護法戦記   作:ほすほす

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私は平安。璃月のしがない物書きだ。
偶然手に入れた護法夜叉の札を、私は七七という白朮先生の弟子に見せることになった。
見るからに幼い姿だが、大丈夫だろうか。
そしてこの札は、いったい何なのだろうか。

――これは層岩巨淵のイベントストーリーの裏側で巻き起こる、もう一つの護法夜叉の話。


護法戦記 3話 邂逅

「いかがでしょうか……」

 

 

 私は待ちきれず、ついそんな言葉を漏らす。

 

 かれこれ一時間ほど、七七は札とにらめっこをしている。

 

 札に何か危険がないか確認してもらうようお願いすると、七七は快く引き受けてくれた。

 

 

 それはよかった。

 

 

 だが無言無表情で固まられたまま、時間だけが過ぎていくとどうしてもそわそわしてしまう。

 

 こちらもだんだん不安になってくるというものだ。

 

 

 あまり長く座っていると、茶屋の店主の目線も冷たくなってくる。

 

 さすがに申し訳なくなり、私は店主にもう一度茶を注文する。

 

 

 そんなやきもきする時間を待つことさらに半刻。

 

 七七はやっと納得がいったのか静かにうなずいた。

 

 

「大丈夫」

 

 

「ほ、本当ですか?」

 

 

「うん……。とても強い封印。解くためには、札に何か書き足さないとダメ。でもあなたも、七七も、それを知らない。きっと、書いた人しかわからない。お札、すごく古いからきっとその人もういない」

 

 

「な、なるほど」

 

 

 札を見るために椅子の上に立っていた七七は、ココナッツミルクが入った器に体をぶつけないよう気を付けながら腰を下ろした。

 

 

 私は箱に入った札をもう一度見つめなおす。

 

 何かが中に封印された、護法夜叉の札。

 

 びっしりと書かれた文字の奥に潜むのが妖魔なのか、夜叉に関するものなのかはきっともう誰にもわからない。

 

 決して開くことのない鍵のかかったこの宝箱は、私の想像力を掻き立てるには十分すぎるものだった。

 

 

 私は胸いっぱいに空気を吸い込み、七七へ礼を言う。

 

 

「ありがとうございます。おかげで、安心することができました」

 

 

「ん」

 

 

 七七は軽くうなずくと、ココナッツミルクを飲み干し、席を立つ。

 

 脇に置かれていたミルクバレルを持ち上げると、中からゴポンと低い水音が聞こえる。

 

 中になみなみとココナッツミルクが入っている証拠だ。

 

 

 大人でも腰を痛めるであろうその容器を、七七は軽々と担ぎ、踵を返す。

 

 容器の一部にはよく見れば少しだけ、乾きかけの血が付いている。

 

 

(あれが私の頭に降ってきたのか……)

 

 

 私は頭をさすりながら、ぶるっと身震いした。

 

 そんな私を気にもせず、七七はまたふらふらと不卜廬に向かって大通りを歩いていく。

 

 

「すごい怪力だ……」

 

 

 私はそんな月並みな感想を漏らすので精いっぱいだった。

 

 

 小さくなっていく背を見送ると、私は広げていた箱を閉じカバンへと戻す。

 

 すでに西に傾いている日差しがまぶしい。

 

 私もそろそろ帰ろうかと席を立ったその時。

 

 

 背後からコトリ、と物音がした。

 

 なんだろう、となんとなく振り返るが、そこには誰もいないテーブルが二つ並ぶだけ。

 

 

「気のせいか?」

 

 

 そのとき私は物音を立てた何かを探すよりも、自分の頭を疑った。

 

 なにせ、先ほどしこたま強くぶつけたばかりである。 

 

 

「今日は、早く帰って寝るか……」

 

 

 私は店主へモラを渡し、帰路につく。

 

 帰り道、何度か視線を感じて振り返ったが、やはり誰もいない。

 

 

(本当に私の頭は大丈夫だろうか。いよいよ怖くなってきたな……)

 

 

 そう思うと、なんだか調子が悪いような気もしてきた。

 

 私は早足で家にたどり着くと、急いで内側から錠をかける。

 

