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無敗のまま皐月賞に挑もうとしているウマ娘ディープインパクトは、親友のノイジースズカと遊びに出かけた。そこで自信を持てない迷子を見つけ、かつての自分を重ねた彼女は夢へと走り出した日のことを語って聞かせる。
憧れの人から勇気をもらった、忘れられないあの日の話。ウマ娘のレースを知っている誰もが脳を焼かれた、十字架の戦士の話を――
1週間以上遅れてしまいましたが、ご笑納ください。
ウマ娘。そう呼ばれる私たちは、走るために生まれて来たと言われている。
――疑問に思ったことは、一度もない。走るのは大好きだから。
魂レベルで、運命を背負っているのだとも言われている。
――あの出会いだけは、そうだったって信じたい。
『君ならできるよ。辛いことがあったら、これを握って頑張れ!』
でも、後のことも全て運命だと言うのなら――私はそれを否定する。
あの決意も、走りも、そして結末も。全てはあの人自身が決めたことだって。
欠けた十字架に、私も誓う。未来のレース結果は、自分自身が決めるから。て。
ウマ娘プリティーダービー =Season5=
「かぁっくいーい!」
「わひゃあ!?」
ヒト影もまばらになってきた休日の校門に突如バシッと、いっそ小気味良いと評したくなる音が響く。発生源が自分の背中でさえなければ、望むだけじゃなくてそう言い切っていたんだけど。
「の、ノイちゃん……びっくりしたよ」
「ごめんごめーん、またソレに入れこんでたからさ。おまたせっ」
謝罪をくれつつ、全く負い目のなさそうな
「ええー、驚かせた分は反省してるんだけどな。ほらほら、ノイジースマイルに確かな陰りが」
わかった、わかったからノイちゃん近い、近いよ!? はあ、そして近くで見てもやっぱり完璧に輝いて見えます。わかるくらいに影が差したのって、初めての時くらいじゃないかなあ。
「あの時はねえ。その傷、あたしのせいでついちゃったのかと思って」
「あはは……」
"は"の一文字に対するツッコミは、どこまでもずるい笑顔で封殺された。ううん、本当に悪気がないのはわかってるからそれだけの気力が元からなかったのかも。初めて声をかけてくれた時にもやっぱり私を驚かして、それから前に回ってきた時のノイちゃんの慌てようはよく覚えてるから。半分くらい泣きながら謝るから、私まで慌てて元からあった疵だって言い切るのが遅く……。
「とーう!」
「ふびゃ!?」
「すぐ回想モードに入らないの、お出かけ行くんでしょう?」
2人の思い出に浸ろうとしていたら、この仕打ちですよ。痛くはなかったけれど再び驚かされたチョップの着弾点を擦っていると、反対側の手を不意に握られる。
「プイちゃんすーぐ自分の世界に入っちゃうんだから。捕まえて行くことにしまーすっ」
あのね、そういう距離感ほんとどうかと思うよ!? 嫌じゃないんだけど、全然嫌じゃないんだけどそのぉ……なんて言い淀んでいる間に校門は豆粒みたいに小さくなっていた。さすが人呼んで先頭民族2世と感心するものの、ノイちゃんが今欲しい反応はそれじゃないそうで。
「気を散らしてると危ないよ、ここはゲートの中じゃなくて街中なんだからね」
「うぐっ」
「ちゃんと周り見てね、右見てー左見てーおりょ?」
そこでようやく、私は2人の世界から街の中へ意識を移すことになった。ただし、ノイちゃんに言われたからじゃない。そうしていられない事情ができたんだ。
「ふえええ……うう、ぐすっ」
「ありゃりゃ、どうしたの? ぽんぽんいたいの?」
「あわわ。お母さんはどこかなー?」
右見て左見てもう一度右を見た公園に、ちっちゃな迷子さんがいた。2人がかりであれこれあやしてみるもののおうちを聞いても名前を聞いてもといった感じだ。私たちと同じ耳と尻尾が生えていることくらいしかわからない。
「致し方なし。こうなったらプイちゃん、オペレーションはちみーだよ!」
「え? ああうん、買ってくるね」
「ノリ悪いなあ!? もっと格好良く!」
だって、そういう場合じゃないんだもの。ほーら硬めが好きかな? 軟めの方がいいのかな? あれこれお伺いを立てると、やっと小さなゲストさんは泣き止んでくれた。よかった、甘いの好きなのもおんなじなんだね。
「ほんとに、いいの……?」
「いーのいーの、どうせあたしたちも飲もうと思ってたし!」
「い、いただきます」
