とても長い間眠っていた気がする。今自分はどうなっているんだ? 耳をすますと波の音が聴こえてくる。錆びついたのかと錯覚するほどに重い目蓋を開くと自分が誰かに背負われているのが分かった。
「お、目が覚めたみたいだね」
目蓋を開いて最初に視界に飛び込んできたのはあたし、長波を背負って海上を歩く、長良の笑った顔だった。
「敵艦隊はきっちり全員撃破してあるよ。みんなとはぐれちゃったけど大丈夫、帰れるよ」
「長良……」
霞がかった記憶を呼び起こしてみる。確か深海棲艦の動きが活発になっていると報告があったのが一週間前。そして複数の海域に敵の潜水艦が集結してるのが観測されたのが昨日。
そうだ、その潜水艦を叩くのがあたし達の任務だった。だけどあたし達を待ち構えていたのは、姫級を含んだ、報告にない強力な敵艦隊だった。
思い出してきた。直後、あたし達は撤退戦に入った。しかし敵艦隊の攻撃にあたし達の損傷は広がっていくばかり、遂に艦隊を分断されるまでになった。分断されたあたしと長良はしばらく逃げ回っていたが迎撃しない限り撤退は不可能と判断し、追撃してきた敵艦隊と戦闘になった。
幸い、なのかは分からないけどあたし達を追撃してきた敵艦は駆逐艦二隻と重巡一隻の計三隻。少数での追撃だった。恐らく重巡一隻あれば負傷した軽巡と駆逐艦一隻を沈めるのに十分だと判断したんだろう。
だがあたし達だってそんな甘い判断で簡単に沈んでやるほど柔じゃない。敵駆逐艦を一隻沈め、もう一隻の駆逐艦にも十分な打撃を与えたところであたしは敵重巡の雷撃を受け、意識を失った。
「……長良が倒したのか? 1人で……」
「うん、何とかね」
「……ごめんな……」
「へーきへーき。それに長波ちゃんが頑張ってくれたから1人でも何とかなったんだもん」
明るい口調とは裏腹に、長良の足取りはいつもの軽やかさが嘘のように遅い。よく見ると一歩踏み出す度に足が震えているのが分かる。
「長良……もう自分で歩けるから……大丈夫だ……」
「いーからいーから。無理しないで素直に背負われてなって!」
「でもっ……!」
そこまで言ったところで突如ガクン、という衝撃と共に視線が落ちる。
「……あれ? ……変だな……足が……」
海面に両膝を付いている長良が呟く。
「……ごめんね……長波ちゃん……上手く立てないや……ハハッ……」
「長良!」
背から降りて崩れ落ちそうになった長良を抱き止める。限界だ。長良は立って歩くのもままならないほどのダメージを受けている。
「これ以上進むのは無理だ!救援が来るのを待とう!」
「そうだね……、じゃあ長良から離れて……」
「え?」
「周囲の警戒をしないと……」
「……分かった」
手を離すと支えを失った長良が仰向けに倒れる。
「長良!?」
「……ごめん、さっきから身体が言うこと全然聞いてくれないや……、でも大丈夫、周囲の警戒くらいなら出来るから……」
長良が起き上がろうとするが身体を支える手が震えているのが見える。
「……ッ!」
ソナーを取り出し周囲の潜水艦を探る。ソナーに反応は無く、今のところ周囲に潜水艦はいないようだ。その事実にひとまず胸をなで下ろす。
「長良、警戒はあたしがやる。長良は休んでてくれ」
「…………そうだね……そっちの方が良いかもね……、頼んだよ……」
消え入りそうな声でそう言うと、長良は再び仰向けになり眠るように目を閉じる。
「…………」
長良のダメージが思っていたより深刻だ。今の長良は警戒も応戦も出来ない完全に無防備な状態だ。だけど今のあたしじゃあ長良を曳舟することも出来ない。
