聖女と魔女と、鈍感冒険者   作:玉露33333

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帝国の影、交わる三つの道

翌朝、シルヴィアの研究室で壁画のデータを整理していると、扉が短く叩かれた。

ノックの音が硬い。学生や助手のものとは違う。

 

「入りなさい」

 

シルヴィアが応じる前に、扉が開いた。

立っていたのは、学院長付きの事務官だった。灰色の制服に銀の留め具。表情が固い。

 

「ノルン研究員、グレン探索者。学院長がお呼びです。至急、応接室へ」

 

至急、という言葉に背筋が伸びた。

シルヴィアと目を合わせる。彼女は眉を上げたが、何も言わず水晶盤の電源を落とした。

 

 

学院の中枢棟、三階の応接室。

重い樫の扉を押し開けると、窓辺に一人の女性が立っていた。

 

エレノア=ハイゼン。魔導学院長。

白髪交じりの銀色の髪を高く結い、紺色の学院長服をまとっている。五十を過ぎているが、背筋は定規のように真っ直ぐで、視線には圧がある。

 

「座りなさい。茶は要らないだろう。短く済ませる」

 

促されて椅子に腰かけた。シルヴィアが隣に座る。

 

「水底の祭壇の報告は受けた。壁画の件、拍刻板との相関。シルヴィア、良い仕事だ」

 

「ありがとうございます、学院長」

 

「しかし、それだけ呼んだのではない」

 

エレノアは窓際から離れ、卓上に一枚の羊皮紙を置いた。封蝋が割られている。王宮からの書簡だ。

 

「昨日、王宮の諜報局から連絡があった。レグノヴァルド帝国の工作員が王都に潜入している」

 

空気が変わった。

レグノヴァルド帝国。東方の軍事大国。魔導技術の軍事転用を国策として推進し、近年は周辺国の遺跡から技術情報を収集していると聞く。

 

「工作員の目的は?」

 

シルヴィアが訊いた。声に緊張が混じっている。

 

「魔晶石だ」

 

エレノアの目が鋭くなった。

 

「正確には、魔晶石に関する情報。星喰いの塔から回収された遺物が、都市規模の拍を操作する装置に転用できる可能性があるという情報が、どこからか漏れている」

 

「漏れている……学院内部からですか」

 

「断定はできない。だが、可能性は排除しない」

 

シルヴィアの表情が険しくなった。

魔晶石の解析結果を知っているのは、シルヴィアと私、そしてエレノア学院長のみのはずだ。しかし研究室で実験をしていれば、計器の反応を目にする者はいる。

 

「帝国が魔晶石の軍事的価値に気づけば、必ず動く。星喰いの塔に先行して遺物を回収しようとするだろう」

 

エレノアは椅子に座り、指を組んだ。

 

「そこで、先手を打つ。グレン、シルヴィア。星喰いの塔への再調査を命じる」

 

「再調査……最深部へですか」

 

「そうだ。前回グレンが回収した魔晶石の他に、まだ遺物が残っている可能性がある。帝国に渡る前に、我々が確保しなければならない」

 

私は頷いた。星喰いの塔の最深部。以前は単独で踏破した。あの広大な球状空間と、壁面に浮かぶ文字。今回は拍の活性化が進んでいるとヴェラ隊長も言っていた。前回より危険度は上がっているだろう。

 

「ただし」

 

エレノアが付け加えた。

 

「今回は教会の協力を要請する」

 

「教会?」

 

「水底の祭壇で発見した壁画の内容を踏まえれば、星喰いの塔の遺物には神聖術に関わる要素が含まれている可能性が高い。古代遺跡の浄化、拍の静寂化には神聖術が不可欠だ。学院魔術だけでは対応しきれない」

 

シルヴィアの顔が一瞬こわばった。

ほんの一瞬だが、確かに。

 

「教会の誰を?」

 

「メナス大聖堂の司祭、カミラ=ルシエル。聖女と呼ばれる力の持ち主だと聞いている。教会側にはすでに打診済みだ。三柱の盟約に基づく協力要請として、正式に」

 

三柱の盟約。王権、神権、学術。ガイデルン王国の統治を支える三本の柱。国家に関わる案件では、三者が協力する義務がある。

 

「カミラさんが同行するんですか」

 

私の声に驚きが出たのだろう。エレノアが薄く笑った。

 

「何か不都合が?」

 

「いえ、不都合は……ただ、カミラさんは戦闘向きではないと思いまして」

 

「浄化と加護が主な役割だ。前衛は君が務める。シルヴィアが結界と解析。カミラ=ルシエルが浄化と加護。三者の分業で最深部に到達する」

 

理に適っている。反論の余地がない。

 

「出発は五日後。準備を整えなさい。――それから」

 

エレノアが立ち上がり、窓の外を見た。学院の中庭で学生たちが歩いている。

 

「魔晶石の存在は極秘とする。帝国の工作員がまだ王都にいる以上、情報管理を徹底すること。研究室の結界を強化し、拍刻板のデータは暗号化して保管しなさい」

 

