護法戦記   作:ほすほす

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私は平安。璃月のしがない物書きだ。
首筋に感じる金属の冷ややかな感触。
まずい。
まずすぎる状況だ。
まさか、胡桃に私が脅されるような日が来ようとは……。

――これは層岩巨淵のイベントストーリーの裏側で巻き起こる、もう一つの護法夜叉の話。


護法戦記 21話 胡蝶の羽音

「う、うわぁぁぁああ‼」

 

 

 私は首に刃物を押し当てられていることすら忘れ、腕をヒルチャールのように振り回しながら胡桃から少しでも離れようとする。

 

 が、あまりに取り乱していたからか、足がもつれ、五体投地の姿勢で盛大に転がった。

 

 何とか体を起こしながら振り返ると、胡桃がゆっくりとこちらへ歩いてくる。

 

 

「ひぃぃいい!」

 

 

 立ち上がろうとしても、腰が抜けて立てやしない。

 

 私は座った状態のまま手だけを使ってばたばたと後退するも、そんな恰好で逃げられるわけがなかった。

 

 

「もー……、平安さんったら危ないなぁ。私が槍を引いていなかったらそれだけのケガじゃすまなかったよ?」

 

 

「え……」

 

 

 胡桃の視線の先をたどり、あわてて手を当ててみると、首からぬるりとした感触。

 

 急いで見れば、掌には引き伸ばしたような赤い色。

 

 わずかではあったが首筋の薄皮を負傷し、少し血が流れていた。

 

 心拍数が上がり、呼吸が荒くなる。

 

 

「な、何が目的なんだ! わ、私は金なんて持ってないぞ! こここ、ここで私を殺しても、何の意味もないんだぞっ!」

 

 

 私は鞄を胸に抱きしめながら、必死に訴えかける。

 

 胡桃はクスリと笑った。

 

 

「やだなぁ、平安さん。私はそんなことしないよ。これは真っ当なツアーの一部。というか、本題と言ってもいいかな?」

 

 

「へ……?」

 

 

「だから、ツアーだよ。忘れちゃった? このツアーの名前を」

 

 

「このツアーの名前……?」

 

 

「そう、未練がある魂の浄化ツアー」

 

 

「未練がある……ま、まさか」

 

 

 私は目を見張った。

 

 意味深すぎる彼女の発言は、最悪の状況を如実に物語っている。

 

 まさか胡桃は、はなから――弥怒が目的だったというのか!?

 

 あまりの衝撃に口をあけ放った私を見て、胡桃が盛大にファンファーレを告げる。

 

 

「パンパカパーン! お見事! そう、このツアーの目的は、平安さん。あなたをとり憑いた幽霊から助けることだったんだよ」

 

 

「う、嘘だ! 弥怒は私にとり憑いた幽霊なんかじゃない!」

 

 

 私の叫び声に起こされたカラスが、ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てた。

 

 普段であれば驚き身をすくめる私もそれどころではなく、ただひたすら胡桃の眼をまっすぐに見つめ返す。

 

 胡桃は妖艶な微笑みを浮かべる。

 

 

「ほんとうに、そうかなぁ?」

 

 

「……!」

 

 

 思わず、鞄を抱く手に力が入った。

 

 そんなはずはない。

 

 弥怒がただの幽霊で、私にとり憑いているなんて、そんなの出まかせだ。

 

 

 私の弥怒の関係はもっとこう、レベルが高いというか、なんというか。

 

 とにかく、そんな低俗なものではないはずなのだ。

 

 私は自分に言い聞かせるように、精いっぱいの語彙をかき集め、心の中で胡桃に反論する。

 

 

 

 私の語彙力が追い付かなくなり始めたその時。

 

 眉間に力いっぱいの皺を寄せていた私は、ふと気が付く。

 

 そうだ。

 

 簡単なことじゃないか。

 

 わからないことは、弥怒本人に聞けば良いのだ。

 

 なぜそんなことすら思いつかなかったのかと唇を噛み締めながらも、私は嬉々として頭の中にいる夜叉へと尋ねる。

 

 

(弥怒! 絶対違うよな? 弥怒は幽霊で、私にとり憑いてるなんてそんなわけないよな。私たちの関係はもっとこう、夜叉の秘術的な何かで……)

 

 

『知らぬ。己れにはそのあたりのことはよくわからぬ。お主の中に入ったのも、何となくできそうだと感じたからやったまでのこと。己れに聞かれても、わからぬものはわからぬ』

 

 

 返ってきたのは、想像の斜め上。

 