今は不気味なほどに静かだが深海棲艦の活動が活発になっているという事実は変わらない以上、時間はあたし達の味方ではない。いつ敵艦や敵艦載機が現れてもおかしくないこの状況が長く続くのはそれだけ自らを危険に晒しているのと同じだ。
「立ち往生か……」
しかしここから動くことも出来ない。さっきの戦闘で通信機も破壊された今のあたし達に出来ることは敵に捕捉されないことを祈ることと、一刻も早く救援が来るのを祈ることだけだ。
救援要請を受け海域に向かい敵水上艦を殲滅、出撃していた駆逐艦達と合流したのが少し前の出来事。
いつもならこれで目的は達成。駆逐艦達を護衛しつつそのまま帰投するのだが今回は交戦中にはぐれた二人の捜索もする必要がある。
艦隊の一部は駆逐艦達の護衛をしつつ帰投。残った私達ははぐれた二人の捜索をするようにしたのがつい先刻の出来事。
「赤城さん、見つかりましたか?」
「……駄目ですね、加賀さんの方は?」
「……見つかりません、この辺りにはいないみたいです」
抜けるような晴天の中を飛ぶ艦上偵察機、彩雲から見えるのは何もない海面だけ、はぐれた二人どころか活発になっているはずの敵艦の気配すらない、不気味なほど静かな海だった。
「そっちはどうですか? 何か反応は?」
「……ソナー、電探、共に反応無し。ここには私達しかいないみたいです」
「そうですか……」
私の問いかけに阿賀野さんが答える。ソナーと電探にも反応がないとなると本当にこの周囲には敵潜水艦も敵水上艦も敵艦載機も無いのだろう。
「先に進みましょう」
まるで嵐の前の静けさのような嫌な静かさが逆に不安を掻き立てる。
ソナーに反応はなく、グルっと周囲を見渡しても動くものは波だけ。日が傾き、抜けるように青かった空が朱を帯び始めている。そんな中であたしと長良は依然としてその場から動けずにいた。
「他のみんなは無事かな……」
「無事だよ」
「! 長良!」
ポツリと呟いた一人言に思わぬ返事が返ってくる。
「起きてたのか」
「ついさっきね」
目を閉じる前と違い、多少は回復したようだ。しかし仰向けのまま動こうとしないところを見ると気休め程度の回復だろう。
「大丈夫、みんな無事に帰れてるよ」
「……何でそこまで言い切れるんだ?」
「長良達と違って他のみんなは鎮守府の方に真っ直ぐ逃げていったからね。その分早く救援部隊と合流出来ると思うから」
「……だと良いけど……な……」
「……どうしたの?」
「…………」
ソナーに反応がある。潜水艦だ。ゆっくりとこちらに近づいてきてる。
「……潜水艦?」
「……ああ」
「数は?」
「4……いや3隻」
「爆雷はどれくらいある?」
「……2つしかない。長良は?」
「3つ……、いやごめん……1つだけ……」
「そうか……」
危惧していたことが起こってしまった。しかし敵潜水艦が今ある爆雷で対応できるレベルなのは不幸中の幸いだ。長良と合わせて爆雷がちょうど三つある。これなら敵の雷撃より早く爆雷を食らわせれば良い。
「…………」
出来るのか? 一つの爆雷で確実に一隻沈める。失敗すれば長良もあたしも無事じゃ済まない。
「……長波ちゃん、そんなに気負わなくて良いよ」
「え?」
「失敗したら逃げれば良い。その間の時間は長良が稼ぐから」
「……!」
「大丈夫、当たらなくても相手に向かって撃ってるだけでそれなりに気が引けるもんだよ」
「……ふざけんなよ」
「え?」
「そんなこと言われて逃げる訳無いだろ!」
「…………」
「次そんなふざけたこと言ったらブン殴るからな!」
(最高に頭に来た。何でこういうときにそんなことが言えるんだ!)
