護法戦記   作:ほすほす

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私は平安。璃月のしがない物書きだ。
璃月港で胡桃という少女に出会った。
なんだか変わった子という印象だったが、明日は何やらツアーに連れて行ってくれるという。
とりあえず今日はもう遅い。家に帰って眠るとしよう。
そういえば、最近夜寝るたびに妙な夢を見るようになった。
やけに現実的というか、まるで弥怒が見聞きしてきた過去を追体験しているような……。

――これは層岩巨淵のイベントストーリーの裏側で巻き起こる、もう一つの護法夜叉の話。


護法戦記 9話 まどろむ意識

 

「なんだ、今日はもう寝るのか」

 

 

 寝支度をしていると、弥怒が怪訝な声色で訪ねてくる。

 

 

「ああ、今日もだいぶ疲れたからな」

 

 

「小説の続きは書かないのか?」

 

 

 一瞬、シーツを整える手が止まった。

 

 

「……ああ」

 

 

 私はやや大げさに掛け布団を持ち上げる。

 

 普段気にすることのない端のほうまでしわを伸ばすと、弥怒に小言を言われる前に照明を落とした。

 

 

「……そうか」

 

 

 やや残念そうな弥怒の声が耳元で聞こえた気がしたが、私は聞こえないふりをしつつ目をつぶった。

 

 弥怒の次の言葉が来た時のためにあれこれ思考を巡らせていたが、弥怒が再び口を開くことはなかった。

 

 私は心の奥に淀みのようなものを感じながら、まどろみの中に沈んでいった。

 

 

 

        ※

 

 

 

「ん……すまぬ。己れは眠っていたのか?」

 

 

 ゆっくりと瞼を開けると、そこは薄暗い寺院のようだった。

 

 むっとした空気が体に重くのしかかり、潮の匂いが鼻にまとわりつく。

 

 

(これは……また弥怒の過去、なのだろうか)

 

 

 相変わらず体の自由は聞かない。

 

 だが以前とは異なり、周囲の音がよく聞こえた。

 

 

「たったの5分ほどです。弥怒殿」

 

 

 か細い女性の声が背後でささやいた。

 

 

「そうか……」

 

 

 弥怒はふっと吐息を吐いて腰を上げる。

 

 

 水を吸った外套が地面をすりながら持ちあがった。

 

 

「すこし、外の様子を見てくる」

 

 

 そう背後の女性へ告げると、弥怒は寺院の中を一瞥すらせず外へと向かう。

 

 寝起きだからか、それとも疲労が蓄積しているのか。

 

 弥怒は湿った板を確かめるようにして一歩、また一歩と踏みしめながら前へと進む。

 

 表へ出ると、ちょうどタイミングが悪いことに、月に雲がかかる。

 

 

 あたりは闇に包まれ、虫の鳴き声だけが微かに聞こえていた。

 

 弥怒はじっと雲が通り過ぎるのを待っている。

 

 ほどなくして雲が去ると、月明かりが野を青白く照らし出した。

 

 

 

(なんだ、この光景は――)

 

 

 私は思わず息をのんだ。

 

 弥怒の目に映し出されたのは、いつもの穏やかな璃月ではなかった。

 

 その様子を一言で表すとすれば、まさに凄惨、である。

 

 草も、木も、すべてが軒並みなぎ倒されていた。

 

 木造の家屋は地に突き立った柱を残したまま、残骸だけが広く散らばっている。

 

 石造りの家屋でさえ、足元から傾いている有様だった。

 

 大地には大蛇が這った後のような跡が残り、海のほうまでずっと続いている。

 

 

(私はもしや、渦の魔神決戦の記憶を見ているのだろうか――)

 

 

 おそらく、いや、間違いなくそうなのだろう。

 

 海からは遠く離れているにもかかわらず、この廃村は潮の匂いで満ちている。

 

 文献には山をも飲み込む大波とあったが、このような内陸まで被害にあっていたことに改めて恐怖を感じた。

 

 

「敵の気配は、ない、な」

 

 

 心底安堵したように弥怒がつぶやく。

 

 ずっと気を張っていたのだろうか。

 

 その声色からは聞きなれぬ疲労の色が見えた。

 

 

 弥怒は寺院の柱に寄りかかると、掌に岩元素を集める。

 

