護法戦記   作:ほすほす

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私は平安。璃月のしがない物書きだ。
璃月港で私は弥怒と一緒にモラミートを食べた。
万民堂の娘さんの腕前はやはり確かだ。また食べたい。
ん? なんだ、弥怒。
海が見たい、だって?

――これは層岩巨淵のイベントストーリーの裏側で巻き起こる、もう一つの護法夜叉の話。


護法戦記 7話 港の約束

『海が見たい』

 

 

 モラミートを食べ終わりフリースペースのテーブルでくつろいでいると、弥怒が唐突にそんなことを言い出した。

 

 

(構わないが、海は昔からあるだろ? 市場が見たいのか?)

 

 

 露天のテーブルの前を人々がせわしなく行き交う。

 

 

『だめか?』

 

 

(いや、構わないが)

 

 

 私は膨れた腹をさする手を降ろした。

 

 そのまま椅子の背もたれに手をかけ、腰を上げる。

 

 

『感謝する』

 

 

(ああ)

 

 

 この言葉を発しない会話方法もだいぶ慣れてきた。

 

 先ほどの万民堂のようについ言葉に出してしまうことは、避けなければならない。

 

 また奇異な目で見られるのはごめんだ。

 

 椅子をもとの場所へ戻し、札や財布の入った鞄を肩にかける。

 

 メインストリートにひしめく数多の雑踏に、私の足が加わった。

 

 

 通りはくねくねと曲がっているが、商店街から波止場までは一本道だ。

 

 人の数は多いが、晴れ渡った青空とさわやかな潮の香りのおかげで不快感はあまりない。

 

 流れに従って歩いていると、前方からがたがたと石畳を乗り越えて走る荷車の音が近づいてきた。

 

 

「どいてどいてー。危ないよー」

 

 

 夜の仕込み用だろうか。

 

 まだ昼過ぎだというのに、波止場の市場から魚を大量に乗せた荷車が人々をかき分けながら商店街の方へと進んでいく。

 

 

 港と直結しているからこそ、璃月の魚介類は新鮮でうまいと評判だ。

 

 璃月広しと言えど、ここより新鮮な海の幸はなかなかお目にかかれない。

 

 

『賑わっているな』

 

 

 街路の脇を流れる水音と共に弥怒の声が頭に響く。

 

 

(ああ、この道はいつもこんな感じだ。ここに来ると街は生き物なんだって実感するよ。人の体に生気や元素が流れているように、街には人やモラが流れている)

 

 

『いい得て妙だな』

 

 

 それから何度も同じような荷車が背中の方へ去っていき、私の足は市場へと近づいていく。

 

 道を埋め尽くしていた人の頭が一つまた一つと脇へと逸れて行き、やがて港の市場が街路からも見えるほどになった。

 

 

『おお!』

 

 

 弥怒が歓声を上げる。

 

 

 すでに朝の競りは終わっていたが、市場は照り付ける太陽の下でも構わず活況。

 

 軒先に広げられた商品を背に商人たちが声を張り上げている。

 

 市場に売られているものは海鮮に限らない。

 

 璃月港に引き上げられたテイワット中の輸入品がごった返している。

 

 

 最近よく話題に上がるのは長い期間を経て開国を宣言した稲妻の特産品。

 

 鳴草やウミレイシの干物は漢方用、海神の大真珠は装飾用として大変人気だ。

 

 

(どうだ、私は昔の璃月港を知らないが、この盛況ぶりを見ればどの国の観光客も――)

 

『海が、穏やかだ……!』

 

 

 私の言葉をさえぎるように弥怒が感極まった声でそうこぼす。

 

 

(海……ああ、確かに今日は風も強くないが……)

 

 

 私は市場の奥に覗く海へと目をやる。

 

 この時期の海が荒れることは少ない。

 

 波は低く、波止場に泊まる船は緩やかに上下する。

 

 

 おそらく昨日、昨年、いやもっと昔から何も変わっていないぞといった様子で水面はキラリと輝いた。

 

 

(……)

 

 

 きっと弥怒にしかわからぬ何かがあるのだろう。

 

 

 ただ感動に打ち震える弥怒を邪魔するのはなんだか悪い気がして、私は口をつぐんだ。

 

 私は市場と海を見渡せる、造船所近くの資材の山に腰を下ろす。

 

 木造のデッキに柔らかな波が打ち寄せ、心地よい水音を奏でている。

 

