アンチョビが画面から出てきた   作:とにざぶろう

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2018年3月17日~4月15日

 2018年3月17日。土曜日。

 

 再び大洗。あんこう祭り以来だ。

 

 海楽フェスタの前日ということで、おそらくは平時より人通りは多いだろうが、それでも祭り当日と比較すれば歩きやすさは雲泥の差だ。

 アンチョビと二人、商店街でみつだんごを食べたりなどしつつホテルへと向かった(途中、通りすがりのおじさんお姉さんに何度も声をかけられた)。

 

 一旦、ホテルで荷物を下ろしたものの、約束までまだ時間がある。

 アンチョビの部屋へ顔を出し、「少し飲んでくるけどアンチョビさんどうする?」と問いかけると、彼女は「少し散歩したい」と答えた。

 

 商店街の真ん中にあるバーへ行くと、客は店内に収まらないくらいになっていた。

 俺は店内でギネスを注文すると、店の外でその場に居合わせていた客と談笑することにした。

 

「えっ。大洗に越してきたんですか? ガルパンきっかけで?」

 

「ええ、そうですね」

 

「こういうことを訊くのもなんけど、ガルパン最終章じゃないですか。終わっちゃったら、どうします?」

 

「どうもしないですよ」

 

「……どうもしない?」

 

「ええ。きっかけはガルパンですし終わるのは寂しいですよ」

「しかし、そもそも僕は大洗という町を好いたんです」

「ガルパンが終わるから何ですか。それでも僕の生活は続きます」

 

 彼の言葉は腑に落ちた。なるほど、確かにその通りだ。

 俺は彼に謝ると残りのビールを飲み干す。

 

「そういえば、貴方、お名前は?」

 

「ええと、ツイッターなんかでは『とにー』と名乗ってます」

 

 そう言うと、周囲で「とにー!?」と幾つか声が上がった。

 俺も名が売れたものだと思う。

 

 ビールを2杯も奢られ、ホテルに戻ったのは約束ギリギリの時間になった。

 

「アンチョビさん、そろそろ行こうか」

 

 扉の隙間から顔を出したアンチョビへそう声をかける。

 

「戸庭。少し酒の臭いがするぞ」

 

「大丈夫。酔っ払うほど飲んでないから」

 

 これは本当。さすがにそのくらいは弁えている。

 

 事前に代表からは部屋番号を伝えられている。

 エレベーターで階を上がり、目的の部屋の扉をノックすると、中から「あぁ、いま開けますね」と声があった。

 

 代表に扉を開けられ、中に入ると、代表の他には二人の女性の姿があった。

 年の頃はどちらも20代中盤か。顔に見覚えはないかと思う。

 

 二人の内、眼鏡をかけた女性はこちらを見ると小さく頭を下げ、もう片方は薄く微笑みを浮かべた。

 

「こんにちは。……アンチョビさんに会わせたいのって、このお二人ですか?」

 

「ええ、まあ。二人とも、こちらが『とにー』こと戸庭さん。で、ご存じ、こちらがアンチョビさんです」

 

「戸庭です」「アンチョビだ! よろしくな!」

 

 俺たちが挨拶すると、眼鏡の女性が立ち上がり口を開いた。

 

「どうもっ。わたし柿葉といいます」

 

 しかし、彼女が言い終わっても、もう片方の女性は席を立とうともしない。

 楽しそうに、笑みを浮かべるのみだ。

 

 柿葉さんが「あ、挨拶っ!」と叱ると、ようやく彼女は立ち上がり「ひょっとして気付くかなと思ってね」と言った。

 

「ん、うぅううん?」

 

 アンチョビがうなり声を上げ始める。

 彼女はそれを楽しそうに眺め、「アンチョビ。口に出してみると良い」と声をかけた。

 

「お前、ひょっとしてミカか?」

 

 アンチョビの言葉に、彼女は「正解」とかえした。

 

 ◇ ◆ ◇

 

 代表は「あとは4人で」と部屋を出て行った。

 ミカと柿葉さんを正面に、俺とアンチョビが並んで座る。

 

 訊きたいことはいくらでもある。

 ミカはどう見ても成人を迎えている。

 継続高校に通う、高校生にはとても見えなかった。

 

 タネがわれたからなのか、椅子に座ると、ミカはどこからともなくカンテレを取り出し膝の上へ置いた。

 

