「ねぇ阿賀野、今暇? 用事に付き合って欲しいんだけど……」
「……何ですか長良さん。ま〜た走り込みですか?」
「いや、今日は走り込みじゃなくて……」
「阿賀野さん!! 暇とか関係ないんで付き合ってください!!!」
唐突に現れた秋雲に詰め寄られる。その剣幕に押されて阿賀野がのけぞる。
「付き合ってくれますよね!?」
「な……何に……?」
「付き合ってくれますか?!」
「いや……だから何に?」
「付き合ってくれるんですね?! ありがとうございます!」
「何で!?」
「もう一分一秒でも惜しいんです! 早くお願いします!」
「苦しい苦しい!」
秋雲に胸倉を掴まれて懇願される。
「……何してるの?」
「描いてる漫画の締め切りが近いとか何とか……」
「へぇ〜……」
秋雲の有無を言わさぬ勢いに押し切られ、内容も分からないまま部屋まで来る。当の秋雲は焦燥しきった様子でパソコンをいじってはブツブツと何か呟いている。
「つまりそれを手伝って欲しいってこと? 阿賀野あんまりそういうのよく分かんないだけど……」
「絵を描いたりするわけじゃないよ、資料になって欲しいんだって」
「資料?」
「うん、絵を描くときに参考にするからポーズとかとって欲しいんだって」
「へえ〜……」
「じゃあ早速描きますんでよろしくお願いします!」
タブレットを持った秋雲が深々と頭を下げる。
「いいよ〜、どんなポーズすれば良いの?」
「えっとですね……」
「ねぇ何これ……?」
文字通り4の字に足を組んで仰向けになってる阿賀野に長良が足を絡ませている。
「プロレス技です」
「……資料ってこれのこと?」
「そうです! 集めた資料がパソコンのフリーズで全部消えたんですよ!」
「そ、そうなんだ……」
「ちなみに原稿データも消えました!!」
「た……大変だね……」
「じゃあ長良さん本気でお願いしますね」
「任せといてー!」
「え!? ちょっと待って! ちょっと待ってください!!」
阿賀野の呼び掛けに長良と秋雲がきょとんとした顔でこちらを見る。
「本気で技かける必要ないよね!? 形だけでいいでしょ!?」
「でもやっぱり真に迫ったところじゃないと……」
「えーちょっとそれは無いんじゃない!? 長良さんだって大変ですよね!?」
「でも確かにやるからには本気の方が……」
「あー駄目だ共感しちゃってるー!!」
「あのー! 時間が押してるんで早くして下さい!」
「秋雲ちゃんちょっと待って……」
「早くして下さい!!!」
秋雲の一喝で異議申し立ては無意味。もうやるしかないのだと阿賀野が悟る。
「……長良さん」
「何?」
「なるべく優しくお願いします……」
「分かった」
「…………」
『長良さん本当に分かってくれたのだろうか?』真っ先に阿賀野の頭に思い浮かんだ考えがそれだった。不安だが珍しく二つ返事で了承してくれた長良を信じるしか今の阿賀野にはなかった。
「オラオラオラオラーーーー!!!」
「痛い痛い痛い痛い!!! 痛ーーーい!!!」
「…………」
「秋雲ちゃん描けた!? もう描けた!?」
「…………」
「ねぇ何か言って!? お願い何か言って!?」
「阿賀野さんちょっと静かにして下さい! 集中出来ない!!」
「えーーー!?」
「オラオラオラーーー!!!」
「長良さんはいつまで言ってんですかそれーーー!!!」
「はいもういいです」
秋雲のその一言で技が解かれる。
「死ぬかと思った……」
「楽しかったね〜」
「いや全然楽しくないですよ!!!」
鈍い痛みの残る脚を引きずって阿賀野が長良から離れる。
「優しくして下さいって言ったじゃ無いですか〜!!」
「優しくしたよ」
「したの!?」
「本気でやってたらこの程度じゃ済まないよ」
「え、えぇ〜……」
