胡桃に連れられて、お化けが見られるというツアーの目的地は目と鼻の先。
さっき胡桃には失礼なことを言ってしまった気がする。
気にしてるかなぁ。
やっぱり謝ったほうがいいかなぁ。
え、そんなことよりも、胡桃の昔話を聞かないか、だって――?
――これは層岩巨淵のイベントストーリーの裏側で巻き起こる、もう一つの護法夜叉の話。
天気は一向に回復せず、分厚い雲ははるか遠くに臨む慶雲頂まで続いている。
昼間だというのに、薄暗い中を私たちは道なりに進んでいく。
あれから胡桃とは一度も口をきいていない。
私に向かって軽く微笑んだ後くるりと踵を返し、一度もこちらを振り返るそぶりもみせない。
言葉をかけるタイミングを失った私は、声をかける勇気もないままズルズルとここまで歩いてきてしまった。
『なにか、言わなくてもいいのか?』
しびれを切らしたのか、弥怒が私に問いかける。
(今もちょうど、なんて声をかければいいかを考えていたところだ)
嘘ではない。
本当のことだ。
ただ先ほどからずっと、しっくりくる言葉が見つからないだけなのだから。
『やれやれ。声をかけるのが先か、目的地に着くのが先か』
(う、うるさいなぁ……)
私は木の根に足元を取られながら、心の中で毒づく。
どうしても思考に力を注ぎすぎると、足元が留守になる。
気を配るべきことが多すぎて、私の頭はパンクしそうだった。
そんな私を見限ったのか、あきれたのか。
弥怒はあきらめて話題を変えてくる。
『しかしなんだ。この辺りは廃村か?』
(あ、ああ。言われてみれば……)
見回してみると、この辺りにはかつて集落があったのか、到底人が住めそうにないあばら家がちらほらと見受けられる。
風がひとたび吹けば、ほとんど崩れ落ちている草ぶきの屋根たちが、かさかさと音を立てた。
土に埋もれかけた石垣の隅には、ぼろぼろに錆びた農具が集められており、二度と戻らない主人を静かに待ち続けている。
『だんだんと雰囲気が出て来たな』
(そうだな。ただなんだか……)
『うむ、なんだ?』
(なんだか、悲しい感じがするよ)
『……そうだな』
そんな会話をしながら、私は黒服の少女を追いかけた。
よく目を凝らさなければわからないほど雑草に覆われた石畳を、胡桃はまるで見えているかのように踏み外すこともなく進んでいく。
風景に気を取られ、歩調が鈍るとすぐに距離を離されてしまうため、私は時折小走りになる必要があった。
村を抜け林に差し掛かると、木々の間にちらほらと古い切り株がのぞく。
かつて、あの村では林業が営まれていたのだと思う。
切り株はその名残にちがいない。
その昔多くの人が行き交い、整備されていたはずの道も今は獣道同然だ。
人の営みの栄枯盛衰に感傷を受けつつ、私は胡桃の目的地がもう近くにせまっているのだと肌で感じた。
(このままでは、やっぱりよくないよな)
せめて目的地に到着する前に、と、幾度目かの小走りで胡桃に近寄った際、私は声をかけようと息を吸い込んだ。
しかしなんともタイミングが悪く、かけるはずだった言葉は、胡桃に先を越されてしまう。
「あのさ、私ね」
「え? あ、ああ、なんだ?」
「この仕事……往生堂のことなんだけど、結構気に入ってるんだ。他の人はさ、縁起悪いーとか、薄気味悪い―とか、いろいろ言うんだけどね。私はほんとに全然気にしてない」
「……誰かがやらないといけない仕事だもんな」
私は胡桃に合わせて相槌を打ったつもりだったが、胡桃は首を横に振った。
「ううん、そういうんじゃなくてさ。……そうだね。平安さんにちゃんと話してなかったよね。ええと、確かここらへんに……あったあった」
胡桃は言い淀んだ後、何か思いついたように草むらをガサゴソとあさり始めた。
かき分けた先にあったのは、黒いベンチ。
胡桃はそこに腰掛け、私の後ろを指さす。
「そこらへんにも、あったはずだよ」
言われるがまま振り返ると、同じく草むらから黒い角がのぞいていた。
ほこりを払い腰を下ろすと、確かに座るにちょうどいい。
しばらく歩き続けていたので、ここで休憩と言ったところだろうか。
道を挟んだ向かい側で、胡桃は片足を抱き、まるで懐かしむように微笑むと語り始めた。