「それで、ええと、ミカさんはどうやってこの世界に?」

 

「さあね」

 

「詳しくはわからないんですけど、わたしが朝起きたら、うちの冷蔵庫を勝手に漁ってご飯食べてたんです……」

 

「お前……」

 

 ぽろろん。ミカは何も言わずカンテレを弾く。

 なるほど、俺はそれだけで彼女がミカ本人だと認識できた。

 

「年もわたしと同じくらいだし最初はミカだって気付かなかったんですけど……話をしてるうちに段々と」

「とはいっても、信じるまで1週間くらいかかりました」

「ミカ、はぐらかすばっかりで全然話をしてくれなくて」

「そういうところもミカっぽいなとは思ったんですけど」

 

 ぽろろん。

 

「確かそれが1月の中旬だったと思います」

「アンチョビさんのことは知ってて、ミカもこれと同じだと思ってすぐに連絡しようと思ったんですけど、ミカが『アンチョビに連絡をとる。そのことに意味はあるのかな』とか言って」

「意味あるに決まってると思うんですけど」

「その後、すぐに家を出てっちゃうし、もうホント」

 

 ぽろろん。

 

「……大変だったな」

 

 アンチョビが柿葉さんに慰めの言葉をかける。

 

「あ、でも、今日ここに来れたのはミカのおかげでもあるんです。いつの間にかミカが、あの、代表さんと話をつけてて」

 

 ぽろろろーん。

 

 多少、年は取っても、ミカはミカ。中身に変わりはないらしい。

 奇抜で気まぐれで欲深い。そして、やる時はやる。

 

「ええっと、ガルパンの作品内のミカと年齢が違う件については、理由はわかりますか?」

 

「わかりません……。でも前に、20代のミカを同人誌に書いたことはあります。もしかしたらそれが関係してるのかも……」

 

 あぁ、柿葉さんは同人作家なのか。

 

「あの、それで一番訊きたかったことなんですけど」

 

 柿葉さんは、こちらを真っ直ぐ捉え、言葉を吐き出した。

 

「アンチョビさんが元の世界へ帰る方法、わかりましたか?」

 

「いや、それは――」

 

「見つかっていない。もう諦めたんだ」

 

 俺が言おうとしたのを、アンチョビの言葉が制した。

 

 ふいに、ミカがすっと立ち上がる。

 

「ど、どうしたのミカ?」

 

 ミカはカンテレを手に部屋の扉の方へ歩いていくと、

 

「大洗の夜風は気持ちが良い。アンチョビもどうだい?」

 

 と、比較的わかりやすい言葉を吐いた。

 

「お、おー。そうだな」

 

 連れだって部屋を出て行く二人を、俺と柿葉さんが見送る。

 

 アンチョビとミカが戻ってきたのは、それから3時間も経ってからのことだった。

 その頃、俺と柿葉さんはガルパントークに花を咲かせ、缶ビール片手にわいわいとさきいかをつついていた。

 すっかり出来上がってしまった俺はアンチョビに「戸庭! 部屋に戻るぞ!」と腕を引っ張られ、名残惜しくもミカと柿葉さんの部屋を去った。

 

 ◇ ◆ ◇

 

 2018年3月18日。日曜日。

 

 早朝に目を覚ました俺は、もう起きてるかな、と遠慮がちにアンチョビの部屋の扉をノックした。

 中から現れたアンチョビは「遅いぞ戸庭っ!」と叫び、すでに身支度を整えていた。

 

 広場には、あんこう祭り同様、すでに屋台が出ていた。

 やっほーと俺は缶ビールを開ける。

 アンチョビは若干呆れながらも、一緒に笑ってくれた。

 

 アンチョビの登壇は11時半過ぎからだった。キャストトークショーの直前だ。

 それまでは屋台の辺りで飲んで食ってしているつもりだったのだが、アンチョビに寄ってくるファンの数が膨大になり収拾がつかなくなったため、一旦、テントの中へ避難することとなった。

 

 代表は「そりゃそうですよ」と笑い、アンチョビに深めの帽子とサングラスを用意してくれた。

 

「そういえば今日は監督はいないんですね」

 

「忙しいですから。いたらびっくりですね」

 

 変装して、再び祭りの渦へ。

 やいのやいの騒いでいると、時間はすぐにやってきた。

 

