私には……胸を張って誇れる、友がいた。
――これは層岩巨淵のイベントストーリーの裏側で巻き起こる、もう一つの護法夜叉の話。
「破ッ」
疾風と共に降魔大聖が大地を蹴った。
常人では考えられぬほど高く跳びあがった後、巻き上げられた気流を受けて更に上空へと飛んでいく。
一方弥怒は応達の鎧を半身に纏い、人の体ほどの大きさの岩を持ち上げると、頭上へ向けて放り投げた。
降魔大聖が落下するよりも早く足元まで届いた岩を足場に、緑風はさらに高く跳躍する。
「ぬんッ!」
弥怒の右手から伸びた鋭い爪が岩石を切り裂く。
手頃な大きさとなった岩を、背中から伸びた残りの3本の腕が交互に投擲し続けた。
玉切れを知らない投石器のように繰り出された石塊は、寸分たがわず降魔大聖の向かう先へと飛んでいく。
風を纏いし夜叉は空を駆け上がるように天高く昇っていく。
「平安、降魔大聖にも、仙衆夜叉としての呼び名があることを知っているな?」
『ああ、知っている。睡魔大聖だろ?』
「はっ、お主もそんな冗談を口にするようになるとは」
『すまない、金鵬大将、だったよな』
「そうだ。だが、己れはその名に対して、やや納得がいかない」
『ほう、なんでまた』
「金鵬とは、名の如く金色の大鳥、鳳凰のことを指す。だが奴を見てみろ。翠玉の服を纏う華奢な少年だ。鶯ぐらいがちょうどいい」
『はは、弥怒は手厳しいな』
「ふん、奴の名は己れが与えた衣に由来するのだ。平安よ、その目に刻むがよい。お主が本当の意味での金鵬夜叉を知る、最後の人間となるのだ」
弥怒が最後の岩を放り投げた先、ちょうど妖魔の頭上遥か高い場所で降魔大聖がくるりと身を翻す。
そしてやはりタイミングよく届いた岩の下に身をくぐらせ、今度は天に向かって岩石を蹴り飛ばした。
雷のような速度で垂直落下を始めた降魔大聖。
「ハァッ‼」
弥怒は左手で印を結び、残り僅かな岩元素を呼び起こす。
すると降魔大聖を中心に、金色の障壁が顕現した。
ドーム状に作られた障壁は、そのあまりの速度ゆえに徐々に形を変えていく。
ひしゃげた障壁の端からはまるで彗星のように岩元素の粒子がたなびき、蒼穹に琥珀色の筋を残す。
その姿はまるで、鳳凰が大翼を広げて尾をたなびかせるが如し。
『これが、金鵬……』
「そうだ。妖魔がどれほど守りに徹しようとも関係ない。岩元素の盾と風元素の鉾、互いに相いれない元素同士。だからこそ、己れたちは互いの全力をぶつけられるのだ!」
降魔大聖は妖魔の振り回す触手の圏内まで到達する。
舞い降りた金色の鳥に、髪の毛すら通さぬほどの猛攻が襲い掛かった。
「ぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおッ‼」
弥怒の雄叫びと共に、大地が揺れ、空気が震える。
降魔大聖を包む障壁が、さらに一段階厚みを増した。
触手は幾度となく鳳凰に牙をむくがあまりの速度と硬さによって、そのすべてが弾かれ、千切られ、蹂躙されていく。
刹那、降魔大聖の槍が太陽の光を浴びてキラリと一際強く輝いた。
弥怒は4本の腕を胸の前で組み、自身へも障壁を展開。
同時に光を放つ金鵬の嘴は音もなく巨大な花の頂点に突きささる。
そのまま勢いを緩めることなく、光は幹の内部を一直線に貫いていく。
閃光が、大地へ到達する直前。
弥怒が小さく、口を動かした。
「衝撃に、備えよ――」
それはまさに、一瞬の出来事。
花の根元、幹の内側に籠っていた核が破壊されると同時に、四方八方へと弾け飛ぶ巨大な妖花。
その場を中心に地面へ亀裂が走り、衝撃波によりめくりあげられる地殻。
爆風と岩石の波が、壁となって迫り来る。
「ぐっ!」
障壁が激しく揺らぐが、弥怒の後押しによって何とか形状を保ち続けた。
周囲は砂塵の激流に飲まれ、様子を伺うことすらできない。
『や、やりすぎだぞっ!』
「はっはっはっはっは! 愉快なり‼」
抗議をぶつけても、弥怒はどこ吹く風。
やはり夜叉は夜叉だ。
何から何まで規格外。
戦いを心の底から楽しんでいるとしか思えなかった。
遅れて耳をつんざくほどの爆音が轟き、空からは雨のように岩が降り注ぐ。
もう無茶苦茶だ。
『ぷっ、あはははははっ!』
「おう、笑え笑え! 勝利は笑顔で祝わねばならんからな! はっはっはっはっは!」
そうして私たちは視界が晴れるまで、しばしの間障壁の中で笑い声を響かせたのだった。
「それで、弥怒。今まで何をしていた」
砂埃が晴れた後、私たちと降魔大聖は再び向かい合っていた。
ジト目の降魔大聖がこちらを睨みつける。
