さよならはまだ言えない   作:芦毛スキー

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生存‪√‬より史実‪√‬の方が良いのはこの子だけの模様。


あの人の思い出

私-黒谷薫(くろたにかおる)はその人のことを『おうまのおじさん』と呼んでいた。

交通事故に遭いかけた私はその『おうまのおじさん』に助けられ、生き残った。

でもおじさんは私を庇ったためにそれまでしていた仕事を辞めざるを得なかったらしい。

幼いころの私はそんなこと知る由もなかったが。

 

そんな負い目がある私の両親は近くにあるアパートに暮らし始めたおじさんの様子を時おり見に行くようになった。

おじさんは優しい人であったが人として生きるためには生活力諸々が幼い視点から見ても足りているように見えず…。

それなりの頻度でおじさんの家に私たちは訪れていた。

 

『おじさん!』

『…あぁ、カオルちゃんか』

 

私の両親は共働きだったからおじさんの家によくお世話になった。

学校帰りにおじさんの部屋に行くたびにおじさんは何か書き物をしていた。

床にはよく埃とともにぐちゃぐちゃに丸められた原稿用紙が落ちていて、それを掃除するのが放課後の私の役目だった。

 

『おじさん、おうまさん見よ!』

『…あぁ、うん』

 

私が彼のことを『おうまのおじさん』と呼び始めたのは出会ってから少し経ったころのこと。

動物全般が好きだった私はその中でも週末に時おり放送される競馬が好きな変わった子どもだった。

親はギャンブルなどしない人だったから家で見るのは止められていたのでおじさんの家で満足いくまで見ていたのを覚えている。

 

『おじさんはどのおうまさんが勝つと思う?』

『うーん…あのおうまさんかなぁ』

 

おじさんは基本的にいつも勝つ馬を当てていた。

なぜ当たるのか分からないと言っていたが。

それ以外にも競馬というものについてさまざまなことを教えてくれたのはおじさんだった。

いつしか私はおうまさんのことを一番といえるくらい好きになっていた。

 

『カオルちゃんの将来の夢はなんだい?』

『えっとね、』

 

その日はおじさんの部屋で「将来の夢」というよくある作文を書いていた。

おじさんと出会う前なら動物のお医者さんだとかケーキ屋さんだとか書いていたのだろうが、

 

『おうまさんに乗る人になりたい!』

 

笑ってそう言った私におじさんはぴたりと動きを止めた。

『おじさん?』と私が問うと『…うん、いい夢だね』と肯定してくれた。

おじさんなら肯定してくれると思った!と思う私とは裏腹に、おじさんの顔がどこか曇っていたのを覚えている。

 

『おじさーん!』

『こら、大きな声出さないの』

 

母に注意されながら、その日もいつものようにおじさんの家に訪れた。

おじさんが出迎えに来ないのはいつものこと。

今日も何か真剣に書いているのだろうとおじさんがいつもいる部屋のドアを開ける。

だが、そこには…、

 

『おじさん…?』

 

 

おじさんの死因は餓死だった。

あの日の前に渡した母の食事もそのままだったらしい。

おじさんの最期の姿を私はそこまで覚えていない。

母に目を塞がれたから。

しかし、その小さな背が埃だらけの床に倒れていたことはひどく覚えている。

 

「ねぇ、おじさん。…いや白峰さん」

 

今日は報告をしにきたの。

 

「私、騎手になったよ」

 

夢を叶えたんだよ、褒めてくれる?

 

「白峰さんみたいな騎手になるから、どうか見ていてください」

 

そう言って手を合わせた『おうまのおじさん』こと白峰透の墓にはたくさんの花とお供え物が供えられていた。




黒谷薫:幼い頃に白峰透に救われた女性。
白峰透の名を知ったのは白峰透の死後であり、それまでは「おうまのおじさん」と呼んでいた。
白峰透のことを慕っており、騎手となった今では尊敬の念を抱いている。
無自覚に白峰透から薫陶を受けており、まだまだヒヨっ子だが「天才」の片鱗が見える。
銀弾生存‪√‬よりも史実‪√‬の方が幸せである稀有な存在。

生存‪√‬だったら「天才」の再来である白峰透が自分のせいで騎手を辞めざるを得なかったことに罪悪感を感じて、覚悟ガンギマリで自分が『白峰透』の代わりになろうとしているから…。

白峰透:「おうまのおじさん」。
黒谷薫を交通事故から助けた結果、酷い怪我を負い騎手を辞めざるを得なかった。
それを知っている黒谷一家から世話を受けながらアパートで暮らしていた。
黒谷薫のことを可愛がっており、黒谷薫が来た時だけ競馬の放送を見ていた。
その最期の顔はひどく穏やかなものであったという。
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