国民的大物女優観察記録   作:これこん

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第三話

 

9

 

 

景の奴がスターズのオーディションを受けたらしい。

スターズは言わずと知れた大手プロダクションで現在人気がエゲツないことになっている百城と同じ事務所だ。

今回のオーディションは三万人も応募があったらしい、やはり有名どころは規模が違う。

 

そんなスターズのオーディションだが、景はなんと最終試験まで残ったのだとか。

景は超が付くほどの美人であるし演技が凄いので意外ではない。

 

景の演技はなんと言えばいいのか、一瞬でまるで別人の様になるのだ。憑依と言うべきかそんなレベルだ。

たまに感情がリセット出来ないと言って映画を見て感情を思い出す。あれがどんな感覚なのか俺には想像もできないが、ああいう人間を天才と言うのだろう。

百城もあれだけ人気なことから天才の一人なのだろうが、それとは別のベクトルに振り切れている。

 

あんな人間そこら中にぽんぽこ生まれる訳がないし、当然最後まで受かると思っていたのだが結果は落選。

緊張で上手くできずに失敗するタマでもないし、セクハラしてきた審査員でも殴ったのかと心配したがそうでは無いらしい。

 

「バカでも分かるように演じたのに落ちたわ」

 

景はそう言っていた。

スターズの審査の基準はよく分からないが、多分景よりもっと凄い奴がいたのだろう。やはり芸能界はとんでもない連中が集まるのだ。恐ろしい。

 

景が受ける前、俺は百城に連絡して「カメラや他人からどう見られているのかを四六時中考える」というアドバイスを聞き出したのだがやはり彼女はとんでもない連中の筆頭だ。

それをそのまま伝えても助けにならないので「とにかく頑張れ」という当たり前のことしか景には伝えられなかったが。

 

百城はそれを誇張でもなく本当にやってのけるのだから今の活躍があるのだろう。

この前家に行ったらゼリー飲料片手にずっとパソコンを開いてエゴサをしていてちょっと怖かった。そんで全部数字としてまとめているのだという。いやほんとにすげぇわ。俺だったら発狂しているかもしれない。

 

流石に百城の身体が心配なのでおにぎりを握った。

そこで一旦休憩するとばかり思っていたのだがよほど集中していたらしく、俺が百城に食べさせろと言ってきやがった。流石にそんなことをするのは長い付き合いでも初めてだからこっちは心臓バクバクだったのに百城はパソコンに相変わらず集中していた。

そういう所だぞと俺は言いたい。

今までに何人の男が泣いてきたのだろう。俺の予想では百を超えていると見た。

 

 

 

 

 

「────おねーちゃんは役者にならないと! おにーちゃんもそう思うよね!?」

 

そう言ったのはレイだ。レイとルイ、そして景の三人は今さっき風呂から出たばかりで頬が赤くなっている。

俺はバイトの帰りに夜凪家に寄らせてもらい夕食をご馳走になったのでこの場にいる。

 

急にどうしたのかと思ったが、どうやら景が入浴中にいきなり泣き出したらしい。

しかもその理由が不合格の悔しさではなく「悲しみの感情が残っていた」なのだとか。確かにこいつもちょっと怖い。

 

景は役者になるべき才能を確実に持っている。が、オーデションに落ちてしまったのだからどうしようもない。

高校を卒業したら景は就職する予定らしい。

俺は夜凪さんが亡くなる前に病室で「レイとルイを立派に育てる」と約束していたのを立ち聞きしたことがある。

彼女はその約束を守るために今までやってきたのだ。そして彼女の行動の優先順はこれからも変わることはない。本当に偉いと改めて思う。

 

レイの気持ちも分かる。レイは役者ではない夜凪景が怖いのだ。俺を含めた一般人はコロコロと別人みたいに変わることはない。

役者ならばそれが長所になる。この前こっそりレイは俺にそのことを言ってきた。俺もその考えには共感する。

だがレイには悪いが俺は景側につく。やはり下の子二人を育てるにはどうしても金が必要なのだ。それに絶対に芸能界で金を稼げるようになるという保証もない。

 

 

「えっ……おにーちゃんの裏切り者! もう嫌い!!」

 

そう言ってレイは頬を膨らませながら俺からそっぽを向く。

こっちを向いてと言っても向いてくれない。どうやら嫌われたらしい。ショックで湯呑みを落としてズボンに茶が溢れる。熱いが我慢してレイに謝り続ける。

 

「あー。おにーちゃんがレイを怒らせた」

「まずお茶を拭きなさいよ」

 

景が風呂場からタオルを持ってきてくれた。さっそくズボンを下ろして下半身を拭く。

湯呑み半杯分という結構な量をこぼしてしまったためズボンはびしょ濡れだ。帰るまでハンガーとか借りれるだろうか?