この程度じゃ済まないと言う長良と悶えてた自分なんて意にかさず絵を描いてた秋雲に阿賀野は少しだけ恐怖を覚える。
「じゃあ長良さん次の技お願いします!」
「よしきたー!!」
「こないでー!!!」
そんな叫びも虚しくうつ伏せになった阿賀野の背中に長良が跨る。
「今度はどんなやつなんですか……?」
「今度はねー、こうやって顎に手を回して思いっきりグイーと……」
「苦しい苦しい!! ギブアップギブアップ!!」
「あ、そのままお願いします」
「え、ちょっと……」
「任せといてー!」
「任されないでー!」
数分後
「描けました!」
「ほんと!?」
「じゃあ別の構図からも描きたいんで引き続きお願いします」
「えーーー!!?」
更に数分後。
「はい、もう大丈夫です」
秋雲の一言で技が解かれると阿賀野がうつ伏せのまま四肢を投げ出す。
「秋雲ちゃんまだやるの?」
「やりますよ」
「えー……」
「この程度でへばってたら駄目だよ阿賀野」
「長良さんいつまで乗ってるんですか……」
「じゃあ次、二人とも立って下さい」
「今度はなに~……」
「向かい合って下さい」
阿賀野と長良が向かい合う。
「はい抱き合ってー」
秋雲に言われるがまま阿賀野と長良が抱き合う。
「長良さんはそのまま手を阿賀野さんの腰に回してー」
長良の手が阿賀野の腰の当たりまで降りてくる。
「はいじゃあ思いっきりお願いします!」
「よしきたー!」
「痛い痛い苦しーい!」
秋雲の合図と共に長良が阿賀野を締め上げる。
「よし、取りあえずこんなもんかな」
「え、終わり? 戻っていい?」
「駄目です。また必要になるかもしれないのでここにいてください」
「あ、そう……」
そう言って秋雲が机に向かうとタブレットの上にペンを走らせる。その背中を長良と阿賀野が座り込んでぼんやりと眺めている。
「……ねえ長良さん痛かったんですけど……」
「え?」
「さっきのやつ凄く痛かったんですけど!」
それ以上は何も言わずに阿賀野が長良を睨みつける。そのつりあがった目は長良への抗議を何よりも雄弁に語っている。
「えー……そんなこと言われても……」
その抗議を受け取った長良は目を逸らしておさまりが悪そうに頭を掻いて考え込む。
「そうだ! 阿賀野も長良に技かけていいよ!」
「はい?」
妙案ありと言わんばかりに長良が手を叩く。その言葉を聞いた阿賀野のつりあがった抗議の目が垂れ下がる。
「阿賀野頑張って!」
「…………」
4の字に脚を組んでいる長良に今度は阿賀野が脚を絡ませる。よくわからない状況かつ見よう見まねだけどやるからには全力でやる。
「このぉ〜〜!! このこの!」
「…………」
「こんのぉ〜〜〜!」
「…………」
(虚しくなってきた……)
しかし阿賀野がどれだけ力を込めても長良はちらりとも痛がる様子がない。
「阿賀野……、別に遠慮とかしなくていいんだよ?」
「遠慮とかしてませんよ」
「ほんと?」
「ほんとですよ」
「じゃあ次!」
今度はうつ伏せになった長良に阿賀野が跨り顎に両手をかける。
「こんのぉ〜」
「もっと力入れる!」
「何で駄目出しされてるの……」
そのまま長良の頭を力一杯持ち上げるがさっきと同様痛がる様子も苦しがる様子もない。
「はい次!」
長良がそう言うと阿賀野が長良に抱きつく。
「…………」
阿賀野が無言で長良の腰に手を回す。
「…………!…………!!」
そしてそのまま阿賀野が長良を締め上げる。
「阿賀野真面目にやってる?」
「やってますよ!」
やはり長良は痛がる様子も苦しがる様子も無い。
「ああ駄目! 資料が無い!」
そんなことをしていると秋雲が机を叩いて立ち上がる。
「ええ〜……次は何?」
「人が落ちるシーンです!」
「何でそんな物騒なところ……」
