魔法少女まどか☆マギカ~After Ten Years of History~   作:イデスツッラ

9 / 23
第4話「奇跡と魔法と、その代償」chapter 2

 

―――――――――――――――――――――――――――――――

 

「…」

 

「(明るくて自由な人なんだと思ってたけど…)」

 

「(色々と訳ありなんだな…)」

 

自宅に向かう道路を歩きながら、タツヤは考える。

今日は、彼女の違う一面を見た気がする…と。

 

それは、普段見せることのない、光に隠れた…暗い影の部分。

 

そういった感情から生まれる色々な想いを胸に抱いて、彼女は戦うことを選んだ。

 

奇跡と―――そこから生まれる魔法の力を信じて。

 

単純な『憧れ』とかそういった感情で魔法少女になったわけではないという事が、痛いほど伝わってきた。

 

「親から、暴力…か…」

 

正直虐待という言葉など、タツヤにとってテレビのニュースの話題でしかなかった。

子供にとって親は大事な存在で、親にとっても当然そうなのだと信じていたのだ。

 

だが、それはこの少年が両親から大切にされていたから、そう思うことができたのかもしれない。

 

「(普通の生活ができるだけでも…幸せなのかな)」

 

当たり前のことを―――当たり前だと思える幸福

 

「(きっと…俺は恵まれてる方なんだろうな…)」

 

タツヤが親の話を始めた時―――昨日、両親との様子を見た時

彼女はどんな事を思ったのだろう―――何を感じていたのだろう

 

その答えが、今のタツヤには見つけることができなかった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

「…」

 

タツヤが帰宅した後も、ゆまはそのまま公園にいた。

何をするわけでもない…ただボーっと空を見上げている。

 

空は徐々に夕陽が沈み、星が光り始めてきている。

 

「珍しいじゃないか」

 

「君が人に進んで自分の過去を打ち明けるなんて」

 

すると、どこからともなく聞き慣れた声が聞こえてくる。

声の主であるインキュベーターは公園の隅にある木の陰から姿を現し、後ろからゆまに近付いてきた。

 

「…いつから見てたの」

 

「最初からだよ」

 

ゆまは振り向くことなく、その声に応える。言葉に若干の嫌悪感を含めて―――

タツヤを影から観察していたインキュベーターは、彼女と少年の会話を一通り聞いていた。

 

それでも、この生き物は悪びれる様子もなく、ゆまの足元まで近付く。

 

「悪趣味だね」

 

「その言い方は酷いな。これでも気を使ったつもりだよ?」

 

「気を使ってくれるほど、あなたって感情持ってないでしょ」

 

「まあね」キュップイ

 

皮肉をたっぷり込めてゆまが言う。

それでもキュゥべえが態度を改めることはなく、平然とした様子で彼女の言葉を受け流す。

 

ゆまと既に長い付き合いとなっているこの生き物にとって、彼女の過去の話など今更聞きたい話題でもない。

いや、そもそもこの生き物から言わせてみれば、魔法少女の過去など…その名の通り過ぎ去った出来事でしかなかった。

 

キュゥべえから言わせてみれば、興味の無い話題をたまたま聞かされたに過ぎず、謝るようなことでもなかった。

 

「それにしても、僕には分からない」

 

しかし、普段は彼女達の過去に干渉しないキュゥべえが、珍しく不思議そうに首を傾げる。

 

「君が、どうしていつまでも身体の傷を消さずにいるのかがね」

 

「…」

 

それは―――幼い頃に彼女が受けた身体の傷のこと

 

「君の治癒魔法を使えば、そんな傷なんて綺麗さっぱり消せる筈だよ」

 

「現に君は変身する時、人に見せるのが嫌だと言って身体の傷を魔法で隠しているじゃないか」

 

「どうしてそれをしないんだい?」

 

『救いの願い』で魔法少女になったため、ゆまの治癒系の魔法はトップクラスの性能を誇る。

例え、どんなに致命的なダメージを身体が受けようとも、即死でなければ治すことが可能だ。

キュゥべえの言うとおり、身体に残った古傷を消すことくらい造作もないことである。

 

「…キュゥべえには、分からないよ」

 

キュゥべえの言葉を、ただ黙って聞いていたゆまだが、徐に口を開く。

その視線はキュゥべえではなく、ただただ遠くを見つめていた―――

 

『お前のせいだ!!』

 

『お前が可愛くないから、あの人は家に帰ってこないんだっ!!!!』

 

脳裏に浮かぶのは、幼い頃の…かつての記憶。

自分の事を否定し、拒絶した母の言葉。

 

彼女にとって、それは決して良い思い出ではない。

むしろ、今思い出せば古傷が疼いてしまうくらいだ。

 

「あんなのでも、やっぱり私の親だから」

 

それでも、彼女にとっては思い出すことのできる数少ない家族の記憶―――

 

「この傷はさ、唯一の証なんだよ」

 

「私にも、ちゃんと血の繋がった家族がいたんだっていう、ね」

 

面倒を見てくれている織莉子や、自分を救ってくれた杏子には感謝している。

彼女達も、ゆまにとって家族同然の存在だ。

 

しかし、それでも彼女達はゆまの『本当の家族』ではない。

 

傷を消してしまえば、血の繋がった家族の記憶を失ってしまうかもしれない。

そうなれば、自分は本当の意味で『孤独』になってしまう。

 

彼女は、そうなることが怖かったのだ。

 

「絆、という奴かい?」

 

「どうだろう…」

 

「『絆』って言うより『鎖』って言った方が正しいかもね」

 

絆なんて綺麗なものではない。

 

それは、自分があの家族から逃げないように繋がれた―――――鉄の鎖

自分が、あの家族の子供であるという唯一の証拠。

 

例えそんな物でも、彼女は失いたくはなかった――――

 

「ふ~ん、やっぱり僕には分からないよ」

 

素っ気無くキュゥべえが言う。

この生き物にとって、魔法少女達の複雑な心境など知ったところで何の価値もない。

魔獣を倒して、グリーフシードを集めてくれさえすれば良いのだから。

 

「いいんじゃない。わからなくても、あなたには特に影響ないでしょ?」

 

その事は当然、ゆまも分かっている。

 

「そうだね」

 

「そう、即答されると、それはそれで複雑なんだけど…」

 

「じゃあ、どう反応すればいいんだい?」

 

「知らないよ」

 

「それはちょっと困るよ…」

 

それでも、魔法少女と良好な関係を築こうとこの珍獣なりに努めている点を見れば、『以前の世界の彼ら』よりはマシなのかもしれない。

 

最も、以前の世界を知っている人物なんてこの場には居ないのだが。

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

同時刻、あすなろ市――――。

 

「ねえねえ、マジでアレ頼むのー?」

 

「今更何言ってんのよ。大丈夫だってみんなでいけば食べきれるよ!!」

 

「ぶっちゃけ私ダイエット中なんですけど」

 

あすなろ市にある…小さな喫茶店。

そこでは、今時の女子高生が友達を連れて和気藹々としている。

 

この場所は、彼女達のような女子学生に人気の店であった。

 

「いっらしゃいませ、ご注文はお決まりでしょうか?」

 

「ごちゃごちゃ言ってないで頼むよ、ほら!!」

 

 

人気の理由、それは“あるメニュー”にあった。

 

 

「バケツパフェ1つ下さーい」

 

 

「バケツパフェ1つ、ですね」

 

「かしこまりました」

 

 

「立花さん、バケツパフェ1つ」

 

「ああ、了解」

 

レパ マチュカ。

この喫茶店の名前である。そして、此処は―――――

 

「ほむら、バケツパフェ持っていってくれ」

 

「あ、はい」

 

―――――――ほむらの仕事場でもあった

 

今話している『立花宗一郎』に雇われ、彼女はウェイトレスとして働いている。

 

宗一郎はこのお店の店長兼シェフであり、ほむらやゆまの知り合いでもある。

初めて出会ったのはほむらがまだ学生だった頃だ。

 

あすなろ市にデザートの美味しいお店があるとのことで、ほむらとその友人達とで此処の場所を訪れたのがきっかけである。

その頃から、色々あり彼女は宗一郎と親しくしている。

 

彼女がこうして『人として』働けるのも、彼の好意あってこそだった。

最も、肝心の彼女は自分には向いていないと拒んだそうだが…。

 

それでも、彼女はこうしてなんとか仕事を続けていた。

 

「お待たせしました、バケツパフェになります」ドン

 

「「「おー!!!」」」

 

「噂には聞いていたが…まさかこれほどとは…」

 

「てか、これ本当に食べきれるわけ!?」

 

「ダイエットェ…」

 

女子高生達が注文したのは、宗一郎の店で一番人気のバケツパフェ。

バケツみたいな巨大な入れ物にデザートのパフェがぎっちり入っている。

 

その量は一人で食べられるものではなく、複数人で一つをようやく完食できるレベルだ。

 

「相変わらず凄い人気ですね、バケツパフェ」

 

「ああ、採算取れないのが痛いがな」

 

苦笑いを浮かべながら宗一郎が応える。

実際、あのバケツパフェは人気メニューではあるが、あまり利益にはなっていない。

 

あの量の割に値段はそこそこである為、仕方ないのかもしれない。

 

「でも、あれ考えたの立花さんですよね?」

 

「んー、まあ、そう言われればそうなんだが…」

 

いつもコストのことで頭を抱える宗一郎。

そんなに悩むなら、メニューから外せば良いとほむらは言う。

 

しかし、そうしないのはそれなりの理由があった。

元々あのバケツパフェをメニューに入れたのは、“ある人”に懇願されたからだそうだ。

その事と、単純に人気メニューであるという事が相まって…メニューからは外せないのだという。

 

「それにしても、あんなメニューよく思いつきましたね」

 

「褒められてるのか、貶されてるのか分からん台詞だ」

 

「褒めてます、一応」

 

「一応なんだな…」

 

顔を引き攣らせながら宗一郎は応える。

実際、あんな物作れるのは恐らく彼だけであろう。勿論ほむらでは無理だ。

 

「あんまり苛めちゃ駄目よー、ほむらちゃん」

 

「その人意外と繊細なんだから」

 

ほむらと宗一郎がカウンター越しで談笑していると、キッチンの奥のほうから声が聞こえる。

キッチンを覗くと、料理を作っている時の良い匂いがしていた。

 

「おい」

 

「すいません、美佐子さん」

 

声の主の名前は立花美佐子―――宗一郎の妻である。

 

「はい、ビーフストロガノフできたわよ」

 

「お客さんのところ持っていってあげて」

 

「はい」

 

美佐子は料理を店の皿に盛り、キッチンの奥から姿を現す。

ほむらは彼女から料理を受け取り、先程の女子高生とは違う客人へ持っていく。

料理からは食欲をそそる美味しそうな匂いがしており、普段食事にあまり関心がないほむらでも思わず唾を飲み込んでしまう程だ。

 

「前言撤回を要求する」ズイッ

 

彼女の言葉に納得がいかないのか、宗一郎は不満そうな表情を浮かべてキッチンへと視線を向ける。

 

「本当のことじゃない」

 

「人を草食動物みたいに言うな」

 

「え、違うの?」キョトン

 

「頼むから勘弁してくれ…」ハァ

 

しかし、美佐子は彼の事を意にも介さず、宗一郎は結局うな垂れて自分の持ち場へと戻っていく。

 

美佐子は元々警察官であった。

結婚を機に退職し、今はキッチンで宗一郎の手伝いをしている。

 

そんな彼女の経歴に加え彼女の方が年上である事も合わさり、口で宗一郎が美佐子に勝った事を、今まで一度もなかった。

 

「大丈夫よ、あなたは一流だわ」

 

「シェフとしては」キッパリ

 

「おい、一言多いぞ」

 

宗一郎も虚しく、美佐子は言いたいだけ言って奥へと戻っていく。

彼等のこのようなやり取りは、この店では最早日常茶飯事であった。

 

「(相変わらず仲が良いわね、あの二人)」

 

そして、その光景を見てほむらは思う。

何だかんだで、この二人は仲が良いのだと。

 

その事が、ほむらには微笑ましく見え…そして、少しだけ羨ましくも見えた。

このような関係など、恐らく自分には縁がないだろうと…。

 

「そうそう、コレ見てよ!!」

 

「おっ、御崎海香の最新刊じゃん」

 

「もう出てたんだねー」

 

ふと視線を先程の女子高生へ移してみると、彼女達の話が聞こえてくる。

聞こえてきたのは、ある作者の小説の事であった。

 

彼女の名は、御崎海香―――

ほむらは彼女に直接面識があるわけではないが、話だけは聞いたことがあった。

 

端的に言えば…彼女もまた、魔法少女である。

 

『プレイアデス聖団』―――あすなろ市を本拠とする魔法少女集団

 

彼女はその中心人物だと、ほむらは聞いている。

現在本人は現役を退き、聖団全体の指揮と後輩達の育成に尽力しているそうだ。

 

「御崎海香の小説って面白いよねー。流石10代の時からベストセラー出してないわ」

 

学生の頃から小説家として活躍し、ほむらも幾つか彼女の小説を読んだことがある。

 

彼女達が持っているのは「speranza prezzo(スペレッツァ プレッゾ)‐奇跡の代償‐」

 

御崎海香が現在刊行している本だ。

そして、その内容は―――――

 

「でもさー、流石に魔法少女物なんてメルヘン過ぎっしょ」

 

彼女達、魔法少女を題材にした物語―――

 

