すことは出来ない。
まどかの事を…真実を話せば、いくらタツヤと言えど…どうなってしまうか分からない。
その真実は、この少年には残酷すぎる。
何より、この少年にかつてない程の重荷を背負わせるものだったから…。
「でも、いつか…」
「あなたに、全てを話すわ」
それでも、いつかはこの少年にも…真実を話さなければならないと、ほむらは思う。
「それまで、待っててくれる」
この少年がもっと大人になって、人として全てを受け入られるくらい強くなった時は、全てを話そう。
そう、ほむらは密かに誓うのだった。
「は、はい…分かり、ました」
タツヤは、ほむらの言葉を受けて…思わずその場で頷いてしまう。
もっと食い下がっても良かったのだろうが、自分を見つめる彼女の真剣な眼差しの前では…首を縦に振ることしか出来なかった。
「…ところで」
会話が一段落したところで、ふとほむらが表情を崩し…薄ら笑みを浮かべて言葉を発する。
「あなた、何時の間に私の事下の名前で呼ぶようになったの?」
「ふぇ!?」
ほむらの言葉に、タツヤは言葉にならない声を発してしまう。
今までずっと、タツヤがほむらを呼ぶ時は『暁美さん』だった筈なのに、
いつの間にかその呼び方は『ほむらさん』に変化していた。
その事が、ほむらはふと気になったのだ。
「いいいいや、それはっあのっですね…成り行きと言うか、そのー…」
ほむらの問いに、タツヤは驚き慌て…しどろもどろになってしまう。
何とか理由を話そうとするが、その言葉は要領を得ず何を言っているのか分からない。
別に大した事ではない。何となく、そう呼びたくなっただけ…
そう簡単に説明すれば良いのだが、上手く言葉が出てこない。
「…」
「えー…と、そのー…」
もしかしたら、馴れ馴れしいと言われるのではないか。
そんな不安が、タツヤから言葉を奪っていた。
「…ぷ」
しかし、そんな少年を見てほむらは―――
「ふ…ふふっ…」
まるで、無邪気な少女のように…口の端をつり上げ、笑い始めた。
その表情は…普段の彼女からは全くと言って良いほど想像出来ない。
お腹の底から湧き上がってくる笑いを必死に堪えようと、ほむらは自分の顔を片手で覆う。
「あ…暁美さん」
「ごめんなさい」
「なんだか…可笑しくて」
こんなに…涙が出る程笑ったのは何時振りだろう…と、ほむらは涙を拭きながら思う。
感情を素直に出す事を忘れていたほむらは、笑っていた頃の事が思い出せなかった。
そもそも…魔法少女になってから、心の底から笑ったことなどあっただろうか。
友人の為に同じ時間を繰り返し、
そして…そんな彼女が守った世界を護る為に戦い続けてきたほむらにとって、心から笑える時間があまりにも少なかったのかもしれない。
「は…はぁ?」
しかし、この少年は自分に…そんな時間を与えてくれた。
心の底から笑える時間、心の底から泣ける時間―――
戦いの中で止まってしまった自分の『時間』が、タツヤによって…少しずつ動き始めたような気がする。
「ほむらでいいわ」
「…『タツヤ君』」
だから―――ほむらは決めた。
この少年を…鹿目タツヤの事を、ちゃんと見ていこうと…。
まどかの弟として、彼に彼女の幻影を重ねるのではなく…この少年自身の事を―――
初めて、彼の名前を呼んだ事は…そんなほむらの『決意』の現れだった。
「えっあっは、はいっ」
突然名前を呼ばれ、ますます慌てるタツヤ。
ほむらの考えなど、この少年は理解出来ないだろう。
「タツヤ君」
少年が慌てている中、ほむらは再度少年の名を呼ぶ。
そして、何故か自らの髪を結っているリボンを解き始めた。
「これ、あなたにあげるわ」
「え?」
ほむらは2本の赤いリボンを解くと、タツヤに差し出す。
「これ…ほむらさんの」
それはほむらがいつも身に着けていた大切な物。
そう理解していたタツヤは、自らの手に渡ったリボンを眺めながら戸惑いを隠せずにいた。
