聖女と魔女と、鈍感冒険者   作:玉露33333

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連結、三つの心臓

カミラは頷いた。

 

「はい。合わせましょう、シルヴィア」

 

名前で呼んだ。「さん」をつけなかった。今この瞬間だけは、敬称も肩書きも邪魔だった。

 

二人が台座を挟んで向かい合う。シルヴィアが右手を差し出した。カミラがそれを取る。指が重なった。

 

冷たい指と、温かい指。

 

天井が崩れている。壁面の文字が明滅している。時間がない。

 

「シルヴィア、カミラさん。何をすればいい」

 

「グレン。二つの石の間に立って。両手を石に触れて。君の拍を通す。私たちの術が石を通して繋がる橋を、君の拍で支えるんだ」

 

「わかった」

 

台座に近づき、二つの石の間に膝をついた。右手を律動の石に、左手を静寂の石に。

 

石に触れた瞬間、拍が流れ込んできた。

 

右手から——律動。鼓動。脈打つ波。心臓と同じリズム。前回暴走しかけた、あの力。

 

左手から——静寂。無音。拍が鎮まっていく感覚。息を吐くことすら忘れるような、深い凪。

 

二つの力が同時に身体を通り抜けていく。右手から左手へ、左手から右手へ。矛盾する力が一つの身体の中でぶつかり合い、全身が軋むように震えた。

 

「っ——」

 

「グレン!」

 

シルヴィアの声が聞こえた。遠い。

 

「大丈夫……だ。始めてくれ」

 

歯を食いしばった。錨に意識を集中する。灰水晶が鳴る。拍を固定する。揺れるな。流されるな。ここにいろ。

 

「シルヴィア」

 

「うん。——始めるよ、カミラ」

 

シルヴィアが目を閉じた。輪環の術式を組む代わりに、カミラの手を握ったまま、自分の拍を石に向ける。

 

能動的な拍の操作。律動の石に同調し、その拍を意図的に増幅する。押す。動かす。形を与える。学院魔術の真髄。

 

台座の上で、律動の石が強く光った。

 

 

(グレンの拍が、手の中で感じられる。石を通して。温かくて、力強い。この拍を守るために、私はここにいる。)

 

シルヴィアは律動の石に意識を沈めた。拍のパターンが水晶盤の映像のように浮かび上がる。双極位相。収縮と弛緩。心臓のリズム。

 

合わせる。同調する。石の拍を自分の拍に引き寄せ、増幅し、方向を与える。

 

術式が組み上がっていく。三日間かけて詰めた理論が、今、実行に移される。

 

だが——

 

カミラの手を握ったまま、拍を放つ。カミラとの間に、道が開かれる。

 

(嫌だ。)

 

反射的にそう思った。

 

カミラと拍を合わせれば、心の中身が見えてしまう。自分のも。カミラのも。

 

七年間、冗談で隠してきたもの。研究の陰に押し込めてきたもの。

 

——「ただ君と歩きたいだけなのかもしれない」と言って、すぐに香草の話に逃げた日のこと。

 

——「心と心も繋げるのかな」と水底の祭壇で呟いて、「冗談だよ」と笑った夜のこと。

 

——「あの頃から私は——」と言いかけて、飲み込んだ帰り道のこと。

 

全部、見られる。

 

冗談の裏にあった本気が。強がりの裏にあった脆さが。独占欲の裏にあった、ただの——

 

(好きだ。七年間、ずっと。グレンが好きだ。)

 

それが剥き出しになる。

 

(でも——)

 

天井が崩れた。石片が台座の傍に落ちる。時間がない。

 

(グレンを護るためなら。この想いを見られることくらい。)

 

歯を食いしばった。拍を開く。カミラに向かって、自分の律動のすべてを。

 

 

カミラは目を閉じ、祈った。

 

いつもと同じ祈り。でも、今日は少しだけ違う。祈りの先にあるのは、女神ではない。

 

静寂の石に意識を沈める。石の拍は——拍がない。無音。空白。

 

この空白に、世界の拍を招き入れる。自分を器にして、静寂を注ぐ。神聖術の根幹。

 

「慈母メナスよ。この石に、あなたの静寂を」

 

祈りが深まっていく。拍が鎮まる。心臓の音が遠くなる。

 

そして——シルヴィアの手から、拍が流れ込んできた。

 

鋭い。冷たい。でも、必死な拍。

 

シルヴィアの心の中が、波のように押し寄せてくる。

 

(あ——)

 

見えた。感じた。シルヴィアの拍の奥にあるもの。

 

七年間の記憶。

 

図書塔で徹夜した夜。グレンがランプを灯して隣に座ってくれた。書籍の山が崩れて、グレンの手が自分の手首を掴んだ。その手の温度。月下香の香り。

 

研究室でグレンが帰った後、短剣の刃こぼれを撫でた夜。「誰にも渡さない」と呟いた声。

 

茶を淹れる度に、グレンの「助かるよ」の一言に込められた信頼が嬉しくて。

 

でも、それだけで。それだけしか返ってこなくて。

 

七年間、ずっと。

 

(シルヴィアさん——)

 

カミラの目の端に、涙が浮かんだ。

 

(あなたも、こんなに——)

 

同時に、カミラの中にあるものが、シルヴィアに流れていく。

 

二年間の祈り。

 

毎朝、目を覚ますと最初に。「グレンさんが今日も無事でありますように」。

毎晩、眠る前に。「あの方がいつか——」。

 

