トレセン学園入学式から何度目かの模擬レースの日。
そろそろ担当ウマ娘を見つけなければ、どこかのチームのサブトレーナーをやることになる。
情熱の火の残り滓のような、ちゃちなプライドがそれを拒絶していた。
(いい加減、担当を見つけないと……)
今日4本目の模擬レースが終わった。
「君、よかったらウチのチームに来ないか?」
「ホントですか? ぜひお願いします!」
1着を取った娘はもう声をかけられていた。
さすがにベテランたちは行動が早いな、と感心する。
俺も今のレースで気になった娘を探したが、何人かは他のトレーナーと話していた。
残ったのは……。
「くっ……」
遠目に、彼女を眺める。
鋭い目を揺らめかせながら、拳を握りしめるウマ娘を。
なぜ、そんな目で勝者を睨めるのだろう。
16人中9着。
悔しがるレベルにもないというのに。
もっと下の、盛大に出遅れた15着の娘などはスカウトを受けている最中だ。
着順では届かなかったが、後半の追い上げが注目されたのだろう。
上にせよ下にせよ、極端に振れれば誰かの目に留まる。
9着という中途半端なあの娘には案の定、誰も声をかけない。
「君、手を開きなさい」
だからという訳でもないが、見ていられなかった。
「えっ」
ピョコン、と耳を立ててこちらへ向けた目はまんまるで穏やかだった。
開いた手には爪痕がくっきりと刻まれ、そのひとつからは血が出ていた。
「あ」
「レースは全身運動。手のひらでも傷があると、走りに影響するよ」
それほど強く拳を握っていたのに気づかなかったのか、呆けた様子の彼女に手当てをする。
あまり深い傷ではないから、すぐに消えてくれるだろう。
「これでいい」
絆創膏を貼ってやりながら、何をしているんだと自分に問いかける。
妥協するにしてもこのウマ娘はイマイチだ。
悪くはない走りだったが、結果が示す通り、抜群でもない。
情けが自分に返ってくる、などと信じるような歳でもない。
何も得るところがないのに、他者に親切にするほど余裕はないのだが。
「ありがとう、ございます」
戸惑い、から微笑みへの転調。
まあ、悪いことをしたのでもなし、いいだろうと思った。
「いいんだ。次も頑張って」
適当な観戦場所を探して移動する。
模擬レースはまだまだあるのだ。
「……」
ふと後ろを振り返ると、まんまるの目がこちらを見ていた。
気まずい思いがして目をそらしたが、あっちも同じように目をそらしていた。
翌日。
模擬レース場には手のひらに絆創膏をした彼女の姿があった。
綺麗に手を開き揃えて大外後方から差しに行く作戦のようだが。
「う、ぐぅっ……!」
先頭から次々とゴールイン、絆創膏の君は7着という結果に終わった。
ただ単に身体が出来上がっていない、というのもあるだろう。
しかし、それよりも……。
「しまった」
余計なことを考えているうちに、またスカウトの波に乗り遅れた。
好走したウマ娘の周囲には、もう軒並みトレーナーの壁ができている。
「君、次のレースにも出るの?」
なんだって?
係員の声が聞こえてきて耳を疑う。
「出ます」
「そっか、登録間違いじゃないならいいけど、無理はしないでね」
あの娘、1日に2回も走る気なのか?
模擬レースは基本的に短い距離だし、連続出走自体は禁止されていないが……。
「はい。頑丈さには自信があるので大丈夫であります」
どうやら本当に走る気のようだ。
消耗や故障の可能性、得られる注目度などのリターンを考えると、あまり賢い手段とは思えない。
いや、
「別に俺が気にすることでもない、か」
そうだ。
あの絆創膏の娘が何をしようと、特に関係はない。
もっと有望で、俺のような新人トレーナーと契約を結んでくれそうな娘を探さねば。
次こそは、という気持ちでレースを見守ったが……。
「これは……後方から一気に迫る9番!」
絆創膏の彼女は、連続出走の疲れを感じさせない追い上げで先頭集団に肉薄していた。
いや、むしろ今までで一番良い走りだ。
「最後の直線、抜け出すのはどのウマ娘か!」
大外から突き抜けるようにしているが、外に膨らみすぎて褒められたコース取りじゃない。
フォームも洗練されているとは言い難い。
「まだ、まだあーっ!」
だが、ターフを踏み潰さんかという勢い、気迫。
前走がウォーミングアップだったかのような、スタミナと粘り強さ。
端的に言って心が湧く走りだ。
だが……。
「どけどけどけーい!」
さらに後方から、恐るべきスピードで直線一気に仕掛けてきた芦毛のウマ娘がいる。
『9番をかわして加速を続けるのは3番ゴールドシップ!』
真の強者が、豪快にすべてを抜き去っていく。
『残りわずか、3番ゴールドシップが抜け出した!』
「く、うぅぅぅーっ!」
絆創膏の娘は耳を引き絞ってゴールを目指す。
しかし追いつかない。
終盤の先頭集団に、本当にわずかだが、追いつけなかった。
『1着はゴールドシップ! 強烈な追い上げで強さを見せつけた!』
ゴールドシップか、目についたトレーナーに訳のわからない絡み方をして避けられていることで有名なウマ娘だ。
見覚えのある同期が絡まれているが、あいつはあんなじゃじゃウマに興味はないだろう。
「くっ……」
9番の娘は5着だった。
案の定、トレーナーの誰も彼女に声をかけない。
(まあ、そりゃそうだろう。結局失速してちゃあな)
ただ……。
(なんだ、このムカつきは)
なぜだか、そのことが腹に据えかねた。
足が、自然と動く。
そんなことをする必要はないのに。
それをしたら人生の浪費だと理性が悲鳴を上げる。
何故か、理由はわからない。
ただ、彼女がないがしろにされているのが無性にムカついた。
「勝ちたいのかい」
だから、俺が話しかけた。仕方なく。
早く担当を見つけたいという焦りもあった。
「勝ちたいです!」
彼女の走りはまだ未熟だ。
肉体だけでなく、技術的にも。
その状態で掲示板まで上がってくるなら、もしかしたら、と思った。
走る度に、勝ちきれなくとも少しづつ着順が上がっている。
「俺ならキミを勝利に導ける」
嘘だ。思ってもいないことだ。
俺はこの娘で妥協した。
「わたしを、スカウトしてくれるのでありますか?」
「そのつもりだよ」
けれど彼女の目には、火が灯っている。
燻りながらも消えることのない火が。
「なら、喜んで」
彼女は右手を差し出した。
俺は、内心恐る恐る、表面上は強く、差し出された手を握った。
「よろしくお願いします、トレーナー」
「ああ、よろしく――モブトハヨバセナイ」
この時、俺は自ら運命に踏み込んだ。
モブトハヨバセナイという名の運命に。