 

「……その前にここで脱がないでよ!」

 

景にそう言われた。

……失敬、女子の前だということをすっかり忘れていた。そっぽを向いていたいつの間にかレイはこちらを向いている。

顔を両手で隠しているが指の間からチラチラ見ている。

 

「露出狂よ ! スケベ! 変態!」

 

やめてくれレイ、小学生から変態扱いは心にくる。

というかレイとはルイと俺と一緒に三人で風呂入ったことあるし、景は市営プールとかで俺の海パンを何回も見ているから今更ではないだろうか。もしかしてそういう問題ではないのか。

 

「うおー! おにーちゃん脚の筋肉すごっ!」

 

ルイは超笑顔だ。お茶で赤くなった太ももをペチペチと触る。

十年弱の間スポーツで鍛えた、密かに気に入っていた部位なので筋肉を褒められるのは嬉しいが、このままでは俺は小学生男子に脚を触らせた本物の変態になってしまうので夜凪家に置いてある予備のズボンを急ぎ履く。

危ない、あと三秒遅かったら景の拳が出ていた。

 

「命拾いしたわね」

 

そう言って拳を下ろす景。本当に危なかった、目がマジだ。

 

それはそうと、景はどんな仕事をするのだろうか。

景は器用だし体力もある。どんな仕事だってこなせるだろう。俺の同級生には高校卒業してそのままJRに行った奴とかいた。それかやはり今のご時世公務員が安定だろうか。

 

……いっそのこと景は美人だしマイチューバーとかどうだろう?自宅でできるし。

ちょっと際どい服でサムネを撮って商品紹介とか。いやこれ以上考えるのは止めておこう。人として越えちゃいけないラインだ。本当にすいません夜凪さん。

 

 

「……公務員。良いかもしれないわ」

 

勉強もできるし景なら試験は問題ないだろう。もし必要とあらば俺が教えることも出来る。

 

その時、レイが欠伸をした。目も微睡んでいる。

時計を見れば八時半、いつもより帰るのが遅くなってしまった。もう帰宅しなくては三人に悪い。

濡れたズボンをポリ袋に入れ、バックに詰める。もう帰る旨を景に伝える。

 

「じゃーね、おにーちゃん」

「バイバイ」

「またいつでも良いわよ」

 

玄関で三人に見送られながら俺は夜凪家を後にした。

 

 

 

 

後日連絡が来たのだが、景はどうやら最終審査に進めたらしい。何でもウルトラ仮面が家にまで迎えに来たのだとか。

 

何をやっているんだアキラ君。そう尋ねたいが忙しそうなので連絡はやめておく。

 

ウルトラ仮面の俳優であるアキラ君が夜凪家に来たとなると近所の奥様方は黙っていないのではないかと思ったが、やはりちょっとした騒ぎになったらしい。

確かにそりゃそうなるだろう。スターズの社長でありかつて名女優だった星アリサの息子。顔は母親の遺伝子を引き継ぎ超がつくイケメンで運動神経も良い。

彼の筋肉は男の俺から見ても惚れ惚れするものだ。まぁ、俺の方が上だが。

顔面偏差値ではどう足掻いても勝てないので、他のところで勝たなくてはならないのだ。

 

 

「おねーちゃんかっこよかった!」とレイは興奮気味にそう言った。

しかし結局はグランプリに受からなかったようで、途中でレイと電話を代わった景の声は落ち込んでいた。まぁ気を取り直せと励ましたところで、レイが俺に言いたいことがあると再び電話を替わる。

宿題で聞きたいところがあるのか、そう思っていたのだが。

 

『あのね、おにーちゃん。ええと……おねーちゃんがひげのおじさんに誘われたの! 今さっき家まで来ておねーちゃんをスカウトしてたわ! あの顔は絶対にえっちなビデオの監督よ!』

 

レイから告げられた言葉を聞き、頭をハンマーで叩かれた様な衝撃が走った。重大な事件の匂いがした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10

 

 

