聖女と魔女と、鈍感冒険者   作:玉露33333

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灰鷹は地味に飛ぶ

足音を殺して球状空間に入った。

 

壁面の文字が白く脈打ち、空間全体がぼんやりと明るい。台座までの距離は百メートルほど。広い。だが遮蔽物がない。近づけば必ず気づかれる。

 

背後でシルヴィアが小声で言った。

 

「警戒役の一人がこちらを向いている。あと二十歩で感知圏に入る」

 

「カミラさん、加護を厚くしてくれ。戦闘になる」

 

「はい」

 

カミラさんの祈りが私の身体を包んだ。薄い静寂の層が鎧の上に重なる。衝撃を吸収する緩衝材。

 

「シルヴィア、結界は?」

 

「いつでも張れる。合図をくれ」

 

「了解——行く」

 

走った。

 

灰色の革鎧が暗い空間を駆ける。足音が石の床に反響し、三人の工作員が同時に振り向いた。

 

「侵入者!」

 

警戒役の男が腕を振り上げた。掌から衝撃波が放たれる。帝国式の拍操作——学院のものより荒く、重い。

 

横に跳んで躱した。衝撃波が床を砕き、破片が飛び散る。

 

二人目の工作員が短槍を構えて突進してきた。穂先に拍が通されている。触媒を塗布した武器だ。当たれば拍の乱れを起こす。

 

剣で短槍を弾き、間合いを詰める。同調、転位——剣に拍を通し、切れ味を強化する。

 

短槍の柄を斬り落とした。工作員が後退し、予備の短剣を抜く。

 

「シルヴィア!」

 

「了解——結界!」

 

シルヴィアの結界が衝撃波を使った工作員を遮断した。半透明の壁が空間を仕切り、二人目だけが私の前に残される。

 

一対一なら、問題ない。

 

工作員の動きは速い。帝国魔導院の出身だろう。拍の操作を武術に組み込む帝国式の戦闘術は、学院の理論的なアプローチとは違い、実戦に特化している。

 

だが、遺跡での戦闘は私の領域だ。

 

床の振動から工作員の次の動きを読む。右足に重心が移った。斬り上げが来る。

 

半歩下がって斬り上げを躱し、返す刀で手首を打った。短剣が飛び、工作員が膝をつく。

 

結界の向こうでは、シルヴィアが衝撃波の工作員を逆相で封じ込めていた。工作員が放つ拍を、シルヴィアが正確に反転させて打ち消している。力で押すのではなく、技術で無力化する。銀狼の魔女の真骨頂だ。

 

カミラさんが二人目の工作員に浄化をかけた。拍の操作で強化されていた工作員の身体から、異常な拍が洗い流される。男は力が抜けたように崩れ落ちた。

 

二人、制圧。

 

残るは——

 

「グレン! 台座の方!」

 

シルヴィアが叫んだ。

 

振り向いた。台座の前で、リーダーらしき男が立ち上がっていた。

 

右手に何かを持っている。

 

淡い銀色の光。律動の石とは違う、静かで冷たい輝き。

 

「静寂の石……!」

 

男が笑った。黒い外套の下に、重厚な鎧が見える。剣を腰に帯びている。術者ではなく、戦士だ。拍の計測器をベルトに下げているが、構えは剣士のそれ。

 

「ガイデルン王国のA級探索者か。噂は聞いている。灰鷹の剣士」

 

低い声だった。帝国の訛りがある。

 

「その石を置いていけ」

 

「帝国が欲しがるのは兵器としての価値だ。お前たちのような学者が好む骨董品ではない」

 

「兵器にすれば暴走する。お前たちも巻き込まれるぞ」

 

「制御は我々の問題だ。お前が心配することではない」

 

男が剣を抜いた。刃に拍が通されている。切れ味が強化されている程度ではない。刃そのものが拍の発信源になっている。帝国製の魔剣か。

 

「シルヴィア、カミラさん。ここは私が」

 

「グレン——」

 

「石を奪い返す。二人は結界で他の工作員を押さえていてくれ」

 

迷いは一瞬だった。戦闘は私の領域だ。

 

男が踏み込んだ。速い。帝国の重装剣術は力任せに見えて、足運びが緻密だ。

 

剣が交差した。衝撃が腕に響く。重い。体格差がある。

 

離れて間合いを取った。

 

相手の拍を読む。呼吸、心拍、足の踏み込みのリズム。

 

帝国式は拍を武器に通して攻撃に乗せる。ならば——

 

同調。相手の拍に合わせ、一瞬だけ干渉の道を作る。

 

男が踏み込んだ瞬間、位相をずらした。

 

男の足が、一拍だけ遅れた。リズムが乱れ、踏み込みの勢いが削がれる。

 

その隙を突いた。剣を横薙ぎに振り、鎧の継ぎ目を狙う。

 

金属が裂ける音。浅い。だが確実に鎧に傷を入れた。

 

「……やるな」

 

男が表情を変えた。遊びが消え、本気の目になった。

 

