手に入れた札怪しい札を持って璃月にやってきた。
ここで、札について詳しい人物に会えればいいのだが……。
――これは層岩巨淵のイベントストーリーの裏側で巻き起こる、もう一つの護法夜叉の話。
私は意気揚々と璃月港へ到着すると、このいわくつきの札を鑑定してもらうため、有識者のもとを訪ねた。
護法夜叉に深いつながりがあるであろうこの札に、何か悪いものが付いていたり、身に余るほどの力が内包されていた場合は、迷わず破棄する。
だが、もし、何もなければ。
札は厳重に寺の宝物殿へしまい込み、後から描かれた文字の一つ一つを、じっくりゆっくり解読するのだ。
そして札が作られた時代と、書いた人物について遠く思いを馳せる。
そんな至福の時間が、未来の私のものとなる――。
……はず、だったのに。
気づけば私の目の前には、拡大鏡を目にはめた厳めしい顔つきの鑑定士……ではなく、年端も行かぬ純粋無垢な幼子がちょこんと座っていた。
見た目から察するに、年は十歳、いや、もっと下だろうか。
儚く散る淡いスミレのような特徴的な色の髪と、頭にひっさげた珍妙な札がそよ風に揺れている。
その目はどこか虚ろで、瞼はあいていても、その瞳には何も映っていないかのような錯覚を覚えた。
お互いこうして席に着いてはいるが、彼女は先ほどから一言も口にせず、ただただ空に流れる白い雲をずっと見つめている。
正直、何を考えているのかまったくわからない。
掛ける言葉を失ったまま娘の横顔を眺めていると、視界にひらひらと蝶々が割り込んできた。
「あ……ちょうちょ」
……私は、静かに眉間を指で押さえた。
(どうして、こうなった⁉)
私はどこで間違えたのだろうか。
何もおかしなことをした記憶はない。
私はこれまでの足跡を思い返してみる。
寺を出た後、私は璃月港に到着した。
そして早速、骨董品店『希古居』の琳琅さんのもとを訪れたのである。
私の知る中で、こういったものに一番詳しいのは、琳琅さんだ。
降魔大聖のような大物と気軽に連絡を取れるようであれば、苦労しない。
私の持つ人脈など一般人に毛が生えたぐらいで、大したことはないのだ。
しかしそのような現実に対し、決して悲観しているわけではない。
彼女がこの札を見て判別がつけばそれでよし。
もしつかなかったとしても、より詳しい人を紹介してくれるはずだからだ。
琳琅さんは店内で古い壺を磨いていた。
私に気付き、ぱっといつもの笑顔で迎えてくれる。
「あら、こんにちは平安さん。今日も護法夜叉に関連する骨董品をお探しですか?」
「こんにちは、琳琅さん。実は今日は違うんです。少し見てほしいものがありまして」
彼女の前に木箱を取り出し、札を見せた。
「これは……?」
私は札を手に入れた経緯を伝え、鑑定を依頼する。
しかし彼女はしばらく札を見つめたのち、ため息をついた。
「すみません、私には何とも」
「そうですか……」
予想していたとはいえ、残念でなかったかと言えば嘘になる。
だがこんなことで諦める私ではない。
「大変申し訳ないのですが、もしご存じでしたら、札の鑑定に詳しい方をご紹介いただけませんでしょうか」
「構いませんよ。平安さんは希古居のお得意様ですから。……そうですね、白朮先生を訪ねてみるのはいかがでしょうか。古く難しい薬の書籍にも明るいですし、呪いやその解呪に関する研究もされていると聞いたことがあります」
「不卜廬の白朮先生ですか。ありがとうございます。また夜叉関係の骨董品が入荷した際は、手紙等で教えてください。飛んでいきますので」
わかりました、と笑顔で手を振る琳琅さんに礼を言い私は希古居を後にする。
有力な情報が手に入った。
これは大きな収穫だ。
彼女の言っていた不卜廬とは、璃月随一の薬舗。
その名を知らない璃月人は恐らくいないだろう。
誰もが一度は、白朮先生の処方するとてつもなく苦い薬を経験したことがあるはずだ。
むろん私も幼少期に飲んだことはある。
たしかにかなりの苦みを感じたが、まあ、私にしてみれば、うむ、耐えられないほどではなかった。
あれから私はかなり健康に気を遣うようになった。
おかげでそれからというもの二度と不卜廬のお世話になっていない。