「私が子供のころの話なんだけどね……。当時、往生堂は七十五代目堂主が運営していたんだ。そう、私のお爺さんにあたる人。私はその人のことが大好きだったんだ――」
※
「胡じい!」
私が背中に声をかけると、その人は必ず膝をつき、大きな体を丸め込み私と目線を合わせてくれた。
「何度も言っているだろう、わしも桃ちゃんも、同じ胡という姓だ。胡じいは他の人が呼ぶ呼び方なんじゃよ」
「えー、でも、そっちの方が、すっごくかっこいいよっ」
「ほほほ、なら桃ちゃんの好きなように呼ぶといい。それで? その胡じいに何の用かな?」
「あのね! あのね! えっと――、おんぶして!」
私は胡じいがいいぞと許可する前に、山のような背中を勝手に登り始める。
「おお、おぉ。桃ちゃんは元気がいいの。ほれ」
幼くまだ自分の力だけではその巨体を登り切れない私を、胡じいはごつごつした片手で持ち上げ首元まで運んでくれた。
「立って!」
「分かった、分かった。いくぞ、しっかりとつかまっているんじゃぞ」
一度ぐらりと世界が大きく揺れたかと思うと、次の瞬間、私はまるで鳥のように世界を見渡せた。
いつもより遠くがはっきりと見え、普段は見ることすらできない、大人の頭のてっぺんが足より下にある。
私は胡じいの背中から見える景色が好きだった。
「あれ! あれ!」
「なんじゃ、なんじゃ、桃ちゃん。あれじゃわからん、指をさしてくれ」
言われるがまま、私は無邪気に指をさす。
「あの人、なんであんなに泣いてるの?」
私の指さした先には棺桶に縋りつき、わんわんと泣き叫ぶ女性がいた。
そう。
そこは、葬儀場だった。
往生堂を代々継いでいる胡家では、葬儀は日常の風景。
人の死は特段珍しいものでもなく、天から雨が降るように定期的に訪れるもの。
そんな風に、当時は考えていたの。
もちろん、泣いている家族はめずらしくなかった。
むしろ、泣いているのが当たり前なぐらい。
でも家族でも何でもないただの参列者の人が、家族よりも激しく泣き叫んでるのを見て、私は純粋に理由がわからなかった。
「あぁ、あれはの。そうじゃなぁ……」
私が両手を置く、大きな固い帽子の下で胡じいは考え込む。
少し時間をおいて「ちょっと桃ちゃんには難しいかもしれないが」と前置きしてから胡じいはやさしく教えてくれた。
泣いている人が、亡くなった人の婚約者だったこと。
来月には結婚式を控えていたこと。
そして亡くなった理由が、その結婚式の資金繰りのために無理をして働き、高所から足を滑らせてしまったことが原因だということを。
「ふぅん……」
私は自分で言うのもなんだけど、同年代の子たちより、よく周りが見えていた方だと思うんだ。
だからその時の話も、私は小さな頭で理解していたつもりだった。
泣いている人の理由と関係性が整理できた私は、すぐにそのことから興味を失う。
そんなことよりも、私のことを子ども扱いせずに、ちゃんと難しいことでも教えてくれる大好きな胡じいのことで頭がいっぱいになっていたんだ。
胡じいのそばでは、私はいつも大人の一員になれた気がした。
そういうところが、子供であるということに気が付いたのは、ずっとずっと後のこと。
あの頃は、ほんとうに毎日が楽しくて。
自分を取り巻く世界でさえも、いつかは変わっていくということをきちんと理解していなかったの。
「よく見ておくんじゃよ、桃ちゃん」
胡じいは葬儀を始める前、必ずそう言って私の頭を大きな手で撫でてくれた。
「うん!」
私は大きくうなずく。
その時の胡じいの目は、どんな日でも同じように優しかった。
たとえ屋根の上で逆立ちして叱られた日も、胡じいの大切な茶器にカエルを詰めて怒鳴られた日も。
そんな私の大好きな胡じいが病に倒れたのは、私が十三歳の時だった。
お医者さんに診てもらった時に言われたのは、この状態で生きていることが不思議だということ。
もう長くはないということ。
胡家は騒然とした。
往生堂を切り盛りしていたのは胡じいだけで、他の人はみな別の仕事がある。
誰が往生堂を継ぐのか。
誰が胡じいの葬儀をするのか。
大人たちが仮面をかぶってしょうもない押し付け合いをしている間に、私は胡じいの病室にこっそり忍び込んだの。
