さよならはまだ言えない   作:芦毛スキー

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だいぶダイジェスト版です。


大百科風:完成系

シルバーバレット

ニフンジュウキュウビョウノカイブツ

 

『「奇跡だ」なんて言わせるな』

-JRAヒーロー列伝

 

シルバーバレットとは、1980年生まれの元競走馬。牡・芦毛。

あまりの強さ故にタイムオーバー制度を変更させ、史上初の日本馬凱旋門賞・BCクラシック制覇を果たした怪物。

 

また、苦難の道を歩き続けた競走馬でもある。

 

主な勝ち鞍

(GⅡ、GⅢの勝ち鞍は省略)

1990:ジャパンカップ(G1)

1991: キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス(現在のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス)(G1)

ムーラン・ド・ロンシャン賞(G1)

凱旋門賞(G1)

BCクラシック(G1)

 

この記事では実在の競走馬について記述しています。

この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては「シルバーバレット(ウマ娘)」を参照してください。

 

◾︎生い立ち

父ヒカルイマイ 母ホワイトリリィ 母父ホワイトバックという血統。

父は二冠馬ヒカルイマイだが母方の血統は全くと言っていいほど活躍馬がいない。そもそもホワイトリリィも母父ホワイトバックも気性があまりにも荒すぎたために未出走馬だったのである。そりゃ誰も知らんわな。

 

なぜこの配合が行われたのかというと、…牧場に金が必要だったからという世知辛い理由のためだった。

シルバーバレットが産まれた頃の××牧場は衰退の一途を転がり落ちているようなものであったらしく、この時、牧場に残っていた馬はシルバーバレットを妊娠していたホワイトリリィだけという始末(その他の馬はすべて二束三文で売り払ったらしい)。

そのホワイトリリィにサラ系ということで牝馬が集まらず種付け値段が安価だったヒカルイマイをつけて生まれたのがシルバーバレットだった。

 

しかし、生まれたばかりのシルバーバレットは後の功績から考えられないほど疎まれていた。その理由は非常に体躯が小さく頼りなかったからである。そして耳もほぼ聞こえていないよう。これじゃあ売れない。こんな馬が走るわけないだろ!とろくに世話もされなかったシルバーバレットだったが母であるホワイトリリィに支えられ、すくすくと育っていった。

 

そんなシルバーバレットの初めての苦難は、殺処分されかけたことである。先程も述べた通り、シルバーバレットの体躯は非常に小さかった。その小ささは本格化しても400kgに至らなかったほどである。実質メロディーレーンみたいな感じ。大した活躍馬も出していない零細牧場の馬を買う人間もおらず、殺処分されかけたところを偶然近くに来ていた馬主である白銀仁氏に買われたのだという。

 

そこから母子揃って、白銀氏が知り合いであった███牧場へと移送され、面倒を見てもらうことになった。

 

 

さて、███牧場へと移ったシルバーバレットは大変大人しく面倒の見やすい馬であったという。だが母はバケモノ並に気性が荒かった。

調教も難なくこなし、新馬戦を逃げで軽く流し大差勝ちした。

 

そして、阪神3歳Sも当然のように流し勝ちし、一躍関西の期待馬に躍り出たのである。

 

 

◾︎1983年、夢潰える

 

一躍関西の期待馬となりクラシック三冠を目指すシルバーバレット、だったが第二の苦難が襲いかかる。

それは**厩舎の火事。空気の乾いた冬の日の深夜に燃え広がった炎は厩舎にいたほぼすべての馬を焼き殺すに至らしめた。

数少ない生き残りも火事の後遺症でそう時間がかからない内に競走馬を引退した中、唯一現役として残ったのが生き残ったシルバーバレットその馬だった。

火傷により左目がほぼ見えなくなったという後遺症はあったが走ることには問題がなかったのだ。

 

そんな彼は同期であるミスターシービーが三冠を獲るのを後目に、古馬相手であった毎日王冠を快勝。

その後、4歳以上のレースを2戦走り、1983年を終えた。

 

◾︎1984年、実力の一端

 

1984年になり、東京新聞杯、日経賞を制したシルバーバレットが秋の初戦に選んだのは去年と同じく毎日王冠。

だがその年の出走メンバーはひと味違った。

 

三冠馬・ミスターシービー。

1984年宝塚記念制覇、後にその年のジャパンカップを制するカツラギエース。

エアグルーヴの母であり、オークス馬であったダイナカール。

 

関西の3歳王者であれど一介の競走馬に過ぎなかったシルバーバレットはそこまで期待されていなかったのだが、…2着になったカツラギエースに3馬身差の勝利。

G1馬が最初から最後まで影を踏むことができなかった逃げに「とんでもない馬だ…」と観客が思ったのも束の間、シルバーバレットは右脚を剥離骨折。一時休養となった。

 

◾︎1985~1986年、天皇賞・春を目指して

 

剥離骨折の休養から復活したシルバーバレットは新潟記念を復帰戦とし快勝すると、短距離であるスワンステークスと長距離であるステイヤーズステークスに出走した。

普通の馬なら勝てない、はずなのだがこの馬は規格外。

悠々とこの2つのレースを勝利した。

後に本馬の主戦騎手である白峰透が著作『さよならはまだ言えない』で語ったことによると「シルバーバレットはその気になればどの距離でも走れるが、たくさん走れる長い距離の方が好きそうだったので短距離に出るのはやめようという話になった(要約)」とのこと。

 

シルバーバレットは長距離でも問題ない。

その事実が分かった陣営はこの馬の力を証明するため、1986年天皇賞・春を目指す。のだが、前哨戦として選んだダイヤモンドステークスにてシルバーバレットの右脚が複雑骨折してしまう。