「おおっ ちゃんと言えた、えらいえらい」
栗東寮御自慢の騒がしさに心を開いてくれたのか、迷子さんはわしわし頭を撫でられると初めて笑顔を見せてくれた。かわいい。ノイちゃんも負けてないけど、じゃなくて。
「そろそろお名前聞いてもいいかな? あたしはねー、ノイジースズカ!」
「私はディープインパクトだよ」
「……えええええー!?」
やっとお名前を聞けるかな、と思いきや。束の間のスイートな落ち着きは、こちらの自己紹介で吹き飛んだ。名乗るなら自分からと言うものの……ああ。曲がりなりにも有名人になったんだってこういう反応を見ると否が応でも自覚させられる。
「あ、あ、あの。『むはいのおうかしょう』の、ノイジースズカさん!?」
「えっへんっ」
わあ、ドストレートに威張ってる。こんなにちっちゃな子相手に。
「『むはいでさつきしょうにむかう』ディープインパクトさん……?」
「あ、あははー。そんなに身構えなくても」
ほらほらノイちゃん。あんまり胸を張ってるからこの子、緊張しちゃったよ。もっとリラックスしてもらわないと。
「そーそ、硬くなることないって。今からレースするんじゃないんだし! まあ、競争するというなら負けませんけどー?」
だめだこの先頭民族、こんなちっちゃい子にまで景色を譲る譲らないの話をしないの。あわあわおろおろし始めた迷子ちゃんのことをもっと聞きたいんだから。そういうとこ好きだけど。
「でも、知っててくれて嬉しいよ。お嬢ちゃんもレースは好き?」
「ふえ……あ、う……」
あれ、あんまり良くないこと聞いちゃったかな。はちみーはあったまってるというのに、アイスブレイクが上手く行ってくれない。
「う、ううん。でも、わたしはおねえちゃんみたいにすごくなれないだろうから……」
「えーそんなの関係ないじゃん! 好きか嫌いかで好きならそれでよーし!」
だめだこの先頭民族……今求められているのは、走れればそれで良しの精神じゃないんだから。そういうとこも好きだけど。
「まあまあ。でも、嫌いじゃないなら諦めちゃうのはもったいないよ?」
「だってわたし、すぐおろおろしちゃって。みんなからもよくからかわれて……」
ノイちゃんのことは大好きとして、子どものお耳をぺたんと垂らしてしまう状況は好きじゃない。それは、ただのいじらしさじゃなくて――。
「私もね、あなたくらいちっちゃかった頃は無理だって思ってたんだ」
「え……ディープインパクトさんが!?」
見上げてくれた小さなウマ娘さんの目を、そっと覗き込む。瞳に映り込んだ自分がこの子と同じくらいの背丈だった頃を思い返すと、どうしても放っておけなくて。
「でも、憧れの人がいたおかげで頑張れたんだ。そうしなかったら、今の私はなかった」
自分の可能性を捨てて欲しくないから、自己紹介の続きをするって決めた。ノイちゃんみたいに自信満々に語れるようなものじゃない。でも確かな、私の夢の原点を。
今でこそ迷子ちゃんが言ってくれたように、ここまで無敗で走ってきた私は大注目されている。ただし最初からできるとは思っていなかったし、周りだってそう見てはいなかった。
小柄な体、靴擦れしやすい薄い皮膚、関節が柔らか過ぎると指摘されたこともある。走ることは大好きだけどゲートの中は大の苦手だし、入る以前に走るとわかっただけでそわそわして体を跳ねさせてしまうし。レースへの憧れは人一倍あるのに、重賞ウマ娘……ましてGIウマ娘のお姉ちゃんたちの仲間入りをするイメージはどうにも湧いてくれなかった。
《エルコンドルパサー抜けた! やはり強い、やはり強い! マイラーと言ったのは誰だ!?》
だからあなたくらいのうちは、同じ年頃の子たちが目を輝かせる『天才』とか『特別』といったフレーズにあまり心惹かれなかったんだ。嫌いというわけでは絶対にないけど、夢を重ねることはできなくて。もしあのレースの結果が違ったものだったら、今の私はここにいなかっただろうか。
《………いや! いや違う、まだだ!!》
でも、あの日疾走してきた運命は私をターフへ縫い留めた。同じGIウマ娘なのに、ちぐはぐな体つきと言われて期待されていなかったと聞いて、勝手に感情移入した憧れのお姉ちゃん。
《まだ彼女がいる!》
それでも自分だけの走りを見つけ、才能の溢れる同期さんたちと競り合って、ジャパンカップで日の丸を託されるまでになったその姿はまさしく。
《ここにいるッ───!!!》
十字架の戦士!