「時間がありません! 大至急どっちか窓から落ちて下さい!」
「秋雲ちゃ〜ん、自分が何言ってるか分かってる?」
「でもまぁそういうことですから長良さん頑張ってください!」
窓のサッシに後ろ向きで片足をかけている長良の両肩を阿賀野が押し出すように持っている。
「阿賀野〜…… ここ3階なんだけど……」
「そうですね。でも長良さんなら大丈夫ですよ! なんてたって長良さんですから!」
「意味分かんないんだけど……」
「やるなら早くしてくれます?」
「あ、ごめんね秋雲ちゃん。そんなわけでどーん!」
「うわっ!?」
阿賀野が両肩を力強く押すとバランスを崩した長良が窓から落ちると手足をばたつかせて地面に吸い込まれていく。
背中から地面に叩きつけられた長良が立ち上がって阿賀野達に向かって声を上げる。だが阿賀野達には何か言っているのは分かっても何を言っているのかまでは分からない。
「秋雲ちゃんどう?」
「落ちてる時間が短過ぎて……」
「ほんと!? じゃあもう一回やらないと!」
喜色満面の声と表情で阿賀野が手を叩く。
「というわけで2回目お願いしまーす!」
「こんなに笑顔で人を突き落とそうとする人初めてみたよ……」
戻って来た長良を阿賀野がまた窓際まで連れていく。
「はい落としますよー、どーん!」
再び長良が窓から落ち、地面に吸い込まれていく。
「どう?」
「…………」
秋雲が怪訝な表情でタブレットを睨んでいる。
「気に入らなかったみたいなんで長良さん次お願いします!」
「えー……」
またも阿賀野が戻って来た長良を窓際に連れて行く。
「どーん!」
阿賀野に突き落とされた長良が三度背中から地面に叩きつけられる。
「どう? 秋雲ちゃん」
「もう大丈夫です。描けました」
「ほんと? またやって欲しいならいつでも言ってね!」
「阿賀野随分嬉しそうだね……」
「あ、長良さん。いや〜楽しかったですねー」
「長良はあんまり楽しくなかったかな……」
「次お願いできますか? これで最後なんで」
「いいよ〜次は何?」
「阿賀野さん仰向けになってください」
「オッケー」
秋雲の指示通り阿賀野がその場で仰向けに寝そべる。
「長良さんはそのまま阿賀野さんに抱きついてください」
「分かった」
長良が阿賀野に覆い被さるようにして抱きつく。
(あれこれって……)
これからやることがさっきまでのやつと毛色が違うことを阿賀野が何となく察する。
「じゃあ長良さん腰振って下さい」
「え? こんな感じ?」
「いやーーーー!!!」
「ちょっと!! ジャンルが変わっちゃうからいやーーーー!! とか言わないでください!!」
「えーーーー!!? いやーーーー!!!」
「阿賀野あんまり耳元で叫ばれると……」
「あ、すいません……」
長良が動きを止めてそう呟くと阿賀野の叫びも止まる。
「長良さん動き止まってます」
「あ、ごめん」
秋雲の一言で長良が再び動き出す。
「いやーーーー!!!」
「だからいやーーー!!! って言わないでください阿賀野さん!!」
「いやーーーー!!!」
「だ〜か〜ら〜!」
「耳痛い……」
阿賀野と秋雲が叫び合う中で長良がポツリと呟く。零れ落ちるように呟かれたその言葉は誰の耳にも入ることなく叫び声に掻き消されていった。
「二人ともありがとうございます! おかげで何とか間に合いました! 今度お礼させてください!」
「そう……良かったね……」
「うん……」
無事に作業が終わり表情が喜びで満ちている秋雲とは対照的に長良と阿賀野は疲れきった表情を張り付けている。
「いや〜、でもなんだかんだで良いのが描けました。またお願いして良いですか?」
「駄目」
「駄目」
「…………」
秋雲の頼みを断る長良と阿賀野の声は示し合わせたように綺麗に重なっていた。