夜の話。
そのトレーナーと、その担当バが寝床を共にするのは『ある重大な理由』があってのことだった。
「ごぼっ…」
生来、そのトレーナーの眠りは浅い。
ショートスリーパーである彼は2、3時間程度寝れば大体は疲労を回復できる。
そのため、
「…バレット」
「ん、んぅ…」
「口、ゆすぎに行こう」
うなされ、その結果吐いた担当バを洗面所へ連れていく。
そして口をすすがせ、顔を拭いてやり、またベッドまで連れて行くのだ。
「大丈夫?」
「……うん……ありがとう、せんせぇ」
そうして再び布団に入り込む。
しかし、その日はその後に少し違ったことが起きた。
「ねぇ」
「ん?」
「せんせぇは、せんせぇは、ぼくを…おいていかない、よね?」
ぎゅっと服を掴みながらそんなことを言ってきたのだ。
まるで捨てられる子犬のような表情で。
(あぁ)
この瞬間、彼の脳裏にはとある記憶が蘇っていた。
それは彼がこの担当バと出会った時の記憶だ。
あの時の彼女も今のように捨てられた子犬のような目をしていた。
だからこそ放っておけなかったし、今もこうして面倒を見ているわけだが……。
「置いていくもんか」
「ほんとう?ぜったい?」
「絶対さ」
頭を撫でてやると気持ちよさそうに目を細める。
「でも、なんで急にこんなこと言い出したんだ?」
「……だって、みんな言うから」
「みんな?」
「ぼくのことを、『バケモノ』っていうひとたちがいるから」
「…………」
「だからね、もしそうなら、せんせいもいつかどこかへいっちゃうかなっておもって」
「そっか」
確かにそういう噂はあるかもしれない。
影の薄いウマ。
けれどもひとたびレースに出走すると目を向けずにはいられない光となって。
恐ろしいのに、魅せられずにはいられない。
そんな存在。
「大丈夫だよ」
…それでも、目の前の助けを求める誰かの手を離すつもりなんてない。
少なくとも自分の手を必要とされなくなるまでは。
「僕はここに居るから。どこへも行かないよ」
「……うん!」
そう言うと安心したのかそのまま眠りに落ち。
それを確認してから、『先生』と呼ばれた男は静かに身を起こし、充電しながら置いておいた近くのラップトップパソコンを起動する。
そして慣れた手つきでキーボードを叩き始める。
…とはいえ、日中よりはそのスピードは遅いのだが。
「…」
その横で眠るウマに起きる気配はない。
きっと男がいさえすればいいのだ。
いさえすれば少し光源で眠りにくかろうが、キーボードの音で少しうるさくなろうが気にしない。
ただただ男の隣で幸せそうな顔を浮かべていた。
「…おやすみ」
うなされ、寝ながら吐いてしまう故に窒息しかけてタヒにかけたことがあるウマとそれが少しばかりのトラウマになって傍にいる男。
どうか、どうか、…そばにいて。