だけどその怒りのおかげか俄然やる気が湧いてきた。必ず成功させて二人共無事に鎮守府に戻る。そう強く決意するほどに。
(見つからない……)
相変わらず彩雲から見えるのは何もない海上のみ。もう日が傾いているというのに救助対象の影も形も見えない状況に焦りが生まれる。
「阿賀野さん、ソナーに反応は?」
「大丈夫、もう反応は無い。舞風ちゃん達のおかげだよ」
海上には何も無いが海中にはいるようで、少し前から敵潜水艦が姿を現わすようになってきた。その事実が今度は焦りを加速させる。
「この辺りにも居ませんね。先に進みましょう」
「赤城さん、それなんですがこれ以上進むのは無理かもしれません」
「……どうしてですか加賀さん」
「……鎮守府から連絡がありました『捜索を打ち切って戻ってこい』と」
「!」
「敵の大規模な艦隊がこちらに向かっているそうです。このままいけば夜にはその敵艦隊と鉢合わせになる可能性が高いとも」
「…………」
「恐らく敵潜水艦の数も増えてくるかと思います」
なるほど、さっきから姿を現すようになった潜水艦は敵の偵察部隊という訳か。
「探しましょう」
「! 阿賀野さん……!」
「日が落ちるまでまだ時間があります。潜水艦なら私達が対応出来ます」
「確かにそうですが……」
「それに……ここで捜索を打ち切れば……長良さん達は……もう……」
「…………」
阿賀野さんの言う通り、ここで捜索を打ち切れば彼女たちが助かる可能性はかなり低くなる。いや、ここで助けられなければ彼女達は沈む。そう考えて良いだろう。
「……1つ、不可解なことがあります。加賀さん、それは本当に『鎮守府』からの連絡なんですか?」
「大本営の意向だそうです……」
やはりそうか、いかにも大本営らしい判断だ『空母を危険に晒すくらいなら軽巡と駆逐艦なんて見捨てろ』なんて。普段の『鎮守府』なら今の私と同じ判断をしただろう。
「捜索を続けます。急ぎましょう」
「分かりました」
その会話を最後に艦隊が動きだす。一刻も早く、二人を見つけて戻らないと。
緩慢な動きで近づいて来た敵潜水艦はさっきから雷撃の射程外ギリギリの位置であたし達の周囲をグルグルと旋回している。いつでも対応できる距離を保ちつつあたし達に抵抗する力があるか見極めようとしているのだろう。
(こいつら……)
だけどこの位置なら爆雷が届く。だが届くだけだ。一回しかチャンスは無い以上、確実に爆雷を命中させるためにはもう少し敵を引きつける必要がある。だがこれ以上近づかれればあたし達はもう奴らの射程の範囲内。敵雷撃の命中率がグンと上がる範囲だ。
(やっぱりここから命中させるしかない。集中しろ。チャンスは最初の一回だけ、確実に決めるんだ。)
周囲を旋回している敵潜水艦の一隻に向かって爆雷を一つ投射する。ちゃぷん、と静かに爆雷が海中に沈んでいくとくぐもった音を立て、僅かに海面が盛り上がりソナーから反応が一つ消える。
「よし……!」
一か八かの賭けだった。確実に当たる距離じゃない以上、外す可能性を孕んでいた。だが当たった。当ててやった。
(! 動き出した!)
残りの敵艦が旋回を止めてこちらに真っ直ぐ向かって来る。好都合だ。近づいて来るなら尚更爆雷を当てやすくなる。
「今だ!」
残り二つの爆雷を投射すると一つ目と同じように海中に沈み、そして一つ目と同じような音を立てて、海面を僅かに押し上げた。
数秒後、ソナーから全ての反応が完全に消える。
「良かった……」
思わず安堵の声が漏れる。だがそうやって安堵出来るのもほんの一瞬だけだ。敵潜水艦を迎撃してもあたし達はいつ来るか分からない味方の助けを待つことしかできない状況なのは変わっていない。
「日が……」
後数時間もしないうちに太陽は水平線の向こう側へ消えていくだろう。夜になれば助けが来る可能性は更に低くなる。また敵艦と接触しない保証も何処にもない。状況はむしろ悪くなっている。
「やったね、長波ちゃん」
「長良……」
そんな状況に似つかわしくない、いつもの明るい長良の声に何故か少しだけ安心する。
「爆雷3発で3隻きっちり沈めるなんて五十鈴くらいしか出来てるの見たことないよ。見惚れちゃったよ」
「言い過ぎだって……それに命中させられたのも運が良かった…………だ……け…………」
「長波ちゃん……?」
だが状況はそんな一時の安心も許してくれない。そんな、まさか、嘘だろ、何かの間違いじゃないのか?