 どっと疲れが襲ってきた。

 

 

 興奮したり、人探しをしたり、気絶したり、また興奮したり。

 

 今日は本当にいろいろあった。

 

 耐え難い眠気が意識を侵食してくる。

 

 体を拭く余裕もなく私はベッドへ直行すると、そのまま倒れこむようにして眠りについた。

 

 

 

 

          ※

 

 

 

 

 風が、吹いていた。

 

 冷たく乾いた風が、髪をかすかに揺らし、首元を通り過ぎていく。

 

 ゆっくりと私は目を開ける。

 

 そこはとても高い場所だった。

 

 明るくなり始めた空と、眼下には水平線まで続く雲海。

 

 雲からはところどころ、細長い岩山がいくつも頭を出している。

 

 私が立っていたのも、そのいくつかの山のうちの一つであった。

 

 目の前に広がる絶景を、私は腕を組み静かに見つめている。

 

 

「――――!」

 

 

 背後から誰かが私の名を呼んだ。

 

 ゆっくりと振り返れば、そこには四人の影。

 

 その姿を見た途端、胸の奥にじんわりと安心感が広がった。

 

 思わず笑みをこぼし、私は腕をほどくと、影たちのもとへ歩き出す。

 

 うすぼんやりとした視界の中、四人の姿がだんだんとはっきりしてくる。

 

 藤紫の刺青を持つ四本腕の巨漢、燃えるような赤い髪色をした女性、角と長いかぎ爪を持つ少女。

 

 そして、私に背を向けたままの、濃緑の髪をなびかせる少年。

 

 さもそれが当たり前かのように、私は彼らの隣に肩を並べる。

 

 私が隣に立ったことを確認すると、全員がそろって同じ方向を向く。

 

 ちょうど私たちが見つめる先で、朝日が顔を出そうとしていた。

 

 雲を敷き詰めた純白の大地の端が、黄金色にキラリと輝いた。

 

 まばゆい光は私たちを照らし、五つの影が背後へと長く伸びる。

 

 だれかが、掛け声をかけた。

 

 それが四本腕の巨漢なのか、緑髪の少年なのかはわからない。

 

 ただ誰とも知らぬその声と同時に、全員がいっせいに大地を蹴り、躊躇することなく崖から飛び降りる。

 

 厚い雲を抜け、ほぼ垂直の岩肌をすさまじい速度で駆け降りていく。

 

 徐々に近づいてくる、草木生い茂る緑色の地表。

 

 そこには黒い瘴気を纏った、山のような大きさの獣が四つ足で立っていた。

 

 こちらに気付いたのか、獣は身体を持ち上げ、割れんばかりの鳴き声で咆哮する。

 

 びりびりと揺れる空気の中、私は周囲にちらと目をやる。

 

 他の四人と目が合った。

 

 その八つの目は、それぞれが目前に迫る戦いへの歓喜の色を浮かべている。

 

 私は口元へ手をやって、気が付いた。

 

 なんだ、私も笑っているではないか、と――。

 

 

「……はっ!」

 

 

 私は勢いよく寝床から飛び起きた。

 

 見慣れた部屋、見慣れたベッド。

 

 薄暗がりの中両手を見ると、わずかに汗ばんでいる。

 

 どうやら私は夢を見ていたらしい。

 

 

『いい夢は見れたか?』

 

 

 私はその問いに反射的に答える。

 

 

「ああ、すごい夢だった。まるで私が護法夜叉になったような。いや、あの夢に出てきた少年は、見覚えがある。まさか、降魔大聖?」

 

 

『ほう、お主降魔大聖を知っているのか』

 

 

「ええ、前に一度、お会いしたことが、ありま、す……」

 

 

 私はうなじに錆びた歯車でも入っているのではないかと思うくらいぎこちなく、声がした方向へギギギと首を回す。

 

 

『それは、重畳』

 

 

 ベッドの脇には、満足げに頷く長身の男性が腰かけていた。

 

 

「う、うわぁあ‼」

 

 

 私は思わず叫び声をあげ、ベッドの淵まで飛びのくとそのまま勢い余って落下する。

 