「スタジオ大黒天」という文字が付けられたワゴン車が走っている。運転手である男の名は黒山墨字。無精髭のこの男はカンヌ、ベルリン、ヴェネツィアの世界三大映画祭全てにおいて賞を獲った稀有な日本人監督である。

黒山はスターズの女優オーデションにおいて審査員を務め、その際に夜凪景という才能の原石を発見した。

 

黒山は夜凪景に役者としての経験をいち早く積ませるため、彼女をワゴン車に乗せCMの撮影現場に向かっている。

これはもはや半ば誘拐であるのだがそんなこと関係なかった。

 

「おはよう夜凪。迎えに来たぜ」

 

黒山は右手でハンドルを握りつつ左腕で夜凪を抱きかかえるようにしているのを離した。そのまま車の進行方向を見つつ口を開く。

 

「このまま撮影所連れていってやる。一刻も早く芝居を教えたい。学校に欠席の連絡を───」

 

黒山は気が付かない。

彼の左隣で夜凪が自身の拳を息で温めていることに。そのまま黒山が言い切る前に、夜凪は黒山を殴る。

夜凪は黒山に何の説明もないままこうして連れてこられているのだから彼女の気持ちは大いに理解できる。

 

「ぐおっ!? 何だお前! 運転中だぞ危なぇ!!」

「説明もなしにいきなり車に乗せて、誘拐よ!」

 

運転中だというのに運転席と助手席で取っ組み合うような形になる黒山と夜凪。スタジオ大黒天のワゴン車はこの間フラフラと蛇行している。

世間一般的に見て、運転中のこのような行為は大変危険なので控えた方が望ましい。

 

「ったく、少しは落ちついて───ん?」

 

掴みかかってくる夜凪を強引に引き離した黒山は、バックミラーを見て何かに気がついた。

車の背後から何かが近づいて来るのだ。次第にはっきりとするそのシルエットは、ワゴン車の横にぴったりとくっつき並走する。ママチャリに乗った若い男だった。

 

「なんだこいつ!?」

 

黒山の心からの驚愕だった。車を追って来る見知らぬ人間など、いきなりその姿を見た黒山からしてみればホラー展開でしかない。

黒山はふと彼が小学生の頃に聞いた百キロババアの都市伝説を思い出した。

高速道路で百キロものスピードで車に追従するその老婆に追いつかれたら死ぬ。彼はちょうど都市伝説が流行った時代に子供だった。

「んなやついるわけねーだろ。くだらねー」と言い捨てた少年時代の自分が脳裏に浮かぶ。

 

「この車六十五キロだぞ!? お前の知り合いか!?」

 

カメラ片手に世界を回って来た黒山だが、こんな奴を見たことはなかった。ましてや日本では言うまでもない。彼は割と本気で焦っている。

そんな彼に対して夜凪の表情は明るかった。まるでヒーローを目の前にした子供のように。

助手席の窓を開け、外にいる男に向かって言う。

 

「このヒゲが急に私を車に乗せたの! 誘拐犯よ誘拐犯!!」

 

夜凪の言葉を聞いた青年の顔は眼光が一段と鋭くなり、黒山を睨みつけた。彼の中では黒山=誘拐犯という考えが確信される。状況を見ればまぁ間違っちゃいない。

 

「お前人を犯罪者呼ばわりするんじゃねぇ! こいつが勘違いするだろ!」

「事実よ事実!」

 

ママチャリの男は並走しつつ口を開いた。

 

「こいつがエロビデオの監督か!?」

「ええそうよ!」

「おいお前は何か勘違いしている! 違ぇぞこの野郎!」

 

黒山は大声で否定する。名だたる映画祭で賞を獲っているが日本では無名の監督。

ただでさえ映画監督というのはメディア露出の多い演者と違い、一般人からしてみれば知名度は低い。加えて黒山の作成した映画は現在日本では見つけることすら難しい。

一握りの映画に詳しい人間たちからしてみれば彼の存在は有名ではあるが。

 

だからこそ「黒山監督ですよね」と声をかけられたことなど数える程しか無く、当然エロビデオの監督だと言われたことも初めてであった。

 

だが青年からしてみれば黒山が何を言おうと関係ない。

知り合いの女子高生がヒゲの男に誘拐された。しかもそいつはエロビデオの監督だと聞いている。

はいそうですかと引き下がるわけがない。

 