魔剣から拍が膨れ上がった。刃の周囲に青白い光が纏わりつく。

 

「帝国魔導院の到達術式だ。受けてみろ、灰鷹」

 

男が剣を振った。斬撃ではない。剣から放たれた拍の波が、弧を描いて飛んできた。

 

横に飛んで躱す。波が通り過ぎた場所の石床が割れた。

 

近距離の衝撃波。しかも剣を媒体にしている。厄介だ。

 

もう一撃が来た。今度は躱しきれない。

 

錨に触れた。灰水晶が鳴り、拍が安定する。

 

波を剣の腹で受け流した。衝撃が腕を痺れさせるが、錨が拍を固定してくれている。

 

反撃。

 

相手の拍に同調し、一気に転位する。位相のずれを大きく取り、相手の身体の中にある拍の流れそのものを撹乱する。

 

男の動きが一瞬、止まった。筋肉の連動が乱れ、剣を持つ手が鈍る。

 

その一瞬で、間合いを詰めた。

 

剣を振り上げ、男の魔剣を弾く。金属の悲鳴が球状空間に反響した。魔剣が宙を舞い、床に落ちる。

 

続けざまに、蹴りを入れた。男が後方に吹き飛び、台座の縁にぶつかって崩れ落ちた。

 

右手から、静寂の石が転がり落ちた。

 

拾い上げた。

 

淡い銀色の結晶体。律動の石より一回り小さく、表面の模様も異なる。銀糸ではなく、白い霜のような紋様が静かに浮かんでいる。光はない。脈打たない。ただ、手の中にあると、自分の拍が少しだけ鎮まる気がした。

 

静寂の石。

 

これが、律動の石の対になるもう一つの心臓。

 

「グレン!」

 

シルヴィアの声に顔を上げた。

 

台座が光っていた。

 

青白い光が台座の表面を走り、壁面の文字と呼応して空間全体が脈打ち始めている。リーダーが台座を弄った影響か。あるいは、静寂の石が台座から引き抜かれたことで、残された装置が暴走を始めたのか。

 

床が揺れた。天井から石片が落ちてくる。

 

「崩壊が始まる!」

 

シルヴィアが叫んだ。

 

台座の光が加速度的に強くなっている。壁面の文字が明滅し、空間全体の拍が乱れ始めていた。律動の石が回収された時に不安定になっていた装置が、静寂の石まで失ったことで完全に制御を失ったのだ。

 

「脱出するぞ!」

 

「待って、グレン——脱出では間に合わない。この崩壊は拍の暴走だ。塔全体に波及する。上の階層が先に崩れたら、出口が塞がれる」

 

シルヴィアの顔が青ざめていた。計測板の数値を見て、歯を食いしばっている。

 

「なら、どうする」

 

「暴走を止めるしかない。二つの石を連結して、装置を正常に起動させる」

 

「ここで? 今?」

 

「ここで。今。他に方法がない」

 

床がまた大きく揺れた。天井の崩落が広がっている。工作員たちは既に脱出を始めていた。リーダーの男も、傷を押さえながら出口に向かっている。

 

追う余裕はない。

 

「カミラさん!」

 

カミラさんが駆け寄ってきた。法衣の裾が埃で汚れているが、目は澄んでいた。

 

「シルヴィアさんの言う通りです。連結しましょう。今、ここで」

 

迷いがなかった。あの祈祷室で覚悟を決めた夜の静けさが、そのまま声に宿っている。

 

シルヴィアがカミラさんを見た。一瞬だけ、二人の視線が交差した。

 

焚き火の夜に交わした言葉が、そこにあった。退かない。退かない。

 

「――やろう」

 

シルヴィアが頷いた。

 

「グレン。律動の石を台座に置いて」

 

背嚢から律動の石を取り出し、台座の窪みに嵌めた。石が光を放ち、窪みにぴたりと収まる。

 

隣の窪みに、静寂の石を置いた。銀色の霜紋様が淡く浮かび上がる。

 

二つの石が台座の上に並んだ。律動と静寂。脈打つ光と、静かな銀。

 

台座が低く唸り始めた。二つの石の間に、微かな光の筋が走る。

 

だが、まだ繋がっていない。糸が切れたまま、ほつれた端同士が触れ合おうとして届かない。

 

連結には、三つの要素が必要だ。

 

能動的な拍の操作。受動的な拍の招き入れ。そして、二つを繋ぐ錨。

 

シルヴィア。カミラ。そして——私。

 

「始めるよ」

 

シルヴィアが台座の傍に立ち、カミラさんと向き合った。

 

崩れゆく塔の中で、二人の女が向き合っている。

 

銀色の髪と、金色の髪。藍紫の瞳と、翡翠の瞳。

 

そして、シルヴィアが口を開いた。

 

「聖女——いや」

 

言い直した。冗談でも皮肉でもなく。

 

「カミラ。……頼む。私と、拍を合わせてくれ」

 

その声には、七年分のすべてが詰まっていた。

 

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