聖女と魔女と、鈍感冒険者   作:玉露33333

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加護の儀式、ただのお守り

翌週の土の日。

約束通り、私はメナス大聖堂を訪れた。今日は礼拝のためではなく、加護を受けるためだ。

 

「お待ちしておりました」

 

カミラさんは儀式用の白い法衣を纏っていた。先週と同じ装い。金糸の刺繍が朝日に光り、胸元の双環のペンダントが静かに揺れている。

……やはり、この人は儀式の装いをすると雰囲気が変わる。普段は穏やかで柔らかい印象だが、法衣を着ると凛とした空気を纏う。聖女、と人が呼ぶのもわかる気がする。

 

「加護の儀式は、祈祷室で行います。奥へどうぞ」

 

大聖堂の側廊を抜け、さらに奥。普段の談話室よりずっと深い場所に、小さな部屋があった。

石壁に囲まれた四角い空間。天井に穴が開いており、そこから細い光が一筋、床の円形の石畳を照らしている。壁には古い神語の刻印。蝋燭は一本もない。

光は天窓からの自然光だけだ。

 

「ここでいつも加護を授けているんですか?」

 

「はい。祈祷室は大聖堂の中で最も拍が静かな場所です。外の音も、鐘の振動も、ほとんど届きません」

 

言われてみると、確かに静かだ。自分の心臓の音が聞こえるほどに。

 

「では、ここに立ってください」

 

光の差す円形の石畳の中央に立つ。カミラさんが正面に来た。距離は近い。手を伸ばせば届く位置。

 

「目を閉じなくて結構です。ただ、呼吸を整えてください」

 

「わかりました」

 

深く息を吸い、吐く。剣の鍔に手を当てる癖が出そうになったが、今日は剣を預けてきた。錨なしで拍を落ち着かせる。

……少し不安だ。鎧を脱いで無防備になった気分に似ている。

 

カミラさんが一歩近づいた。

そして、両手をそっと私の額に置いた。

 

指先が冷たい。でも、触れた瞬間にじわりと温かさが染み込んでくる。前回の治癒と同じ感覚だ。

 

祈りの言葉が始まった。

古い神語の、低く長い詠唱。賛歌とは違う、もっと深い響き。骨に伝わるような振動。

 

彼女の手の下で、何かが動いた。

私の額から、肩へ、腕へ、胸へ。薄い膜のようなものが身体に沿って広がっていく。見えないが、感じる。まるで、水面に浮かぶときのような、全身を柔らかく包む圧力。

 

加護だ。静寂の層。

外部からの拍の干渉を緩衝する、聖女の力。

 

目を開けたまま、カミラさんの顔を見ていた。

目を閉じた彼女の睫毛が微かに震えている。唇が祈りの言葉を紡ぎ、額に薄く汗が滲んでいる。

 

集中している。全身で祈っている。

 

……不意に、加護の層が偏った。右肩にだけ厚く集まる感覚がある。左半身は薄い。

 

カミラさんが祈りを止め、目を開けた。

 

「……すみません」

 

「え?」

 

「少し、偏ってしまいました。右肩に厚くなって、左側が薄い。もう一度やり直します」

 

「いや、十分ですよ。左側だって完全に無防備じゃないでしょう?」

 

「でも、万全ではないのは――」

 

「カミラさん」

 

私は彼女の目を見た。翡翠の瞳に、悔しさのような光が浮かんでいる。

 

「十分ですよ。ありがとうございます」

 

 

(集中しなさい、カミラ。静寂を保ちなさい。)

(この人の額に触れている。この人の拍に、私の祈りを重ねている。)

(女神よ――いいえ、これは女神への祈り。この人のための祈り。私情を挟んではいけない。)

(でも。この人に触れるたびに、私の静寂が揺れる。)

(好きだから祈りが深くなるのか。好きだから拍が乱れるのか。どちらが本当なの、女神メナスよ――)

(右肩に偏った。私の心が、この人の傷を負った右腕を覚えているから。あの裂傷を、この手で治したから。その記憶が、祈りの流れを歪めた。)

(聖女失格だ。私情で加護を歪めるなんて。)

(でも――この人を守りたいという気持ちだけは、嘘ではない。)

(嘘では、ないのです。)

 

 

加護の儀式を終え、祈祷室を出た。

カミラさんは少し疲れた顔をしていたが、笑みを絶やさなかった。

 

側廊を歩きながら、彼女がふと足を止めた。

 

「グレンさん。一つ、お渡ししたいものがあります」

 

「何ですか?」

 

カミラさんは法衣の内側から、小さなものを取り出した。

ペンダントだ。細い銀の鎖に、二つの小さな環が組み合わさった意匠。双環。メナスの象徴。

 

彼女が胸元につけているものと同じデザインだが、こちらは一回り小さい。

 

「お守りです」

 

差し出された掌の上で、双環がきらりと光った。

 

「加護は時間とともに薄れます。このペンダントには、私の祈りの拍を少しだけ刻んであります。完全な加護の代わりにはなりませんが……拍が乱れそうなとき、これに触れれば少し落ち着くはずです」

 

「カミラさん、これは――」

 

「……ただのお守りです」

 

小さく付け足した。

「ただの」という言葉に、妙な力がこもっていた。

 

私はペンダントを受け取った。掌に載せると、ほのかに温かい。カミラさんの祈りの残滓だろうか。

 

「ありがとうございます。大事にします」

 

「……はい」

 

カミラさんは少しだけ俯いた。金色の髪が頬を隠す。

 

「大事にしてくださるなら、それで十分です」

 

「もちろんです。冒険には必ず持っていきますよ」

 

「本当ですか?」

 

「本当ですよ。約束します」

 

顔を上げた彼女の目が、少し潤んでいるように見えた。

光の加減だろう。祈祷室が暗かったから、明るい廊下に出て目が慣れないだけだ。

 

「じゃあ、今日はこれで。来週も来ますね」

 

「はい。お待ちしています。……ずっと」

 

最後の一言は、前にも聞いたことがある。祈りのように静かな声。

 

大扉を押し開けて外に出た。

ペンダントを首にかけるのは気恥ずかしいので、内ポケットに入れた。布越しに、微かな温もりを感じる。

 

……ただのお守りだ。

司祭が冒険者に渡すお守りなど、珍しくもないだろう。教会にはそういう慣習がある。たぶん。

 

でも、あの「ただの」という一言が、なぜか引っかかる。

「ただの」と付ける必要があったのだろうか。お守りはお守りだ。わざわざ「ただの」と断る理由がわからない。

 

……考えてもわからないものは、考えても仕方がない。

私は首を振り、学院への道を歩き始めた。

 

内ポケットの双環が、心臓の隣で小さく揺れていた。

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