さよならはまだ言えない   作:芦毛スキー

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愛して、愛して、愛して。



怖がり

目を覚ますと、妻が俺にウマ乗りになっていた。

 

「…どうした?」

 

薄暗い寝室の中で、寝惚けた手をゆるりと伸ばし頬を撫でれば、彼女はうっとりと目を細め、俺の手のひらにすり寄ってくる。

 

「ん……ちょっとな」

 

妻はそのまま俺の手を口元へ運び、人差し指と中指を口に含んだ。

第二関節まで咥え込み、指の腹で舌の表面を撫でれば、唾液が指に絡みつく。

 

「……まだ足りないか?」

「もう、大丈夫」

 

そう言って口を離した妻の唇はてらてらと光り、まるでグロスを塗ったように艶やかだ。

その唇がぴしりと凍ったように真一文字になる。

 

「なんだ、悪夢でも見たか?」

「…あぁ」

 

彼女が言う。

「お前が離れていく夢を見た」と。

彼女以外を選んで、彼女を捨てた、そんな夢だったと。

 

「そうか」

 

俺が言う。

 

「大丈夫だ。俺はもうお前から離れたりしない」

 

彼女が笑う。

 

「知ってるよ……私の旦那様は、私にぞっこんだからな」

 

そう言って、彼女は俺の胸に顔をすり寄せた。

俺はいじらしい妻をぎゅっと抱き締める。

彼女の温もりが心地良い。

この温もりを手放すなんて考えられないし、考えたくもない。

もう彼女なしの人生なんて考えられないのだ、俺は。

 

(なら……)

「なら、安心して寝てくれ」

 

俺は彼女の頭を撫でながら言った。

俺の胸に顔を埋めたまま、彼女は答える。

 

「……うん」

(……離すわけ、ねぇだろ)

 

彼女が言う。

 

「そりゃあこっちのセリフだ」

 

彼女が誓う。

 

「ずっと、そばにいるよ」

 

そして彼女は、俺をぎゅっと抱き締めた。

「おやすみ、旦那様」と言い残し、彼女は目を閉じる。

もう悪夢は見ないだろう。

いや、俺が見せたりしないさ。

そんな思いを込めて、俺も目を閉じたのだった。

 

 

夢を見た。

愛しい人を殺す、夢を見た。

両手で抱えられる大きさの箱に愛しい人を詰めて、大事に大事に抱える、夢を見た。

 

『……』

 

だって、怖いのだ。

生きている人間は、目移りする。

生きている人間は、何処にでも行ける。

真に、自分のモノになんて…なるわけがない。

だから。

夢の中の彼女は、愛しい人を箱に詰めて、蓋を閉じた。

そして彼女は思う。

「これでずうっと一緒」と。

 

 

目が覚めたら、妻がいなかった。

彼女を探してリビングへ行けば、ちゃぶ台の上に書き置きがあるのが目に入る。

『買い物に行ってくる』とだけ書かれた紙切れを見て、俺は安堵のため息をついたのだった。

 

(朝方、夢見が悪かったから……)

 

きっと妻は俺を気遣って外に出掛けたのだろう。

思えば、妻の目元には微かに隈があったように思う。

化粧で巧妙に隠していたが、夫を舐めるなと言いたい。

俺は、妻の書き置きを丁寧に折り畳んで財布にしまう。

そして身支度を整えた。

今日は休日だ。

たまには妻と一緒に出掛けるのも悪くないだろう。

 

「ちょっと出てくる」

「ん、いってらっしゃい父さん」





愛してるけど怖い。
愛しているが故に、ずっとずっと自分の手の届く範囲に大切な人を閉じ込める夢を見る。
それが…怖いの。
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