彼は昨夜のレイによる不審者情報を聞き念のため、大学に行く前にルイとレイが小学校の友人と合流する地点まで見送った。

その後偶然夜凪を発見した所で、彼女は青年の目の前でスタジオ大黒天のワゴン車に引きずり込まれた。状況を見れば言い逃れは出来ない。

 

男は更に速度を上げ、ワゴン車よりも前に出て、スケートボードの様に自転車のサドルの上に立ちそこから車へと飛び移った。

車体の左側に横向きにしがみついている。時速六十五キロで走る車の空気抵抗に力で耐えながら、夜凪が開けた窓から中に入り込んだ。

この場にいるのが夜凪と黒山でなければ抱く感想はドン引きであろう。

 

まるでアクション映画のワンシーンの様な光景に思わず黒山も笑いが漏れる。

 

「ハハッ……何だお前大道芸でもやってんのか。どうだ、ウチでスタントマンとかやるか?」

 

だが黒山を見る夜凪と男の視線は冷たい。

 

「おい、こいつ男まで……」

「違ぇよ!」

「降りたら警察に届けましょ」

「だーかーらー! 違うっての!」

 

夜凪をドア側に寄せ、彼女と黒山の間に男はいる。とりあえず、万が一にでも夜凪に危害が加えられないような位置を男は保持しつつ、車が事故を起こせば危険であるので暴れることはしない。

 

「……そういえば、自転車は平気なの? 置いて来ちゃったけど」

「……あ」

 

青年の移動手段は基本的に徒歩か自転車である。それを豪快に乗り捨ててしまった。

 

「……このヒゲに弁償してもらいましょ」

「これに関してはお前のせいだろ」

 

 

そのまま三人を乗せたワゴン車が走って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11

 

 

(……遅い)

 

柊雪は手元の時計を確認してそう思った。彼女の相棒であり雇い主でもある男、黒山墨字は未だ姿を現さない。

今日は新発売のシチューのCMを黒山が発掘した新人女優で撮るというから、柊は黒山の指示通り先に現場に入っていた。だが黒山はまだ来ない。

何かに手間取っているのか、果たして。

 

「あ、来た」

 

そんな時、彼女の見慣れたワゴン車が駐車場に姿を現す。

停車しドアが開き、降りて来たのは三人だった。黒山と、制服を着た高校生と思われる少女、そして見たことのない青年。

まだ幼さの残る容貌と、今の時間帯に制服ではないことを考えると大学生だろうか、と柊は思った。

 

今日の撮影は「父の日に少女が仕事帰りの父親のためシチューを作る」という内容のため少女の方が、黒山の言っていた今日の役者だろうと柊は予想する。

だとするともう片方は何者なのだろう。

 

「暴れる夜凪を抑えてくれて助かった」

「そんなことしなくて良いのよ!?」

「いや、事故ったらまずいだろう……」

「そうだ、もっと言ってやれ!」

「いや、俺あなたへの警戒解いた訳じゃないんで」

 

黒山と夜凪の距離は一定を保たれている。もっと言えば、近づこうとする黒山を夜凪が避けている。

そしてその間に、夜凪を黒山からガードするようにして立っている青年。

三人の空気は良くなかった。

 

それにしても、初対面の相手からここまで警戒されるとはある種の才能ではないだろうか。多分、また黒山が何かやらかしたのだろう。と、今日の主役と思われる少女、そして監督である黒山の関係は一目で分かるほどに良くない。

 

今日の撮影には重要なクライアントが参加する。この業界では信頼が最も大切だ。

もしこれからの撮影が不和によって上手く行かなければ、と決してありえなくない未来を想像して柊は思わず冷や汗をかく。

 

そもそも今日は、本来他の女優を起用するところを黒山の意向によって変更したのだ。

「役者と監督の仲が悪くて撮影は上手くいきませんでした」ということなど許される筈がない。

 

大丈夫、あの黒山墨字だから大丈夫。

 

かつて柊が高校生の頃、講師であった黒山と出会い、映像に関する技術を教わり、そしてコンビを組むまでに至った日々を思い出す。

黒山は確かに滅茶苦茶な男ではあるが、やる時はやる男だ。

それは近くで見ていた自分が一番知っている。だから大丈夫。

 

柊は自身に言い聞かせた。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

「スタジオ大黒天の黒山と柊です。小さいけれど一応ちゃんとした会社なの」

 

撮影セットの横に置かれたテーブルを黒山と柊、そして反対側に夜凪が挟むように座っている。

そして夜凪の背後には青年が立っている。

 