 後頭部を思い切り床でぶつけ、目の前に星が飛んだ。

 

 その衝撃で眠気が吹き飛び、昨日の出来事を一気に思い出す。

 

 

(そうだ、私は昨日頭をココナッツミルク容器で思いっきりぶたれたのだった。そうか、やはり頭に異常が。とうとう幻聴だけでなく、幻覚まで見え始めたか。医者に行ったほうがいいな……)

 

 

 私は落ちたままの体勢で天井を見上げ、あごに手を当て考え込む。

 

 そんな私の視界に、男の顔がぬっと現れる。

 

 

 私は口を開けたまま固まってしまった。

 

 

「げ、幻覚とはこんなにもはっきりと見えるものなのだろうか」

 

 

 かすれた声で思わず独り言を漏らすと、大男は腕を組む。

 

 

『失敬な奴だな、お主は。己れはお主の頭の中に広がる夢の住人ではないぞ。まあ、幻の一種だといえば、あながちまちがいではないがな』

 

 

 よくしゃべる幻覚であった。

 

 私は目をぱちくりさせながら、体を起こす。

 

 ベッドに片腕を置いて体を支え、男を見上げる。

 

 立とうとしたが、腰を抜かしてしまい、立てなかったのだ。

 

 

「あなたは……? どうして私の家の中に? 鍵は確かにかけたはずなのに……?」

 

 

 男は私に手のひらを向け首を振った。

 

 

『まてまて。そうことを急ぐな。いっぺんに言われるとさすがの己れも困る。まずは己れから自己紹介しよう』

 

 

 男は低く落ち着いた声でそう言うと、微笑を浮かべる。

 

 

『己れの名は、弥怒。仙衆夜叉だ』

 

 

「は……? 仙衆、夜叉……?」

 

 

 やはり、私はおかしくなってしまったのだろう。

 

 まさか仙衆夜叉の幻覚を見てしまうなど。

 

 いかに私が夜叉にあこがれを抱いているとはいえ、ここまで来ると病的である。

 

 私が口をかっぴらいたまま硬直していると、弥怒と名乗る男が首をかしげる。

 

 

『ん? 仙衆夜叉は知らぬか?』

 

 

「い、いえ、知っているも何も、私は幼少期から夜叉の話には目がなく、降魔大聖ともお会いしたことがありますが……」

 

 

 そこまで言って私はふと違和感を感じる。

 

 彼が言った弥怒、という名は今まで一度も聞いたことがないのだ。

 

 はたして幻覚は私の記憶以外の夜叉を作り出したりするのだろうか。

 

 

「すみませんが、弥怒という名は聞いたことがなく……」

 

 

 私が軽く頭を下げながらそう言うと、男は一瞬目を見開き、笑い声をあげた。

 

 

『はっはっはっは。そうだったな。こちらの名はあまり大っぴらにしていないんだったか。失敬失敬。こちらのほうが、多少は有名だろうか。皆は己れのことを、心猿大将と呼んでいた』

 

 

 どくんと、心臓が跳ねた。

 

 

 私は這うようにして弥怒の横を通り過ぎ、書架へとたどり着くと、積まれた本をなぎ倒し奥から一冊の本を取り出す。

 

 

「も、もしかして、心猿大将とは、この本に描かれた、こちらの方ですか⁉」

 

 

 唾を飛ばしながら、私は本の見開きに描かれた五人の夜叉の一人を指さし弥怒へと見せた。

 

 弥怒は腰をかがめて本へ顔を近づける。

 

 すると挿絵を数秒見つめたのち、腹を抱えて大声で笑いだした。

 

 

『クックック……アッハッハッハッハッハ! なんだこれは! けったいな! ふ、浮舎がこんな立派な服を着こなして……クックッ、こ、降魔大聖が、こんな笑い顔をするわけっ、き、気味が悪いっ』

 

 

 弥怒は涙を浮かべながらヒーヒー言っている。

 

 私は目の前の光景が信じられず、気が付けば床に取り落していた先ほどの本に目を落とす。

 

 そこには仙衆夜叉の名前が並び、五人の立ち姿が威風堂々とした様子で並んでいる。

 

 

 よく見れば確かに彼の言う通りだった。

 

