護法戦記   作:ほすほす

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私は平安。璃月のしがない物書きだ。
弥怒と伐難の望まぬ戦いが幕を開けた。
視覚と聴覚を奪われ、錯乱する伐難。
弥怒よ、頼む。
この状況を打破できるのは、弥怒しかいないのだ。

――これは層岩巨淵のイベントストーリーの裏側で巻き起こる、もう一つの護法夜叉の話。


護法戦記 18話 すれ違う思い

 

 伐難が腕を大きく振りかぶり、横に薙いだ。

 

 ヒルチャールほどの大きさがある大爪は、薄く、鋭い。

 

 切り裂かれた雨水の水滴が、鏡のような切断面を見せながら大地へと落ちていく。 

 

 まさに、一撃一撃が必殺。

 

 

 伐難は嵐のような連撃を繰り出す。

 

 生身の人間であったならひとたまりもないだろう。

 

 たとえ弥怒であっても、まともに受ければかすり傷では決して済まないはずだ。

 

 

 

 ただ――。

 

 

 

 あくまでも、それが命中すれば、の話である。

 

 

 

 先ほどから伐難の攻撃は、弥怒にかすりもしていなかった。

 

 少しでも範囲を広く取ろうと腕を伸ばすも、鋭利な風切り音だけがむなしく響き渡る。

 

 見当違いの方向へ飛び掛かり、空を切った爪が切り裂くのは水に濡れた大地のみ。

 

 

 

 弥怒は回避に徹していた。

 

 音を立てないように気を配りつつ、常に移動を続けている。

 

 

 決して小さくはない弥怒の巨体。

 

 それでも戦場は、余りあるほど広いのだ。

 

 弥怒は徐々に伐難から距離を取り、大きな魔物の死骸を背に身をひそめた。

 

 

 伐難は弥怒が自分と相対しているのか、隠れているのかすらわかっていない。

 

 無我夢中に、無秩序に。

 

 かまいたちのごとく、自らの周囲をひたすら切り裂き続ける。

 

 その姿を例えるならば、目を失い暴走する遺跡重機ですら生ぬるい。

 

 

 物陰に隠れた弥怒は右手を持ち上げ、周囲の岩元素を掌に集中させ始めた。

 

 背後では、伐難の絶叫が重なり、こだまする。

 

 不安と恐怖、そして殺意に満ちたその声は、聞いているだけで心が締め付けられた。

 

 私に耳をふさぐ両手があれば、間違いなくふさいでいただろう。

 

 誰もいない砂浜で狂ったように暴れまわる伐難は、まるで舞台の上でひとり、踊り狂う人形のようにも見えた。

 

 もはやこれは、戦いと呼べるものではない。

 

 

「くそう! くそう! どこだ魔物! 伐難はここにいる!」

 

 

 泣きが混ざった金切り声の挑発も、弥怒には意味をなさない。

 

 なぜなら、そもそも弥怒は伐難へ攻撃を仕掛けていく理由がないのだから。

 

 弥怒はその様子を横目で見ながら、少し悲しげにつぶやいた。

 

 

「伐難よ。最初の一撃で己れを仕留められなかったのは、お主にとってさぞかし口惜しかったことだろう」

 

 

 私は弥怒の目線の先を見て、はたと気付く。

 

 

 ここに至るまでの魔物の死骸や油炎は、決して無意味に配置されていたわけではなかった。

 

 よくよく見ればすべての通路は、弥怒が最初に立っていた場所へと誘導するように作られているではないか。

 

 

(そうか、そうだったのか……)

 

 

 この場所は。

 

 この砂浜全体が。

 

 

 視覚と聴覚を乱された伐難が辛うじて狙い撃ちができるよう、作り出された苦し紛れの罠だったのだ。

 

 

 それを理解した途端、私は伐難に激しく同情した。

 

 暗闇の中、敵も味方もわからずに戦い続ける狂った戦士。

 

 増援もなく、危険な戦場にただひとり取り残された、孤独な少女。

 

 

(弥怒よ、後生だ。伐難を、螺巻大将を、どうにか救ってあげてくれ……! これは弥怒にしか、できないことなんだ……)

 

 

 私は心の底から強く願う。

 

 だが、聞こえてきたのは、弥怒の吐き捨てるような怒声だった。 

 

 

「くそっ‼」

 

 

 弥怒は青筋の立った左手で額を押さえ、自身の右手を睨みつける。

 

 

「もう一度だ!」

 

 

 再び弥怒が右手に力を込めると、岩元素が集まり始める。

 

 

 やがてそれは顔の大きさほどの8面体の結晶となるも、完成間近で全体にひびが走り、ガラガラと崩れてしまう。

 

 

「そんなっ! 馬鹿なっ‼」

 

 

 弥怒は激しく嘆きつつも、あきらめずに同じ行為を繰り返す。

 

 しかし何度繰り返そうとも、8面体が完成することはなかった。

 

 

「ならば!」

 

 

 弥怒は素早く片手で印を組む。

 

 すると、見覚えのある面が弥怒の前へと現れた。

 

 

(あれは、私が弥怒と出会った日に見た、心猿大将の面……!)

