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pixivで過去に公開したものです。


旧式と最新鋭

『それ』はある日の夜、妹の矢矧の一言から唐突に始まった。

「のしろ〜、いる〜?」

「阿賀野姉、能代姉は酒匂と一緒に長期遠征に行ったでしょ」

「あ、そういえばそうだった。じゃあ明日からのおやつは矢矧お願い!」

「駄目よ。阿賀野姉は明日から特訓してもらうから」

「え?」

「長良さんとだから」

「えぇ!?」

「2ヶ月やるから、よろしくね」

「えぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」

 

「おはよう阿賀野!ランニング行こっか!」

「……長良さん」

「ん?」

「まだみんな寝てる時間ですよ……」

「そうだね! じゃあ走ろっか!」

「…………」

 

 太陽が登り始めた空の下、まだ皆が目覚めていない静かな、でも見慣れた場所を二人で走っている。

 早朝の澄んだ空気が心地いい。こんな時間に起きてランニングなんてあり得ないと思ったけど、案外悪くないかも。長良さんと一緒じゃなければ。

 

「長良さ〜ん」

「なに?」

「ちょっと休みません?」

「駄目」

「もう1時間は走ってますよ〜」

「それくらい普通でしょ」

「長良さん足速いんですも〜ん」

「情けない事言わない! ほら! ペース落ちてるよ!」

 

 休ませる気など毛頭無いと言わんばかりに長良さんがペースを上げ始める。

 

(ひ〜〜……)

 

 特訓はまだ始まったばかりだ。

 

「よし! 朝の分はとりあえずこれで終わり」

「はい……」

 

 始まったばかりで私は既に息も絶え絶えだが隣の長良さんはまだまだ元気全開って感じだ。

 

「朝ご飯食べたら筋トレやるよ!」

「長良さん……」

「ん?」

「これ、矢矧に頼まれたんですか……」

「うん! 矢矧が阿賀野のことを鍛え直して欲しいって!」

「…………」

 

 やっぱりそうか。まぁ矢矧が唐突に言い出したあたりそうだろうなとは思っていたけど。

 

「鍛え直すのもそうだけど他には……」

「他には……何ですか?」

「…………」

「あの……長良さん?」

 

 私は長良さんの次の言葉を待つが、長良さんは押し黙ったまま神妙な顔つきで私を睨んでいる。なんだか少し気味が悪い。

 

「どうしたんですか……、って痛たたたたたたた!! いきなり何するんですか!!!」

 

 次の瞬間、長良さんがいきなり私のお腹をつねってくる。私は驚きと痛みのあまり、長良さんの腕を力任せに思いっきり跳ね除ける。

 

(え!? えぇ!? 何!? 怖い!)

 

 長良さんの突然の奇行に思考の糸がぐちゃぐちゃに絡まる。当の長良さんはさっきと変わらぬ神妙な面持ちのまま、私のお腹をつねった指を開いたり閉じたりしている。

 

(????? 何してんのあの人……)

 

 すると、長良さんがハッとした表情をした後、私の前に指を数センチ開いた手を突き出して。

 

「見て阿賀野!!お腹の肉がこんなにある!!!」

 

 そう大声で叫んだのであった。

 

「…………は?」

「肉」

「…………ハァ!? うそうそ! 絶対にうそ! そんなにないから!!」

「あったよ」

「無い無い! ぜ〜〜〜ったいに無い!! 盛ったでしょ!!」

「盛ってないよ……、わかった、そこまで言うならもう一回触って確かめ……」

「いやーーー!!! 触らないで!!!」

「そんな風に拒否しなくても……」

「しますよ!!!」

「え〜〜……、じゃあ自分で触ってみなよ」

「絶対に無いから! 絶対にそんなに無いから!!!」

 

(無いよね? 無いはず……)

 

 長良さんに背を向けて恐る恐る自分のお腹をつまんでみる。そして出来た指の幅を確認してみると、長良さんのときとほとんど同じくらいの幅になった。

 

(……いや、多分もうちょっとくらい狭かったはず、もうちょっと、ほんのちょっとくらい狭くしてもバレな……)

 

「やっぱり同じくらいだったね」

「やめて!!!」

 

 背後から投げかけられた無情な言葉に思わず声を荒げる。

 

「も〜〜〜!!! そういう長良さんはどうなんですか! そんなこと偉そうに言えるお腹してるんですか!」

「触ってみる?」

「え?」

「ほら」

 

 そう言って長良さんが上着をたくし上げて腹部を露わにする。その行動に一瞬私の思考と動きが止まる。

 別に触りたいなんて一言も言ってないし、触りたいとも思ってないのに、こんなことされても正直困る。

 

「じゃあ……失礼して……」

「ん」

 

 でもせっかくだから一応触っておく。

 

「あ……」

 

 言うだけあって、筋肉の上に薄い脂肪が乗った引き締まった体をしているのが触れたお腹から伝わってくる。

 何だろう、ちょっと触るだけだと思ったのになかなか離せない。だってこうやって他人のお腹を触ることなんてないし、後鍛えられてるお腹って触り心地が良いから触ってると何か、面白い。

 

「…………」

「……ちょ、くすぐったい」

「あ、すいません……」

「…………」

「…………」

「……そろそろしまって良い?」

「あ、はい、大丈夫です」

「…………」

「…………」

 

 何この空気。

 

「筋トレしよっか」

「はぁ〜い……」

 

 次の特訓は筋トレ。長良さんの筋トレと聞くだけで身構えてしまう。一体何をやらされるのか。

 

「じゃあまず腕立て伏せからね」

「どれくらいやるんですか?」

「最初だし、軽めに500回くらいで行こう」

「へぇ〜、50回」

「500回」

「以外と少ないですね、50回って」

「500回」

「長良さんのことだからいきなり100回くらいやれっていわれるのかと思いましたよ〜〜〜」

「500回」

「…………」

「…………」

「えー……」

「出来ないの?」

「出来ませんよ……」

「最新鋭なのに?」

「やります!」

「よしきたー! じゃあ500回スタート!」

 

 我ながら非常にに簡単に乗せられてるとは思うけど、こんなことを言われたら最新鋭としてやらない訳にはいかない。

 

「その調子だよ! 頑張って!」

 

 声がした方を向くと、いつのまにか長良さんが隣で腕立てをしている。それも私の倍以上のペースで上下に動いている。こんなに速く腕立てする人初めて見た。

「阿賀野、手止まってる」

「え? あ、はい!」

 

 長良さんの指摘に、慌てて腕立てを再開したがさっきの様な勢いは無くなっていた。

「よーし! 筋トレ終わり! どう? 阿賀野!」

「全身痛いです……」

「よし! じゃあ次行くよ!」

「何が『よし!』なんですか……」

 

 特訓はまだまだ始まったばっかりだ。

 

 

「じゃあ走り込みやろっか」

「朝やったじゃないですか……」

「あれは走り込みじゃなくてランニングだから」

「一緒じゃないですか」

「一緒じゃないよ」

「何が違うんですか」

「それはやってみれば分かるよ」 「…………」

 

 筋トレの疲れがまだ抜けない中、告げられた次の特訓は走り込み。長良さんが一緒じゃないと言ったということは、少なくとも朝のランニングよりは確実にキツイことがわかる。

 

「長良さ〜〜〜〜ん!!」

「……なに?」

「休ませてください!!」

「駄目、まだ始まったばっかり」

「限界です!!」

「そっか」

「…………」

「…………」

「ちょっと!?」

 

 確かに長良さんの言う通りやってみたら直ぐに分かった。私の必死な呼びかけを一蹴して長良さんは走り続ける。駄目だ、長良さんは当分私を休ませる気が無い。

 辛い。シンプルに辛い。ランニングのときより速いスピードで、それでいてランニングのときより長い時間走る。ただでさえ速い長良さんに追い付くために口から必死に酸素を取り込んで走り続ける。

 そんな私とは対照的に長良さんは余裕たっぷりの涼しい顔して走っている。やっぱりこの人色々おかしい。

 

「ゲホッ!! ゲホッ!!」

 

 永遠に続くかと思った時間が終わり、やっと水分補給の休憩を貰う。蛇口を思いっきり捻って水を飲んだせいで思わずむせてしまうがそれでも蛇口に喰らいつく様にして水を飲む。砂漠でオアシスを見つけた気分ってきっとこんな感じなんだろう

 

「阿賀野ちゃん、大丈夫?」

「那珂ちゃん!」

 

 振り返ると心配した表情を浮かべた友人が立っていた。

 

「何か今にも死にそうな顔して走ってたからさ……」

「あぁ……うん……」

「長良ちゃんと一緒なんて珍しいね、何かあったの?」

「実は……」

 

 

「あ〜……なるほど……矢矧ちゃんに頼まれてね〜……」

「もう朝からヘトヘトだよ〜……」

「能代ちゃんはどうしたの?何か言ってた?」

「それが能代はちょうど昨日から酒匂も連れて長期遠征に行っちゃって……」

「あー……それって……」

「何でこんなタイミングよく居なくなっちゃうのよ能代〜」

「…………」

「…………」

「あっ! もしかして! 私の特訓があるから長期遠征に!?」

「多分そうだと思うよ……」

「阿賀野、休憩終わりだよ」

「うわぁ!? 長良さんいつの間に!」

 

 突然会話に割って入ってきた声に驚いて振り返ると長良さんがいつの間にか私の背後に立っていた。

 

「長良さん! 能代と酒匂の遠征って長良さんが頼んだんですか!?」

「うん、そうだよ」

「あぁ……そんなあっさり……」

 

 思わず地面にへたり込む。まさかそんな所まで根回しされているとは夢にも思わなんだ。

 

「ほら阿賀野早く立つ! 走るよ!

