「おかえり! 玲依」
「ただいま、姉さん」
家に帰ると、いつもは僕が作る料理(殆どは外食なのだが)を姉の命依が作ってくれていた。もちろん殆ど料理など命依はしたことは無いので、味には期待していない。
殆ど外食している理由は、母さんがその時間を見計らって自分でご飯を食べるからだ。薬は勿論だが、鬱病を改善する為に必要な栄養素や食事を考えなければいけないので、僕は「食事くらい作るよ」って言ったら母さんは「あんたの作ったご飯なんて食べたらもっと酷くなる」と言われてしまって、諦めて外食か、自分の分は自分で作って自室で食べている。
そう言われた時も、もう何も感じなかった。復讐という感情が芽生えた時は中学生になりたての時だったから、それを超えた僕は家族(父さんと母さん)に対しては感情を出すだけ無駄だなとまで思えるようになってしまった。
家に帰って階段をのぼり、自室のドアを開ける、暗い部屋が一気に電気で明るくなって目を狭めた。
白い壁に、一面に本棚に敷き詰められた漫画や小説。
やや大きめのベッド。
自分で買った服などが敷き詰められたクローゼット。
おもむろに机と椅子がある隅の壁を見たら、将来の夢を書いた紙切れが貼られていた。
これは、絶対に破ろうとは思ったことは無かった。
信念に近かった。どれだけ馬鹿にされてもこれだけは成し遂げようというという自分の、僕自身の決意だった。
確か、かなり前に書いたものだ。
絵に書いたような壮大な人生では無い、全くもって間違った人生だ。何度も自分を殺そうと思った。
復讐という言葉を履き違えて、家族すらも殺そうとも思った。悲劇的なコメディーに近い、好奇心に囚われた快楽者。
それを引き止めたのはたった一つの紙切れだった。
人は忘れる生き物、とはよく言うが、ずっと生きる事に希望を持たずに生きていた僕でも、このような事は書けると思うと、まだ救いがあるのかもしれないと思ってしまう。
今までずっと忘れていたけれど、ふとみた時にそれを成し遂げるまでは、人として死にたいと毎回思うのだが、すぐに忘れてしまうのは、僕の心が弱いからなのか。
「玲依、ご飯食べな?」
「うん、わかった」
突然ドアを開けてきた私服姿の命依に呼びかけられて、それに応じる。
乱雑に置かれたリュックと、丁寧に掛けられたブレザーを見て、ドアを閉めた。
作ったばかりであろう、まだ熱がある白米と味噌汁、そして、比較的簡単な生姜焼きが置いてあった。
あまり確認してなかったが、間近でみると中々美味しそうに感じる。
「いただきます」
「うん、頂いて」
黒い髪と黒い目がご飯を食べる僕を見つめる、まじまじ見られて食べ辛かった。
命依は、かなり美人だと思う、近くで見たら尚更思う。茉姫奈に全く負けていない。
なのにそれを武器にまともな──もっと幸せな恋愛ができたはずなのに、援交ばかり繰り返して自分の価値を下げている。
性格も、この桜山家では人権がない僕を守ってくれている程だ。
幼少の頃の暴力でボロボロになった僕を、隠れて手当してくれていたり、余ったりしたご飯を食べさせてくれたりしていた。
やはりその家庭がストレスを生んで、命依だけが愛を貰うのに疑念を持ち始めたのだろうか。
姉さんだけでも幸せになれれば、僕はそれでも良かったのに。
お金は家庭から隔絶される代わりに月にかなり貰っている。命依は僕から金を貰おうとせず、それ以上に僕の存在に固執した。
僕が愛されないと分かってからは、父には何も言わずに援助交際を繰り返した。
もう一度、深く考えてみたら分からなくもないかもしれない、と思ってしまった。
家庭が壊れ、僕もあまり家族とは話したがらない。自分はお金を貰う代わりに好きでも無い男とセックスを繰り返している。
