はじめそう言われた時、その男がなにを言っているのか分からなかった。
『僕なら勝たせることができます』
その言葉を言ったのが他の人間であったのならただ一笑に付しただろう。
だが、その男の言葉には…、
『どうします?』
その男の手を取った私は、見た。
それが『奇跡』なのか、それとも『魔法』であったのかは分からない。
だが、そういった類いのものを、私はあの日、しかと目に焼き付けたのだ。
「天皇賞・春を勝ちたい…?」
「ハイっ!」
予定表を持つ僕の横にいるのは、現在面倒を見ているサクラバクフウオー。
僕が面倒を見た者の中でもシロガネシンゲキと並ぶ、生粋のスプリンター。1200mのスペシャリスト。それがサクラバクフウオーである。
「なんで?高松宮記念も出るだろう?」
「天皇賞・春を勝つのがオレの夢ですので!
…もしかして、お忘れでしたか?」
「…いや。そうか」
キラキラと目を輝かせるバクフウオー。
…こうなったコイツはもう止められない。
「…分かった」
「!」
「作戦を考える。やるからには、勝つぞ」
「ハイっ!!」
・
・
・
それから、時は経ち天皇賞・春。
サクラバクフウオーは昨年の最優秀短距離選手賞を獲った存在だ。
そして前走の高松宮記念も楽々と勝利しており、調子も上々。
…完全に思惑通りだよ、笑えるくらいにね。
「気分はどうだい?」
「えぇ、これ以上ないと思えるほど良いです!」
「なら良し。…楽しんでいこう」
サクラバクフウオーの今回の人気は下から数えた方がはやい。
そりゃあそうだ、サクラバクフウオーという存在には短距離を主戦場とする生粋のスプリンターという、または最初から最後まで体力の続くかぎり逃げ続ける存在だという
それを利用しない手はない。
ゲートが開いて飛び出していく彼らを後目にサクラバクフウオーは最後方に控えた。
ほら、もうここから崩れてる。
誰もがサクラバクフウオーがレースを作ると思っていたのだろう。
レースを作らせて、落ちてきたところを喰らえばいい、と。
だが今回は違う。
いの一番に飛び出してしまったヤツはそのまま走り続けるしかないし、後方も後方でサクラバクフウオーがその場所にいることに動揺している。
そう、それでいい。
それでこそ事前にスクーリングをして体に叩き込ませた甲斐がある。
…知ってるか?
サクラバクフウオーってのはな、生粋の、
*
あの方だけがオレの夢を笑わなかった。
『やるからには勝つ』と、そう言ってくれた。
高松宮記念のトレーニングと並行しての練習は死ぬんじゃないかと思うほどキツかったですが、あの方の信頼を頼んだ側のオレが踏みにじるわけにはいきませんので。
ゆっくり、ゆっくりとひとり、またひとりと抜かしていく。
普段の自分では考えられないほどの距離を走っているというのに、脚も、肺も笑えるほどにピンピンしている。
『残り1200m!ここでサクラバクフウオーが先頭に立ちました!!』
「…では、スプリント勝負としゃれこみましょうか」
ドッ、と脚が強く強く地面を踏み込む。
そして、
「1200mなら誰にも負ける予定はありませんので」
ここからはいつも通りの走り。
後方から追いすがってくる音がしますが、
『いつだって!春に桜は咲くものだ!!
薄曇りの京都に満開の桜が咲き誇る!!
なんと、なんと!1200mのスペシャリスト・サクラバクフウオーが!!天皇賞・春を逃げ切った!!!!』
この
「
大きな大きな歓声を浴びながら、そうサクラバクフウオーがつぶやいた言葉にシルバーバレットはこくりと、満足気に頷いていた。
サクラバクフウオー:父サクラバクシンオー、母父シルバーバレット。
生粋のスプリンター。1200mのスペシャリスト。
生涯短距離戦線を沸かし続けたが、人々の記憶に刻み込まれているのはあの一戦だろう。
騎手生活晩年の白峰透が手綱をとった天皇賞・春。
1200mなら誰にも負けない。負けることを知らなかった競走馬。
それがサクラバクフウオーである。