 明確な拒絶の言葉だった。

 

 すがる思いで伸ばした腕をはねのけられたような感覚が胸中に広がる。 

 

 見上げれば、胡桃は目を細めて狼狽する私をじっと見つめていた。

 

 

「じ、じゃあ、弥怒が幽霊だっていう根拠を教えてくれ!」

 

 

 私はやり場のない不安を、今度は胡桃にぶつける。

 

 すると、待っていましたとばかりに、胡桃が口を開いた。

 

 

「仕方がないなぁ。それじゃあ聞くけど、最近食べる量が急に増えたり、減ったりしたことない?」

 

 

 私は言われた言葉を口の中で反芻しながら、思い当たる記憶を探る。

 

 確かに、以前に比べて食欲は増えている気がした。

 

 自宅で飯をよそうときも、港でモラミートを食べた時も、望舒旅館で飲み食いした時も、普段よりも量は多かった。

 

 食欲が増えたというよりも、食べ物がよりうまく感じられるといったほうが正しいだろう。

 

 

 結果的に食べる量は増えている。

 

 

「……」

 

 

 私は押し黙ったまま、胡桃を見返した。

 

 少女は構わずに続ける。

 

 

「今まで聞こえなかった声が聞こえたり、ましてやその声と会話が成立したりしてない?」

 

 

 

 ……してる。

 

 

 

「枕元に人影を感じたことは?」

 

 

 ……ある。

 

 人影なんて程度じゃすまされない。

 

 がっつり見えていた。

 

 

「あとは……」

 

 

 胡桃はあごをつんと出し、人差し指を口元にあてて考えるそぶりを見せる。

 

 そしてあっ、と、何かを思い出すといたずらっぽい笑みを浮かべたまま、横目で私を見下ろした。

 

 

「そうそう、言い忘れてた。もしかして最近、変な夢を見る、とか……?」

 

 

 ひゅっと自分の喉の奥から息を飲み込む音がした。

 

 冷汗が噴き出し、火照っていた頬の温度が急激に下がる。

 

 

「見たことのない景色が夢に出てきたり、あったこともない人が現れたり――」

 

 

「……」

 

 

「心が苦しくなったり、悲しくなったりしていない?」

 

 

「……」

 

 

「えへへっ、図星って顔しているね」

 

 

 私は気が付けばひざ元に転がっている石ころと雑草を、呆然と見つめていた。

 

 

 思い当たる節が多すぎる。

 

 

 弥怒が「そんな話己れは聞いていないぞ」と何やら叫んでいるが、その声すらやけに遠く感じられた。

 

 

 胡桃は槍を下すと、諭すような口調で私に語り掛ける。

 

 

「平安さん……。それってとっても危険な状態なの。そうやって死者との同調がどんどん進むと、夢と現実が曖昧になってきて、自分が本当の自分なのか幽霊なのかがわからなくなる」

 

 

「……その先は、どうなるんだ」

 

 

 思考の止まった体を置き去りに、感情を失ったかすれ声が歯と歯の間を通り抜けた。

 

 胡桃は小さく、だが強い意志のこもった声でぴしゃりと言い放った。

 

 

 

 

「とっても、不幸なことになるよ」

 

 

 

 

「そんな……」

 

 

 

 体中から力が抜け、前のめりに倒れそうになる。

 

 私は両手を大地につき何とか体を支えた。

 

 肩から鞄のベルトがずり落ちて、どさりと隣で音を立てる。

 

 

「今さっき見た夢はどうだった? 幽霊の気持ちが直接伝わってきて、苦しかったでしょ? もう……我慢しなくていいんだよ、平安さん」

 

 

『気をしっかり持て! 平安! そうなのか⁉ 本当にそうだったのか⁉』

 

 

 弥怒の声がぐわんぐわんと響き、私の脳が機械的に夢の記憶の再生を始めた。

 

 絶望の吐息を背中の近くに感じつつ、私は頭に浮かぶ映像を必死に追っていく。

 

 

 そして最近の夢に差し掛かった時、一点だけ、胡桃の説明とは異なる点を見つけた。

 

 私は勢いよく顔を上げ、胡桃に訴えかける。

 

 

「ち、違う! 違うぞ! 確かに胡桃の言う通り当てはまることが多かったが、最近の夢は違う。夢の中で、私と弥怒は分離していた。私と言う存在が確かに存在し、まるで傍観者の様に弥怒と世界を見ていただけだ!」

 

 

 胡桃はそれを聞いて首をわずかにかしげる。

 

 

