疾走。
人はそのように形容するかもしれないが、正しく私は相棒とうねる道を這うかのようにして疾走していた。
理由などは無い。ただ疾く走り、勝つこと。それが正しいと答えてくれる場所がここであったとしか言えない。
私にとってルールがシンプルであるというのは、ワチャワチャしているこの世の中にしては幾ばくかましだ。
『YOU WIN』
いつもの路をいつも通り何に気を留める事も無く走っていると、カーナビからアラームが鳴った。
またか。
勝者としてのプライドが保証されるだけではなく、多少なりともお金が貰えるというこの場所では、この競技に本気になるのが普通なのだろう。
だが、私は
十人十色とはよくいったもので、ここにも実に色んな色がある。
ただひたすらに自身の走りの腕を磨く者。金に物を言わせる者。少しでも人目を惹こうとする者。現実逃避の先が
やりたければやれば良いし、やりたくなければ降りれば良い。
それが、首都高のルール基本概念だ。
仕掛けられた勝負に幾度かの勝利を収めると、私は
相棒の元に帰って来ると、物好きが私のマシンの写真を撮り続けていた。
「あの、"ユウウツな天使"様ですか?」
マシンに近付く私に気付いたのか、構えていたカメラを下げて話し掛けてくる輩に顔をしかめながら嘆息で返すと、私は何も返すこと無く乗り込むと発進させた。
勘弁して欲しい。私の名前は黒江だ。他の何者でも無い人間がこのマシンに乗り、一体化することで真名でもある天使は降臨する。
しかし、"天使"とは皮肉なものだ。
人を楽園へと誘う神の使いではなく、死という名の救済を施す死神に近い。C1のうねる道をロードスターのギリギリまで攻め込み、必要であればバーストのリスクすら冒しながら加速する命を賭けた決戦スタイルは挑戦者の心を実に折りやすい。
この闘争本能むき出しの暴力的な走りと、PAでマシンから出てくる搭乗者のギャップに、人はユウウツな天使と呼称した。
首都高で走り始めてからTHIRTEEN DEVILSという走り屋チームに引き込まれるのにそう時間はかからなかった。チームでありながらお互い協力したりなどせず、一人一人が独立して相変わらず走り続けられるという意味で、帰属意識が薄い私には合っていた。
どこか薄ぼんやりとした意識の中でさえ、身体とマシンは適応してくれる。だが、どうしても思うのだ。滾る勝負がしたいと。
人間。否、天使の欲望というものも深い。一つに飽きたならばすぐに次が欲しくなってしまうものだ。
それは首都高に生息する者ならば、皆持ち合わせる感情だろうことは間違いがなかった。そんな時である。
珍しくチームメンバーの一人から着信が入る音が車内に響き渡った。私はそれをBluetoothに接続したカーナビを操作し、ハイと応答する。
新環状線で血の雨を降らせるはずだった者が呆気なく敗れたようだ。口数は少ないが不機嫌さを隠そうともせず、バトル後はそのままC1に入っていったという情報を一方的に私に伝えると、電話は切れた。
私は長いため息ではなく深呼吸をしつつ、ちらと見た看板で確認しながら銀座を通り過ぎる。久々に心躍る情報が入ってきた。
ゆっくりと神経を研ぎ澄ませる。手に伝わるタイヤからの振動。決して悲鳴では無いそれと、低く唸るエンジンからも次の獲物を捕らえる機会にこいつらも喜びを覚えているよう。
思い切りアクセルを踏み込むと、私に呼応するかのように歓声の如き排気音が辺りをこだました。
幸いその特徴を持ったマシンはすぐに見つかった。先ほど勝負を終えたばかりだ。疲れているであろうところで新しく勝負を仕掛けるというのも少し考えたものだったが、好奇心がそれを上回ってしまう。
チーム全員が別に敗れても構わないと思っている。と勝手に思っている。もし違っていれば申し訳ないけど……。
でも、それで新しい覇者が生まれるのならば―――
―――少しばかりは首都高への貢献にもなろう。
いつもよりやや高鳴る胸で後ろから軽くクラクション、それからパッシングを数度繰り返す。ピッタリと付けた前の車はハザードを点灯させて勝負に応じる姿勢を見せた。
3……2……1……
同時タイミングでスタート。同時に最初のアドバンテージを維持したまま前方を走る挑戦者に、加速を続けながら私は最初の直線を駆け抜ける。
成程……。
一般車の避け方、緩やかなカーブの時のブレーキタイミングなどは確かにそこらの走り屋とは一線を画しているようだった。荒削りではあるが、伸び代がある。……嬉しい。嬉しい!!
しかし、ほんの少しばかりブレーキを踏み込んだであろう相手の瞬間を私が見逃すはずも無かった。一瞬で抜き出し、上り坂の道を滑空するがの如く上っていく。それはまるで、天に昇り往く天使であった。
大きく翼を広げ、蒼き星を散らしながら、私は相棒のマシンと一体化する。
“この感覚! 生きている実感! 私がここにいる理由!”
