幼いころ、車に轢かれかけたことがあった。
それは本当に小さいころの話で、フラフラと車道に行く私に母は気づいておらず、間一髪のところでとある男性に助けられた。
「お嬢さんに怪我がなくてよかった」と笑ったその人の人生を奪ってしまったことに私が気がついたのは中学生のときで。
『白峰透』と名乗ったその人。
事故のあとも交流を持っていた優しいその人の経歴を見たとき、自分はなんてことをしたのだろうと思った。
「天才」の再来と謳われていたその人の記録は嫌というほど残っていて。
紙面の中のその人は人々から歓声を浴びて笑っていた。
キラキラと輝くような笑顔。
『あの時、キミを助けていなかったら僕は相棒に軽蔑されていただろうから。
…だからキミが気に病む必要はないんだよ』
あの人はそう言ったけど、私が奪ったのだ。
誰もが彼の名前を語り、引退を惜しむほどの才能を私が奪ったのだ。
そう、理解したその日から私の夢は責務へと切り替わった。
*
昔の、幼いころの夢はなんだっただろう。
獣医だったか、ケーキ屋さんだったか。
もう、忘れてしまったけれど。
「…今日もよろしくね」
撫でたその子はいつもと同じように機嫌が悪そうな嘶きをして。
彼もあの人の相棒の血を引いているらしい。
あの人の相棒は今現在種牡馬として、静寂なる日曜日という名前を持つ存在と同じくらい有名だ。
しかしその馬とあの人が残した軌跡を考えると…。
「…はぁ、」
…あの人の人生を奪ってしまった私は、あの人と同じように『騎手』になった。
「キミの好きなように生きていけばいい」とあの人は何度も言ってくれたけれど奪ってしまった私にはこの道しかなかったのだ。
「カオルちゃん」
「しっ、白峰さん、おはようございます!」
ぼんやりといつものように思いふけっていると件の"あの人"-白峰透さんがよっ、と手を上げていた。
騎手になった私は現在白峰さんの厩舎に所属している。
「今日も頑張っているみたいだね」と優しげに笑うその人に私は「いえ…」といつものように謙遜する。
「この前も勝ってただろ?そんなに謙遜しなくても…。
パックも元気そうで何よりだ」
「はぁ…」
私の相棒-シロガネツーパックが機嫌よさそうに白峰さんに撫でられる。
パックは少しばかり気性の荒い馬だ。
ここ最近でやっと普通に接してもらえるようになったが、初対面の時は死ぬほど威嚇された。というよりもキレ散らかされたに近いかもしれない。
「キミは父親似かもねぇ」と笑う白峰さんには心地よさそうに撫でられてるんだからもう…。
…私には撫でられないくせに。
「パックは照れてるんだよ」
「どこがですか?」
「カオルちゃんが綺麗だから、ねぇ?」
白峰さんにそう言われたパックはプイ、とそっぽを向く。
そんなパックの姿に白峰さんはひとしきり笑って、落ち着いてから「今日の調教を始めようか」と静かに言った。
「…はい」
────いつか貴方に報いるために。
そう意気込んで私はひとつ深呼吸をするのだった。
黒谷薫:『白峰透の愛弟子』
白峰透が興した厩舎に所属している現在唯一の騎手。女性。美人。
学校は主席で卒業した。『天才美人騎手』と世間では言われている。
自分が騎手としての『白峰透』を殺してしまったために自分が『白峰透』になろうとしている女。覚悟ガンギマリ。
白峰透が示すクソ高いハードルを越えられる才能があったのが運の尽き。
これからお手馬がみんな一癖も二癖もあるヤツらになるし、いちばんはじめの相棒となったシロガネツーパック(父エアシャカール)で日本ダービーを獲る。
シロガネorシルバー冠名の気性難専用騎手になる未来が決まっている。
多分ウマ世界にトレーナーとしていたらバリくそ気性悪いウマ娘たちをまとめている女傑になる。
白峰透:元騎手、現調教師。
愛弟子の黒谷薫を可愛がっているが、出す課題のハードルが自分基準なのでクソ高い。
本人は無自覚だが人為的に『天才』を作っているようなもの。
優しい顔してえげつない課題出してくるおじさん。