…誰だっけ?
シルバーバレットは他人の顔が分からない。
分かるとすれば己が家族と己によくしてくれるチームの面々やトレーナーぐらいのもの。
それ以外はみな、背景がごとくぼんやりとして認識できない。
「……」
その困った特徴は誰にでも向く。
世間で有名なウマ娘でも誰が誰か認識出来ない程度には。
勝負服もてんで覚える気がないのだから救えない。
故に、
「ルドルフ?」
「ボクはトウカイテイオーだよシルバーさん!」
…とまぁ、こんな風に間違えることが多発していた。
あんまし似てないのに間違えるか?とは周囲の談だが。
「また間違えたの?」
「うん」
「もー、ちゃんと覚えなきゃダメだよ!」
「善処する」
と、この通り反省の色がない。
トウカイテイオーはぷんすこと怒りながらシルバーバレットの手を引いていく。
その途中でふと、思い出したようにトウカイテイオーが振り向いた。
「……そうだシルバーさん!ボクね!もうすぐデビューするんだ!」
「そうか」
……と、それだけを言った。
他に何かないのかと周囲が思う中、まぁそれがいつも通りのシルバーバレットなので誰も気にしない。
「だから応援してね!ボクもカイチョーみたいな強くてカッコいいウマ娘になるまで!」
「……ああ」
そんな、いつも通りのやり取り。
シルバーバレットの返事もいつもと変わらず。
トウカイテイオーは満足そうに笑って、そのままトレーナーの元へと走っていった。
……そんな様子を、物陰から見るふたりの影があった。
ひとりはシンボリルドルフ。
もうひとりはミスターシービーである。
ふたりとも、トウカイテイオーの様子を見に来たのだろうか。
シンボリルドルフはどこか複雑そうに、ミスターシービーは静かな目で。
「……綺麗だな」
どこか悲しそうに。
シンボリルドルフは、呟いた。
トウカイテイオーはキラキラしていた。
何の曇りもない、心の底から走るのが楽しいという顔をするトウカイテイオーに、シンボリルドルフは。
……だからだろう。
シンボリルドルフがトウカイテイオーのデビューを見に来たのも。
そのレースの観客に、シルバーバレットの姿を見つけて顔を顰めたのは。
「隣、いいかい?」
「……?はい、どうぞ」
シンボリルドルフを見つめるシルバーバレットの目は今日もぼんやりとしている。
シンボリルドルフを見ていない目。
シンボリルドルフは、それを虚しいと。
見ていて苦しいと感じるようになったのはいつからだろう。
「随分と嬉しそうだな」
「可愛がっている子のデビューなので」
くふふ、と笑うと同時に、トウカイテイオーが綺麗に走り出す。
ああ、綺麗だなとシンボリルドルフは思う。
こんなレースを今の自分はできているだろうか。
……無理だな、と。
そう、思った。
「……」
「……どうしました?」
「いや……すまない。少し考え事をしていたんだ」
シルバーバレットはやはりシンボリルドルフがシンボリルドルフと気づかない。
いつでもどこでもシンボリルドルフはシルバーバレットと話すことはなかった。
話しかけることもなかったし、その勇気もなかった。
だから、よく一緒にいるトウカイテイオーのレースなら見に来るだろうと、そう当たりをつけたのだ。
だが、
(……私は、何を)
何をしたいのだろう。
「?大丈夫ですか?」
「ああ……いや」
なんでもない、と言おうとして。
(あ)
ふと、気づいたら。
シンボリルドルフは、シルバーバレットの手を握っていたのだった。
「……え?」
「す、すまない!」
なにせシルバーバレットがひどく優しい顔をしていたから。
自分にも、他の誰にも向けたことがない、とても優しい笑顔で見ていたから。
シンボリルドルフはつい、握ってしまった。
「っ……すまない」
慌てて手を離す。
「いえ」
そんなシンボリルドルフにシルバーバレットは疑問ひとつ投げず、ゆるりと首を振っただけだった。
(何を考えているんだ私は)
まるでこれでは嫉妬じゃないか!
ああ。
私はなんて心が狭いのだろうと内心ひどく落ち込むシンボリルドルフを余所に、レースが終わろうとしている。
もう時間だ。
このレースが終わってしまえば、とどこか冷めた頭で考えるシンボリルドルフを他所に、トウカイテイオーの勝ちでレースは終わる。
「おめでとう、テイオー」
「ありがとっ!見に来てくれたんだー」
シンボリルドルフは気づいた。
もう自分が割り込んでいいわけがないことに。
今更だけど、それでももう気づいてしまったのだから仕方ないと。
もう離れていてよかった。
ここでテイオーに名前なんて呼ばれていたら…。
これで誰か分かったら心底申し訳なさそうに謝罪してくるのホンマ…。