 テントへ戻るとガルパンのキャストが勢揃いしていて、アンチョビを目にすると「アンチョビさんだっ!」と声を上げた。

 彼女らは「お会いしたかったんです~」「これからもよろしくお願いしますね」と丁寧に挨拶してくれる。

 アンチョビも嬉しそうに「こちらこそよろしく!」と挨拶をかえした。

 

 やがて出演のためにアンチョビがテントを出て行く。

 俺も外で見物しようとテントを出た。

 

 人混みから外れて、よく見える場所はないかなとぶらついていると、ミカと柿葉さんを見つける。

 そして横には、何故か監督が立っていた。

 

「監督、忙しいって聞きましたけど」

 

「興味があって、ミカさんに会いに来ました。いやあ、会ってみるとそっくりですね。当たり前ですが」

 

 今日のミカは継続のジャージこそ着ていないものの、カンテレを手にし、頭にはチューリップハットを被っていた。

 確かにこうして見ると彼女はミカそのものだろう。

 

「戸庭さん。その後、どうですか」

 

「あぁいえ、監督のおかげで順調です。こうしてステージにも上がらせてもらえてますし」

 

「それは良かったです。頑張ってください。私も頑張ります」

 

「ありがとうございます」

 

 ふいに周囲のざわめきが大きくなった。

 何かと見れば、壇上にアンチョビが登場している。

 凄まじい人気だ。

 

 アンチョビは声援に応えるように大きく手を振りながらステージの真ん中へ移動した。

 

『あー、あー、あー、あー、マイクの調子は良いな!』

『やあ、みんな、こんにちは! 楽しんでるか!?』

『アンツィオ高校で戦車道の隊長を務めていた、私の名はアンチョビだ!』

 

 大きな歓声が上がる。

 この中で、彼女が隊長であることが過去形で語られているのに気付いているのは少数だろう。

 

『実はこっちの大洗に来たのはこれで二度目でな。大洗について語れることはあまり多くないんだが、いやあ、良い町だな!』

『さっきまで屋台で食べ歩いていたんだが、魚は美味いし、町の人は陽気でやさしい!』

 

 そうしてアンチョビは大洗の魅力を存分に語り出す。

 語ることは多くないなんて嘘っぱちである。

 与えられた時間の半分以上を過ぎたところでカンペを見て「おお、もうそんなに経ってるのか」と気付く。

 

『じゃあ、ここからは、私の話をさせてもらう』

『あんまり興味ないって人は屋台であんこう鍋食べててくれ! 美味しいぞ!』

 

 雰囲気をしんと変え、アンチョビは再び口を開く。

 

『私は、この世界の人間ではない』

『おそらくはガルパンの世界からやってきたのだと思うが、本当のところはよくわからない』

『確かに私の頭の中には、アンツィオや大洗や、黒森峰や継続の、他にもたくさん。そう、あいつらの、顔が、声が、記憶として残っているのに』

『なのに、この世界でのガルパンは創作物だ。創られたものなんだ』

 

 ぐさりと、アンチョビの言葉が心臓に刺さる。

 

『まぁ、もう吹っ切れたけどな!』

『でも最初は辛かったぞ。ここで言うのも、その、なんだが、夜に泣いたりもした』

『……いやいや、でも良いんだっ!』

『そうじゃない。私が言いたいのはそうじゃなくてだな、伝えたいことが、あったんだ』

 

 アンチョビが、仁王立ちをし、正面を向く。

 

『私は! この世界で生きていくぞ! その決断をした!』

 

 さらに、力強く叫ぶ。

 

『だからみんな、これからもよろしくな! 私を! 大洗を!』

『そしてもちろん、ガルパンのことを!』

 

 直後、今日一番の歓声が上がった。

 

 俺も感情が爆発して「ううあああああ」と声にならない叫び声が口から漏れ出た。

 監督とミカは静かに笑い、柿葉さんには背中を撫でられた。

 

 テントには戻れるはずもなく、アンチョビとは数時間も経った後で合流した。

 アンチョビには「どこ行ってたんだ?」と訊かれたが、「物販に並んでた」と俺は誤魔化した。

 

 水平線に夕日が沈んでいくのが見えるなか、俺たちは大洗を去った。

 

 ◇ ◆ ◇

 

 2018年3月24日。土曜日。

 

 玄関の扉を開けると、そこにミカがいた。

 