べつにあの薬が苦手というわけではないということを、ここに記しておく。
私は大通りを抜け、美しい池泉庭園を楽しみながら璃月港を北上する。
もう一度通りに出れば、不卜廬へと続く長い階段が目の前に現れた。
私は歴史を感じる石造りの最初の段に、右足を掛ける。
階段を一段、また一段と上るたび、鼻をつんと刺激する夢幻花の香りが強くなっていく。
やっと最後の段を上り終えれば、鎮座する荘厳な不卜廬の本殿。
周囲にさえぎるものがないため、まるで天に浮かぶ仙人の住処のような錯覚を覚える。
海から吹く潮の香りと、漢方の独特な香りを胸いっぱいに吸い込めば、何とも身が引き締まる気がした。
そんな不卜廬の奥から、カラカラ、ゴリゴリとかすかに何かをこすりつけるような軽やかな音。
軒先をくぐり見回せば、書を膝に置き乳鉢で漢方をすりつぶす青年が目に飛び込んできた。
青白い肌の額に、まるで蔓のような深緑の髪が垂れ下がり揺れている。
彼こそがこの薬舗の店主、白朮先生だ。
私は笑顔で声をかけた。
「白朮先生、こんにちは。今日はお顔色がよいですね」
「おや、ありがとうございます。おかげさまで今日は少し調子が良くて。お薬をお求めですか? お薬の処方は私ではなく、カウンターの桂へ申してください」
ニコリと笑みを返し再び書へ目を落とそうとした白朮先生に、私は慌てて首を振る。
「いえ、そうではないのです。今日ここを訪れたのは、お薬のためではなく、白朮先生とお話をするためなのです」
白朮先生はそれを聞くと、乳鉢を持つ手を止め私に顔を向けた。
眼鏡の奥からヘビのように細い瞳孔が、私を見つめ返す。
「少しの時間なら大丈夫ですが、どんなご用件でしょうか」
私は例の箱を開け、札を白朮先生に見せた。
「希古居の琳琅さんから紹介を受け来ました。私はこの古い札が危険なものか、無害なものか判別がつきません。もし危険な代物であれば、破棄したいと考えています。博識な白朮先生なら見分けがつくのでは、と聞きまして……」
「ほう、琳琅さんも分からなかったものを私に見てほしいと。ふむ……」
白朮先生は一旦けげんな表情を浮かべるが、箱を手に取るとその顔は真剣味を帯びる。
思わず、ごくりと私の喉元が鳴った。
白朮先生は、箱と札を丁寧に隅々まで確認する。
そうして、すべてを見終えると、白朮先生は屈託のない笑顔で、私に言ったのだ。
「すみません、まったくわかりません」
「そ、そんな……」
予想外だった。
(まさか、琳琅さんの人脈でもこの札の真実にたどり着けないなんて……)
露骨に肩を落とした私に、白朮先生は少し考えこむそぶりを見せ、あ、と手を叩いた。
「そうだ。私の弟子の七七なら、もしかするとその札について、何かわかるかもしれません」
「白朮先生、本当ですか⁉」
「ええ。彼女は古い文字に精通し、効力を持った札すら自作することができます。きっと、私なんかよりよほど頼りになるでしょう。ちょうど、今彼女は北国銀行に届けられたココナッツミルクを取りに行ったばかりです。今からでも追いかければ、遅くはありません」
「ああ、先生、何とお礼を申せばいいか。貴重な情報、ありがとうございます!」
「いいえ。これぐらいのこと、気に留めるほどでもありません。それでは、何かありましたら、弊店をごひいきに」
白朮先生はフフフと不敵な笑みを浮かべると、眼鏡をくいと得意げに持ち上げ、私を一瞥したのち自分の作業へと戻った。
なぜかざわりと鳥肌が立ったが、恐らく海風となれない匂いにあたりすぎたせいだろう。
私は自分にそう言い聞かせ、礼をしたのち、早足で不卜廬を後にした。
石段を駆け下り来た道を戻れば、北国銀行は目の前だ。
緋色の柱が入り組んだ立派な建物の三階に、北国銀行璃月支店は入居している。
私は手すりに手をかけ、階段を上ろうとした。
ふと見上げれば、上階から一人の幼い少女が下りてくる途中だった。
私はその姿を見て、思わず息をのむ。
その両手は身の丈ほどもある銀色のミルクバレルを抱きしめ、右にフラフラ、左にフラフラしているではないか。
(こんな小さな子供にあんな重たいものを持たせて、いったい親は何をしているんだ……!)