 

 

 ふわりと浮かんだ面を掴み取り、弥怒は顔面へ装着する。

 

 周囲の岩元素が反応し、弥怒を中心に地響きがまるで波紋のように広がった。

 

 

(すごい元素力だ……!)

 

 

 空間すら揺らすほどの力が、弥怒の周りで渦巻いている。

 

 

(これなら……!)

 

 

「……っ!」

 

 

 乾いた、破裂音。

 

 私は一瞬、何が起こったのか、わからなかった。

 

 目の前にあったのは、弥怒の信じられないといった様子の顔と、宙を舞う岩の破片。

 

 夜叉の仮面が、砕け散っていた。

 

 

「そん、な……」

 

 

 点のようになった弥怒の目が、焦点を失い揺れている。

 

 力を思い通り使えぬ自身に、明らかに平静さを欠いていた。

 

 弥怒のその姿を見て、私ははっきりと理解する。

 

 なぜ伐難が、弥怒を戦場から遠ざけたのかを。

 

 

 弥怒はもう――。

 

 

 夜叉として戦うことすらできぬほどに、弱体化していたのだ。

 

 

 その事実を自分で認識することすら、できぬほどに。

 

 弥怒は絶望のあまり、震える両手を凝視したまま膝から崩れ落ちた。

 

 

 見上げるほどの長身が小石のごとく身を丸め、頭を抱えてうずくまり額を砂浜にこすりつける。

 

 

(なんと……、なんと残酷な……!)

 

 

 こんなことが、あっていいはずもない。

 

 私は天を仰ぐ。

 

 万事休すとは、このことだろうか。

 

 伐難も、弥怒も、互いに決定打を失っている。

 

 それはこの膠着状態が、脱出不可能な迷宮と化したことを意味していた。

 

 

「己れはっ、己れはどうすればいいっ! どうすれば!」

 

 

 弥怒が濡れた砂を握りしめるも、指の間をすり抜けた泥がぼたぼたと零れ落ちるだけだった。

 

 

 目は血走り、弥怒が強くかみしめた唇からは血が滴る。

 

 その怒りは、どこに向かっているのか私には想像すらできなかった。

 

 

 仲間を蝕む業障か、思い通りにいかぬ自分自身か。

 

 それとも、自分たちをこの状況に追いやった、運命か。

 

 あるいは、その全てだったかもしれない。

 

 

 私はやるせない思いと共に、弥怒をただただ見下ろすことしか、できなかった。

 

 

 

 

 その時、だった。

 

 

 風向きが変わった。

 

 

 戦場でくすぶっていた油の上の炎が、逆の方向へと身をひるがえす。

 

 雨足が弱まり、山から吹き下ろす風が土の香りを運んだ。

 

 雷鳴が遠ざかり、雲の合間からわずかだが、光が差しこむ。

 

 弥怒の顔が、水たまりに反射した月光で照らされる。

 

 

「っ!」

 

 

 途端、弥怒が身を固くした。

 

 目線の先には、銀色に輝く細い糸がふわりと舞っている。

 

 

「まずいっ!」

 

 

 弥怒が慌てて身を起こす。

 

 

(だめだ! 弥怒っ!)

 

 

 私の心の声が、悲鳴を上げる。

 

 

 しかし、弥怒が自分のとった行動が悪手だと気づいた時には、すでに遅かった。

 

 弥怒は起き上がった先に浮遊していたもう一本の銀糸に、運悪くも触れてしまったのだ。

 

 

 

 同時に、サッと弥怒の頭上に影が差す。

 

 

 

「やっと……見つけたっ!」

 

 

 

 見上げた先には、魔物の死骸の上に凛と立つ、儺面を纏った戦乙女。

 

 少女の輪郭は月明かりで白銀に輝き、絵画のような美しい姿は、もはや神々しくも感じさせられただろう。

 

 まるで振り子のように振られている、死神の鎌にも似た巨大な爪さえなければ。

 

 

「くっ」

 

 