教会でグレンが帰る時間が来るたび、心臓が痛くなったこと。

「行かないで」と言いたくて。言えなくて。

「またお越しいただけたら」としか言えなくて。

 

白百合を切って花瓶に挿した日のこと。グレンがそれを一輪持ち帰ったと知って、嬉しくて、でもきっと深い意味はなくて、それがどうしようもなく切なくて。

 

(カミラ——君も——)

 

シルヴィアの拍が震えた。

 

二人の間で、感情が溢れた。堤防が決壊するように。

 

同じ人を愛している。同じ痛みを抱えている。同じ言葉を飲み込んでいる。

 

そして——その想いが、拍の同調を阻んでいた。

 

二つの術が干渉し合い、互いを打ち消そうとしている。律動と静寂が噛み合わない。グレンへの想いが、二人の拍を乱している。

 

(だめだ。同調が崩れる。このままでは——)

 

シルヴィアが唇を噛んだ。計算通りにいかない。感情の変数が大きすぎる。

 

(怖い。この女に全部見られるのが怖い。グレンへの想いも、嫉妬も、「渡さない」と呟いた夜の醜さも——)

 

カミラの拍も乱れていた。

 

(怖い。シルヴィアさんに祈りの中身を知られるのが。聖女の仮面の下にある、ただの女の、抑えきれない想いが——)

 

「女神よ——いいえ」

 

カミラの唇が、祈りとも告白ともつかない言葉を紡いだ。

 

「グレンさん。聖女でなくてもいいから——あなたの傍に——」

 

言葉が途切れた。理性が、かろうじて引き留めた。

 

だが遅かった。その一瞬の心の叫びが、拍を通じてシルヴィアに流れた。

 

シルヴィアの目が見開かれた。

 

(——聞いてしまった。この女の、本当の祈りを。)

 

同調が完全に崩れかけた。二つの術が干渉し、台座の光が不安定に明滅する。崩壊が加速した。

 

 

異変を感じた。

 

二つの石の間で、拍が荒れ狂っている。律動と静寂がぶつかり合い、私の身体を引き裂こうとしている。

 

右手が燃えるように熱い。左手が凍るように冷たい。

 

シルヴィアとカミラさんの拍が乱れている。手を握り合ったまま、二人とも苦しそうに顔を歪めている。

 

何が起きているのか、正確にはわからない。拍の同調がうまくいっていないことだけはわかる。

 

天井の崩落が近づいている。大きな石片が台座の数メートル先に落ちた。衝撃で床が揺れる。

 

時間がない。

 

だが、私に術の制御はできない。学院魔術も神聖術も、私の手に余る。

 

私にできるのは——

 

錨になること。

 

二人の間に立ち、二つの拍を繋ぐこと。

 

右手を律動の石から離し、シルヴィアの手を取った。

左手を静寂の石から離し、カミラさんの手を取った。

 

「二人とも」

 

シルヴィアが目を見開いた。カミラさんが息を呑んだ。

 

「私がいる。錨になる」

 

右手にシルヴィアの拍が流れ込む。鋭く、激しく、でも——温かい。

 

左手にカミラさんの拍が流れ込む。静かで、深くて、でも——震えている。

 

二つの拍が、私の身体を通って繋がった。

 

律動と静寂が、私の心臓を媒介にして、一つの流れになる。

 

錨を握りしめた。灰水晶が高く鳴った。

 

「合わせるな。二つのまま。二つの拍のまま、重ねるんだ」

 

自分でも何を言っているのかわからなかった。でも、身体が知っていた。

 

拍の三原則。合わせて、ずらして、離れる。

 

でもこれは、合わせて、ずらして——離れない。離れずに、二つのまま、重なる。

 

学院で教わったどの技法でもない。教会のどの祈りでもない。

 

ただの、冒険者の勘だ。

 

シルヴィアの拍が安定し始めた。カミラさんの拍が鎮まり始めた。

 

二人の手の力が、少しだけ強くなった。

 

三つの心臓が、それぞれのリズムを保ったまま、重なっていく。

 

台座が光った。

 

二つの石の間に、光の筋が走った。ほつれていた糸が、ようやく繋がった。

 

律動の石が脈打ち、静寂の石が鎮める。脈打ち、鎮め、脈打ち、鎮め。

 

二つの心臓が、一つのように動き始めた。

 

崩壊が——止まった。

 

天井の崩落が止まった。壁面の文字が安定した光を放ち始めた。空間全体の拍が、穏やかな波に変わっていく。

 

「……成功した」

 

シルヴィアの声が掠れていた。

 

「はい。……繋がりました」

 

カミラさんの声も震えていた。

 

私は二人の手を握ったまま、膝をついていた。全身が汗で濡れている。心臓が早鐘を打っている。

 

でも——

 

錨は持った。拍は安定している。

 

二つの石が、台座の上で静かに光っている。律動と静寂。交互に明滅しながら、一つの調和を奏でている。

 

三人の手が繋がったまま、しばらく誰も動かなかった。

 

動けなかったのだ。

 

拍を重ねた余韻が、まだ身体に残っていた。シルヴィアの鋭い拍も、カミラさんの深い静寂も、まだ私の手の中にある。

 

二人とも、何も言わなかった。

 

ただ、手を握る力だけが、静かに、確かに、伝わっていた。

 

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