気がつくと、私は学生の頃に読んでいたラノベ『蒼天のエイセル』の世界に転生していた。
『蒼天のエイセル』は現代社会を舞台にした物語で、異能と呼ばれる超能力が一部の人間に備わっている世界だった。そのストーリーは異能者を育成する学園を中心に、主人公とその仲間たちが張り巡らされた陰謀に立ち向かっていく。というモノだったと記憶している。
そんな異能バトルが行われる世界に生まれ直した私だが、転生したこともあってか、幼い頃に異能を獲得してしまった。それも、どこかのラスボスじみた『時間操作』というチート能力を得てしまったのだ。
この異能は名前の通りに時間を操作する能力で『時間を停止』させたり、『時を巻き戻し』たり、『未来へ移動』したりと、時間にまつわるありとあらゆることが可能なとんでもない力だった。
異能に目覚めた当初は、こんなヤバい力とっとと捨てたい、と願っていたのだが、ある日ふと、私は思ってしまった。
この力があれば、私は最強になれるのではないか、と。
前世では何事においても平均かそれを上下していた私だ。私は特別なにかに秀でていることはなく、かと言って特別なにかに劣っている訳でもない、探せばどこにでも数人はいるような、平凡な人間であった。
そんな私が、全世界を見渡しても五指に入るであろう強力な力を得てしまった。異能という個人に紐付けられた唯一無二の強大な力を、得てしまった。
だから、夢を見てしまったのだ。
平凡だった私が全ての他者を上回り、最強という頂きに君臨する、その姿を。
だから、私は最強を目指し始めた。
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最強を目指す私の朝は、それ程早くない。
学生寮の同室で寝食を共にする友人は部活の朝練があり、私よりも一時間は早く登校をする。朝の支度をしながら窓を覗けば、そこには校舎を目指す多くの女子生徒の姿がある。
ベルをセットしていない目覚まし時計を見れば、時刻は八時と十分。このままでは食事を取ることもできず、遅刻すら免れない時間だ。
だから私はいつも通りに異能を使う。
これが毎朝最初の鍛練だ。
意識を集中して、できうる限り最小の揺らぎで『固有位相』を励起させる。誰にもさとられないように、誰にも気付かれることのないように、ひっそりと静かに。
そうして発動するのは小部屋サイズの『時間断層の発生』。時間断層とは限りなく零に近い極小の隔離された時間であり、時間ベクトルを認識できる異能者でも知覚は難しいであろう、実質私だけの領域だ。
私は時間断層へ入り込み、そこで固有位相を全力で励起させた。
異能者個々人が持つ異能の根源である固有位相。それを全力で励起させることによって、私の異能は効果範囲を全世界へと拡大させる。
擬似的な時間停止である時間断層は、その大きさを小部屋サイズから惑星クラスへと変化させた。
そして、この際に生じる極大の固有位相の揺らぎは、誰にも認識されることはない。なぜなら私は誰にも知覚されることない時間で行動しているから。
「ふぅ」
毎回一番気を遣う工程を終わらせて、いったん息を吐く。
それから行うのは、ベッドの下に隠した秘密の箱を取り出すこと。
這いつくばって取り出した箱の中には私愛用の品々が入っている。今日選ぶのは――
「これかな」
重さ十キロのダンベル二組だ。こいつはこの前、時間停止中に町へ降りて購入してきた新入りである。
やはり、最強の異能者は強靱な肉体から生まれる。
私は今日も実時間換算で二時間ほどトレーニングをしてから、遅刻ぎりぎりに登校した。
・・・・・・・・
才能というのは無情なものだと、私は固有位相を制御する鍛練を行いながら、窓の外を眺めて思った。
見下ろす先の校庭では、特進科の生徒たちが特別に招致された教師の指導の下で、異能の強化訓練を行っている。だが、彼らの平均的な練度は、見る限りでは私の六歳の頃のそれと変わらないように見受けられる。
上を見れば相応の実力を感じさせる者がいたり、よくよく見て秘められた才能を感じさせる者はいたりするが、そんな彼らは誰もが原作の物語『蒼天のエイセル』に登場した主役準主役級や名有り級の人物たちとなっている。