「え〜……まだ走るんですか?」

「当然! まだ100周しか走ってないからね、あともう100周は最低でも走っておきたい」

「え〜……」

「出来ないの?」

「出来ませんよ……」

「最新鋭なのに?」

「きっらり〜ん☆ 平気ですよこれくらい!なんたって阿賀野は最新鋭なんだから!」

「よし、じゃあ200に増やそう」

 

 言うんじゃなかった。

 

「走り込み終わり! 阿賀野、今度は艤装使った特訓するからね」

「…………」

「阿賀野ちゃん大丈夫? 生きてる?」

 

 地面にうつ伏せで張り付いてる私を心配して声を掛けてくれる友人に返事することも出来ず、私はしばらくその場から動けなかった。

 

 

 

「え? これ全部やるんですか?」

「そうだよ、なるべく足を止めずに全部命中させてね、外したらもう一回最初からだから」

 

 海に出て最初の訓練は射撃訓練。海に浮かんだ慓的を射抜いていく、普段の訓練でもやっている標準的なメニューだ。しかし長良さんの特訓では少し違っていた。

 

「長良さん……」

「どうしたの?」

「多くないですか?」

「うん、多くしたから」

「配置もめちゃくちゃだし……」

「うん、めちゃくちゃにしたから」

「…………」

「的は動かないんだから深海悽艦に当てるより楽なはずだよ」

「いや流石にこれは……」

「できないの?」

「厳しいです……」

「最新鋭なのに?」

「その手には乗りませんから!」

「え〜……」

 

 長良さんが露骨に不満そうな顔をするが私だって同じ手に三回も引っ掛かったりしない。

「わかった、それじゃあまずお手本見せるよ」

「はい?」

「よく見てて」

「よく見ててって……うわ!?」

 

 冷たい海水が叩きつけられ、思わず顔を腕で覆い隠す。慌てて長良さんの方に目を向けるとめちゃくちゃな配置の標的を素早く、そして正確に、流れるように慓的を撃ち抜いていく。

 

「わ〜、すごい……」

 

 ある種のパフォーマンスのような長良さんの動きに思わず見入ってしまう。あっという間に慓的を全て撃ち抜き、長良さんが悠々と戻ってくる。

「いや〜、凄かったです長良さん……」

「そう? ありがとう。じゃあ阿賀野、今のやってみて」

「……え?」

 

 

「あ……」

「外れ。もう一回最初から」

 

 もう間もなく日が落ちるというのに、私は昼間と変わらず標的を撃ち抜くために走り回っていた。

 

「本当に出来るまでやるんですか〜?」

「当然! って言いたい所だけど、それじゃあ他の特訓が出来ないし明日のランニングの時間までかな」

「……はい?」

 

 この人今変なこと言わなかった? それって出来なかったら明日の朝までやるってこと?

 

「……え? それってもしその時までに出来なかったらどうするんですか?」

「ん? もちろんそのままランニングしてその日の特訓もするよ!その後にまた出来るまでやるよ!」

 

 この人今変なこと言わなかった? それはもう特訓ではないと思うんだけど。

 

「え〜、流石に冗談キツイですよ長良さ〜ん、ハッハッハ……」

「冗談じゃないよ」

「…………」

「冗談じゃない」

「…………!?」

 

 そう言った長良さんは今日一番真剣な表情をしていた。

 

「やった! やった! 今の! 今のはオッケーなんじゃないんですか!?」

「う〜ん……そうだね、まだ完璧じゃないけどとりあえずオッケーかな」

「やった!!!」

「じゃあ次は演習だね」

「え……?」

「一対一の奴ね」

 

 新手の拷問から逃れられた喜びも束の間、間髪入れずに次のメニューが来る。まだ特訓が続くという事実に思わず目眩がする。

 

「内容は大体いつもやってるのと一緒だから」

「やらなきゃ駄目ですか……?」

「うん」

「ですよね……」

 

 太陽の代わりに月明かりが照らす海の上で夜の演習が始まろうとしていた。

 

 

 

 私は長良さんに反撃の隙を与えないように休みなく雷撃と砲撃を浴びせる。そのおかげか、さっきから長良さんは回避に集中して攻撃をしてこない。

 

(今だ!)

 

 砲撃を避けている長良さんの軌道上に雷撃を放つ、放たれた魚雷はまるで吸い込まれる様に長良さんに向かっていく。そして、長良さんの元にたどり着いた魚雷が炸裂、激しい水飛沫を立てる。なんてことはなく、そのまま通り過ぎて行く。

 

(どうなってんのよこの人……)

 

 躱された。さっきからずっとこうだ。私は長良さんを沈めるくらいの勢いで攻撃をしているのにまったく長良さんを捕らえることが出来ずにいたずらに弾薬と燃料を消費していくだけで長良さんにかすり傷を付けることも出来ない

 

(どうなってるのよこの人〜〜〜!!)

 

 その事実が焦りと苛立ちを募らせ、いつの間にか攻撃が単調になっていた。その瞬間主砲を構え、弾き出さされた様な速さで長良さんが肉薄してきた。

 

「阿賀野、大丈夫? 立てる?」

「立てません……」

「手貸すよ」

「ありがとう……ございます……」

 

 長良さんの手に捕まって何とか起き上がる。演習は私の大敗で終わった。回避から攻撃に転じた長良さんにも私はまるでついていけず、苦し紛れの反撃も全て空振り。最後にはそれすら許されない一方的な攻撃を受け続け、耐えきれずに倒れた私はさっきまで仰向けで月を見上げていた。

 

「今日はこれで全部終わり、帰ろっか」

「はい……」

 

 私が何とか返事を絞り出すと、長良さんは私に肩を貸してゆっくりと鎮守府に向かって歩き出した。こんなのが後二ヶ月も続くと思うと今から憂鬱になってくる。

 

「それじゃあまた明日、よろしくお願いします」

 

 入渠を済ませて軽巡寮に戻った私は長良さんにそう言って別れを告げると、疲れを癒すため自分の部屋に戻って布団に潜り込んで眠りに落ちる。

 

「ちょっと待って」

「うわ!?」

「阿賀野はこっちだよ」

 

 筈だったのだが、不意に長良さんに手を掴まれて引き止められる。そして長良さんは私の部屋と反対の自分の部屋の方向を指差している。

 

「えっ でもそっちは長良さんの部屋……」

「……いや、阿賀野はこっちなの……」

「は?」

「いや〜……」

 

 全く噛み合わない会話と長良さんの歯切れの悪い反応に困惑する。そして嫌な予感もする。

 

「阿賀野姉、それは私が説明するわ」

「うわぁ!? 矢矧、いつの間に!?」

 

 唐突に聴こえた声に振り返ると、矢矧がそこに立っていた。

 

「阿賀野姉は特訓の間、長良さんと同じ部屋で過ごしてもらうから」

「……は?」

「阿賀野姉の布団とか着替えも移動させてあるから」

「……はぁ!?」

「ついでに阿賀野姉の部屋の掃除もできて良かった…… ってあら?」

 

 矢矧の話を聞き終わる前に長良さんの部屋に向かって猛然と走り出す。そして部屋のドアを勢いよく開けない。

 

「あっ!! 鍵掛かってる!?」

「今開けるから」

「あ、長良さんすいません」

「…………」

「…………」

 

 気を取り直してもう一度。私は長良さんの部屋のドアを勢いよく開いた。

 

「うわっ!! うわぁ〜〜〜〜!!!!」

 

 真っ先に目に入ったのは、部屋に鎮座している私の布団! 制服! 私服! 私物! つまり全部!! 小さな私の部屋が長良さんの部屋の中に作られていた。

 

「ちょっともう! 本当もう!! なにすんの!? 勝手にこんなことして良いと思ってるの !!」

「……ごめんなさい、私も少し非常識だと思ったの、でもこの機会を逃すと次はないと思ったから徹底的にやろうって……」

「戻してよ!!」

「今日はもう遅いし……」

 

 猛然と矢矧の元に戻ってきた私は、思わず矢矧の胸ぐらを掴んで抗議する。しかし、当の矢矧からは渋い反応しか返ってこない。

 

「ごめんね阿賀野、今日はもう遅いしこっちで我慢して?」

「ほら阿賀野姉、長良さんもそう言ってるし」

「ひい〜〜〜!!!」

 

 そして今現在、隣から微かに長良さんの寝息が聴こえてくる部屋で矢矧が持ってきた布団に私はくるまっている。

 まさか矢矧がここまでやってくるとは思わなかった。そして長良さんがこの条件にOKを出したこともにわかに信じられなかった。

 

「何で今更……」

 