 琥珀色をした岩元素の粒はさらさらと流れるように体を覆っていく。

 

 すると服に付着していた水元素が結晶化反応を起こし、ぼろぼろと外套から剥がれ落ちる。

 

 足元には月明かりに照らされ、キラキラと輝く塩が積もっていた。

 

 弥怒は幾分か軽くなった外套をはたき、塩を完全に落とす。

 

 

 そのまま大きく伸びをすると、肩を回しながら無人の村に背を向けた。

 

 再び寺院の中へ戻ったものの、まばゆい月光にさらされたばかりの目は夜目がきかない。

 

 

 どんなに目を凝らしても闇が広がる。

 

 弥怒は目頭を押さえながら、暗闇に尋ねた。

 

 

「俊新、輝雷はいるか? 戦況を聞きたい。勇火が傷を負ったと聞いたが、戦線には復帰できそうか?」

 

 

 小さな寺院の暗闇に声が反響する。

 

 返事の代わりに、生ぬるい湿気を帯びた風だけが頬を撫でた。

 

 

「弥怒殿」

 

 

 ふいに声が響いた。

 

 最初に聞いた、女性の声だ。

 

 澄んだ声はとても小さかったが、寺院の重たい空気を柔らかな鈴の音のように優しく揺らす。

 

 

 しかしその心地よい耳障りとは裏腹に、続けて音に乗せられた言葉は残酷なものだった。 

 

 

「いつの話……ですか、弥怒殿。弥怒殿のお付きの夜叉たちは……今は海の底。瑶光の浜の東で、その命と引き換えに海魔の大群を道連れにされたでは……ありませんか……」

 

 

「あ、ああ、そうだったな。少し頭がぼんやりしていた。己れとしたことが、情けない」

 

 

 弥怒は女性の声を遮るように口早にそう告げた。

 

 

「あっ、ご、ごめんなさい、弥怒殿」

 

 

 女性の声が急に頼りなく、おどおどとしたものへと変わる。

 

 

「いや、いいんだ、伐難。お主が謝ることではない。ただ……ここ最近の記憶がどうも曖昧だ。状況を教えてくれたら助かる」

 

 

 ごくり、と喉を鳴らす音が闇の中で聞こえた。

 

 弥怒は唇を嚙みながら頭を垂れる。

 

 寺院の入り口から伸びた月明かりが、巨漢の影を石畳に落としていた。

 

 

 ひた、と前方から微かな足音が聞こえる。

 

 

 弥怒が顔を上げると、闇の中から青白い足だけがのぞいていた。

 

 

「弥怒殿」

 

 

「……なんだ」

 

 

「どうか、どうか……。そんな悲しいお顔をされないでください……」

 

 

 伐難と呼ばれた女性は心苦し気にそう告げると、歩を進め月光の中へと姿を現した。

 

 

 幼い、少女だった。

 

 

(ああ、私は彼女を知っている……)

 

 

 いつぞやの夢の中、私は竹林で彼女の姿を見たことがあったのだ。

 

 四本腕の大男と一緒にいた、2人の女性の片割れだ。

 

 しかし、その姿はまるで別人のようだった。

 

 濃紺に染まった二本の角の片方は欠け、胸に抱いた大爪は傷だらけ。

 

 肩に赤黒い染みをにじませた包帯を巻き、整えられていた髪もひどく乱れている。

 

 ただこちらを見つめている潤んだ瞳だけは、あの時と同じようにどこまでも蒼く澄み切っていた。

 

 

「己れは、そんなにひどい顔をしていたか」

 

 

 弥怒が自嘲気味にそう吐き捨てる。

 

 

「ご、ご自身を責めないでください、弥怒殿。弥怒殿は立派です。その……お辛い立場だったと聞いています。み、弥怒殿は戦局を冷静に見極め、誰もがためらう決断を下されました。たった数名の夜叉の命と引き換えに、盤目をひっくり返したのです。が、岩王帝君もすごく評価している……と思います……」

 

 

 最後は聞き取れないほど小さな声になると、伐難は大きな両腕と共に肩を落とした。

 

 

「……そうか、ああ、そうだったな。思い出してきた。はは、こんなに大事なことを忘れてしまうなんて、あいつらに恨み言を言われてしまうな。本人たちが望んだとはいえ、自らに引導を渡した張本人がその事実を忘れるなど、あってはならないことだ。伐難にも申し訳ないことをした。こんな話、したくはなかっただろう。己にこうやって言い聞かせたのは、これが初めてか?」