こんな大切な物を、自分なんかに渡してしまって良いのだろうか…と。
「いいのよ」
「それは、あなたが持っているべきだから」
だが、ほむらは言う。
その2本のリボンはタツヤに持っていて欲しいのだと、
まるで、そのリボンが元々彼の持ち物であったと言うように―――
「?」
しかし、そうは言われても…この少年には、意味が分からない。
訳も分からず、ただ首を傾げる事しか出来なかった。
「ふふ、やっぱり」
そんな、自分の渡したリボンを大事そうに手に持つタツヤに、ほむらは言う。
「『あなたの方が似合うわね』」
心の底から思った、素直な感想を…ほむらは言った。
そう、嘘…偽りなく―――
『愛よ』
ズキッ
「っ!!」
刹那―――
ほむらを突然の頭痛が襲う。
唐突な痛みに、彼女の表情は苦痛に歪む。
更に、一瞬…ほんの一瞬だけ『何か』がほむらの脳裏に映し出された。
それは、ほむらは“知らない”…少女の歪んだ笑顔の姿―――
「えっ、ほ…ほむらさん?」
頭を押さえるほむらを見て、タツヤは慌てて駆け寄る。
「だ、大丈夫よ」
だが、その頭痛はほんの一瞬で直ぐに治まった。
ほむらは戸惑いながらも、少年に心配を掛けまいと笑顔で応じる。
「(何…今の…)」
だが、それでも彼女は違和感を拭えずにいた。
突然、自分に起きた異変に戸惑いを隠せないほむら。
しかし、これが“きっかけ”となり…彼女はある1つの事を思う。
「(私は…)」
「(私は、何かを忘れている…?)」
それは、これまで起きた…全てを“繋ぎ”、全ての“きっかけ”となった事―――
そう…彼女の止まってしまった『時間』は、少しずつ…動きだそうとしていた。
「ほむら、さん?」
この少年が全ての真実を知り…まどかの事を、自分の姉のした事を知る時―――
その時は…ほむらが考えているものよりも…早く訪れることになるかもしれない。
「むー…」
そんな2人のやり取りを、少し離れた場所から複雑な心境で眺めている少女がいた。
「なんか2人だけで楽しそうにしてる…」
ゆまは、木陰に隠れながらほむらとタツヤの様子をずっと伺っていた。
少し機嫌が悪そうに、その整った顔立ちの眉間にしわを寄せながら…。
ほむらが彼のおかげで助かり、少しだけ明るくなった事は喜ぶべきことだ。
勿論、その事に関してはゆまも嬉しいと思っている。
だが、だからといって自分を抜きにしてタツヤ達だけで楽しんでいるのはどうも納得がいかない。
…というより、何だか胸の奥がモヤモヤする。そんな感情にゆまは囚われていた。
「あらあら…」
そして、そんなゆまの事を織莉子はもう少し遠い場所で眺めている。
織莉子は薄々気付いていたのだ。
ゆまがタツヤの事を自分でも知らない間に“そういう目”で見始めているという事に…。
ほむらが彼の事をどう思っているのかは知らないが、
これから、どうしていこうものか…と織莉子は別の意味で頭を悩ませていた。
「(…まぁとりあえず一安心、かしらね)」
ただ、今日のところは皆が無事だった…それだけで満足だと、織莉子は思う。
自分の予知とは大分違う事になったが、結果オーライだろうと彼女は結論付けた。
そう、彼女には珍しく…深く考えようとせずに―――
「本当にそう思ってるかい」
しかし、その安易な考え方をこの珍獣は許さなかった。
「!?」
「今は、これで良いかもしれない」
織莉子の前に現れたキュゥべえは、その変わらぬ表情に若干の焦りの色を見せながら話始める。
タツヤの力は…確かに強大だ。
急激に力を増している魔獣達、そして新たな魔法少女が生まれない今の見滝原…
この環境を考えても、彼の力は今後必要になっていくだろう。
今回も、彼の力のおかげで窮地を脱することが出来た。
しかし―――
「でも、彼のあの力は…あまりにも危険過ぎる」
「それこそ、この世界の理を覆し…全てを壊してしまうことになるかもしれない」
そもそもここまでの窮地を作り上げたのも、彼なのではないか?