 そう呟いて私は眠りに就いた。こうして、突如始まった私の長良さんとの特訓生活、その1日目が終わった。

 

 

「ほら阿賀野起きる! ランニング行くよ!」

「う〜ん……」

 

 そして、翌日から約二ヶ月間ある特訓生活の前半戦が始まった。

 

「阿賀野もっとペース上げて走る!」

「うげ〜……」

「情け無い声出さない! 走る!」

「えっ? あっ、はい!」

 

「500回終わりました〜……」

「じゃあ後200回追加、全部ね」

「えぇ〜……」

 

 基本的に初日の内容に沿って特訓は行われていった。

 

「……何か、昨日より標的の数が増えてません?」

「うん、増やしたから」

「…………」

 

「阿賀野、難しいことは何にもないよ、 頭の中の自分の動きと実際の動きの差異を小さくすること、それだけ出来れば十分だよ」

 

(そりゃそうかもしれないけど、そんな簡単に出来ることじゃないですよ……)

 

 しかし、あくまで基本的であって全く同じではない。

 

「阿賀野、鎮守府の近くに山があるよね?」

「はい……」

「あの山、頂上まで道がある程度整備されてて走りやすいんだよね」

「はぁ……」

「10往復を1セットとして……」

「…………」

 

 そして、その中で追加されていった物もある。

 

「まず開脚、そして体を床にぴったりつける」

「おぉ〜」

「じゃあ阿賀野やってみて」

「はい」

「まず開脚して〜」

「は〜い」

「開脚して〜」

「これ以上無理です……」

「180度開いて〜」

「いたたたたた!! やめてください!!」

 

 今やっている柔軟もその一つだ。 そして長良さんはさっきからずっとこうだ。力で無理矢理柔軟させようとするのはやめてください。

 

「今度は体を床につけて〜」

「はい……」

「もっとぴったりつけて〜」

「痛い痛い痛い!! やめてください!」

「あっごめん」

「も〜〜……」

「今度はゆっくりじゃなくて思いっきり押すから」

「やめてください!!!」

 

 私と長良さん以外も特訓に参加することもあった。

 

「阿賀野さん、よろしゅうな」

「よろしくね浦風ちゃん」

「阿賀野さん、本日はよろしくお願いします」

「よろしくね夕雲ちゃん」

 

 参加してくれたのは、私が旗艦を務めたこともある第十戦隊に所属してたことのある子達。主に十駆と十七駆を中心に色々な駆逐隊の子達と演習を行う。たまに那珂ちゃん様子を見に来ることもあった。

 演習の内容は主に私と長良さん、それぞれを旗艦とした水雷戦隊を編成しての戦闘。一対一の演習とは違う能力が要求される内容だが。

 

「やった! 勝った! 私達勝ったよ! ありがとうみんな〜!!」

「阿賀野さんの指揮が良かったおかげですよ」

「ちょっと喜び過ぎじゃないか?」

「みんなに抱きついてくる位じゃけぇ、よっぽど嬉しいんじゃな……」

「かなり鬱憤が溜まってるみたいだな……」

 

「勝った! やった! 勝ったよ私達! ありがとう! ありがとうみんな!」

「阿賀野さん苦しいです……」

「大袈裟ですよ阿賀野さん……」

「あれ? 風雲、もしかして阿賀野さんちょっと泣いてる?」

「あっ、本当だ。阿賀野さん泣いてる」

 

 意外にも、駆逐艦たちのおかげで一対一の時のような一方的な展開にはならなかった。それどころか勝つことも珍しくなかった。最初の内は。

 

「阿賀野さん! 魚雷が来とる!」

「えっ!? 嘘!? うわっ!?」

「阿賀野さーーーん!」

 

「敵が突撃してくる! みんな迎撃体制をとって……」

「阿賀野さん! もう長良さんが来てます!」

「嘘!? えっ!? うわっ!?」

「阿賀野さん!」

 

 演習の回数を重ねていくと段々と負けも増えてきた。長良さんが本気じゃなかったのか、それとも私のやり方に慣れてきたのか、またはその両方か。

 

「阿賀野さん! 長良さんが!」

「あーもう! またぁ!?」

 

 長良さんはいつも私のことを真っ先に狙って突っ込んでくる。そしてそれを振り切れずに押しきられて負けるのがパターンになってきてる。正直こんな単純な戦法に負けるのは凄く悔しい。しかもいつもそれで負けているから余計に悔しい。

 

「長良さん邪魔です退いてください!!」

「やだ!!」

「やだって何ですかやだって!!」

 

 そんな特訓の日々にも唯一楽しみがある。

 

「ちゃんと食べて体力つけないとね!」

「は〜い」

 

 意外にもこの特訓で食事の制限は無く、むしろ三食好きに食べて良いと言われた。不思議に思って聞いてみたことがあるが。

 

『大丈夫!接種カロリーより消費カロリーが多ければ問題なし!』

『う〜ん……、シンプル……』

『それともやって欲しい?』

『遠慮しまーす!』

 

 何てやり取りをした思い出がある。それに、私も好きに食べられるならそっちの方が絶対良いしね。

 だから私はお腹いっぱい食べた。そして走った。そして吐いた。そんなサイクルを何回か繰り返して、こっちの方が体力を使うと分かって今は食べる量を抑えている。抑えないといけなくなっている。

 

(……ひょっとしてここまで考えて制限しなかったの?)

 

 チラリと長良さんの方を見る。相変わらずの笑顔を見ると単なる偶然に思えるし、全部計算づくのようにも思える。駄目だ分からない、長良さんの真意が何も分からない。

 

「ごちそうさま、それじゃあ阿賀野、先に行って準備しといて」

「え? 先に準備って長良さんは……」

「ちょっと用事があって、少し時間がかかるから先に行ってて」

「……分かりました」

 

 食事を終えた長良さんはそう言って厨房に向かっていった。

 

(遅いな……)

 

 食事を終え、言われた通り先に艤装の準備をして1時間。未だに長良さんの影も形も見えない。

 

(厨房の方に行ってたよね……)

 

 流石に気になって様子を見に行く。厨房ということは何か料理を作っているんだろうか。でも殆どの人が昼食を食べ終わった後で1時間以上かけて一体何を?

 

「長良さ〜んいますか……、ってうわ何これ」

 

 厨房に入った私の目に最初に映ったのはうずたかいあんこの山だった。

 

「あ、阿賀野来てたんだ」

「何作ってるんですか?」

「ぼた餅。駆逐艦の子達に頼まれたのと、ついでに赤城さん達にも」

 

 塔の横からひょっこり長良さんが顔を出す。その手にはあんこともち米が握られていた。それを流れる様な動きでぼた餅に変えていく。

 

「よく作るんですか?ぼた餅」

「うん、結構みんなに作ったりしてるからね」

「へぇ〜……、でもこんなに作るの大変じゃないですか?」

「まあね、でもケーキとか言われない分まだマシだよ」

「え、長良さんケーキ作れるんですか?」

「うん、チョコケーキ」

「え!?長良さんチョコケーキ作れるんですか!?」

「作れるよ〜、これ言うとよく驚かれるけどね」

「うわぁ〜〜〜!!!」

「そんなに驚かれたことは無いかな……」

「……私だって……」

「ん?」

「私だって……エビ抜きのチャーハンとか……作れます……」

「急にどうしたの……エビ嫌いなの?」

 

 長良さんの料理事情に凄まじい衝撃と何故か敗北感を覚える。雷に打たれたような感覚ってこういうことをいうのか。

しかし、長良さんの料理事情のお陰で良いこともあった。

 

「赤城さんからお礼に水羊羹貰ったー!」

 

 具体的にはこんな感じ、文字通り美味しい目にありつけるからだ。しかもこういうことはこれだけで終わりじゃなかった。

 

「足柄さんがカツの味見してもらいたいってー!」

「長波ちゃんがおにぎり作りすぎたからお裾分けだってー!」

 

 この辺は料理事情と関係ない部分だけど美味しい物食べられたからどっちでも良いや。

 

「阿賀野! 阿賀野! これ! カレー! 比叡さんのカレー!食べてみて!食べてみて!」

「長良さん近い! 近いです!」

「あ、ごめん……食べてみて」

「はい……」

「…………」

「…………」

「美味しいです……」

「でしょ! でしょ! 美味しいでしょ! 美味しいでしょ!」

「ちょっ、近い、近いです……」

「良かった……本当に良かった……」

(あれ? 長良さん泣いてる?)