「でもさ、これに出てくる魔法少女って妙にリアルじゃない?」

 

普通の生活への憧れと魔法少女としての使命。

 

その二つの間を揺れ動く魔法少女達の葛藤。

 

そして、次々と失われていく仲間達。

 

絶望と希望が交互に渦巻く世界で、魔法少女「かずみ」が何を思い、何を残していくのかが描かれている。

 

彼女が何故このような内容の小説を書こうと思ったのか、ほむらには分からなかった。

それでも、彼女が何かを伝えようとしていることだけは、何となく理解できたのだ。

 

「案外本当にいたりしてねー」

 

「あはは、ないない」

 

「奇跡と魔法なんておとぎ話でしかないっしょ?」

 

物語の内容で盛り上がりつつも、魔法少女という存在を冷めた目で見る女子高生達。

彼女達の反応が、恐らく世間一般の反応なのだろう。

 

魔法少女なんて、普通の人からしてみれば空想上の存在でしかない。

本当に魔法少女のことを信じている人物など、ごく僅かしかいない。

 

そう、ごく僅かしか―――

 

「ありがとうございました」

 

「食べ過ぎた…」

 

「ご馳走様でしたー」

 

「美味しかったです、また来ますね」

 

「ああ、いつでもどうぞ」

 

バタン

 

結局、女子高生達は色々と文句を言いながらも、長い時間を掛けてパフェを食べきった。

他の客達は既におらず、彼女達が帰った後のお店にはほむら達だけしかいない。

 

「…」

 

「どうした、ほむら?」

 

「いえ…」

 

ほむらは彼女達が言ってことが気になっていた。

 

奇跡と魔法なんておとぎ話でしかない―――――

 

彼女達のような人達がいることは、ほむらでも分かっていた。

しかし、いざはっきり言われると…流石の彼女でも中々堪える。

 

それと同時に、ほむらは少し言われた位でくよくよ悩んでいる自分に嫌気が差していた。

普段は強がっているのに、中身はいつまで経っても弱いままなのだと感じずにはいられなかったのだ。

 

しかし、彼女がそう自暴自棄になっている時だった。

 

「奇跡と魔法ならあるわよ」

 

「っ!?」

 

「ね、ほむらちゃん」

 

キッチンから再び現れた美佐子がそんな事を言い出したのは―――

 

彼女は、『魔法少女』が存在していると信じていたのだ。

 

いや…厳密に言えば“信じている”わけではない。

 

美佐子達は、“知っている”のだ。

 

ほむらのことを―――そして、魔法少女のことを―――

 

彼女達が素質を持っているわけではない。

勿論キュゥべえ…インキュベーターが見えるわけでもない。

 

美佐子は警察官だった頃、“ある事件”について調べていた。

その時、彼女は魔法少女の存在を知ったのだという。

宗一郎は美佐子から聞いたんだとか。

 

最初は彼女も信じていなかったが、事件を調べていくうちに現在の科学では説明出来ないような物が発見され、魔法少女の存在を信じるようになっていった。

 

それでも、本当に存在するという核心までには至らなかったが、今ではこうしてほむらを魔法少女として認識している。

信じる最大のきっかけになったのが、実際に魔法少女に助けられたことらしい。

 

因みに、ほむらの事ではない。

恐らくあすなろ市の魔法少女の誰かなのだろう。

 

「スペレッツァ プレッゾね…」

 

ふと、そこで思い出しかのように、宗一郎が女子高生達が話していた小説のことを呟く。

彼もまた仕事をしながら彼女達の話を聞いていたようだった。

 

「あなたも読んでみる?」

 

「持ってるのか?」

 

「ええ、お店に置こうかなって思って」

 

「どれどれ…」

 

そう言って、美佐子は自分の鞄から本を取り出し、宗一郎に渡す。

 

彼が手渡されたのは小説の第1巻。

宗一郎は適当な椅子に腰掛け、パラパラとページをめくる。

 

「『あなたはこの世界に不思議な力があることを知っていますか』」

 

「『なんでも1つだけ願いを叶えてくれるなら、どんなことをお願いしますか』」

 

「『あなたはどんな『奇跡』を起こしますか』」

 

宗一郎が声を出して読み上げたのは、物語の冒頭部分。

 

たった一つの、願い―――

 

その為だけに、魔法少女達は戦うことを選んだ。

そこから生まれる、たった一つの『奇跡』を信じて―――

 

「…」

 

小説を音読する宗一郎の姿を、ほむらは少し悲しそうにしながら聞く。

 

かつて、彼女が叶えたかった最初の願い…

 

『彼女に守られる私じゃなくて、彼女を守る私になりたい』

 

その願いは、叶わなかった。

結局、今でも守られているのは…ほむらの方であって

 

彼女は―――『彼女』を守ることができなかったのだ

 

その事を、ほむらは未だに後悔していた。

 

「魔法少女」

 

「夢と希望を叶える存在、か」

 

再び、宗一郎が小説の一部分を読み上げる。

そしてそのフレーズに、彼女は聞き覚えがあった。

 

『彼女』が…ほむらに残した、最後の言葉の中の一つ―――

 

「まあ、普通は信じないよな」

 

小説を閉じ、宗一郎が徐に呟く。

彼の言うとおり、実際に体験でもしない限り、魔法少女の存在を信じろというのは無理な話だろう。

 

「ええ、でも」

 

「少しずつでも、魔法のことを…魔法少女のことを受け入れてくれる人が増えてくれれば…」

 

「救われる魔法少女だって、きっといると思うの」

 

まるで、何かに訴えかけるように力強く話す美佐子。

受け入れてくれる人―――

そんな人間が本当にいれば、確かに救われる人物もいるのだろう。

 

だが、ほむらは知っている。

自分の正体を最愛の人に受け入れてもらえず、絶望の淵に叩き落された魔法少女を…。

 

『あたしこの子とチーム組むの反対だわ』

 

『ていうーか、魔法少女じゃなかったら誰がこんなやつと一緒にいるかってーの』

 

『どうしてかなぁ…、ただ何となく分かっちゃうんだよね』

 

『あんたが嘘つきだってこと』

 

彼女とはほむらは、最後まで分かり合えなかった。

仲良くなることが…できなかったのだ。

 

その事を、ほむらは今では少し後悔している。

 

「そう思わない?ほむらちゃん」

 

「私は…」

 

「その必要は…ありません」

 

美佐子の言葉を、ほむらは拒絶する。

彼女は、美佐子の言葉を素直に受け止めることが出来なかった。

 

もしも、自分にとって『大事な人』に自分を受け入れて貰えなかったらと思うと、彼女は『悲しみ』を堪えることは出来なかったから。

そして、その『悲しみ』は…きっと『彼女』でも癒せないだろうから…。

 

「私は、誰にも受け入れてもらえなくてもいいです」

 

「私は一人で戦えます」

 

彼女は、その胸に誓っていた。

例え、一生孤独になろうとも―――自分は戦い続ける、と

 

何故なら、この世界は…『彼女』が守ろうとした世界だから―――

 

だから、ほむらを誓う。

自分はこの世界を守る、今度こそ…守ってみせると。

 

「ほむらちゃん…」

 

「それって、寂しくない?」

 

ほむらの顔を心配そうに見つめながら美佐子が言う。

彼女は、恐らくほむらのことを本気で心配しているのだろう。

 

確かに人は、一人では生きていけない。そんな事は、彼女でも分かっている。

だが…

 

「…」

 

「もう、慣れました」

 

彼女は、もう既に『人間』ではない―――

 

「そう…」

 

「…今日は、もう上がらせてもらいます」

 

「お疲れ様でした」

 

ほむらは、美佐子に自分の表情を見せないように振り返らず言った。

 

これで良い、美佐子達を自分の戦いに巻き込みたくない。

もう、周りの人が居なくなる光景は見たくない。

 

もう時間は…巻き戻せないから―――

いなくなったら―――それで、終わりだから

 

それが、ほむらの今の願いだった。

 

「じゃあ、私はこの辺で…」

 

「ああ待て、ほむら」

 

だが、ほむらが更衣室で私服に着替え、お店のドアを開けて帰ろうとした時だった。

宗一郎が、彼女を呼び止める。

 

ドアを閉めて振り返ってみると、宗一郎はキッチンの棚から封筒を取り出し、彼女に近付いてきた。

 

「これ、今月分の給料だ。持っていけ」

 

「…ありがとうございます」

 

宗一郎から封筒を受け取り、ほむらは軽く会釈する。

封筒の中には、彼女が働いた分のお金が入っていた。

 

彼女は自分の口座を持っていなかった為、給料は直接受け取るようにしている。

最も、彼女はこの給料は自分では殆ど使っていないのだが…。

 

「それとな、ほむら」

 

「…はい?」

 

ほむらが、受け取った封筒を自分の鞄に入れていると、宗一郎が何かを言いたそうに彼女を見下ろす。

その言葉を言うべきか、言わざるべきか…彼はほんの少しだけ迷いを見せる。

 

しかし、少しの沈黙の後…宗一郎は意を決したかのようにゆっくりと口を開いた。

 

「お前は、1人じゃないと思うぞ」

 

「…」

 

宗一郎は、まるで彼女の考えが分かっていたかのように言葉を続ける。

 

お前は、1人ではない―――

 

あの珍獣と同じように、あまり感情を表にださない宗一郎だが、この言葉を言う時だけは心配そうな表情を浮かべていた。

 

その言葉は、宗一郎が真に思っていること。

その事がほむらには痛い程に伝わり、彼女は少しだけ胸が苦しくなった。

 

「ほむらちゃん」

 

ほむらが俯いて黙っていると、再び美佐子が彼女に呼び掛けられる。

 

「…はい」

 

「これだけは言わせて」

 

「幸せになることを、諦めちゃ駄目よ」

 

「…っ」

 

美佐子の言葉が、ほむらに深く突き刺さる。

思わず、顔を歪めてしまう程に…

 

まるで…『彼女』に言われているような気がして―――

 

「…失礼します」

 

ほむらは、どう言葉を返したらいいのか分からず、宗一郎達から顔を逸らす。

挨拶だけを済ませて、そのままお店を出てしまった。

 

「…」

 

そして、ほむらは帰り道を歩きながら思う。

今の自分の姿を見たらあの子は、怒るだろうか…と。

 

いや、恐らく違うだろう。

きっと…今にも泣きそうな顔で、自分を心配するに違いない。

『彼女』はそういう子だから、誰よりも自分に優しくしてくれる『彼女』だから…と。

 

「ごめんなさい…」

 

「ごめんなさい…まどか」

 

心から搾り出すように、ほむらは呟く。

だが、返事を返してくれる人は―――いない

 

そして、『彼女』が居ない寂しさを紛らわしてくれる仲間も―――もう、いない

 

「…寒い」

 

そう言って、ほむらは自分で自分の身体を抱きしめる。

 

何故かは分らない。

今日は気温が高めの筈なのに、家に帰る間…ずっとほむらは肌寒かった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

ほむらとのやり取りがあった翌日、宗一郎と美佐子は、店内で開店の準備をしていた。

美佐子は店内の掃除とレジの準備、宗一郎はキッチンで料理の下拵えをしている。

これら一連の流れは、彼等の毎日の日課になっていた。

 

「今日、ほむらちゃんは?」

 

「ああ、今日は休みだ」

 

「そう…」

 

今日、ほむらは店に来ていない。

元々、レパ マチュカには店員はほむらしかいないので、彼女が休みの時は立花夫婦の二人で切り盛りしている。

そうは言っても、そこまで忙しい店でもないので、ほむら不在でも特に問題はなかった。

 

「ねえ」

 

「ん?」

 

店内の掃除にひと段落を付けると、美佐子はカウンターの椅子に腰掛ける。

一つ息を吐き、顔には複雑な表情を浮かべ、宗一郎を見た。

 

「昨日、私…少しほむらちゃんに構い過ぎたかしら?」

 

「…さてな」

 

 

美佐子が気にしていたのは、昨日のほむらとの会話―――

魔法少女としての彼女に、口を出してしまったこと。

 

今思えば、軽率な発言であったと美佐子は反省していた。

ほむらは魔法少女としての自分について話す事があまり好きではない。

 

そのことは、勿論美佐子も理解している。

ほむらのあの反応は、容易に想像できることだったのだ。

 

「駄目ね…私」

 

「どうしても、ほむらちゃんとレミを重ねちゃって…」

 

レミ―――

それは美佐子の中学時代の友人である『椎名レミ』のこと。

 

何故、彼女がほむらとそのレミという人物を重ねてしまうのか…

それは、レミもまた『魔法少女』であったという事だ。

 

いや、レミに関して言えば、魔法少女だった“らしい”と言うべきだろう。

 

彼女は美佐子が中学校の3年に上がる頃、行方不明になり姿を消してしまっていた。

当時は、その事件が評判となり、家出や誘拐、拉致などといった様々な憶測が飛んでいた。

 

勿論、美佐子自身も彼女の事を心配していた。

しかし、そんな時―――レミの妹がこんな事を言っていたのだ

 

『おねーちゃんわねー、まほーしょーじょになったんだよ』

 

自分の姉は、“魔法少女”になったのだと―――

正直、当時の美佐子はその言葉を信じていなかった。

恐らく、姉が居なくなった寂しさから来る妄想のようなものなのだろうと思っていた。

 