肌を重ねて、何回も男に貫かれて、偽りの快感に支配されて、自我すらも穢れていく、僕の想像だから姉さんがどう思ってるのか分からないけど。
僕が愛されない怒りを、セックスというもので解消しようとしていたのか。と思ってしまう時もあった。
ちょっと噎せたのか、姉さんは咳をしながら僕に聞いた。
「美味しい?」
食べながらそんなことを考えていたら、姉さんはそう言った。僕も茉姫奈から教えてもらったかもしれないぎこちない笑顔で応える。
「美味しいよ、姉さん」
「·····玲依が笑うなんて、久しぶりだね」
「そうなの?」
茉姫奈に言われたことを思い出して、不意にまた疑問から入った。
「うん、クリスマスの時に隠れてあげた財布覚えてる? その時の笑顔が最後」
「うん、今も使ってるよ。ありがとうあの時は」
「改めてどういたしまして」
貰った後に調べたらかなり高いブランド物の財布だとわかり、とても申し訳なくなったのは今でも覚えている、唯一家族から貰った大切なものだから今でも綺麗に使っているつもりだ。
だけど、当たり前かもしれないけど、父さんからも母さんからも、貰ったことなんて一回もなかった。
「私さ、あんまりお小遣い貰ってなかったからさ」
知ってる。
母が鬱病になってから、僕は父から金と引き替えに家庭から隔絶されてからも、姉が学校の学費代以外の生活のお金は、僅かな金額しか貰っていないのは知っていた。
「だけど、玲依の為に何とかして買ってあげたくて、“あれ”が最初」
知ってる。
家族も壊れ始めて、姉にすら愛が存在しなくなった。姉さんが高校3年生の時だ。
その時が最初、その時処女だった姉さんは見知らぬ男とセックスをした。
そして僕が中学2年生の時にズルズルと今まで援交を繰り返して僕は姉さんが援交を始めた歳になった。
その翌年に母が鬱病を発症。
4年だ。4年もの間金の代わりに身体を売ってセックスを繰り返してきたのだ。
「ねぇ、姉さん。もうやめたら」
不意に出た言葉は、姉さんを深く突き刺した。気がした。
「どうしてそう思うの?」
「僕のお金を使えばいい、人権が無い代わりに、高校生の範疇なら····どれだけ遊んでも、何を買っても余るくらい貰ってる。もう姉さんには自分を壊すような真似をして欲しくない」
そう言って僕は続けた。
「大学を卒業したら、姉さんならいい所にに就職出来るはずだ。なのになんで他の男と交わってまでお金を欲すの?」
「·····じゃあ、代わりに玲依が満たしてくれるの?」
何を、言っているんだ。
不意に出た姉さんの言葉に嘘は感じられなかった。
人間としての禁忌、近親相姦。
それは。
ダメだ。
「それは、倫理的にダメだよ」
「何言ってるの? 私が言ってるのは、デートとか遊んだりの事を言ってるんだよ?」
「·····あぁ、そっちの方」
「えーなになに? エッチな方でも想像しちゃったの?」
「いやっ、そんなわけじゃ····」
命依は僕の勘違いにくすくす笑って、深呼吸をした。何が面白かったのか、僕の勘違い如きでこんなに笑ってくれたのは初めてだった。
ほんとに、何を考えているのか分からない
「最近“セックス”はしてないよ。他のことをしてあげてお金もらってるだけ。別に貰える額変わらないし大丈夫だよ、心配しなくても」
「でも僕よりは貰ってないはずなのに、いい所のご飯とか連れてってくれてるのはちょっと可笑しいと思う、姉さんが言うデートの時は全部僕に奢らせてよ」
「──わかった、ありがとう玲依」
あと、と続いて姉さんが僕に言う。
「玲依······今日の昼から、お母さん病院の施設に入れられてて、病気治るまでしばらく居ないから、把握お願いね」
「え、あ····うん。わかったけど、なんでこのタイミングで?」
「──邪魔されたくないから、かなぁ?」
モヤっと、姉さんの色が濁った気がしたのは、僕の気のせいだったのだろうか。