《全てが覆る!!レースが壊れる!!!》
『わ、ああ……!』
《エルコンドルパサーと並ぶ! 粘るエルコンに食らいつく!》
思えば、失礼な憧れ方だった。でも、こんなに心を熱くさせてくれる人はいなかった。
《最強だ!!紛う事なく日本最強ウマ娘が今決する!! 最初にその座に就くのはどちらだ!?》
……やっぱり、勝敗がどうなっても私はここにいたんだろうな。あの競り合いの時点でもう頭の中が焼かれていたから。負けたら負けたで、敵討ちだって燃え上がっていたのかも。
《何だ!? 伸びた!! 抜け出した、差した!!》
ただ運命は、私を完全にレースへ恋焦がれさせる方を選んだみたいだった。多くの人が言うのと同じようにその日、光を見た。紅の魂を見た。白銀の陽の出を見た。
《止まらない、誰にも止められない! もう誰もあなたを止められない!!》
ただ一つ、私が少数派だったのだとすれば。
《沈黙を超えた勇姿を焼き付けるは、永遠に語り継がれる伝・説・の・日・曜・日・ ───!!!》
果てに見た未来は、私自身のものだったことなんだろうな。
「……そのお姉ちゃんの走りを見て、思ったんだ。できるかどうかじゃない、ああなりたいって」
「ふわああ」
長くなってしまったけど、最後まで聞き入ってくれた迷子ちゃん。ううん、きっと後輩ちゃんになってくれるであろうその瞳の輝きを前に、一区切りを入れる。自己紹介はしっかり終えた。あと残っているのは、この熱量を引き継ぐこと。
「今はまだ、走っていてもいいんじゃないかな。立ち止まるのは、いつだってできるんだし」
「は、はい……」
「いつか夢や憧れを見つけた時に、後悔しないで済む自分でいて?」
ノイちゃんみたいに元気良くとはいかないけど。そのぶん優しく頭を撫で擦ると、その子の心の迷いは晴れてくれたみたいだ。にこにこ笑ってはちみつを吸う姿に、大いに癒してもらってたら。
「オルフェ、オルフェー?」
「ママ! パパ!」
物理的な迷子の方は向こうからお迎えが来てくれて、私たちはお役御免となった。何度も何度も頭を下げる親御さん共々にお気になさらずと手を振ると、うーんと伸びをして立ち上がる。
「いやー! 祈ってた時よりさらに格好良かったよプイちゃん」
「えへへ……そうかな」
「うんうん、なんかもう英雄って感じ?」
「おおげさだよぉ」
同じくふにゃふにゃ笑っていた反対サイドから、お褒めの言葉を頂戴した。むず痒くってたまらないと遠慮……すると、贈り主はふむと頷いて。
「たださ、ゲート苦手なのは今もだよね」
「うぐっ」
待って、確かにむず痒かったけど中和しようとしなくても。
「あと落ち着きがないのも。GIでぴょんぴょんはみっともないから止めようね?」
「はぐあっ」
ノイちゃん、痛いよ。何なら待ち合わせでの背中ばしーんより痛いよ……心が。
「ま、でもいいじゃん。完璧超人様が言うより、それこそ感情移入しやすいんじゃない?」
「そ……そうかな」
「そーそ。あたしもそういうプイちゃん、けっこう好きだよ」
はうあ!? 抉られた傷に別の衝撃がががががっ
「ふう、ああいうの聞いちゃったら走りたくなっちゃった。ねえ、やっぱり身体動かさない?」
まったくもう。ヒトに胸を押さえさせておきながら、先頭の景色にやっちゃって。でも、うん。そう言う私も、脚がうずうずしてきちゃった。間違いなく、夢の始まりを語ったせいだ。来た道を引き返していると、揃って並足は駆け足になって行く。
「よーしノイちゃんが直々にスタートを特訓して進ぜよう!」
「うええ……」
「あんな風にキラキラしといて大舞台で出遅れは恥ずかしいぞー?」
「や、やめてよう。そんなことならないもんー」
ガシャコン
「わ、わああ!?」
《あっとディープインパクト、そのスタートはどうだったのか!》
「プイちゃあああああん!?」
あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……やっちゃったよ私。初めてのGIで初めての勝負服、今までで一番輝くはずのこの舞台でもう。もう。
「うわあ、ほんとに恥ずかしいことに」
「ぴゃあああああ!」
はあ、言われた通りになっちゃった。変わらないなあ、私は。憧れのあの人の皐月賞はグリーンベルトを見越してハナを譲らない、素敵なレースぶりだったのに。出だしから、ううん、その前のお披露目から全然違っちゃった。