しかし、時代が進み美佐子が警察官になった頃、彼女は『魔法少女』暁美ほむら達の存在を知る。

その時初めて、美佐子はレミが魔法少女だったのだと知った。

 

そして、それと同時に―――

彼女がもうこの世界にはいないという事も…彼女は理解してしまった。

魔法少女の『運命』を知ってしまったから―――奇跡を願ったことへの…対価を

 

「…そうか」

 

レミのことを美佐子から聞いていた宗一郎は、スープを掻き混ぜながら彼女の言葉に耳を傾ける。

 

「ほむらちゃん、寂しさに慣れたって言ってた」

 

「それって…」

 

「ずっと一人ぼっちで戦ってきたってことよね」

 

美佐子は言う。

ほむらは…一人で戦う事に慣れ過ぎたのでは、と―――

 

「…」

 

「そんなの、寂しすぎるわ…」

 

美佐子は後悔していた。レミの事を、気付いてあげられなかったことを―――

 

彼女はきっと、一人っきりで化物と戦い続けてきたのだろう。

そして、誰にも気付かれずに…この世界から居なくなってしまった。

 

自分がレミの妹の言葉を信じていれば、

自分が親友として…彼女の傍にいてあげられたら。

 

彼女の『運命』は、変わっていたのかもしれない。

そう、美佐子は思っていた。

 

だからこそ、ほむらには同じようになって欲しくなかった。

多くの仲間を失い、一人ぼっちになってしまった彼女に…彼女のことを受け入れ、支えてくれる存在を作って欲しかったのだ。

 

「大丈夫さ」

 

「え?」

 

そこで、そこまで黙って聞いていた宗一郎が、静かに口を開く。

 

「いつか、必ず」

 

「あいつの苦しみを理解して、支えてくれる人がきっと現れる」

 

スープを掻き混ぜていた手を止め、そのまま火を止める。

宗一郎の言葉は、まるでそうなることを確信しているかのように、力強かった。

 

「そう、かしら…」

 

宗一郎に対して戸惑いを隠せず、美佐子は不安そうな声を挙げる。

 

そんな事はない。

 

そう、昨日はほむらに対して大口を叩いていたが、現実は昨日の女子高生のように、魔法少女のことを信じている人など殆どいない。

ほむら同様、美佐子自身もその事を気にしていたのだ。

 

「俺とあなたが出会ったこと」

 

「そして、俺達とほむらが出会ったこと」

 

「そうした出会いは、偶然なのかもしれない」

 

「でもそういう偶然も、きっと1つの奇跡なんだと今は思う」

 

それでも、宗一郎は淡々と続ける。

何億人も居る人類の中から特定の人物が出会える確立、それは限りなく低い数値だ。

でも、人の出会いというものは数字で測れるものではない。

 

それは、偶然という名の―――1つの奇跡

 

その奇跡が、1つの出会いをもたらす。

 

「…奇跡」

 

「ああ、誰にも分からないような…小さな奇跡」

 

それは、魔法少女が願うようなものとは比べ物にならない、誰もがそれが奇跡なのだと認識できないくらい小さいもの。

そういった小さな奇跡が、日常で起こる偶然として世の中に存在する。

 

その偶然が…また新たな奇跡を生み出す。

そして、その奇跡もまた1つの偶然となって…。

 

この世界は、そのように成り立っているのだと宗一郎は思っていた。

 

「あいつだって、奇跡を信じて魔法少女になったんだろ?」

 

「今まで長い間戦ってきたんだ」

 

「そろそろ小さな奇跡の一つや二つ、起きたって良いんじゃないか?」

 

美佐子を励ますように彼女の肩にポンと手を乗せる宗一郎。

彼の柔らかい笑顔と落ち着いた口調が、彼女を安心させた。

 

普段は彼女の方が立場的には強いのだが、こういう時にいつも励ましてくれるのは宗一郎の方だった。

 

「…」

 

「信じよう、本当の奇跡って奴を」

 

「…そう、ね」

 

「ほむらちゃんを救ってくれる人が現れてくれるといいわね」

 

「ああ」

 

『本当の奇跡』―――

それは、キュゥべえに願うことで得られる奇跡ではなく…真に『奇跡』を信じるものだけに起きるもの。

 

ほむらにそれが起きるかどうか…確証はない。

それでも信じなければ、起きるものも起きない。

 

今はただ彼女の幸せを願うことが一番だろうと、二人は結論付けるのだった。

 

「はあ、何か疲れたわ」グテー

 

「おい、まだ開店前だぞ」

 

「アラフォーのオバサさんは体力無いのよ」

 

「自分で言うか」

 

肩の力が抜けたのか、カウンターに突っ伏してしまう美佐子。

その姿を見て、これから開店なのにと宗一郎は溜息を付いた。

 

先程とは違って何とも緊張感のない光景だが、この雰囲気こそがこの夫婦の日常でもある。

ようやく普段の調子が戻ってきたというところか。

 

「開店前にバターコーヒー淹れてくれる?」

 

「フゥ…分かった」

 

その名の通り、コーヒーにひと欠片のバターを落とすバターコーヒー。

宗一郎が賄として良く出すものだ。

 

これを飲むと力が出るという話を、彼は子供の頃に漫画で読み、今でもその効果を信じている。

彼も意外とメルヘンチックな事を信じるタイプの人間なのだ。

勿論それは美佐子も同様で、彼女は疲れた時によくこのバターコーヒーを飲んでいる。

 

賄のため店のメニューではないが、美佐子と初めて会った時に宗一郎が出した思い出の飲み物でもあった。

 

 

ガチャ

 

ちょうどその時―――

宗一郎がコーヒーを淹れていると、まだ準備中の看板を掛けているドアが開いた。

 

「立花さーん、おっはよーございまーす」

 

「…おはようございます」

 

ドアをあけ入ってきたのは二人の女性。

一人は少女のように明るい笑顔で活発そうな印象を持つ金髪の女性。

もう一人はどこか物静かで人見知りをしそうな印象を持つ銀髪の女性であった。

 

一人は右側に髪の毛を纏めたサイドテール、もう一人は左側に纏めたサイドテールにしている。

それは、二人合わさると色違いだが綺麗なツインテールになるようにも見えた。

 

「あら、二人ともいらっしゃい」

 

「お前ら、まだ開店前だぞ」

 

宗一郎と美佐子は、それぞれ二人の事を出迎える。

その反応は…予期せぬ来客に対するものではなく、むしろ良く知っている者に対する反応であった。

 

「えーいいじゃないですかー、減るもんじゃないし」

 

「…ごめんなさい」

 

「全く、しょうがないな…」

 

そう、この二人は立花夫婦の知り合いであり…

 

今後、暁美ほむら―――そして、鹿目タツヤと関わっていくことになるのだが、それはもう少し先の話である。

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

見滝原商店街周辺――

 

「これで今月分は…よし」

 

夕方頃、ほむらは見滝原にある商店街に来ている。

仕事が休みだった彼女は、家で掃除をした後…見滝原の町に出てきていた。

用事を済ませる為、色々と出歩いていたせいか用事を終える頃には…空が茜色に染まり夕方になってしまっていた。

 

「コンビ二にでも寄りましょう」

 

ほむらは近くにコンビニを見つけ、何となく足を向けてみる。

食料は先日補充したばかりだったが、先日宗一郎達の料理を見て普段よりまともな物を食べたいと思ったのかもしれない。

 

美味しい物と言ってレストランとかではなく、コンビニで済まそうとする辺りが彼女らしい。

 

ウィィィン、ヴァミヴァミヴァミーマヴァミヴァミマ

 

「ん?」

 

コンビニの自動ドアが開き、聞き慣れた音楽が店内に流れる。

そこでふと前を見てみると、彼女はレジに並んでいる人達の中に知っている顔を見つけた。

 

「お願いしま~す」ドサッ

 

「あの子…」

 

彼女の視線の先に居たのは、会いたいようで…会いたくない存在『鹿目タツヤ』であった。

少年は大量のペットボトルを持ってレジに並んでいる。

 

ほむらは、一瞬何故彼がいるのかと戸惑ったが、

直ぐに見滝原に住んでいるのだから、商店街でたまたま会っても不思議じゃないという結論に至る。

 

「(何にしても、気付かれない内に出たほうが良いわね…)」

 

彼と顔を合わせるのは、ほむらとしてもあまり気が進まなかった。

 

嫌いだとか苦手だとかそういうことではない。

彼と話すと、どうしても…『彼女』のことが頭を過ってしまうからだ。

 

ほむらは仕方が無いと買い物を諦め、このまま帰ろうと入口に戻ろうとする。

 

「651円になりま~す」

 

「なん、だと…」

 

「(え?)」

 

ほむらがUターンして外に出ようとした時、タツヤとコンビニ店員の会話が聞こえてきた。

会話の内容が気になったほむらが再度視線を向けると、少年が驚いたような表情を浮かべている。

 

どうかしたのかと思い、ほむらは足を止め彼等の話に耳を傾ける。

 

「…」ガサゴソガサゴソ

 

「…1円足りない」

 

「」ガクッ

 

「(何してるのよ、あの子)」

 

顔を青くしている少年の様子を見て、ほむらは思わず肩に掛けていた鞄の紐をズリ落とす。

ちゃんと財布の中身を確認してからレジに行きなさいと、彼女は心の中で溜息を付いた。

 

最も、彼もまだ中学生になったばかりなのだから、無理もないのかもしれないが…。

 

「い、1円まけてくれないですかね?」

 

「いや、普通に無理っすね~」

 

「ぐぬぬ…」

 

「早くして下さいね~。後ろつっかえてるんで~」

 

店員に値段交渉を試みるも、軽くあしらわれるタツヤ。

普通に考えれば、コンビニで値段交渉は無理があるだろう。

 

「(でも、あの店員…ちょっと態度悪いわよ)」

 

「(ちゃんと指導受けてるの?)」

 

しかし、ほむらは彼に対する店員の態度が何となく気に入らなかった。

今時の店員など皆似たようなものだと、内では彼女も分っている。

 

だが、この時だけはその態度が無性に腹ただしかったのだ。

 

それは、相手が“あの少年”だからだったからかもしれない。

 

「(何、してるのよ私…)」

 

「(このままじゃ、あの子と鉢合わせてしまう)」

 

「(早く、此処からでないと)」

 

ほむらは、必死に“自分には関係ない”と言い聞かせコンビニを出ようとする。

しかし、彼女の気持ちとは裏腹に…彼女の足は全く動こうとしなかった。

 

まるで自分の中の何かが、彼女の意思を妨害しているかのように…。

 

「(…)」

 

そこで、ふと彼女は昔を思い出す。

 

ほむらが…まだ学生の頃の話、そしてそれは…“別の時間軸”の話―――

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

『あ…』

 

少女は友人とコンビニに来ていた。

見滝原中学の制服に身を包み、長い髪の毛をおさげにして眼鏡をしている少女。

 

その姿は、今の彼女とは似ても似つかない。

 

『どうしたの? ほむらちゃん』

 

『お金が…足りません』

 

『え!?い、いくら足りないの!?』

 

『…1円です』

 

『ええー…』

 

少女は自分の財布を確認し、肩を落とす。

自らが思っていたよりも、お金が財布に入っていなかったのだ。

 

『ご、ごめんなさいっ!!足りない分棚に戻してきますっ』

 

涙目になりながら商品を抱えて戻ろうとする少女。

 

常におどおどしている少女の姿は、今の凛とした彼女とはやはり違う。

本当に、別人のようであった。

 

『ああ、待って待ってほむらちゃん』

 

『私が出してあげるよ!!』

 

しかし、傍に居た『彼女』が少女を呼び止め、そう高らかに宣言する。

 

『彼女』は、桃色の髪の毛を赤いリボンで2つに結い、身長は少女よりもずっと低い。

だが、その『彼女』の笑顔が少女の心を少しだけ落ち着かせた。

 

『えぇ!? そ、そんなの悪いですよぉ…』

 

少女は冷静になり『彼女』の好意を断ろうとする。

 

例え1円でも…『彼女』に頼るわけにはいかないと…。

 

『良いって良いって、はい1円』スッ

 

だが、『彼女』は気にしないでと笑顔を崩さず1円を渡した。

 

『で…でも…』

 

『早くしてくんないすか~?』

 

『あ、はいは~い。お願いしま~す』

 

そして『彼女』は少女に代わって、会計を済ませてしまう。

 

結局…最後までおどおどしていた少女は、それ以上何も言う事が出来ず『彼女』の好意に甘える形になってしまった。

その事が少女は情けなく、今にも泣きたい気持ちになる。

 

『あ…あのっ!!』

 

『か、必ず返しますから!!』

 

だからこそ、少女は言う。

 

1円だとか金額がどうこうではない。

このまま彼女に頼りっぱなしでは駄目だと思ったからこそ、少女は力強く宣言したのだ。

 

なぜなら、少女の願いは『彼女』を守ることだったから―――

 

『え~別に良いよ~』

 

『だって私達友達でしょ?』ティヒヒ

 

『…で、でもっやっぱり返しますっ!!』

 

自分の事を“友達”と言ってくれる『彼女』を―――

 

『てぃひひ、じゃあ待ってるね』

 

『ほむらちゃん』

 

守りたい、守れる自分にいなりたいと―――

 

そう、思ったから―――

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

「(…何、昔のこと思い出してるのよ)」

 

何故か急に頭を過った昔の思い出を、ほむらは首を振って振り払う。

 

今のあの少年とは、何の関係もない。

そう思って、ほむらは尚も入口に戻ろうとする。

 