 

 

 尋ねると、伐難はその目を大きく見開き、口をキュッと結んだ。

 

 

 その様子を見て、弥怒も違和感を感じたのか声色を落とす。

 

 

「教えてくれ、伐難。この話は、俺に何度――いや。違うな。最後にこの話を俺にしたのは、どれくらい前だ?」

 

 

 伐難はその宝石のような瞳に涙をたたえ、のどを震わせながらこう答えた。

 

 

「ご、5分ほど前です……」

 

 

 と。

 

       ※

 

 

「っはあ‼」

 

 

 勢いよく布団をまくり上げ、私は飛び起きた。

 

 心臓が恐ろしいほど早く脈を打ち、肩で呼吸をする。

 

 あれは夢だ、現実ではない、と自分に言い聞かせ何とか平静を取り戻す。

 

 見回すと周囲は闇に包まれていて、まだ朝は来ていないようだった。

 

 手を額に当てると、じっとりと脂汗で濡れている。

 

 気が付けばその手はわずかに震えていた。

 

 両手で腕をさすりながら心を落ち着かようとするも、暗闇のどこかに伐難が潜んでいるような錯覚を感じた。

 

 無心で虚空を見つめていると、脳裏に夢で見た伐難の泣き顔が浮かんでくる。

 

 私はぶるりと身震いした。

 

 気が付けば止まっていた手を再び動かして肌をこする。

 

 どんなに必死に体を温めても、震えが止まらない。

 

 それは夢の最後、弥怒の体に走った戦慄からくるものだった。

 

 

「恐ろしい……」

 

 

 思わずそう口にしていた。

 

 実際何が恐ろしいかすら、私はよく理解していない。

 

 ただあの時感じた底知れぬ恐怖は、今まで私が感じたどんな恐怖よりも深く底知れぬものだった。

 

 

『どうした、ずいぶんとうなされていたな』

 

 

 夢の中で聞いた声が、頭に響く。

 

 わかってはいても、まるで先ほどの夢が続いているような気がして、鼓動が再び早くなる。

 

 

「あ、ああ。少しな。悪い夢を見ていたようだ」

 

 

『ふむ。まあそんなこともあるだろう。……眠れそうか?』

 

 

「いや、少し落ち着きたい。まだ体の震えが止まらないんだ」

 

 

 私はそう返すと、ベッドの脇に置いていたコップに手を伸ばし一息に飲み干した。

 

 

「ふぅ……」

 

 

 喉を潤した水が、全身へといきわたるのを感じる。

 

 ようやく人心地ついた気分だった。

 

 

『大丈夫か? 気がまぎれる話でもしてやろうか』

 

「ああ、頼む」

 

 

 私は布団に半身を突っ込み、体を起こしたまま瞼を閉じた。

 

 この際、どんな話でもいい。

 

 そう思った。

 

 

『そうだな、あれだ。睡魔大聖の話でもしようか』

 

 

「睡魔大聖?」

 

 

 聞きなれない名前に、私は思わず聞き返す。

 

 

『ああそうだ。睡魔大聖は己れたちの仲間でな。これが面白い奴なのだ』

 

 

「……面白そうだ。詳しく聞かせてくれ」

 

 

『いいだろう。そいつは、あとから夜叉のメンバーに加わった奴でな。岩王帝君がある日、ひょっこりと奴を連れて我々の前に現れたのだ』

 

 

「どんな奴だったんだ?」

 

 

『まあ待て。順番に話してやる。そいつは見た目は少年のような出で立ちでな。とにかく目つきが悪かった。あと、態度もでかい。さすがに岩王帝君に対しては礼節を持っていたが、他の先輩に対する口の利き方がまるでなっていない』

 

 

「ふてぶてしい輩だな」

 

 

『ふふ、そうだろう。だが己れはそうは思わなかった』

 

 

「ほほう、じゃあどう思ったんだ? 私の頼もしい弥怒様は」

 

 

『おい茶化すでない……まあよい。己れはその時こう思ったんだ。ああ、教育のし甲斐がある奴が入ってきたな、と』

 

 

 思わず吹き出してしまった。

 

 弥怒らしい。

 