 見上げれば澄み切った青空が水平線の彼方まで続いていた。

 

 

 

 

 

『昔、ここも戦場だった』

 

 

 

 

 弥怒は過去を懐かしむような口ぶりで語り始める。

 

 私は空を見上げたまま、その声に耳を傾けた。

 

 

『己れたち護法夜叉は、璃月にはびこる妖魔を倒すために岩王帝君のもと集結した。西に妖魔が現れたと聞けば大地を駆け、東に妖魔ありと聞けば空を駆け馳せ参じた。幾度も大きな戦いを潜り抜けた。ある日、己れたちは岩王帝君に召集を受けた。その時の帝君の声は今も忘れることができない』 

 

 

(どんな話だったんだ?)

 

 

『大きな戦になると岩王帝君は言った。そしてこの戦いを乗り越えれば、璃月に長い平和が訪れるとも。ただ……』

 

 

(ただ?)

 

 

 

 

 

『とても厳しい戦いになる、と』

 

 

 

(……まさか)

 

 

『ああ、そうだ。お主の記憶の中にあったその情報で間違いはない。その後語り継がれることとなる、渦の魔神討伐作戦だ』

 

 

 私はごくりと喉を鳴らした。

 

 

 

 港の喧騒が遠のく。

 

 まるで私の周りの空間だけが切り離されたかのような感覚に襲われる。

 

 尻の下にある資材は太陽の光を浴びてほのかに暖かいにもかかわらず、私の身体は悪寒を感じ冷汗が額から流れた。

 

 

 渦の魔神は私も知っている。

 

 その危険性も、恐怖も。

 

 ほんの少し前のことだ。

 

 

 璃月は岩王帝君の死と同時に、復活した渦の魔神に襲われ壊滅の危機を経験した。

 

 その姿はまさに海の怒りを体現したようだった。

 

 今まで私たちが獲ってきた海の幸の恨みとでもいうように渦の魔神は荒れ狂い、璃月に停泊する船の約半数が何かしらの損害を受けた。

 

 取り繕ってはいるが、見渡せばすぐにわかるだろう。

 

 港の石壁にはまだ補修の済んでいない亀裂がところどころ走っているし、ウッドデッキはところどころが新品の木材でつぎはぎされている。

 

 再建された群玉閣も一回り小さく、以前ほどの大きさではない。

 

 

 厚くどす黒い雲の下、幾本もの巨大な首を持ち上げる渦の魔神オセルの姿は、璃月人に恐怖を刻み込んだ。

 

 

『当時、渦の魔神は無限とも思える海の妖魔を束ね、何度も璃月を襲った。かの魔神の起こした津波はこのあたりの山を軽々と飲み込み、内陸深くまで押し寄せた。波は無差別に、無慈悲に、無感情にすべてのものを奪っていった。大地も、草木も、建物も、人の命も』

 

 

 弥怒は淡々と言葉を続けた。

 

 しかしそれが余計私の想像力を掻き立てた。

 

 天から降り注ぐ大岩のような水の塊が大地を抉り、茶色く濁った濁流が視界を埋め尽くす。

 

 そんなイメージが頭の中で再生された。

 

 

『己れたちは戦った。砂浜で、波の上で、水の中で。多くの夜叉が命を落とした。皆、勇敢だった。誰もがこの璃月の平和を願い、愛する大地のために命を散らした。戦い、戦い、戦い抜いた』

 

 

 頭上でカモメが甲高い声で鳴いていたが、私はそちらへ顔を向けることもなくじっと弥怒の話に耳を傾ける。

 

 

 別にそうしろと言われたわけでもないが、そうしなければならない気がした。

 

 海から押し寄せる魔神の配下と戦い、無残にも波にのまれていく戦士たちの姿が目の前でありありと再現される。

 

 誰もが皆、必死だった。

 

 それらの光景から決して目をそらしてはいけない。

 

 そう、思ったからだ。

 

 

 弥怒は声のトーンをわずかに落とす。

 

 

『だが己れは心猿大将。多くの夜叉を従える者。決して涙など見せてはならない。常に笑みを絶やさず、部下たちの背中を押し、来る日も来る日も戦場へと送り出した。たとえその数が日を跨ぐごとに一つ二つと減っていっても、だ』

 

 

 私はたまらなくなり、瞼を閉じ拳を強く握りしめる。

 

 元来戦とはそういうものだ。

 

 戦いが激しくなればなるほど、双方の被害は甚大になる。

 

