さよならはまだ言えない   作:芦毛スキー

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───呼べない。



その名前は、

空になっていた缶を捨てに行く。

ボヤけた頭は上手いこと作用しない。

フラフラと歩く様を道行く子どもに笑われながら真っ白な廊下を歩く。

ポチ、とまた自販機で買ったいつもの飲み物を手にベンチに座る。

 

寝たくないからコーヒーを飲むのにクスリを飲んだ瞬間、眠くなってしまうのは何故だろう。

そう思っていると見慣れたキミがやって来たからもてなそうと。

したけれど出来なかった。

床に広がっていく綺麗だったモノが嫌に目に焼き付いて離れない。

 

部屋を綺麗にしておくからと追い出された先の外で「帰りたい」と漏らす。

もうすぐここからバスが出るんだっけ?といつかの記憶を漁りながら。

でもきっと僕は帰れないんだろうなぁとも思いつつ。

 

ここに入れられているが故に。

自分が、おかしいことは分かっているけれど。

何がおかしいのかまでは分からない。

瞼にずっと浮かぶ姿も飲んでいるクスリの影響か、ボヤけて止まないし。

あー……ダメだ。

 

キミは誰だっけ?

分からない、分からない。

名前も、背格好も、僕とどういう関係だったのかも。

思い出せないけどさ。

ただ一つだけ分かることがあるよ。

それはね…………。

 

────『キミはぼくの大切な人だった』。

 

ねぇ、教えてくれないか?

僕のこの感情は何なんだい?

愛しいと思う反面で憎らしくてたまらないコレは!

これほどまでに僕に巣食うのに逢いに来てもくれない『キミ』。

家に戻れば『キミ』に会えるような気がするのに。

会いたくても会えない。

それが酷く苛立たしく感じるんだ。

だから早く逢いにきておくれよ。

そうしたら僕はこんな場所から……。

 

 

重い足取りで会いに行く。

おかしくなった兄がそのおかしさ故に入院したと聞いたのはまさに青天の霹靂だった。

真っ白な個室にいる兄は、もはや誰のことも認識できなくなっていて。

見たことがないほどに荒れた模様を見せる兄に何度声を掛けたことだろうか。

それでも声に反応はなく。

お見舞いに来た人たちにも同じようで、でも『誰か』を確かに待っている。

 

その証拠のように毎日同じ時間に窓の外を見つめているのだそうだ。

今日もまた『誰か』を待つように外を見る兄の横顔を見て涙が出そうになる。

叫び、たくなる。

叫んで、すべてをぶちまけたくなる。

 

…だけどそんなことをしても意味がないのだと理解している俺はただ黙って病室を出た。

 

「帰ってこないものを待って、意味なんて」

 

やさしい兄が好きだった。

もう一度、子どもの時のように笑い合いたかった。

けれど突き放したのは自分の方で、突き放された兄が行き着いたのは。

 

「あ、ああ、あああ……!」





患者:
『誰か』を待っている。
それだけしか分からない。

見舞い客:
患者の弟。
患者に対してある種の悔恨を抱いたままどうにも出来なくなった。
もう二度と患者の目に自分が映ることはないのだと、理解しながらも微かな希望を抱かずにはいられないまま…。
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