思わずあきれてしまう。
もし転んだりでもしたら、大けがなんてものでは済まない。
ハラハラしながら見つめていると、ちょうど通行人が少女の横を通り過ぎた。
「おっと」
少女がよけようとして、大きく階段の途中でよろめく。
「危ない!」
気が付けば、体が動いていた。
とっさに駆け上がり、ミルクバレルを支えようと手を伸ばす。
が、その手は見事に空を切ったのである。
「へ?」
一瞬訳が分からず、目の端で少女の顔を見る。
見れば少女は眉間にしわを寄せ、私に触らせないようミルクバレルを片手で持ち上げ頭上に引いているではないか。
(ああ、よかった)
私は心の底から安堵する。
あのミルクバレルは空で、重たい荷物を無理やり持たせられている可哀そうな子供は、いなかったんだ、と。
少女が片手で持ち上げられる重さであれば、きっと大したことはないはずだ。
安心したはいいものの、身体はすぐには止まらない。
私は少女にぶつからないよう身を捻りながら、勢いそのまま階段に頭から突っ込んだ。
派手な音を立て、伸びたカエルのような格好で階段に突っ伏した私。
すると、「あ」と空からかわいらしい声が降ってきて、反射的に見上げる。
「え?」
私の眼前には、少女の手から滑り落ちた、迫り来る銀色の容器。
それが時を止めたかのようにゆっくりと落ちてきて、私の顔に影を落とす。
だが、私は焦らない。
少女が片手で軽々と持ち上がるミルクバレル。
ちょっとぶつけても、大したケガにはなりえない。
こう見えても、璃月を一人旅できるほどには鍛えているのだ。
かすり傷や小さな打撲なんて日常茶飯事。
だから無理によける必要もなければ、腕で受ける必要なんて微塵もない。
このような些事で揺るがぬ強い男であることを、この少女に証明して見せよう。
私はそう思うと、顔に余裕の表情を浮かべ、やや体に力を入れた。
次の瞬間、世界を揺るがすような激しい衝撃と、してはいけない鈍い音が頭蓋全体に響き、私は不覚にも気を失った。
「はっ」
目を開けると、私は出店のテーブルに座らせられていた。
見上げれば太陽はやや傾いてはいるものの、気を失っていた時間はそこまでたっていないようだ。
私は恐る恐る頭に手を伸ばす。
間違いなく、視界がぶれるほどの勢いでミルクバレルが頭に降ってきた。
結構大きなたんこぶができているのではと後頭部を探る。
だがどれだけ探しても、ケガしていると思われる個所は見つからない。
(私は夢でも見ていたのだろうか……?)