 歴史書を見ても、似たような話はどこにでも見受けられた。

 

 だが、書で読むのとそれを経験した人物から当時の状況を口で伝えられるのでは、臨場感がまるで違う。

 背中が汗でぐっしょりと濡れ、服が張り付いていた。

 

 言いようのない不快感を感じながら私は深く息をつく。

 

 

(なんというか、壮絶、だな)

 

 

『そんな言葉で片付けられるほど甘くはなかった。ああ、言葉とは不便なものだ。時として言葉が及ばない状況というものは訪れる。しかし、それを表す適切な言葉はなかなかない。しかし己れはあの戦いで何とかこの札を残すことができ、今こうして穏やかな海を眺めることができた。己れの墓場を死んだ後に見るとは、なんとも不思議な気分である。はっはっは』

 

 

 弥怒は笑ったが、私は笑えなかった。

 

 瞼を開け、海を臨む。

 

 

 相変わらず海は静かで、とても我々に牙を剥くようには見えない。

 

 

(そうか……その戦いで、弥怒も――)

 

 

『ああ。だが、お主の言葉を聞いて安心した。降魔大聖と会ったことがあるのだろう? あやつは生き延びたのか、あの戦いを。他の夜叉はどうなったのだろうか。何か知っているか、お主は』

 

 

 私は目の前に弥怒の姿はないのに、ひとり首を横に振った。

 

 

(いや、夜叉に関する書籍はとても少ない。仙衆夜叉が今どれだけ残っているかは誰もわからないんだ)

 

 

『そうか……残念だ。己れは生前、他の夜叉たちと約束を交わした。……結局、それを守ることはできなかったが。それが、それだけが悔いとして今も強く心に残っている。お主も多少はそのような経験があるだろう?』

 

 

「はっ」

 

 

 私は思わず鼻で笑ってしまう。

 

 

(そんなたいそうなもの、私にはないよ、弥怒。あるのは、破られるべくして破られた約束だけだ。達成されることがないことをわかっていて、私は多くの人と契約を交わし、それを反故にしたのだから)

 

 

『反省したのであれば、気にすることはない。もちろん契約は大切だ。破れば罰を受ける。それは岩王帝君が定めたこの国の基礎であり、璃月を璃月たらしめる最も大切な決まりでもある。だがな、己れは思うのだ。契約とは、努力しなければすぐに破れてしまうもの。それに心血を注ぎ維持しようとする心こそ、岩王帝君が一番愛していたものではないのだろうか、とな』

 

 

(金言、だな)

 

 

 私は苦笑いを浮かべながら、そう頭の中に言の葉を形作る。

 

 弥怒の言葉は、それを実行してきた弥怒だからこそ口にできるものだ。

 

 それがどんなに素晴らしい言葉でも、私ごときが頷いてよいものではなかった。

 

 

(だが私にはその言葉はあまりにもまぶし過ぎる)

 

 

 だからつい、そんな弱音を吐いてしまった。

 

 

『なんだ、弱気だな。女が逃げるぞ』

 

 

(そういう問題じゃないだろ。はあ、自分がみじめになるよ。まあ護法夜叉ご本人と、怪しい物書きとじゃまさに雲泥の差、当たり前の話だが)

 

 

『ふむ、だが契約は守ってもらうぞ』

 

 

(ん? 契約?)

 

 

『ああそうだ。己れの手となり足となり、この世界をどこまでも自由に闊歩させてくれるのであろう?』

 

 

(うぐっ、確かに私はそう言ったが、どこまでも自由にとまでは言っていないぞ)

 

 

『ほう、なるほど。ではあれは契約ではないと』

 

 

(そういわれれば契約に違いないが、その場の勢いというか、なんというか。うん、なんか釈然としないな……)

 

 

『ではこうしよう。きちんと新たな契約を結ぼうではないか。何もしなければ破れてしまう、だが少しの努力で実現可能な新たな契約を。そうすればお主の負担となるまい』

 

 

(いいのか?)

 

 

『いいとも。心猿大将は心が広いことで有名だ』

 

 

 私は自室の片付けで事細かに指定をしてきた弥怒を思い出す。

 

 

(それは誠か?)