彼の中に眠る絶対的な力は、自分達にとって『希望』にもなりうるかもしれない。
しかし、それは同時に『絶望』にもなりうる代物だ。
このままで…本当によいのか、キュゥべえは自分にも言い聞かせるように言葉を続けた。
「(…)」
この珍獣に言われずとも、そのことは織莉子も気付いていた。
何より、タツヤの力には…自分達の力とは決定的に違うものがあるのだから―――
「(エナジードレイン…)」
それは、彼がグリーフシードなしで魔力を回復出来るということ。
魔獣から…魔法少女から、魔力を吸収して自分のものにしてしまう生命力吸収――エナジードレイン―――
彼と共に戦えば、魔法少女達は無条件で魔力を消費していってしまうだろう。
それに…それだけでも危険な力なのに、問題は他にもある。
「(直接魔力を吸収してしまっては…)」
「(魔力の源であるグリーフシードが、魔獣の中で生成出来なくなる)」
「(…魔法少女にとっては、最悪の展開)」
魔獣から魔力を直接奪うということは、当然魔獣の魔力は失われる。
それは同時に―――魔獣の中でグリーフシードが生成出来なくなることを意味する。
魔獣の魔力が根こそぎ奪われるのだ、魔力の詰まったグリーフシードが生成されないのは…ある意味当然のことであろう。
しかし、それはグリーフシードを回復源とする魔法少女にとって…死活問題であった。
タツヤの力は、まさに…彼女達にとって相性最悪の力だった。
「この先、もし…」
「彼が…僕達とは相容れぬ存在になったら…」
キュゥべえは、ある1つの不安を抱いていた。
そんな彼が、今回の戦いのように…我を忘れ、力を暴走させるような事が今後も起きるのだとしたら…。
その力に彼自身が支配され、この世界を…魔法少女達を『絶望』に陥れるような事が起きてしまったら…。
「その時、僕達が取る選択肢は…」
「彼を…」
魔獣同様、自分達の『敵』として彼を見なければならなくなったとしたら…
その時、自分達インキュベーターは…彼…鹿目タツヤを―――
「それ以上を言葉にしたら、怒るわよ」
キュゥべえがその後の言葉を言いかけた言葉を、織莉子が遮る。
その先の言葉が、ゆま達にとって…どれだけ残酷なものか、織莉子には痛いほど伝わっていたから。
分かっている、今この珍獣の言葉を遮ったとしても…現状は、何も変わらないということを―――
だが、例え問題を先送りにすることになったとしても、今は…今だけはその言葉を聞きたくはなかった。
「…」
「…そうだね」
「今は、このままでいいか」
「あら、珍しくあっさり引くじゃない」
そのことに、織莉子も違和感を覚える。
この珍獣が、こんなに簡単に諦める筈がない。
自分達の利益の為なら、どんな犠牲も厭わないような連中だ。
一体何を考えているのか、と疑う方が当然であった。
「僕だって、君達人間に対してある程度の理解はあるつもりだよ」
しかし、キュゥべえはそんな考えなどないことを強調する。
確かに、以前タツヤに言ったように自分達は人間達を『家畜』のように扱っている部分もある。
だが、だからと言って人間の気持ちを完全におざなりにしているわけではない。
自分達は自分達なりに、人間に歩み寄ろうとしているのだと…この珍獣は続けた。
「それに、僕自身…何故かこの現状が壊れてほしくないと思っているんだ」
「不思議だけど、ね…」
更に、この件について…キュゥべえは自分の中で生まれ始めている『違和感』についても口にした。
今の状態が、このまま続いてくれれば良いというキュゥべえらしからぬ言葉。
別に今の状態が続いても、この珍獣達には何のメリットもない。
むしろ、彼が危険な存在だという認識から…デメリットの方が多いくらいだ。
しかし…タツヤやほむら達との様々な交流を通じて、このキュゥべえの考えは変わり始めていたのだ。
もう少しだけ、彼等と一緒に居てもいいかもしれない…と…
少しだけ…ほんの少しだけだが…彼等と居る今この場が…
居心地が、良いのだと――――
「随分と人間臭いこと言うのね、気持ち悪い」
織莉子はそんなキュゥべえを、蔑むような冷たい視線で見下ろす。
感情を持たない筈のこの珍獣が、まるで人間が言うかのような台詞を吐いた。
戦いで使用したグリーフシードを放り投げながら、彼女はそう気味悪そうに言った。