 作者のイメージのみで描かれた降魔大聖は、柔和な笑みを浮かべている。

 

 それは私が見た本物の降魔大聖とは全く異なっていた。

 

 その隣に描かれた心猿大将は、顔に大きな赤い隈取、大きくはだけた服に毛むくじゃらの大男。

 

 

 改めて私は弥怒を見上げる。

 

 大男に違いはないが、その立ち姿はすらっとしていて、知的な雰囲気を醸し出す。

 

 顔には金色の隈取があるものの、目立つほどではない。

 

 ましてや、毛むくじゃらでは全くなかった。

 

 

『いや、笑わせてもらった。人間の間では、仙衆夜叉はなかなか面白い伝わり方をしているな。今は魔神戦争からどれくらいの月日がたった? 岩王帝君は健在か? 降魔大聖と会ったことがあるなら、浮舎はまだ生きているのか?』

 

 

 私は確信する。

 

 この方は、私の幻覚などではない。

 

 伝説の護法仙衆夜叉、心猿大将ご本人だ。

 

 

 呆然とする私の顔の前で、弥怒が手を振る。

 

 

『おい、どうした? 急に呆けて』

 

 

「す、すみません、一度、顔を洗ってきてもいいですか?」

 

 

『おう、構わんぞ』

 

 

 私は何とか心を落ち着かせるため、その場を脱出する道を選んだ。

 

 

 

 ばたばたと洗面台に着くと、勢いよく桶の水を顔にかけた。

 

 朝の冷え切った水が、皮膚を通り抜け頭の芯まで突き抜ける。

 

 

 正直、まだ夢見心地であった。

 

 以前白昼夢を見て、降魔大聖と会ったことがある。

 

 しかしそれほど時を跨がずにこのようなことが二度もあるだろうか。

 

 信じられないという気持ちで頭がいっぱいだった。

 

 

 私は顔を拭き、恐る恐る自室の扉へ手をかける。

 

 未だ弥怒が幻であるという可能性を捨てきれていなかったのだ。

 

 ゆっくりと開いた扉の先には、誰もいないベッドと、昨日しまい忘れていた札の箱が置いてあった。

 

 

(なんだ、やはり私の見た夢だったのか)

 

 

 少し残念な気持ちと安堵の入り交じった胸を抱え、私は部屋へ入る。

 

 

『すまん、これは何と書いてあるのだ?』

 

 

 油断したところに急に声を掛けられ、私は心臓が飛び出そうになった。

 

 

 いた。

 

 消えてなどいなかった。

 

 心猿大将は場所を移動し、私の机の前に立っている。

 

 

「夢じゃ、ないのか……」

 

 

 私は思わずそうこぼすと、弥怒はムッとした表情に変わった。

 

 

『いつまでそんな寝言を唱えているのだ。いいから、これは何と書いてあるのか己れに教えてくれ』

 

 

 有無を言わさぬその態度に、私はあわてて弥怒のそばに駆け寄った。

 

 彼が覗き込んでいたのは、書きかけの原稿。

 

 護法夜叉について、私の知っている知識をもとに書かれたものだ。

 

 もちろん未完成で、数日前から筆は止まっている。

 

 

「こ、これは私が書いている小説です。大変恐縮ですが、護法夜叉についての正しい知識を広めたいと思い、筆を執っております」

 

 

『ふむ、見慣れぬ文字だ。己れが目覚めるまでの間に、文字が変わるほどの年月が経っていたということか?』

 

 

「……そう、だと思います。私の知る限り、夜叉の多くはこの世を去り、岩王帝君までもがついこの間、ご逝去されました」

 

 

『なんだと……?』

 

 

 突然私は、全身の血液が凍り付くような殺気を感じ、蛇に睨まれた蛙のように全く身動きが取れなくなった。

 

 目の前でゆらりと身を起こした弥怒は、ゆっくりとこちらに体を向け、静かに私を見下ろす。

 

 その表情は終始穏やかだったが、瞳には並々たらぬ怒りの炎が燃え滾っていた。

 

 

『誰が、帝君を殺した?』

 

 

 私はごくりと生唾を飲み込んだ。

 

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