 弥怒は糸を振り払い、大きく飛び退く。

 

 しかし、伐難は余裕の声色だった。

 

 

「お前は、伐難に時間を与えすぎた。大雨に海。この地は、伐難に味方する。伐難は水元素をこっそりたくさん飲み込んだ。もう、逃がさない」

 

 

 そう言うと、伐難はくるりと旋回し、自身の背丈ほどもある水の玉を頭上に打ち上げる。

 

 伐難の触角と水の糸で繋がったその水球は、横に大きくつぶれたかと思うと勢いよく回転を始めた。

 

 巨大な渦となった球体より細く伸ばされた無数の水糸が、螺旋を描きながら戦場全体へと広がっていく。

 

 

 その中の数本が、逃れようと身をよじる弥怒に絡みついた。

 

 絡みつく糸と糸は次々に束ねられ、やがて太い鎖の姿へと変わっていく。

 

 

 弥怒が右腕の鎖を振り払おうとも、今度は鎖が左手に。

 

 左手を引けば、今度は足にといった形で、水はその姿を柔軟に変えながらも決して弥怒を離さない。

 

 そしてその鎖の先は、伐難の触角へとつながっていた。

 

 

「魔物、もう終わり。この戦いは伐難が勝つ。狙いが定まれば、この爪はお前の心の臓を貫くまで、ずっと追いかけ続ける!」

 

 

 言うが早いか、伐難は勢いよく大地を蹴りあげた。

 

 砂が大きく爆ぜる。

 

 弥怒はそれを見て、鎖を振り払う動作を止め、防御の姿勢を取った。

 

 左手を前に、右手を隠すようにして。

 

 その右手を見た時、思わず私は喜びに胸が躍った。

 

 弥怒は、まだ、あきらめていなかったのだ。

 

 よくみれば、小さな8面体が、弥怒の掌で形作られているではないか。

 

 しかし悔しいことに、その結晶は先ほどまで弥怒が作ろうとしていたものと比べるととても小さく、頼りない。

 

 

 正面へと意識をむければ、目と鼻の先に伐難が迫っている。

 

 私はそれを見て一気に血の気が引き、喜んでいる場合ではないと悟った。

 

 

(ば、馬鹿弥怒! 先に伐難の攻撃を避けることに集中しろ! 力を制御できない今、もし防ぎきれなかったら!)

 

 

 私の心配をよそに、弥怒は優しく笑う。

 

 

「来い、伐難。もし防ぎきれなかったとしても、その時はその時だ」

 

 

(やめろ弥怒……そんな、馬鹿な考えはやめてくれっ!)

 

 

 私のそんな思いをよそに、時は止まることも、逆行することもなく無情に過ぎていく。

 

 伐難は大きく体を反らせながら跳躍し、両手を後方へと振りかぶると、音を置き去りにする速度で振り下ろした。

 

 対する弥怒は、左手のみでその攻撃を受け切ろうとしている。

 

 いくら弥怒の腕が常人よりも太く大きいとはいえ、伐難の爪と比べれば大剣と小枝だった。

 

 

(ああっ、終わりだっ!)

 

 

 目を閉じたくなるような惨状が、私の脳裏をかすめた。

 

 

 しかし体のない私に目を閉じるという選択肢は与えられていない。

 

 

 見届けるしかないのだ。

 

 この戦いの結末を。

 

 

 

 やがて、その瞬間は訪れた。

 

 

 

 それも、私の想像を超えた形で。

 

 

 

 

 

 

 ぐしゃり、と、何かがつぶれたような嫌な音が、聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 派手に吹き飛ばされ、大地を転がる人の影。

 

 私の目の前には、信じがたい光景が広がっていた。

 

 

「なんと……」

 

 

 弥怒の左腕が、巨大化していたのだ。

 

 

 否。

 

 

 腕が巨大化しているのではなく、腕から生えた岩の棘が、腕全体を覆いつくしている。

 

 弥怒の表情を見る限り、それは弥怒の意図とは異なる元素の働きであるとすぐに分かった。

 

 

 ハッとした弥怒が、吹き飛ばされた伐難へと視線を向ける。

 

 

 魔物の死骸を押しのけて、少女はゆらりと立ち上がった。

 

 

 仮面の一部は割れ、脇腹には血が滲んでいる。

 

 だが、欠けた仮面の下からのぞく口元は、笑っていた。

 

 

「ケホッ、なかなか、やるな……。でも……まだ鎖は繋がってる!」

 

 

 伐難は、再び疾走する。

 

 先ほどよりも早く、より鋭く。

 