 これから先その後輩は、毎日のように弥怒に小言を言われるに違いない。

 

 

『しかしなかなか骨のある奴でな。生意気なだけでなく、実力も伴っていた。頭角を現すとあれよあれよという間に仙衆夜叉の一員となったのだ。彼の戦う姿はまさに苛烈という一言がふさわしく、まるで別人のようだった。そこからついた二つ名が、降魔大聖だ』

 

 

「……まさか、あのお方がそんな……」

 

 

『驚いたか? 降魔大聖にもそんな時期があったのだ。だが面白いのはここからだぞ。降魔大聖はひとりで行動するのが好きでな。岩王帝君の招集がかかった時、各地から仙衆夜叉たちが集まってくるのだが、奴はいつも一番最初に到着していた。己れたちはいつも後から着いていた。ある日、集合すると降魔大聖は早く着きすぎていたのか、あろうことか昼寝をしていたのだ』

 

 

「……」

 

 

『しかも何をやっても起きぬのだ。ついにしびれを切らした仲間のひとりが、顔に落書きを始めてな……くくくっ。あやつ、それに気が付かずそのまま岩王帝君と謁見しおったのだ』

 

 

「お、恐れ多すぎる……」

 

 

『岩王帝君は優しいお方だ。あの……くくっ、顔には一切触れることなく集会は終わった。本人がそのことに気が付いたのは、なんと3日後だ! まるで絶雲の唐辛子のように顔を真っ赤にして怒り狂っていたなぁ。その事件がきっかけで、己れたちの中で、降魔大聖をいじるときは睡魔大聖と呼ぶようになったのだ』

 

 

「あの降魔大聖が、睡魔大聖……」

 

 

 降魔大聖の尊顔はいつでも思い出せる。

 

 凛々しくも鋭い目つき、クールな横顔。

 

 そこに間抜けな落書きが残ったままだと考えると、失礼だとわかっていても笑いがこみ上げてくる。

 

 

「ぷっ」

 

 

『あっ、今笑ったな! なるほど、お主も不敬なものだ。よし、これからはお主も同罪だ。ふふふ、まさか千年以上時を超えて共犯者ができるとは、思ってもみなかったぞ』

 

 

「おい弥怒、私はわ、笑ってなどいないぞ!」

 

 

『よいよい、分かっておる。お主が考えていることはよーく分かっておる。己れが今どこにいるか、よく思い出すのだ。ここからだとお主の心の内がはっきりと見えるわ』

 

 

「く、くそっ、もし次に降魔大聖にあった時にどんな顔をすればいいやら」

 

 

『ふっ、その時はすっとぼけて睡魔大聖、と声をかけてみるのも一興だ』

 

 

「そ、そんなことしたら、八つ裂きにされてしまうぞ!」

 

 

『それは己れの知ったことではない』

 

 

「む、無責任にもほどがあるぞ!」

 

 

『いやぁ、何のことだかわからんな。睡魔大聖なんて、知らんなぁ』

 

 

「う、嘘が下手すぎるぞ、弥怒‼」

 

 

 気が付けば、外はわずかに明るくなりかけている。

 

 なんだかんだ言って、弥怒は私に付き合い夜を明かしてくれた。

 

 最後はいつも通り軽い言い合いになってしまったが、お互いに本気ではない。

 

 軽い疲労感を感じながら、私は再び朝まで眠ることにした。

 

 頭まで布団をかぶり目を閉じると、弥怒の穏やかな声が聞こえてくる。

 

 

『もう眠れそうか? 己れへの礼はどうした? ないのか?』

 

 

「余計な知識を植え付けられたのだ。足し引きするとゼロだよ」

 

 

『ほう、言うようになったな』

 

 

「もう寝かせてくれよ、まったく」

 

 

『ふむ、仕方のない奴め』

 

 

 そう捨て台詞を吐いた後、弥怒は静かになった。

 

 弥怒に感謝をしていないわけではない。

 

 ただ少し、抵抗してみたくなっただけだった。

 

 それに弥怒は怒るわけでもなく、いつもと同じように会話が終わる。

 

 そんなやりとりに少しだけ安心感を感じつつ、私は眠りについた。

 

 朝までの短い時間でも、眠っておかなければならない。

 

 なぜなら今日は、あの変わった葬儀屋のツアーに参加する予定なのだから。 

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