しかし、やはり彼女の足は一歩たりとも動く事はなかった。

 

「(…ああ、もうっ)」

 

気付けば、彼女は悪態を付きながら少年に近寄っていた。

 

自分の鞄から財布を取り出して…。

 

「し、仕方ない。足りない分は棚に戻すか…」

 

コトッ

 

「ふぇ?」

 

「…これで足りるでしょ」

 

「あ、暁美…さん?」

 

そのまま少年に近付くと、ほむらは財布から小銭を出しその場に置いた。

 

あの時の『彼女』と同じように―――

 

「えっあの…」

 

タツヤは、突然現れたほむらを驚いたような表情で見つめている。

 

恐らく、それが普通の反応なのだろう。

そう考えると、ほむらは自分の行動に溜息を付かずにはいられなかった。

 

自分は、何をしているのだろう…と。

 

「そこのマナーの悪い店員」

 

「あ゛?」

 

「さっさと会計しなさい」

 

後ろの客に迷惑が掛かると、ほむらは店員に会計を急かす。

少し皮肉を込めた言い方をした為か、店員は彼女を思いっきり睨んできた。

 

だが、どんなに店員が睨んでも“今“の彼女には全く意味が無かった。

 

「聞こえなかったの?早くして」キッ

 

「っ!」ビクッ

 

むしろ、鋭い視線で睨み返され早く会計しろと暗に言われてしまう。

 

「(ちっ、なんだこの女、うぜぇ)」

 

「…お預かりしま~す」

 

彼女の視線と言葉に怯んだ店員は、舌打ちをしながらレジを打ち始める。

 

ほむらはこのコンビニはどんな教育をしているのだと、店員に分かる様に大きく溜息を付く。

その様子を見た店員はイラついたようにこめかみを動かしたが、尚も浴びせられる彼女の鋭い視線に何も言い返すことが出来ず、ただ黙々と会計作業を続けるのだった。

 

「あ、あの…暁美さん?」

 

一方で、未だに状況を飲み込めていないタツヤは、その場で固まったままとなっていた。

突然目の間に知っている人間が現れて、勝手に話を進められればそうなるのは必然だろう。

 

彼女自身も、顔を合わせるつもりは無かったのだから…。

 

「…じゃあ、私はこれで」

 

「って、ええ!?ちょ、ちょっと待ってください!!」

 

店員が会計を済ませている間に、ほむらは足早にコンビニを後にする。

後ろからはタツヤの慌てた声が聞こえてくるが、彼女は構わず出口へと足を進めた。

 

先程とは違い、ほむらの足は軽く思い通りに動く。

まるで、満足したとでも言うかのように…。

 

「(何してるのかしら…私)」

 

突然出てきてお金だけ置いて帰ろうとするなんて、普通ではない。

どうしてしまったのだろうと、ほむらは自分の行動に首を傾げる。

 

そして、『彼女』へ向けての罪滅ぼしのつもりなのかと、自分を責めた。

自分が守ることの出来なかった―――『彼女』への

 

「暁美さん!!」ダッダッダッ

 

ほむらがそんなことを考えていると、後ろから追いかけてきたタツヤの声が聞こえてくる。

 

「た、助かりました。ありがとうございますっ!!」

 

そう言って頭を勢いよく下げるタツヤ。

しかし、ほむらはその様子を気まずそうに見下ろす。

 

顔を合わせるつもりはなかった。

だが、結局顔を合わせることになってしまった、あんな事をすれば当然であろう。

 

本当に何しているのだろうと、ほむらは自分に溜息を付きたくなる。

 

「…」

 

「あ、あの」

 

「お金は、必ず返しますから!!」

 

以前、ほむらが『彼女』に言ったような台詞をタツヤが言う。

 

その言葉を聞いて、彼女は一瞬昔に戻ったかのような錯覚に陥る。

最も、今度は立場が逆であるが。

 

1円くらい気にしなくてもいい。

そう思った彼女だが、あの時の『彼女』もまた…こんな気持ちだったのだろうかと言葉を飲み込む。

 

「…いらないわ」

 

「…私はただ借りてたものを返しただけだもの」ボソッ

 

「え?今なんて?」

 

「なんでもないわよ」

 

ほむらはタツヤが聞き取れないような小さい声で呟く。

 

結局、ほむらはあの後『彼女』にお金を返すことは出来なかった。

だからといって、この少年にこんなことをしても何の意味も無い。

 

そう分かっていた筈なのに、ほむらは気付けばあんな行動をとってしまっていた。

 

「とにかく、お礼だったら何もいらないから」

 

「いや、そういうわけには…」ウーン

 

「あ、そうだ!!」

 

突然、タツヤが何かを思いついたような声を挙げると、自分の鞄をゴソゴソと漁り始めた。

チラリと見えた鞄の中身は、男の子らしく財布などが整理されずにゴチャゴチャになって入っている。

 

少しすると、少年は鞄の中から袋包みになった物を取り出した。

 

「これ、良かったらどうぞ」スッ

 

「何、これ」

 

「クッキーです」

 

「一応、手作りの」

 

そう言って、タツヤは小包をほむらに差し出してくる。

 

彼女が中身を確認してみると、そこにはクッキーが数枚入っている。

それと同時に、お菓子特有の甘い良い匂いがした。

 

「手作りって…あなたの?」

 

「てぃひひ、ええ、まあ…」

 

照れ笑いを浮かべながら、少年が応える。

確かに、市販の物ではないのは一目見れば明らかだった。

 

それでも、まさかこの少年の手作りだとは…ほむらにはとても思えなかった。

なぜなら、それはお店に出しても遜色ないれっきとしたお菓子であったからだ。

 

「うちの父親、主夫やってるんですけど」

 

「こういうの作るの得意で、母親が仕事で家に居ない時よく作ってくれてたんです」

 

「俺も小さい頃から、父親の周りをうろちょろしてたから…いつの間にか作り方覚えちゃって」

 

「そう…」

 

そういえば少年の家は、そういう家庭だったとほむらは思い出す。

“あの頃”から、随分と時間が経ってしまっていた為、彼女は忘れてしまっていた。

 

『彼女』の家族のことを―――

 

「か、形はアレですけど、味は保障しますよ!!」

 

少年の言う通り、中のクッキーは所々が欠けていたり、形がいびつになっていたりしている。

だが、気になる部分はそれだけで特に変な匂いや焦げ跡があるわけでない。

むしろ、それがいかにも手作りっぽくもあり、一生懸命作ったのだというのが伝わってくる。

 

『彼女』は料理が苦手だったのに、この少年はそうではないらしい。

よく似ていると思っていたが、違う部分もあるのかとほむらは少しだけ驚いた。

 

「でも、本当に良いの?」

 

「あ、はい。元々作りすぎた奴ですし」

 

「って、あ」ヤベ

 

しまったとでも言いたいかのように、少年は舌を出す。

 

余りもので済ませた。

そう、ほむらが捉えたのではないかと思ったのだろう。

 

直ぐにその事が分かったほむらは、わざわざそんな事気にしなくてもいいのにと、少年に見えないように溜息を付く。

同時に、やはり優しいところはそっくりだとほむらは思うのだった。

 

「ふ…じゃあ、有難く受け取っておくわね」

 

「あ、は…はい」

 

タツヤはほむらが受け取ってくれた事に、ホッとしたような表情を浮かべる。

 

ほむらもまた、そんな少年を見て表情を緩める。

少年と話していると、ほむらはここ最近ずっとやさぐれていた自分が穏やかになっていくのを感じる。

 

何故かは分からない、顔を合わしたら不味いとさえ思っていた筈なのに…と彼女は不思議に思う。

 

だが、それと同時に昔を思い出してしまい、“寂しい”という気持ちが一層強まっていくのも感じていた。

 

彼女にとって、この少年はどうしても『彼女』を思い出す“きっかけ”になってしまうようだ。

 

「…」ジー

 

気付けば、ほむらはタツヤが持っているレジ袋に視線を移していた。

袋の中には、先程買ったペットボトルの飲み物が入っている。

 

こんなに買ってどうするつもりなのか、まさか自分で飲むためではないだろうと彼女は不思議に思う。

 

「ん?ああ、これですか。いやー、実は…」

 

ほむらの視線にタツヤが気付くと、買い物の理由を話し始めた。

しかし、その時だった―――

 

「上条恭介と志筑仁美が開くパーティーの買出しさ」ヒョコ

 

「!!??」

 

タツヤが話し始める前に…どこから現れたのか、彼女達が良く知る生き物が現れる。

 

その生き物は、一見すると真っ白な猫のようにも見えるが、人の言葉を話し…全ての生き物が持ち合わせているであろう『感情』を持たない存在。

 

彼女達とは切っても切れない関係を持つ存在。

 

インキュベーターである。

 

「うわっ、また出た」

 

「やあ、ほむら」ピョン

 

「…何をしているの」

 

「特に何もしてないよ?」

 

ほむらこの珍獣に鋭い視線を浴びせるも、珍獣はいつも通り無表情で受け流す。

 

キュゥべえの相変わらずの様子に一体何をしに来たのかと、ほむらは悪態を付く。

 

「嘘付け!!しつこく人を付け回してるくせに!!」

 

「え?」

 

そして、タツヤの発言にほむらは驚く。

 

この珍獣が…少年の事を付け回っている。その事実がほむらを凍り付かせた。

 

彼女にとって、タツヤにこの珍獣が絡んでいるという事実は嫌な予感しかしなかった。

 

「いや…コイツ、何か知らないけど俺の後を付け回してくるんですよ」

 

「…そう」ギロ

 

「…」プイッ

 

ほむらが再度キュゥべえを睨めつけると、この珍獣はいつも通り涼しい表情をしながら顔を逸らす。。

自分は何もしていない、そう言い張るかのように。

 

しかし、顔を逸らす辺り一応マズいとは思っているようだ。

 

「(何考えてるのよ)」

 

「(何がだい?)」

 

「(惚けないで、何を企んでるのって聞いてるの)」

 

ほむらはタツヤに気付かれないように、キュゥべえにテレパシーを送る。

 

「(さあ、僕には何がなんだか)」

 

「(…この子を巻き込まないで)」

 

「(ほむらは何か勘違いしてるんじゃないのかい?僕は何も知らないな~)」

 

「(…)」

 

のらりくらりとほむらの追及を交わすキュゥべえ。

 

ほむらは、油断していたと後悔する。

まさか、この珍獣がこんなに早くこの少年に目を付けるなんて予想外であった。

タツヤは契約の対象外だから、直ぐには接近して来ないだろうと考えていたのだ。

 

やはり、先日のゆまが起こした魔獣騒動の時の―――この少年の能力

あの出来事が、この珍獣がタツヤに興味を持つ原因になってしまったのだろう。

 

この珍獣が少年に変なことを吹き込まないように、何か手を打たないといけない。

そう考えるほむらだったが、既に近付いているのならもう手遅れかもと不安になる。

 

だがそれでも…この少年だけは、自分達の世界巻き込みたくない。

そのことだけが、ほむらを突き動かす。

 

彼女はとりあえず今は考え込んでいても仕方ないと、何とか平静を装うとする。

あまり事を荒らげると、かえってこの少年に迷惑を掛けてしまうかもしれない。

今この珍獣に触れるのは、あまり得策ではないと彼女は判断する。

 

「…あなた、志筑仁美と上条恭介と知り合いだったのね」

 

それにしてもと、ほむらは驚く。

この少年と仁美達が知り合いだったことが少し意外だったのだ。

『彼女』がいれば、『彼女』の友人との繋がりで知り合ったと考えられるが、それは“今の世界”ではありえない。

 

そう、『彼女』はもう…この世界にはいないのだから。

 

「え?暁美さん、仁美さんと恭介さんのこと知ってるんですか?」

 

「ええ、一応…ね」

 

「へぇ、友達だったんですか?」

 

「ただ学生時代クラスが一緒だっただけよ」

 

タツヤもまた、彼女と仁美達が知り合いだったことに驚く。

同時に、少しだけ嬉しい気持ちにもなった。彼女と自分が何処かで繋がることが出来たと思ったのだろう。

 

だが、実際あの2人とほむらはそこまで深い関係であるわけではなかった。

仁美とは中学の頃、何度か昼食を一緒に食べたことがある程度だ。

後は、風の噂であの二人が同棲を始めたと聞いていただけであった。

 

「そうですか…」

 

「…」

 

「じゃあ、私はそろそろ行くわね」

 

話を切り上げたほむらははタツヤに背を向ける。

これ以上、話すこともないだろうと。

 

少しでも早く、ほむらはこの少年と離れたかったのだ。

 

「あ…あのっ!!」

 

「…え?」

 

「ちょっと、話聞いてもらってもいいですか?」

 

だが、ほむらが歩き始めたと同時に彼女はタツヤによって呼び止められた

何事かと思い、彼女は再度少年の方へと視線を向ける。

すると、少年は先程とは違い、何か思い悩んでいるような表情をしていた。

 

「何?」

 

「昨日、学校の帰りにゆまさんに会ったんです」

 

「…ゆまに?」

 

少年が再びゆまに会っていたことに、ほむらは驚く。

同時に、あまりこの少年に構って欲しくはないと彼女は頭を抱えたい気持ちになった。

 

だが、彼女の私生活にまで口は挟めないので仕方ないと溜息を付く。

それでも、魔法少女のことはあまり話さないようにしなければと彼女は心の中で誓った。

 