 

 

『ええいうるさい、御託を並べるならこっちが勝手に内容を決めるぞ。そうだな、先ほど食べた食べ物、名前は何だったか……』

 

 

(モラミート)

 

 

『そう、それだ。仙衆夜叉は普段人とは異なるものを食すため、料理というものに疎い。だが、食べてみると意外と悪くなかった。なにか、もっとお主がお勧めできるものを教えてくれ』

 

 

(なんだ、そんなことでいいのか。それならすぐに契約を果たせるぞ。待てよ、今頭に思い浮かべる)

 

『まてまてまてまて!』

 

 

 頭の中で弥怒があわてて私を止めにかかる。

 

 

(ん? どうして止めるんだ?)

 

 

『己れは、先ほどのモラミート、だったか。あれと同じように、お主が食べたばかりの、新鮮な記憶で味を楽しみたいのだ。数日前に食べた曖昧な味でごまかされたくはない』

 

 

(ああ、なるほど。そういうことなら早く言ってくれればいいものを)

 

 

『そんな隙など無かったではないか! まったく、お主というものは。で、何を食べさせてくれるのだ?』

 

 

 私はいくつかある候補の中から厳選し、ある食べ物を提案した。

 

 もしかすると弥怒の前にはその食べ物が浮かんでしまっていたかもしれないが、彼がそれに手を付けることはないだろう。

 

 

(杏仁豆腐、だ)

 

 

『ほう、それはどんな……いや、やめておこう』

 

 

(望舒旅館という場所があってな、そこで出される杏仁豆腐が絶品なんだ)

 

 

『そいつは楽しみだ。よし、契約成立だ。お主は己れの手となり足となり、そして舌となってその杏仁豆腐を食すのだ。よいな?』

 

 

(ああ、約束する。一緒に望舒旅館からの絶景を臨みながら、舌鼓を打とうじゃないか)

 

 

 こうして私と弥怒はふたりだけの、もはや口約束と言われればそれまでの、小さな小さな契約を確かに交わしたのだった。

 

 

 

 

 気が付けばだいぶ時間が経っていたようだ。

 

 私は凝り固まった体を背伸びしてほぐし、手にかいていた汗を服の裾でぬぐった。

 

 

(さて、少し日も傾いてきたことだし、他の場所でも見て回ろうって、ん?)

 

 

 私は自分の肩を誰かに叩かれた気がして、振り返った。

 

 

 だが、そこには誰もいない。

 

 

(あれ? おかしいな、さっき確かに肩を叩かれた気がしたんだが……)

 

 

「ばぁっ‼」

「うわぁ‼」

 

 

 突然、目の前に女の子が飛び出してきた。

 

 私はびっくりして飛び上がったものの、資材に足を引っかけ背中から資材の山に倒れこんでしまった。

 

 

「あはははははは、お客さん大げさだねぇ!」

 

 

 転んだ拍子で目に額の汗が入り、ひどく染みる。

 

 うまく目が開けられない。

 

 かすむ景色の中で、少女のシルエットが黒く浮かび上がる。

 

 日はまだ出ているので、陰で少女が黒く見えているわけではない。

 

 彼女の着ている服それ自体が、まるで喪服のように黒いのだ。

 

 

「ほら、私の手を握って」

 

 

 私は目をしばたかせながら伸びてきた手を掴む。

 

 握った掌は小さく、柔らかかった。

 

 

 だが私を引き寄せる力はまるで成人男性のように力強く、気が付けば私は元の場所に立たされていた。

 

 

 目をこすり、私は改めて少女を見た。

 

 背丈は私の肩ほどで、黒の帽子をかぶり、黒のトップスに黒のボトム。

 

 まさに全身黒づくめ。

 

 

 差し色として目についたのは、帽子に差された真っ赤な梅の花。

 

 まるで噂に聞く葬儀屋のような出で立ちだった。

 

 

「あれれ~? その表情だと、もしかして私のことご存じない? あちゃー、まだまだ営業が足りないね、うん、間違いない!」

 

 

 ひとりで会話を進め、腕を組み頷く少女に私はあっけにとられる。

 

 

「す、すみません、どちら様でしょうか……?」

 

 

「よくぞきいてくれましたっ!」

 

 

 少女は指をパチンと鳴らし、くるりと目の前で一回転する。

 

 

 そして声高らかに言い放ったのだ。

 

 

 

 

「私は往生堂七十七代目堂主……胡桃だよっ‼」

 

 

 

 

(誰だ……)

『誰だ……』

 

 

 

 その日、恐らく今までで初めてだろうか。

 

 弥怒の声と私の心の声が寸分たがわず同時に、脳内に響き渡ったのであった。

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