「あの、いらっしゃるみたいな話してましたっけ」

 

 ぽろろん。

 

 後方ではひょっこりと柿葉さんも顔を出す。

 

「えっと、ミカが『風に誘われて』って」

「あ、そうだ、よろしければ最終章のBlu-rayを一緒に観たりとか……?」

 

 どうして疑問形なのか。

 

「アンチョビ。彼とはまだ話をしていないのかい?」

 

「う。まだだ」

 

「時間は待ってくれない。流れに身を任せていると、いずれ日が暮れて朝がやってくるよ」

 

 ミカはゆっくり話すと、最後にぽろろんとカンテレを弾いた。

 

 アンチョビは「ぐ、く」と唸り出す。

 それを見たミカは「柿葉」と名を呼ぶ。

 

「あ、あぁ、それじゃあ、ひとまずBlu-ray観ますか?」

 

「え、えぇえ、この流れで? いやまぁ良いですけど」

 

 柿葉さんから最終章第1話のBlu-rayを受け取る(我が家にもあるが)と、それを再生機へと挿入する。

 4人でリビングへ腰を下ろしたが、直後、ミカが今度は「アンチョビ」と名を呼んだ。

 

「アンチョビ。果たして、その選択は正しいのかな」

 

「……う~~~、言いたいことはわかってるっ」

 

 ばんとリビングを飛び出したアンチョビが自室へと入っていくのが見える。

 どういうことかと俺は不思議に思ったが、ミカが雰囲気でもって俺を制するので、何も言わずにおく。

 

 気を取り直して、俺たちは3人で最終章第1話のBlu-rayを観賞した。

 やっぱり抜群に面白い。さすがだ。

 

 たっぷり47分間を楽しんで、映像を止めるとアンチョビがいつの間にか隣に座っているのに気付いた。

 

「戸庭。大事な話だ」

 

「お、おう。いつになく真面目。わかった。聞くよ」

 

 アンチョビが俺の正面に移動する。

 ミカと柿葉さんは少しだけ俺から距離を取る。

 アンチョビがすうっと息を吸う。

 

「私は、この家を、出て行く」

 

 え。

 

「正直、いすぎたくらいだ。ずっと前から準備は進めていたんだぞ。引っ越し費用は、十分に用意できたと思う」

 

「いや、ちょっと」

 

「初めは隣町に引っ越すつもりだった。しかし先週、提案を受けたんだ。ミカと一緒に大洗で暮らすのはどうかってな」

 

「……展開が、早すぎない?」

 

「もちろん戸庭にこれまで世話になった礼はするぞ。私のために使ってくれたお金も、これから時間をかけて全部返す!」

 

 アンチョビは、ツインテールを揺らして、腕を組み、むんずとふんぞり返って笑った。

 

 俺は、アンチョビの話した内容を飲み込むのにしばらく時間がかかりそうだった。

 

 予感はあった。いつかこんな日も来るだろうと。

 けれどそれは、未来の出来事と思考の片隅に追いやってしまっていた。

 

 あぁ、アンチョビ、いなくなるのかあ。

 

 きゅうと、心臓が締め付けられるような気がした。

 俺も何も言葉を返さなければ。と返事を探したのだが、どうやらそれは足下には転がっていない様子で、なかなか手間取りそうだ。

 

 しかしそこで気付くに、どうもアンチョビの様子がおかしい。

 彼女は固く目を瞑っている。

 

 何だと思うと、アンチョビは再び目を開いた。先ほどまでの威厳をなくし、声を震わせて、続きを口にする。

 

「い、以上がっ! 選択肢その一だ!」

 

「……せ、選択肢?」

 

「そうだ! その2は簡単だぞっ!」

 

 アンチョビが頬を紅潮させて叫ぶ。

 

「私は戸庭の家を出て行かない! ずっと、少なくとも当面は、このままだ!」

 

 ぶわっと、熱風が飛んできたかのようだった。

 

 ……いや、いやいやいやいや。

 

「その選択って、誰が決めるの」

 

「う。わ、私が決められたら良かったんだが、私はどれだけ悩んでも駄目だ。ノリとテンションだけではどうにもならなかった」

「そもそもこれは、私だけの問題じゃないしなっ」

 

「アンチョビ」

 

 ミカに呼ばれたアンチョビが「わかってるっ!」と叫ぶ。

 