「このヒゲのせいで説得力ないかもだけど……ほら謝って下さい」

「やだ」

「謝れ」

「やだ」

 

頑なに謝罪しない黒山と、それをさせようとする柊。

スタジオ大黒天の社員はこの二人のみ。

会社における立場としても業界に携わっている年数ににしても、黒山の方が上のはずなのだが人間的にしっかりしてるのは柊の方だった。

 

「この子にうちの事務所入って欲しいんでしょ!?」

「うん。でも嫌だから謝らない」

「このヒゲガキオラアア!!」

 

何故か幼児の言葉使いをし始めた黒山についに柊はブチギレた。若いのに大変だな、と青年は心の中で柊に同情した。

それと同時にこの会社大丈夫かと不安になる。当然のことであった。

 

「まぁ…場所が場所だから基本的には信用したけれど……」

「ほんと!? じゃあうちに───」

「いや待て景。この会社はヤバイだろ。柊さんはマトモだがもう一人は……」

「……確かにそうね」

「ちょ、ちょっと!? 本当に謝りなさいよこのヒゲ!」

 

目の前に準備されているセットはごくありふれた台所のものであり特におかしいところはない。

現場には多数のカメラや関係者がおり確かにちゃんとした撮影なのだろう。

故にいかがわしい撮影という誤解は解けた。

 

だが、それだけで目の前の二人を信用できるかと問われれば答えはノーである。特に黒山。

 

「私はもうこの人が生理的に無理なのよ」

「あー」

「『あー』じゃねぇだろ!!」

 

黒山に中指を立てる夜凪。そんな彼女の言ったことに同意する柊。

 

「お前もフォローしろよ助監督だろ! あいつはマジで『金の卵』なんだよ」

「誰が『金玉』よ訴えるわよ」

「無意識に聞き間違いしてまでキレてますよ。心底信用されていないからもう無理だって」

 

キレる夜凪と、それを見てもうスカウトは不可能だと悟る柊。夜凪の黒山に対する好感度は地の底まで落ちた。

 

「……帰るか。」

「ええそうね。今日日直だから 早く帰りましょ」

「柊さん、車出してもらうこと出来ます?」

 

柊にそう尋ねる青年と、椅子を立ち去ろうとする夜凪。

一生さようなら、夜凪がそう言ったのを聞いた黒山は頰杖をつき口を開く。

 

「あーあ。せっかくお前を主演にCM撮る予定だったのにな」

「……CM?」

 

CM。その単語に夜凪は気を取られた。

映像メディアを点ければ誰だって目にするソレの主演が自身だと聞けば当然の反応だ。

 

「ああ。新人の役者にはめったにないチャンスだ。役者稼業の入口としては贅沢なくらいだぜ。まぁでも───」

 

黒山の口角が上がる。挑発するような口調で続ける。

 

「要するにお前腰抜けだろ? 初めてスタジオ見てビビちゃった? いいよ帰れ帰れ自称役者(笑)。年上の男に守られてお姫様気分か? オイオイ」

「なっ……」

 

黒山は悪人の顔をしていた。人を小馬鹿にした様な表情で夜凪の神経を逆なでする。

彼がもし役者であったならば、こういった役にハマるだろう。

 

夜凪は顔に青筋を立てている。対して青年の表情は動かない。

あまりにもあからさま挑発、流石の夜凪でもこれには乗らないだろう、黒山の夜凪に発破をかけるという意図が見え見えだ。

そう思っていた。

 

「───私は役者よ!! 演ってやるわよ!! 見てなさい!!」

 

夜凪は乗った。

無事黒山の挑発に乗せられてブチ切れ、やってやろうという気持ちにさせられた。

 

マジかお前。青年はそう呟く。

 

「あ、お前も残っとけよ!」

 

青年に右の人差し指を向けながらそう言った黒山。

元より夜凪一人をこの場に残すつもりも無かったので別に構わないが、柊に親指を立ててグッドのポーズをしている目の前のヒゲに対して何だか腹が立ってきた。

 

それはそうと、友人に連絡を入れるため一旦外に出る青年。

体調不良により休む、と鼻をつまみながらそれっぽい声で友人には連絡した。

 

帰ってくると、夜凪と黒山は既に撮影の準備に取り掛かっている。

とは言っても、衣装としてはエプロンを一枚着るのみであるが。

 

