G3、ダイヤモンドステークスでのセナイはトーセンジョーダンに破れ2着となった。
連対したという実績は悪くないものの、せっかくの重賞、1着を取らせてやりたかったが……。
出走させた最大の目的は、長距離レースの経験を積むことだ。
惜しくも勝利を逃しはしたものの、重賞3400mを走りきった。
その点において、セナイは健闘してくれたと言える。
さらに4月、天皇賞春。
京都で行われる3200mのG1。
結果を言うと、セナイはここでも1着は取れなかった。
重賞では未だに1勝も上げられていない。
しかし、3着という成績はメディアでは肯定的に捉えられたようだ。
「重賞で勝ちきれないという声もあれば、次こそは勝って欲しい。そんな声も多いんですよ」
乙名史記者がそう話してくれた。
「かくいう私も、おふたりの活躍を楽しみにしている1人です」
そう言われれば、前を向く気にもなるというものだ。
その後、夏合宿までレースには出ず、スタミナと賢さのトレーニングに重点を置いた。
7月。
合宿ではクイズ大会でゴールドシップとセナイが優勝争いを繰り広げる。
後に大会の伝説として語られることになる名勝負だった……クイズだが。
8月。
夏祭りでは去年のように屋台を周り、花火を見て。
帰りのバスが出る前日。
最後の合宿トレーニングの最中。
「ゴールドシップさんとは、ずいぶん差が開いてしまいました」
6月の宝塚記念を連覇し、今や中長距離路線の……いや、世代の……それでも足りない。
中央の歴史に残るウマ娘となったゴールドシップ。
この大活躍の陰に、多宝院トレーナーの力が大きく働いたことは想像に難くない。
一方の俺はといえば、未だに重賞でセナイを勝たせてやれていない。
確かに、大きな差がついている。
世間では、俺たちをゴールドシップ陣営のライバルとは見てくれないだろう。
「でも、不思議と焦りはないんです。諦めたとかではなく」
「ああ、なんとなくわかるよ」
俺もセナイと同じ気持ちだ。
今でも負ける度に悔しい思いをした。
歯噛みし、拳を握りしめて、絶叫した日もある。
それでも、焦燥感はもはやない。
「目標が決まってるからでしょうか。TSクライマックス」
「そこで優勝できれば、俺たちは――」
悔しさと敗北を乗り越えた先にある、勝利の美酒に酔うことができる。
だから立ち止まらず、挑むしかないのだと知っている。
俺たちは夏の終わりを、不思議と落ち着いた心で迎えることができた。
そして時は移り変わり、大きなレースへの参加もなく、12月。
TSクライマックスシリーズの出走馬選定が年末にあるが、もうひとつ。
有馬記念がある。
セナイが出走できるかどうかは、ファン投票にかかっている。
ここで10番目以内に入らなければならない。
そして、有馬に出走できなければ、TSクライマックスへの選出も厳しくなってくる。
正直、難しいと思っていたのだが――