「言っておくぞ。わ、私は、戸庭のことを家族だと思ってる。家族だぞ」

「アンツィオのみんなと一緒だっ!」

「だから、そう、ここを出て行く必要は、まったくもって、ないっ!」

 

 でも。とアンチョビは続ける。

 

「言った通り、これは私だけの問題じゃない」

「戸庭の問題でもあるし、ミカの問題でもあるし、もっと言えば柿葉の問題だってあるだろう」

「それに、ミカと暮らすのだって、私は悪くないと思う」

「こいつはこんなだけど、いざという時は頼りになるし、根は良い奴だって知ってる」

「向こうの世界からやってきた、唯一の仲間でもある」

 

 ぽろろん。ミカがカンテレで応える。

 そのカンテレはどういう意味なのだろう。

 

「だから、戸庭の考えを聞かせてくれ。話し合って決めたいんだ」

「さあ、お前はどう思うんだ。私は、ここにいた方が良いのか。いても良いのかっ!」

 

 いやあ。

 

「そりゃあもちろん、いても良いかと聞かれたらいても良いよ」

 

「お、ぉお……っ」

 

「でも、それだけで済む話でもないんでしょう」

 

 その答えだけが欲しいんなら、きっとアンチョビも悩んだりなんてしなかっただろうと思う。

 

 アンチョビは俺の先をいっているなあ。

 俺は、アンチョビを一人悩ませてしまっていた。

 俺も考えるべきだったのだ。

 いつかの未来でなく、近い将来の話として。どうすべきかを。

 

 生活は続く。

 けれど、少なからず変化はあるのだ。

 

「ミカさんは、どうなの。アンチョビと一緒に暮らす件について。そもそも、この世界に定住するつもりなの」

 

「そうだね。やぶさかじゃないさ」

 

 ミカは、カンテレを弾かず、そう答えた。

 

「……じゃあ、柿葉さんはどうなの。ミカも今は柿葉さんの家で暮らしてるんでしょう」

 

「わたしは、そんなにミカと付き合いが長いわけでもないですしどちらでも……。家族というより、友達?」

 

 ぽろろん、とミカは再びカンテレを弾く。

 

 あぁ、じゃあ本当に、あとは俺が考えなきゃいけないのか。

 

 ――――。

 

 正直、俺の欲だけをいえば、そりゃあアンチョビには、俺の家にいてほしい。

 ファンなんだ。当たり前だ。

 今は、アンチョビの言う通り、家族でもある。家族がいなくなるのは誰だって辛いだろう?

 

 けれど、だからこそだ。

 だからこそ俺は、アンチョビの幸せを願う。

 アンチョビがこの世界で生きていく上で、何が一番なのかを考える。

 

「アンチョビさん。俺がいなくても大丈夫?」

 

「だ、大丈夫って?」

 

「動画の編集はネット越しにだって出来るかもしれないけど、今までみたいに連携は取れなくなっちゃうよ」

 

「それなら大丈夫だ。ミカがいるからな。動画の編集だって出来るらしいぞ」

 

 ホント器用だな、ミカは。

 

「それより、戸庭こそ、私がいなくて、平気なのか?」

 

「え、なんで」

 

 口に出して、気付いた。何でも何もないだろう。

 

「もう働き過ぎないか? 食事はちゃんと取れるか? 酒ばっかり飲んでちゃ駄目なんだぞ?」

 

 アンチョビの言う通りだ。

 俺がどれだけぐうたらな生活を送っていたのかという話だ。

 

 今でこそマシになってはいるが、アンチョビが我が家へやってくるまでの自分を省みると、悲惨の一言である。

 アンチョビがいなくなっても本当に一人で生きていけるのかと、彼女が心配するのは当然だった。

 

 しかし、己を御しきれなくてどうする。

 

「平気に決まってるでしょう」

 

 自分のことくらい自分でやれ。

 そんなことのために、アンチョビの未来を奪うわけにはいかない。

 

 アンチョビと、この世界を繋ぐ唯一のものは、ガルパンだ。

 多くの人に認められたし、公式の存在にもなれた。

 それは全て、ガルパンのおかげだ。切っても切り離せない。

 

 同じガルパンの世界からやってきたミカと暮らすことは、彼女の背中を後押しするに決まってる。

 アンチョビは元の世界へ戻るのを諦めたが、ミカと一緒にいれば、いつかその方法だって見つかるかもしれない。

 