「大本命のディープインパクトがいるにも関わらず、票を浮かしていた要因が出たか」
「どうした急に」
でも。
「ここ数年、皐月を勝つのは最も賢いウマ娘かもしれないと言われている。ディープインパクトはこの中では間違いなく最速、だがレース中の冷静さはそうとも言い切れない」
憧れの人と違っても。
「確かに。グリーンベルトを読んだクーさんの次に勝ったのは、新人トレーナーにレースを教えたと言われるテイエムオペラオーだ……ディープは厳しいのか?」
私は止まらない。
「――いや」
だって、言ってくれたから。他ならぬ憧れの人が。
「俺の本命は動かないよ」
私は私なんだってっ
『あ、あの……あの。へぶっ』
伝説になったジャパンカップの後。勇気を出して、記者さんに囲まれているあの人へ声をかけに行ったあの日。有名なトウカイテイオーさんの逸話を真似した訳じゃない……とは言い切れない、というかごめんなさい。真似しましたと認めます、けど。
『おっとちょい待ち、大丈夫か?』
皇帝を超えたかもしれないとまで言われた天才みたいにスルスルと前に出られず転んだ私へと、あの人は手を差し伸べてくれた。
『ええ、オレのファン? グラスやスペじゃなくて?』
照れて頬を掻くお姉さんに一生懸命想いを伝えた。あなたみたいになりたいって。そんな私に、あの人は言ってくれたんだ。
『ありがと。でもどうせなら、オレを越えるくらい言ってみよう! 君は君なんだから』
本当の私は、芝2400メートルの世界レコードを大きく塗り替えたばかりのお姉さんに言われてすぐ頷けるような子じゃない。そんな私をも突き動かした熱量に押されて、あの日交わした約束。
『な、なら私……クーさんをおいかけて、それからかたきうちもします!』
超えると直接的に宣言するより、あっちの方が私の性に合った。目の前の人が勝ったレースと、勝てなかったレースと、両方を追うって決めた私に
『君ならできるよ。辛いことがあったら、これを握って頑張れ!』
「うあああああああ!」
「おおっ」
「な?」
「よっしゃプイちゃん行けえええ!」
ばくばくと暴れていた心臓は……もちろん全力疾走中に落ち着くことはないのだけれど、羞恥を忘れてレースのためだけに血を送っている。練習を重ねて大きくした肺が、酸素を燃やせと叫んでいる。相も変わらず落ち着かなくって。ゲートも下手で。身長だって小さめのままな私だけれど。夢のために鍛えた体で、誰よりも――
「最も賢いだけでは、先頭に立つことはできない。やはり一番大事なのは誰よりも――」
速く駆けてみせる!!
《ディープインパクトが先頭に立っている、一気に突き放すか!?》
柔らか過ぎると言われた膝を前に出す。真下の脚へ推進力をフルに伝える。地面を掴む。重心は低く。地を這うように。そのまま全身のバネで体を前に!
《先頭はディープインパクト! まずは第一関門を突破ー!》
「わあああああああああああああああ!」
……気が付いた頃には、その実況と歓声を置き去りにしていた。ああ、勝ったんだ、私。
「プイちゃんイエーーーーイ!」
トレーナーさんと、隣のノイちゃんに手を振り返すまで、実感が湧かなかった。出遅れて、頭が真っ白になって、でも、夢を諦められなくて。無我夢中で走っていたらいつの間にか、ゴールしていた。
でも派手に喜んでくれる親友の姿と、中山レース場の歓声が、ゲートに置いてきた感情を運んでくれた。やったんだ、私。あの人が獲れなかった三冠ウマ娘の第一歩、踏み出せたんだ。
息を落ち着けて、改めて振り返る。そして、片手を突き上げる。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
応援してくれたヒトに向けて。もしかしたら、見てくれているかもしれないあの子にも向けて。本当の私は、今でもスタートのことを恥ずかしく思っているんだけど。あの日の私みたいに誰かがこの背中に憧れてくれるかもしれないと思うと、自然と背筋が伸びる。
夢への恩返し、一つできたかな。誰かの未来、応援できたかな。
今ここにいてくれた人たちに、喜んでもらえたかな。
目を閉じて、私は問いかける。
答えてくれない、過去のあなたへと。
プイちゃんはね、英雄なんだ。
憧れの人の取りこぼしたものをほとんど獲ったんだ。
約束を守ったんだ。
ただ1つ、持ち帰れなかったんだ。