 

 何やら込み入った事情が見え隠れしたこともあったけど私はこれが特訓の中の楽しみの一つになっていた。

 

「磯風が料理の練習してるから、食べるの手伝って」

「は〜い!」

 

 そんな訳で今回も内心ワクワクして食堂に向かっていった。

 

「あ、矢矧」

「阿賀野姉……」

 

 そしてそこにはよく見知った妹の顔があった。

 

「長良さ〜ん、これ何ですか?」

「分かんない、矢矧分かる?」

「分かりません」

「えぇ……」

 

 味噌だか醤油だか分からない汁の中にうどんやら蕎麦やらパスタやらの麺と乱雑に切られた肉に野菜に漬物? 団子? が入ってる。一体何を作っているのか皆目検討つかないが恐る恐る一口食べてみる。

 

「味しない……」

「え、長良のは塩辛いけど……矢矧は?」

「私のは甘いです……」

「…………」

「…………」

「…………」

「とりあえず食べよう! せっかく作ってくれたんだから!」

 

 そう言って長良さんが麺を啜り始める。少しして矢矧がゆっくり口を付け始める。そんな二人の姿を見て私も少しずつ食べ始める。

「磯風―――!!! それは牛脂やないーーー!!! 石鹸じゃーーー!!!」

「磯風―――!!! フライパンが! フライパンが! 燃えて近づけないーーー!!!」

「磯風―――!!! 鍋がヤバイ!!! 鍋が光った!!! 今一瞬光った!!!」

「みんな静かにしてくれ!!! 集中出来ない!!!」

 

 しばらく三人共無言で食べ進めていると厨房の方がままならない状況になっているのが分かった。

 

「……様子見てくる」

 

 一足先に完食していた長良さんが厨房に向かって行く。

 

「ねぇ矢矧……」

「何?」

「矢矧も長良さんに頼まれたの?」

「そうよ」

「こういうのよくあるの?」

「まぁね」

「それも全部長良さんの頼み?」

「全部ではないけど、大体そうね」

「ふふっ」

「……何かおかしい?」

 

 矢矧が食べる手を止める。

 

「いや、ここ最近矢矧と話してないからさー、どう?そっちの方は?」

「……いつもと変わらないわよ、それより阿賀野姉は真面目にやってるの?」

「もちろんやってるわよー!当然じゃない!」

「まぁ長良さんもいるんだし当然ね」

「……矢矧って長良さんと仲良いよね、普段の訓練や演習も一緒にいること多いし」

「長良さんは十戦隊の初代旗艦でいくつもの海戦を経験してる人だもの、尊敬してるし、後輩として学ばせてもらうことはいっぱいあるわ」

「なるほどね〜……」

「そもそも、阿賀野姉がサボり過ぎなのよ、直接の後輩なのに」

「え〜……だって別に決まりがある訳じゃないし……」

「決まりがあるないじゃなくて、同じ戦隊の先輩なんだから、そっちから学んだ方が良いでしょ」

「いや〜……」

 

 まずい、 完全に藪蛇だ。久しぶりの妹との会話を楽しもうとしたら妹に説教される流れになって来てる。

 

「阿賀野姉だけよ? 姉妹の中で長良さんのこと避けてるの」

「いや〜…………」

 

 私と那珂ちゃん、能代と神通さん、矢矧と大和さん、酒匂と長門さんみたいに艦娘は船だったころの縁は普通の人より重要度がちょっとだけ高い。だってそれが艦娘を艦娘たらしめてる物の一つだから。

 そして阿賀野型はみんな長良さんと大なり小なり縁がある。能代は過去に二水戦のバトンを受け取った縁で、酒匂は書類上だけど旗艦を務めた十一水戦の前任者としての縁で、妹たちは長良さんに好意的だ。特に矢矧は気が合うのかよく指導してもらってるらしい。

 

「阿賀野姉の性格じゃあ長良さんのこと苦手になるの分かるけど、ずっと避けてるのは失礼だと思うわ」

「……確かにそうだけどさ、長良さんも阿賀野のこと良く思ってないと思うんだ……」

「え? 何? 声が小さくてよく聞こえな……」

 

ボン!!!

 

「わっ! 何!? 爆発!?」

「…………」

 

 厨房の方から何かが爆発したような音が響いてくる。思わずそちらの方に顔を向けると一瞬の静寂の後、長良さんが戻ってくる。

 

「……二人ともごめん、厨房の掃除手伝って……」

 

 戻って来た長良さんは身体中に黄色と白の何かが付着していた。その異様な姿に呆気にとられていると、隣の矢矧が口を開く。

「何があったんですか?」

「磯風がゆで卵を爆発させちゃってさ……掃除しないといけないから、今日の料理練習は終わり」

「そういうことでしたか……」

「そういう訳で二人とも手伝ってくれる?」

「手伝います」

「あ、私も手伝います」

 

 爆発の正体はゆで卵だったらしい。それで厨房がぐちゃぐちゃになって今日の料理練習は中止、と。

 

「いつもこんな感じ何ですか?」

「まぁね〜、でも磯風も成長したよね」

「そうですね」

「え?」

「前は何作っても炭になってたからね〜」

「そうですね……」

「へぇ〜……」

「そういえば阿賀野姉、さっき何て言ってたの?」

「え?」

「ほら、さっき声が小さくて聞き取れなかったから」

「……何でもない」

「ん? 阿賀野何か言ってたの?」

「何でもないです!」

 

 二人の問い掛けを半ば切り捨てるようにして厨房に向かう。卵が弾けた厨房の掃除を終えた後いつも通りの特訓をしてその日は終わった。

 

 

 

 

 海上を滑る長良さんに砲撃を放つ。続けて砲撃から逃げ回る長良さんに雷撃は放つ。放たれた雷撃は長良さんの元で炸裂せずに通り過ぎていく。雷撃を回避した軌道上にまた砲撃を放つ、一瞬減速することで砲撃を回避し攻撃に転じようとした長良さんに砲撃と同時に放っていた雷撃が炸裂する。

 

(当たった!!)

 

 しかしそんな喜びも束の間、長良さんが苛烈な攻撃を私に浴びせてくる。その攻撃を必死に回避しつつ反撃のチャンスを伺う。特訓が始まって今日で一ヶ月。私は確実に成長していた。

「今日の演習はこれで終わりだね」

「はい……」

 

 月明かりが照らす海の上で静かに演習終了の宣言が出される。お互いに大破状態でこれ以上は戦うことができなくなっていた。演習で長良さんを大破させたのは今日が初めてだった。

 

「帰ろっか」

「そうですね……」

 

 緊張と集中が切れたのか大破状態で歩いてくる長良さんにあまり現実味を感じない。その場で長良さんをぼんやりと目で追ってしまう。

 

「よく頑張った。成長したね阿賀野」

 

 気がつくと私の近くにいた長良さんが心なしかいつもより明るい笑顔でそう言った。

 

 

(……眠れない)

 

 布団から起き上がる。体は疲労困憊のはずなのに頭が冴えてなかなか寝付くことができない。こんなことは特訓が始まってから初めてだ。

 

「長良さ〜ん、起きてます?」

「…………」

「長良さん?」

「…………」

「もう寝てる……」

 

 隣の長良さんに話しかけてみても帰ってくるのは微かな寝息だけ。そもそも長良さんに何で話しかけたんだろ? そういえば同じ部屋で眠るのは初日だけだった筈なのに今日も同じ部屋で眠っている。

 ふと眠っている長良さんの顔を覗き込む。何でそんなことを? 綺麗な姿勢に静かな寝息、昼間のエネルギーが有り余ってる姿が嘘のようだ。その姿が何だか面白くて、ついまじまじと見つめてしまう。

 

(こうやって見ると……)

 

 そうして長良さんの顔を見ているとあることに気がついた。

 

(結構幼い顔してるんだな……)

 

 改めて見る長良さんの顔はどこかあどけなさがあって、他の軽巡と比べても幼い印象があった。

 

「…………」

 

 長良さんの頬に手を伸ばす。下ろした髪とうっすら見える鉢巻の日焼け後がより一層あどけなさを強調している

 

「……何?」

 

 もう少しで頬に触れるというところでパチッという音が聞こえそうなくらい長良さんの目がハッキリと開かれる。

 

「……うわぁ!」

「何? どうしたの? トイレ? トイレ一緒に行って欲しいの?」

「トイレじゃないです……」

 

 寝ぼけ眼をこすって長良さんが起き上がる。

 

「どうしたの?」

「いや、眠れなくて……」

「そっか……じゃあ子守唄?」

「いや子守唄もいいです……」

「本当? 大丈夫?」

「大丈夫です……起こしてごめんなさい」

「寝ないと明日辛いよ……」

「はい……」

 

 そう言って長良さんが布団をかぶって横になると再び静かな寝息が聞こえてくる。

 子守唄って何? 歌うの? 長良さんが? っていうかトイレだったり子守唄だったり長良さんの中で私って一体何?