 しかし、その爪は弥怒の懐まで決して届かない。

 

 

 制御のきかない弥怒の岩元素は、防御しようとすればするほど過剰に反応し、襲い来る伐難をはじき返す。

 

 

 何度も、何度も。

 

 

 途中から、私がどれだけやめてくれと請い願っても。

 

 

 鈍器で殴られるような音が、幾度となく砂浜に響きわたる。

 

 

 限界を迎えたのは、決して私だけではなかった。

 

 

「伐難! もうやめるのだ! もう、お主に勝ち目はない! それ以上の攻撃は無意味! 己れは、己れは……! この手でお主を傷つけたくはない、伐難!」

 

 

 弥怒が、声を張りあげる。

 

 その瞳には、わずかに涙が浮かんでいた。

 

 異形と化した左手には、折れた伐難の爪の先と、血痕がまだらに残っている。

 

 

 ぶるぶると震える右手には、小さな8面体が3つだけ。

 

 先ほど弥怒が作ろうとしていた大きなものには、到底及ばない大きさだ。

 

 弥怒が何をしようとしているかは分からなかったが、それを成すためには、まだまだ時間が必要なことくらい、私にも理解できた。

 

 

 それでも伐難は、爪を大地に突き立て、身を起こす。

 

 動かぬ左腕をだらりと垂らし、流れる血汗をぬぐいつつ、震える足で立ち上がる。

 

 

「伐難が……伐難がここで諦めたら、だめ、だから。魔物を、食い止めないと……人が死ぬ。たくさん、死ぬ! 晩御飯を楽しみにしている子供も、子供の帰りを待っている母親も。魚を釣り上げて、家族の喜ぶ顔を想像しながら帰る父親も、みんな、みんな、死んでしまうっ! 伐難は、伐難には! 戦うための力がある! 伐難は、夜叉! 岩王帝君から、戦うための命を受けた、誇り高き仙衆夜叉、だからっ! 絶対に、諦めない! 伐難は死ぬまで、璃月のために、人々のために、戦う! 妖魔なんかに伐難は! 負けないッッ‼」

 

 

 まるで自分を、鼓舞するように。

 

 動かぬ体を、叱りつけるように。

 

 伐難は、声を枯らして叫んだ。

 

 仮面を失った少女が顔を上げる。

 

 虚ろな瞳は、大義に燃えていた。

 

 

 その雄々しい姿に、私は圧倒される。

 

 

 たとえその炎に身が焼かれようとも、彼女は一歩たりとも引きはしないだろう。

 

 その身に余るほどの重圧と責任を、まるで当たり前のように背負いつつ、孤独な少女は割れた爪を肩口に構える。

 

 仙人とは言えど、伐難の体は見るからに限界を超えていた。

 

 

 彼女は弥怒と戦う以前から、すでに連戦に連戦を重ね、憔悴しきっている。

 

 

 目と触角は呪いのような業障で覆われ、精神も限界に近いはず。

 

 それでも何とか敵へと繋いだ鎖だけは決して途切れさせぬよう、強い意志で未だ太く維持し続けている。

 

 わずかにほほ笑むその可憐な横顔には、死の影が濃厚に浮かんでいた。

 

 

「伐難は、ぜったいに、お前を、倒す……!」

 

 

 最後の力を振り絞るようにそう宣言すると、彼女の触角から伸びた鎖の先がぐにゃりと形を変える。

 

 腕を縛っていた環が見る見るうちに大きくなり、うずを巻くように弥怒の体にまとわりつく。

 

 循環する水の奔流は、弥怒の体を、その動きを、より強く拘束した。

 

 

「これで――!」

 

 

 伐難がとどめを刺さんと、ぐっと足に力を入れた、その時だった。

 

 

「あっはっはっはっはっはぁ!」

 

 

 場違いなほど、明るい笑い声が、大気を揺らす。

 

 

「っ!」

 

 

 伐難が警戒し、その足を止める。

 

 見れば、弥怒が大口を開けて笑っていた。

 

 その姿は状況が状況なだけに、あまりに不気味だった。

 

 

「いやはや、伐難よ。その意気やよし! さすがは仙衆夜叉だ! 己れの相手に、相応しい! このような形でお主と相対するのは不本意だが、夜叉に戦うなとはまったくもって道理が通らん。もう、よい。お主を傷つけぬようにだの、力を制御しようだの、戦う相手に気を遣うのは、もう面倒だ」

 

 

 信じられない言葉を、耳にした。

 

 ぞくりと、悪寒が駆け抜ける。

 

