3ヶ月後、多くのトレーニングと調整を超えて、ホープフルステークスの開催日がやってきた。
天気は快晴、絶好のレース日和である。
ゲート入りするセナイの姿を眺めていると、今まで封じ込めていた心配がどっと押し寄せてきた。
作戦は本当に合っているか。
スタートの練習もしてきたが、本番で出遅れはしないか。
勝てるのか?
そもそも、勝ち目はあるのか?
そんな不安で頭の中がいっぱいになる。
「……大丈夫だよな」
誰に言うでもなく呟いた言葉は、周りにいた観客の声援でかき消された。
歓声が上がるたびに、心臓を鷲掴みにされる感覚を覚える。
こんなレース場に来ているのだから、当然、出走者の知り合いも来ていることだろう。
そんな人たちの前で、俺はセナイの晴れ舞台を汚してしまうのではないか。
「……」
だめだ、考えるな。
今は、あの娘の走りを見届けるんだ。
「……よし」
ファンファーレが鳴り響き、いよいよ始まる。
ゲートインが完了し、あとは合図を待つだけとなった。
『さあ各馬一斉にスタートしました! まず先頭に立ったのはトーセンジョーダン』
ついに始まった。
最初のコーナーに差し掛かる。
後方についたセナイの後ろ姿をとらえようと、観客席から身を乗り出して目を凝らす。
「……」
…………あれ? おかしいな。
なんで、誰も追わないんだ。
「……うそだろ」
先頭集団は早くも第2のコーナーを回っているというのに、後続は全く動いていなかった。
「どうなってるんだ?」
「おい、これどういうことだ!?」
「分からないけど、何かあったんじゃないかしら」
周りの客たちも困惑している様子だった。
「誰か説明してくれよ!」
「なんだ、故障でもしたんじゃねえの?」
「いや、それにしちゃ、あいつら全然スピード落ちないし」
ざわつく会場の空気の中、ターフビジョンに映っているセナイの顔を見て、思わず息を飲む。
「……っ」
苦しんでいる。
一瞬映っただけだが、明らかに動揺しているとわかった。
「頑張れーっ」
「行けー」
「逃げ切れー」
様々な声援が飛び交う中で、俺だけが動けずにいた。
「セナイ、どうしたんだ……?」
答えが出ない疑問を頭に浮かべたまま、レースは淡々と進行していく。
『さあ、4コーナー手前、ここでセナイが仕掛けた!』
「え」
4コーナーで外から一気に加速したセナイは、あっと言う間に大外を通って先団を追い抜いていく。
「すごい」
その走りは、圧巻の一言に尽きた。
「すげぇ、マジですげー」
「いける、このままいけば勝てる!」
「がんばれ!」
観客たちは興奮していた。
しかし、俺は違う。
「……違う」
そうだ、これは、この展開は……。
「……」
嫌な予感が的中してしまった。
「セナイ」
彼女がゴール板を過ぎてしばらくすると、スタンドから歓声が上がった。
1着でゴールしたのは、ゴールドシップ。
つまり、このレースはゴールドシップの勝利に終わったわけだ。
「……」
正直、予想はしていた。
1番人気が、順当に1着を取った。
それだけなのだ。
だが、セナイにとってこれが、初めてのG1レース。
しかも、勝ちたい相手が1番人気で1着となれば、心中穏やかではないだろう。
「トレーナーさん」
控え室に戻ると、セナイが待っていた。
「ごめんなさい、作戦通りに、走れなくて」
「どうして」
今回の作戦は、ゴールドシップより先に仕掛けることだった。
しかし、セナイは4コーナー手前まで後続から抜け出せなかった。
俺の目からは見えなかったが、仕掛けが遅れた理由があるはずだ。
「みんな、仕掛けさせてくれなくて。ブロック、上手くて……」
ああ、そうか。
作戦通りいかないことなんて、レースではいくらでもある。
バ群に揉まれてる内に仕掛けどころを逃すなんて、その典型例だ。
「それだけ、周りのレベルが高かったんだ」
「でも、わたし、わたしがもっと上手く走れてれば」
セナイは悔し涙を浮かべるが、俺は平静に結果を受け止められた。
「トレーナーの指示通りに、走れてれば……」
「そんな事はない。君は作戦通り走ろうとしたんじゃないか」
作戦通り懸命に走ろうとしたウマ娘と、作戦を立てたトレーナー。
問題があったとすれば、作戦を立てた方だろう。
「俺の作戦が甘かった。ごめん、セナイ」
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「そんなことっ……!」
ホープフルステークス4着。
それがわたしの着順だった。
この結果は、わたしに足りないものがあったせいで、トレーナーのせいじゃないのに。
「そんなこと、言わないでください」
作戦が甘かったなんて、言わせてしまった。
わたしなんかには勿体ないぐらい凄いトレーナーに。
自分で自分が許せなくなりそう。
「……」
「……」
それ以上なんと言えばいいかわからなくて、トレーナーと、少し無言で見つめ合った。
目の前の人は、いま何を考えてるだろう。
失望されているだろうか、それとも、呆れている?
「……セナイ」
「はい」
「今回は残念だったけど、次はきっと勝とう」
「……はいっ!」
優しい言葉をかけてくれたことが嬉しくて、つい大きな声で返事してしまう。
本当はこんなんじゃ、ダメなのに。
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『最優秀ジュニアウマ娘はゴールドシップと発表されました』
昨日にはトレーナー間の噂になっていた情報をスマホが垂れ流す。
『専属担当である多宝院トレーナーにインタビューを――』
ニュースチャンネルをフリックして消し、眼の前の課題に向き合おうと決める。
「4着、ホープフルステークスで4着か」
馬群を抜け出すパワーの不足はトレーニングと本格化による成長を待つしかない。
今回の問題はそれよりも……。
「……むう」
セナイのレース映像を見ながら、俺は悩んでいた。
TSクライマックスシリーズは始まったばかりだ。
今のうちに作戦の見直しをしておきたいのだが。
「逃げや先行に変える……わけにはいかないな」
これまでのトレーニング、レース、どれを見ても脚質を逃げ・先行に変えるのは無理がある。
後方からの猛烈な追い込みは、セナイの肉体に染み付いた大きな武器だ。
無理やり変形させようとすれば、その武器が壊れてしまう。
ブロックされて仕掛けが遅れたホープフルステークスと、完璧なペースで全員抜き去った未勝利戦との違い。
「出走人数と、レベルだよな」
未勝利戦は9人だった。
対してホープフルステークスは18人。
一般的に少人数のほうが走りやすいとされる。
前を塞がれても抜け道が多いからだ。
これだけの多人数は練習では集めづらく、セナイもほぼ初経験だったろう。
「18か、それに近い多人数での練習を……」
そうだ、そうやって経験を積むしかない。
足りないのは多人数戦の経験値、となれば近い条件で練習させるべきだ。
人数集めは学園側に頼んで募集を出してもらうしかないか。
同期や先輩のトレーナーと連絡が取れないわけではないが、それだけで18人は揃わないだろう。
スマホをいじり、まずは交友のある先輩に連絡。
次に同期の比較的親しみやすかったトレーナーに。
その後かなり迷った挙げ句、同期の中でも飛び抜けた2人にメッセージを送った。