「それで、なんというか、話の流れの中であの人の過去の事聞いちゃって…」

 

「ゆまの…過去を、ね」

 

ゆまの過去、それは両親に虐待されていたということ。

そして、その両親が魔獣に殺されたということ。

 

ゆまが他人に自分の過去の事を打ち明けるなんて珍しいと、ほむらは少し驚く。

彼女もまたゆまの過去の事は彼女から直接ではなく、杏子から聞いていた。

 

「その話聞く前に俺、結構無神経なこと言っちゃって…」

 

「悪気は、無かったんですけど…」

 

思いつめたような表情でタツヤが話す。

この少年は、彼女に悪い事をしてしまったと思ったのだろう。

聞いてはいけない事を聞いてしまった、と…。

 

「…そう」

 

しかし、ほむらにはその気持ちがいまいち分からなかった。

 

この少年は自分達の世界を知らないから、こんなに深刻に考えることができるのだろう。

自分達は彼女の過去を聞いた時、こんなに深く考えることはなかった。

そんな話はもう何度も聞いてきたのだから…。

 

そう考えるほむらは、自分達は感覚がズレてしまっていると痛感する。

人が死ぬことに慣れてしまっている自分が、酷くおかしく見えた。

 

「知らなかったんだもの、無理はないわ」

 

「で…でも、その後一人で色々考えたんですけど」

 

「今度、ゆまさんに会ったら…なんて声を掛けたらいいのかって、分からなくなっちゃって」

 

ほむらの言う通り知らなかったで済まさない辺りが、この少年の優しさなのだろう。

 

相手のことを、まるで自分のことのように考え、悲しみ、悩むことができる。

その事は恐らく、中々できることではない。

 

だが、ほむらはそういうタツヤの姿を見ていると、脳裏にある姿がちらついてしまう。

そう、『彼女』の姿が―――

 

「大丈夫よ」

 

「あの子はあなたが思っているより、ずっと強い子だから」

 

「そんなに考え込まなくても、普通に接してあげれば良いのよ」

 

ほむらはタツヤの不安を少しでも取り除けるように、ゆっくりと落ち着いた口調で話すように努める。

言っていることは勿論嘘ではない。ゆまという魔法少女は『心』の強い子だった。

それこそ、精神面では魔法少女の中では一番強いとほむらは思っていた。

 

自分とは違って、『大切な人』との別れをきちんと乗り越えているのだから、と。

 

「そう、ですかね…」

 

「鹿目タツヤ」

 

「えっあ、はい」

 

「あなたは、優しすぎる」

 

いつぞや、『彼女』に言った台詞をこの少年にも言ってしまうほむら。

 

特に意識していたわけではない。

だが、タツヤの思い悩む姿を見ていると…何故か言わずにはいられなかったのだ。

 

「ええっ、いやいやいや!!全然そんなことないですって!!」

 

タツヤは顔の前で両手を振り、彼女の言葉を否定する。

 

「でも、だからこそ一つ忠告しておくわ」

 

「その優しさが、時に誰かを傷つけることもあるのよ」

 

「え…?」

 

しかし、少年は彼女の言葉を聞いてその場で固まってしまう。

何を言っているのか分からない、そんな表情であった。

 

それはそうだろう。

人に優しくすることが誰かを傷つけるなんて、この少年は考えたこともないのだから。

 

勿論、優しいことは罪ではない。だが…優しすぎることは罪になりうる。

この少年がは良心で行った事だとしても、時にはその良心が棘となり、相手を容赦なく突き刺す場合もある。

ほむらは、そう考えていたのだ。

 

そして、タツヤにはそういう事態になることだけは…なるべく避けて欲しい。

きっとその時傷つくのは他ならぬこの子自身の筈だからと、彼女は心配した。

 

「今は意味が分からなくても良い。でも、そのことを胸に留めておいて」

 

「え…と、その…はい」

 

タツヤは未だによく理解できていないようで、曖昧な返事を返す。

この少年には少し難し過ぎたのかもしれない。

それでも、ほむらは今はひとまず自分の言ったことを覚えていてくれれば良いと少年に伝えた。

 

ふと、ほむらは思う。

自分はどうして『彼女』に言った言葉を、この少年にも繰り返してしまうのだろうかと。

 

ほむらは…未だに『彼女』との別れを受け入れられていないのかもしれない。

いつでも傍にいると『彼女』はほむらに言い残した。

 

だが、それでも彼女は…『彼女』のことを―――

 

「じゃあ、今度こそ私は行くわね」

 

「あ、はい。あの、話聞いてくれてありがとうございました」

 

「…えぇ」

 

これ以上、この少年と共にいれば色々と思い出してしまうかもしれない。

 

そう本脳で判断したほむらは、今度こそタツヤと別れ帰ろうとした。

 

「あぁ、それと」

 

しかし、思い出したと言うように…ほむらは足を止める。

 

この少年に、一つ忠告しなければならないと、背中を向けたままの姿勢で顔だけタツヤへと向けほむらは言葉を続けた。

 

「その珍獣には、気をつけなさい」

 

「え?」

 

「やあ」

 

ほむらの発言と同時に、今まで彼女達の話に一切入り込んで来なかったキュゥべえがぬっと顔を出す。

恐らく、自分達には興味の無い話だった為、会話に参加しなかったのだろう。

 

『世界』が変わり、この珍獣もだいぶ魔法少女や人間達に良心的になった。

だが、それでもまだ…ほむらはキュゥべえへの警戒心を完全には解いていなかったのだ。

 

そう、キュゥべえ…『インキュベーター』の目的自体は、結局のところ変わっていないのだから―――

 

「お前まだ居たのか!!」

 

「そりゃ居るよ」

 

タツヤは彼女との会話に夢中だったせいか、キュゥべえの存在をすっかり忘れていた。

 

今の会話を聞かれたのかと、少年は少しだけ恥ずかしくなってしまう。

 

「いい加減どっか行け!!じゃないとマヨネーズかけて食うぞ!!」

 

「僕を食べたら、僕みたいな耳が生えるよ」フリフリ

 

「ええぇ!?」

 

「冗談に決まってるじゃないか」キュップイ

 

「こ の や ろ ~」

 

「(キュゥべえに遊ばれてるわ…大丈夫かしら、この子)」

 

ほむらは少年と珍獣のやり取りを不思議そうに見つめる。

 

気のせいか、キュゥべえも楽しそうであると…。

今まで、この珍獣にこんな態度で接する人間はいなかった為、新鮮に感じているのかもしれない。

まさか感情でも芽生え始めたのかとも思ったが、直ぐにそんな訳ないとほむらは自分の中で訂正した。

 

<オマエナンカコウシテヤル!!コウシテヤル!!

              ビヨーン グリグリ グニャグニャ

                             ギリュッブイー!!!>

 

とにかく、タツヤ達のやり取りを見て、暫くは大丈夫だろうと安心するほむらであった。

 

「あなたももう行ったら?志筑さん達が待ってるんでしょ?」

 

「あ!!やべっ!!!」

 

ほむらの一言で我に返ったタツヤは慌てて時計を確認する。

すると、当然であるが随分と時間が経過していた。

 

彼が予定していた仁美達の自宅への到着時間は、とうに過ぎてしまっていたのだ。

 

「じ、じゃあ暁美さん!!またっ!!!」ダッダッダッ

 

「…ええ」

 

そのままほむらに背を向け、勢いよく走り出すタツヤ。

あっという間にその後姿は小さくなっていった。

 

因みに、少年の持つ買い物袋もその拍子に揺れていた。

中に炭酸水が入っていれば…恐らく後々大変な事になるだろう。

 

 

「…」

 

「…また、か」

 

ほむらは、迷う

またあの少年に会う機会は、果たしてあるのだろうか。

そして、例え機会があったとしても…自分はあの子に会うべきなのだろうか。

 

このまま離れていた方が、あの少年のためなのではないか…と。

 

だが、それは彼女にとって言い訳に過ぎなかった。

あの少年に会うと彼女は…『彼女』のことが頭から離れなくなる。

ほむらはタツヤに会うたびに、話すたびに、あの少年にどう接して良いのかが分からなくなっていた。

 

だから、ほむらは自分を守るためにタツヤを避けていた。

巻き込みたくないとか、そんな理由を付けて…。

 

そう考えると、ほむらは自分の事が酷く醜く見えて仕方が無かった。

 

「キュゥべえ」

 

「何だい?」

 

「あの子に変なこと吹き込んでないでしょうね?」

 

タツヤが帰った後、彼女は自分に付いてきたキュゥべえを問い詰める。

魔法少女のことを知れば、あの少年はきっと色々と考え込んでしまうに違いない。

 

ゆまのこともそうだが、ほむらはタツヤに余計な心配を掛けたくなかった。

 

「変なことってなんだい、例えばほむらの胸は巷で噂の72より…」

 

「…」ゴォォォ

 

「…冗談だ。そんなに怒らないでおくれよ」

 

「真面目に答えなさい」

 

ほむらの醸し出す雰囲気に、流石のキュゥべえも怖気づく。

 

今度ふざけた発言をしたら容赦はしない、ほむらは暗にそう示していた。

最も、彼女が何に対して怒っていたのかは…定かではないが…。

 

「…まあ、ある程度はね」

 

「あなたっ」

 

キュゥべえの返答に、ほむらは声を荒らげる。

予想はしていたが、やはりこの珍獣はタツヤに自分達の事を話したのかと、

一体どの程度まで話したのか、ほむらは不安になった。

 

タツヤはこの珍獣の話を聞いて、どう思ったのだろう。

先程、少年はそういう素振りを見せなかった。

自分達のことについて深く考えていなければ良いのだがと、ほむらは思う。

 

何故ならその事は、あの少年の身を危険に晒すことに繋がってしまうから―――

 

「別に君達に迷惑が掛かるようなことは言っていないよ」

 

「そういうことを言っているんじゃないわよ」

 

「じゃあ、なんなんだい?」

 

キュゥべえは心底分からないといった表情で、ほむらに詰め寄る。

 

事情を知らないキュゥべえにとって、彼女が何故あの少年に拘るのかが分からなかった。

 

「さっきも言ったでしょ?あの子を巻き込みたくないのよ」

 

「君がどうしてそこまで彼のことを気にするのかが分からないよ」

 

「…」

 

キュゥべえに痛いところを突かれ、ほむらは思わず黙ってしまう。

 

彼女が…どうしてあの少年のことをそこまで気にしてしまうのか。

 

それは勿論、あの少年が『彼女』に近い存在だから。

あの少年が『彼女』と重なるから…。

だから、あの少年を巻き込まないようにすることに、此処まで執着してしまうのだろう。

 

かつて、彼女が『彼女』を救うために時間を何度も巻き戻した時のように―――

 

「彼と行動を共にしてみたけど、他と大して変わらない普通の人間だったんだ」

 

キュゥべえの発言に、彼女は当たり前だと思う。

この珍獣があの少年の私生活を観察したところで、満足のいく結果が得られるわけがない。

 

あの少年は何処にでもいる普通の男の子なのだから。

そう、他の子供達と何も変わらない…普通の…。

 

「今ではあの時の魔法はマグレだったんじゃないかって思うくらいにね」

 

「そんなわけはないんだけどね~」

 

それのに、あの少年は魔法を使った。『彼女』の魔法を―――

 

どうしてかは、ほむらには分からない。

あの少年が微かに『彼女』のことを覚えていることと、何か関係があるのだろうか。

 

何にしても、このまま放置しておくわけにはいかない。

やはり―――ほむらは、再びあの少年とは会うことになるのだろう。

 

「…」

 

「相変わらず君は彼の事になるとだんまりだし」

 

「もう何がなんだか…」

 

珍しくキュゥべえが弱音を吐く。

流石の珍獣でも、あの少年のことを図りかねているということだろう。

 

事情をある程度把握しているほむらでも、あの少年の力のことは理解出来ていない。

最も理解できたとしても、ほむらはこの珍獣に言うつもりは無いのだが…。

 

「…」

 

「…まどか」ボソ

 

「ん?何か言ったかい?」

 

「いいえ、別に」

 

まどか―――

『彼女』の弟が何故魔法を使えるのか、ほむらには分からない。

それでもどうか…と、彼女は切に願う。

 

あの少年の身に『不幸』が起きないように、『彼女』に見守っていて欲しい…と。

 

例えそれが、“届かない願い”であったとしても―――

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

「戻りましたー」ガチャ

 

タツヤは今、恭介達の自宅にお邪魔している。

昨日言っていた中学入学パーティーの為だ。

 

彼自身、もう少し日にちが空くかと思っていた。

だが、思い立ったが吉日という事もあり、昨日のうちに自宅に電話が掛かり今日行う事となった。

 

その為、タツヤは学校が終わった後、家で私服に着替え恭介達の家を訪れた。

しかし、食べ物はあるが飲み物を切らしてしまったとのことで、少年が買出しに行って来たのだ。

 

近くのコンビニで飲み物を買おうとしたが、お金が足りないというハプニングを起こし、途方にくれていたところをほむらに助けてもらったというわけだ。

 

ほむらにはいらないと言われていたが、借りたお金は返さないととタツヤは密かに決意する。

 

何はともあれ、少年は無事遅れず恭介達の家に着いたようだ。

 

「ミー」

 

少年が玄関で靴を脱いでいると、後ろから猫の鳴き声が聞こえてくる。

振り返ると、リビングの方から1匹の黒猫がタツヤへと近付いてきた。

 