 

「寝よう……」

 

 長良さんに背を向ける姿勢でこの日の私は眠りに就いた。

 

 

 

 次の日からの後半一ヶ月は早かった。一月の特訓で慣れてきたのか成長したおかげかそれともその両方か、特訓の内容は段々と厳しくなっている筈なのに最初の頃ほど厳しさを感じなくなっていた。演習を除いてだけど。

 

(気持ち悪い……)

 

 後半の演習は前半と違い、どちらかが大破しても終わらない。演習での大破は出撃と違いあくまで『判定』であって実際に大破している訳ではない。だから理論上燃料と弾薬がある限りいつまでも演習することができる。

 今現在十戦目、疲れと集中力の維持でさっきから気分が悪い。弾薬が尽きたせいで逃げ回るしかなくなっている状態でも長良さんは攻撃の手を緩めてくれない。

 

「次行くよ!」

「……はい!!!」

 

 また燃料と弾薬を補給して次の演習に移る。吐き気に加えて頭痛までしてきた。一瞬でも気を抜けばそのまま倒れてしまいそうな中でも演習を続ける。

 

(あ、マズイ……)

 

 身体に力が入らなくなってきた。プツンと緊張と集中が切れて、疲れがダムの決壊の様に吹き出してくる。思わず体勢が崩れると同時に長良さんの動きが、いや周囲がスローモーションに見えてくる。スローモーションで向かってくる長良さんの砲撃をどこか他人事のように私は眺めていた。

 

「阿賀野〜、ランニング行くよ〜」

「…………」

 

 そうして気がつくと朝になっている。そのせいでまるで昨日のことが夢の中の出来事だと錯覚してしまいそうになる。

 

「先に行ってるからね」

「はい……」

 

 だけどそれはあくまで錯覚でしかなく、現実の時間は確実に過ぎていき、もう三週間が経っていた。

 

「阿賀野姉、大丈夫?」

「あれ? 能代帰ってたの?」

 

 特訓も残り一週間になった早朝、入渠をして昨日の汗を流し終わった私の前には長期遠征に行っていた筈の能代が立っていた。

 どうやら遠征は一週間ほどで終わっていて、特訓に集中させるためと私が泣きつきに行かないようにと帰ってきたことは隠していたらしい。本当は特訓が終わるまで隠している予定だったのだが、心配で様子を見に来たみたいだ。

 

「阿賀野姉、最近フラフラしてるから……」

「あー……大丈夫よ」

「本当?」

「ほんとほんと、能代の方こそどう?」

「こっちは変わりないけど……」

「そっか、なら良かった」

「……本当に大丈夫?」

「大丈夫だって! 最初はびっくりしたし辛かったけど何とかなってるからさ!」

「確かにね、長良さんずっと断ってたのに引き受けたって聞いたときは私もびっくりしちゃった」

「……え? 能代それどういうこと?」

「ん? 特訓のこと? それなら長良さん、矢矧の頼み今までずっと断ってたのにいい加減折れたのか、引き受けたって言うから……」

「……へぇ……」

「そろそろ戻るね、長良さんに見つかると怒られるから」

「うん……じゃあね……」

 

 そう言い残してそそくさと去っていく能代の背中を見つめる。

 

「…………」

 

 痺れを切らした長良さんがやって来るまで私はその場に立ち尽くしていた。

 それから一週間、特訓もとうとう最終日を迎えた。最終日の特訓は演習のみ。長良さんそんなことをするってことはこれまでで一番厳しい演習になる。そう身構えて挑んだ。

 

「参った」

「え?」

「降参、長良の負け」

 

 しかし、最終日の演習は驚くほどアッサリと終わった。

 

「お疲れ様、2カ月よく頑張ったね!」

「……本当にこれで終わりなんですか?30分くらいしか経ってないと思うんですけど……」

「うん、もうこれ以上は必要ないよ」

 

 鎮守府に戻り、艤装も外した長良さんにそう告げられる。呆気なさ過ぎて本当に終わったのか未だに信じられない。

 

「阿賀野の荷物、部屋に戻さないとね」

「……長良さん」

「……なに?」

「少し……話がしたいんですけど……」

「……いいよ」

 

 いつものランニングコースを二人でゆっくりと歩く。ちょうど半分くらいの所で足を止め、長良さんに向き合う。

 

「話って何?」

「……長良さんが今回の特訓をやろうと思った理由です」

「え? それは矢矧に頼まれたからって前に……」

「それ以外です」

「…………!」

「それ以外にも理由があるんじゃないんですか?何回も断ってたってことは」

「……誰から聞いたの?」

「能代からです」

「なるほどね……」

 

 長良さんが俯く。少しして、困った様な、悲しんでる様な笑顔を浮かべて。

 

「聞きたい?」

 

 そう一言だけ。返事は決まってる。

 

「聞きたいです」

「……そっか」

 

 長良さんがまた俯く。しばらくして、長良さんがポツリと呟く様に話始める。

 

「そうだね……強いて言えば……もう一回阿賀野と特訓したくなったから……かな?」

「……はい?」

「ほら、阿賀野と特訓したのって着任したての頃に少しやっただけでしょ?」

「……そうですね」

 

 着任当初、まだ妹達がいなかった頃、私は長良さんと短い間だったけど一緒に行動していた時期があった。出撃、遠征、訓練、演習と大体のことは長良さんから教わっていた。そのときの長良さんは今と変わらずうんざりするくらい快活だった。そして今と違って鬼気迫る雰囲気が常にあった。

 

「今だから言えるけどさ……阿賀野が着任したとき、長良嬉しかったんだ」

「……え?」

 

 そんな長良さんに付いて行けなくて、一ヶ月も経たない内に私は音を上げていた。長良さんが私と一緒に行動しなくなったのはその直後のことだった。

 『他の人からも習った方がいい』という理由だったけど、そのときの突き放すような態度と言い方に直ぐに建前だと分かった。でも当時の私はそんなことどうでも良かった。それどころか解放されたと内心喜んでいた。私は長良さんの体育会系なところが苦手だったし、長良さんも私の性格に腹を立てていた、距離を置いた方がお互いにとっても良いとその時は思ったんだ。

 

「だって阿賀野は旧式の長良と違って最新鋭でしょ?なら長良より、いや、軽巡の中でもずっと優秀な艦になれると思ったからさ」

「そんなこと……」

「それに初めて阿賀野のこと見たとき、やっぱり最新鋭はかっこいいな、って長良は思ったよ」

「か、かっこいい……?」

 

 そんなことはまるで夢か幻だったかのように肯定的な言葉が今長良さんの口から紡がれていく。いつもの私ならきっと得意満面になってそこらを跳ね回っていただろう。だが今の私の心には困惑と言い様のないむず痒さに支配されていた。

 

「どうしてそこまで言えるんですか?」

「え?」

「だって私は……阿賀野は長良さんが言うほどの存在じゃないです……昔も今も」

「……どうしてそう思うの?」

「私は大したこと出来ないまま沈んでしまったので……」

「…………」

「でも長良さんは私と違って多くの戦果を挙げた人じゃないですか。矢矧も言ってましたよ? 『長良さんはいくつもの海戦を経験してる人だから』って、私なんていつも矢矧に怒られてますしねー……」

「……阿賀野」

「だから何で私のことそこまで言えるのかなー……って、訓練にも全然付いていけなかったのに……」

「そっか……そんな風に思ってたんだ……」

 

 そこまで言った後に後悔の念が沸々と湧いてくる。柄でも無いから隠しておきたかった感情を、よりにもよって長良さんに話してしまうなんて。

 

「……でもね阿賀野、経験が多いってことはそれだけ見送ってきた人や守れなかった人も多いんだ……」

「……あ」

「それが凄く悔しくてさ、悔しくて悔しくて、どれだけ悔しんでもどうにもならないのが本当に悔しくて……」

「…………」

「だから自分で自分を鍛えられるのが凄く嬉しかったんだ。もちろん鍛えたりするのが好きっていうのもあるけど、最初の切っ掛けはそうだった」

「すいません……」

「気にしないで」

 

 しかし長良さんの言葉についさっきまで私の心を支配していた感情が溶けるように消えていく。

 

「……でもあのときの長良さんはとても嬉しそうに見えなかったです……」

「そうだね、確かにあのときは阿賀野の性格に腹立ててたこともあったよ、阿賀野のことも苦手だった」

「うっ……」

「でもあのときはね、長良焦ってたんだ」

「え?」

「いつ沈んでも良いようにって思ってた。だから後輩の阿賀野になるべく多く受け継いで貰いたかったんだよ」

「…………」

「当時は自覚して無かったけどね」

 そこから先は、私は何も喋れなかった。

 

「それであのときは必要以上に苛ついちゃってさ、阿賀野もそんな長良のこと嫌ってたみたいだし、結局少し訓練しただけであんな突き放すようなことしちゃってさ……」

「でもそれで良かったと思ってる。だって阿賀野は今此処に居るでしょ?いくつもの海域に出撃して艦娘としての責務を立派に果たして」

「阿賀野は長良なんて居なくたってへっちゃらなんだよ。だから今更長良の特訓なんて必要無いと思って矢矧からの頼みも断ってたんだ」

「でも矢矧に説得されてる内に最後にもう1回だけ……先輩みたいなことしてみたくなったんだ」

 

 長良さんから紡がれた言葉の一つ一つを受けとめるので精一杯だったからだ。

 

「……でも今回の特訓で阿賀野が成長できたみたいで本当に良かった……これで少しは先輩らしいことが出来たかな? 何て」

「…………」

 

 受けとめた長良さんの言葉が私の中で反響して大きくなっていく。

 

「……長良さん……私は……」

 

 それに耐え切れず思わず口から言葉が漏れる。

 

「阿賀野さん! 長良さん!」

 

 だがそれ以上私が言葉を紡ぐことは無かった。振り返ると浜風ちゃんが立っていた。

 

「出撃です!!」

 

 

 

 

 

 旗艦を長良さんとして、私と十七駆と十駆の子達で編成された水雷戦隊が海上を駆ける。遠征部隊が襲撃された。そう短く伝えられ、遠征部隊の保護と敵部隊の迎撃の任務を言い渡される。

 