「あれ? おかしいな。症状が進行すれば、精神と幽霊の同化が進んでいくはずなんだけど……。んー、やっぱり普通とはちょっと違う部分があるのかな」

 

 

 むむむと悩む胡桃を見て、私はかすかな希望を感じた。

 

 もしかすると、胡桃の診断に誤りがあるかもしれない。

 

 弥怒は、そんな悪い幽霊じゃないのかもしれないと。

 

 私はわずかに顔を輝かせ、喜びをかみしめる。

 

 

 が、しかし。

 

 

「まあいいや。とりあえず、その札を私に渡して」

 

 

 天使のような笑顔を私に向けた胡桃。

 

 私にとっては、それはまさに死神の宣告。

 

 胡桃はまっすぐ私のカバンを指さした。

 

 

「札って……」

 

 

 私は思わず、肩から伸びるベルトを両手で握りしめる。

 

 

「そう。その平安さんが大事に大事にしている鞄に入っているお札。それを燃やせば、きっと全部終わるから」

 

 

「この札を、燃やす……?」

 

 

 信じられない言葉が、耳の中で反響した。

 

 

 弥怒が死の間際に残した札。

 

 伐難の思いや、散った夜叉たちの記憶が残る札。

 

 王深の一族がずっと守り続けてきた、この札を、燃やす……だって?

 

 

 ふつふつとした怒りが、腹の底から湧いてくる。

 

 だが同時に、胡桃の「不幸なことになるよ」という言葉が頭の中で渦を巻く。

 

 そのふたつが胸元でぶつかり合い、激しくせめぎ合った。

 

 

 

 究極の二択である。

 

 

 

 わが身可愛さに、数百年の思いを捨て去るか。

 

 弥怒たち夜叉のため、私の人生を捧げるか。

 

 

 この場でそれを判断しろと言うのは、あまりに酷じゃないか。

 

 

 私が決めかねて瞼をぎゅっと閉じた時、弥怒の穏やかな声が頭に響く。

 

 

『……よいぞ』

 

 

(弥怒……? 何を言っているんだ……?)

 

 

『己れのことは気にするな。人には人の世、死者には死者の世がある』

 

 

(ば、ばかなことを! わ、私は知っているんだ。夢で、見たんだ。弥怒たちの戦いも、夜叉の役目も、……伐難との別れや、弥怒の最後も)

 

 

『ではなおさら、己れに構うな』

 

 

 まるで軽く笑みを含んだような弥怒の言い草に、私の心はかき乱される。

 

 

(そしたら! 他の夜叉たちとの約束は……!)

 

 

『そのようなこと、お主が気にすることではない』

 

 

 弥怒の口調は優しかったが、その言葉は私の胸に深く突き刺さった。

 

 

(そん……な……)

 

 

「さ、それを渡して」

 

 

 胡桃が一歩こちらへ踏み出してきて、璃月港で転んだ時と同じように、手を差し伸べてくる。

 

 

 あの柔らかく小さな手を握れば、こんな悩みからも解放される。

 

 すべてを忘れて、私は私の日常に戻ることができるのだ。

 

 その提案は、確かに魅力的だった。

 

 私は鞄に手を伸ばし、古ぼけた木箱へと手を伸ばす。

 

 取り出した木箱を見ると、手に入れてから今までの思い出が駆け巡る。

 

 

 これを渡せば――すべてが終わる。

 

 

 引きつった笑みが、強張った頬の筋肉を震わせた。

 

 

 

 

 

 

「は、ははっ、い、嫌だ……」

 

 

 

 

 

 

「っ‼」

 

 

 

 胡桃の表情が一気に険しくなる。

 

 

「この札は、渡せない。弥怒はすごいんだ。本当にすごいんだ。ずっとずっと戦ってきて、それでもなお約束を守るためにここにいる。私にできることは少ないかもしれないけれど、少しでも力になりたいんだ……!」

 

 

『平安……』

 

 

 私は泣き出しそうになりながら、頭に浮かんだ言葉をそのまま口に出していく。

 

 まるで、大切なおもちゃを取り上げられそうになった子供の様に。

 

 

「だからっ!」

 

 

 勢いよく顔を上げ、胡桃を見たその瞬間だった。

 

 

「ふーん。そっか。ほいっ」

 

 

 カーン、と森に響く乾いた音。

 

 

 びゅん、と回転する胡桃の槍。

 

 

「あ」

 

『馬鹿者っ……』

 

 

 手元を見ればそこには何もなく、見上げると木箱は頭上高くへと巻き上げられていた。

 

 一拍置いて、カランカランと、むなしい音を立てながら転がる木箱の蓋と箱。

 

 

 私は四つん這いになりながら、胡桃より先にそれらを回収する。

 

 

『平安』

 

 

(なんだ! 弥怒!)