 あれほどに聡明で用心深い弥怒らしからぬ台詞。

 

 先ほどまでの苦しげな表情は消え去り、その顔には悦びが隠しきれていない。

 

 

 私はこのような弥怒の顔を、見たくはなかった。

 

 

(弥怒が、壊れてしまった――)

 

 

 そう、直感した。

 

 

 極限の戦場。

 

 消耗に消耗を繰り返した二人の夜叉。

 

 業障に蝕まれ、片や記憶をなくし、片や感覚を奪われた戦士たち。

 

 

 どちらかが狂っても、おかしくはなかった。

 

 

 いいや、どちらも、もうとうの昔に狂っていたのだ。

 

 

 護法夜叉は、私の想像していたような、純一無雑な英雄ではなかった。

 

 彼らは血にまみれ、泥を啜り、その身を呪いに落としながら戦う、狂気の守護者。

 

 

 私は、出会った頃の弥怒を思い出す。

 

 

 

『……現実は、お主が思うほど、崇高なものではない』

 

 

 

 弥怒は少し悲し気に、そうつぶやいた。

 

 

 その時の私は、弥怒や夜叉たちのことを、何一つ理解していなかった。

 

 彼が抱える過去も、夜叉と言う存在が背負った責任も、業も。

 

 

 体を拘束された弥怒が吠える。

 

 

「かかってこい、伐難ッ! 己れは逃げも隠れもせぬ! 全身全霊でかかってこい! こちらも全力で臨もうぞ! それでこそ、夜叉と言うもの‼ どちらが勝ち、どちらが破れようが関係ない! 戦いの中にその身があることこそ、至上の喜び! さぁ、さぁ! 楽しい楽しい、戦いだ‼」

 

 

 張り上げた弥怒の声量は、まるで海の向こうまで届かんばかり。

 

 伐難は片目をつぶりその美しい顔を苦しみに歪めつつ、弥怒を強く睨みつける。

 

 弥怒はまとわりつく渦潮をものともせず、先ほどまで隠していた右腕を高く掲げた。

 

 5つ目の欠片が生成され、ぐるぐると手の中で回転を始める。

 

 

 いったいどれほどの元素力が込められているのだろうか。

 

 

 欠片を中心に岩元素の力場が形成され、小石や砂、弥怒の服の装飾品が浮かび上がる。

 

 

「来い……伐難ッ!」

 

 

 歯をむき出して嗤う弥怒。

 

 伐難は深呼吸すると、キッと表情を硬くする。

 

 揺れていた鎖の形状が安定し、弥怒にまとわりつく渦の流れがより強くなった。

 

 

「この一撃が、最期。伐難のすべてを、この一撃に込める。伐難は一本の鋭い剣。魔を滅する、岩王帝君の剣!」

 

 

 伐難はそう叫ぶと、ぐいと頭を大きく振る。

 

 

「っ!」

 

 

 触角から伸びた鎖が大きく波打ち、弥怒の体が宙を舞う。

 

 

「はぁッ‼」

 

 

 短く掛け声をあげて、伐難が跳躍する。

 

 そのまま空中で鎖を掴み引いたかと思うと、すさまじい速度で弥怒へと飛び掛かった。

 

 

 

 

 まるで強弓から放たれた矢のごとく、速く、疾く。

 

 

 

 

 鋭い爪の切っ先が大気を切り裂き弥怒へと迫る。

 

 

 

「詰めが甘いな、伐難よ」

 

 

 あと少しで届くと思われたその時、弥怒が笑いをこらえながら言を吐く。

 

 いつの間にか弥怒の体を覆う渦は、岩元素の力場によって巻き上げられた砂を含み、薄茶色に染められていた。

 

 

 水に紛れた砂の粒たちが、弥怒の言葉を合図に水流とは逆回転を始める。

 

 途端に勢いを失った渦が、はじけ飛ぶ。

 

 わずかに驚愕した伐難だったが、歯を食いしばり、腕を先へ先へと伸ばして来る。

 

 

 

 刹那、弥怒の右手と伐難の右爪が、交差した。

 

 

 

 衝突したふたりは、きりもみしながら大地へと叩きつけられる。

 

 衝撃に土砂が巻き上げられ、茶色い雨となりあたり一面に降り注いだ。

 

 

(み、弥怒っ!)

 

 

 遅れて轟音が響き渡り、大地が揺れる。

 

 

 やがて最後の砂の一粒が砂浜へと落ち切った時。

 

 

 

 

 私は静かに息をのむ。

 

 

 

 

 

 戦場に最後まで立っていたのは――弥怒であった。 

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