「酷いなぁ…キュップイ」
キュゥべえは直ぐにいつもの調子を取り戻し、織莉子が投げたグリーフシードを受け取る。
らしくない事だとは、この珍獣自身が一番よく分かっている。
だが、考えてしまったものはしょうがないと割り切ってしまう所は、ある意味この珍獣らしかった。
「(でも、そうも言ってられないのも事実だ)」
しかし、現状に不安が完全にないわけじゃない―――
「(だって…あの力は…)」
タツヤが力を覚醒させたと同時に、この珍獣の眠っていた『記憶』が蘇った。
その『記憶』を辿れば、これまでこの見滝原で起きた全ての現象に、ある1つの仮説を立てることが出来る…かもしれない。
タツヤの力のこと
ほむらの身体のこと
そして…この見滝原で、魔法少女が生まれなくなってしまったこと―――
「(…)」
だが、キュゥべえは直ぐにその『記憶』を辿ることを止めた。
その『記憶』は、現状維持を望む今のキュゥべえにはあまりにも…
そう、あまりにも―――
「ターくぅぅぅうん‼‼」
「え?どわっ!?」
とうとう我慢出来なくなったのか、ゆまはタツヤへ向けて走り出す。
そして、そのままタツヤにタックルするような勢いで抱き着いた。
突然の事にタツヤも驚き、そのままバランスを崩して彼女に押し倒される形になってしまう。
「酷いよ、ほむらお姉ちゃんばっかり‼‼」
「私だって頑張ったのにっ」
「私も褒めてよ‼‼」
ゆまはタツヤに馬乗りになり、タツヤに労いの言葉を求める。
2人の顔はかなり近く、傍から見ると凄い光景なのだが…ゆまがその事を気にする様子は無かった。
無意識の内にこういう事をしてしまう辺り、彼女も相当の天然なのかもしれない。
「いきなり何を言い出すんですか貴方はっ‼‼」
タツヤは混乱しながらも、ゆまに向って反論を述べる。
しかし、目の前に居る顔立ちの整った少女に顔を赤くし、思わず顔を背けてしまう。
というより、ゆまがあまりに密着してくるため、色々柔らかい部分が当たっていて、タツヤは相当困惑していた。
「ほむらお姉ちゃんだけずーるーいー」
「は~な~れ~ろ~‼‼」
だが、それでもゆまはまるで子供のように無邪気に身体を密着させてくる。
それを必死に引き剥がそうと、タツヤは顔を逸らしながらもゆまを押し返す。
そんな2人のおしくらまんじゅうみたいやり取りが、暫く続いた。
「ふふ」
そんな2人のやり取りを、ほむらは再び優しい笑みを零しながら見つめる。
『人間』としての自分を捨て、様々な感情を押し殺しながら戦い続けてきた彼女は…もう何処にも居なかった。
「...私達もいくわよ」
その姿を見て安心した織莉子は、隣に居た珍獣に声を掛け、自らもタツヤ達の下へと向かう。
「そうだね」
その声に反応し、キュゥべえもまた…彼等の下へと向かおうとする、
「(まぁ…なんだ)」
「(君は、そうしてるのがお似合いだよ)」
「(タツヤ)」
ゆまとやり取りするタツヤを見ながら、そんな事を思うキュゥべえ。
その視線は既に『彼を利用してやろう』という目論見は感じられず、この珍獣には似つかわしくない非常に穏やかなものであった、
誰もが、今は現状の維持を望んでいる。
このまま…他と何も変わる事のない時間が過ぎていけば良い、と―――
「…」
しかし―――
「!?」
一瞬…何かの気配を感じたキュゥべえは、咄嗟に真後ろに振り向く。
だが、キュゥべえが振り向いた先には…誰も居なかった。
「どうしたの?」
「いや、別に」
自分の気のせいだったのか、とキュゥべえは再び向き直り織莉子に付いていく。
その背後に妙な違和感を覚えながら―――
「…」
そして、キュゥべえのその違和感は間違ってなどいなかった。
「見滝原が騒がしいと思って偵察に来てみたら…」
「なんか可笑しい事になってんな」
遠くから彼等の事を観察していた“それ”は、キュゥべえの視線に気付き物陰に隠れていた。
その姿は…キュゥべえ同様小動物のような姿をしており、その身体の色は黒を基調としている。
キュゥべえの視線が無くなると、“それ”は物陰から顔を出し、再び彼等の様子を伺う。
「しっかし、あのガキ…」
「鹿目タツヤって言ったか」
そして…“それ”の視線は、ゆまと言い合っているタツヤへと向けられる。
「ありゃイレギュラーどころの騒ぎじゃねーな」