「おーエイミー。出迎えご苦労さん」

 

その黒猫の名前はエイミーといった。

恭介達が飼っている真っ黒な身体が特徴の雑種の猫である。

 

「ミー」ゴロン

 

タツヤの近くまで近付くると、エイミーは眠たそうな顔をして廊下に敷いている玄関マットに寝転がり背中をマットに擦り付ける。

 

恐らく、寝起きで背中が痒かったのだろう。

 

「はは、相変わらずおばさんくさいなー」

 

「ミ~…」

 

「悪かったって、そんな怒るなよ」

 

エイミーが不機嫌そうな泣き声を出す。

 

どうやらタツヤの言葉が気に障ったらしい。

エイミーはもう10年くらい生きている老猫だ。

人間の年齢で言えばタツヤよりも、恐らく恭介達よりもずっと年上である。

 

元々は仁美が学生の頃からひっそりと飼っていた猫であった。

因みに余所者のタツヤに懐いているのは、恐らくこの少年の事を自分の子供か孫のように思っているからだろうと彼女は言う。

 

「やあ、ご苦労様」

 

タツヤがエイミーとじゃれ合っていると、リビングから恭介が出迎えに来る。

少年は自分の靴を来客者用の下駄箱に入れ、エイミーと一緒にリビングへと向かう。

 

リビングに入ると、出掛けている内に恭介達が準備したのか、テーブルに簡単な装飾が施されている。

そこはまるで、何処かの洒落たレストランのようだった。

 

「わざわざ悪かったね、タツヤ君の為のパーティーだったのに」

 

「いや、別にいいですよ。気にしないで下さい」

 

「あらタツヤ君、おつかれ様。お料理ももうすぐ出来るところですわ」

 

「本当だ、良い匂いがしてますね」

 

テーブルに荷物を置いていると、キッチンからエプロン姿の仁美が顔を出す。

元々彼女は容姿が優れていた為、エプロン姿も中々様になっている。

 

キッチンには仁美が作った料理が既にいくつか並べられており、後はスープが出来上がるのを待つだけとなっていた。

 

「それにしても、少し時間が掛かったみたいだね」

 

「ああ、えーと…そうですね」

 

キッチンの前で、少年が仁美の料理を観察していると、ソファに座っていた恭介がそんなことを呟く。

 

そして、タツヤはその一言で…この人達に聞いておきたいことがあった事を思い出す。

 

「あの、恭介さん達って暁美ほむらさんって知ってます?」

 

それは、ほむらのことだ。

あの珍獣が今日のことを話した時、彼女は恭介達とのことを知っているようだった。

ほむらはただのクラスメイトだと言っていたが、実際のところはどうだったのだろう…と、少年は疑問に思っていたのだ。

 

それに、クラスメイトだったという恭介達なら、ほむらのことを少しは知っているかもしれない。

タツヤは、そんな期待も抱いていたのだ。

 

しかし―――

 

「暁美…さん?」

 

「え、暁美さん!?彼女が、どうかしましたの?」

 

ほむらの名前を出すと、恭介達が驚いたような表情を浮かべる。

仁美に至っては、料理中にも関わらずキッチンから飛び出してきた。

 

その様子にタツヤは違和感を覚える。

二人のこの反応は一体何なのか…と。

やはり、ただのクラスメイトではないのだろうかと、タツヤは様々な思考を巡らす。

 

「いや、実は…」

 

タツヤは今日コンビニでほむらに世話になったことを二人に話す。

それと合わせて、自分が何故ほむらのことを知っているのかも簡単に説明した。

 

だが、魔法少女関係のことは流石に伏せた。

そんなことをすれば、彼女達の迷惑になるかもしれないし、恐らく信じないだろうと考えたからだ。

 

「へぇ~暁美さんが…」

 

「…」

 

「はい」

 

ほむらのことを話すと、二人は次第に口数が少なくなり、いつの間にか黙ってしまう。

 

先程までとは違い、リビングには重苦しい空気が流れ、エイミーだけがのんきにソファでゴロゴロと寝転がっている。

 

「あの…暁美さんとは、どういう…?」

 

「いや、あまり接点はないんだけど…」

 

「ちょっと、昔に色々と…ね」

 

「はあ…?」

 

昔。その言葉を聞いて少年はキュゥべえの言っていた事を思い出す。

あの珍獣もこの二人のことを知っているようだった。

 

キュゥべえが関わっているとすれば、十中八九、魔法少女のことだろう。

だが、恭介達に魔法少女のことを知っているような素振りはない。

 

この二人とほむらとキュゥべえ、この3人と1匹の間に何かあったのかとタツヤは頭を悩ませる。

 

だが、この人達が直接結びついているとはタツヤには思えなかった。

 

これは、あくまでも彼の勘でしかない。

しかし、恭介達とほむらを結び付けるにはまだ何かが “別の存在”が欠けているような気がしたのだ。

 

「タツヤ君」

 

「? はい?」

 

そこで、そこまで黙ってタツヤの話を聞いていた仁美が急に声を上げた。

仁美は目線をキョロキョロと泳がせ、落ち着かないような素振りを見せる。

そして、意を決したようにタツヤに向けて言葉を続けた。

 

「暁美さんは、元気にしていましたか?」

 

どこか暗い表情を浮かべて、仁美は言う。

 

彼女は…今も元気にしているかと―――

 

その言葉を聞いたタツヤは、やはり知り合いだったのかと少しだけ驚く。

しかし、それと同時に少年は疑問に思った。

 

何故、仁美はこんなに表情が暗いんだろう…

 

そして何故、少し寂しそうなのだろう…と。

 

「ええと、そう・…ですね。元気…だったと思いますよ?」

 

タツヤは仁美に自分の率直な感想を述べる。

彼はほむらに対して、不思議な雰囲気を醸し出した物静かな人物だという印象を持っている。

しかし、元気か元気じゃないかと聞かれれば恐らく前者だろうと判断した。

パっと見では判断できないのだが…恐らく、と。

 

「そう、だったら…良かったですわ」

 

「は、はあ…?」

 

返答を聞いて、心なしかホッとしたような表情に変わる仁美。

その表情の変化の意味が、少年には分からなかった。

だが、他人を寄せ付けないようなイメージを持っていたほむらのことを心配してくれる人がいることに、少年は安心するのだった。

 

「お料理、運んできますね」

 

「あ、俺も手伝いますよ」

 

「ふふ、ありがとう」

 

再び仁美は笑顔に戻り、キッチンに戻る。

火を付けっぱなしだったスープが沸騰していたので、慌てて火を消した。

そして、キッチンに並べてあった料理をテーブルに運ぶため準備する。

 

「…」

 

そう―――

その時のタツヤは、恭介が黙ったままだったことに気付いていなかった。

 

「ミー」トコトコ

 

「いや、お前は食べれないだろ」ガシ

 

タツヤ達が準備をしていると、後ろからエイミーがトボトボとキッチンに入ってきた。

恐らく、料理のいい匂いに釣られてやって来たのだろう。

 

「ミー…」ションボリ

 

「後でキャットフードやるから」

 

タツヤはエイミーの首を掴み、ソファに戻す。

確かに、ただでさえ高齢なのに人間の食べ物なんて与えればエイミーの身体に毒だろう。

少年は残念がっているエイミーに向けて後で餌とミルクやるから我慢するようにと言って聞かせた。

 

「準備はこれくらいで良いかな?」

 

「では、始めましょうか」

 

「はーい」

 

準備を終え、テーブルに料理を並べる。

いつの間にか席を立っていた恭介も手伝ったおかげで、スムーズに進めることが出来たようだ。

エイミーにもキャットフードとミルクを与え、今はテーブルの下にいる。

 

「じゃあ乾杯しようか」

 

恭介はそう言って、今度はテーブルにグラスを並べ始める。

 

「あっそうだ、飲み物開けないと」

 

タツヤはそこで買ってきた飲み物をまだ開けていないことに気付き、急いでコンビニの袋からペットボトルを取り出す。

とりあえず1本だけ取り出し、残りはビニール袋ごと床に置いた。

 

「よーし」

 

「!? ちょ、ちょっと待つんだタツヤ君!!」

 

「へ?」キュッ

 

勢い任せにペットボトルを開けようとするタツヤ。

しかし、そこで何かに気付いたかのように恭介慌てて止めに入る。

 

だが、少年が勢いを付けすぎたせいか、恭介が制止したにも関わらず、彼の返事と同時にペットボトルのキャップを外してしまった。

 

シュバァァァァァァァァアアアア!!!!

 

そして…次の瞬間、中身の炭酸水が噴水のように勢いよく噴出してきた。

 

「」ビッチャビッチャ…

 

突然のことで避けることが出来ず、タツヤは盛大に噴出した炭酸水の餌食になる。

 

彼の着ているものは、全てびしょ濡れになってしまった。

 

「タツヤ君、炭酸のペットボトルは運ぶとき気をつけないと…」

 

「ふぁい…」

 

「(ベタですわ…)」

 

「ミー」コレハヒドイ

 

恭介達は苦笑いを浮かべながらタツヤを見つめている。

少年はをほむらとのやりとりの中で、かなりの距離を走った、その時の影響だろう

 

何故かエイミーにも呆れられた声を出され、タツヤはいきなり出鼻を挫かれる。

 

だが、その後は大した問題も起きずタツヤは濡れた服に構うことなく仁美の料理を堪能した。

結局、その後はほむらのことは話題に上がらなかった。

他人の人間関係にあまり口は挟めないと、タツヤもその時は深く詮索することはなかった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

「ふー良い風呂だった~」

 

パーティーも無事に終わり、タツヤは一足先にお風呂を頂いた。

今日は恭介達の家に泊まるすことになっている。勿論、知久達も了承済みである。

少年はそこまで迷惑掛けたくないと断ったのだが、二人に是非と言われ好意に甘えることにしたのだ。

 

「え~と、客間は何処だっけかな~と…」

 

自分の寝る布団は2階の客間に敷いてあると仁美に言われた為、少年は今は2階に来ている。

恭介の家にお邪魔する事自体が久しぶりだった為、タツヤはイマイチ部屋の位置が分からず、家内をうろうろと歩き回っていた。

 

「ここか!!」ガチャ

 

「あ、違った」

 

とりあえずと、適当に扉を開けてみるタツヤ。

ノックもせず開けている事が些か気にかかるが、これくらいの年代の子であれば仕方ないだろう。

 

「此処は恭介さんの部屋か?」

 

そして、タツヤが行き着いたのは客間ではなく―――恭介の部屋であった。

 

「相変わらず凄い部屋だな」

 

恭介の部屋は、これでもかと言うほど音楽関係に溢れている。

演奏で使う何種類ものヴァイオリンに沢山の楽譜、それに加えて彼が貰ったであろう表彰状やトロフィーなども綺麗に飾ってある。

 

この部屋を見ると、改めて恭介は凄い人物なのだなと、タツヤは再確認する。

仁美もさぞ鼻が高いだろう…と。

 

「ミー」

 

「ん?なんだ、エイミーも入ってきちゃったのか」

 

そこで、扉を開けた状態にしていたせいか、エイミーが部屋に入ってきてしまった。

エイミーは少年を見つけると、その方向へとのんびり近付いてくる。

 

「ミー」ピョン

 

「おーい、あんまり動き回るなよー」

 

エイミーは少年に近付くと、そのまま棚に飛び乗りあちこちと動き回る。

飾っている物を倒すのではないかとタツヤは内心ヒヤヒヤしたが、エイミーも長年この家にいる住居者である為、記念品などには手を出さないように配慮しているようだった。

 

「ミー」トントン

 

「なんだ、どうかしたのか」

 

ふと、エイミーがある場所で立ち止まり、少年を呼ぶような仕草を取る。

 

そこは、恭介が使っている机であった。

 

「おっこれは…」

 

その机には音楽の専門誌の他に、語学の参考書などが並んでいる。

恐らく、海外に行くための勉強をしているのだろう。

また、机上には何も書かれていない楽譜とペンが置いてあり、端には恭介が書き込んでいたであろう楽譜が積んであった。

 

「恭介さんって作曲もやってるんだな~」

 

「う~ん、俺には読み取れん…」

 

音楽の成績が良いとも悪いとも言えないタツヤが見ても、全く理解出来ない。

知識が無いのだから当たり前だが、この少年には音譜が沢山並んでるなと感じる程度が精一杯だった。

 

語学の勉強に加え、作詞もやっている恭介には本当に頭が下がるとタツヤは思う。

両方とも凡人の自分ではまず無理だと。

 

そのようにタツヤが感慨に耽っている時であった。

 

「ミー」ピョン

 

パサァッ

 

エイミーが突然ジャンプして床に飛び降りる。

そして、その拍子に彼女の足が楽譜に引っかかり、積んであったものがパラパラと飛び散ってしまった。

 

「うわっ!!お前なにやってんだ!!」

 

「は、早く拾わないと…」

 

それを見て、大慌てで飛び散った楽譜を拾い集めるタツヤ。

こんなところ恭介に見られたら、流石に怒られてしまうだろう。

とりあえず順番は気にせず、ひたすら落ちた楽譜を拾い集め元の場所に戻していく。

 

「ミー」ピョンピョン

 

「だー!!お前はじっとしてろ!!」

 

「ミー」モグリコム

 

「そんなとこ入ってないで出て来い!!」

 