「……どうしたの?」
「…………」
ソナーに反応がある。確かに一隻、敵潜水艦がここにいる。しかもさっきの三隻とは違うエリート級の奴が。
「……潜水艦?」
「……ああ……、何で1隻だけ……」
「多分隠れてたんじゃない? 他の3隻に偵察させて自分は音を立てずにじっと身を潜めていた」
「…………」
「で、沈めた爆雷の数からしてもう対抗手段が無いと見て出てきた。こんなところじゃない?」
さっきと変わらない声の調子で分析する長良に今度は苛立ちが募っていく。
「何でそんな呑気なんだよ! もう爆雷は無い……ん……だぞ……」
そう言ったあたしの目の前には長良の手の上に乗った二つの爆雷があった。
「……爆雷は1つだけだった筈だろ?」
「ごめんね」
「何であんな嘘ついた?」
「半端な数の方が失敗する確率が高いと思ってさ」
「馬鹿……」
「でも現に成功したでしょ?」
「そういう問題じゃ……」
そうあたしが言い切る前に敵の雷撃があたしの側面を掠めていく。
「!?」
「……どうやら長良達が動けないと思って、爆雷の届かないところから撃って来てるみたいだね」
「くっそ……!」
こんな戦法を取ってくるってことは敵はかなり余裕があるみたいだ。どうする? 敵艦はあたし達に命中するまで一ミリだって近づいて来ないだろう。そうなるとあたしから近づいていって爆雷を投射しなくちゃならない。
「この距離からだと少し近づかないと届かないかな。長波ちゃん、近づける?」
「……難しいな。あたしも大破状態でスピードが出ない。近づいても良い的になるだけだ」
「大丈夫だよ。それに関しては考えがある」
「どんな考えだ?」
「教えられない」
「はぁ!?」
「ごめんね、でも成功する確率は高いと思う。1つだけ約束してくれれば」
「……約束って何だよ」
「『敵を沈めるまで何があっても絶対に後ろを振り返らないし、足も止めない』約束できる?」
「……どうだろうな、爆雷の数を誤魔化す上に作戦の内容も言わない奴と約束何て出来るかな」
「それは……その……ごめん……」
「……でもこの状況じゃあ他の手段を考える時間が無いのも確かだ」
「…………」
「……約束するよ、長良」
「……ありがとう、長波ちゃん」
口では否定してみても結局長良の考えに乗るしかない状況だ。それがまるで長良の手の上で転がされてるみたいで余計に腹立たしい。
「あたしはただ近づけばいいんだろ?」
「うん」
「じゃあ行くぞ!」
長良の手にある爆雷を引ったくってあたしは走り出した。
「赤城さん……これ以上は……」
「……加賀さん……もう少しだけ……」
後数時間もすれば太陽が沈み夜が来る。なのに彩雲も電探も何も反応を返してくれない。残酷なまでに穏やかな海に私達は焦燥感を更に募らせる。
「しかし時間が……」
「…………」
いや、もうそんな段階はとっくに過ぎている。鎮守府に戻る時間を考えればもう一刻の猶予もない今、私達は決断しなくてはならない。
「……私達が絶対に守り切ります….…だから……捜索を……」
阿賀野さんが恐る恐る捜索の継続を提言する。私『達』ということはこれは駆逐艦の、四駆の子達の意志でもあるのだろう。だが捜索の継続は実質的に不可能だ。
わざわざ大本営から連絡が来るような大規模な敵艦隊だ。十中八九、連合艦隊を編成しなければ攻略出来ない。今の編成でそんな艦隊と夜に接触すれば全滅したって不思議ではない。つまり私達は『探している二人だけ沈める』または『探している二人と一緒に全員沈む』の二択を迫られている。
「……これ以上は私達も危険です…………捜索はここで打ち切ります!」
「そんな……!」
阿賀野さんの縋るような声に思わず爪が食い込むほどに拳を握りこむ。認めたくないがもう私達にはどうすることも出来ない。
