【白猫】が三冠馬になった世界線の話の続き。
今もなお最強牝馬と名のあがるホワイトキティの最初で最後の唯一の産駒として、1973年に生誕したのがホワイトリリィであった。
父は母であるホワイトキティと相思相愛で有名であった、引退年に宝塚記念・天皇賞(秋)・有馬記念を含め老年でありながらその年無敗で引退したホワイトバックで、数多くの不受胎の末ようやっと成された悲願であった。
がしかし、母ホワイトキティは同馬を出産して直後に力尽きた。
性格面は競走能力が高い半面気性が荒いことでも有名な父ホワイトバックとはまた別種の気性の荒さで、父ホワイトバックが「気まぐれな、何がスイッチか分からない」ものなら、本馬の気性の荒さは「貴位が高い」ものであったという。
また体格は生まれたばかりとは考えられないほどしっかりとしており、夭折したホワイトキティの後継として多くの期待を寄せられた。
競走年齢の3歳に達すると、父母を管理していた白峰史厩舎に入る。
入厩の日にはあのホワイトキティの産駒だと評判になっていた同馬を見ようと厩舎関係者だけでなく報道陣も含めた大きな人垣ができ、この時点で既に並の牡馬の馬体重を超えていたホワイトリリィは群がる人垣を見ても驚くことなく悠然と厩舎へと歩いていったという。
初戦は4歳を迎えた1976年1月31日、東京競馬場の新馬戦で迎えた。
後に「伝説の新馬戦」としばしば語られるこのレースにはTTGと呼ばれる三強のトウショウボーイ・グリーングラスと、トウショウボーイとの間にミスターシービーを産むシービークインが出走していたが、1番人気に支持されると、父母の鞍上も務めた灰方勤を鞍上にスタートから逃げ切り、2着のトウショウボーイに8馬身差を付けて初戦勝利を挙げた。
その圧倒的勝利から初の三冠牝馬も夢ではないと称えられたが、2戦目のクイーンCの5馬身差勝利を最後に引退(二着はのちに桜花賞と優駿牝馬を制し二冠牝馬となるテイタニヤ)。
引退の表向きの理由は母ホワイトキティの後継となるためであったが、後年同馬の引退とともに鞭を置き調教師となった灰方勤が語るところには「彼女(ホワイトリリィ)の相手として、お眼鏡に適わなかった」からだと述べる。
母ホワイトキティのどれだけスピードを上げても息切れひとつなかった圧倒的なスタミナと父ホワイトバックのなぜその走り方で速いのか分からない原始的な野生の走りを受け継いだホワイトリリィは自分と対等である存在を求めていたが誰もその影すら踏めなかったことで諦め、調教でも走らせようとすると機嫌が悪い時の父ホワイトバックのような挙動をするようになったと。
そのため父譲りの特徴的な走り方でいつか故障を起こすかもしれない可能性とこれ以上の気性悪化を鑑み、引退となったという…。
【白百合】:
ホワイトリリィ。
【白猫】三冠馬世界線では父母と同じ馬主・調教師・鞍上で2戦だけ走っている。
父母譲りのオーパーツ走りをもって2戦だけでも結構脳を焼いてる。
だって世代がTTGだしね。
なお引退レースとなったクイーンCは本来そのまま走っていたなら大差勝ちになっていたところを傍から見ても見るからに力を抜いて…での5馬身差勝利だった。
…これで引退でしょ?情緒メタメタなるで。
また【白猫】みたくワールドイズマイン的な誰も見ないって感じではなく、自分と対等にあれる相手を欲し、見ようとしたが、2戦でそんなのいねぇやって気づいたため諦め自暴自棄引退。
走りのスタンスは、【白猫】ができるからやった型で、のちの我が子が走るのが 楽しい!型であるなら、【白百合】は走るのが好きでもなく普通で自分と対等な奴がいれば楽しくなるかもしれない…型だった。
周りからの父母から来る期待があったから走ってただけで本馬としてはどっちでもよかった感じ。
で、引退後は基本父ホワイトバックの傍で繋養されていた。
そうして、ホワイトバック死後の1980年に父ヒカルイマイの牡馬を…。