だからこそ、才能という絶対的な格差を孕んだ異能者という道を選んだ彼らを、哀れに思ってしまうのだ。
「……ゃ、ちゃん、さやちゃん」
頬杖をついて物思いに耽っていると、後ろから小声で私を呼ぶ声がした。
後ろの席に座るのは、学生寮の同室者であり私の数少ない友人でもある小野遥ちゃんだ。そのため私を呼ぶ声は十中八九彼女のものだと思われる。
私は後ろを見て彼女が呼ぶ理由を尋ねようとすると、彼女はいつもははつらつとしている顔を焦った表情に変えて、窓とは反対の方向を指差す。
遥ちゃんが指差す方向を向いてみれば、担任の女性教師が冷めた目でこちらを見ていた。
「湊さん」
「はい」
「特進科に憧れるのを悪いことだとは言いません。この学園の生徒なら、特進科を夢見ることは、誰もが一度はあるでしょう。」
「はい」
「ですが! 今は授業中です! 集中なさい!」
「……はい」
そんな一幕を経て、お昼休み。
私は羞恥で死にそうになっていた。
「うぅっ、恥ずかしい」
「みんなに見られてたもんね」
後ろ向きで椅子に座り、遥ちゃんの机にうずくまっていると、上の方からそんな言葉か降ってくる。それは目立つのが嫌いで事なかれ主義をモットーにする私には刃渡り三十センチを超す特大ナイフが突き刺さってくるようなものだった。
「うぅっ」
「あはは、沙耶ちゃんが注意されるのなんて、たぶん始めてだもんね、先生も最初びっくりしてたよ」
「うぅ」
恥ずかしすぎて顔から火花が飛び散りそうだった。けれども、今はお昼休み。お昼休みには昼食を取らなければならない。食事は強靱な肉体造りには欠かせない要素である。最強を目指す者として、昼食を抜くことはできなかった。
私は起き上がり、前もって購入しておいた総菜パンを食べ始める。
「おろ? もう立ち直ったの?」
遥ちゃんの言葉に、私はふるふると首を振る。
「あははぁ、記念に沙耶ちゃんの顔スマホにとっちゃお」
「うぅ」
遥ちゃんの行為は鬼の所行だったが、才能の優劣ににうつつを抜かして警戒を怠ったのは私の落ち度だ。戒めとして無抵抗を貫いた。
「でもどうしたの? 授業中に先生を無視するなんて、沙耶ちゃんらしくないよね」
「私、先生無視してたの?」
「うん」
その言葉にまた一段と気分が重くなった。
私は普段は寡黙系地味少女として人目を忍んでいるのだ。最強を目指す者として、事なかれ主義をモットーとする者として、目立たないことを心がけてきたのに、とんだ失態だった。思わず『時間遡行』を使いたくなったくらいには、精神的ショックを受けている気がする。
そんなことを考えていれば「ねぇ」と遥ちゃんが顔を近付けてきて小声で語りかけてきた。
「もしかしてさ、好きな人でもできた?」
「はぁ」
「えぇー、なにその反応、つまんないなぁ」
紙パックの苺ジュースをストローで吸いながら、遥ちゃんは不満げな顔をした。
「じゃあ、なに、沙耶ちゃんも特進科に行きたくなったの?」
少し寂しげにそう言う彼女に対して私は答える。
「私、異能を使って戦ったりするの恐いから、絶対特進科になんて行かないって」
これは本心だ。だから私の目指す最強は、戦闘で誰にも負けない最強ではなく、誰よりも優れた性能を持つ最強、カタログスペック最強なのだから。
「むー、じゃあなんで特進科の方をずっと見てたの、理由を言って、理由を」
「あー、あはは」
思い返せば最初に彼らを見た理由は、遥ちゃんには言えないモノだった。だから笑って誤魔化そうとしてみたのだが。
「あー! やっぱり気になる人がいるんでしょ! 教えるのだぁ!」
「あ、あははは」
言えるわけがなかった。
もうすぐ『蒼天のエイセル』の物語が始まって、特進科に所属する主人公たちが学園を巻き込んだ陰謀と対峙することなんて。彼らに不干渉を決め込んだ私が、今になって彼らの行く末を気になってしまっているなんて。
この底抜けに明るい無関係の少女に言えるわけがなかった。
勢いのまま夜なべして書きました。続きはないです。