「うむ。まあ、色々あってな。今はこうしてこやつ、平安という者の体を借りて、ここに立っている」
「フン、てっきりどこかの戦場でくたばっていたとばかり思っていたが、こうして再び相まみえようとは……」
降魔大聖はかつての日々を思い出したのだろうか。
目を伏せると、少し表情を曇らせた。
それに構わず、弥怒は突き抜けるほど明るい声を弾ませる。
「礼を言うぞ、魈。我ら亡き後、よくぞ璃月を守り続けてくれた! それが夜叉の務めとはいえ、感謝する!」
「なにも特別なことはしていない。昔と何一つ、な。西に妖魔あれば切り裂き、東に妖魔あれば屠り殺す。ただそれだけだ。……いや、変わったことなら、あるかも……しれないな……」
降魔大聖はこちらをちらと見た後、自分の両手に目を落とす。
かすかに震える、二つの掌。
こちらから見える彼の小さな体は傷だらけで、肩に巻いた包帯には血が滲み、業瘴の黒いもやがわずかではあるが漏れ出している。
少し悲し気に笑う彼に、先程大立ち回りをした金鵬大将の面影はない。
「我は、最後の仙衆夜叉となってしまった。業瘴に蝕まれ、時折正気を失うことも珍しくない。夢か現か分からぬまま槍を振るい、気が付けば血だまりの上に立っているのだ」
「魈……」
「ついこの間も、積年の疲労がたたったのだろう。もうこれでいいと、ちょうどこの場所で、楽な道を選ぼうとしてしまった。……ギリギリのところで命を救って頂き、こうしてのうのうと無駄口を叩いているのだがな」
自嘲気味に笑う少年に、私は胸を打たれる。
仙衆夜叉たちの壮絶な生き様は、弥怒と過ごす時間の中で嫌というほど目の当たりにしてきた。
決して私たちのようなか弱い人間に耐えうるものではない重い責任。
痛みと悲哀に満ちたその生涯。
あまりに、酷な運命だ。
弥怒はその姿を見つめた後、仮面の下でふっと笑うと、ゆっくりと口を開く。
「魈よ。お主は昔、鼻で笑っていたが、どうだ? 最近は人間の着る服に興味は持ったか?」
あまりに突拍子もない内容に意表を突かれ、降魔大聖はきょとんとする。
「服……? いや。凡人の生活に入れ込むようなことなど、我は……」
「ほほう。やはり、時間は仙人をも変える、か。随分と丸くなったものだな。魈。己れの記憶が正しければ、このような話題、答えるまでもなく、聞く価値もないと切り捨てていたではないか」
「……」
降魔大聖は黙ったまま俯いた。
その瞳には、迷いのようなものが見て取れる。
満足そうにその横顔を見つめて、弥怒は続けた。
「魈よ。人里には衣替え、という言葉があってな。季節の変わり目に、衣服を気温に適したものへと変えるのだ。脆弱な人間たちと違い、己れ達にはまるで必要のないことだ。だが、興味本位で、一度試してみたことがあってな。不思議なことに衣服を変えると、少しだけ気持ちが晴れやかになったのだ。衣を変える前の己れと、変えた後の己れは何一つ変わっていないにもかかわらず、だ」
「……何が言いたい」
「つまりだな、たとえ仙人であっても、環境が変わったのであれば衣替えをすべきなのだ。それは衣服だけに限らない。考え方、身の振り方、そして取り巻く仲間も、な」
最後のひと言を聞いた瞬間、降魔大聖は弾かれたように顔を上げた。
こちらを切なげな表情でに見つめて歯を食いしばる美少年。
まるで喉元まで出かかった言葉を、押し殺しているかのようだった。
「よいのだ、魈。過去に縛られるな。己れ達とは、死後の世界でいずれ会えるだろう。だが、お主は生きている。今しか繋ぐことのできぬ縁を――」
そこで弥怒の言葉は、何の脈絡もなく、突然、ぶつりと途切れた。
支えを失った仮面が、乾いた音を立てて地面に転がった。
岩元素で作られた老猿の面は真っ二つに割れ、奥からは私の面がのぞいている。
額の札は――燃え尽きていた。
驚きに目を見開き、顔を上げた降魔大聖の瞳には、涙にぬれた私の顔が映り込む。
私は、弥怒が伝え損ねた言葉を伝えるために、震える唇を必死に動かした。
「魈! 今しか、繋ぐことの、できぬ縁をっ! 無駄に、するな…………っ!」
その言葉は、確かに私の意思で紡がれた。
だが、それがどうしたというのだ。
考えなくともわかる。
弥怒が言おうとしていたことなど、手に取るように。
それだけ私は、これまでの旅路で彼と濃密な時間を過ごしてきたのだ。
いきなり弥怒が私の頭に住むようになり、初めは窮屈に感じた。
小言をわめかれ、喧嘩だって何度もした。
同じ釜の飯を食い、旅をして、過去を、痛みを共有した。
本音を語り合い、彼と、彼の仲間と、つい先ほどまで共に戦ってきたのだ。
ぼやける視界の中、降魔大聖がぽつりとつぶやく。