「了解しました」

 

シルヴィアと私が同時に答えた。

 

 

応接室を出て、回廊を歩く。

シルヴィアは無言だった。足音だけが石壁に反響している。

 

「シルヴィア」

 

「わかってる。教会の協力が必要な理由は理論的に正しい。能動と受動。二つの術が揃わなければ、最深部の遺物は扱えないかもしれない」

 

「不満か?」

 

「不満じゃない。合理的だと言っているんだ」

 

口調は冷静だが、歩く速度がいつもより少し速い。

 

「ただ、一つだけ言わせて」

 

足を止め、こちらを見た。

 

「前衛は君。解析は私。浄化はあの人。――役割は明確にして。私が君を護れる範囲を、狭めたくないんだ」

 

「……わかった」

 

「よろしい」

 

シルヴィアは歩き出した。外套の裾が翻る。

 

「それと、五日間で準備する必要がある。結界の追加触媒、逆相装置の小型化、拍刻板データの暗号化。忙しくなるよ」

 

「手伝えることがあれば言ってくれ」

 

「素材の調達は君に頼む。ルドガー翁の店に行って、これを買ってきて」

 

振り返らずに、メモを差し出した。品名がびっしり書かれている。

いつ書いたのだ。応接室にいる間に?

 

「……準備がいいな」

 

「研究者は常に先を読む。それだけだよ」

 

 

午後、私は教会区に向かった。

カミラさんに直接会って、同行の件を確認するためだ。学院長が正式に打診済みとはいえ、私の口からも伝えるべきだろう。

 

メナス大聖堂の大扉を開けると、午後の光がステンドグラスを通って虹の帯を作っていた。

 

「グレンさん」

 

カミラさんは談話室で待っていた。テーブルの上にはハーブティーの支度。

そしてもう一つ、白い封筒。教会の紋章が押されている。

 

「学院からのご連絡は、今朝いただきました。星喰いの塔への同行の件ですね」

 

「はい。危険な任務です。無理に引き受ける必要は――」

 

「お受けします」

 

即答だった。

 

「教会としての義務ですし、何より――」

 

言いかけて、カミラさんは言葉を選ぶように一度目を伏せた。

 

「――グレンさんのお力になれるのであれば」

 

「カミラさん……」

 

「私の浄化と加護が、遺跡の探索に役立つと仰ってくださるのなら、喜んでお供します」

 

彼女はティーポットを手に取った。いつもの穏やかな仕草。けれど、注ぐ手にほんの少しだけ力が入っている。

 

「それに」

 

「はい?」

 

「前回、グレンさんが傷だらけで帰って来られたとき、私は祈ることしかできませんでした。今度は、傍にいて直接お守りしたいのです」

 

その言葉は、シルヴィアが「離れたくない」と言った時のことを思い出させた。

理由は違うのに、どこか似ている。どちらも、私の傍にいることを選んでいる。

 

「……ありがたいです。心強い」

 

「ふふ、心強いですか。聖女が戦場に立つと言って、ご不安ではありませんか?」

 

「不安は少しありますが、カミラさんの芯の強さは知ってますから」

 

カミラさんが目を丸くして、それから笑った。頬がほんのり色づいている。

 

「では、五日後に。準備を整えておきます」

 

「よろしくお願いします」

 

立ち上がりかけると、カミラさんが小さく付け加えた。

 

「グレンさん。ペンダントは、お持ちですか?」

 

内ポケットに手を当てた。布越しに、小さな硬さを感じる。

 

「ありますよ。肌身離さず」

 

「……よかった」

 

カミラさんは微笑んだ。ステンドグラスの虹が、彼女の金髪に赤と青の斑を落としていた。

 

 

五日間はあっという間に過ぎた。

シルヴィアは研究室に籠もって装備の準備と結界の改良。カミラさんは教会で聖務の引き継ぎと加護の触媒の調達。私は素材の買い出しと装備の点検。

 

出発の朝、東門の前に三人が揃った。

 

朝霧が薄く立ち込め、石畳が白く煙っている。門の向こうに、平原へ続く街道が伸びていた。

 

「揃ったね」

 

シルヴィアが言った。革の上着に研究用の機材を背負い、腰に触媒瓶をぶら下げている。

 

カミラさんは白いボレロに動きやすいズボン、革の短靴。普段の司祭服とは違う旅装だが、胸元の双環のペンダントだけはいつも通りだ。

 

「荷物はこちらに」

 

カミラさんが自分の荷袋を差し出そうとしたのを、私が受け取った。シルヴィアの機材も合わせると、背嚢が相当な重さになる。

 

「全部持つのかい? 潰れるよ」

 

「探索者の仕事だ。荷運びは慣れてる」

 

「では参りましょう。星喰いの塔まで、徒歩で三日の行程ですね」

 

カミラさんが街道の先を見つめた。朝霧の向こうに、広い空が見えている。

 

三人で門を潜った。

背後で東門の鐘が一つ鳴り、王都が遠ざかっていく。

 

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