「うちの連中的に言うなら、異端者(ヘレティック)ってところか」
“それ”はタツヤ達の戦いの様子を、気付かれないように遠くからずっと観察していた。
そして、この観察者もまたタツヤの力の異常さに気付き、彼への警戒心を強める。
その力を不規則(イレギュラー)ではなく、異端者(ヘレティック)と比喩するほどに―――
「ま、一応…海香達に伝えておくか」
「あのガキ、『ヘレティックタツヤ』の事を…」
“それ”は、そう言い残し…自らの主の下へと帰っていく。
この観察者の…この行動が、今後の物語を大きく動かす事になるのだが…
その事を知る者は、まだ誰もいない―――
「貴方達、あんな戦いの後で元気ねぇ」
「あ、織莉子~」
「ぐぇ...」
織莉子達はタツヤ達の下へと移動し、彼女達に声を掛ける。
ゆまはタツヤに馬乗りになった状態で、織莉子に能天気に手を振る。
一方で、タツヤはその下でぐったりしていた。
「タツヤ、君はこんな所で油を売っていていいのかい?」
そんなタツヤに、キュゥべえはいつも通りの憎まれ口で話しかける。
いつも通り…心底不思議そうに、その紅い目で彼の事を見つめながら…
「あ?なんでだよ」
「だって、もう朝だよ」
キュゥべえの言う通り、周りは既に暖かい日差しに照らされ、すっかり明るくなっていた。
近くの時計台の針も、早朝の時間を指している。
だが、だからどうしたのだ…とタツヤは首を傾げる。
夜が明けてしまったからと言って、何の不都合があるのか…
「あ」
そこまで頭を回して、タツヤの思考は一時停止する。
そう、夜が明けて朝になってしまったのだ。
昨日の夜に家を飛び出し、帰る事のないまま…何の連絡もせずに…
「しまったああああああああああああああああああ!?」
「父さんに殺されるぅぅぅぅううううううう‼‼」
タツヤは突如として頭を抱え、その場で大声を上げる。
家を出る時は許してくれても、何も言わずに朝帰りなんて…自分の父が許すはずがない。
最悪死…いや、死んだ方がマシだと思える程の罰を与えられるに違いない。
そんな事を考えながら、タツヤは顔を真っ青にしていく。
「あらあら…」
その様子を見て、織莉子が憐れむ様子で溜息を漏らす。
織莉子もタツヤの父・知久の事は、詢子から聞かされていた。
直接会う事は少ないが、それでも…あの完全無敵の女社長である詢子が唯一恐れる存在として、彼女も知久の事を間接的にだが知っていたのだ。
「あれ?何だろ、この壊れた自転車」
「あっそれは…」
更に、何時の間にかタツヤから離れていたゆまが、近くの広場に大破した自転車を見つける。
それは…タツヤが此処に来る際に大輔の好意で貸してもらった自転車だ。
瘴気が晴れた事で、この自転車もまたボロボロの状態で元の世界に戻ってきていたのだ。
「タツヤ、全部君が招いた事だよ」
「だったら、ちゃんと罰は受けるべきじゃないかな?」
「人間って、そういう生き物なんだろ?」
キュゥべえは自転車の事も含めて、全ての責任は君にあるとタツヤに捲し立てる。
それ相応の償いをするべきだと、キュゥべえはいつもの調子で少年に続けた。
この珍獣も、恐らくは自分なりにタツヤに気を使った上での台詞だったのだろう。
最も、それがこの少年にどういう風に聞こえているかは聞くまでもないのだが…
「黙れぇぇぇええ‼‼」
「きゅっぷいぃぃぃいいい」
案の状、タツヤはキュゥべえの長い耳を掴み…この珍獣を遠くまで投げ飛ばす。
…この珍獣もこうなることを分かって、彼にそんな言い方をしているのかもしれない。
「ふっ」
ほむらは、そんな光景を微笑みながら見つめる。
今までずっと居なくなった友人達の幻影を追ってきたが、この出来事をきっかけに…少しだけ変わる事が出来るかもしれない。
心の中で、彼女はそう思った。
今後も、ほむらは戦い続けるだろう。
見滝原で唯一生き残った魔法少女として、タツヤを守るため…この見滝原を守るため…
最愛の友人が護った世界を守るために―――
だが、これまでのように戦いの中で自暴自棄になり、自らを犠牲にするような真似は…もうすることはないだろう。
タツヤとの出会い…『再会』が、彼女の冷え切った心を暖め…彼女の心を強くしたのだから...。
本当の『強さ』とは、いつも心の中にあるのだから―――
第6話「強さはいつも心の中に」 fin