「2時の方向に遠征部隊を発見! 偵察機での敵水上艦は確認できない! 引き続き対潜、対空警戒を怠らないで!」

 

 長良さんの報告から数分後、遠征部隊と無事合流する。大破した三隻を中波した二隻が庇いつつ航行していた。遠征部隊の護衛を十駆の子達に任せて私達は敵部隊の迎撃に向かう。

 

 「ふぅー……」

 

 何とか自分を落ち着かせようと息を吐き出す。突如、敵水上部隊の奇襲を受けた遠征部隊は初撃でほぼ半壊、旗艦の那珂ちゃん以外は戦闘不能の状態まで追い込まれてしまった。そして、そんな遠征部隊を逃がす為に那珂ちゃんは一人、殿を買って出た。

 

「阿賀野、不安?」

「……不安です」

「大丈夫、那珂ちゃんが強い[[rb:艦> ふね]]なのは阿賀野良く知ってるでしょ?」

「確かにそうですけど……」

「それに遠征部隊と合流したとき偵察機も潜水艦も見つからなかった。大破して碌な速度で航行できない状態で追撃も容易な筈なのに奴等は偵察機を飛ばす事すらしなかった」

「あ……」

「沈んでる可能性は低いよ」

 

 その言葉に不安で失っていた平静さを取り戻す。そうだ、仮に那珂ちゃんが既に沈んでいたとしたらボロボロで航行速度も遅い遠征部隊を追撃しない理由が無い。深海棲艦の性質を考えれば尚更だ。

 

「! 偵察機より入電! 5時の方向に敵艦隊を発見! 編成は戦艦1重巡2軽巡1駆逐1の計5隻! 軽巡那珂と交戦中!」

 

 直後、長良さんの偵察機が敵艦隊を捉える。交戦中、その報告に那珂ちゃんが沈んでいないことが確認できる。たが交戦中と言っても応戦出来ずに逃げ回っているのが実情だろう。以前として予断は許されない状況だ。

 

「後10秒で有効射程距離に入るよ!」

 

 長良さんが叫ぶ。視線の先には予想通り敵艦隊から大破状態のまま逃げ回る那珂ちゃんがいた。

 

「……8!……7!」

 

 カウントダウンが始まる。体の緊張が一層強まり、心臓の鼓動が速くなる。

 

「……6!……5!」

 

 艤装を強く握りしめ、呼吸を整える。

 

「……4!……3!」

 

今一度敵艦隊を見据え、重巡の一隻に狙いを定める。

 

「……2!……1!」

 

 残り一秒。その瞬間の出来事だった。その重巡が私達に視線を向けたのは。

 

「撃てーーーーー!!!」

 

 その叫びと共に艦隊の全員が一斉に艤装の引き金を引く。私達の砲撃に敵艦隊の駆逐艦が大破、軽巡が小破、戦艦と重巡の内一隻は命中を確認するも有効な効果は認められない。そして残り一隻、私が狙いを定めた重巡は回避に成功していた。

 

「っ……!」

 

 私達の奇襲に一瞬早く気づいて回避行動に入っていたせいで敵艦隊に思ったほどの打撃を与えることが出来ずに歯噛みする。すると視界の端にガクンと崩れ落ちる那珂ちゃんが見える。

 那珂ちゃんは海面に座り込んだままその場から動かない。しかしそれ以上沈んでいく兆候もない。損傷が激しく、動くこともままならないが沈むようなダメージは受けていないようだ。

 

「阿賀野、戦艦は長良が潰すから残り頼むよ」

 

 そう言って長良さんが先行する。敵艦隊の砲雷撃の隙間を正確に縫ってあっという間に敵戦艦に肉薄する。 敵戦艦が振り払うように長良さんに砲撃を繰り返すがまるで捉えられていない。それどころか敵戦艦の砲撃の隙に合わせて長良さんの砲雷撃が突き刺さる。少し前の私を見てるようで何だか妙な気分になる。

 

「……そこだ!」

 

 敵戦艦の援護に入ろうとした敵重巡に放った砲撃が着弾する。その重巡が残りの艦を率いて反転、こちらに向かってくる。

 

「迎撃するよ!!」

「はい!!」

 

 駆逐艦の子達の声が重なる。その声を合図に私はまた敵艦隊にもう一度、砲撃を放った。

 

「……あれ?」

 

 戦闘が始まって直ぐに妙な違和感を感じる。敵の動きがよく見える。自分の艤装も自分の体も今まで以上に思い通りに動かせる。それに頭も冴えてる。不必要な雑念が削ぎ落とされ思考がクリアになっているのが分かる。だが少しだけ嫌な予感がした。

 

「……後少し!」

 

 敵駆逐艦が私の砲撃で沈むと同時に駆逐艦の子達の雷撃が敵軽巡を沈める。残るは重巡リ級とネ級の二隻。既に中破状態のリ級に狙いを定め、雷撃を放つ。雷撃を回避したリ級に駆逐艦の砲撃が着弾してリ級の足が止まる。

 その一瞬生じた隙を見計らってリ級に再度砲撃と雷撃を放つ。回避行動を取れずにそのまま着弾したリ級が大きく体勢を崩した次の瞬間、リ級の足元で雷撃が炸裂し、水柱が立つ。水柱が消えるのとほぼ同時にリ級が海面下へと消えていく。完全に沈んだのを確認し、残ったネ級に狙いを定める。

 

「全艦回避行動!!」

 

 しかし突如聞こえてきた長良さんの叫びに反射的に回避行動に入る。直後、ネ級の背後からいくつもの砲撃が飛んできて周囲に水柱が立つ。

 

「嘘!? 増援!?」

 

 いつの間にかリ級エリート二隻、ツ級一隻、イ級後期型が三隻の重巡二隻、軽巡一隻、駆逐三隻、計六隻の敵増援部隊がネ級を守る様に取り囲んでいる。

 

「あのネ級が旗艦だったみたいだね」

「長良さん! 戦艦は?」

「大丈夫、ちゃんと沈めたよ。こっちの損害も少ないしこのまま全艦で迎撃するよ!」

「はい!!」

 

 合流したほぼ無傷の長良さんの一声で私も含めた全員が再び迎撃態勢を取る。まさか増援部隊まで来るなんて、しかし奇襲によって受けた損傷は全員小破以下だ。大丈夫、絶対に勝ってみんなで帰れる。

 

(……何か変)

 

 ネ級を含めた敵増援部隊がさっきからずっと消極的だ。回避に集中してるのか、それとも逃げる機会を伺っているのか分からないどっちつかずな動きを繰り返している。と思ったら牽制にもならない様な攻撃をしてくる。更なる増援が来るまでの時間稼ぎをしているのだろうか? だとしたらこっちもウカウカしていられない。

 

「阿賀野、敵は何か企んでるよ、注意して」

「もちろんです!」

 

次の瞬間、敵増援部隊がまるで奇声を上げてのたうち回っている様な滅茶苦茶な動きで狂った様に攻撃を放ってくる。敵のあまりの豹変に最初は不可解な動きで油断させて虚をつく作戦なのだと思った。

 

「……違う!」

 

だが文字通り滅茶苦茶な、まるで撃つこと自体が目的である様な攻撃に、敵の目論見が何か別にあると分かった。しかしそれが具体的にどんな目論見なのかは検討がつかない。落ち着いて回避行動をしつつ敵を観察するとある重大なことに気づいた。

 

「ネ級がいない!」

「阿賀野! 三時の方向! 走れ!!!」

 

 私と長良さんの叫びはほぼ同時だった。戦闘から離脱してネ級を追う。さっきからの不可解な行動はこのタイミングを計っていたのか。

 まずい、ネ級が逃げた先には戦闘不能で動けない那珂ちゃんがいる。ネ級の目的はいくつか予測ができるけど、そんなことはどうでもいいとにかく奴を那珂ちゃんに近づけさせちゃ駄目だ。

 

(追いついた!)