 俺と暮らすことで、アンチョビに得はない。

 けれど、ミカと暮らすことによる益はいくらでもあった。

 

 だから、どうしても、この結論になってしまう。

 

「アンチョビさん。やっぱり、ミカさんと一緒に暮らすのが良いよ」

 

 俺が言うと、アンチョビは顔を強張らせた。

 

「そうか。そうかあ」

 

 天井を仰いで、あくまで爽やかに、言葉を吐き出す。

 

「そうだよなあ。戸庭はそう言うよなあ。わかってたんだ」

 

 アンチョビはそこで言葉を切ったが、それも一瞬だった。

 すぐにぐいと首を戻し、こちらへ力強い両眼を向けた。

 

「よし! 了解した! それじゃあ私はこの家を出て行く!」

 

「うん」

 

 と、短く答えることしかできない自分が情けない。

 ミカが「それで良いのかい」と三度問いかけ、アンチョビが「良いんだ」と答えるのを、数キロ先の出来事のように聞いた。

 

 胸の痛みはあれど、崩壊の物音は聞こえなかった。

 静かに、体に染み付いていた色がするすると剥がれ落ちていくように感じた。

 

 あぁ、喪失感というのは、こういう風に訪れるんだなあ。

 

 体全体へ熱が広がり、心臓がぐつぐつと煮えたぎっているのがわかる。

 辛くて泣いてしまいそうだ。

 

「え、えっと、それじゃ、これから、どうしますかっ」

 

「そうだね。同居の日取りを決めておこう」

 

 いつになく地に足のついた言葉を吐くミカに、俺は冷静さを取り戻した。

 

 そうですね、と前置きし、言葉を繋げる。

 

「引っ越すなら、できるだけ早い方が良いでしょう。あんまり長くいても仕方ないし、しがらみみたいなのが、増えてくし」

 

「しがらみ?」

 

 聞き返すアンチョビが、瞳を震わせているのがわかった。

 

「そんなの、とっくに出来てる」

 

 そういうことを言うなよ。

 

 俺もそれで、瞳に水滴が滲んだ。

 

 誤魔化そうと、ふいに立ち上がってキッチンへと歩いたが、あからさまだからアンチョビにはばればれだろう。

 しかしまぁ、どうせなのだから、アホになって無茶苦茶に誤魔化してやろうと思う。

 

「俺は酒を飲むぞ!」

 

 叫び冷蔵庫からビールを取り出し、プルタブを引きごっくごっくと飲み干す。

 続けざまに2杯目も一気飲み。3杯目で気持ち悪くなってその場によろけた。

 

 そんな俺を見て、柿葉さんはドン引きして目を丸くし、ミカはカンテレを奏で、アンチョビは、わっはっはと笑った。

 

 ◇ ◆ ◇

 

 2018年4月15日。日曜日。

 

 アンチョビ、引っ越し当日。

 

「じゃあ、またなっ!」

 

 キャリーケースを引き、リュックサックを背負ったアンチョビがそう言った。

 

 布団や衣装棚なんかは昨日トラックで発送された。

 今日には大洗の新居に到着して搬入を行う予定だ。

 俺も手伝おうかと提案したのだが「大洗の人が手伝ってくれるから大丈夫だ!」とあっさり断られた。

 

 隣町のバイト先には先週のうちに別れを告げていた。

 最終日にはアンチョビとの別れを惜しむ常連が多く集まった。

 夜が更けるまでパーティが続けられ、俺も酒をしこたま飲んだ。

 

「うん、またそのうちに」

 

 アンチョビが我が家からいなくなる。

 

 しかしよくよく考えてみれば、それは大した事実ではないように思えた。

 

 アンチョビに会いたければ、大洗に行くだけで良い。

 彼女はこの世界へ残る選択をしたのだから、それだけの話だ。

 

 今の世の中、SNSもある。声が聞きたければ一瞬だ。

 何を女々しく苦悩する必要があったのか。ここ半月の俺は馬鹿なのか。

 

 にっと笑顔で手を振り、駅へと歩いていくアンチョビを見送ると、「それでも寂しいもんは寂しいんだ」と、俺は心の中で叫び声をあげた。

 

 別れは、いともあっけなかった。

 




次で終わりです。
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