『残り200、抜け出たゴールドシップに追いすがるモブトハヨバセナイ』
「勝てる……まだ脚は残ってる!」
『勝負は直線、ゴールドシップか、モブトハヨバセナイか!』
これなら……。
そう思った瞬間。
「お、燃えてんな」
ゴールドシップが大きく口の端を持ち上げた、ように見えた。
「よーし、ゴルシちゃんもトップギア、こいつが幻の6速だ!」
初勝利の文字が脳裏によぎったその時。
『なんと、ゴールドシップ更に加速した!』
黄金の不沈艦は、トップギアと思っていたところを軽々超えて前へ出た。
『残り100、ゴールドシップ脚色は衰えない』
セナイは歯を食いしばって追い込んだ。
まだ未成熟であれどミスはない。
本格化の程度も、同じデビュー戦である以上大差ないはずで……。
つまり、地力の差なのだろう。
『勝ったのはゴールドシップ! まさに圧勝! 2着はモブトハヨバセナイ、3着は……』
実況が右耳から左耳に流れていく。
着差以上の実力差を見せつけられた。
同時に、奇妙な納得感が俺の心を包んでいた。
控室。
「セナイ」
たった今叩きのめされた彼女になんと言えばいいのか。
「よく頑張った」か「まだまだこれから」か?
ありきたりの言葉は空々しくなりそうで、かと言って気の利いた文句も思いつかない。
「……悔しいでありますっ!」
なんと言うか迷っている内に。
両手をこれでもかというぐらいに握りしめて、涙を目の端に浮かべながら、セナイは叫んだ。
「悔しい、か」
しばらく抱いたことのない感情だ。
ここまで完膚なきまでに打ちのめされても、そんな言葉が出てくる彼女を、羨ましいと思った。
「はい、それはもう! このままじゃわたし、ただのモブです!」
桃色の髪から湯気が出そうな勢いで、セナイは悔しさを吐き出す。
「次は……」
その言葉を吐くのに気後れを感じて、一拍置いた。
「次は、勝とう」
ピン、と耳を張って、セナイは無理して笑顔になった。
「はい、勝ちます!」
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
「勝ったのはモブトハヨバセナイ! 厳しい残暑の中で勝利をつかんだ!」
未勝利戦、芝の中距離。
セナイは2バ身差で1着となった。
「よしっ、よしよしよしっ!」
これで未勝利のまま終わるという、よくある最悪の事態は避けられた。
それどころか、メイクデビュー2着という結果も、こうなってみればプラスかもしれない。
そう遠くない内に「あれは好走だった」と言われるようになるだろう。
「トレーナー、わたし、やったのでありますか?」
くりくりとした目が見上げてくる。
レースの熱が冷めやらぬように紅潮した頬がこちらにまで熱気を伝えて来た。
「ああ、やったんだ」
「やりましたぁ!」
ぴょんと飛び跳ねて喜ぶ姿は、まるで無邪気な子供のようだ。
「トレーナー、見ててくれたでありますよね!? わたしの走りを!」
「もちろんだ。最後まで諦めなかったな」
「はい! あの時と同じようにはいかないぞ! って気持ちで走りましたから」
「あの時、か」
もちろんメイクデビュー戦のことだろう。
食らいつこうとして、逆に引き離された。
苦い思い出として、これからも残り続けそうだ。
「おー、盛り上がってるな」
唐突に関係者通路から現れたのは、
「ゴールドシップさん!」
そのゴールドシップだった。
「おうよ、今日はセナイちゃんの初勝利祝いだ。ぱーっと行こうぜ」
「はいっ!」
「ぱーっと行くのは俺の財布だよゴールドシップ」
「お、そうか? じゃーゴチになりまーす」
「別に1人ぐらい増えてもいいが……どこから入ってきたんだい。ここ関係者通路だぞ」
「そりゃ、海を潜って水路から入って来たに決まってんじゃねえか」
やめよう、深く考えるのは。
相手はゴールドシップだ。
常識で考えても仕方がない。
「では行きましょう! 焼き肉でありますか?」
「いいな。肉はたくさん食べておくのが良い」
「はい、次の勝利に向けて!」
「その意気だ。ただちょっと待っててくれ、トイレに行ってくる」
「はいなのであります!」
「……ふう」
用を足し終えて手を洗っている最中、ふと思い立って鏡を見た。
そこに映るのは自分の顔である。
いつも通りの平凡な面構えでしかない。
しかし、よく見ると。目の下に、隈が出来ていた。……睡眠不足か。
疲れているつもりはなかったのだが。
この程度で疲労を感じるとは、10代のころは問題なかったのが早くも懐かしい。
ため息をついて、トイレから出て控室に戻った。
「お帰りなさいであります!」
「ああ、じゃあ行こうか」
「おー!」
今は、目の前にある勝利を祝うことにしよう。
「次は、重賞に出たいです」
食事をほとんど終えて、デザートが運ばれてきた頃、セナイは自分の要望を口にした。
「重賞か……」
考えなかったわけではない。
しかし、メイクデビューや未勝利戦と、重賞には天地の差がある。
至極単純で明確な差。
出場メンバーのレベルが、跳ね上がるのだ。
「ま、まだ早い……でありますかね」
「いや、厳しいかもしれないが、無理というわけじゃない。ただ、どうしてそう思ったんだい」
「その、重賞に勝てば、モブ扱いはされなくなるかな、って」
なるほど。
単純だが頷ける。
そうなると近めの候補としては、
「アルテミスステークスやジュニアステークスは距離が短すぎるか、京都ジュニアステークスなら……」
提案しようとした時、割り込み気味にセナイは早口に
「ホープフルステークスとかっダメでしょうか!」
そう言った。
一瞬、唖然としたのを認めよう。
「ダメ……でありますか?」
正直にこのとき思ったことを言う。
無理だ。
ホープフルステークスは殆どの場合その年の最後に開催されるG1。
その名の通り、出走メンバーは未来への希望に満ち溢れた才能たちが集まる。
「おー、セナイちゃんホープフル出るのか? アタシもその予定ー」
例えば、ゴムホースでアイスコーヒーをすすりながら言う、このゴールドシップのような。
「トレーナーと一緒に、それまでしたことないような濃密なトレーニングをしてきました」
ゴールドシップへ、闘志に燃えた目つきを向けてから、セナイはとうとうと語る。
「そうしたら、勝てたのであります。トレーナーさんとなら、勝てる」
無理だ。
頭が吐き出そうとする言葉を、心が押し留める。
G1は無理だ、早すぎる。
いや、3年間を賭けたとしてもたぶん……。
「ゴールドシップさんや、他のどんな相手にだって、勝てるって証明したいのであります……!」
その火が灯った目に向けて、冷や水を浴びせることが、どうしてもできない。
「そこまで言うなら、目指してみようか」
ゴムホースが吸い付けていた氷が、グラスの中で落ちてカランと音を立てる。
「目標がホープフルステークスとなると、明日からトレーニングメニューを変更しなきゃな」
「あ……」
自分の希望が通ったのを理解して、セナイの目尻が下がる。
「ありがとうございます、トレーナー!」
G1での負けならそう重大な失点にはならない。
掲示板に入れれば御の字か。
そんな腐った思考を口に上らせたくなくて。
「やるからには勝つぞ、セナイ」
「もちろんであります」
思ってもいないことを、代わりに言った。