 

 並走するところまで追いつくとネ級がこちらを一瞥して砲撃を放ってくる。その砲撃を蛇行して回避しつつこちらも応戦する。

 直後、ネ級がまた回避に集中した消極的な動きを取り始める。この先にいる那珂ちゃんが敵の有効射程距離に入る前に最低でも無力化しなくてはいけないのに、というこちらの考えを読んでの行動だろう。

悔しいがその読みは当たっている。那珂ちゃんを沈められたら私達の負けなのに状況は変わらないまま時間だけが過ぎていく。

 

「こうなったら……!」

 

 蛇行をやめて速度を上げて真っ直ぐにネ級を追い越すとネ級の攻撃がピタリと止む。敵も恐らく私のやろうとしていることが分かっているのだろう。

 限界まで速度を上げて充分な距離引き離した私はそのまま回り込み足を止める。ネ級と正面から対峙する、那珂ちゃんが直ぐ後ろ、私が盾になれる位置に。

 

「阿賀野ちゃん!」

「那珂ちゃん! 遠征の駆逐艦の子達は無事だよ! 増援が来たけどそれも長良さん達が抑えてる! 後は……」

 

 瞬間、衝撃と爆風が私の体に叩きつけられる。足を止めた私を狙ったネ級の砲撃だった。

 

「阿賀野ちゃん!!!」

「……大丈夫! 後は阿賀野があんな奴やっつけちゃうんだからーーー!!!」

 

 左足を半歩後ろに思いっきり踏みしめて崩れかけた体勢を整えて吠える。これで私は敵の攻撃を正面から受け止めなくちゃいけない形になった。ネ級は上手くいったとばかりに薄く笑っていたがそんなことはどうでもいい、ここであいつ倒してみんなで帰る。ただそれだけ。

 

「痛っ……!」

 

 ネ級の一撃に耐え切れずまた体勢が崩れそうになるのを歯を食いしばり、さっきより更に強く踏みしめることで何とか踏み止まる。

 

「こんのぉ〜〜〜!!!」

 

 負けじと三発の砲撃を敵に返す。その三発が着弾すると流石に耐え切れないのかネ級も苦悶の声を漏らす。

 

「阿賀野ちゃんそれ以上は無茶だよ!! もう持たない!!」

「大丈夫! 阿賀野は最新鋭だもん! これくらい全然へっちゃらなんだから!!!」

 裂傷と熱傷、流れる血液と一緒に自分の意識もどこかに流れ落ちそうになるのを叫びで押さえつける。ネ級との砲雷撃戦、いや我慢比べは悔しいが今はネ級の優勢だ。あんなことを思いっきり叫んどいてなんだけど、このままじゃ先に倒れるのは私の方だ。

 だけどネ級はさっきまでと違って回避行動をしてこない。もし更なる増援がいるなら、こいつの今までの行動から考えて増援が来るまで逃げ回る筈、それをしないってことはもう敵の増援は無い。つまりこいつは今、追い詰められている。

 

「それにこっからが踏ん張りどころだもん! 言ったでしょ! やっつけるって!」

「阿賀野ちゃん……」

 

 集中するんだ限界まで、さっきより速く、正確に敵に有効打を撃ち込む。大丈夫、私になら出来る。なんてったって最新鋭だもん。それに、なにより。

 

「阿賀野は成長したんだからーーー!!!」

 

 その叫びと共に再び我慢比べが始まる。私の砲撃で仰け反ったネ級の砲身が明後日の方向に曲がる。仰け反る直前に放たれていたネ級の雷撃が私の足元で炸裂する、その衝撃に体勢がガクンと横に傾き照準がズレる。

 倒れるギリギリのところで踏み止まり、体勢を立て直し放った私の雷撃がネ級の足元で炸裂するし、奴の装甲を破壊するとネ級は背中から倒れかける。宙に浮いた足を後ろに引いて重心を低くして倒れるのを阻止したネ級はお返しと言わんばかりに砲撃を放ってくる。その砲撃は私の艤装をひしゃげさせ、意識を闇に叩き落とそうとしてくる。

 時間にすれば一分にも満たない時間だろう。しかしその僅かな時間の撃ち合いでも損傷は甚大だ。足と手が震えて上手く相手を狙えない、全身に力を込めないともう立つことも出来ないだろう。だけどそれは恐らくネ級も同じ、私を睨みつけたままその場から一歩も動かず攻撃もしないまま既に十数秒は経っている。

 限界なんだ、お互いに、だからこそ次の一撃は相手より早くかつ確実に命中させなくてはならない。もう殆ど言うことを聞いてくれない体に鞭を打って照準が合うタイミングをお互いに探り合う。

 

「当たれ!」

 

 先に動いたのは私の方だった。ネ級に向けて撃った砲撃はそのまま真っ直ぐに進み、着弾して爆ぜることなく、ネ級の横を掠めるように通り過ぎると遥か後方で水柱をあげた。

 

「あ……」

 

 ネ級が見下した様に笑う、そしてガチャン、と奴の艤装に弾が装填された音が響くとネ級の砲身が私に向かってピタリと止まる。再びネ級に照準を合わせ様とするが震える手はそれをなかなか許してくれなない。

 私が次弾を撃つより早く放たれた砲撃は横を掠めることなく着弾した。そして砲撃の衝撃で体勢が大きく崩れ、装填されていた砲弾は明後日の方向に飛んでいく。もう間違いない。

 

 私達の勝ちだ。

 

「阿賀野!!!」

 

 私の名前を叫ぶ声が聞こえてきた瞬間、震えが止まり照準はネ級を完璧に捉える。艤装の引き金を引き、放たれた砲撃は吸い込まれる様に体勢を崩したネ級に向かって行く。轟音とが響き、爆煙が立ち上る。そしてネ級は糸の切れた人形の様にその場に倒れ、海中に消えていった。

 

「やった……」

 

 そうポツリと呟くと私も糸の切れた人形の様にその場に倒れた。

 

「阿賀野ちゃん!!!」

 

直ぐ後ろにいるはずの那珂ちゃんの声が妙に遠く感じる。まぶたも重くなって、意識が薄れてくる。闇の中に沈んでいく意識に段々と閉じていく目が最後に映したのは私より早くネ級に砲撃を着弾させ、私の名前を叫んだ、長良さんが駆け寄ってくる姿だった。

 

 

 

 体が揺れている。波の揺れじゃない。少し意識が戻ってきた、まるで泥の中から這い出てきた気分だ。重たくてしょうがないまぶたを開くと海面と白いニーソックスを履いた足が規則的に目に映る。目を右隣に向けると今度は長良さんの横顔が映る。口が動いているのを見ると多分駆逐艦の子達に何か指示を出しているんだろうけど声は聞こえなかった。

これはひょっとしたら夢なのかもしれない。だけど夢にしてはリアリティがある、しかし現実とは思えない懐かしい感覚があった。今私は夢を見ているのか、それとも現実にいるのか、それが明らかになる前に私の意識はまた泥の中に沈んでいった。

 

 

 

 次に意識が戻ったのは鎮守府の入渠ドッグにあるベットの上、艦娘の多くが経験したであろう目の覚まし方だった。

 

「あ、起きた?」

 

 長良さんの声が聞こえる。声の方に顔を向けると、リンゴを剥いている長良さんがそこにいた。

 

「作戦は成功。那珂ちゃんは無事だよ、もちろん長良達も」

「那珂ちゃんは一足先に入渠してるよ、そろそろ全快したんじゃないかな?」

「みんな心配してたよ、那珂ちゃんも駆逐艦の子達も阿賀野型の子達もみーんな阿賀野の様子見に来てベットの周りがぎゅうぎゅう詰めになってたくらいだもん」

「あ、後那珂ちゃんがお礼言いたがってたからちゃんと受け取ってあげなよ」

 

 作戦の成否と私が眠っている間にあったことを淡々と長良さんは報告する。その姿を私はただ黙って眺めていた。

 

「それじゃあ明石さん呼んでくるから、リンゴ食べて待ってて」

「待って下さい、長良さん」

 

 剥き終わったリンゴをお皿の上に置いて明石さんを呼んでこようと立ち上がった長良さんを呼び止める。

 

「どうしたの?」

「話したいことがあるんです、いいですか?」

「……いいよ」

 

 立ち上がった長良さんが再びベットの横の椅子に座り直す。

 

「話したいことって?」

「長良さん……私は……阿賀野は長良さんのこと、ずっと羨ましいって思ってました」

「…………!」

 

 いつもの笑顔だった長良さんが驚嘆の表情に変わるが私はゆっくりと言葉を続ける。

 

「……私、長良さんのことが今までずっと苦手でした。で、それはお互いの性格が違い過ぎるせいだと思ってました」

「でも分かったんです。そんなこと些細なことで、本当の原因は別にあるって……」

「いくつもの海戦や作戦に参加して、たくさんの戦果を挙げて、みんなを守って助けて、旗艦として多くの船を率いてきた長良さんが、私には非の打ち所がない完璧な存在に見えてたんだと思います」

「だから長良さんといると何もできなかった昔の自分とか、長良さんについていけない自分とか、そんなところが浮き彫りになって、それが辛くて……嫌だったんだと思います……」

「そのことが分からなかったからずっと長良さんに対して漠然とした嫌な感情が渦巻いてて……」

 

 何も喋らない長良さんに対して、私は話を続ける。

 

「でも長良さんが鍛える理由を聞いて、私が見てた長良さんは思い込みからできた幻だって分かったんです」

「……過去に後悔の無い艦娘なんていないって、少し考えれば分かるはずなのに、長良さんは違うと勝手に勘違いしちゃって、勝手に嫌な気分になって、馬鹿みたいですよね……」

 

 そう言うと今まで押し黙っていた長良さんが口を開く。

「そうかな?長良はそうは思わないけど」

「……どうしてですか?」

「だって長良も阿賀野のこと過去のことなんてこれっぽっちも気にしてないと思ってたもん」

「うっ……」

「でもね阿賀野、過去のこと気にしすぎちゃ駄目だよ」

「……え?でも……」

「確かに艦娘にとって過去っていうのは自分を保つ縁だよ。艦娘である以上過去から離れられないし、離れちゃいけないと思う」

「そうです……だから……」

「でもさ、それって自分を保つものであって自分を縛るものじゃないと思うんだ」

「…………!」

「もちろんそんな簡単じゃないけどね。過去に苦しめられて、過去に生かされて、過去から力を貰うのが艦娘だからね」

「…………」

「だけど今ここ、この鎮守府にみんな居る。誰も沈んでない。それだけで理由は十分だと思うんだ」

「……そうですね」

「……これは阿賀野が教えてくれたんだよ」

「はい……?」

 

 またも長良さんが突飛なことを言い始める。教えた?私が?長良さんに?