「……こうするしかありません……阿賀野さんだって分かっているでしょう?」
「それは……」
そう、彼女達もそれは分かっている。二人を助けることは出来ないし、二人が助からないことも。でも、だからこそ、言わずにはいられなかったのだろう。どれだけ非現実的でも『まだ可能性はある』と。
「帰投します。周囲の警戒を怠らないでください」
そう言って反転しようとした瞬間だった。
「! 待ってください赤城さん!」
「……加賀さん……どうしたんですか?」
「偵察機が10時の方向に水柱を確認しました!誰かの砲撃です!」
「!」
止まっていた状況が一気に動き出したのは。
「赤城さん!」
「10時の方向に向かいます!急いで!」
瞬間、艦隊が一斉に指し示した方向へ走り出した。水柱が上がった場所に二人がいるという、一縷の望みを託して。
あたしが走り出し直後のことだった。砲撃の音と爆風があたしの背中を押したのは。
瞬間、長良の作戦の内容が理解できた。何で教えられなかったのかも何であんな約束したのかも。
「ばっっっかやろーーー!!!」
その叫びと共に一瞬動きの止まった敵潜水艦に爆雷を投射する。爆雷は相変わらず静かに海中に消えていくそしてくぐもった音を立てるとソナーから反応が消えていった。
「長良! しっかりしろ!」
あたしの呼びかけに抱き抱えた長良は浅い息を繰り返すだけで答えようとしない。いや、答えられないのだろう。
(何が『成功する可能性は高い』だよ! とんでもないことしやがって!)
さっき長良は自分自身を撃った。大破状態での更なるダメージであのとき長良は一瞬だけ、いわゆる仮死状態のような『限りなく轟沈に近い状態』になっていたのだろう。そんな突飛で不可解な行動と状況に敵潜水艦は一瞬動きが止まったのだろう。
「……長……波……ちゃん…………潜水艦…………は……?」
「大丈夫だ!ちゃんと沈めた!」
「…………」
「長良! しっかりしろ! おい!」
艦娘の身体は沈むとき異常に重くなる。例え戦艦が何隻いようと、駆逐艦一隻も支えることが出来ない程に。
抱き抱えた長良の身体が少しずつだが重くなっていっている。沈む兆候だ。しかしこの状態なら鎮守府に戻って適切な修理を受ければまだ回復が間に合う。だが状況がそれを許してくれない。このままいけば例え敵と接触しなくても長良は確実に沈む。
既に長良はもうあたしの力じゃ一センチだって持ち上がらないほど重くなっている。そしてその重さは少しずつだが確実に増して行っている。
「……長波……ちゃん……もう逃げて……長良のことは……もういいから……」
「何言ってんだよ!? そんなこと出来る訳ないだろ!?」
「でも……このままじゃ……長波ちゃんも……」
「…………」
長良の言う通りこのままここに留まっていれば遅かれ早かれあたしも沈むだろう。だけどあたし一人で逃げるなんてことは絶対に出来ない。
「……なぁ長良、昔のこと覚えてるか?」
「昔のこと?」
「あたしのこと曳舟してくれたときのこと」
「……あぁ、艦だったときの……覚えてたんだ……」
「覚えてるに決まってんだろ! ……あのとき長良は命がけであたしのことを助けてくれた!」
「…………」
「今度はあたしが助ける番だ!!!」
長良を曳舟するしかない。一ミリでも鎮守府に近づける。それしか方法がない。
「長良! 今からあたしが曳舟する! 何とか踏ん張って……」
「……長波……ちゃん……」
「! どうした!?」
あたしの呼びかけに長良は何も答えず、空中を指差す。指差した先にあったものを見て、思わず笑みがこぼれる。何度も何度も、もはや網膜に焼き付いているそれを見間違える筈が無い。
「彩雲だ……! 長良! 助かるぞ!」
うんざりするほど静かだった海に、待ち望んでいた救援部隊の存在が確認できて自分でも驚くほどに声が弾んでいるのが分かる。