「こら、胡桃! ここはふざけていい場所じゃない!」
親戚のおばさんが私を叱りつける。
私はそれを聞こえないふりして、胡じいに駆け寄った。
胡じいが追いかけてくるおばさんを片手で制する。
「まあ、そう言いなさんな。おいで、桃ちゃん」
抱き寄せられた大きな手からは、少しだけツンとした薬の匂いがした。
「ねえねえ、胡じい」
「なんだね、桃ちゃん」
私は胡じいの腕の中で、心の内で思っていたことを、そのまま口にする。
「胡じいは――死ぬの?」
その言葉を口にした瞬間。
周囲が嫌な感じでざわつくのを背中で感じた。
また、何か私に言っている。
それは聞きなれた言葉もあったし、初めて聞く言葉もあった。
私を褒めている言葉でないことぐらいは容易に想像がつくよね。
でも、その質問は私にとってすっごく大事なことだったから、ちゃんと聞かないといけないって思ったの。
だからたとえ誰が何と言おうと、私はじっと胡じいの目を見つめ続けた。
「……」
胡じいは、そんな私の目を何も言わず見つめ返す。
そしてゆっくりと胡じいのひげが動いたかと思うと、胡じいは目を細めて、こう言ったの。
「ああ、そうだよ。胡じいは、死ぬ」
私はその言葉をしっかりと全身で受け止め、目をそらさずうなずいた。
「そっか。じゃあ、胡じいのお葬式は、私がしてあげるね!」
それを聞いた胡じいの目が、見る見るうちに大きく見開かれる。
「おぉ……、おお! そうか、そうか! わしの葬儀を桃ちゃんがあげてくれるのか! それは嬉しいのう! そうじゃな、だったら盛大な葬儀がよいな! 往生堂七十五代目堂主の葬儀じゃ。そんじょそこらの葬儀と一緒は嫌じゃ。うんと立派なのがよい! 霓裳花は萩花洲のきれいな水辺に咲いているひざ丈以上のもので、線香は瑠璃袋の夜露と花粉を固めたものじゃないと嫌じゃ。ほかにもいろいろとそろえるべきものがある。桃ちゃんが往生堂をいずれ継ぐのであれば、それらをひとりでやり遂げねばならん。本当に、できるかの?」
私は間髪入れずに言葉を返す。
「できるよ。胡じい。うんと、立派なお葬式にしてあげるから、安心して大丈夫――って、うわわっ!」
突然目の前が真っ暗になって、私は驚いた。
暗闇の向こうから。胡じいの演技がかった声が聞こえてくる。
「この帽子は法力を持っていて、邪気を払い、平和を守護するものじゃ。葬儀を執り行えないわしが持っていても仕方ない。これは桃ちゃんに譲ろう」
私は自分の顔がすっぽり胡じいの帽子に覆われていることに気が付き、つばを持ち上げようとしたんだけど、胡じいの大きな手が邪魔をして一向に持ち上がらない。
うんうん、としばらくもがいていると、急にふっと帽子が軽くなる。
恐る恐る帽子を持ち上げると、胡じいは、満面の笑みを浮かべていた。
だから、私も安心して、笑った。
周りの大人たちはあとからあとから、本当に大丈夫なのかとか、大変な仕事だぞ、とかいろいろ言ってきた。
でもどの顔もみんな安堵の感情を隠していたのが、子供の私でもすぐに分かったよ。
その時の私は、もう大人だとか、子供だとか、何を言われようがもう気にも留めていなかった。
すべきことが、やり遂げねばならないことがちゃんと分かっていたから。
それからというもの、私は小さい頃と同じように往生堂で毎日寝泊まりを始めた。
時折思い出したかのように遠出しては、葬儀に必要な材料をひとつ、またひとつとそろえていく。
毎晩遅くまで文献を調べ、葬儀の手順を繰り返す。
眠気で倒れそうになったら棺桶で眠る。
そして夜が明ける前に目を覚まし、再び調べ物を再開する。
胡じいとすら一度も会わず、私は生活のすべてをこれから執り行う葬儀へと集中させた。
すべては、胡じいの求める葬儀を行うため。
そうやって1か月ほどたったころだったと思う。
入手困難と呼ばれる多くの素材が目の前に勢ぞろいし、私が略式の一切を除いた葬儀の神髄を頭に叩き込んだ晩の翌朝。
私は胡じいが息を引き取ったと、知った。
遅れてやってきて、激しく往生堂の戸を叩いた親戚のおばさんは、私を見てぎょっとする。
彼女の目に映ったのは、小ぶりな胡じいの帽子をかぶった、齢13の女の子。