何故かタツヤの邪魔をするかのように、周りを飛び回るエイミー。

暫くすると、エイミーは机の下にある隙間に潜り込んでしまう。

少年はエイミーを捕まえようと、自分も机の下を覗き込む。

 

これ以上何かされたら対処しきれないと、タツヤはエイミーを捕まえようとした。

 

「ミー」カリカリ

 

「って、ん?」

 

しかし、タツヤがエイミーが入り込んだ隙間を覗き込むと、彼女は奥で足を止めていた。

エイミーは、前足で何か箱みたいな物を引っかいている。

 

まるで、タツヤにその箱を見せたがっているかのように…。

 

「なんだ…それ?」

 

「ミー」

 

隠すように置いてあるその箱を、少年は手を伸ばして取り出してみる。

それと一緒に、エイミーも自分で隙間から出てきた。

取り出した箱は至って普通の箱で、蓋が付いているだけで特に鍵などが付いているわけでもない。

 

隠しているのだから、恐らく中身はプライベートな物が入っているのだろう。

そう予想するタツヤは、開けてはいけないと自分に言い聞かせるも…。

 

好奇心には勝てなかったようだ。

 

「え~と…」

 

「…CD?」

 

蓋を開けてみると、そこには音楽CDが入っていた

 

「また随分と古いやつばっかだな…」

 

タツヤは中身のCDを幾つか見てみたが、どれもこれも年季が入っておりケースにも傷が付いている。

恐らく、昔に買ったCDなんだろう。

だが、CDなら普通に棚に置いてあるのに、何故これらだけ別にしてあるのかとタツヤは首を傾げる。

 

「あれ、他にもまだ何か入ってる…」ガサゴソ

 

「お、楽譜だ」

 

タツヤがCDを漁るもとい調べていると、箱の底から一枚の楽譜を見つける。

綺麗に折りたたんではいるが、相当年季が入っているのか、所々が擦り切れている。

書き込まれている音符も読み取れない部分があり、恐らく楽譜としては使い物にならないだろう。

 

「この一番上の文字ってタイトルか何かかな?」

 

楽譜の一番上に英語で書かれている文字は、まだかろうじて読むことが出来る。

恐らく、恭介がつけたこの曲のタイトルなのであろう。

 

「え~と…

 

…S…A…Y…A…」

 

 

少年は書かれている英語を何となく読み上げてみる。

楽譜には、こう書かれていた―――――――――

 

 

Dear to SAYAKA…と―――――

 

「…さやか?」

 

その名前を読み上げ、少年は一体誰の事なのかと疑問に思う。

『さやか』という名前をこの少年は聞いたことがなかった。

 

そう、“この少年”は―――

 

この楽譜が恭介の持ち物である以上、彼の知り合いだという事は分かる。

 

だが…だとしても、どうしてこんなわざわざ隠してあったのだろうと少年は首を傾げる。

この古い楽譜やCDを…何故大切に保管しているのかと…。

 

「…はっ!!」

 

「まさか、浮気相手っ!?」

 

「い…いやいや、恭介さんに限ってそんな・・・」

 

散々考えた末、一つの不安がタツヤの頭を過る。

 

誰にも見られたくないように隠してあった箱。

その中に入っていたCDと一枚の楽譜。

そして、その楽譜に英語で書かれた『さやか』という文字。

 

考えたくないと思っていが、タツヤの思考回路ではそういう結論にしか結びつかなかった。

 

タツヤは、見てはいけないものを見てしまったように感じ、急におどおどし始める。

ここは恭介にバレないうちに片付けて、無かったことにしようと少年は行動に移ろうとし始めようとした。

 

「僕がどうかした?」

 

「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!!!」

 

しかし、CDや楽譜を箱の中に戻そうとしていると、後ろから恭介の声が聞こえてきた。

タツヤは突然のことで驚き、思わず大声を挙げてしまう。

 

振り返ると、ラフな格好をした恭介がドアの前に立っていた。

どうやら風呂上りのようだ。

 

「きょ、恭介さん!?ど…どどどどうしてっ!?」

 

「いや、此処僕の部屋なんだけど…タツヤ君こそどうして?」

 

「い…いやあ、ちょっと部屋がどこにあるのか分からなくて…あ、あははは」

 

タツヤは後ろ手で必死に物を隠しながら、恭介に歯切れ悪く応える。

言っていることはあながち間違いではないのだが、気が動転しているせいか苦し紛れに吐いた言い訳のようになってしまっていた。

 

「…何か隠してる?」

 

「うぇ!!??いいいいや、決してそんなことはぁ!!」

 

恭介はタツヤの後ろを気にしながら、怪訝そうにして少年を見てくる。

流石に、怪しい動きをしながらここまで挙動不審になっていれば疑われるのも無理もない。

 

タツヤはそれでもなお、なんとか誤魔化さそうと必死に言い訳を考える。

 

「ミー」ズルズル

 

しかし、タツヤがこの場を切り抜ける方法を必死に考えていると…

 

「」

 

「あ…」

 

少年の後ろにいたエイミーが、例の楽譜を口に咥えて恭介の前に現れてしまった。

 

それを見て、タツヤと恭介さんは一瞬言葉を失う。

 

「何してんだお前ぇぇぇぇぇぇええええええ!!!!」

 

タツヤはエイミーの予想外の行動に思わず声を荒らげる。

人が一生懸命打開策を考えていたのに、台無しではないかと。

 

勿論、そんな事…猫に言っても仕方ないのだが…。

 

「タ…タツヤ君…それ…」

 

恭介は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、エイミーとタツヤを交互に見る。

彼にしては珍しく金魚のように口をパクパクさせ、かなり焦っているようであった。

 

やはり、恭介にとっても人に見せたくないものだったようだ。

 

「ご、ごめんなさい!!」

 

「これ、恭介さんの机で見つけて…」

 

「中身が気になって、つい」

 

タツヤは仕方なくこれまでの経緯を全て白状する。

 

ここまできてしまえば、言い訳のしようがないと少年は諦めた。

怒られるだろうかとタツヤは身体をビクつかせる。

 

「そう…か…」

 

「…すいません」

 

「ハハハ、なんか恥かしいな」

 

苦笑いを浮かべ、気まずそうに顔を掻く恭介。

とりあえず、少年に対して怒ってはいないようだった。

だが、恭介の反応は何か秘密がバレてしまったというような気まずいものであった。

 

その様子を見て、タツヤはやはりとある結論に至る。

 

「あ、あのっ!!」

 

「?何?」

 

「う…浮気はいけないことだとおもいますっ!!」

 

タツヤは、思いきって恭介に自分の考えを主張する。

この少年の中では、恭介はその『さやか』と浮気していることになっているようだ。

これ以上道を踏み外してはいけないと、少年は必死に説得しようとした。

 

「…え?」

 

恭介は何を言われているのか分からない、そんな顔をしている。

気まずそうな表情から一転、彼はキョトンとした表情になっていた。

 

惚けようとしているのかと、タツヤは恭介の反応に少しだけムッとする。

 

「いや…何のこと…かな?」

 

だが、少年は恭介の更なる反応に違和感を覚える。

 

何か…自分と恭介の間に何かズレが生じているように思えた。

 

「…え?」

 

「だ、だって此処に「さやかへ」って…」

 

「…あ、ああそういうことか」

 

恭介の反応がいまいちよく分からなかった為、タツヤはエイミーが咥えた楽譜を指差す。

 

すると、恭介は少し考え込んだ末…何かを理解したかのように頷いた。

 

「さやかと僕はそんな関係じゃないよ」

 

「え!?」

 

恭介の言葉を聞いて、思わず声を上げてしまうタツヤ。

 

どうやら、彼と『さやか』にそのような関係性は無かったようだ。

だとすれば、このさやかという人物は本当に誰なのだろうと、少年は更に頭を悩ませる。

 

「僕とさやかは…ただの幼馴染、さ」

 

「…マジっすか?」

 

「うん」

 

「な、なんと…」

 

恭介は彼女の事を『幼馴染』であると言った。

 

つまり…先程からタツヤは、勝手に勘違いして訳の分からない発言をしていただけということになる。

恭介を見てみると、嘘をついているようには見えなかった。

 

そのことを自覚しタツヤは、恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にするのだった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

「すいませんでしたぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」ドゲザァ

 

「ミー」オナジクー

 

「い、いや、別に気にしてないよ」

 

恭介の前で、自分の頭を地面に擦り付けるように土下座するタツヤ。

真似をしているのか、エイミーも少年の隣で頭を下げるようにうつ伏せになっていた。

 

そんな事をすれば恭介が困惑することは分っていたが、こうでもしないと少年の気は治まらなかった。

 

「とりあえず頭を上げてよ」

 

「いや、しかし…」

 

恭介はそう少年に頼むが、本人は中々頭を上げる気になれない。

申し訳ないという気持ちと、勘違いと分かった事から来る恥かしさでタツヤは恭介の顔をまともに直視できなかった。

 

「怒ってないから」

 

「は、はあ…」

 

「でも、人の物を漁るのはあまり褒められたものじゃないよ」

 

「うぅ…」

 

恭介は笑顔でタツヤを嗜められる。

少年は今になって好奇心に負けた自分が恨めしく思った。

 

よく考えれば分かる事であった。

あの楽譜は相当年季が入っているもので、昔のものであることは一目瞭然だ。

その『さやか』という人物が現在進行形でそのような相手である筈がない。

考えれば考える程、タツヤは自分の軽率な行動が恥かしくなってくる。

 

穴を掘って埋まりたい気分というのは恐らくこういう事を言うのだろう、と。

 

「それにしても、懐かしいな」

 

「あの、これって…?」

 

「それは僕が病院に入院していた時に、さやかが買ってきてくれた物なんだ」

 

入院、その言葉を聞いてタツヤはいつか仁美が話してくれた事を思い出す。

 

恭介はかつて、不慮の事故にあい長い間入院していたことがある。

詳しいことをタツヤは知らなかったが、怪我した箇所は“足”であると聞いていた。

 

仁美はその時、何回かお見舞いに行った事があると少年は聞いている。

その『さやか』という人物もお見舞いに来ていたのかと、タツヤは少しだけ驚いた。

 

「じゃあ、この楽譜は…」

 

「それはね。その時、僕がさやかへのお礼にと作った曲なんだよ」

 

恭介は言う、その楽譜は『さやか』の為に彼自身が作曲したものなのだと。

その為、彼女の名前が書かれてあったということだ。

 

恭介がその人物のためにわざわざ曲を作るということは、余程仲が良かったのだろうとタツヤはしみじみ思う。

 

「結局、渡せなかったんだけどね」

 

「え?な、なんで?」

 

「彼女が遠くに行ってしまったから、かな」

 

恭介は窓越しの空を見つめながら、何処か寂しげに呟く。

 

「そ、そうですか」

 

その言葉に、タツヤは彼女が何処かに引っ越してしまったのか単純に考える。

だが、それなら頻繁にじゃなくても、会うことくらいは出来るのではと違和感を覚えた。

 

恭介も今更で恥かしいって事なのかと、事情を良く知らないタツヤは思うのだった。

 

「うん、だからタツヤ君が考えているような関係じゃないから安心していいよ」

 

「はう」ドヨーン

 

恭介に意地悪くそう言われ、再びへこんでしまうタツヤ。

もうこれ以上言わないでくださいと言いたい気分であったが、流石に虫が良過ぎると自分を戒める。

 

だが、正直言って恭介に話を聞けて、少し安心したというのも事実だった。

もしも本当に浮気だったとしたら、仁美が可哀想だったから…と。

 

「はは、それに…さやかと僕なんかじゃ釣り合わないしね」

 

「へ、そんな…」

 

自嘲気味に笑いながら言う恭介を見て、タツヤは思わず声を漏らした。

恭介は自分で自分のことを凄いと言う人ではないが、お世辞でこんな事を言う人でもなかった。

今の言葉は、間違いなく恭介の本心なのだろう。

 

少年は恭介にこんな風に言われるその『さやか』とい人物、一体どういう人なんだろうと興味を抱くのだった。

 

「さやかはさ…」

 

「真っ直ぐで友達想いで、クラスの人気者で…」

 

「正義感の強い、素敵な女の子だったんだ」

 

恭介は自分の部屋の手頃な椅子に腰掛け、話を始める。

『さやか』のことを話している恭介は、思い出を懐かしむような優しい表情をしていた。

 

だが、それと同時に彼は寂しそうな表情も浮かべている。

今の恭介はその二つの表情が入り混っているようにタツヤは感じた。

 

「僕も、彼女にはいつも助けられてばかりだった…」

 

恭介がいつも助けられていたなんて事、タツヤは想像できなかった。

タツヤが物心つくころには、彼は既に世界を舞台に活躍していた。

 

そんな恭介にここまで言わせるなんて、その『さやか』という人物は女神か何かなのだろうか。

そう言った馬鹿げた事を考えてしまうくらい、恭介の発言は少年にとって衝撃的だったのだ。

 

「ハハ、まあ昔の話だよ」

 

恭介はそう言って、照れ笑いを浮かべる。

 

そして、タツヤはそんな彼の姿を見て…なんとなく理解する。

彼女との思い出が恭介にとって、かけがえのない宝物になっている事を―――

 

「あの…」

 

「ん?何?」

 

だからこそ、頭の中で一つの疑問が生まれる。

 

その疑問を…言葉として声に出していいのかと少年は一瞬迷ったが、意を決して静かに言葉を続けた。

 