「……そうだね……これで……助かるね……」
「ああ! もう少しだ! もう少し踏ん張れ!」
「……ありがとう、長波ちゃん……」
「お礼は無事に戻ってから言え! とにかく今は……」
「……ごめんね」
バシャン、という音と水しぶきと共に、抱き抱えていた長良と一緒に海面に叩きつけられる。
「…………え?」
長良が一気に重量を増したかと思えば、みるみるうちに沈み始め、あっという間に下半身が海に浸かってしまった。
「……長良?」
長良は目を閉じたまま何も反応してくれない。持ち上げようと背中に手を回してみても、異常なまでに重たい身体はピクリとも動かない。
「……なが……ら……?」
頭が真っ白になって、全身から力が抜ける。あたしはゆっくりと沈んでいく長良を、ただ呆然と見つめていた。
「ごめんね、みんな大変な時に長良だけずっと寝ててさ」
長良がバツが悪そうな表情で両手を合わせて謝っている。
「無事に帰ってこれただけで十分ですよ。気にしないでください」
「……ありがとうございます赤城さん」
そんな長良を赤城さんが宥める。
「阿賀野達もありがとう。重たくて大変だったでしょ?」
「へーきですよ。私と駆逐艦の子達全員で曳舟したらそうでも無かったですし。あっ、嵐ちゃんは長波ちゃんを曳舟してたから全員じゃないか……」
阿賀野さんがあの時の、あたしと長良が救助された時のことをあっけらかんと語る。
「…………」
あの時の長良は気を失ったせいで少しも踏ん張りがきかず、数分もしないうちに完全に沈む危険な状態だった。
しかし危険な状態だっただけで沈んだ訳ではなかった。
「今だからこんな感じで話せますけど沈みかけてた長良さんを見たときはほんとに焦りましたよー」
「……本当にギリギリでした。後少し遅ければ助けられなかったと思います」
そう、あの時の長良はまだ助かる状態だった。あたし一人じゃあどうしようも無かったけど、長良は十分に助かる状態だったのだ。
だから味方の救援が来たとき、あたしは呆然とする暇も無くあれよあれよという間に鎮守府に帰投し、修理とメンテナンス、そして入渠によって一週間であたしの体も艤装も傷一つ、異常一つなく完全に回復していた。
「いやー、でもこうやって長良さん達も助けられて、敵の大規模艦隊も無事撃破したし、ひと安心って感じですよねー」
そしてその一週間で、集結していた敵の大規模艦隊の攻略が阿賀野さんの言うようにほぼ完了していた。
「後は長良さんがどれくらいで帰って来るかですよねー。そうすれば一件落着なんですけどね」
長良もあたしと同様に修理とメンテナンス、そして入渠によって傷を癒し、今は傷一つない。しかし長良には一つだけ異常があった。
「う〜ん、それはちょっといつになるか分からないかな……、リハビリみたいなものだから本人の頑張り次第らしいけど……」
「私、艤装との『接続』が切れかけてるところ初めて見ました」
長良は今、艤装との『接続』が切れかけている。つまり『解体』された状態に極めて近いのが今の長良だ。
明石さんが言うには意図的に轟沈に近い状態になったのが主な原因かもしれないとのことだが『解体』以外で艤装との『接続』が切れかけるのはいくつもの要素が重なった場合のレアケースらしい。
故に、切れかけた艤装とのリンクを元に戻す方法は現状、リハビリのように艤装を装備して何回も海に出るしか無い。
「しばらく帰れないと思うけど、その間よろしくね阿賀野」
「もっちろ〜ん! 最新鋭の阿賀野に任せて下さいよ!」
しかし、そのリハビリで回復が見込めない場合は正式に『解体』となり艦娘でなくなる。長良はこれから今の鎮守府を離れ、データ収集も兼ねて療養施設(といってもこの鎮守府と大して変わらない)ところに移動してリハビリをする事になる。