滾る勝負とは正にこのこと。だが、次の瞬間に沸き立ったはずの温度が一気に冷める。
横に並ぶのは1台のマシン。実際に見る余裕などは到底無く、音と気配だけでそれを感じ取ると、その道の先の先を思い描く。
だらりと冷や汗が落ちてくるのを感じると同時にナイトロすらオープンにするが、とてもではないがそこから先に追いつくことは無かった。
こいつは最初からずっとこの直線で勝負を仕掛ける気だったのだ。しかも私が勝負を仕掛けたその瞬間から。
自身の驕りを後悔した。だが同時に、首都高の深さと挑戦者への敬意が運転席全体を覆い隠す。
気が付けば広げていたはずの翼は何処かへと消え去り、散らしていたはずの星も姿を見失っていた。
――――――――
どれだけ冷静に効率的な勝負を行ったとしても、余りにも強すぎる火力の前には歯が立たないこともあるものだ。あの車が積んでいたカスタムは何だろうか。
普段であれば真っ先に気になるような情報ですら今は放心したかのように余韻に浸っているばかりであった。
『YOU LOSE』
本来であれば現実を拒否し、悲しみ、慟哭すべきであるその瞬間そのアラームでさえ今は心地良さすら感じる。
あの“迅帝”に負けたときですら、このような感覚は覚えなかっただろう。
自身の全力を賭して敗北した。
その心地よさは他に無かった。だがそれは、普段勝者である者にこそ与えられるべき特権とも言えた。
何故生きているのかという問いと、何故ここで走っているのかという問いの両方に正解を出せたばかりか、これから先の首都高にとっても、本当にあるべき姿というものを見せ付けられた時に、人は自身の役割から解放されるのかもしれない。天使の役割から解き放たれた黒江世津子は、この一敗を確かに胸に刻む。
――次にここを担うのはこの子かな――
何となく、直感でそう感じた。
当然、走り屋としてのプライドをへし折られたのは間違いがなかった。この首都高速環状線の他の全走り屋を担う責任者としても。しかし、迅帝とは違う。
彼には、ただ機械的にマシンを走らせているわけでは無く、そこに確かな意志を感じ取れた。
敗けていながら意見出来るはずでも無いが、迅帝からはそれを感じられない。魂が無い。
だからこそ、名も無き彼に賭けてみたいと心底思うのだ。
「次は……負けないからね」
胸の熱さを形に変えた水っぽさを頬に感じつつ再戦を確かに誓いながら、敗れた天使は戦場を後にした。
きっと普通に生きていればレースゲームなどというジャンルに行き着くことは無いだろうと思う(マリカは別として)。
少なくとも俺はそうだった。初めて買ってもらったゲームはゲームボーイカラーとテトリスDXであったことは昨日のことのように思い出せる。
いやはやそういう話では無いのだ。
一般的なレースゲームというものを想像して欲しい。競馬でも構わない。
それはきっとどこかのラインで勝敗が決するはずだ。少なくとも俺が最初にやったレースゲームのグランツーリスモ2ではそうだった。
でも首都高バトルは違う。その名の通り"バトル"なのだ。その意味が分かるかね?
このゲームは首都高速道路という、東京にある高速道路を舞台にしたレースゲームである。
そのルールは確かにレースゲームらしく速いほうが勝つ。それは間違いない。
だが、車に"HP"という概念があると知れば、普段やっているレース以外の一般的なゲーマーであれば興味を示さないだろうか。
壁や対戦相手の車に当たってもHPは失っていく。だが、相手から離れれば離れるほどそのHPに差が出来上がるのだ(厳密にはスピリットポイントを
略したSPであるが)。
この時点で、車を操作する系のゲームをやったことが無い人にも分かったであろう。
首都高バトルは、場を固定されたコロシアムといっても良いだろうということを。
―――普段車を運転する人に問いたい。それが運転技術に変換されるとしたならば、一体どの程度攻められるだろうか?
俺は善良な一般市民であり、国土交通省が定める道路交通法を遵守する為に残念ながら高速道路でギリギリを攻めるなどということは出来ないのであるが、
それでも時折脳内を駆け巡る瞬間が無いと言えば嘘になる。
『こいつに勝てないだろうか』と。
馬鹿げた考えであることは重々承知。そもそも罪を犯せば退職になっちゃう。会社員弱い、間違いなく。
仮に本物の走り屋に同意頂いたとしてもあまり嬉しくは無いであろう独白をしつつ、長い前置きをしながらようやく本質に辿り着く。
首都高バトルという作品の真髄とは、"会話"が無いことにこそあるのだ。
私がこのゲームでが相対するのはどこまで行っても所詮車でしか無い。当たり前だが乗車する人間がいるのであるが、それとの会話が一切無い。
RPGをしてきた世代にとっては有り得ない出来事かもしれない。会話を通して、そいつの性格、勝負観、戦略、戦術を
確認する訳だが、このゲームはその逆をいくのだ。
初見はまず戦場で出逢い、戦後に敵の情報を確認する羽目に遭うのだ。現に私はそうした。
最初に自身が持てる全てをぶつけ合ってからそいつを知っていく。初見で勝ってしまったヤツは不幸だ。せっかく同じ土俵に上がってきた対戦相手の
本質を知ること無く次に向かっていくのだから。
でも人間である自分がどこまでカバー出来るのかって言うと、この小説の登場人物ほども出来ていないだろう。これすら全ては想像の上なのが
お恥ずかしい限りだけど。
ただ、それは作品を通して魂をぶつけ合う大会にも同じ事が言えるのかもしれない。
俺は勝負の場を小説という言語の壱舞台に置けることは心底自分に合っていると思えた。
作家本人が口で何を語ろうが、その本質は恐らく作品に現われる。そうで無ければならないだろうし、そうあることがきっと正しいんだと思う。
だから俺も、この文字を使う場で他に武器を有した同志諸君と、せめて同じ土俵に立ってみたいと思う。
以上