 

「ほら、阿賀野が着任したての頃焦ってたって言ったでしょ?あれ今思えば、いつ沈むか分からないから焦ってたんだと思う」

「だからお気楽で緊張感のない阿賀野に腹を立ててた。でも誰も沈まずいくつもの海域を超えて、艦娘の仲間が増えていく内に焦りも怒りもいつの間にか消えてた」

「そんな時に相変わらずの阿賀野を見たらさ、『あぁ、長良は自分の過去に縛られてたんだな』って分かったんだ」

 困惑が言い知れぬむず痒さに変わる。

 

「ねぇ阿賀野、阿賀野は強い[[rb:艦 > ふね]]で強い艦娘だよ。今回の特訓を通して尚更そう思った。阿賀野自身はあまりそう思ってないみたいだけど少なくとも長良は思ってる」

「だからさ阿賀野、過去に縛られないでよ。今回の出撃だって阿賀野は那珂ちゃんのことを守り切ったんだから」

「……かっこよかったよ最新鋭、頑張ったね阿賀野」

 

 むず痒いと思っていたら今度は顔が熱くなって何故だが目が潤んでくる。そして不思議と胸がスッとしていた。

 

「ありがとうございます……長良さん……」

「……うん」

 

 その会話を最後に凪いだ海面のような静寂が私達を包む。きっと本当は言うべきことがもっとたくさんあるんだろう。だけど今の私にはこの言葉しか出てこなかった。

 

「阿賀野ちゃん!大丈夫!?」

「那珂ちゃん!」

 

 少しして、一足先に傷を癒していた友人がその静寂の空間に波紋を立てる。

 

「それじゃ、そろそろ行くね」

 

 そう言って長良さんが立ち上がり出口へ向かうと、小走りでこちらへ向かってくる友人とすれ違う。

 

「長良ちゃん、明石さんを……」

「うん、今から呼んでくる」

「報告は……」

「長良がやっておく、だからその辺は気にしなくて大丈夫」

 すれ違いざまに那珂ちゃんと短い会話をして、長良さんはそのままドックから姿を消した。

 その後の那珂ちゃんとの会話は最初の内は出撃のお礼だったりちょっとかしこまったものだったけど、すぐにいつもの他愛のない会話になった。

 しばらくして能代と酒匂、少し遅れて矢矧が来た。酒匂は純粋に喜んでくれて、能代と矢矧は喜びよりも安堵の方が大きくみえた。能代達が来たすぐ後に今回一緒に出撃した十駆と十七駆の子達も私の様子を見に来てくれた。それぞれ反応は違うけど、みんな私を心配して来てくれたみたい。

 そうして私のベッドの周りに人だかりが出来た頃、明石さんがその人だかりをかき分けて私の前に現れた。 改めて明石さんに検査してもらったところ特に問題も無いようなのでそのまま入渠して傷を癒す。そして傷が完全に治った頃にはみんな眠っている時間だった。

 軽巡寮の自分の、いや、長良さんの部屋に戻ると空っぽの布団の隣で長良さんがしずかに寝息をたてている。起こさないようにゆっくりとした足どりで自分の布団に潜り込む。

 

「……お休みなさい」

 

 そう一言、きっと長良さんには聞こえてないだろう一言を言って私は特訓最終日を終えたのだった。

 

 

「お別れだねー」

「そうですね」

「といっても部屋変わるだけなんだけどね」

 

 翌日、ほとんどの荷物の移動が終わって残るは僅かな手荷物だけになった私はもういつでも自分の部屋に戻れる状態だ。

 

「長良さん、特訓……ありがとうございました」

「どういたしまして。これからはいきなり特訓させられたりしないようにするんだよ」

「はは……」

「じゃあね」

「! あの!」

「? どうしたの?」

 

 短い別れの言葉と共にドアを閉め始めた長良さんを慌てて呼び止める。呼び止められた長良さんはドアノブから手を離して目線を私に向ける。

 

「最後にお願いがあって……良いですか……?」

「……もちろんいいよ」

「ありがとうございます……」

「お願いって?」

「長良さん……私……その……楽しかったです」

「え?」

「だから……たまにでいいので……また一緒に走ったりとか……したいなー……なんて……良いですか……?」

 

恐らく夢にも思っていなかっただろう私の言葉に長良さんは目を丸くしてキョトンとしていた。しかしそれも束の間、長良さんはキョトンとした表情から一転、あどけない心の底から喜びに満ちた笑顔に変わっていく。

 

「うん!もちろん!いつでも待ってるよ!」

 

 そして、弾んだ声で私の願いを聞き入れてくれた長良さんを見て、私も自然と笑みをこぼしていた。

 

「ありがとうございます……」

 

 こうして、私の突如始まった二ヶ月の特訓は幕を閉じたのだった。

 

 

 

「のしろ〜、いる〜?」

「阿賀野姉、どうしたの?」

「あっ、のしろ〜そこのお菓子とって〜」

「え?阿賀野姉からの方が近いんじゃ……」

「だってほら、手伸ばしただけじゃ届かな〜い」

「なにそれ……はい」

「ありがとう〜のしろ大好きよ!」

「ちょっと能代姉やめて!」

 

 特訓が終わって一週間、私はすっかり今までの日常に戻っていた。

 

「せっかく特訓してもらったのに……阿賀野姉どうして……」

「え〜……いくら特訓したからって別人みたいにシャキッとなったらそれはそれで気持ち悪いじゃない。ねぇ能代」

「……確かにずっとシャキッとしてる阿賀野姉って想像出来ないけど……」

「ほらー、能代もそう言ってるよ矢矧〜」

「……能代姉が甘いのよ」

 

 内容に差異はあれどこんな感じの、何回繰り返したか分からないやり取りに余計戻って来たことを実感する。

 

「ぴゃー、でも阿賀野姉前と少し変わったと思うよ」

「え〜そう?じゃあ酒匂は阿賀野のどこが変わったと思う?」

「ぴゃん、阿賀野姉前よりかっこよくなったと酒匂は思う!」

「ふふーん、そうでしょ!阿賀野ったらただでさえ最新鋭でかっこいいのに更に磨きがかかっちゃったんだから!」

「ぴゃー!阿賀野姉かっこいい!」

 

 私と酒匂のやり取りを見て、苦笑してる能代と腑に落ちないという矢矧の顔。こんな光景も何回見たか分からない。

 

「……誰か来た」

 

 ポツリと矢矧が呟いてドアの方へ向かう。能代に聞くと私と酒匂は騒いでて気づかなかったみたいだけどノックの音がしてたみたい。そんな光景も私達にとっては見慣れた日常だ。だけど殆ど変わらない日常で少しだけ変わったこともある。

 

「あ、矢矧、阿賀野居る?」

「長良さん」

「今度の演習のことで話したいんだけど……」

「は〜い、阿賀野はここに居ますよ〜」

 

 その一つがこれだ。長良さんに呼ばれて私はドアの方へ向かって行く。

 

「演習ですか?」

「そう、駆逐艦の子達も交えてやるから向こうで話したいんだ」

「わかりました〜、じゃあそういう訳だからちょっと行ってくるね〜」

 

 妹達に手を振って長良さんと一緒に他愛もない会話をしつつ歩いていく。少しして後ろを振り返ると矢矧がまだ部屋の前に立っていたので小さく手を振ると、矢矧も小さく手を振り返していた。

 

「矢矧、阿賀野姉ちょっと変わったね」

「……そうね」

「特訓してもらった甲斐があったね」

「……そうね」

「『かっこいいお姉ちゃんが見たかっただけなんだよね〜』」

「…………」

「長良さんにそう言われて矢矧が一番恥ずかしがってたからね〜、そのせいで矢矧だけ遅れたんだし」

「……私は長女としてネームシップとしてもっとしっかりして貰いたかっただけ……」

「でもそういう気持ちが全く無いわけじゃないんでしょ?」

「……やめて能代姉……」

「ぴゃー、酒匂はかっこいい阿賀野姉も大好きだよ。矢矧ちゃんは違うの?」

「……酒匂もやめて……」

「ふふっ……、でも矢矧、これで良かったんでしょ?」

「……そうね」

 

 

 翌日、まだみんなが眠っている時間に目が覚めた。

 聞こえてくるのは鳥の鳴き声だけ、生活音が一切しない早朝の寮の廊下を私は一人歩いていた。

 

「おはようございます長良さん」

「おはよう阿賀野」

 

 寮を出ると準備運動をしている長良さんがそこにはいた。

 

「走り込みしよっか」

「はい」

 

 太陽が登り始めた空の下、まだ皆が目覚めていない静かな、でも見慣れた場所を二人で走っている。

 

「長良さ〜ん……」

「何?」

「……何でもないです」

「ハハッ、何それ」

「えへへ……」

 

 早朝の澄んだ空気が心地いい。こんな時間に起きてランニングなんてあり得ないと思ったけど、案外悪くない。長良さんと一緒に走っているとそう思えた。

 


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