聖女と魔女と、鈍感冒険者   作:玉露33333

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拍刻板の解読、冷たい笑み

研究棟の回廊を早足で歩く。

シルヴィアの研究室は三階の奥。石の階段を駆け上がり、見慣れた樫の扉を叩いた。

 

「シルヴィア、戻ったぞ」

 

扉が勢いよく開いた。

 

「遅い。二週間と言っていたのに、もう三日も過ぎている」

 

開口一番それだ。しかし、怒っているというより心配していた顔に見える。藍紫の瞳がこちらを素早く上から下まで観察し――右腕の包帯の跡で止まった。

 

「怪我をしたのか」

 

「ゴーレムにやられた。でも、もう治った」

 

「治った? その傷の深さで自然治癒は――」

 

「教会で治療してもらった」

 

沈黙が落ちた。

短い。だが、確かに空気が変わった。

 

シルヴィアは微笑んだ。口元は笑っている。しかし、瞳の温度が一段下がったように感じた。

 

「そう。聖女様に、ね」

 

「カミラさんは司祭だから浄化が――」

 

「わかっているよ。合理的な判断だ」

 

遮るように言い、踵を返して研究室の奥へ戻っていった。

私はその背中を追いながら、何か大事なことを間違えた気がしたが、何を間違えたのかがわからない。

 

「それよりグレン、成果は?」

 

「ああ。これだ」

 

背嚢から布に包んだ拍刻板を取り出し、卓の上に置いた。

 

シルヴィアの表情が瞬時に変わった。

さっきまでの冷えた空気が、一瞬で消え去る。瞳が研究者の光を宿し、手が伸びる。

 

「これは……拍刻板か?」

 

「小塔の跡の最奥にあった。壁面の古代文字に"記録"、"連結"、"二つの拍"という言葉があった」

 

「連結……」

 

シルヴィアは呟き、拍刻板を水晶盤に載せた。輪環を慎重に回し始める。

 

盤面に干渉紋が浮かんだ。淡い紫の光が広がり、拍刻板の銀糸模様と呼応する。

 

「双極位相。魔晶石と同じパターンだ」

 

「計測板でも確認した。でも、それだけじゃなくて……」

 

「うん。見える。もう一つある」

 

シルヴィアの声が低くなった。瞳が盤面に釘付けになっている。

輪環をさらに回すと、魔晶石と同じ双極パターンの上に、もう一つの波形が重なって浮かび上がった。

 

二つの波が、互いに絡み合うように脈打っている。

まるで、二つの心臓が同時に鼓動しているかのように。

 

「……これは」

 

シルヴィアが息を呑んだ。

 

「"第二のパターン"。拍刻板には、魔晶石にはないもう一つの拍が刻まれている」

 

「それは何なんだ?」

 

「待って。解読する」

 

指が輪環の上を走る。古語の刻印を読み取りながら、羊皮紙にメモを書き殴っていく。

 

私は邪魔にならないよう、棚の隅に腰を下ろした。いつものカップに手を伸ばすと、ローズヒップとアッサムの茶が用意されていた。

……待っていてくれたのか。冷めているが、その心遣いが嬉しい。

 

 

半刻ほど経っただろうか。

 

シルヴィアが顔を上げた。

その目が、興奮と畏怖の入り混じった色を宿している。

 

「わかった」

 

「何がわかった?」

 

「この第二のパターンは、魔晶石の拍を"もう一つの拍"と繋ぐための回路だ。二つの異なる拍を、同時に動かし、同時に静め、一つに結び合わせる――"連結"の術式」

 

「連結……壁の文字にあった言葉だ」

 

「そう。しかもこれは単なる二つの拍の接続じゃない。一方は"能動的に操作する拍"、もう一方は"受動的に招き入れる拍"。この二つを同時に重ねることで、初めて連結が成立する」

 

「能動と受動……」

 

シルヴィアは私を見た。何かを確認するように。

 

「グレン。学院魔術は"能動的に拍を操作する"技法だ。そして神聖術は"受動的に世界の拍を招き入れる"技法。……つまり」

 

「まさか」

 

「星綴り文明の連結術。それは――学院魔術と神聖術、二つの体系を同時に使わなければ完成しない。ここに刻まれているのは、現代の二つの体系の"原型"だ」

 

シルヴィアは羊皮紙に式を書き加えながら、早口で続ける。

 

「星綴り文明には、おそらく両方の技法を持つ術者がいた。あるいは、二人の術者が協力していた。だが大離散で文明が滅び、技法は分裂した。能動的な操作は学院魔術として、受動的な祈りは神聖術として、別々に受け継がれた」

 

「それが"二つの拍"の意味か」

 

「たぶんね。そして、この連結術は――星綴り文明の禁術だ」

 

禁術、という言葉に背筋が冷えた。

 

「禁術?」

 

「拍刻板の縁にある刻印。警告文だよ。"二つの拍を合わせよ。されど、合わせすぎれば世界が揺れる"」

 

「合わせすぎると戻れなくなる、か」

 

「ああ。前にも言っただろう」

 

シルヴィアは水晶盤から手を離し、深く息を吐いた。

それからカップを手に取り、冷めた茶を一口飲んだ。

 

 

「グレン」

 

「ん?」

 

「ありがとう。これは、大発見だ。学院魔術と神聖術が元は一つだった可能性を示す、初めての物的証拠」

 

「俺は運んだだけだよ。解読は君の仕事だ」

 

「その"運んだだけ"で怪我をしたんだろう」

 

シルヴィアの声が、ほんの少し硬くなった。

 

「もう少し慎重にやってほしい。君が壊れたら、私は――」

 

言いかけて、首を振った。

 

「……いや、いい。研究の続きは夜にやる。データが膨大だ」

 

「そうか。無理するなよ」

 

「無理はしない。君こそ、次に傷を負ったら真っ先にここへ来なさい。私だって治せないわけじゃない。逆相で拍の乱れを抑制する方法なら、教会の浄化より速い場合もある」

 

「……それは、状況によるだろう」

 

「そうだね。状況によるね」

 

また、空気が少し冷えた。

私は残りの茶を飲み干し、立ち上がった。

 

「じゃあ、報告書をまとめて明日持ってくる」

 

「うん。日誌の原本も見せて」

 

「了解」

 

扉に手をかけたとき、背後からシルヴィアの声が追いかけてきた。

 

「グレン」

 

「なんだ?」

 

「……おかえり」

 

振り向くと、シルヴィアは水晶盤に向き直ったまま、片手を小さく振っていた。銀髪が揺れる。顔は見えない。

 

「ああ。ただいま」

 

扉を閉めた。

 

回廊を歩きながら、考える。

聖女様に、ね。あの一言の温度が、まだ耳に残っている。

何が彼女を不機嫌にしたのだろう。カミラさんに治療してもらったこと自体は合理的な判断のはずだ。シルヴィア自身もそう言っていた。

 

分からない。だけど、なぜか大事なことな気がした。

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