夜凪は通っている高校の制服で撮影をするようであるが、それで差し支えないのだろうかと青年は思う。

制服から学校を特定されそれが住所に繋がる、そういう心配がある。

だがまぁ顔を出す時点で一緒か、と彼は一人納得した。

 

「いや……なんかその、ごめんね?」

 

柊が青年に近づきそう言う。

黒山への容赦ない言動を見るに、彼女も苦労しているのだろう。

 

「……お疲れ様です」

 

青年は彼女を労った。

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

「───父の日にシチューを。新発売のシチューのウェブCMだ。お前は一人で初めてキッチンに立った少女。仕事から帰ってくる父親のために慣れない手つきで手料理を作っている。喜ぶ父親の笑顔を思い浮かべながら味見をして終わり」

 

黒山が撮影における夜凪の役の背景を説明した。

父親。その単語に青年は反応した。

夜凪にとって父親とは家族を捨てた憎むべき存在であり、手料理を振る舞ったことなど無い。

それを彼は知っていた。

夜凪の方を見ると、今のところ特に意識している様子ではない。

 

「簡単だろ! しょうもない企画だが金にはなる! 演れ!」

「後ろにプロデューサーとクライアントいるから言葉選べよマジで」

 

歯に衣着せぬ黒山の発言に青筋を立てた柊が彼の頬を抓る。

青年はスタジオ大黒天の関係者ということで撮影現場にいることを認められ、黒山と柊の後方から夜凪を見ていた。

 

黒山は現場の人々に「ウチの新人スタッフだ」と青年のことを紹介していたのが気に食わないが。

彼にはスタジオ大黒天のスタッフになることを承知した記憶などない。

また、その様な事実も無かった。

 

第一彼には映画やドラマなどの撮影に関する知識は無い。

 

そんな彼は黒山の発言にはドン引きである。

確かに彼にとってはそうなのかもしれないが目の前で言うか普通。

彼は今まで様々な人間と出会ってきたがここまでのはなかなかいない。

 

「要するにこの大きなリカちゃんハウスの上でシチュー作ればいいのよね?」

「そうだ!!」

「じゃそう言いなさいよ。話が長いのよ」

「ああ!? やんのか!?」

「ケンカすんな!」

 

夜凪の言葉にキレる黒山にキレる柊。

その様子を見てクライアントがプロデューサーに「あの人達本当に大丈夫ですか?」と聞いている。

青年は何だか胃が痛くなってきた。

 

大丈夫、夜凪なら演じさえすればこの場をうまくまとめられる。

彼は自分に必死に言い聞かせた。

 

 

「テスト! テストよーい」

 

柊の声が場に響く。彼女の手に持つカチンコが鳴った。

 

 

まるで熟練のシェフのような手さばきで人参の皮を剥き、玉ねぎを刻み、具材を炒めて更にフランベまでするという圧倒的な料理スキルを見せつける夜凪。

 

「カァァァット!!」

 

そうじゃない!

青年は心の中で叫んだ。彼の胃痛が増した。

 

「達人かお前は!! 『初めて一人でキッチンに立った少女』の役だぞ!? 真剣にやれよ!!」

「真剣よ!! 味見してみる!?」

「『真剣に作れ』じゃなくて『真剣に演じろ』ボケ!」

 

口論をおっぱじめた黒山と夜凪。

その横で柊は焦っていた。夜凪景は芝居を全く分かっていないと。

 

CM撮影はこの日が初めて、だから仕方ないとは決してならない。

黒山や柊の身を置く映像業界はスポンサーや広告など役者や監督を通じて常に多額の金が動く。

 

故に信頼がなければ商売が成り立たない。

であるが、この状況。誰の目にもマズイ状況であることは明らか。

 

青年は今すぐこの場から逃げ出したい。

黒山の意向により夜凪をこの現場に起用することを了承したプロデューサーは今の状況に大変焦っており、クライアントはキレている。

 

クライアントは怒りの篭った目で青年の方を向いた。

彼らは目の前の青年がスタジオ大黒天のスタッフだと聞かされている。

故にこうなるのは当然だった。

 

プロデューサーの男が小走りで青年の方に向かって来る。

 

「おいキミ、あの役者は大丈夫なのか? いくら黒山が目をつけた新人とはいえ……」

「……申し訳ございません」

「あのなぁ、申し訳ございませんじゃ済まないんだよ!」

 

青年は頭を下げて謝罪した。

青年は世の中の理不尽には慣れていたため行動に移すことは迅速だった。

腰を直角に曲げた見事な謝罪のポーズである。

 

(ああっ……本当にごめん!)

