時は流れて7月。
気温も夏らしくなってきた頃、トレセン学園の夏合宿は始まる。
この日のために入念に準備されたトレーニングメニューをこなすため、多くの生徒が海へと旅立つ。
セナイと俺もまた、合宿所にバスで乗り込んだのだが。
「あっつ……」
「暑いで、ありますね」
シンプルに暑かった。
屋内は冷房が効いているが、せっかくの夏合宿を屋内だけで過ごすわけにはいかない。
「荷ほどきしたらビーチに来てくれ。今日はタイヤ引きをやるぞ」
「了解であります」
セナイと別れた後、俺は自分の荷物を部屋に置きに行く。
当面必要そうなスケジュール帳やクーラーボックスなどを取り出す。
それから、水着に着替えて薄手のシャツを羽織ってビーチへ。
「セナイ、お待たせ」
「トレーナー。お疲れ様であります」
セナイが、水着姿になっていた。
プールで使っている学園指定のものとは違う、自分で選んだ水着だ。
「ちょっと照れてしまいますが、あの、どうですか?」
こちらを見上げながら彼女は尋ねてくる。
学校指定のものと違って、自分で選んだ水着とはファッションセンスそのものだ。
セナイも年頃の女子であって、その評価が気になるということだろう。
「可愛らしい。よく似合っているよ」
ごまかす必要もないし、率直な感想を口にした。
「そっ、そうですかぁ。えへへ……」
はにかみながらも嬉しそうだ。
「それじゃあ早速始めようか」
「はい!」
砂浜に足跡が刻まれ、それをタイヤの跡が塗りつぶしていく。
足腰が鍛えられ、限界を超える勝負根性もつく巨大タイヤ引きトレーニングだ。
「よし、今日はここまでにしておこうか」
「はい……ふぅー……」
「お疲れさま」
体力を使い果たしたセナイにスポーツドリンクを差し出す。
「ありがとうございます」
「うん」
一口飲んで、ほっと息をつく彼女を眺める。
身体の本格化は進んでいるが、それは他のウマ娘たちも同じこと。
もう一歩、突き抜けることができれば良いのだが……。
そんなことを考えていると、視線を感じて振り返った。
「多宝院トレーナー?」
目が合った。
「そちらは上がりですか」
残念ながら……というのも変だが、多宝院は水着ではなく夏用ジャージ姿だった。
「ええ、初日で移動疲れもあるので……ゴールドシップは?」
「ゴルシ様……いえ、彼女はクイズ大会で優勝したあと、海の主を釣りに行きました」
トレセン合宿名物、クイズ大会。
賢さトレーニングの一環らしいが、今年そちらにセナイを出す予定はない。
今は肉体面の強化が優先されるからだ。
されるから、なのだが。
なんか今、ゴールドシップを変な呼び方しなかったかこの女?
「主なんか居るんでありますか、この海」
ドリンクを飲み干したセナイが尋ねた。
少なくとも俺は海の主の話など聞いたことがない。
「居なくても、ゴールドシップには関係ないのでしょう」
「ああ……まあ」
そんな感じはする。
トレセン学園でも有数の破天荒ウマ娘として知られる彼女のことだ。
主と言ってクジラを吊り上げても不思議ではない。
「……」
多宝院はじっとセナイを見つめていた。
セナイの数値化した能力を見ている……のだろうか。
数秒か、数十秒かわからないが、しばしの間があって多宝院は口を開く。
「ゴールドシップは、明らかにあなたを意識しています」
「はえっ、わたしをですか?」
「モブトハヨバセナイ。正直、ここまで伸びてくるとは思っていませんでした」
それは貶すというより、率直な感想という調子だった。
俺自身、G1レースであそこまで食らいつけるとは、スカウトした時には思っても居なかった。
「次のG1出走は菊花賞です」
多宝院は告げる。
それは当然の目標。
皐月賞、日本ダービーを制し、クラシック三冠の最後のひとつとなる菊花賞。
「予定が合えば、是非出てきてください。きっと面白いレースになります」
多宝院とゴールドシップは嫌味でなく、本当に楽しみにしているのだろう。