不可解なこの状況に、私は眉間にしわを寄せ、首をひねる。
と、その時私はやっと目の前に座る少女に気が付いた。
先ほど、ミルクバレルを運んでいた子だ。
ここまで私の体を運んできてくれたのだろうか。
少女は私が目を覚ましたことに気が付いていないのか、はたまた興味がないのか、ぼーっと空を眺めている。
記憶が、徐々に鮮明になってきた。
(そうだ、私は七七という白朮先生の弟子の女性を探して、北国銀行へ向かう途中だったのだ)
しまった、と思い私は軽く舌打ちをし、ため息をつく。
さすがにもう目的の女性は北国銀行を離れてしまった後だろう。
私は悔恨の思いで唇をかんだ。
ただそうはいっても、ここまで運んでくれた少女には、とりあえず礼を言わねばならない。
そう思い、私は少女の横顔を改めて眺めた。
するとひらひらと蝶々が舞ってきて、少女の前に置いてある器へとまる。
「あ……ちょうちょ」
私はあまりに呑気なその言葉で、今日一日の疲れがどっと押し寄せてきた。
がっくりと肩を落とす私に、少女はやっと気がつく。
「あ、起きてる」
私は何とか笑顔を作り、言葉を返す。
紳士的に。
たとえ相手が子供であっても、だ。
「お嬢さん、私をここまで運んでいただきありがとうございます。いやはや、疲れがたまっていたのでしょうか。ちょっと頭をぶつけた程度で眠ってしまうほどに」
「ごめんなさい、七七、謝らないといけない。ココナッツミルクがたくさん入った入れ物、落としてしまった」
「ココナッツミルク……」
そう言えば先ほどから、かすかに甘い匂いが漂っている。
よく見れば、蝶々が止まっている器には、乳白色の液体が半分ほど入っていた。
(ん、ココナッツミルク、どこかで聞いた気がするな……)
私の思考をさえぎるように、少女は続ける。
「頭、大丈夫? ちょっとへこんでたけど、七七が治した」
「ちょっと、って、ええっ? へこんでた⁉ どこが⁉ ここか? それともここか?」
私はあわてて頭をわしゃわしゃと探る。
(新手の冗談だろうか。いや、あの衝撃、きっとこれは冗談ではない! 本当にへこんでたのか⁉ それより、この七七という幼子が私の治療を?)
そこまで考えて、私は硬直した。
「ん? まてよ、七七、だって?」
思わずそう口にすると、少女がうなずく。
「そう。私は七七。いつもは不卜廬で、白朮先生の手伝いをしてる」
「き、君が白朮先生の弟子なのかい? こんなに幼いとは……」
私が頭を抱えていると、七七はごそごそと手帳を取り出す。
「念のため、名前、教えて。あとで頭がダメになってたら、お薬つくってもらうから」
「すごく怖いこと言うね! すまない、名乗るのが遅れてしまった。私は平安だ」
七七はうなずくと、さらさらと手帳にメモを取る。
「へい、あん。あたま、へこんだ。なおしたけど、なおってないかも……よし」
「いやよくないだろっ」
私は勢いに任せ、卓に手を突き立ち上る。
そして少女が書き込んだ手帳を見て、ハッとした。
そこには、見慣れない古代文字がびっしりと並んでいる。
そのいくつかは、あの護法夜叉の札と酷似していた。
私は頭に上った血が一気に冷めていくのを感じ、夢見心地で口を動かす。
「あ、あなた様は本当に……白朮先生のお弟子さんなのですね……」
「七七、さっきからそう言ってる。あれ? 言ったっけ? 七七、あまり記憶力よくない……」
少し困った顔でこちらを見つめる少女を見ていると、なんだかとてつもない庇護欲が掻き立てられた。
ついなにか買い与えてしまいそうだ。
私は頭を振り、必死にその耐え難き可愛さに抵抗する。
(いいや、そうではない! 私の本来の目的を思い出せ!)
頭をぶつけたことなど、もはや些細な問題だった。
私は鞄から例の札の箱を取り出し、卓上に置く。
七七はなんだろう、といった様子でしげしげと箱を見つめている。
「……実は私は七七さんに用があって、北国銀行を訪ねたのです。もし差し支えなければ、見ていただきたいものがあるのです」
私はそう告げると、ゆっくりと箱の蓋を開いた。