 

その様子を見た柊は心の中で謝った。

今はとてもじゃないが手が離せない。

 

「お前芝居を何だと思っている?」

「……思い出すこと?」

 

夜凪のその答えを聞き、「他人を演じる」ことが芝居だと考えるクライアントはついに夜凪が本当に役者なのかまで疑い始めた。

 

それに対して頭を下げ謝罪するプロデューサー。この男も被害者の一人であると言える。

そう考えると青年は急に同情心が湧いた。

 

「お前なぁ……分かっているなら早く演れよ。初めて親父に料理を作った日を思い出せ」

 

黒山は続ける。

 

「カチンコの合図と共に過去に戻りカチンコの合図と共に現在に戻ってくる。”メソッド演技”。過去の自分の感情を現在に蘇らせる。それがお前の芝居だろ」

 

プロデューサーとクライアントは黒山の発言を理解できていない。

「過去に戻る」そんな芝居をする人間は夜凪以外にほぼいない。

 

「……私父親に料理を作ったことないの。戻るべき過去がないわ…」

「……この際相手は誰でもいい。初めて手料理を作った日を思い出せ。俺が撮りたいのはお前の愛情だ。誰かのために努力するお前が観たいんだ」

 

黒山の言葉を受け、夜凪は何かをはっと思い出した様な表情になる。

彼女の記憶が思い出される。

 

「カレーライスだったわ」

 

夜凪はかつての自分を思い出し再び料理を作り始める。

彼女の頭の中には、母親が死んで間もない頃の自分がいる。

夜凪とその幼い弟と妹に料理を作ってくれた彼女の母親は数年前に他界した。

 

幼いきょうだい達は毎日泣き、そんな彼らに笑って欲しくて夜凪は思い出の味であるカレーを作ろうとした。

 

遺品の整理で夜凪家に訪れていた青年は手伝うことを申し出たが、当時彼に対して心を開いていなかった夜凪はそれを断る。

初めて包丁を握る彼女をルイとレイは心配そうに見ている。

 

 

急に料理の手際が悪くなった夜凪に周囲の人間は驚く。

その姿はまるで初めて料理をする子供のよう。

そんな姿を見て黒山は確信した。夜凪がメソッド演技に入り込んだと。

 

夜凪は玉ねぎを切る際、自身の指に刃が当たってしまい出血する。

 

「───とても痛かったけど2人が泣くといけないから笑ってごまかしたの」

 

夜凪はそう言って笑う。

 

柊をはじめとした現場の人間は夜凪の芝居に息をのんだ。

この業界に長いこと在籍している者でさえ心を揺さぶられる。それは数年の付き合いがある青年でも同じ。

彼らは一様に確信した。夜凪景は本物だと。

 

 

「味は?」

「コゲて苦くて皆で笑っちゃった」

 

 

 

 

 

 

 

 

12

 

 

撮影帰りの車内。

助手席に座った青年の隣で柊は運転している。

 

「いやー、本当にごめんね? うちとは関係ないのに謝らせちゃって」

「別に平気です」

「本人がそう言ってんだし良いんだよ」

「黙ってろヒゲ」

 

柊は青年が撮影中にプロデューサーから叱られたことについて謝っている。

それを別に気にしていない青年と黒山。

夜凪はパソコンで先程撮影された素材を見て一人笑っていた。

 

「いつまで素材見て笑ってんだよ気持ち悪い」

「わっ……笑ってないわよ」

「カメラの前で演じたの初めてだったもんねけいちゃんは」

 

黒山に指摘された夜凪は再び手元の液晶に視線を落す。そこにはシチューの味見をする夜凪の姿があった。

 

「…うん驚いたわ。私って思ったより綺麗なのね」

「は? あんな半端な芝居しといて何が綺麗だバーカ」

「な、何よりその言い方! 皆褒めてくれたわ!」

「素人の言葉に浮かれてんなバァカ!! お前の才能はあんなもんじゃねぇんだよ!!」

「何よそれ!? ツンとデレどっちよ!」

「ツンだよ!」

「暴れんなお前らぁ!」

 