 

見ていた観客から悲鳴が上がるほど折れていると分かる脚であり、普通なら予後不良となるところだったのだがこの馬に脳がやられているこの馬のことを信じている陣営は手術を決断。

獣医からも治療を渋られたほどの複雑骨折だったが何とか頼み込み手術は成功。

シルバーバレットはまた長い休養となった。

 

◾︎1987~1989年、復帰そして休養

 

何とか骨折から回復したシルバーバレットは札幌記念から始動。

何でお前ダートも走れるんだよ…。

そこから小倉記念、ウインターステークスと勝ちを重ね、天皇賞・春を目指し京都記念、中京記念と出走したのだが、…今度は左脚に屈腱炎を発症した。

あまりにも怪我が続くため、大事にならない内に競走馬を引退させようか…という話になったが、それに待ったをかける影が現れる。

 

そう、みんな大好き銀弾キチ…白銀創氏であった。

創氏は現在シルバーチャンプから連なる銀色の一族の馬主として有名な人だが、この時はまだピチピチの少年だった。

でもこの時から脳を焼かれている。

そんなこんなで純粋な子どもから檄を飛ばされた大人たちはもう一度立ち上がることに決め、シルバーバレットの治療に専念することとなる。

 

◾︎1990年、伝説のジャパンカップ

 

さて、屈腱炎も良化したシルバーバレットが復帰戦として定めたのは…まさかのジャパンカップだった。

 

いや、これには理由がある。

シルバーバレットはこれまで本命のレースに出る前に前哨戦としていくつかレースを使っていたがその度に怪我をし、出走できていなかった。

その苦い経験があり、前哨戦を使わず直接本命のレースに突っ込もうとなったらしい。それができるのはお前だけ定期。

 

ジャパンカップに出走することとなったシルバーバレットだが、世間からの言葉は冷たかった。

それもそう、この時すでにシルバーバレットは10歳のおじいちゃん馬だったのである。

勝てるはずがない、枠潰しと言われたのである。

 

だがしかし、シルバーバレットは勝った。

それも普通の勝ち方ではない。

 

2分19秒

 

という訳の分からないワールドレコードを引っ提げて勝っちゃったのだ。脳が壊れる〜。

 

そして2着馬であったベタールースンアップのタイムが2分23秒2という当時のタイムオーバー制度に引っかかるものであったため、このレースの結果からタイムオーバー制度が変更されたのは有名な話。

オグリキャップがいなかったら普通に適用されてたとか言うな。

 

◾︎1991年、二度と現れない英雄と最悪の終わり

 

1991年、引退するはずだったシルバーバレットは海外にいた。

陣営も引退させる気満々だったのだが、あんなアンタッチャブルレコードを出した馬をそう易々と引退させることはできず、JRAや社来グループなどから支援を受ける形で海外遠征となったのだ。

そりゃコイツが海外獲れなかったら誰が獲るんだって話。

 

そして、キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス(現在のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス)へと出走したシルバーバレットは、…2着であるGenerousに6馬身つけて快勝。Generousだって3着に7馬身つけてたんだぜ、コレ…。

 

そのまま勢いに乗ったシルバーバレットはムーラン・ド・ロンシャン賞を5馬身差で勝ち、本命の凱旋門賞へ突撃した。

 

で、36馬身差で勝った。

ハ?って思うだろ。筆者もそう思った。

取り敢えずコレを見てきてくれ→【1991年凱旋門賞 動画】

……な?嘘じゃないだろ?

 

この結果から『極東のセクレタリアト』と名付けられたシルバーバレット。

さぁ帰るのかと思いきや今度はBCクラシックに突撃したのである。

米国競馬はもう涙目。

そこでも2着を3秒近く引き離し快勝。

シルバーバレットもこのBCクラシックをもって引退となり、生涯無敗の化け物が誕生した。はずだったのだが、……シルバーバレットは日本に帰ってこなかった。

 

 

享年11歳。

死因は日本への輸送中に起きた輸送機の墜落であった。

しかも墜落した場所が海の上であったため、鬣も骨も何も残らなかった。

 

そんな彼の墓は彼の母であるホワイトリリィや彼の全妹であり、シルバーチャンプの母であるシルバフォーチュンがいる███牧場に建てられている。

今もなお、彼の墓には献花やお供え物が絶えないという。

 

 

◾︎"もしも"の怪物

 

シルバーバレットという競走馬を語るにおいて、「この馬こそが日本競馬史上最強馬である」と語る人は多い。

生涯無敗という記録もあるが一番は度重なる怪我にも負けず、年齢を感じさせない強さが決め手だろう。そして、そのまま還らなかったことも。

 

10歳の彼が出した2400mのワールドレコード2:19.0、11歳の彼が稍重の凱旋門賞で出した2:25.2というレコードと36馬身差の記録。

 

─────勝負の世界で"もしも"は禁句だ。

だがそれでも私たちは有り得たかもしれない"もしも"を思い浮かべてしまう。

 

"もしも"彼が怪我をしなければ…。

"もしも"彼がミスターシービーやシンボリルドルフと戦えたのなら…。

"もしも"彼が三冠競走に出ていたら…。

"もしも"、"もしも"、"もしも"、……"もしも"シルバーバレットが存在しない世界だったら…?

 

 

そう思えば思うほど、本当に夢のような競走馬だったと感じるのである。

 

 




死んでからも周りの脳を丸焼きにするタイプのウッマ。
本当に夢幻のようなウッマなんだ…。
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