「……その言葉は、お前のものか。それとも…………。いや、いい」
私の鼻をすする音が、無機質な岩場で反響する。
もう何度頭の中へ語り掛けようとも、返ってくる声はひとつもなかった。
いずれ来る別れが分かっていたとしても、私の心はそれに耐えられるほどできてはいない。
璃月の荒涼とした大地は、必死に抑え込もうとも漏れてしまう私の嗚咽ですら、静かに受け止め続けたのだった。
降魔大聖が妖魔を打倒し、私たちのもとへと戻ってくる少し前。
障壁の中で砂埃が収まるのを待つ間のことだった。
最期に放った合技があまりに高威力すぎて、ふたりして腹を抱えて笑った後。
弥怒はいつになく改まって私の名を呼んだのだった。
『急になんだ、改まって』
「いや、これだけは伝えておかねばと思ってな」
胸が、ざわめいていた。
よぎるこの先の結末の想像をかき消すように、私はあえて明るく振舞う。
『どうした。戦いに勝って、生身の体で酒でもあおりたくなったか?』
「ふん、そのようなこと、もはやどうでもよい。なぜなら己れは……心の底から、満足したからだ」
弥怒はおもむろに仮面を外し、空を見上げる。
わずかに晴れた砂塵の合間から、青空がのぞいていた。
弥怒はフッと笑みを浮かべ、仮面へと視線を落とす。
額の札はほとんどが燃え尽きていて、わずかな切れ端が小さくくすぶっている。
『ははっ、そうか……それは…………よかった。よかった……』
私はその光景を視界に収めつつ、引きつった口元で、それだけを返す。
弥怒は愛おし気に、面の頬を撫でた。
私の面を上から岩元素で覆い、老猿をかたどった儺面。
その表面には、幾本もの細かいヒビが走っていた。
弥怒は吹きすさぶ砂嵐の中、穏やかに語る。
「礼を言いたいのだ。平安」
『……』
「お主は眠りから覚めた己れに、生まれ変わった璃月港を見せてくれた。モラミートの味を、教えてくれた。伐難の最期を、知る機会を与えてくれた。璃月を、守らせてくれた。戦友との……約束を果たさせてくれた」
『…………』
「感謝しても、しきれぬ。札を拾ってくれたのがお主で良かったと、今なら確信を持って言える。やはり、お主でなければ駄目だったのだ。平安」
『……っ!』
名を呼ばれても、言葉が出ない。
物書きを名乗っているというのに、なんと嘆かわしい。
それでも、このこみ上げてくる熱い何かを、私はどうしても言葉にすることができなかった。
代わりに出てきたのは、取り繕うようなありあわせの、凡庸な返答。
『そ、そんなこと……言うなよ、弥怒。ほら、約束なら、私たちにも残っているじゃないか。望舒旅館の杏仁豆腐だ。前訪れたときは機を逃したが、きっとこれから向かえば、食べられるはずだ。とろけるような口どけ、幸福に包まれるような優しい甘さ。どうだ、弥怒も食べたくなってきただろう? だから――』
「すまない、平安」
弥怒は少し寂しそうに、私の言葉を遮った。
「その契約は、果たせそうに………………ない」
『そんな……』
頭では、分かっている。
分かっていたとも。
あれほどの元素力を酷使して戦ったのだ。
弥怒の魂は岩元素を媒体として、札に宿っていたもの。
私の中に入り込んでいた彼の魂と元素は、札と共に今、燃え尽きようとしている。
残された時間は、あまりに短すぎた。
弥怒はややバツが悪そうに、後ろ頭をかく。
「あまり褒められたことではないがな。この璃月の地で契約を反故にしたにももかかわらず、己れは恥ずかしげもなく、都合良くもお主にさらに契約を……。いや、友として、重ねて頼みごとを、しようとしている」
私はあらん限りの力で首を横に振った。
『何を今更水臭いことを言っているんだ! 契約を果たせなかったのは私も同じだ。何でも、言ってくれ、弥怒! 友達じゃないか!』
弥怒は軽くうなずくと、腕を持ち上げて、仮面で再び顔を覆う。
「ありがとう、友よ。では一つだけ、お主に頼もう。……魈を、降魔大聖を、見守ってはくれないだろうか。奴は孤独に慣れすぎた。きっと、己れが山里の人々に感じた温もりが、彼には必要だ。だから平安。奴をそばで見てやってくれ。夜叉としてではなく、ただの…………友として。己れを見てくれていた時と、同じように」
「ああ……、ああっ! 約束する! 彼が私を認めてくれるかは定かではないが、それでも私は、彼を友として見守ると誓う! 誓うとも! それが友の願いとあらばなおさらだ!」
「フッ、頼んだぞ、平安」
『任せろ……弥怒っ!』
砂埃はもうすでにかなり晴れてきており、薄茶色のベールの向こうから、槍を持った少年が現れる。
それが、私と弥怒の交わした、最後の言葉だった。