「それじゃあ阿賀野姉にはバリバリ働いてもらわないとね」
「矢矧! どうしたの?」
「阿賀野姉はこれから海域の対潜哨戒。まだ深海棲艦が居るみたいなのよ」
「え〜、ついさっきそれが終わって帰って来たのに〜」
「さっき行ったところとは別のところよ。早く行きましょう」
「うへぇ〜……」
「……長良さん、不在の間ですが十戦隊、預かります」
「うん、任せたよ矢矧」
その見送りのために今日あたし達は集まったのだが、今阿賀野さんが居なくなってしまった。
「私もそろそろ時間ですので……」
「赤城さん。出撃ですか?」
「ええ。私も海域の対空警戒をしなくてはならないので」
「そうなんですか、気をつけて」
「ふふ、心配しなくても大丈夫ですよ」
続いて赤城さんも居なくなってしまい、あたしと長良の二人だけになった。
「やっぱりまだみんな忙しいみたいだね」
「……そうだな」
「長波ちゃんもありがとね。忙しい中わざわざ見送りに来てくれて」
「……あたしは大丈夫だから」
「そっか……」
ほぼ攻略しているといってもやはりまだ慌ただしい状況であることに変わりはない。しかし後数日もすればいつもの鎮守府に戻るだろう。
「それじゃあそろそろ長良も行かないと」
そう言って長良が足下にある馬鹿でかい荷物を持ち上げる。何でもみんなから貰った餞別が入っているんだとか。
「……なぁ、長良」
「ん? どうしたの?」
「……早く帰ってこいよ」
「……ありがとう。頑張るね」
あたしの言葉に長良はそう返す。
「またね、長波ちゃん」
「……またな」
荷物を担いで手を振る長良にあたしも手を振り返す。そして長良が鎮守府の門から出て行くまで、あたしはずっとその場に立ち尽くしていた。
長良が居なくなってから一ヶ月。あのときの慌ただしさもまるで遠い昔の出来事のように鎮守府は落ち着きを取り戻していた。
「新入り?」
「はい、今日新しく軽巡がうちの鎮守府に配属になったんですよ」
「軽巡? 新しく配属されるのは補給艦で今日じゃないはず……」
「つい先日に急遽決まったみたいです」
そんな中、工廠で明石さんから突如、新入り軽巡が配属されたと告げられる。
「ちょうど今工廠に居るので長波さんにもついでに挨拶してもらいましょう!」
そう言って明石さんが新入りの軽巡を呼ぶために工廠の奥に引っ込む。
(急遽決まった……ね……)
大規模作戦時ならいざ知らず。平時の今にそんな性急に配属されることなんて聞いたことがない。
(まさかな……)
この鎮守府にはちょうど留守にしている軽巡がいるのも引っかかる。考えすぎかもしれないがどうも素直に信じる気になれない。
そんなことを考えている内に明石さんが新入りの軽巡と一緒に戻って来る。
「軽巡、長良です。よろしくお願いします!」
そう挨拶した新入りの軽巡、長良はまるでずっとこの鎮守府にいたかのような、新入りとは思えない雰囲気を纏っていた。
「……って、そんなわけあるか! 何が『新入り』だよ! そんなことだろうと思った!」
「へへー」
「まったく……」
悪戯っぽく笑う長良につられてあたしも笑みがこぼれる。
「……帰って来たのならまずあの時のお詫びして貰わないとな」
「えっ? あの時って……」
「爆雷と『成功する可能性の高い』考えのことだよ」
「あー…… でもあれは結果オーライってことで」
「良くない! あたしがどんだけ肝を冷やしたと思ってんだ!」
「いやー……ハハ……」
笑って誤魔化そうとする長良だがそうはいかない。積もる話もあるし長良にはやってもらわないといけないことも山のようにあるんだから。
「……なぁ、長良……」
「どうしたの?」
「おかえり……」
「……ただいま」
でもそれはもう少し後でいいか。長良が無事に帰ってきた。今はそれだけで充分だ。