 

 

 平静を失った私は弥怒にかみつく。

 

 だが私の頭の中には、弥怒の諦念したような声だけが響いた。

 

 

『もう、遅い』

 

 

 私ははっとして箱の中へと目をやる。

 

 そこにあったはずの札はなく、箱はもぬけの殻。

 

 

「よっと」

 

 

 声がする方を見上げれば、ひらひらと空から落ちて来た札を、胡桃が華麗な跳躍と共にキャッチしたところだった。 

 

 片膝をついて着地した胡桃は、パンパンと土埃をはたき落とし、私にウインクを飛ばす。

 

 

「ごめんね平安さん。でもこれが私の仕事なんだ。生と死の境は、あいまいにしちゃいけないの。胡じいの話、ちゃんと聞いてくれたよね。だったら、平安さんもわかるでしょ?」

 

 

 私はこぶしを握り締める。

 

 

「胡桃、君は最初から、そのために……!」

 

 

「ごめんね」

 

 

 少し寂し気にそう告げた胡桃は、札を持ち上げ、月明りに透かして眺めた。

 

 

(すまない、弥怒。私は、私のような凡人では、札を守り切ることすらできなかった。すまない、本当に、すまない)

 

 

『よいのだ、平安。よいのだ。すべては天命によって導かれる。これが己れの運命だったのだ』

 

 

(そんな……)

 

 

 私の手から木箱がすり抜け、地面に転がる。

 

 その隣を、私は拳骨で力任せに殴りつけた。

 

 

「ちくしょうっ!」

 

 

 こぶしに痛みが走り、手を持ち上げる。

 

 地面には、見えるか見えないかの微かなへこみ。

 

 

 それは私の無力さを象徴しているようにも見えた。

 

 悔しさに、視界が滲む。

 

 

 なぜ。

 

 

 なぜ私はこうもダメなのだ。

 

 

 何を取っても、たいして成果を上げられない。

 

 挙句の果てに、大切な札まで取り上げられる。

 

 

 

 私の自己嫌悪が最高潮に達した、その時だった。

 

 

「これは……」

 

 

 胡桃のわずかに驚いたような声。

 

 その声を聞いてか、木々がざわめき立つ。

 

 

「……へ?」

 

 

 顔を袖でぬぐい見上げれば、胡桃が苛立たし気に札を見つめていた。

 

 

 こちらの視線に気が付くと、不満げに頬を膨らませる。

 

 

「……前言撤回。もう、この札を燃やすだけじゃダメみたい」

 

 

「ど、どういうことだ」

 

 

 私は目を白黒させた。

 

 胡桃は口をとがらせる。

 

 

「もう、この札に幽霊の魂は入っていない。すっからかんの空っぽ。七七ちゃんと話をしてる時に、こっそりのぞき見した時は札に強い魂を感じたから、もしかしてと思ったけど。ことは私が思っている以上に深刻みたいだね」

 

 

「どういうことだ⁉」

 

 

「もう、幽霊は平安さんと同化し始めているってこと。ここからは、強硬手段で行くしかない」

 

 

 札を胸元にしまい込み、両手で槍を構えた胡桃を私は慌てて両手で制する。

 

 

「まってくれ! 胡桃! ど、どうするつもりだ」

 

 

 

 胡桃がペロリと唇を濡らすと、胡桃の周囲に陽炎が立ち上り始めた。

 

 黒い靴が一歩前に出るごとに、少女の足元で草木が勢いよく燃え上がる。

 

 パチパチと木々の間を反響する、乾いた枝の爆ぜる音。

 

 次々に舞い上がる火の粉は、少女を取り囲むと、羽ばたく炎蝶へと姿を変えた。

 

 

「ちょっと平安さんには悪いけど、我慢してね。弥怒さん、聞こえてる? 早くその体から離れないと、ふたりまとめて串刺しになっちゃうよ」

 

 

「胡桃さん……? めちゃくちゃ怖いこと言ってるけど、聞き間違いじゃないよな……?」

 

 

 私が冗談交じりに尋ねても、胡桃はその歩みを一切緩めない。

 

 

「えへへっ。じゃあ……いくよっ!」

 

 

 胡桃が大地を勢い良く蹴飛ばすのと、私が転びそうになりながらも脱兎の様に逃げだしたのは、ほぼ同時だった。

 

 

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