それもすべての準備を整え、うやうやしく頭を下げた私が、待ち構えていたのだから。
「この度は、ご愁傷さまでした」
「あ、あなた! お爺さんのところに一度も顔を出さずにこんなところで!」
「胡じいはそのことについて、なにか言っていましたか?」
「い、いえ、それは……」
「それなら問題有りません。胡じいの遺言通り、これより往生堂七十五代目堂主の葬儀手続きに入らせていただきます」
私はあっけにとられたおばさんへ軽く微笑むと、横を通り過ぎ往生堂の表に出た。
数日ぶりの外の空気は、冷たく澄み切っていて、気持ちがぐっと引き締まる。
「……よしっ!」
私は朝日に向かって気合を入れ、いつもと変わらぬ足取りで胡家へと向かった。
胡家に着くと、誰しもがどうすればいいかわからず、胡じいを囲んでただただうろたえている。
私は人ごみをかき分け、胡じいの前に立つ。
誰かが私に声をかけようとして、別の人に止められる。
その人は改めて私の服装を見て、私が何をしようとしているか、理解したようだった。
私が着用していたのは、私が今着ているのと同じ、往生堂の正装。
葬儀を執り行う者の装束だったのだから。
周囲の理解と協力を得て、私は胡じいの遺体の処置を始める。
私の倍以上の背丈の大人たちに指示を飛ばし、着々と葬儀の準備を整えていく。
どれだけ慌ただしくとも、決して間違えることのないよう、正確に。
やがて日が落ち再び日がのぼり、翌日の夕刻になるころ。
ようやく葬儀の会場も整い、あとは葬儀を行うだけとなっていた。
私は葬儀開始までの待ち時間、はじめて休憩をとることができたの。
一息ついて、気が緩んだからなのかな。
「胡じい……」
ふいに口からこぼれた胡じいの名前。
とにかく必死で、駆け抜けたこの二日間。
目まぐるしく動き回る最中、胡じいの大きかった身体が風船がしぼんだようにやせ細っていたのを見た。
ぴったりのサイズで頼んだ棺桶だったのに、少し、両側に隙間があいてしまった。
まばたきをするたびに、その光景が離れない。
私は首を横に振り、大きく深呼吸する。
時計を見ると、葬儀の時間まで、あと数分。
私は改めて、自分に問いかける。
果たして、きちんとできるだろうか、と。
この日のためにずっと準備をしてきた。
毎夜毎夜、ひとりで練習を重ねてきた。
なのに、どうしても緊張で胸の奥が震える。
私は胡じいからもらった帽子を深くかぶり、息を止めて目をつぶった。
震えが止まるよう、強く、強く、強くーー。
どれくらいそうしていただろう。
いよいよ息が苦しくなって、私は我慢の限界を迎える。
目を開け勢いよく空気を吸い込んだ、その時。
顔の前を、一匹の蝶々が通り過ぎた。
同時に、耳元で懐かしい声が聞こえてくる。
『よく見ておくんじゃよ、桃ちゃん』
はっとして振り返るも、そこには誰もいない。
再び前をむけば、先ほどの蝶が葬儀の会場を横切り、ひらりひらりと舞っていく。
やがて蝶は胡じいの棺桶の上までやってくると、棺桶の端に止まって羽を休める。
その瞬間、私の中でなにかが熱く激しく燃え上がったのを感じた。
私は誰に向かって言うでもなく、その激情を深く深く抑え込みながら、言の葉を風に乗せて送り出す。
「よく見ておいてね、胡じい」
その一言は私の精神を一気に深い集中へと引きずり込み、二日間の疲れも嘘のように吹き飛ばす。
会場に目を向ければ何を、どの手順で、どのように行えばいいかがすべて分かった。
物心ついたときからどんな日も、どんな時も、胡じいが笑って見せてくれた数えきれないほどの葬儀。
そのすべては、この瞬間のために。
私はすぅ、と長く静かに息を吸い込む。
先ほどまで会場の至る所で聞こえていたひそひそ声が、空気が変わったことを察してぴたりと止む。
葬儀会場から、音という音が消え去った。
誰もが固唾をのんで視線を私に集中させる。
ある人は不安そうに。
ある人は眉間にしわを寄せて。
時が止まったような錯覚さえ覚えるその会場から、棺桶に止まっていた蝶が、ひっそりと、静かに羽ばたいた。
同時に私は、厳かに宣言する。
「これより、胡家が往生堂七十五代目堂主の、葬儀を執り行う――」
と。