とはいえ、それでもカチンとは来る。
「何故か、偶然、たまたま、こちらも菊花賞に照準を合わせて計画を立ててます」
実績に圧倒的な差がある今は皮肉で返すしかないが、10月の菊花賞では見ていろ。
「そちらにとって面白いレースになるかは、わかりませんがね」
「……面白い」
牙を剥くような笑顔を見せて、多宝院は去っていった。
しかし意外だった。
「宣戦布告……ってやつでありますよね」
「俺にも、そうとしか聞こえなかったな」
彼女がわざわざこんなことをしに来るとは。
本当にセナイが意識されているのだと思うと、複雑な心持ちだ。
実績では天地の差だというのに、対抗心がメラメラと湧き上がってくる。
「……トレーナー、もう一本いいですか」
「タイヤ引きか、それともドリンクの方?」
「両方であります」
それは、セナイも同様だったようだ。
「よし。タイヤ引きの方は一本だけだぞ」
せっかく燃え上がったやる気に水を差したくはない。
しかし翌日以降のトレーニングに支障が出てもいけない。
だから一本だけだ。
「了解!」
こうして俺たちの夏が、始まった。
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順調にトレーニングを続け、気づけば8月も残りわずかとなった頃。
「わあ、お祭り!」
俺はセナイを連れて夏祭りにやってきていた。
厳しいトレーニングが続いた分、たまには穏やかに過ごす時間も必要だ。
「射的か金魚すくい、どっちに行きましょう。迷うなあ」
「どっちも行けばいいじゃないか」
「先にどっちに行くか迷うじゃないですか」
そういうものか。
「てや、てやー」
射的は10発撃って1発しか当たらず。
金魚すくいはアミを5枚破ってやっと1匹というところだったが……。
「楽しそうだな」
「はいっ、トレーナーと一緒ですから!」
浴衣姿のセナイは明らかにはしゃいでいた。
ならまあ、良いかと思う。
その後も焼きそば、たこ焼き、お好み焼き、チョコバナナ、リンゴ飴。
などなど、祭りの定番屋台を回っている内に、花火の時間がやってきた。
「あっちに行きましょう、トレーナー。きっとよく見えますよ」
「おいおい、引っ張るなって」
浴衣の裾を引っ張られながら、なんとかセナイの脚に追いつく。
人混みの中でも彼女の足取りはまったく乱れない。
多人数レース特訓の成果が出ているな、などと考えて居ると、河川敷へ辿り着いた。
そこは芝が敷かれており、花火大会の会場になっていた。
既に何組ものカップルがレジャーシートを敷いて座っている。
「ここなら良さそうですね」
「そうだな」
持ってきたブルーシートの端をセナイに持ってもらい、2人で広げた。
「……」
「……」
しばし無言で、花火の打ち上げを待つ。
そんな時間も悪くないと思える。
「あっ」
セナイが小さな声で指さした先、夜空の星の中に火の玉が吸い込まれる。
そして、弾けた。
「わあ……」
大輪の華が咲く。
遅れて聞こえてきた破裂音もどこか清々しい。
2発目、3発目、と次々打ち上がる花火を、2人でぼんやり見つめた。
「トレーナー」
「うん?」
「わたし、勝てますかね」
破裂音にかき消されないよう、少し近くに寄った。
菊花賞のことか、それともTSクライマックスシリーズのことか。
あるいは、競走人生のことか。
「かなり厳しいけど、勝てる」
どれであっても、俺の答えは変わらない。
「勝たせてみせるよ」
俺が勝たせたいのは、セナイだから。
「そう言ってくれるって、わかってました」
「わかってて聞いてくるのはズルいな」
「知らなかったんですか。わたし、結構ズルいんですよ」
セナイの背後で尻尾がゆらり、ゆらりと揺れている。
「実を言うと……知ってた」
「ですよね」
夏の終わりが、近い。
最後の一発が打ち上がって弾けるまで、他愛無い話をしながら、俺たちは2人で花火を眺めた。