行きと同じ様に喧嘩をおっぱじめる夜凪と黒山、そしてキレる柊。

車は蛇行するが助手席の青年はもはや動じない。スタジオ大黒天の空気に慣れてしまった。

 

どうにか柊と青年で夜凪と黒山の喧嘩を収める。

この一日で青年の中で柊に対する好感度は爆増した。

 

「ねぇ私綺麗よね?」

 

落ち着いてしばらくした後。夜凪が青年の方を向いてそう尋ねる。

 

「あぁ綺麗だ」

 

即答だった。

百城千世子の影響で様々な映画をこれまで見て、素人ながらに多少は目が肥えている彼だったが、画面の向こう側にいる名だたる役者と比べて遜色無かったと彼は本気で思っている。

 

「ふふ、やっぱりそうなのね」

 

夜凪はその答えを聞いて誇らしげである。

 

「ねぇ例えばどんなところ?」

 

車の前列席にぐいっと身体を乗り出した。

 

「そうだな、上手く言葉に出来ないが…あの場で景だけが初めてカレーを作ったあの日にタイムスリップしたみたいな? 本当に中学生に戻ったみたいだった。よくあんなの出来るな、すごいよ」

「や、やっぱりそうかしら?」

「あぁ」

 

青年に褒められ嬉しそうな夜凪を見て柊は雷に打たれたような衝撃を感じ、何かに気がついたようだ。

 

黒山は頰杖をつきながら車窓の外に広がる風景を見ていた。

柊は己の好奇心に従い聞いてみることにした。

 

「そういえば、二人ってどんな関係なのかなぁって……」

「関係……普通に友達ですよ。なぁ景」

「えぇそうよ」

 

友達。柊はその単語を自身の中で反芻する。

青年と夜凪は距離感が近くそれを気にしているそぶりもない。

話を聞く限りかなり昔から交流があるようである。

 

柊がこの短時間で得られた情報はその二つのみであるが、彼女の中の女の勘と呼ばれるものが反応している。

 

夜凪は少々抜けているところがあり、青年の方は主に百城千世子の存在によりそこら辺の感覚はバグっているのだが柊は知らない。

 

が、とにかく本人たちがこう言っているのだしと深入りすることはしない。

しっかり大人だった。

 

「へぇ仲良いんだね。そういえば今日はどうしてここに? 今更だけど」

 

柊は青年がここに来た理由を知らされていない。

夜凪は黒山が無理やり連れて来たと聞いているが。

明らかに怪しい黒山と夜凪を一緒にさせてはいけないと考えて一緒に来たのかな、程度に柊は考えていた。

 

「黒山さんが景を車に引き摺り込んだのを偶然発見しましてね。これはヤバイと思って追いかけてきたんですよ」

「……ん?」

 

柊は青年の回答に違和感を覚える。彼は黒山の運転する車を追いかけてきたと言った。しかし彼は現場に到着した時は一緒の車に乗っており、まさか走って追いつける訳もない。

 

「あれ凄かったわ。私あんなに速く漕げないもの。何かコツとかあるの?」

「兎に角全力で脚の回転を上げることだな」

「案外単純ね。私も今度やってみようかしら」

「危ないし怪我するかもだから止めた方がいいぞ」

「分かったわ。じゃああの車に飛ぶやつは?」

「グッとやってピョーンって感じだ。こっちもやらない方がいい。ミスって景の顔に傷が残っちゃ仕事が来なくなるかもしれないからな」

「ちょ、ちょっとストーップ!」

 

予想していなかった単語のオンパレード。

 

柊は青年が最初何かを漕いでいたところまでは理解できる。彼女はそれを自転車だろうと予想した。

自転車で追いかけながら大声で呼び止めたという状況は有り得る。

 

しかし、「車に飛ぶやつ」とは何のことだ。撮影以外でまさかそんなことをする人間を柊は知らない。

 

「あ。ここで止めてもらっていいですか」

 

柊の方を向いて青年はそう言った。

道端にはカゴが潰れたママチャリが転がっている。

ここは青年がスタジオ大黒天のワゴン車に飛び乗った場所だった。

 

「何かあったら電話しろよ、景。黒山さんと柊さんもさようなら。ここまで送ってくれてありがとうございました」

「うん。またね」

 

車から降りた青年は自転車に乗って帰って行く。

 

 

 

 

 

 

 

 




文字数多くても構わない人が多数派で驚きました。
予想と違って意外でした、小説を投稿するのは初めてではないですが勉強になりました。


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