「恭介さんは、ひょっとして」

 

「その人のこと…好きだったんですか?」

 

恭介の一連の話を聞いて、少年が疑問に思ったこと―――

それは、恭介と『さやか』との関係についてであった。

 

彼は彼女の事を幼馴染だと言っていたが、実際はどうだったのだろう…と。

 

恭介は、その『さやか』という人物に恋愛感情を抱いていたのかもしれない。

タツヤは、直感で思った。

 

「え…」

 

「えっあ、いや、すいません!!変なこと聞いちゃって…」

 

普通だったら、昔の恋愛話で済んでいただろう。

だが、今の恭介には仁美という婚約者がいる。

 

だから今の一言は、下手をすると二人の仲を否定することになるかもしれない。

そんな危うさを持つ諸刃の剣のような言葉だった為、タツヤは躊躇したのだ。

 

「…どう、だろうね」

 

タツヤの疑問に対して恭介は暫く無言のままだったが、少しするとポツリとそう呟いた。

 

「正直なところ、よく分からないんだ」

 

恭介の口から発せられた答えは―――明確な回答とは言えない、曖昧なものであった。

だが、今の恭介を見ていると…その言葉は、心の底から搾り出した本当の気持ちであると、タツヤはなんとなく理解する。

 

恐らく、彼にとって『さやか』という人物がどんな存在だったのかを必死に考えた末、出した答えだったのだろう。

 

「恭介、さん…」

 

「はは、それに今僕には仁美がいるからね」

 

「下手な事言ったら、それこそ浮気になっちゃうよ」

 

笑いながら、そう応える恭介。

その姿を見て、タツヤは以前公園で仁美と話した時、2人の中学生時代の事を聞いた事を思い出す。

 

その時の仁美は少年から見ても何か様子が可笑しかった。

ひょっとして仁美は、この事を知っていたのかもしれないとタツヤは今更ながら思った。

 

「…まあ、それでも」

 

「さやかが僕の恩人であることに代わりはないんだけどね…」

 

恭介は背もたれに寄り掛かり、上を見上げながらそう呟く。

タツヤは『恩人』という言葉にどんな意味があるのだろうと、精神的な意味なのだろうかと不思議に思った。

 

「…」

 

「タツヤ君はさ」

 

「『奇跡と魔法』ってあると思うかい?」

 

「えっ」

 

突然、そんな事を言い出す恭介。

それを聞いて、タツヤは思わず声を漏らした。

 

何故なら、タツヤの中で『奇跡と魔法』と言われて一番最初に出てくるものといえば―――

 

「メルヘンな話だと笑われるかもしれないけど、僕はあるって思ってるんだ」

 

「う、嘘…」

 

―――それは、魔法少女のことだったから

 

「ハハ、意外だったかい?」

 

「い…いや、そんなことは」

 

どうして、恭介はそんなことを言い始めたのだろうとタツヤは少し混乱する。

 

ただの偶然なのだろうか、それとも恭介は、魔法少女と何か繋がりがあるというのだろうか。

それと今までの話に何の関係があるというのだろうか。

 

タツヤは彼の発言に様々な思考を巡らせる。

すると、恭介は椅子から立ち上がり部屋にあるベランダの近くまで歩を進めた。

 

「でも、僕は思うんだ」

 

ベランダの近くで立ち止まり、窓越しに外を見つめながら恭介は呟く。

 

「その『奇跡と魔法』を手に入れるためには…」

 

「それ相応の『代償』を支払わなければいけないってね」

 

恭介は、自分の左手に視線を落とし何故か指を動かしながら言った。

 

その言葉の、その行動の真意を、この少年は知らない。

 

魔法少女の事を指しているのだとしたら、願いを叶えて貰う代わりに魔獣と戦わなければいけない事を言っているのだろう。

今のタツヤでは、その結論が精一杯であった。

 

「代償…」

 

「うん、自分にとってかけがえのないものを支払わなくちゃいけないと思うんだ」

 

視線を再び外に移し、恭介は話を続ける。

奇跡を望む代償として、自分にとって大切なものを失う。

 

それが魔法少女に関係する話なのか、今のタツヤには分からない。

全然関係ない話で、自分が勘違いしているだけかもしれないとも少年は考えた。

 

「でも、人間って失わないと気付かないんだよね」

 

「それが、自分にとってどれだけ大切なものだったかなんてさ」

 

まるで…自分に言い聞かせているようにして、恭介が呟く。

何かを思い出すかのように、夜空を見上げながら―――

 

タツヤの方向から彼の表情は分からなかったが、今の恭介の後姿はとても寂しそうに見えた。

 

「恭介、さん…?」

 

「ごめんごめん、ちょっと可笑しな話をしちゃったね」

 

「い、いえ、そんなことは」

 

恭介はタツヤへと振り返り、再び笑顔を作る。

結局、恭介の言葉の真意を…この少年は理解することが出来なかった。

 

だが、今の話はその『さやか』という人物と何か関係があるのではとタツヤは感付く。

そう―――その『さやか』という人物もまた…ほむらやゆまと同じ…

 

「タツヤ君」

 

「あ、はい」

 

タツヤがそうやって色々と考えていると、急に恭介に名前を呼ばれる。

何かと思い、視線を向けると恭介さんも此方に向き直り、ゆっくりと近付いてくる。

 

「その楽譜、貸してくれるかい」

 

「へ?は…はい」

 

タツヤは言われたとおり、エイミーが咥えていた楽譜を渡す。

すると、恭介は棚を開け何やら準備を始めた。

 

「よいしょっと」

 

「あの、何を…?」

 

「いや、せっかくだからタツヤ君にこの曲を聴いてもらおうと思ってね」

 

恭介はそう笑顔で応え、椅子などを端に寄せスペースを作り始める。

そして、部屋に置いてあったヴァイオリンに手を伸ばした。

 

この曲―――『さやか』のために書いたその曲を今此処で弾くと、恭介は言ったのだ。

 

「え!?いや、そんな大切な曲を悪いですよ!!」

 

恭介にとって思い出の曲であろうその曲を自分なんかのために弾くなど、いくらなんでも恐れ多い。

自分は恭介の弾くヴァイオリンの音色を聞くと、いつも眠ってしまうのだからと、タツヤは遠慮する。

 

そんな自分にそんな大事な曲を聞く権利なんてないと、タツヤは恭介に訴え掛ける。

 

「いいんだ。中学入学記念ってことで」

 

「それに、なんだか久しぶりにこの曲を弾きたくなってね」

 

それでも、恭介はお祝いに弾かせてくれと言って聞かなかった

 

勿論、そう言って貰えてタツヤは嬉しくないわけがなかった。

世界が注目している天才・上条恭介の曲をたった1人で聞けるのだ、こんな美味しい話はないだろう。

 

だが、流石にサービスが良すぎるなと、少年は思った。

 

「そう、ですか。じゃあ…お願いします」

 

これ以上拒む理由もないと思ったタツヤは、恭介の提案を受け入れることにした。

 

こうなったら、何がなんでも途中で寝るわけにはいかないとタツヤは決意する。

手に針を刺してでも眠気を飛ばさないとと、腹を括った。

 

「ってその楽譜、読めるんですか?」

 

「大丈夫。自分で書いた曲は大体頭に入ってるから」

 

「ちょっとでも楽譜を確認出来れば弾けるよ」

 

「(す、すげー)」

 

やはりこの人は天才だと、その言葉を聞いて再認識するタツヤ。

 

「では、たった一人のお客様であり」

 

「僕の大切な友人であるタツヤ君のために」

 

部屋の中央に出来たスペースで、恭介が一礼する。

タツヤはたった一つ用意された簡易観客席で、緊張しながら演奏が始まるのを待った。

 

ヴァイオリンを持った恭介は、目の色を変え集中する。

その様子が、タツヤにも伝わってくるくらいだ。

 

表情はいつもの優しいものとは全く異なり、堂々としていて…凛々しくもあった。

 

「曲名―――――」

 

「『Oktavia』」

 

恭介がヴァイオリンを構える。

顎当てに自分の顎を乗せて固定し、右手に持った弓を使ってヴァイオリンを弾き始めた。

 

右手の弓と左手の指を細かく動かし、ヴァイオリンから綺麗な音色が奏でられていく。

 

「(すげぇ…)」

 

今までタツヤは恭介の演奏を聞いたことは何回かあったが、ここまで近くで聞いたことはない。

だからなのか、最初のうちはどちらかというと曲よりも演奏している恭介に注目してしまっていた。

 

目の前でヴァイオリンを弾いている恭介がすごく印象的だったのだ。

 

どうやって音を出しているのかは、タツヤには全く分からない。

だが、両手を小刻みに動かし一心不乱に演奏している姿を見て、とにかく凄いと思った。

 

「(それにしても…)」

 

「(なんだか…悲壮感が漂う曲だな…)」

 

タツヤは曲に耳を傾けると、何だか不思議な感覚に囚われていく。

演奏にも迫力がありメロディーも綺麗で良い曲だと思うのだが…なんとなく、もの悲しい印象を受けていた。

例えるなら、そう―――

 

悲しみに耐えて頑張ってきたある一人の人物が―――

 

徐々にその悲しみに押し潰されて―――

 

それでも、必死にその感情と戦い続け―――

 

―――それでも、結局その感情に押し潰されて…

 

 

 

―――それを、…は見ていることしか出来なかった―――

 

「(…あれ?)」

 

「(俺…この曲、知ってる?)」

 

タツヤは、恭介のヴァイオリンを聞きながら奇妙な感覚に囚われる。

自分は以前、この曲を聞いたことがあると―――

 

そんな馬鹿なと、自分は恭介のこの曲を始めて聞いたのだと少年は混乱する。

 

そして、そんな時だった。

 

 

――――――――ズキッ

 

「がっ!!」

 

恭介の弾く曲に違和感を覚えていると―――

 

タツヤは、『例の頭痛』に襲われる。

 

「が、はっ!!あっ!!」

 

少年は再び激しい頭痛に苦しむ。

頭を抱え、身体をくの字にしその場に崩れ落ちた。

 

ズキッズキッズキッズキッズキッズキッズキッズキッズキッ

 

頭の痛みは以前にも増して酷くなっていく。

タツヤはあまりの激痛に、視界が霞むような感覚に陥っていく。

次第に、タツヤの意識は遠のいていき…目の前が真っ暗になった。

 

『…やめて!!』

 

そして、少年の脳裏には一つの映像が浮かび上がる。

 

『お願い…て!!!』

 

それは、不気味な雰囲気の中で巨大な化物を相手に少女達が戦っている光景―――

 

化物は無数の手に巨大な剣を持ち、下半身が魚の尾ひれのような形をしている。

その姿は、まるで『人魚姫』のようであった。

 

『さやかちゃんだって、こんなの嫌だった筈だよ!!!!』

 

1人の少女がその化物に必死に呼び掛けている。

 

そう、桃色の衣装を着た魔法少女が―――

 

その姿は、化物相手に話しているようには見えず…まるで“友達”を相手にしているように見えた。

 

「はっ…あっ…!!」

 

「っ!!タ、タツヤ君!?」

 

タツヤの異変に気付き、恭介が演奏を中断する。

そして、慌てた様子でヴァイオリンを置き少年の傍まで駆け寄ってきた。

 

「だ、大丈夫かい!?」

 

「はあ…はあ…だ、大丈夫です…」

 

「少し、頭痛が…」

 

不思議なことに恭介が演奏を中止すると、あれだけ酷かった頭痛が納まっていくのを少年は感じる。

それは、まるで恭介の曲に反応したようであった。

 

タツヤは困惑する。

頭痛の事もそうだが、何より先程の映像のことだ。

あの不気味な雰囲気を醸し出す空間、あれはまさしく魔獣の瘴気のそれであった。

 

それにあの桃色の髪の毛の魔法少女、衣装や声を考えても…あれは…。

 

ズキッ

 

「ぐっ!!」

 

「ほ…本当に大丈夫?」

 

「は…はい」

 

その魔法少女の事を考えると、タツヤは再び頭痛に襲われる。

先程の事を思い出そうとすると、頭痛が起きるような感覚であった。

 

タツヤは訳が分からず、頭痛が収まっても頭を抱えたくなる気分だった。

 

「お風呂上りで体が冷えたのかな…?」

 

「ごめんよ。なんだか無理させていたみたいだね」

 

「い…いや、そんなことは」

 

頭痛は恭介のせいではないのだが、彼にいらぬ心配を掛ける結果になってしまうタツヤ。

最も、目の前で頭を抱えられ苦痛に歪む顔を見せられれば、誰でもそう考えてしまうのだが。

 

タツヤはせっかく自分のために演奏してくれたのに、悪いことをしてしまったと気を落とす。

 

「とりあえず、今日はもう寝たほうが良いよ」

 

「あ、はい…すみません」

 

結局、恭介はタツヤの身体を心配して、ヴァイオリンを弾くのを止めてしまう。

そのままタツヤを客間まで案内し、布団を敷いて部屋を後にする。

 

本当に今日は恭介には迷惑ばかり掛けてしまった。

タツヤはそんな罪悪感を覚えながらも、布団に入ると演奏中には感じなかった睡魔に襲われる。

 

今睡魔に襲われるなら、あの時襲われた方があのようになる事もなかった。

本当に、この頭痛は一体何なのだろうか。

 

タツヤは理不尽な頭痛に悩まされながら、徐々に眠りに落ちていくのだった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。